World Days(新版) 作:完結の陽炎
光の瞳に映る世界の彩り
西園寺世界との出会いは、親戚の葬儀という湿り気を帯びた空気の中だった。
線香の匂いと、大人の嘘、そして身勝手な陰口が澱のように渦巻く場所。
そんな中、同じ訳ありの気配をさせながら、どこか飄々とした佇まいを見せていた世界と刹那。
その異質な存在感は、光の幼い記憶に鮮烈な色彩を刻みつけた。
しかし、中学という多感な季節が、光の心に薄暗い影を落とす。
桂言葉。
同じ輪の中にいるはずのその少女は、あまりにも美しく、あまりにも『持てる者』だった。
彼女の隣に立つだけで眩しすぎる。
自分という存在が路傍の石ころのように、価値のない不格好な塊に思えてしまう。
その惨めさが、光の自尊心をじりじりと苛んでいた。
「私に悪い所があれば、直しますから……」
言葉の口にする謙虚な響きすら、光には残酷なまでの持てる者の余裕にしか聞こえない。
悪気がないからこそ、救いがない。
そんな中、他校生である世界の存在は、唯一の呼吸ができる風通しの良い窓だった。
世界という少女には、言葉のような神々しい後光はない。
彼女は驚くほど正直で、その欲望は常に剥き出し。
光が実家の洋菓子屋を継ぐ娘だと知るやいなや、彼女は遠慮という言葉を置き去りに踏み込んだ。
「光のお菓子、食べたいな! ねえねえ、新作ができたら絶対味見させてよ!」
その欲望まみれは、どこか澤永泰介に通じるものがある。
裏表がないというより、裏を作るほど器用ではないのだろう。
光がお菓子を差し出せば、世界は春の陽だまりのような笑顔で頬を膨らませる。
「わーい! 光大好き、お菓子最高だよ!」
職人の娘として、これほど純粋に自己肯定感を満たしてくれる客が他にいるだろうか。
世界は、お菓子という美味しさの対価を、全身全霊の歓喜をもって光に返しているのだ。
もちろん、その暴走にブレーキをかけるのは常に刹那の役割である。
「光、世界がわがままを言ったら私に言って。ちゃんと注意するから」
世界が食べ過ぎて体重計の上で絶望。
女の子の試練であるダイエットにのたうち回る。
そんな未来を未然に防ぐ。
それが刹那なりの慈悲であり、彼女なりの管理であった。
お菓子をもらうための大義名分を作る。
世界は決まって甘露寺七海を熱烈に応援し始めた。
七海がバスケで結果を出せば、お祝いにかこつけて光のお菓子にありつけるから。
その見え透いた魂胆。
七海と光が、呆れながらも面白がって笑う。
世界の欲望が周囲を明るく振り回し、結果として誰も不幸にしない。
そんな不思議な力に巻き込まれていくのだ。
光は、心の一番深い場所に大切にしまっている記憶がある。
自分が本当に困り果てていたとき、世界が真っ先に泥だらけになって探し物をしてくれたこと。
突進してくる自転車から、迷わず腕を引いて自分を救い上げてくれたこと。
世界という少女は、口先だけの友人ではない。
いざという時には、どんな犠牲を払ってでも自分を助けてくれる。
その確信こそが、光の心を支える真の柱だった。
「へえ、あの恵まれたお嬢様が、刹那に嫉妬ね……」
「光、ことぴーも人の子。世界との時間は、私たちが一番」
「ま、パッと出の桂が、生まれたときから一緒の刹那に勝てるわけないよね」
言葉が刹那に対して抱く、得体の知れない敗北感。
それを刹那の口から聞いたとき、光の胸のつかえは、すっと消えていった。
刹那の、世界に対する一途で過剰なまでの献身。
それは、言葉の美貌や家柄をもってしても決して侵し得ない聖域。
光はその刹那の在り方に、自分が泰介に抱いている想いの、一つの到達点を見たような気がした。
そして光は気づく。
自分以上に言葉の存在を脅威として意識しているのは、他ならぬ刹那なのだと。
刹那にとって、言葉は波長の合う友でありながら、同時に世界の唯一を奪いかねない最大のライバルだ。
もし、万能な言葉が世界を独占してしまったら、刹那の居場所は消滅してしまう。
そんな不要とされることへの根源的な恐怖が、刹那を研ぎ澄まされた刃のようにさせている。
光は、刹那の抱える深淵のすべてを知る由はない。
けれど、世界という太陽の隣にいることがどれほど特別であるかは、痛いほど理解できた。
見た目も、家柄も、立ち居振る舞いも。
世界は言葉より劣っているように見えるかもしれない。
けれど、世界には言葉が決して持てない、圧倒的な『生の彩り』がある。
その世界を親友に持ち、彼女を笑わせ、彼女の空腹を満たしてやれる自分。
そんな私が、あのお嬢様に負けているはずがない。
中学生らしい、少し歪で、けれどこの上なく切実な感情の折り合い。
光は、自分にしか焼けないお菓子の甘い香りに誇りを抱きながら、
今日も賑やかな世界の一部として、胸を張って歩き出す。