World Days(新版) 作:完結の陽炎
学園祭の準備期間での出来事。
柔道部の田中が自主練習中の怪我を負ってしまった。
全治2週間の骨折である。
大変だと騒いで知らせたのが泰介。
1年3組のクラス委員は刹那だけ。
そのため田中の代理が求められる。
教卓に集結するメンバー。
清浦刹那・西園寺世界・黒田光・甘露寺七海・伊藤誠・澤永泰介。
ここから真っ先にやり玉が上がったのが――。
「伊藤、あんた暇でしょ? あんたが委員やりなさいよ」
光の放った言葉に、誠は首を横に振る。
「そうは言っても、俺はクラス委員なんてやったことないからな。清浦に迷惑かけそうだし辞退するよ」
一見すると刹那への配慮に基づいた正論。
実務の負担、教える側の労力、それに見合わない不備。
未経験の自分が入ることで、かえって刹那の足を引っ張りかねない。
それなら、気心の知れた女子に手伝ってもらう方が、刹那にとっても仕事がしやすいはずだ。
いわゆる『他を当たれ』である。
その言葉の裏にある誠の自信のなさを、世界は見逃さなかった。
「なるほどね。確かに仕事内容もわからず、いきなりやれって言われても不安だよね? じゃあ、内容さえわかれば手伝えるってこと?」
世界の返答には温かみがある。
それは不安に寄り添うようなトーンだった。
「まあ、そうだな。具体的に何するかわからないのに、軽はずみに引き受けるのはどうかと思ってさ」
「オーケー。未経験者としての不安はごもっとも。だから刹那、クラス委員がどんな仕事をするのか、そして伊藤に何を手伝ってほしいのか、説明よろしく」
世界の促しに、刹那は迷いなく一歩前へ出る。
感情を排するような口調で。
精密機械の仕様説明が始まる。
「伊藤、今の時期の仕事は三つ」
指を一本ずつ立て、刹那は淡々と、しかし明瞭に告げる。
「一つ目、学園祭実行委員会での決定事項をクラスに伝える。二つ目、備品発注と予算管理の書類作成。三つ目、当日のシフト表の調整……難しいことは何もない」
「書類作成とか予算管理なんて、俺にできる気がしないんだけど……」
「フォーマットは私が用意してある。伊藤はそこに数字を打ち込むだけ。わからないところは隣で教える。一度覚えれば、中学の算数より簡単」
「シフト調整は? 揉め事とか対応できる自信ないぞ」
「それは委員長である私の責任。伊藤は私の横で、誰がどこに配置されたか記録するだけでいい。対人交渉はすべて私が引き受ける。伊藤が矢面に立つ必要はない」
ここで思わず世界を見つめるのが誠である。
刹那の無愛想な説明を聞くうちに、ある確信が芽生えたのだ。
交渉や収拾なら、世界の方が圧倒的に適任ではないか。
そんな誠の視線を受け止めた世界。
すべてを見透かしたように苦笑いを浮かべた。
「あはは。伊藤、私がやった方が丸く収まるんじゃないかって思ったんでしょ?」
「ああ。西園寺なら誰とも喧嘩せず、上手くまとめてくれそうな気がしてさ」
世界は捲り上げた自分の細い腕を見せる。
そして少しだけ寂しげに目を細めた。
「確かに、交渉事だけなら私の方が向いてるかもしれない。でもね伊藤、クラス委員の仕事は『話し合い』だけじゃないんだよ。力仕事もあれば、放課後遅くまで残っての作業もあるし」
「力仕事なら、クラスの男子に指示出せばいいんじゃないか?」
「……実は私、生まれつき体が弱くて、長時間根を詰めて作業すると、すぐに熱を出して寝込んじゃうの」
「え、そうなのか? それは正直意外だ」
病弱という事実に完全に毒気を抜かれる。
太陽のような彼女の裏側にある影。
そんなことは露ほどの想像もしていなかった。
「そうなの。もし私が無理して引き受けて、途中で倒れたりしたら、それこそ刹那一人に全部の負担がのしかかっちゃう……だからね伊藤、刹那を支えられるのは、放課後もしっかり動ける体力があって、さらに刹那が一番教えやすい距離にいる人……つまり、隣の席の伊藤しかいないんだよ」
これが決定的な一撃となる。
世界にやれというのはどう考えても非人道で無理だ。
光は店、七海は部活。
泰介に至っては釘を刺された。クラスで使うからと。
「あー。クラスの中で、委員を手伝おうと思ってる人いる?」
誠の発言にクラスメイトたちは一斉に視線を逸らす。
ある者は教科書を読み、ある者は消しゴムのカスを熱心に掃除する。
「うわー、誰もいねえのかよ。お前ら清浦に対して冷たいなぁ。クラスメイトなのに」
思わずぼやいた。
真面目に役目を果たす刹那が、誰にも手を差し伸べられない。
「西園寺、清浦って不愛想で怖い印象あるけど……なんか、あまりに誰も助けようとしないから、正直可哀想に思えてきたぞ」
「……可哀想、か」
世界は隣にいる刹那をチラリと見た。
刹那は無表情のまま、誠をじっと見つめている。
「伊藤、それなら話は早いよ。刹那を『可哀想な委員長』のままにするか、それとも『隣の席の相棒』として支えてあげるか……決めるのは伊藤次第だよ」
うーむと唸るように誠は考え込む。
ここでふとハッとした。
(あれ? これって告白された乙女に対して誤解させてしまうんじゃないか? いくら保留とはいえ、他の女の『相棒』なんてやったらマズイんじゃないか……?)
誠は携帯を取り出す。
乙女に筋を通すべきだと感じたからだ。
「二人ともちょっと待ってくれ」
4組にいる乙女へメールを打つ。
『田中の代わりが必要なんだが、清浦を助ける奴が誰もいない。俺がやるって話が出てるんだけど、乙女はどう思う?』
送信を受け取った4組の乙女は、胸を熱くした。
誠が自分を気遣って連絡をくれたこと。
そして彼が誰かのために動こうとしていること。
不安はあったが、それ以上に世界からの事前メールが彼女の背中を押した。
『誠、私なら大丈夫。清浦さんは大切な友達だから、誠が助けてあげて。頑張る誠のこと、応援したいから』
携帯が震え、その返信を確認した誠。
小さく息を吐き出した。
(このままだと清浦が可哀想だ。乙女もいいって言ってるし、俺しかいないならやるか)
覚悟を決めたように携帯をポケットにねじ込んだ。
「わかった。俺で務まるかわからないけど、清浦の代理、引き受けるよ」
それを聞いた瞬間、教室の空気がわずかに緩む。
世界がパッと表情を明るくし、まるで自分のことのように嬉しそうに手を叩いた。
「決まりだね! さすが伊藤、話がわかる。刹那、相棒ができてよかったね!!」
「……うん。伊藤、よろしく」
刹那は短く応じ、わずかに頭を下げた。
その瞳には、隠しきれない安堵の色が混じる。
誠はこちらこそと気恥ずかしそうに頭を下げた。
何しろ、これから仕事を教えてもらう未経験者。
人望のなさが繋いだ皮肉な縁。
誠の心には、これまで感じたことのない奇妙な責任感が芽生えていった。