とある新人トレーナー視点です。
「——はぁ……今日も担当を見つけることができませんでした……」
夜間練習の申請をしているウマ娘たち以外は、基本的には門限で寮に帰っているようなそんな時間。私は既に周りに誰もいない三女神像前のベンチで項垂れていました。
「中央トレセン学園のライセンス試験に合格して、念願のトレーナーライセンスとトレーナーバッジを頂いて、それからサブトレーナーとして経験を積み終えて、ようやく昨年度から、これからウマ娘たちと一緒に頑張るぞ——と思っていたのですが……」
「……担当を見つけられないまま、早一年。やっぱり新人のトレーナーというのが良くないのでしょうか……。それはそうですよね……ウマ娘たちが一生に一度しか走れないトゥインクル・シリーズ。その舞台で、私のような新人よりも経験豊富なベテラントレーナーの方が夢を託すのに相応しいのは必然です」
「はぁ……今日は本当に溜め息が止まりません。ウマ娘たちの夢を共に追いかけたいからこそ、死に物狂いで勉強してこの職に就いたというのに——肝心のウマ娘を誰一人として担当できていないようでは、ただ学園を彷徨っているだけの無職と変わりませんね」
うっすらと輝き始めている星空を背景に、とめどなく水を流している三女神像を見上げます。
「私、トレーナーに向いていないのでしょうか……?」
三女神像にそう問いかけると、心なしか三女神様が私のことを憐んでいるようにも見えました。
「こんばんは、トレーナーさん。すみません、少しよろしいですか?」
「っ! はっ、はい! なんでしょうか!」
完全に気を抜いていたところに急に話しかけられ、かなり挙動不審になってしまいました。
私を呼んだのは、この学園の理事長秘書をされている、緑の制服がトレードマークの駿川たづなさんでした。
「理事長がトレーナーさんをお呼びです。突然で申し訳ありませんが、今から理事長室へお越しいただけますか?」
「は、はい。わかりました。すぐに向かいますね」
ああ……担当ウマ娘がいないために、ついに私は解雇通告をされてしまうときが来たのでしょうか。
三女神様……あなたたちを拝めるのは今日で最後になるかもしれませんね……。
(オマエ……ナラ…………ミチ……ビケ……ル…………)
——あれ……? 今三女神像から何か声が聞こえたような……? なんて、そんなわけありませんよね。気のせいでしょうか。
ひとまず、私はたづなさんと共に理事長室へ向かうことにしました。
―――
理事長室前の扉に着くとたづなさんがノックをして、中におられるであろう理事長に声をかけました。
「失礼します理事長、例のトレーナーさんを連れてきました」
『ありがとうたづな、どうぞお入りください』
「し、失礼します……」
そうして理事長室に入ります。正面に重厚な執務机があり、その椅子に腰掛ける白い帽子を被った婦人……秋川理事長その人は、まるで私への弾劾裁判を行うかのような真剣な雰囲気を纏っていました。
「よく来てくれました」
「い、いえ、理事長の命であれば、不肖ながらいつでも伺わせて頂きます!」
「ふふっ、殊勝な心がけですね。さて、1人のトレーナーとして独立してからはどうですか? あなたと運命を共にする、新たな担当ウマ娘は見つけられましたか?」
そうおっしゃる理事長の表情は笑顔でしたが、漂う空気はそれと全然一致していませんでした。
「……それが……何度も生徒に声をかけてはいるのですが、私が育成方針を話した途端に、皆さん眉を顰めてしまい断られてしまって……」
「——要するにまだ見つけられていない、と。それでは、およそ一年もの間、あなたは職務を全う出来ていなかった、ということですね」
「ううっ……は、はい……」
理事長にバッサリと真実を告げられ、バツが悪くなり、つい目を伏せてしまいます。
「——なんて、別にあなたを咎めようなんて思っていませんから、安心してください。あなたの育成方針である『決して無理をさせずケガをすることなく長い間走り続けられるウマ娘にする』……。一度しかないレースを走るウマ娘たちにとってはやや消極的に聞こえるかもしれませんが、私はとても気に入っているんですよ?」
そんな理事長の予想外の言葉に驚いて顔を上げます。——なんと意外にも理事長は、私の育成方針に好意的でした。
「あ、ありがとうございます。ですが、結局担当がいないのであれば育成どころではないですよね……すみません」
「ふむ、ではそろそろ、今回呼び出した用件を伝えましょうか。——たづな、あれを持ってきてくれる?」
「はい、理事長。トレーナーさん、こちらをどうぞ」
理事長がたづなさんを呼ぶと、たづなさんから何やら資料が纏められているファイルを私に手渡されました。
「り、理事長……これは……?」
「ひとまず、中を確認してみてください」
理事長に言われた通り、中に入っていた資料に目を通します。するとそこに纏められていたのは、ふたりのウマ娘のデータでした。
「——カツラギエースさんに、フューチャーセツナさんのデータですか……? そういえば、リギルの東条トレーナーから話は聞いたことがあります。なんでも新入生に、中央でも地方でもないところからきた、既に身体の仕上がりが頭ひとつ抜けている娘たちがいると……!」
「その娘たち……いえ、その内のカツラギエースさんは、明日開催される選抜レースに出走します。——後は私の言いたいこと、分かりますよね?」
「し、しかし、そんな優秀な娘たちでしたら、それこそ新人の私などは相手にされないのでは……? なぜ私にこの資料を……?」
「今その答えを明言はしません。——ひとつ言えるのは、カツラギエースさんはともかく、フューチャーセツナさんはとある重大な問題を抱えています。そしてあなたはトレーナーたちの中でも特にウマ娘医学やスポーツ医学に精通しているということです」
どうしてかハッキリしたことをおっしゃらない理事長。私には彼女の真意が分かりませんでした。
「とりあえず、今すぐに決断を急ぐ必要はなく、明日の選抜レースを見てからでも構いません。彼女たちをスカウトするかどうかは、あなたに任せます。——ですが、これはあなたがトレーナーとして活動していくための最後のチャンスかもしれないのです。引き受けてくれますね?」
「うっ……は、はい……ご期待に沿えるよう努めます……」
弱いところを突かれて、私は肯定以外何も言えなくなってしまいます。
「用件は以上です。では、頼みましたよ」
「し、失礼しました……」
理事長の笑顔に圧されながら退室します。
うぅ……明日の選抜レース、なんとしても担当ウマ娘を見つけなきゃいけませんね……!
「——それにしても、カツラギエースさんにフューチャーセツナさんですか……」
ひとまず私は、自身のチーム(所属メンバー0名)の部室へ戻り、理事長から渡された資料を確認し始めました。
――――
そうして迎えた選抜レースの日。私はレースをできるだけ間近で観察するために、早くから観戦スタンドの最前列に位置取りました。
既に短距離部門からはじまって様々なレースが行われていき、その度に、他のトレーナーたちは実力が目立ったウマ娘たちに突撃していきました。
しかし、今回私の本命はカツラギエースさんとフューチャーセツナさん。スカウトしたい気持ちをぐっと押さえて、中距離部門の開始を待ちます。
——昨日、徹夜で資料を読んでいて何故今日フューチャーセツナさんが出走しないか分かりました。彼女は不幸なことに、ウマ娘でありながら、心肺機能に重度の病気を患っているみたいなのです。
あれほどの病気なら本来であれば選抜レースどころか、普段から全力で走ることさえ難しいはずですが、それでも彼女はこの中央という舞台にやってきました。
「……きっと、それでも叶えたい夢があるということなんでしょうね」
——そして、ようやく中距離部門のレースが始まりました。選抜レースに長距離レースはなく、この部門が最後になります。
つまり、トレーナーたちとしてはこれが最後のスカウトチャンスです。もし私がカツラギエースさんたちのスカウトに失敗した場合、おそらく次はありません。——しかしながら、ただでさえ競合が多そうな娘たちです。最悪の事態を考え、昨日の理事長の笑顔を思い出すと胃痛が止まりません。
——そうして中距離部門も着々とレースが終わっていき、第3レースには今年の新入生の中で最も注目されていると言ってもいい、ミスターシービーさんの出番がやってきました。
彼女はスタートこそ大幅に出遅れたものの、その後の走りは圧巻でした。最終コーナーまで最後方を走っていたかと思ったら、最後の直線でまるで大地が揺れるような末脚を発揮して他のウマ娘たちをごぼう抜き。最終的には、2着のウマ娘と4バ身差をつけてゴールしました。
その後、当然多くのトレーナーが彼女の元へ雪崩れ込んでいきます。それだけ見事な走りでした。私などは、万が一にもスカウトできることはないでしょう。
しかし、そのおかげでカツラギエースさんの走りを見るトレーナーが少なくなったのは、ある意味好都合ではありました。
——それからついに中距離部門の第4レース、私の本命であるカツラギエースさんが登場しました。彼女はゲートで、こちらのスタンドの方へ何やら頷いていましたが、よく見るとスタンドにはフューチャーセツナさんがいて、彼女はカツラギエースさんに手を振っていました。
「やはりあのおふたりは、かなり固い絆で結ばれているみたいですね……」
そして、ゲートが開きスタートが切られました。先ほどのミスターシービーさんとは打って変わって、カツラギエースさんは見事なスタートダッシュを見せました。
そのまま、まるで掛かってしまったかのようなペースで後続を突き放していく。——しかし、理事長から頂いた資料を見たから分かります。あれはカツラギエースさんのいつもの走力。
それでも、早い段階でカツラギエースさんに余裕があることに気づいた2番手のシイナフレジュスさんがペースを上げ、後続のウマ娘たちもそれに続いていきます。彼女もまた、見事なものです。
最終コーナーを曲がって、最終直線で粘るカツラギエースさんでしたが、ついにシイナフレジュスさんが彼女の背中を捉えてしまいました。
——しかし、そこで私は驚くべきものを目にしました。
シイナフレジュスさんに差し切られたと思ったカツラギエースさんが再び加速し、逃げウマ娘とは思えないトップスピードで後続を突き放し、ゴール板を駆け抜けたのです。
「凄い……!」
思わず声を漏らしてしまうほど、私は彼女の走りに感動して、まるで心を掴まれたかのようにその場に立ち竦んでしまいました。
——自分の仕事を忘れて。
「あっ、す、スカウト!」
なんということでしょうか。やっと自分のやらなければいけないことを思い出したものの、もう既に大幅に出遅れました。彼女の元へ何人かのトレーナーが向かっています。
完全にトレーナーとしてはダメダメですが、それでも諦めるわけにはいかないので、私も急いでカツラギエースさんの元へ向かいました。
―――
——ターフトラックの端で、カツラギエースさんは何人かのトレーナーたちと話していました。側にはフューチャーセツナさんがいて、トレーナーたちの言葉に彼女たちは時折笑顔を見せていました。
ああ、やはり間に合わなかった。数分前の呆けていた自分を恨みます。
仮に誰かと契約が成立していた場合、私は邪魔者でしかありません。絶望感に打ち拉がれてその場を去ろうとしたその時でした。
「なっ……! 急にどうしてですか! あたしと変わらないくらい、セツナも日本を代表するウマ娘になることを目標にここまでトレーニングしてきてるんです!」
——突然、カツラギエースさんが何か大声を出したかと思うと、和やかだった場の空気が一変しました。
それからトレーナーたちが何やらふたりに話していたようですが、カツラギエースさんは何かを我慢しているようでした。
「……っ!! もういいですッ!! そういうことならスカウトの話は終わりです! 行くぞ、セツナ!」
なんとカツラギエースさんは、怒り心頭といった様子で、フューチャーセツナさんを引き連れてどこかへ行ってしまいました。
どうしてかは分かりませんが、あのおふたりをこのままにしておいてはいけない気がしました。とにかく私は慌てておふたりを追いかけます。
「カツラギエース……何も知らない田舎者のヤツなら、先のミスターシービーと同じくG1を獲るいい駒に懐柔できると思ったが……仲良しごっこに感けて、俺たちの誘いを断るとは、その程度だったか」
「あの素質があれば、G1だって獲らせてあげたのに、フューチャーセツナに固執しすぎているのは残念だわねぇ……」
追いかけ始める間際、あまり鮮明に聞こえませんでしたが、先輩トレーナーたちが放った小さな一言が私の耳にうっすらと残りました。
―――
そのままおふたりを追いかけて、人気のない学園の隅の方まで来てしまいました。どうやらカツラギエースさんが、フューチャーセツナさんを慰めているみたいでした。
「——ねぇ、エース。やっぱりボクのことなんて考えなくてもいいよ。ボクがいたら、エースまでトレーナーがつかなくなっちゃうからさ……」
どういうことでしょうか……? カツラギエースさんのスカウトにフューチャーセツナさんが何か問題になるのでしょうか?
「それは違う。あのトレーナーたちは、三女神様が言っていたような本当のトレーナーじゃない。——あんなヤツらが言ったことなんて気にすんなって。大丈夫、最初が運悪かっただけだぜ! リギルの東条トレーナーを見ただろ? きっとひとりくらいはあたしたちを受け入れてくれるトレーナーがいるはずさ!」
「ぅ…………」
そう言ってカツラギエースさんは、フューチャーセツナさんを抱きしめました。
——これ以上、盗み聞きのようなことをするのはいけませんね。まずは私もトレーナーとして、おふたりと話をしなければなりません。
「さて、トラックからだいぶ離れちまったな。そろそろ戻らないと——」
「——あ、あの、すみません! す、少しお時間頂けませんか、カツラギエースさん、フューチャーセツナさん!」
おふたりとも、人気のないところから突然現れた私に、目を丸くしていた。
「私は南坂と申します。単刀直入に言います、あなたたちおふたりをスカウトさせて頂けませんか!」