セツナ視点です。
——ボクたちがチームカノープスとして始動してから約1週間が経った。始めの頃はトレーナーさんも、ボクの中にいる三女神様という存在に半信半疑だったみたいだけど、時間が経つにつれて段々とその存在に慣れてきているみたいだ。
「セツナさんの走りは、やはり鋭い踏み込みの末脚に目を見張るものがあります! それを磨くためにも、坂路ダッシュを行うべきでしょうか? ——いえ、身体のことを考えると大きな負担をかけないようなトレーニングにするべきで……。そうだ、ここは彼女のロングストライドに長時間耐え得る脚を作るために、脹脛の筋力トレーニングを行いましょう」
「ははは、トレーナーくんもなかなかいい観察眼を持ってるな! 子羊くんの武器は柔軟性からくる足元がどんな状況でも関係ないほどの貫くような踏み込み! そのパワーからくる末脚だ! しかし、その走りは脚への負担が大きいのが弱点だからね。——うんうん、子羊くんのことしっかり見ているよ」
「ありがとうございます、ダーレーさん。——そしてエースさんは、今後クラシック三冠路線を走るのであれば、走行距離が伸びてもあの逃げを行うために、体力を増やしておかなければいけないです。足に負担をかけないプールトレーニングで鍛えるべきなのか、むしろトラックでインターバル走を行って、トップスピードも同時に鍛えるべきのなのか……」
「うふふ、この場合はどちらも間違っていないと言えるわね。——だから、そういうときこそひとりで決めてしまうのではなく、ウマ娘と対話をするのよ。エースちゃんのやりたいことを聞いて、それからトレーニングを始めるのでも決して遅くはないわ」
「なるほど……参考になります、ゴドルさん。——エースさんは、どちらかのトレーニングを希望しますか?」
「あたしはインターバルの方が好きだな! そっちの方でよろしく頼むぜ!」
——それどころか、トレーナーさんは順応が進みすぎた結果、三女神様たちとお互い意見交換し合うような関係になっていた。
それからというもの、ボクが身体を貸せるときは、よくこうしてトレーニングについて話し合っていることが多かった。
―――
「今日は軽めの併走トレーニングをしましょうか」
——またとある日、今日はボクの身体の調子が良いということで、トレーナーさんの提案で併走トレーニングをすることになった。ボクたちのチームのメリットとして、同じような実力のウマ娘がふたりいるので、常に併走相手に困らないという点があった。
そういうわけで、ボクたちはトラックへと向かった。走る前にふたりでストレッチをして、身体を解す。
「トレーニングメニューの中だと、やっぱセツナとの併走がイチバン気分が上がるんだよな!」
「そうだね! ボクも、やっぱりエースと一緒に走るのが最高だもん!」
「——ふぅん? アタシ抜きでふたりだけで併走なんて妬けちゃうな?」
「うわっ!」
ストレッチを終えて、コースのスタート地点に向かおうとしたとき、後ろからいきなりボクたちの間にジャージ姿のシービーが割って入ってきた。
「っと、シービーじゃないか。朝からジャージ姿なんて珍しいな」
「ふふっ、こんなに楽しそうなことが始まるんだから、参加しない手はないよね。アタシも一緒に併走しても良いかな?」
「うんっ、むしろ大歓迎だよ! 大丈夫だよね、トレーナーさん!」
「は、はい。私の方は構いませんが……」
「私の方は? ——まあいいや、おっけー! じゃあいこう、エース、シービー!」
何か違和感のある返答だった気がするけど、何はともあれトレーナーさんの了承を受けたから、エースたちの方へ向き直って歩き出そうとした——その時だった。
「なんだこのデビュー前のウマ娘とは思えないほどに仕上がったトモは! 一見細身のしなやかな脚だが、その実しっかりと密度の高い筋肉が輝かしいまでのツヤを放っている! まさに宝石——いや太陽のようだ!」
「ひゃあぅっ!」
いきなり誰かがボクの脚に触れてきて、変な声が出てしまった。そして、その人はボクの脚をただ触るどころか、そのまま太腿から脹脛を隅々まで撫で回し始めたんだ。
「おい、てめぇ……! いきなりセツナに何してやがる!」
「ぶへっ」
つい反射的に後ろ脚で蹴り飛ばしてしまいそうになったけど、その前にエースが触れてきた犯人をドロップキックで結局蹴り飛ばした。
「おい、セクハラ変質者。セツナに不埒を働いた罪、その顔面で支払ってもらおうか……!!」
「ひぃ!」
そのままエースは横たわって鼻血を出している犯人に向かって片足を振り下ろし——
「ちょ、ちょっとエース、まって、待って! その変質者、一応アタシのトレーナーなんだ!」
「待ってろシービー、今コイツをボコボコにして——って、え? と、トレーナー?」
「シ、シービー! やはりお前こそ最高の愛バだよ!」
「エース、やっぱりやっちゃっていいよ」
「シービーッ!?」
―――
「——いやー、本当にすまん! 素晴らしいトモを見かけると手が勝手に触りにいっちまうんだ!」
「い、いえ、かなり驚きましたけど、学園のトレーナーさんなら大丈夫です……」
「マジで学園のトレーナーさんだったのかよ……!?」
「アタシのときにもやってきたけど、キミその度にウマ娘に蹴られて、そろそろ命に関わってもおかしくないよ? あとセツナ、全然大丈夫じゃないし、そんなに簡単に許しちゃダメだからね?」
ボクの脚に触れてきた変質者——もとい、シービーのトレーナーさんは、30歳前後くらいの男性で左側頭部を刈り上げ、癖毛を後ろで一つ結びにするという特徴的な髪型の人だった。今はターフの上で正座をして、シービーの説教(?)を受けている。
「大丈夫だ! 今まで数えきれないほど蹴られてきたが、大ケガしたことは一回もない!」
「無駄に身体は丈夫だもんね、キミ……」
「はっはっは、つーわけで俺は沖野っていう。このトレセン学園のれっきとしたトレーナーだ! 一応、南坂の先輩で、チームスピカを担当してる!」
「ま、メンバーはアタシだけなんだけどね」
「なんかこの人、さっきからあたしの脚もチラチラ見てきてんだけど……」
——たしかによく見ると、沖野トレーナーは自己紹介しながら、エースの脚も何度か見つめていた。
「ト レ ー ナ ー ?」
「す、すまんシービー! 流石にもう自重するよ……!」
「なんというか……変わりませんね、沖野さんは」
「よっ、南坂! お前、しばらく見ないうちに、こんなに美しいトモを持つウマ娘ふたりをスカウトしてるとは、驚いたぞ!」
「沖野さんこそ、今大注目のあのミスターシービーさんをスカウトしてるじゃないですか」
「……ていうか、なんでシービーはこの沖野トレーナーと契約したんだ? 他にもいろんなトレーナーから声かけられてただろ? わざわざ変質者を選ばなくてもいいんじゃないか?」
「へ、変質者……」
身から出た錆なのに、なぜかショックを受けている沖野トレーナーは余所に。——たしかにエースの疑問はもっともで、あれだけたくさんのトレーナーから声をかけられていたなら、ちょっと変わった沖野トレーナーよりもいい人はいそうな気がする。
「うーん、なんていうか……トレーナーはアタシのトレーニングをしないから——それでトレーナーになってもらったんだ」
「「????」」
シービーが語ったトレーナーを選んだ理由に、エースとボクは大量の疑問符を浮かべた。
「…………あ、もしかして、シービーの性格なら束縛されない方が性に合ってるってことなのかな?」
「マジか、そんないいかげんな関係で良いのかよ……」
『はははっ! これは面白いね! シービーくんはかなりの気性難と言えるが、その素質を燻らせないために、あえて放任する! 彼女の類稀な才能があるからできる関係性だ! 自由に走るウマ娘と自由に走らせるトレーナー、これもひとつのウマ娘とトレーナーの形だね!』
「——もう、そんなことはいいから! そろそろ走ろうよ、ふたりとも!」
そろそろ走れないことに我慢の限界が来てしまったシービーに、ボクとエースはターフに連行されたのだった。
―――
「——はぁい、そこのトレーナーさんたち、あたしもあの子たちと併走させてもらえないかしら? ……おハナちゃんの許可は取ってるわ」
「ん? おお、お前はおハナさんとこのマルゼンスキーじゃねえか。——なんだって急にお前さんが? まあ、おハナさんに許可取ってるんならいいんだけどよ」
「私も構いません。しかし生憎、私たちの担当にはまだデビュー前のウマ娘しかいません。あなたほどのウマ娘が満足できる併走トレーニングになるかどうかは……」
「……あの子たちは、“強い”ウマ娘でありながら、あたしが望むものを持っている。だから少しでもあの子たちと同じ立場になってみたいのよ……」
「——なぁ、お前さん、本当におハナさんに許可取ったのか? なんか思い詰めたような表情してるぞ?」
「大丈夫よ……! 1回、1回だけでいいから走らせて! お願いします……!」
「——ま、待てマルゼン……! はあっ……はあっ……わ、私は併走を許可した覚えはないぞ!」
「お、おハナさん!?」
——何本か併走をし、エースとシービーにお互い勝ったり負けたりを繰り返していると、何やらトレーナーさんたちがいる方向が騒がしくなってきた。ボクたちは一時トレーニングを中断し、トレーナーさんたちの元へ向かった。
「おーい、どうしたんだ、トレーナーさん! ——あれっ、マルゼン先輩に東条トレーナーじゃないですか! 何かあったんですか?」
「わ、私にも何が何だか……」
エースがトレーナーさんにそう問いかけるも、なんだかこの場には気まずい空気が流れていた。
いつもなら優しくボクたちに話しかけてきてくれるはずのマルゼン先輩はボクたちから露骨に目を逸らし、そのマルゼン先輩を東条トレーナーが睨んでいた。
「あー、その、なんだ。あまり良い雰囲気とは言えないみたいだな……」
沖野トレーナーが呟いた通りの雰囲気。しばらく沈黙が場を支配する。
「……ねえ、マルゼン。キミ、いつもと違って——なんでそんな寂しそうな表情をしているのかな」
そんな中、その沈黙を破るようにシービーが口を開いた。
「ッ……!」
マルゼン先輩は、シービーから顔を隠すように背けた。
「マルゼンにしては歯切れが悪いね。それにも何か理由があるんじゃないかな?」
しかし、そのシービーの言葉に反応したのは東条トレーナーだった。
「……ここまで見られてしまってはもう隠すことはできないだろう、マルゼン…………実は、マルゼンは——」
「待って!!」
これまで沈黙を貫いていたマルゼン先輩が、大声で東条トレーナーを静止させる。
「——話すなら、自分の口から話させて……」
「……ああ、分かった」
東条トレーナーは頷き、マルゼン先輩は意を決したようにボクたちに向かって話し始めた。
「——あのね、あたし……クラシック三冠のひとつ目——皐月賞には出走しないことにしたの」