セツナ視点です。
「——あのね、あたし……クラシック三冠のひとつ目——皐月賞には出走しないことにしたの」
——マルゼン先輩はとんでもないことを口にした。あの皐月賞優勝候補筆頭のマルゼン先輩が、皐月賞には出走しないと言ったのだ。
「ええっ! ど、どうしてですか、マルゼン先輩!」
「……まずは理由を聞いてもいいかな、マルゼン」
「……あなたたち、次の皐月賞が何名でのレースになるか知ってる?」
マルゼン先輩の問いに答えたのは、トレーナーさんだった。
「トレーナーとして確認はしています。前代未聞の発表であったと——その出走登録者は……“8名”」
「は、8人だって!? 18枠のレースのはずだろ! どうしてそんな少ないんだ!?」
「! ……ま、まさか! マルゼンスキー、お前さんを……!?」
何かに気づいた沖野トレーナーが目を見開いて、マルゼン先輩を見る。
「沖野トレーナー、何か分かったのか!?」
「——なあ、お前たち。お前たちは、マルゼンスキーの走りをどう思っている?」
「そ、それは……凄まじい加速力とトップスピードで終始他を寄せ付けない逃げをして……」
「そう、それはまさに圧倒的と言えるような……」
「「……あっ!」」
沖野トレーナーの問いかけによって、ボクたちはある恐ろしい事実に気づいてしまった。
「もしかして、出走登録者が少ないのは、マルゼン先輩が圧倒的すぎるからなんですか……!?」
「……心苦しいが、そう、なってしまうな……」
沖野トレーナーは悲痛な顔でボクたちに告げる。
今まで無敗のマルゼン先輩のジュニア級での平均着差は、驚異の8バ身。年間を通してそんな走りをされてしまっては、普通なら心が折れてしまってもおかしくはない……。
そこから、ボクたちがそこまでたどり着いたことで、マルゼン先輩はぽつぽつと話し始めてくれた。
「……あたしね、特に何か成し遂げたい夢があるわけじゃないの。そもそもこのレースの世界に入ったのも、後輩ちゃんたちに誘われたからなんとなく、って感じだったわ。——それでも、同期のライバルの子たちとレースを走るのがね、とっても楽しいって思えて、ずっとレースを走ってたの。ジュニア級で何度もレースをして競い合って、そのままクラシック級でもそういうレースをするんだって思っていたわ」
寂しそうな表情で俯いたまま話していたマルゼン先輩にほんの一瞬だけ笑みが戻った気がしたけど、すぐに消えてしまう。
「……けど、そんな時にね、クラシック級になってから元気がなかった娘がいたの。あたしはライバルらしく、その娘を励まそうと思ったわ……でも、そこであたしは聞いてしまったの——その娘が担当のトレーナーに、勝てないと分かってて走るのはつらいからレースを回避させてほしい、って話しているのを」
「そんな……」
「ライバルだと思って勝手に楽しんでいたのはあたしだけ。……しかも、夢も目標もない——ただ楽しみたいという理由だけで走っているあたしが、夢ある娘たちにつらい顔をさせている……だから、あたしはクラシックを走らない方が良いってそう思ったの」
——長く重いマルゼン先輩の魂の吐露。マルゼン先輩は、ライバルたちと楽しいレースがしたい。しかし、マルゼン先輩が走るとライバルがいなくなってしまう。圧倒的強者故に発生してしまう負のスパイラルだった。
「マルゼン先輩……」
俯くマルゼン先輩。すると、突然シービーがマルゼン先輩の元へ歩いていった。
「ねぇ、マルゼン」
そして、マルゼン先輩に声をかけ、マルゼン先輩がそれに反応して顔を上げたかと思った次の瞬間、パシッ!っと乾いた音が鳴った。
——シービーがマルゼン先輩の頬を叩いたのだ。
「ッ……!」
「シ、シービー!?」
「さっきから聞いていればさ、キミ少し……いや、かなり傲慢だね。キミの話、まるで自分に勝てる存在はひとりもいないと言ってるようなものだよ」
「あなたに……何が分かるのよ……! あなたは良いわよね! 同期にエースちゃんやセツナちゃんがいて、出走回避なんてされないようなライバルと競い合えて!」
普段は絶対に見ないようなマルゼン先輩の剣幕。しかし、シービーは少しも臆していなかった。
「あのね、たしかにマルゼンの同期には、キミと肩を並べられる存在がいなかったかもしれない。けど、どうしてライバルが同期だけだと思っているのかな? ——アタシはカツラギエースとフューチャーセツナだけじゃなくて、マルゼンスキーもいずれ倒すつもりなんだけど」
「……! そ、そんなの……それが実現するまで、いつまで待てばいいのよ……言っちゃうけど、今のアナタたちじゃあたしには勝てないわよ……!」
マルゼン先輩のその言葉を聞いて、ボクにある考えが浮かぶ。要するに、今のマルゼン先輩は競い合えるような相手がいないから“無敵”に等しい。そこで、誰かがそのマルゼン先輩を倒してライバルとして台頭すれば、マルゼン先輩の苦悩を少しでも和らげられるのではないか、と。
——とはいえ、たしかにデビュー前の今の“ボクたち”では、クラシック級どころかシニア級を含めても、現状相手がいるかどうか分からないマルゼン先輩には敵わないだろう。——けど、マルゼン先輩に勝利できるような存在にひとつ心当たりがある!
「……待ってください、マルゼン先輩! それなら——『ボク』とレースをしてくれませんか?」
「お、おい、セツナ!?」
「セ、セツナちゃんと!? ——まさか本当にあたしを倒すとでも言うつもりなの!?」
「そのまさかです。マルゼン先輩を、デビュー後でも来年でもなく、今倒します! 倒して、怠けている暇はない、後輩に追い越されないようにレースに出ざるを得ない——って、そう思わせるくらいにしてみせます!」
「——へぇ、可愛い後輩ちゃんかと思ったけど、その真っ直ぐな瞳……意外と強かじゃない、セツナちゃん。——いいわ、そこまで言うのなら明日レースをしましょう。丁度良い時期だし、皐月賞と同じ2000mの右回りで良いかしら?」
「構いません。それでお願いします」
「お、おい! お前たち、勝手に話を進めるな!」
「すみません、東条トレーナー。このレースはマルゼン先輩に考え直してもらうために必要なんです——どうか認めて頂けませんか」
ボクは東条トレーナーの目を真っ直ぐ見据えて、頭を下げる。ボクも、おそらく他のみんなも——そして、マルゼン先輩自身も、こんなところでレースに出走するのを止めてしまうなんて望まないだろう。そのためにも、ここは引き下がるわけにはいかない。
「くっ……分かった……」
「——決まりね、それじゃあ明日のレース楽しみにしてるわ」
そう言ってこの場から去っていくマルゼン先輩の背中に、ボクは声を投げかける。
「マルゼン先輩、明日は必ず——レースの楽しさを思い出させてあげます!」
「ッ……!」
返事はなく、そのままマルゼン先輩は走り去っていった。
「フューチャーセツナ……トレーナーとして、こんなことは言うべきではないのだろうが、マルゼンを救えるかどうかはキミにかかっている……! どうかレースに勝利してマルゼンを救ってやってくれ……!」
「はい、任せてください! ボクもあんなマルゼン先輩の姿は見たくないので! 絶対勝ちますよ!」
「よろしく頼む……では、私も失礼する」
そうして東条トレーナーもマルゼン先輩を追いかけていった。
―――
「——おい、セツナ」
「あ、エース、シービー……」
マルゼン先輩への宣戦布告が終わり、エースたちがボクの元へ近づいてくる。
「最初は驚いたけど、あたしはお前が何をやるか分かった。——まーた、自分のことを考えずに動いたな? それはセツナの良いところだけど、あたしはもっと自分のことを大切にしてほしいっていつも言ってるよな?」
「ううっ……ごめん……」
「あはは! あたしもなんとなく分かったよ! それにしても、強気なセツナはカッコ良かったね!」
「セ、セツナさん! なぜマルゼンスキーさんにあのような宣言を! ——たしかにセツナさんは強いと言えるウマ娘ですが、あくまで同期のウマ娘と比べた話であって、流石にクラシック級最強のウマ娘、しかも怪物と言われるあのマルゼンスキーさんでは、相手が悪すぎます……!」
「……たしかに、俺たちからすりゃ、あの宣言は無謀であると言わざるを得ないな」
「本当にごめんなさい、トレーナーさん、勝手なことをして……。たしかにデビューすらしていない今のボクではマルゼン先輩に敵わない。だけど、そんなボクでも真っ向勝負でマルゼン先輩に勝てるかもしれない方法がひとつだけあるんだ」
「ほ、本当にそんな方法があるのですか!?」
「トレーナーさん、見てて。——明日、マルゼン先輩に勝って、それを証明するから」
前提として、現在のマルゼンスキーはトゥインクル・シリーズ全体を通して見ても、最強と言っても過言ではない存在です。そんなマルゼンスキーにセツナは勝負を挑もうとしています。