セツナ視点です。
ひとつ大きな独自設定があります。
——マルゼン先輩に宣戦布告をしたその日の就寝中、ボクは夢の中で三女神様たちに呼び出されてしまった。
いつの日かと同じ、見渡す限りの大草原で、耳を絞った三女神様たちが、真ん中に座るボクを囲む。
「——子羊くん、俺たちはキミの無鉄砲な行動に怒りを覚えている。理由は分かるよな?」
「……はい。自分に不相応な相手との勝負を約束したからです……」
「——お前の身体は、本来、どういう状態なのだ。言ってみろ」
「……全力で走ることすら、満足にできません……」
「——たしかにセツナちゃんは、今は身体の調子が良くなってきて、全力の走りができるかもしれない。でも、それはデビュー戦のために温存しておくっていう話だったわよね? そのために選抜レースも走らなかったのに」
「……返す言葉もございません……本当にごめんなさい」
ボクは三女神様たちに痛いところを次々と突かれる。ボクのために怒ってくれている三女神様たちに、とにかく自分の行いを反省するしかなかった。
「——ふぅ、全くもう、子羊くんは、困っているヒトやウマ娘がいると、すぐに助けようとする。それは子羊くんの美徳だから止めろとは言わないけど……本来子羊くんが他人に干渉し、助けることができる範囲はとても狭い。この範囲を超えようとするから、自らの命を危険に晒すことになるんだよ。——今回の一件は力を貸すけど、今後身に余る人助けはしないように!」
「ッ……ダーレーさん……! はい、ありがとうございます……!」
「メイクデビューは、わたしたちとトレーナーさんでなんとか走れるように調整するわ。——だから、もう引き返せないこのレースは存分に戦ってくるのよ」
「ゴドルさん……! はい、挑んだからには、必ず勝ちます……!」
「セツナよ、お前が傷付くと悲しむ者が私たちも含めて大勢いることを覚えておいてほしい」
「バイアリーさん……はい、胸に刻みます」
そういえば、エースにも同じようなことを言われてしまった。きっとトレーナーさんも——こんなにも心配してくれる皆がいて、ボクは本当に幸せものだ。
「——はい、じゃあお説教はこれで終わり! じゃあ子羊くん、明日は俺たちの力、あの迷える子羊ちゃんに存分にぶつけような!」
「セツナ、ダーレー……今回は任せたぞ」
「わたしたちもしっかり見守っているわね」
「……任せてください! マルゼン先輩には、ボクたちが喝を入れてきます!」
そうして、三女神様たちの想いも背負ってマルゼン先輩とのレースを迎えたのだった。
―――
——トレセン学園のトラック。あの怪物マルゼンスキーに無謀にも挑戦状を叩きつけた新入生がいる、という噂は意外にもあっという間に広まり、興味を持った生徒やトレーナーたちがそこに集まってきていた。
ボクはトレーナーさんやエース、シービーたちと、今日のレースについて話し合っていた。
「トレーナーさん、デビュー戦のために色々調整してくれていたのに、ふいにしちゃってごめんね……」
「セツナさん、話は伺いました……本当はそのような無茶なこと、トレーナーとして許可したくはありません。しかし、セツナさんが走ると決めた以上、その後のフォローは私が全力で行います。ですから、今日は思いっきり楽しんできてください。それが、マルゼンスキーさんを救うことにも繋がると思いますから——あなたの勝利を信じています」
「トレーナーさん……! うん、分かった、楽しんでくるね!」
「——さて、今日はあたしたちも走るぜ。セツナにばかり押し付けるのは嫌だし、何よりマルゼン先輩にあたしたちが勝てないって思われてるのが癪だからな!」
「あはは、マルゼンにはいずれ倒すって言ったけど、別に今日倒しちゃっても良いよね? うじうじしてる怪物様はやっつけてあげなきゃね」
「ふたりとも、付き合わせてごめんね……。——うん、マルゼン先輩に見せつけよう。その背中を追い越したいウマ娘がいることを」
「これはあたしたちがやりたいと思ってやってることだ。セツナは気にすんなって!」
「——こんにちは、セツナちゃんたち」
ふたりと話をしていると、マルゼン先輩が話しかけてきた。レース前の本気のマルゼン先輩——ただ佇んでいるだけなのに、思わず息が詰まるほどの重い空気を放っていた。
「こんにちは、マルゼン先輩——あなたの無敗伝説は今日で終わりです。ライバルがいないなんて、余裕でいられるのは今だけですよ」
「……わかったわ。今日はあなたのチョベリグな走りを見せてちょうだい。あの言葉が嘘じゃないってこと期待しているわ」
それだけ言うとマルゼン先輩はゲートへ向かった。
「……ふふっ、マルゼン、ちょっと笑ってたね。昨日よりはマシな表情になってるじゃん」
「さてと、ボクたちもゲートに行こうか」
そして、ボクたちもマルゼン先輩の後に続くように向かい、ゲートに入った。
ゲートの順番は予めくじで決めてあり、内枠からシービー、マルゼン先輩、ボク、エースの順だ。
——そして、ゲートの中でボクは目を閉じる。
……それじゃあお願いします、ダーレーさん。
『うん、子羊くんの身体、半分もらうな』
——いつもの身体の操作権を譲るのとは違い、あくまで主導権はボクのままだけど、ボクの中にダーレーさんの太陽のような心地良い温かさが入り込んでくるのが分かる。
『何度も言っているけど、この“トランス状態”ってのは子羊くんの身体に大きな負担がかかる。今回は仕方ないけど、これに頼るのはもうこれっきりにしてくれよ』
マルゼン先輩は本当に速い……こうでもしないと、今のボクでは勝てませんから。
ボクは目を開いた。この状態になっているときは、身体の全ての感覚が鋭くなっているらしく、周りの景色がやけにくっきりと見えるようになった。
「セツナちゃん、その目……! それがあなたの全力ってことなのね……!」
隣に入っているマルゼン先輩が、ボクの目を見て驚く。ボクには見えないけど、きっと今ボクの瞳はいつもの空色ではなく、ダーレーさんがもつ翠色の瞳になっているだろう。
「——身体への負担的にも、もう見ることはないと思ってたけど、またその状態と走る日がくるなんてな。……前は何もできなかったけど、今回は食らいついてやるからな!」
「今日は絶対に、今までの中で最高のレースになる。ああ、アタシの鼓動がうるさすぎてしょうがないよ!」
全員の出走準備が完了し、体勢を整えた。
——そしてついにゲートが開いた。
最初に飛び出したのはもちろんスタートが得意なエース——ではなく、マルゼン先輩がその半バ身先を走っていた。
「流石マルゼン先輩……簡単に先頭は取らせてくれませんか……!」
「クラシック級の先輩を舐めてもらっちゃ、ノンノンよ!」
ハイスピードの先頭争いにはマルゼン先輩が勝利し、そのままエース、ボク、シービーの順で第1コーナーに入る。
いつもの逃げができないエースは苦しいレースになると思われがちだけど、実はエースは普通に先行策も取れる。油断はできない。
『子羊くん、少しペースを上げてエースくんの真後ろにつこう』
ダーレーさんと思考を共有してノータイムで指示を実行し、前を走るエースの背中にぴったりつく。
「っ! セツナ、あたしを風除けにするつもりかよ!」
エースとしては、ボクを突き放したいだろう。しかし、下手に余計な位置取り争いを挟むと、スタミナを奪われて末脚対決で負けてしまうかもしれない。だから、エースはボクを突き放すことができないでいた。
——今回のレースは普段と違い、ごく少人数で走っている。そのため、後方に位置取ってもバ群に埋もれる心配はないと言ってもいいだろう。
第2コーナーを曲がりきって向正面の直線に入る。マルゼン先輩とエースの差は2バ身。そのエースのすぐ後ろにボクがいて、シービーはそのボクのさらに3バ身後ろだった。
……やはり体力の消耗がいつもより激しい。——マルゼン先輩が先頭のレースは、総じてかなりのハイペースだ。普段よりも大きく体力を失う中で、いかに体力を温存しつつ、マルゼン先輩を差し切れる位置取りが取れているかが最重要だ。
みんなの様子をチラリと窺うと、誰も掛かっている様子はなく、自分の走りができているようだった。
『これはラストスパートでの戦いになりそうだね。シービーくんの末脚を考えて、俺たちは早めに第3コーナーで前に出よう。俺たちなら3ハロンのロングスパートで勝負できる』
そして、第3コーナーに入る。ダーレーさんの指示どおり、エースの背中から離れてスパートをかけようとしたとき、想定外の事態が起きた。
「へへっ……! あたしをいつまでもただの風除けだと思ってもらっちゃ大間違いだ……! ——セツナがここで上がろうとすることくらい、読めてるぜッ!」
——なんと目の前を走っているエースがボクと同時にスパートをかけ始めたのだ。走行ラインが狂い、少し焦ってしまったけど、それでもまだエースを追い抜く必要はないと判断して、そのままエースに前を行かれたまま、第4コーナー途中でマルゼン先輩に追いつく。
——ボクはそこでシービーが後ろにいないことに気づいた。
『子羊くん! 後ろじゃない、真横——大外だ!』
「はああああッ!!」
少ない人数のレースにも関わらず、大外から凄まじい末脚で迫ってくるシービー。危なかった、ダーレーさんにロングスパートをかけるように言われていなかったら追い越されていたかもしれない。
「うふふっ! あなたたち、お姉さんにここまでついてくるなんて本当にやるじゃない! ——でも、ここまでよッ!!」
「追い抜くッ! あたしの根性舐めんなあッ!!」
スタンドからは、困惑と興奮が混じった声が聞こえてくる。当然だろう——あの常勝無敗のマルゼン先輩の喉元に3人の新入生が食らいついているのだから。
ほぼ横一線状態になり、残るは全員の末脚対決。お互いが溜めた脚と残った体力を振り絞って、トップスピードで最終直線を駆け抜ける。
——その時、観戦している人たちの声の中から、トレーナーさんのボクたちを応援する声が聞こえた。
『子羊くん、自分の身体を信じて。アキレス腱を意識して引き伸ばすように強く蹴り出すんだ! エースくんの背中で温存した体力とキミの脚のバネなら、マルゼンくんさえも超えられるさ!』
「うああああああッ!!」
ダーレーさんの助言通りに加速する。信じて送り出してくれたトレーナーさんのためにも、ボクは負けられない!
「うおお、負けるかああああッ!!」
「アタシが勝つッ!!」
「後輩ちゃんたちには、負けないわッ!!
最後の直線対決、勝負を分けたのは残った体力の差だった。他の3人よりも、体力を残していたボクがみんなよりも半バ身前に出る。
そして、そのままゴール板を駆け抜けた。
——熱い、呼吸が苦しい、心臓が痛い。まだトランス状態を解除するわけにはいかない。そうしたら、立っていられることもできなくなるだろうから。
非公式のレースだから、掲示板なんてものはない。それでもボクは自分の勝利を確信した。勝てた。あのマルゼンスキーに勝ったのだ。
周囲からは、マルゼンスキーの敗北に少なからず動揺している声が聞こえてきた。
『よくやったね、子羊くん! 俺はキミと確かな絆が感じられて、これ以上に嬉しいことはないよ!』
——ダーレーさんの指示がなければ、もしかしたら想像を超える走りをしたエースやシービーにも勝てなかったかもしれない。この時のボクたちはふたりでひとり。柔軟な対応ができて本当に良かった。
『……ふん、エースを風除けにしたところまでは良かったが、安直にエースを抜かせると思っていたり、シービーの位置を見ていなかったのは甘いと言わざるを得ん。——しかし、まあ、その……結果的には及第点をやってもいいだろう』
『もう、バイアリーったら……セツナちゃん、最後のスパート、とってもカッコよかったわ。とっても成長したセツナちゃんの姿が見られて、本当に嬉しい』
三女神様たちに褒められて頬が緩む。そうしていると、息を整えたマルゼン先輩たちがボクの元へ歩いてきた。
「——勝利おめでとう、セツナちゃん。……負けたわ。あれだけあなたたちに、あたしに勝てるわけないとか言っておきながら、負けちゃって、もーすっごく恥ずかしい……! でも……それ以上に、本当に楽しいレースだった。あたしと走ってくれて、ありがとう……」
「ああああっもう!! こんな機会滅多にないのに、マルゼンとエースとは引き分けって感じだし、セツナにはまた追いつけなかったし——レースはとっても楽しかったけど、全力だったからこそ本当に悔しいな! セツナ、早く身体の調子を戻して、またレースしよ、絶対に!」
マルゼン先輩たちの話を聞いて、返事をしようと思ったボクは——口を動かすけど、自分の声が出せないことに気づく。
「おっと! きっと全力を出しすぎて、肺がやられて声が出せないんだろ? 無理しなくていいぞ、セツナ。これ終わったら病院に行くからな」
そういって、エースは慣れた手つきでボクを支えてくれる。しかし、きっとエースやシービーこそ、デビュー前からマルゼン先輩に並ぶ走りをして、相当にしんどいはずだろう。
「……ぷっ、ははは、目でわかるぞ。なんでセツナがあたしたちの心配してんだ。お前の方が重症だろうが」
「えっ! セツナちゃん、大丈夫なの!?」
「そっか、マルゼン先輩にはまだ伝えてませんでしたね。実はこいつ、マルゼン先輩に勝つために——」
「——そういうことがあったのね。あたしのために、大事なデビュー戦まで犠牲にさせちゃって……あたしったらチョベリバな先輩ね……」
そんなことないです! 自分の意思で勝手にやったことですし、ボクも憧れの先輩と全力で走れて楽しかったですから!
「『いえ、自分の意思で勝手にやったことですし、ボクも憧れの先輩と全力で走れて楽しかったです、気にしないでください』って言ってますね、こいつは」
「え!? そ、そうなの!?」
目を見ただけでボクの気持ちを代弁したエースの言葉には驚いたけど、その通りなのでボクは何度も頷いておく。
「そう……“憧れ”ね。こんな後輩ちゃんたちがあたしを追いかけてきてくれるんだから、クラシックレース、走らないわけにはいかないわね!」
「——どうだマルゼン、今の心情は」
そうこうしていると、ボクたちの元へボクたちのトレーナーさんたちがやってきた。
「おハナちゃん——見てた? あたし、あれだけ大口叩いてデビュー前のウマ娘に負けちゃった」
「そうか……それで、どう思った?」
「なんだか晴れやかな気持ちなの。初めてレースに出た頃を思い出すわ。——走ってる間ずっと、ただただ楽しかったわ」
「そうか……! その気持ちを思い出してくれたなら、良かった……!」
マルゼン先輩の楽しそうな笑顔を見て、東条トレーナーはマルゼン先輩を抱きしめ、撫でていた。
「——トレーナー、今すぐトレーニングいこ! 今度こそセツナに勝たなきゃ!」
「おいおいおい! お前今全力で走ったばっかだろ! なんでそんなに元気なんだ! ——ってかそれなら普段からトレーニングにやる気出してくれ!」
「それはそれ、これはこれだよ!」
シービーと沖野トレーナーはいつも通りだった。
「はい、じゃあセツナさんは病院に行きますよ。身体が悲鳴を上げているはずです。すぐにでも検査しないと」
「了解。——よっと、搬送はあたしに任せてくれ」
とにかく、マルゼン先輩がまた走りたい気持ちを取り戻してくれて良かった。そして、そのままボクは、エースとトレーナーさんに連れられて病院に向かったのだった。
トランス状態とは、要するにセツナと三女神様たちが融合しているような感じです。
ふたりでひとつの身体を共有して走る性質上、まともに走るには二人三脚よりも遥かに難しいので、習得するまでにかなりの時間のトレーニングを必要としました。
しかし、大きな力を得る反面、セツナの身体にかかる負担が尋常ではなかったので、基本的には封印されることになったのです。
そして、今回これを使用してしまったことによって、セツナの今後に大きく響いてくることになってしまいます。