独自設定・独自解釈を含みます。
ふたりのエースが生まれました
——日本各地から、さらには世界中から、ウマ娘たちがレースに様々な夢を抱いてやってくる日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称『トレセン学園』。
レースを走るウマ娘たちの謂わば聖地とも言えるような学園では、数多のウマ娘たちが自身の夢を追いかけるために、信頼を置けるトレーナーたちと今日もトレーニングを行っていた。
そんなトレセン学園の所有する広大なトラック。その一角にて1つのチームがトレーニングを行っていた。
「よーし、スペ、スズカ! 併走お疲れさん! 今回はスズカの勝ちだったが、ふたりともタイムは伸びてるぞ!」
「うわーん、やっぱりスズカさんは簡単には追いつかせてくれないです……」
「ふふっ、とっても楽しかったわ。スペちゃん、ありがとう」
「おーい、トレーナー! 俺とスカーレットは坂路30本終わらせてきたぜ!」
「おお、もう終わったのか、早かったな、ウオッカにスカーレット」
「ウオッカがどっちが先に終わらせられるか、なんて言うから、負けられるワケないじゃない……」
「また競ってたのか……お前たちなら大丈夫だと思うが、まあ、ほどほどにな……。さーて、テイオーとマックイーンのメニューは、っと……——ん? なんだなんだ?」
「うおおおお、テイオー! 今度こそ、ターボと勝負だ! ターボ、たっくさんトレーニングしてきたんだぞ!」
「あ、あはは……」
「こーら、ターボ! 約束も無しにいきなり押しかけたらテイオーにもスピカの皆さんにも迷惑かかっちゃうでしょ」
「えー! ネイチャも一緒に走りたいだろー!」
「あら、ターボさんではありませんか。相変わらず元気いっぱいですのね」
「おお! マックイーンも勝負するか!?」
「あら、わたくしにもお誘いですか?」
「タ ー ボ ー ?」
「うひゃー! ネイチャが怖いー! た、助けて、テイオー!」
「はは……ネ、ネイチャも苦労してるね……——まあまあ、そういうことなら今から勝負する? ダブルジェット!」
「お、いいのか!? ——って、だからターボの名前はツインターボ!! この前はちゃんと覚えてたじゃん!!」
「あはは、ごめんごめん! 冗談だってー! お詫びに全力で相手してあげるから、かかってきなよ、ツインターボ師匠♪」
「そうか! ふふん、ターボに負けて泣きべそ掻いても知らないからな、トウカイテイオー!」
「もう、ターボってばホントに後先考えないんだから……」
そんな、勝負を売ったウマ娘とそれを買ったウマ娘を中心に、どっ、と笑いが起こる。そんな笑顔溢れるトラックの一部始終を、遠くの小さなスタンドから眺める影がふたつあった。
「——へへっ、ターボのやつ、今日も全力全開! って感じだな」
「ええ、本当に。最近はテイオーさんを目標にしているおかげか、真剣にトレーニングに取り組んでくれますし、とても良い傾向です。とはいえ、後ほど沖野さんにはお詫びを入れないといけないですね……」
「はははっ、大丈夫。あたしも付き添うからそんなに肩を落とすなって! ……にしても、本当にみんな楽しそうにしてるな。——あの頃と比べたら、随分変わったぜ」
「……ええ、そうですね。ですが、それはアナタと彼女のおかげですよ」
「あたしは何もやっちゃいないさ。——今ここにセツナがいたら、どんな顔するんだろうな」
「エースさん……。いえ、心優しい彼女のことですから、きっと喜んでくれていますよ……!」
「そう、か……そうだよな。あいつなら、きっと……」
「エースさん、どうやら今日のあなたはトレーニングに来る前から顔色が優れない様子です。……何かあったのですか?」
「……いや、何もないぜ? 心配かけてすまねえな、トレーナーさん。……ただ昨夜、長い長い夢を見たような気がするんだ。内容はどうだったっけかな……たしか——」
――――
——北海道のとある片田舎にあたしは生まれた。
人はあんまりいないくせに、その割に土地だけはだだっ広いもんだから、ウチの家族はそういう環境で代々農業をしてきた家系だった。
というか、むしろウチの周りにはそういう人たちしかいなかったな。村のみんなが耕作をしていて、それを生業にしていたんだ。
そんな中、あたし自身が“ヒト”とは異なる“ウマ娘”だと自覚したのは3歳くらいのころだったと思う。
実は、この地域は全国的に見ても人口に対してウマ娘の割合が多い場所らしくてな、基本的にヒトには重労働である農作業を子どもの身でも軽々と行えてしまうウマ娘の力は家族や近所の農家の人たちには重宝されていたはずだ。
とはいえ、あたしはウマ娘といってもその中じゃまだまだヒョロくて、身体もろくに出来てなかったし、重い仕事はさせてもらえなかったけどな。
んで、4歳の頃には新しく家族が増えた。そう、あたしに妹ができたんだぜ。妹もウマ娘だった。
思えば本当にあたしの小さい頃は、なんていうか……学生時代に比べたら、とても穏やかな暮らしをしていたと思う。あたし自身、土を弄ったり牛の世話をしたりするのは好きだったし、周りには大好きな家族——父ちゃんや母ちゃん、妹がいて、優しい村の人たちがいて。
少し考えるのは早いかもしれないけど、大きくなってからもあたしはこういう仕事をして、こういう風に暮らしていくんだなってなんとなく思ってた。
——だけど、とあるウマ娘があたしの世界を広げてくれたんだ。
―――
とまあ、そんなこんなで、あたしが5歳になった頃だった。
その日、朝からあたしん家のお隣さんの家に見慣れない小型の引っ越しのトラックが停まっていて、荷物の積み下ろし作業を行っていたんだ。
それだけだったらまだ在り来りの光景に感じたかもしれないけど——そのトラックが停まっている隣の家は空き家ってわけじゃないんだ。
元々、農業主体のウチの村では珍しい“ていてつし”?という仕事をしている親父さんとウマ娘の奥さんというご夫婦が既に暮らしている家のはずなんだけどな——積み下ろしってことは、新しく誰かが来るってことか……?
——あ! ま、まさか……! ふと思い当たることが浮かんだあたしは、そのことについて母ちゃんに詳しく聞いてみた。
すると、やっぱりどうやらあたしの予想は当たっていたようで、あたしが4歳ぐらいの頃から一時的に海外に行っていた、そのご夫婦の子どもとその子にとってのおじいさん、そのふたりが久しぶりにこの村に帰ってきたとのことだった。
——まあ語ってはいなかったけど実は、その子とは以前から何度も会っていて、なんならあたしと同い年で本当に小さい頃からの友だちなんだ——けど、その子はとある事情でほとんど家から出られなかったんだ……だから、あたしとその子は外で遊んだことがなかった。
ま、だからこそ、その子が海外にいっていたのは、その事情を解消するためなんだけどな。
人口が少ない過疎化真っ只中のこの村において、ひとりしかいないあたしの同年代が帰ってきたってこともあって、あたしは居ても立っても居られなくなってな。久しぶりにその子に会いにいこうと思った。
そんで、ひとりで隣のその子の家に向かおうと、玄関の戸を開けたその瞬間——突然あたしの目の前を、颯爽と一陣の風が吹き抜けたんだ。
「うわっ!」
そん時、あたしは驚いてその場で尻餅をついちまったっけか。
「ってて……」
「あっ……ご、ごめん! 大丈夫……!?」
するとその風下の方から、聞き馴染みのある幼い少女の声が聞こえてきたんだ。よく見てみると、その子はあたしと同じウマ娘だった。特徴的な空色のロブヘアーに一束のサイドアップ、そして大きくて優しさを感じる空色の瞳をした少女が、座り込むあたしに手を伸ばしてきていた。
その時、その子の首に掛けられたペンダントがキラリと光っていたのが印象的だったのを覚えてる。
あたしはその手を取って立ち上がった。
「よっと、ありがとな。いや、すまん。ただびっくりしちまっただけで、大したことはないぜ——というか、久しぶりだな……セツナ!!」
「えへへ、久しぶりだね、エース! ボクたち、ちょうど今さっき帰ってきたんだ!」
そう、この子が件のウマ娘にして、あたしの親友であるフューチャーセツナだ。久しぶりに顔を見れただけでもすげー嬉しいけど、それ以上にあたしには驚いていたことがあった。
「って、待て! や、やっぱりさっきすごいスピードで走り抜けてったのはセツナだったのか!? もしかしてセツナ……ついに、もう外に出ても良くなったのか!?」
「うん——手術は成功したんだって。おじいちゃんのお友だちだっていうお医者さん、すごかったんだあ。一回寝て起きたときにはもう胸のチクチクがなくなってて」
「へえ、そんなすげえ人が……! へへっ、良かったなぁ……! これで思いっきり身体を動かせるのか!」
そう、セツナがほとんど家の外に出られなかった理由——実はセツナは生まれつき心臓に疾患を抱えていて、少しでも身体への出力を強くすると激しい胸の痛みに襲われるらしい。だから、ウマ娘でありながら満足に身体を動かせなかったんだ。
そういうことで、セツナ本人はもちろん、セツナのご両親やおじいさんも、そんな状態の身体をなんとかできる方法はないかっていつも探し回ってたんだ。
そして1年前、セツナのおじいさんの伝手で、その疾患を治療するための医者や費用などに目処が立ち、セツナは海外で治療を受けてきたっていうことだった。
「うん! 本当に、おじいちゃんやお医者さんにはありがとうって気持ちしかないよ……これでやっと思いっきり走れるんだからね!」
「いやー、しっかしセツナはほんと走るの好きだよな。昔からずーっと走りたいって言ってたし、さっきの走りもめっちゃはやくて、風と見間違えちまったぜ」
「えへへ、そうだね、走るのは大好きだよ。たまに身体の調子が良かったときに、真っ直ぐな道を見かけると、なんだか気持ちよさそうでつい走っちゃってたんだ。エースは走るの、好きじゃない?」
「走る……走る、か——たしかに身体を動かすのは好きだけど、思えば、今まで全力で走ったことなんてなかったかもな……」
「えっ……! そんな、エースもボクと同じウマ娘なのにもったいないよ……! ——あ、そうだ! ねえエース、ちょっとボクについてきて!」
「え? ちょ、おい!? どこいくんだよ!? そっちは森だぞ!?」
セツナはそう言うやいなや、あたしの手を引っ張って、なぜか森の方へ駆け出した。
「いいからいいから!」
そのままあたしは強引なセツナに流されるまま、森の中を駆けていった。しばらくセツナの先導で森の中を走っていると、何やら開けた場所に辿り着いた。
——そこは森の中であるにもかかわらず、ほとんど木々が生えていなく、見渡す限りの草原だった。
「良かったぁ。最後に来たのは1年前だったけど、全然荒れてないみたい」
「へぇ……! この村にこんな開放的な場所があったのか——」
そこはウチの田畑よりも何倍も広くて、耳を澄ませば植物のさざめく音と鳥の鳴き声しか聞こえないような場所だった。
そんで、あたしはこの草原に来て、なぜだか“無性に走りたくなった”のをはっきり覚えてるぜ。
そんなあたしの様子に気がついたのか、セツナはしたり顔であたしの方を見てたっけな。
「ふふっ、いきなりだけどエース、あそこに1本の大きな木があるでしょ? そこまで競走しようよ」
「なるほどな、かけっこか。いいぜ! なんでか、ちょうど今すぐにでも走り出したい気分だったんだ!」
そういって、あたしたちは木の枝でスタートラインを用意して、走り出す姿勢を取った。
「それじゃあ早速いくよ……! さん、にぃ、いち、ドン!」
セツナのかけ声であたしたちは大木へ向けて同時にスタートする。
セツナの高速なペースに合わせて草原を駆ける。生まれてから一度も経験したことのないスピードで走ってるけど、ウマ娘としての力なのか不思議と身体はあたしの意思にしっかりとついてきていた。
風を切り進むような感覚、地面を自分の脚で蹴り出す感覚が気持ちいい。何より自分が車のような速度で走っているという事実に心が昂った。
曇り空が一瞬でパッと晴れたみたいな——自分が走っているということ以外全部遠ざかっていくかのような、そんな感じたことのない清々しさがそこにはあった。
「なぁセツナ——さいっこーだな、これッ!」
「えへへ、でしょ! エースなら、絶対に分かってくれると思ってた!」
「ああ! なんであたしは今までこんな気持ちいいことを知らなかったんだろうな!」
「しかも、ただ走るだけじゃないよ! ボクよりも速く走ってみて!」
セツナはそういうと、突然スピードのギアを上げた。おそらく本気になったのであろうセツナの走りに、今日全力の走りを覚えたばかりのあたしではあるけど、根性で必死にセツナを追いかけた。
「へっ、はええな……! 流石の走りだぜ……!」
あたしもセツナに離されないように全力で草原を駆けたけど、ついに差が縮まることはなく、むしろどんどん差は開き最初に大木をタッチしたのはセツナだった。
「へっへーん、ボクの勝ちだよ!」
「はぁっ……はぁっ……ぜ、ぜんぜん追いつけなかったけどよ……! あたしって——ウマ娘って、こんなにも速く走れるんだな……!」
「えへへ、初めてって思えないくらい、エースもほんとに速かった! ——いつも身体を動かせなかったボクとの遊びにエースは付き合ってくれてたから……初めてこういう遊びをやったけど楽しかったでしょ?」
「ああ……! まだ心が昂って堪らねえよ……!」
セツナは清々しいといった表情であたしに笑いかける。自由を奪われ続けていた病気からやっと解き放たれたんだ。そういう表情にもなるか。
「でも、本当の勝負——本気のレースってやつはこんなものじゃないよ……! 都会の方ではおーっきな大会とか開かれて、日本中のウマ娘たちが一度に何人も集まって、一斉に走り出すんだ! ボクたちが大きくなったら、そういうところに出て先頭を走るんだ! 前に誰もいないゴールはきっと格別だよ」
そう生き生きと語るセツナの話を想像してみる。うまく想像できていたかは分からないけど、その様子はとっても楽しそうに感じた。——ただ、あたしってヒョロいんだよな—……。
「へぇ、レース、っていうのか……! ——とはいえ、確かにすっげえ楽しそうなんだけど、速いセツナはともかくこんなヒョロいあたしじゃ勝負にもならなさそうだな……」
「いやいや、初めてなのにこんなに速かったんだもん、なるよ! それに、もし今はそうでも、ウマ娘には中高生くらいのときに起こる本格化っていう成長期があって、その時に爆発的に身体が大きくなる娘もいるから、まだ全然分からないよ!」
「そ、そんなのがあるのか! そうか……こんなあたしにも、いつかホンカクカってやつがくるのかな……!」
「えへへ、もしかしたらとんでもなく大きな身体になるかもね! だから、諦めちゃうのはもったいないよ! 全力で走るの、楽しかったでしょ? ——本気のレースを味わってみたくない?」
「そうだな……たくさんのウマ娘の中で先頭を駆けるあたし——たしかに、想像してみただけでもワクワクしてきた……! あたし、走ってみたいぜ、そのレースってやつ! そんでさ、どんなウマ娘たちよりも速く走ってみたい!」
「いいね、いいね! ——そうだ、どうせならボクたちで最強になっちゃおうよ! ふたりで最強って、なんだかカッコよくない?」
「セツナとふたりで最強——! うん、いい! めっちゃいいな、それ! なってやろうぜ、最強に!!」
——それが、あたしたちの夢の始まりだったっけか。
あの日があたしがレースという世界に初めて触れた日。そして、あたしが、ウマ娘として生まれてきた意味を見出した瞬間でもあった。
―――
「——ほっほっほ。セツナよ、元気なのは良いことじゃが、まだリハビリ中だということを忘れてはならぬぞ」
セツナとふたりで木陰にもたれながらおしゃべりしていると、森の茂みの方から、落ち着き払った雰囲気のご老人が歩いてきた。
「やあ、こんにちは、エースちゃん。久しぶりじゃのう、一年も見ない間にまたひと回り大きくなったかの」
「あ、セツナのおじいさん、こんにちは! お久しぶりです!」
「お、おじいちゃん! ご、ごめんなさい……。やっぱり走れるようになったから、すぐに走りたくなっちゃって……」
真っ白に染まった長い髪と少しの髭を蓄えたご老人はあたしも何度もお世話になっているセツナのおじいさんだ。威厳がありながらも穏やかな声色で、ふむ、と呟やいたおじいさんはセツナの隣に座った。
「——なんて、無粋な言葉からかけてしまったが、お前がまた元気に走っている姿を見て、儂はただ嬉しいんじゃ……また走ってくれて、ありがとうセツナ」
そして、優しい手付きでセツナの頭を撫で始めた。おじいさんが、セツナのことを本当に大切に思っているのが分かる撫で方だった。
「わわっ、くすぐったいよぉ、おじいちゃん! ——けど、また走れるようになったのはおじいちゃんのおかげなんだからね! ボクの方こそ、本当にありがとう、おじいちゃん!」
「……お前のその笑顔を見ると、老骨に鞭打ってまで海外に赴いた甲斐があったわい」
「おじいさん、あの……セツナの身体、治してくださって本当にありがとうございます。セツナと外で遊べる日が来るなんて……夢みたいで、まだ信じられません」
「セツナのこと、案じてくれてありがとうよ、エースちゃん。じゃが、治したのは旧友の医者で、儂ゃ何もしとらんよ。——それに、セツナの病気を完全に治すことはできなんだ。普通に走ったり身体を動かしたりする分には大丈夫じゃろうが、それが長時間続くとなるとまた悪化してしまうかもしれぬでの——そういうことで、エースちゃん。セツナはやんちゃな孫娘じゃが、儂がいないときは、無理に走りすぎたりせぬか、見張っておいてくれぬかの」
そんな……セツナの病魔はまだ完全に消え去った訳じゃないのか——いや、それでも以前なら激しい動きなんて一切できなかったセツナの身体が、何度か走っても問題ない程度には回復してるんだ。
なら、セツナが無理しないようにあたしがしっかり見張っといてやらないとな!
「そうだったんですね……はい、あたしが責任持ってしっかり見張っておきます!」
「あ、おじいちゃん酷い! それくらい、ボクひとりでちゃんとできるもーん!」
セツナは、おじいさんに言われたことが納得いかなかったのか、ぷんぷんと可愛らしく頬を膨らませていた。
「ほっほっほ、そうじゃと嬉しいのう。さて、ところで、さっき聞こえてきてしまったんじゃが、ふたりはウマ娘のレースに興味があるのかの?」
「うん、そうなの、おじいちゃん! さっきボクとエースは、大きくなったらふたりでレースで最強になるって決めたんだ!」
「あたしもさっき初めてウマ娘として本気で走ってみて、すっごく楽しくて! この熱をセツナと一緒にもっと味わってみたいって思ったんです!」
「ほほう、最強——とな。ふぅむ、レースの世界はいまや全国各地からウマ娘が集い、雌雄を決する場所……そこで頂点に立つのは、生半可なことではないじゃろうな。しかし、才気に溢れ何より走ることが大好きなセツナ、器量よしで頑張り屋のエースちゃん、ふたりで一緒に努力していけば、もしかしたらなれるかもしれぬのう——ウマ娘レースの最強に」
「えへへ、おじいちゃんにそう言ってもらえると、もっとなれそうな気がしてきたよ! よし、エース、今から特訓しよ! 今からどんどん力をつけて、それで、大きくなったらおじいちゃんにボクたちが最強になった姿を見せてあげるんだ!」
「へへ、いいぜ! あたしも俄然やる気が湧いてきたからな! ——けど、おじいさんに言われたとおり、セツナの身体のこともあるから、長時間は走らせないからな!」
「ガーン! ……いいもん、ゆっくりじっくり特訓して身体を強くして、いつかこーんな病気とは完全におさらばするんだから! いくぞー!」
「お、おい! 待てってセツナ!」
早速、草原に飛び出していったセツナを追いかける形であたしも走り出す。そんなあたしたちを、セツナのおじいさんは大木の木陰で穏やかな目で見守っていた。
「ほっほっほ。夢があるのはいいことじゃ、ふたりとも本当にまっすぐな良い子に育って——そんな孫娘たちの晴れ姿、この目で見てあげることはできるじゃろうか……」
——こうして、自分たちの夢を見つけたあたしたちは、空いた日には草原に来て、セツナのおじいさんの前で走り回った。
隣にはセツナがいて、遠くからおじいさんが見守ってくれる。日に日に体力がついていくのが身に沁みて分かったし、おじいさんに見守られながらふたりで走るのは楽しかった。
なにより、親友とふたりで掲げた夢に向かって努力しているという実感が、今まで得たことのない充実感というか、そんな満ち足りた気持ちになった。
——空虚というには大袈裟かもしれないけど、それくらい平凡だったあたしの人生が彩られていった気がしてたんだ。
―――
あたしたちがそんな大きな夢を見つけてから、数ヶ月が経った。
ある日、何やらセツナのおじいさんがあたしとセツナに用があるということで、朝からあたしたちはセツナの家の裏にあるおじいさんの工房に訪れていた。
「おじいちゃーん、エースときたよー?」
「お、おじゃまします……!」
先導するセツナに連れられながら初めて入った工房内は仄かに暗く、鉄と煤の独特な匂いが籠っていた。——どうやらおじいさんは入り口近くにはいないみたいだ。
おじいさんを探すために辺りを見渡すと、壁や棚にはおそらく鍛治に使うであろう道具が所狭しと並んでいて、大いに童心を擽られたことは、はっきり覚えている。
「おじいちゃんー? ——そっちにいるのー?」
セツナに関しては、もう1つの自分の家——といったような感じで視界が悪い工房内をスイスイと進んでいっていた。あたしもはぐれないように好奇心を抑えつつ、慌ててセツナを追った。
―――
最終的に、セツナのおじいさんは工房の1番奥の方にいた。何やらU字の物を手にして、重々しい顔つきでそれを見つめながら、何か考え込んでいるようだった。
「あ、おじいちゃんいた! もう、また声も聞こえないくらい集中してたんでしょ! ずっと呼んでたのに」
「む……? ——おお、セツナにエースちゃん! すまんのう……またやらかしてしもうたわい。とはいえ、来てくれてありがとうよ」
セツナがおじいさんに声をかけると、さっきまでの厳しい表情は解け、いつものおじいさんの雰囲気が戻ってきた。
「あはは、マジメな顔のおじいちゃんも大好きだから、全然気にしないけどね! ところでボクたちに用って?」
「おお、そうじゃった。そうじゃった。——ふたりとも、ずっとレースに出たいと言っておったじゃろ?」
「うん、出たい!」
「そうですね。レースで最強になることがあたしたちの夢ですし、早くレースには出てみたいです」
「じゃろ? そこでじゃ。そのためにも、もっと“楽”に走れるようになりたくはないかの?」
唐突なおじいさんの問いの意味が、子どもだったあたしたちにはよく分からなかった。
「え? ら、楽……ですか?」
「はやく、なら分かるけど、楽に走るってどういうこと?」
「ほっほっほ、その答えがズバリ——この蹄鉄と呼ばれるものじゃ!」
そういうやいなや、おじいさんは先ほど手にしていたU字型の物をあたしたちの前に差し出してきた。それは左右が綺麗に対照的になっていて、表面の凹凸や鉄の質感の良さといい、一目見てカッコよさを感じた。
「あ、おじいちゃんが前から言ってた“蹄鉄”って、これのことだったんだ!」
「セツナよ、覚えておったのか。どうじゃ、ふたりとも、一度手に持ってみてはいかがかの」
「あ、あたし、触ってみたいです!」
「あー! ボクも触りたいー!」
「ほっほっほ、取り合わずとも、何個か用意してあるでの。じっくり触ってみてくれい」
そうして、しばらくあたしとセツナはその蹄鉄なるものを手に持って、回転させて隅々まで見たり、凹凸を指でなぞったりして観察していた。
「少しだけ重たいじゃろ? レースを走る世界中のウマ娘のお嬢さんたちは、それを競走靴の裏に装着しているんじゃよ。爪先の重心を補助することによって、走りの踏み込みに力を入れやすくなるのじゃ」
「へえー! そんな道具があったんだね」
「なるほど……だからこれをつけて走ると、楽になる、ということなんですね」
「もっとも、習うより慣れる方が良いかもしれんがの。実は、そろそろ必要だろうと思ってふたりのために打っておいた分があるのじゃ。ふたりとも履いてみてはくれんかの?」
「え! おじいちゃん、ボクたちのために打ってくれたの!?」
「ほっほっほ、ふたりとも最強のウマ娘になるのじゃろう? それならば、自分に合った蹄鉄は欠かせぬからのう。今後の成長を見据えて、少し大きめのやつも段階的にいくつか打っておいたぞい」
「そうなんですか!? まだ蹄鉄のことはよく分からないですけど——身内でもないあたしなんかのために、わざわざありがとうございます……!」
「何を言っておる、エースちゃんは我が孫娘の親友と言って良い存在。もはや身内も同然じゃよ。それに、今後ともセツナのお目付け役としてよろしくお願いしたい、という下心もあるしの」
「おじいさん……! はい! セツナのことは、万事任せてください!」
「もう! おじいちゃんったら……! だからボクそんなに言うこと聞けない子じゃないもん!」
「ほっほっほ。——さて、そうこうしておるうちに蹄鉄を装着した靴ができたぞい」
そう言われておじいさんから受け取ったシューズは、まず靴底に銀色がキラキラ輝いている見た目があまりにもカッコよく、そして普段履いている靴よりも断然重量感があった。
「わあ……!」
「すごい……これが蹄鉄が付いたシューズ……!」
「ではふたりとも、裏山の方へ行ってこれを履いてみるとするかの」
「はーい! 楽しみだなあ!」
「へへっ、そうだな!」
そうしてあたしとセツナは蹄鉄シューズを抱えて、おじいさんと一緒にいつもの裏山へ向かった。
―――
裏山に着いたあたしたちは、早速、普段の運動靴から蹄鉄シューズに履き替えてみる。セツナよりも早く履き替えたあたしは、立ち上がってその場で足踏みをしてみた。
「……! これは……!」
すぐに手応えを感じたあたしは、今度はそのままセツナたちの近くを走り回ってみた。
「やっぱり……! へへっ、なんだこれっ……! すっげー走りやすいぜ……!」
以前まで走っていた感覚と全然違う……! 踏み込みの安定感が大きく増した気がする……! 踏み出すとき、地面をしっかりと捉えて蹴られる感覚が心地良い! これがおじいさんが言っていた“楽になる”っていうことか!
「どう、エース? やっぱり全然違う?」
「ああ……すげぇ、これホントにすごいぜ……! セツナも早く試してみろよ!」
そうこうしているうちに履き終えたセツナも、あたしを追って走り出す。その顔は、始めは驚いているようだったけど、次第に目が輝き出し、あたしと同じように喜びの表情へと変わっていった。
「——すごい、すごーい! エース、ボクこんなに気持ちよく走れるの、初めて! あははっ、楽しいー!!」
「だよな! このままずっと走っていたいくらいだぜ!」
そんなあたしたちを、セツナのおじいさんは今まで以上に優しく微笑んで見守っていた。
「おじいちゃーん、すごいよこれー!」
「ほっほっほ、“楽になる”感覚が分かってきたかの? そいつはふたり用に特別な調整を施したものじゃからな。そこまで気持ち良く走ってもらえると、既に引退した身とはいえ蹄鉄師冥利に尽きるわい」
「ホントにありがとね、おじいちゃんー! おじいちゃんの蹄鉄、一生大事にするからー!」
「あたしたち、おじいさんの蹄鉄で絶対、最強になりますー!」
「ほっほっほ、大事にしてもらえるのは嬉しいんじゃが、流石にヘタってきたら取り替えるんじゃぞー」
そのままあたしたちふたりは、おじいさんに見守られながら、日が暮れるまで裏山を駆け回った。
あまりにも気持ち良く走れるものだから、セツナが身体の限界以上に走ろうとしたときは流石に心を鬼にして止めさせた。
けど、とはいえこの日はおじいさんのおかげで、あたしたちにとって蹄鉄を付けて走ることの気持ちよさを知る楽しい1日となった。
その余熱が残ったまま帰り道でセツナと一緒に、おじいさんに蹄鉄やレースについてあれこれと聞いていろいろ答えてもらっていた。
時折おじいさんが冗談混じりに面白おかしい話をするものだから、あたしとセツナは声を上げて笑ったりして。本当に幸せなひとときだったと思うぜ。……これからもこんな幸せな時間がずっと続くものだと思っていたんだ。
そして、そんな呑気だったあたしを運命は嘲笑う。——幸せだった日々が、まるで反転させた砂時計の砂がゆっくりと下に落ちていくように崩壊を始める。
——あの夢を誓い合った日から1年後、セツナのおじいちゃんが亡くなった。持病の悪化、とのことだった。
今後はエース視点だったり、セツナ視点だったりします。