エース視点です。
——マルゼン先輩とのレースから数ヶ月経ち、季節は変わって、梅雨明けの初夏になった。太陽が昇っている時間もより長くなり、長時間のトレーニングができるようになった。
あれからセツナは既に退院していて、身体の調整はしつつも、最近ではしっかり、あたしと一緒にトレーニングを行えるまでに復帰している。
現に今も、あたしとセツナはトレーニングをしている最中だ。——むしろ、退院してからのセツナは以前より積極的にトレーニングをするようになっていた。
また、シービーは相変わらず、気が向いたときにトレーニングしたり、時にはひとりで都外まで散歩したりして沖野トレーナーを困らせているようだ。
他にも、マルゼン先輩が日本ダービーで1着を取り、無敗の二冠ウマ娘になったりして、世間の注目を集めていた。しかし、マルゼン先輩は距離適性の都合や脚部不安を抱えていることから、クラシック三冠路線最後の菊花賞には出走しないようだった。
——そんな時期に行われる重要なイベント。それはあたしたちジュニア級のウマ娘のメイクデビューだ。
実は、あたしたちのメイクデビューの本番はもう明日、というところまで迫ってきていた。——ちなみに、シービーは一足先にデビュー戦を勝利し、オープン戦以上への挑戦権を手に入れていた。
休憩中のあたしは、ふとターフを走るセツナを見る。マルゼン先輩とのレースをあの状態で走ってしまったセツナは、やはり本調子とはいかないようだ。——明日のメイクデビューが不安になるけど、トレーナーさんと三女神様たち曰く、全力を出せなくてもセツナだったら勝てるような秘策があるらしい。
「それが、あのトレーニング……一定のラップタイムを体に刻むためのペース走、ってことか」
セツナはここ最近、トレーナーさんの指示で常にペース走のトレーニングを課され、一定のラップタイムを身体に覚えさせていた。
正直、そもそもそういう走りはあたしのような前を走るウマ娘の方が得意で、後ろを走るセツナたちにはあまり関係ないような気がする。
あたしは、なぜトレーナーさんと三女神様たちがこのトレーニングを課しているのか分からなかった。しかし、させているということは必ず何かあるのだろう。
既にメイクデビューの出走者リストは公表されており、出走するレース場が同じとはいえ、あたしとセツナが同じレースを走ることはないんだけど……。驚かせたいということで、あたしは秘策を教えてはもらえなかった。
「へへっ、一体どんな作戦で走るのやら……」
そうしてお互い様々な準備を終えて、いよいよあたしたちはデビュー戦を迎えた。
―――
——来たるメイクデビューの日。あたしたちは、トレーナーさんの車で東京レース場にきていた。
あたしは今日のレースの第5R、セツナは第6Rに出走する。まずは、あたしがバシッとデビューを決めて、セツナにバトンを渡さないとな!
「エース、頑張ってね!」
「ああ、任せろ!」
そうして、あたしはパドックでのお披露目を済ませると、ゲートの中へ入っていった。無名ということもあり、あたしの人気は低かったけど、それもこれから塗り替えていけばいいだろう。
重賞レースと比べたら流石に観客の数は少ないけど、初めて走る大きな舞台ということで、あたし自身、かなり緊張していた。
——と思っていたんだけど、いざゲートが開いて飛び出してみると、案外すんなりいくもので、トレーナーさんや三女神様たちに指導してもらったおかげか、あたしは終始後続のウマ娘たちを寄せ付けず、ゴール板を駆け抜ける頃には、なんと2番手のウマ娘とかなりの差をつけていた。
『ななな、なんということでしょう!? メイクデビュー東京第5R、1着はカツラギエース! 8番人気でしたが、あの“怪物”マルゼンスキーを彷彿とさせるような逃げで、驚異の8バ身差でデビューを決めました!!』
いや、自分でも驚いちまったよ。まさかそんなに差をつけて勝てるとは思わなかったぜ。——最近、セツナやシービー、なんならマルゼン先輩と併走していたせいで感覚がおかしくなっていたのかもしれない。もしかしてあたし、結構成長してる……!?
「お、おめでとうエース、8バ身差だって! ——これはボクたち世代の注目の的になるかもね?」
「流石はエースさんです。デビューおめでとうございます!」
「へへっ、意外とやれるもんだな、あたしも! けど、これで後はセツナだけなんだからな! 気合い入れてけよ!」
「うん、ボクも続くね!」
——そうして、今度はセツナのメイクデビューが始まろうとしていた。あたしの8バ身差をつけた走りに、観客の動揺が収まっていない様だったけど、パドックでのお披露目は恙なく終わった。
セツナはゲートに入り、スタートをしっかり決めるために集中しているようだった。
——そしてゲートが開き、各ウマ娘が一斉にスタートする。まずあたしは、自分が逃げウマということもあって、誰が先頭に抜け出すか注目した。しかし、意気揚々と先頭に躍り出たのは、なんと見慣れたあの空色の髪だった。
「せ、セツナが逃げ!? どういうことだよ、トレーナーさん!?」
「大丈夫です。あれこそ私たちが、このメイクデビューでセツナさんを勝たせるために考えた作戦です。見ていてください」
トレーナーさんにそう言われて視線をターフの方へ戻すけど、セツナの走りは序盤にしてはあまりにも速すぎた。
『な、なんと掛かってしまったのでしょうか、フューチャーセツナ! 事前の情報では差し脚質とのことでしたが、まさかの逃げでハイペースのまま、第1コーナーを曲がっていきます!』
他のウマ娘たちも、唐突なセツナの逃げに面食らい、最初は追いかけようとしたけど、自滅的なハイペースであると断じると、普段のペースで自分たちの走りに集中し始めた。
「本当に大丈夫なのかよ、トレーナーさん。今のセツナがあのペースを維持するのは無理があるぜ……?」
「ええ。ここまで読み通りに進んでいます。——あとは、セツナさんがトレーニングの成果を活かせるかどうか、です」
「トレーナーさんがそこまでいうなら、信じるけどよ……」
——そうして、レースは折り返しの距離まで進んでいったんだけど、そこであたしはふと違和感を覚えた。
「……ん? なあトレーナーさん……なんかレース全体のペースが序盤に比べて妙に遅くなってないか?」
「流石はエースさん、いつもペースメーカーを担っているだけあって、気付きましたか」
そうだ。よくレースを観察してみると、今のセツナは序盤ほどのハイペースで走っていないどころか、スローペースと言えるほどまでペースを落としていた。
「な、なんでこのペースになって、後続のウマ娘は仕掛けてこないんだ!?」
「今セツナさんは、1ハロン毎のペースをちょうど1秒ずつ落とすように走っています。それも、ひとつも波を作らず、徐々に徐々に」
「——まさか! 後続のウマ娘は、ペースを落とされていることに気付いてないのか! セツナのペースコントロールに感覚を狂わされて!」
「ええ、そうです。これがセツナさんの秘策。——もっとも、デビュー前のウマ娘がまだレース感を養えていないことが多いからこそ、有効な作戦ですけどね」
なるほどな……これのために、トレーナーさんはセツナにずっとペース走をさせてたのか!
『こ、これはどういうことでしょうか! ハイペースで逃げていると思われていたフューチャーセツナが、気がつけばスローペースになっています!』
「——そして、このスローペースで脚を溜めた逃げウマ娘がどうなるか、本職のエースさんなら分かりますよね」
「……ああ、既に差が開いてる状態なのに、体力は同じ土俵で末脚勝負をするんだ。いくらセツナが全力で走れなくても、後続のウマ娘がここからこの差を埋めるのは、流石にキツいだろうな」
最終コーナーに入り、セツナがスパートをかけ始める。後続のウマ娘たちもそれに続いてスパートをかけるけど、脚を溜めていたセツナを追い抜くことはできず、そのままがセツナが2番手と1バ身差をつけてゴールした。
『まさかまさかの展開です! 思いがけない逃げに出たフューチャーセツナが最後まで粘り、1バ身差で勝利しました! まさにトリックプレーで、常にレースの主導権を握り続けました!』
「……すげぇ、すげぇよセツナ」
そして、レースを終えたセツナがあたしたちの元へ帰ってきた。
「やったよエース、トレーナーさん! 上手くいくか不安だったけど、これでボクたちみんなデビューできたね!」
「おめでとうございます、セツナさん」
「おめでとうセツナ! ……まったく、スタートからいきなりかっ飛ばしたの見て、流石のあたしも肝が冷えたぜ」
「ふふっ、驚いたでしょ! ——実はあの走り、エースの逃げを参考にして身につけたんだ」
「えっ、あたしの?」
言われてみれば、先ほどのセツナの走りはあたしの走りに似ているような気がした。
「そうだよ! ボク、逃げなんてやったことなかったからね。——こんな近くにいいお手本がいるんだから、真似しない手はないってトレーナーさんと三女神様たちが教えてくれたんだ」
「そうだったのか……いや、あたしの走りが役に立ったなら、良かった」
またセツナに差をつけられてしまったのに、あたしの走りがセツナの力になったという事実に、なんだか内心では嬉しい自分がいた。
「さて、おふたりとも、レースは終わりましたが、メイクデビューはまだ終わっていないですよ」
「ん? 何を言ってるんだ、トレーナーさん?」
「忘れてはいけませんよ。レースを走ったウマ娘は、ファンに感謝を伝えるため、レースの後にウイニングライブを行うのです」
「あっ! そ、そうだった!」
そういえば、トレーナーさんと契約してから、ウイニングライブのことを何度も言われたな……。一応、トレーナーさんによるダンスレッスンで、あたしもセツナもライブの動きはひと通りこなせるようになったけど——
「うぅ……大勢の人の前で、ボクにライブなんてできるのかな……」
「大丈夫だって、セツナ。セツナの歌声は綺麗だし、ダンスだってトレーナーさんと練習しただろ? ほら、初めてのライブだし、どうせなら楽しく歌おうぜ」
「そ、そうかな……エースがそう言うなら、頑張るね……」
セツナは自信がないみたいだけど、セツナの歌の上手さはあたしがイチバンよく知っている。
「では、ライブの衣装をお渡ししますので、控え室で着替えをお願いします」
——そのままあたしたちは控え室でステージ衣装に着替えた。
「うひゃー、おへそ出ちゃってる……! か、可愛い服だけど、結構大胆なんだね……! うぅ、エースはスタイルいいから似合ってるなあ……」
意外と大胆なステージ衣装に、セツナは恥じらいから身体をプルプルと震わせていた。
「スタイルっつっても、セツナより身長があるくらいじゃんか。あたしこそ、セツナの可愛らしさに似合ってると思うけどな!」
「うぅ……やめてやめて! 三女神様たちにも同じこと言われたし、なんか恥ずかしいよ……!」
羞恥に悶えるセツナはなんだか小動物みたいで、なにかあたしの中で開かれてはいけない扉が開かれそうになった。
『すみません、おふたりとも、着替えは済みましたか?』
「おう、トレーナーさん! もう入っていいぞー」
「失礼します、衣装の確認をさせて頂きますね」
トレーナーさんが入ってくると、あたしたちはトレーナーさんから衣装チェックを受けた。
「はい、おふたりとも問題ありませんね。さて、今回のライブですが、2つのデビュー戦それぞれの勝者がふたりで同時にセンターを務めることになるみたいです」
「それぞれの勝者ってことは……あたしとセツナがダブルセンターってことかよ!」
「ええっ! そ、そんなの練習でもやったことないですよ!」
「安心してください。振り付け自体は変わりません。ただセンターのポジションがふたりになるというだけですから」
「まぁ……それなら大丈夫か」
「そ、そうなんだ……それなら、むしろエースと一緒だから心強いかも!」
「では、会場へ向かいましょう。おふたりなら、きっと良いライブになりますよ」
——そうして、なんやかんやしているうちに、ウイニングライブが始まった。今回、あたしたちが歌う楽曲は「Make debut!」。あたしとセツナは初めてのライブということもあり、表面上は笑顔を取り繕いつつも、無我夢中で歌とダンスを披露した。
あたしたちのファン……といえるかはまだ分からないけど、観客の人たちと一体になって歌を歌うのはそれなりに楽しかったし、何よりセツナと一緒に歌えたのが嬉しかった。
それにしても、今回の楽曲の歌詞——今のセツナとあたしにぴったりなフレーズがいっぱいあったな。
ちなみに余談だけど、笑顔のトレーナーさんが最前席でサイリウム振り回していたのは驚きを通り越して、ちょっと怖かった。
こうして、あたしたちの初めての中央レースとなるデビュー戦は、幕を閉じたのだった。
誤字脱字、表記揺れ等、都度修正していますが、残っていたら申し訳ありません……。