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それは数ヶ月前の話。欧州のとある国での出来事——
「(——ほっほっほ。ありがとう、コレットよ。孫娘への手術を担ってくれて)」
「(ジジイ、十数年ぶりにいきなり電話を寄越したかと思ったら、デケェ案件持ってきやがってよ——俺らの医療チームに自分の孫娘の心臓手術をしろたあ、流石の俺でもビビったぞ……。まあ最新の設備まで導入して手は尽くした。完全に治療出来たワケじゃないが、何度か走ったりする分には全く問題ないだろう)」
「(流石の腕じゃな……日本では、薬を飲んで症状を抑える方法しか提案されなかったからのう。セツナをまた走れるようにしてくれただけでも充分じゃよ)」
「(ふん、俺とて医者の端くれだからな。目の前に手が届くやつがいたら必ず助けるさ)」
「(ほっほっほ、お主が医者の端くれなら世界中の医者の居場所が無くなってしまうじゃろうよ——やはり遥々この国まで来て、お前を頼って本当に良かった。儂も、これから未来溢れる自分の孫娘には夢を諦めないでほしいと思っておったからのう)」
「(おアツい孫煩悩なことで。——さて、ジジイ。ちと本題に入ってもいいか?)」
「(——本題? なんじゃ、セツナの手術は終わったというのに)」
「(セツナちゃんのことじゃねえ。あんたのことだよ、ジジイ——あんた、なんか自分の身体について隠してることがあんじゃねえのか?)」
「(……!)」
「(へえ、普段冷静なあんたが珍しく動揺してんな。俺の目は誤魔化せねえよ。あんた、昔より酷く毛が抜けてやがる。老いただけってレベルじゃねえ。手足にむくみがあるし、何よりあんた、“トイレに行かなさすぎる”。ろくに食べ物も食えてねえんじゃねえか?)」
「(……流石じゃな、コレットよ)」
「(あらかた想像はついてるが……まあいい、お前の孫娘を救った男からの命令だ。お前の身体も検査させて貰うからな)」
「(ッ……! おい、ジジイ! どうしてこの状態になるまで放っておいた!! こんなの、もう俺でも手の施しようがないッ……)」
「(……すまんのう)」
「(謝罪を聞きたいワケじゃない! 何故自ら死を選ぶようなことをした!)」
「(…………なに、儂の息子が可愛らしいウマ娘の嫁と結婚し、ふたりはウマ娘の子を授かった。しかし、その子には心臓に疾患があると分かり、ウマ娘として大切なものを縛られた……そんな辛い未来を歩んでほしくない儂は、どうにかその子の病気を治療できないか探し回ったんじゃ)」
「(それでわざわざ日本から遠く離れた俺のところを頼ったってワケか)」
「(そう、お前のところの医療チームなら治療できると知った。しかし、それにはそれなりの費用がかかることも分かった。金持ちではない儂の財産をほとんど使ってやっと、という額じゃったろう? そして、儂自身の治療をするなら決して少なくない費用がかかる。そうなった時、これからたくさんの未来が待っている孫娘と、仮に治ったとしても老い先短い老耄……どちらを選べと言われたら、言うまでもないじゃろう)」
「(——ハッ! 耄碌ジジイが……理性的過ぎんだよ!)」
「(どの道、たとえ治療を受けても儂はもう長くはなかったじゃろう? この選択には全く後悔などしておらんよ。とはいえ、このことはセツナには黙っておいてもらえぬかの。優しいあの子に余計な心配をかけさせたくないのじゃ)」
「(チッ、言えるワケねえだろ、クソが……!)」
「(——それと、最後にもうひとつだけ、この老耄の頼みを聞いてもらえぬかの?)」
「(まだ何かあるのかよ!? ——チッ、内容次第では受けてやるからさっさと話せ!)」
―――
「……ぇ、エーズぅ……お、おじいちゃんがぁ……おじいちゃんがぁ……!」
その日、セツナが休日の朝方からいきなりあたしの家を訪ねてきたかと思ったら、当のセツナは酷く憔悴した様子でその目には泣き腫らした跡があった。
そして、その直後、セツナから伝えられた衝撃の内容に、あたしはしばらく動くことができなかった。
それは、昨夜、寝る前まではセツナとお話ししたりしていつも通りの日常を過ごしていたセツナのおじいさんが、今朝セツナが起こしに行ったときには既に息を引き取っていた、という内容だった……。
——セツナのおじいさんの葬式は家族葬の形で、セツナの家族とあたしの家族だけが参列して他の親族の方が来られることはなく、慎ましく執り行われた。和尚さんにお経を誦じながら叩かれる木魚の音が、とても空虚に感じられた。
けど、あたしたちしか葬儀にいないなんて、セツナのおじいさんの親族は忙しかったのか? いや、そんなことよりも——
——その日以降、病気の枷をほとんど外してからはいつも明るかったセツナが、毎日どこかで嗚咽を漏らしながら泣いていた。
あたしも当然、耐え難い喪失感に襲われて、始めは涙を止めることはできなかった。
だけど、セツナにとっておじいさんは血が繋がった家族であって、自分が病気で苦しんでいたときも常に寄り添ってくれていた存在だ。……その身に受けた悲しみは、あたし以上のものだったはずだ。
「セツナ……」
——今年から入学した小学校の帰り道。数週間経っても明るさが戻ってこないセツナ。
以前はお互いの家に着くまでレースの話題なんかで笑い合いながらおしゃべりしてたけど、今は到底そんな会話ができる雰囲気ではなかった。小学校の担任の先生もセツナのことを酷く心配していた。
裏山でのトレーニングも、こんな状態のセツナを走らせるわけにもいかないから、しばらくお休みさせていた。
「……ねぇ……エース……」
と、そう思っていたら気持ちが少し落ち着いたのか、久しぶりにセツナの方からあたしに話しかけてきてくれた。
セツナの歩調に合わせて歩きながらも、あたしは努めて優しい雰囲気でセツナに返事をした。
「ん、どうしたんだ、セツナ?」
「……あの……ぅ……あのね……そ、その……っ……」
セツナは歩みを止め、嗚咽を抑えながら何かを話し始めようとしてくれた。けど、やはりまだおじいさんの死を受け入れられていないらしく、途中から声を出せなくなってしまっていた。
そんなセツナをあたしは正面から抱きしめた。セツナのランドセルと身体の間に手を入れて、安心してもらうために優しく背中をポンポンと叩く。
「落ち着くんだ、セツナ。大丈夫、ゆっくりでいい。あたしはずっとセツナの近くにいるからな。話したいことがあったらいつでも待ってるぜ」
「……うぅ……ぇーす……っく……ごめ……ん……ね……」
そのままセツナはあたしの胸の中で泣き続けた。
―――
「おはよっ、エース! 学校行こ!」
その翌日、小学校へ登校する時間となってあたしの家の前に現れたセツナ。しかしいったい何の心境の変化があったのか、昨日までの暗い雰囲気が嘘だと言わんばかりに、玄関を開けたらいつもの快活なセツナが戻ってきていた。
「お、おい……セツナ……?」
あまりに唐突なセツナの変化に頭がついていかず、あたしは目の前の光景を飲み込みきれていなかった。
そんな素っ頓狂な表情をしていたあたしに、セツナは顔色を少し曇らせたかと思うといきなり頭を下げてきた。
「……あの、昨日まで迷惑かけてごめんなさい、エース」
「へっ!? い、いや、何言ってんだよ。あんなことがあったんだ、気持ちが落ち込むのは当たり前だろ! 迷惑だなんて思ってないって!」
「……ありがとう、エースは本当に優しいね……——その、さ……ボクね、おじいちゃんがいなくなってから、ずっと自分の胸にぽっかり穴が空いてるみたいだったんだ」
「セツナ……」
「もうおじいちゃんの優しい声が聞けない、おじいちゃんのあったかい手に触れられない——おじいちゃんにボクたちが最強になる瞬間を見せてあげることができない……その現実が、身体が震えそうになるくらい怖くて、早く乗り越えなくちゃいけないって思っていても、何も考えられなかったんだ……」
そう話すセツナは、少し顔を青褪めさせて自身の身体を掻き抱いていた。
「でも、昨日エースに抱きしめられて、懐かしさを感じたんだ……! それってね、このペンダントと同じ、優しいあったかさだったんだ」
「……ん? ペンダントと同じって?」
「そのことも含めて思い出したことがあるんだ。おじいちゃんがいなくなるちょっと前にね——」
「——良いかセツナよ、お前がもう少し大きくなったら、その時は本格的にレースの世界に飛び込むじゃろ? そうなると、ここから遠い中央という場所に行くことになるじゃろう。それはつまり、儂ら家族から離れて暮らすということになる」
「ええ!? ボク、おじいちゃんやお父さんお母さんと離れ離れになりたくないよ!」
「ほっほっほ、セツナたちが最強のウマ娘になる為じゃからな、すまんのう、寂しい思いをするかもしれぬがこればっかりは我慢してもらうことになる」
「そ、そんなあ……」
「——しかし、そこで以前セツナに渡したその蹄鉄のペンダントのことを思い出してほしい。その蹄鉄はな、儂の師匠の師匠の師匠の師匠の——まあ、大昔から大事に手入れされ受け継がれてきた魂の籠った蹄鉄なんじゃよ。もちろん、儂の想いも、倅の想いも込められておる。儂らが側にいない時でも、儂ら家族とはいつでも繋がっていることを忘れないでほしいのじゃ」
「えへへ、そっか……ここに、おじいちゃんやお父さんたちの想いが……! なんだかこのペンダント、いつも心がポカポカするなって思ってたんだぁ——うん、分かった! これからもしおじいちゃんたちと離れ離れになったとしてもボクは挫けないよ! ありがとう、おじいちゃん!」
「ほっほっほ、その意気じゃ。自分の夢を叶えられるよう頑張るんじゃぞ、セツナ」
「——ねえ、おじいちゃん、これって元々は三女神様の蹄鉄なんだよね。そういえば、おじいちゃんのお師匠さんってどんな人だったの?」
「儂の師匠? ほっほっほ、そりゃもう頑固な親父じゃったよ。そうじゃな、儂が二十の頃じゃったかのう——」
「——あの日はずっとおじいちゃんとお話ししててね、その時にこの蹄鉄のペンダントの話をされたこと、思い出したんだ。——もしかしたら、おじいちゃんがボクにあんな話をしたのは、自分の身体のことが分かっていたからなのかもしれない……」
「セツナ……」
セツナは悲しい気持ちを我慢するように俯き、自身の胸に掛けられているペンダントを握りしめた。
「だからね、おじいちゃんにボクたちの最強になった姿を直接見せてあげられないのは悲しいけど、おじいちゃんの想いはまだ“ここ”にあるって気づいたんだ。そう思ったら、あんな沈んだ気持ちのまま過ごしてちゃいけない、早く夢を追いかけないとって思ったんだ!」
そしてペンダントを握りしめたまま、セツナは顔を上げた。その表情は、何か覚悟を決めた勇士の顔だった。
「そうか……そうか! やっぱセツナなら立ち直ってくれると思ってたぜ!」
「ううん、エースとおじいちゃんのおかけだよ。おじいちゃんがボクに希望を残してくれたし、それにエースが気づかせてくれた。ボクはいつもエースに迷惑かけちゃってるね……ほんとにごめん」
「なあセツナ——さっきも言ったけど、あたしは何も迷惑だったなんて思っちゃいないんだってば! どうしても後ろめたいっていうなら、早くまた一緒に裏山の草原でトレーニングしようぜ! 最強になるんだろ!」
「エース……! ——うん、やろう! 天国のおじいちゃんに見せてあげるためにも、ムダにしちゃった時間を取り戻さないとね!」
「おう! セツナ完全復活だな! よーし、最強計画、再始動だ! 頑張ろうぜ!」
「えへへ、うん!」
——セツナのおじいさんの死、という悲劇は起こった。けど、こうしてセツナは再び前を向くことができた。
復活したセツナとあたしのやる気は、それはもう絶好調だった。学校がある日もない日も毎日がむしゃらに走り込んで、成長期だったのかほぼ毎日のように自分たちの力が増していることを実感していた。
再び、あたしたちの日々が充実してきてたんだ……!
——それなのに、運命の女神とやらはまたしてもセツナを弄びやがったんだ。