とある太陽の三女神視点です。
『——三女神様、どうかお力をお貸しいただけませんか!』
子羊くんに初めてそんなお願いをされたのは、記憶に新しい。
子羊くんが言うには、トレセン学園には持病や家庭環境など周りの要因の問題で中々トレーニング時間を割くことができず、どうしようも無くなってきてしまっているウマ娘たちがいるらしい。
その娘たちは、そういった理由からレースの力を付けることが他の生徒と比べて難しく、力を示せないとトレーナーにスカウトされなかったり……胸糞悪い話だけど、時には見限られたりもするらしい……。
そうなると自力でトレーニング計画を組む必要があり、それにまた時間を取られ——と、終わりのない悪循環を生じているようだった。だから、その悪循環を断ち切るために、俺たちに彼女たちを指導してほしいという話だった。
相変わらず、子羊くんの行動力の高さには驚かされる。——もちろん、俺たちは二つ返事で子羊くんの提案を了承。そして子羊くんが件の彼女たち相手にトントン拍子に話を進めていき、最終的に俺たちに仕事を任せてくれた。
子羊くんが俺たちに提案してくれた『特別教室計画』、これは順調に軌道に乗ったと言っていいだろう。
俺たちは……まああんまり大きな声では言うのは恥ずかしいけど、伊達に長く生きちゃいないんだ。……いや、もう死んでるんだっけ。——あはは、子羊くんの中にいると、毎日飽きなくて、そのことを忘れさせてくれるな……ホントに感謝しかないよ。
ちょっと話が逸れたけど、まあそういうわけで、俺たち、経験値は豊富にある方なんじゃないかって自負してるよ。だから、それを活かせる機会があるのなら存分に振るってあげたい。
——そうそう、特別教室の彼女たちは、ほとんどが子羊くんと同級生だったよ。最初は俺たちもどうしてかな、って思ってたけど、理由があまりいい話じゃなかったな。
……こういうトレーナーがいない状態が長く続いて自分の成長が滞ると、未来に希望が抱けなくなる。それは精神的にはかなりキツい。だから、その状態で1年も経つと、だいたいのウマ娘はトレセン学園を辞めてしまうんだとか……。——せめて、今ここにいるこの娘たちには、夢を諦めさせてしまうようなことにはしたくない。
あと個性的な娘が多かったな。俺には、髪型とか話し方とか、そういったところも個性的に思えたんだけど……俺たちが言いたいのはレースにおける個性の話だ。
ウマ娘のレースは何も中長距離だけじゃない。マイルレースに短距離レース、ダートレースだってある。どんなバ場、どんな距離が適性かはウマ娘たちによって異なり、誰ひとりとして同じ者はいない。そんな中、彼女たちは一芸に秀でた適性を持つ娘たちが多い印象だった。
今現在、子羊くんやエースくんが住むこの国では、ウマ娘のレースは中長距離が王道——つまりは花形となっているみたいなんだ。それが何を意味するのかというと、逆に短距離レースやマイルレースの注目度は低いということさ。
……俺としては、それは少し悲しいことなんだ。中長距離に出走するウマ娘だけじゃない、様々なウマ娘たちがいろんな場所で注目される環境を作ってあげたいな。
今のこのトレセン学園には、そういった理由から、短距離戦に適性がある娘たちを無理に中長距離の土俵に立たせている風潮がある。
これに関しては、何もトレーナーたちだけがそう思っているわけじゃないみたいだ。——家庭環境が貧しく、ここの学費がまともに払えないごく一部のウマ娘たちは、多額の賞金を求めて、自分の適性以上に無理をすることが多いらしい。この流れは、本当によくない。
そもそも、その高すぎる学費などの理由が悪さをしてるんだけど……根本的な問題点は、やよいくんや子羊くんたちがきっと解決してくれる。
だから、俺たちは別の方向で貢献——つまり、みんなの認識の方を変えさせたい。短距離戦も、楽しくてアツいものだっていろんな人に知ってほしい。
ただ……どうやら子羊くん情報だと、短距離・マイル・ダートレースの注目度が低くなってしまっているのは、スター選手の不足が大きく関係しているのではないかとのことだった。
そこで俺は考えた。だったら、そんなスター選手を誕生させ、その娘が誰をも魅了する走りをすれば、短距離戦の注目度が上がるはずだって。
「フッ…………!」
——ひとりのウマ娘が、俺の前を駆け抜ける。
「おお、また今回もタイム更新だ! 皐月賞の時にも感じたけど、やはりそのトップスピードはキミの武器だね! 短時間とはいえ、この速さを出せる娘はこの中央でも一握りしかいないんじゃないかな!」
「……ふん。会長サマに言われなくても、あっしは速いんです〜」
「うんうん、自信を持つのはいいことだよ。自分を信じていなかったら、レースには勝てないからな!」
「……ちっ、調子狂うな……」
短距離戦の新たなスターウマ娘——俺には心当たりがあった。
今目の前にいるこの娘、ニホンピロウイナーというんだ。初日に子羊くんと一悶着あった彼女なんだけど、俺は彼女に光るモノがあると思ってる。
そう、トップスピードがあの子羊くんやエースくんよりも速いんだ。潜在能力的には、マルゼンくんに近いかな? その状態を維持できるのは短時間ではあるものの、あのスピードはきっと短距離戦において強力な武器になる。
——今まで彼女は目立った成績を残せなかったみたいなんだけど、それは、ほとんど中距離のレースにしか出走していなかったのが原因だろうね。
ピロウイナーくんに、中距離レースの適性がないわけではないんだ。しかし、その才能が十全に発揮されるのはやっぱり短距離戦かな。
「……あっしにそんなキラキラした期待の眼差しを向けられても……。言っときますケド、あっしはたとえ短距離戦に適性があっても中距離レースに出るつもりですよ。……短距離戦なんて、勝っても賞金は少ないじゃん……」
「うん、たしかにこの国の、いわゆる八大競走と呼ばれる中長距離のレースと比べたら、平均的な賞金額は劣るだろうね」
「……だったら、この短距離戦を想定した練習、意味あります?」
「あるさ。……おそらくピロウイナーくんは現実的な考え方が好きみたいだから、あえてはっきり言うな? ——キミは八大競走の舞台であの同期のミスターシービーに勝てると思うか?」
「ッ……そ、それは……」
「キミに中距離レースの適性がないとは言わない。けど、シービーくんはそれ以上のものだ。正直、あまりにも分が悪い」
「………………」
「——ただ勘違いしないでくれよ? それは決してキミが弱いからじゃない。逆に考えてみたら、シービーくんは短距離戦において、ピロウイナーくんには勝てない。残酷に感じるかもしれないけど、ウマ娘の適性っていうのはそういうものなんだ」
「! ……マジスか。あっしが、シービーに……」
「だから、賞金のことだけを考えるなら、ピロウイナーくんは、中長距離のG1レース勝利を賭けて一発を狙うより、むしろたくさんの短距離戦のG1レースに出走した方が稼げると俺は思う。……もちろん、これは俺の考えであって強制するものじゃないけどな」
「……ふーん、そっスか。まあ、話を受け入れたワケじゃないですけど、気分が変わったんでこのトレーニング、まだ付き合ってあげますよ〜」
「はははっ、ありがとな! さ、もう1セット始めようか!」
「へいへーい」
そうして、またピロウイナーくんはコースに走り出していった。——うん、彼女ならきっと短距離路線のスターになってくれるはずだ。
『……ありがとうございます、ダーレーさん。ピロウイナーさんのことを説得していただいて……。自分が走ろうと思っていた路線を変更するというのは、とても勇気が必要なことですから……』
「おそらく、それもピロウイナーくんの強さなんだろうね。……さて、他の娘のトレーニングも見にいかないと! 次は——」
「——か、会長ッ!!」
そんな中突然、俺たちの指導を受けているひとりのウマ娘が慌ただしく子羊くんのことを叫びながら、飛び込んできた。
『ダーレーさん、ボクが対応します』
うん、わかった。——子羊くんがそう言ったので、すぐに身体を返す。
「どうしたんですか、何かありましたか?」
「フレジュスさんのとこで、なんかバチってるんです! けっこー危ない空気なんで来てください!」
「わかりました、すぐに向かいます」
何やら問題が発生したらしい。子羊くんは、そのウマ娘の話を聞くと、すぐにフレジュスくんがトレーニングしている場所へ向かった。
―――
——子羊くんが現場につくと、そこには特別教室のウマ娘たちが集まっていて、それに対峙するように1人の男性と何人かのウマ娘たちがいた。
特別教室のウマ娘たちは、全員が相手を警戒する素振りを見せていて、どうやら一触即発のような雰囲気が漂っているみたいだった。
「——フレジュスさん、何があったんですか!」
「! セツナさん、いらっしゃったんですか。それがですね、こちらの方々がレーストラックを明け渡すようにおっしゃってくるんです」
「……こんな時間にレーストラックを……? わかりました——こほん、ボクは生徒会長のフューチャーセツナです。あなた方の要望は伺いましたが、今夜のトラックの使用はボクたちが理事長に申請して正式に許可を得ています。申し訳ありませんが、また別の日に申請をして使用してください」
子羊くんは相手の男性(バッジがあるからトレーナーかな?)に対して毅然とした態度で対応する。しかし、その言葉を受けても、相手側は引き下がらなかった。
「なんで生徒会長がここに……。まあいい……使用申請、使用許可って、あの理事長を騙るガキンチョが出すやつだろ? お前らガキの許可なんて、そんなもん必要ねぇよ」
そのトレーナーは非常に癇に障る言葉を言い放つ。薄々気づいてはいたけど、どうやらまともな相手ではないらしい。
「……あなたがどう思っているかは知りませんが、やよいさんは理事長であり、ルールはルールです。お引き取り願います」
「あのさ、なんでキミたち無能集団のために、俺たちが譲歩しなきゃいけないんだ? 揃いも揃って、デビュー戦は勝てず、トレーナーに捨てられるようなやつばかり、なんならスカウトすらされない! あのね、場所も時間も有限なワケ、キミたち無能に使われる場所も時間も一切ないんだよ!」
「んだと、コラぁ!!」
「ま、待ってください! 暴力はダメです!」
あまりにも身勝手な相手の発言に、特別教室のウマ娘たちが身を乗り出す。それを慌てて子羊くんが止めていた。
『……解せんな。これが本当にトレーナーとでも言うのか? コイツ、ただの実力主義者ならまだいいが、酷く自分勝手な物言いをする。たしかにレースの世界は残酷な側面がある。だからといって、走る権利はどのウマ娘にも平等になくてはならないものだというのに』
俺もバイアリーと同意見だ。そんな可能性を摘むような発言、俺には看過できないな。
「ああ、そうだ。お前だけは俺が認めてあげるよ? G1ホープフルステークスを獲ったフューチャーセツナ、お前は見込みがある。少々扱いづらいが、俺のチームに来るなら、ここを使ってもいいさ」
……は? なんだその子羊くんを物としか見ていないような発言は?
「……申し訳ありませんが、ボクにとっては有害無益にしかならないので、お断りさせていただきます。——それと、こちらを無能扱いした発言、今すぐ撤回してください」
……子羊くんも相当に気が立っているな。——特別教室のウマ娘たちを蔑まれたことが、よほど我慢ならなかったのだろうね。
「……有害無益だあ? なに、俺の誘いを断ったくせに、上から物を言うの?」
「彼女たちは、強い。不器用ながらも着実に鍛えられた身体、追い込まれた状況下でも諦めず抗える精神力を備えています。——いずれここの何人ものウマ娘たちが、重賞レースを席巻することになるでしょう」
「はっ、そんなわけねえだろ! 弱えからここにいるんだからな!」
「そうですか。——中央のトレーナーなのに、ウマ娘の素質も分からないんですね? 先の発言を撤回なさるつもりがないなら結構ですが、トレーナーとしては半人前ですね。転職をお勧めします」
「チッ……! ……この、ガキがあッ!!」
「セツナさんッ!」
「「「会長ッ!?」」」
——バキッ、という痛々しい打撃音とともに、子羊くんの身体が後ろに吹き飛ぶ。
子羊くんの煽りを受けて、その男は我慢の限界に達したのか、子羊くんの右頬を強く殴り飛ばしたんだ。
『子羊くんッ!!』
『セツナちゃん!?』
『くっ、あいつッ!』
特別教室のウマ娘たちが、倒れた子羊くんを守るようにして、周りを固める。
「てめえッ! 会長を殴りやがったなッ! ならこっちもただじゃ済まさねえぞ!」
「へぇ、いいのか? ウマ娘の暴力行為は罪が重いぞ? レースへの出禁……いや、退学処分で済めばまだ軽い方か? くくっ……それに、俺が手を出したという証拠もない」
「——やめてください、みなさんッ!」
「ッ……! か、会長……!」
殴られた子羊くんは揺れるように起き上がると、再びあの男と対峙した。
「……殴ってくれて良かったです。これでようやくボクはあなたの扱いを決められました……。——いいか、お前のようなやつを道連れにできるなら、ボクは刑罰だって受け入れてやる」
「っ! なんだその目は……!」
俺には見えないから、その男が子羊くんのどんな目を見たかは分からない。けど、男は明らかに足がすくみ、身体が震えていた。
「……その覚悟がないなら、今すぐボクの目の前から消えてください」
……初めて聞いた。あの滅多に怒らないゴドルが昔一度だけ激怒したあの時のような——それは子羊くんから出たとは思えないほど、恐ろしく底冷えした声だった。
「…………ちっ! こんな奴らといると、無能が感染る! いくぞ!」
そうして、男はこれ以上は身の危険を感じたのか、最後はあまりにも狭量な捨て台詞を吐きながら、ウマ娘たちを引き連れて去っていった。
―――
その後、子羊くんが力が抜けたかのようにターフに座り込むと、特別教室のウマ娘たちが子羊くんを心配して集まってきた。
「か、会長、血出てるッ!」
「……ああ、殴られたときに口の中を切っちゃいましたか。ごめんなさい、すぐ拭きますね」
「ウチが拭くから、会長はじっとしてなって……! ああ、ほっぺがこんなにも腫れて……誰か、冷やしたタオル持ってきて!」
「私が用意します、みなさんはセツナさんを!」
——こういうとき、俺たちは実体を持たないから、子羊くんに対して何もできないのが歯痒い。
『しかし、ダーレー、ゴドル。セツナに危害を加えた輩が現れた……これは重大な一件だ。あのような輩は以前から警戒はしていたが、心のどこかでウマ娘のことを想っているのではないかという希望的観測があった。——しかし、今回の件で真に理解した。彼らがウマ娘のことをどう思っているかを』
『……今後は、情けは必要なさそうね。ウマ娘のことを大切に想うセツナちゃんを確実に守るためにも、今回みたいなことはあってはならないから』
『いざとなったら、子羊くんの身体を強引に奪ってでも守ろう。子羊くんは自分に無頓着すぎるからな。……どうやらすべてのウマ娘たちの権利——それが当たり前になるようにすることさえ、困難な道のりになりそうだ……』
この国のレース界、それがここまで腐っているとは思わなかった。上から下まで、広く歪んだ差別意識のようなものが蔓延っている、それが現状みたいだ。
——やよいくんや子羊くんがやろうとしていること、これは途方もないことだ。けど、だからといって、このような思いをしてしまうウマ娘を増やさないためにも、先延ばしにはできない。
俺たちが子羊くんと共にある意味、そして何ができるかを考えるんだ。
やつらはきっとまた、自分たちにとって都合のいいトレセン学園を変えようとしている、そんな子羊くんに何かを仕掛けてくる。だから、次は絶対に守ってみせると、俺たちは心に誓った。