セツナ視点ですが、一部別視点があります。
「——私の名前は、メジロモンスニー。今はこのような体たらくですが、一応メジロ家のウマ娘なんです」
あまりの衝撃的な内容に、ボクたちは固まってしまう。ふ、フレジュスさんがメジロ家のウマ娘だったなんて……! けど、これで一気に全ての疑問に合点がいった。
フレジュスさんにラモーヌさんが声をかけたこと。
そして、ラモーヌさんがそのフレジュスさんを“おねえさま”と呼んだこと。
それに、フレジュスさんの潜在能力が生粋のステイヤーだったということ。
——メジロ家といえば、ルドルフやシリウスたちのシンボリ家と並んで、昔から日本のレースに多大なる貢献をしてきた名家だ。数多の有力ウマ娘を輩出し、レース界に名を轟かせ続けていて、レース関係者で知らない者はほとんどいないだろう。
——けど、その上でだ。それほど誇りあるメジロの名前を今まで隠していたフレジュス……いや、モンスニーさん。
ということは、モンスニーさんにとって、それほどまでのことをしなければならないような理由が何かあったということだろう。
「……皆さんは、きっと何か大きな理由があって私が名前を偽っていたとお考えでしょう。けれど、実際はそう大した理由ではありません。——私はメジロの家の使命から逃げただけの……ただの臆病者なのです」
「!」
「……あら」
ボクたちの思考を呼んだかのように、モンスニーさんがそう告げる。メジロ家の使命から逃げた……? 一体モンスニーさんの過去に何が——。
「モンスニーさん、あなたの過去に何があったのか、教えてくれますか……?」
「ええ、構いません。少々長くなりますが——」
―――
「——私はメジロ家のウマ娘として生まれ、歴代のメジロのウマ娘に違わず、レースの世界を志しました。そんなある日、幼少の頃からトレーニングに打ち込み続けてきた私のメジロ家独自の身体能力測定の結果を見て、大人たちが騒ついていたのです」
「そしてその後、メジロのおばあさまに呼び出され、私の使命が決まりました。——私には類稀なステイヤーの才能がある。天皇賞・春にてメジロ家初の盾の栄誉が得られるかもしれない、と」
「——なるほどな、だからモンスニーはさっきセツナにステイヤーの適性があるって聞いたとき、やはりって言ったのか」
「ええ。……そのときは私はただ嬉しかったです。私も映えあるメジロ家の栄光を築く一員になれる——そう思えば、日々のトレーニングも苦ではありませんでした。それから私は、順調に、着実に力を伸ばし続けてきましたが、そこで——とある不幸に見舞われてしまったのです」
「まさか、それが……!」
「……そのまさかです。私はトレーニングで走っている最中に足の指に違和感を覚えました。最初は気のせいだと思ってそのまま走り続けていました。しかし、数分後にはその違和感が激痛に変わってその場に立っていることもままならなくなりました」
「——指骨の骨折……全治半年でした。それだけならよかったですが、その時主治医に言われたことは今でも覚えています——『モンスニー様は足趾の骨が一般的なウマ娘と比べて非常に脆く、激しいトレーニングに耐えられるものではないです。ましてや、レースの長距離走は確実に骨折を引き起こします』——と」
「!?」
「そ、それって……つまりモンスニーは長距離の適性があるのに、長距離を走ることができないの……!? そんなのあんまりだよ……!」
モンスニーさんのとんでもない告白に驚くエースとピロウイナー。——ボクはなんとなく気づいていた。選抜レース後も、ホープフルステークス後も、皐月賞後も、モンスニーさんは脚を庇うような素振りを見せていたから。何か不都合があって全力が出せていないだろうという読みがあった。
「……今まで中央ではこの体質を隠し通してきましたが、先日ついに私の元トレーナーにもこの体質が露呈して契約を解消されましたよ。常に脚部不安を抱えるウマ娘は管理できない、と」
「そんな……」
それはボクも味わったことのある、この中央では当たり前になってしまっている空気感……。ボクやモンスニーさんのような身体に問題を抱えているウマ娘は、健康の都合上トレーニング計画やレースローテーションを綿密に構築する必要がある。しかも、健常なウマ娘と比べて満足にトレーニングを行えないため、能力で劣りがちになってしまう。
ボクたちのトレーナーさんのような、その手間を被ってでも担当したいというトレーナーは、正直——今の中央にはほとんどいないだろう。
「——そんな先天性のこの体質に主治医は、負担の軽減はできても完治は不可能と言いました。——それでも、私はまだ諦めていませんでした。長距離は無理でも、中距離なら私の脚は耐えられますし、中距離レースでも、充分にメジロの威光を示すことができます。ですから、私は脚が負荷に耐えられる最大限のトレーニングを行ってきました」
たしかに、モンスニーさんはステイヤーの素質が強いとはいえ、中距離でも一線級のウマ娘だ。
「ですが、中央トレセン学園に入学する一年ほど前——適性が長距離だとか中距離だとか、私の足趾の脆さだとか、もはやそんなものは全て関係なかったのだと、思い知らされる出来事がありました」
「全く関係なかった……?」
「ええ、とある練習場で私はこの目で見てしまったのです。私の同期、もしくは後輩となる3人のウマ娘——皆さんには言わずもがなのミスターシービー。シンボリ家の傑物であるシンボリルドルフ。そして“メジロの至宝”メジロラモーヌ……あなたたちの次元の違う走りを」
「……——」
「……あたしたちとラモーヌは今初めて会ったばかりだし、ルドルフの走りもまだ知らねえ。けど、モンスニーがそう言うってことは、きっとラモーヌたちもすげえんだろうな。あのシービーのように」
「ええ——私は本能で悟ってしまいました。あのウマ娘たちには勝てない。少なくとも私の
「モンスニーさん……」
「私が出走しても、その3人には負けてしまう。——メジロの名を確実に汚してしまうと悟った私の心にはもう何も残っていませんでした……」
「! そんなことは……」
「エースさん……あなたは、私のようにシービーさんの走りに思うところがあったようですが——私はもう既に入学前から味わっていたのです。他者の脚を竦ませ、心を折る……神から賜った天賦の才を持つものたちの走りを」
「ッ……!」
「どうせ勝てないのなら、せめてメジロの名前だけは汚したくなかった。それに私が活躍できずとも、後ろにはラモーヌがいる……ラモーヌであれば、確実にメジロの名に相応しい結果を残してくれる……。——ですから、私はメジロのおばあさまに切願して名前を変え、家を出ることにさせていただいたのです」
「……——そう、でしたのね。おねえさまがそこまで思い詰めていらしたなんて存じ上げませんでしたわ」
「……そういうことですからラモーヌ、あなたは私と関わるべきではない。あなたはメジロ家に華々しい栄光をもたらす——「——つまらない」——え?」
モンスニーさんがそこまで話したとき、今まで静かに話を聞いていたラモーヌさんが芯の通った凛とした声でモンスニーさんの話を遮った。
「聞こえなかったの? つまらない、と申し上げたのよ。——先ほどまで、おねえさまは口を開けば、家、家、家、と。メジロ家のウマ娘には使命や役目がある。否定はしないわ。けれど——見栄っぱり」
「な、何が言いたいのですか……?」
「何故おねえさまは、名前を変えてまでここにいるの? 本当に諦めていらっしゃるのなら、より遠くへ逃げてしまえば良かったのに」
「そ、それは……」
——たしかに、どうしてモンスニーさんは名前を変えて自分を偽ってまで、この中央の舞台でG1タイトルを目指してきたのだろう……?
いや——それは、何度シービーの走りに圧倒されても……この特別教室に夜遅くまで参加してでも……諦めたくないアツい想いがモンスニーさんの中にあるからに決まってるじゃないか!
「——モンスニーさん、気づいてください! あなたは頭では無理だと思っていても、心はまだ諦めていない!」
「そうだよ、モンスニー、思い出してよ! あっしをこの特別教室に誘ってくれたのはモンスニーでしょ! あっしが知らなかったこの集まりを知ってたってことは、それだけレースにかける想いが本気ってことだよ!!」
「ふたりの言う通りだ! モンスニー、おまえ本当はレースを走りたいんじゃねえのか!! 走る前から結果を決めつけてしまうんじゃなくて、自分の脚で最後まで戦い抜きたいんじゃねえのかよ!!」
「セツナさん、ピロウイナー、エースさん…………——私だって! 私だって走れるなら走りたいですよ!! 血反吐を吐くまで練習して、あの飄々としたミスターシービーに吠え面をかかせたい!! フューチャーセツナやカツラギエースの先を走りたい!! スプリンターの才があるピロウイナーのように長距離が私の舞台だと言わせたい!! 今メジロ家はラモーヌだけじゃないことを見せつけたい!! 私が強いことをレース界に知らしめたい!!」
「……——ふ」
「……言えんじゃねえか、モンスニー。やっぱそれがお前の本当の気持ちってことだろ」
「——でも、これらは絵空事でしかない!! 私の想いに、この脚は耐えられない……!! 所詮、私は神に挑戦する権利すら与えられなかったウマ娘なのです……!」
たしかに、モンスニーさんは残酷な運命を背負っている。足趾の不安から、シービーに勝つために必要なトレーニング強度を上げられず、自分に適性があると言われている長距離を走ることすらできない。
「……ですから、私は先ほどセツナさん——三女神様にステイヤーの素質があると改めておっしゃられたとき、覚悟を決めたのです。——わたしは必ず春の天皇賞に出ます。たとえ、足趾の骨が砕け散って二度と走れなくなろうとも、この脚をただ一度の勝利に捧げてみせます」
「! おい、何言って——」
モンスニーさんの覚悟は、あまりにも悲壮的だった。どうせ脚が耐えられないのなら、その一回に全てを賭けてしまえばいい、と。
『——モンスニーくんの覚悟は受け取った。けど、今は彼女たちを預かる指導者として……そして同じウマ娘として——俺たちはそんなことを許すわけにはいかない。わかっているね、子羊くん』
ええ、もちろんです、ダーレーさん。たしかにボクは、モンスニーさんに長距離レースへの出走を提案するようなことを言った。——けど、ボクはモンスニーさんの問題を察しながら、可能性のない話をする——そんな無責任なことは絶対にしない。
「——そんなことはさせません、モンスニーさん!」
「セ、セツナ!?」
「ッ……セツナさん、あなたたちが言ったんですよ。私のことをステイヤーと。——止めても無駄です。私は、私の本心に従って絶対に春の天皇賞を走ります……! 誰に何を言われようとも、もう私は決めたんです!!」
「——大丈夫です。ボクは、そのためにモンスニーさんに声をかけたんですから」
「お、おい、それじゃあつまりモンスニーが二度と走れなくなってもいいってことかよ!?」
「違うよ、エース。モンスニーさんに全力で長距離レースを走ってもらう——けど、足趾も守るんだ」
「——は……? な、何を……? ——セツナさん、私の話を聞いていましたか……? メジロ家が誇る主治医が診ても、どうにもならなかったのですよ! ふざけるのも大概にしてください!」
「いえ、ボクはいたって大真面目です。——ウマ娘の脚は総じて出力の割に脆く、それを保護する手段は古来より様々な方たちが研究してきました。……モンスニーさん、本当に全ての可能性を試されましたか?」
「——そうか! 脚って言やぁ、ひょっとしてセツナ……!」
「エースも思い当たったみたいだね……! そう、今のモンスニーさんを救う鍵はウマ娘の脚を護る保護具——蹄鉄にあります!」
「!!」
——ウマ娘の脚はときに“第二の心臓”と呼ばれるほど重要な部位だ。その脚を構成する中でも、特に先端にある足趾と爪——この部分はウマ娘が全力をもって発揮する出力に見合っていないほど脆く、ウマ娘レースの歴史を紐解いても頻繁に故障が発生している。
そんなレースを走るウマ娘の脚への負担を、最大限まで軽くしてくれるのがレースシューズであり、それに装着する蹄鉄が何よりも大事だ。
「て、蹄鉄、ですか……。たしかに私はあまり拘ってはいません……。メジロ家御抱えの蹄鉄師の腕は確かですので、それを使っていれば特に問題はないかと思いまして……」
「偏に蹄鉄といっても、その姿はウマ娘によって千差万別です。踏みしめ方によって前後の金属の厚さはミリ単位で変わりますし、金属の配合の割合もウマ娘によって変わってきます。——きっとモンスニーさんのその脚の状態に最大限合わせた蹄鉄も作れるはずです」
「……! やけに詳しいのですね、セツナさん……?」
「——あっ、そっか、そういえば。いや、あっしもさっき聞いたんだけど、旦那、実は蹄鉄師の娘なんだってさ」
「セ、セツナさんが蹄鉄師の娘……!?」
——ボクには、心から信頼しているものがいくつかある。その中に、おじいちゃんやお父さんの蹄鉄を作る技術がある。
「ボクの家は、代々蹄鉄師をやっていたんです。それで、その蹄鉄が——」
——ボクとエースは知っている。ボクたちが初めて蹄鉄を装着して走ったあの時、おじいちゃんが打ってくれた蹄鉄がただの蹄鉄じゃなかったということを。
おじいちゃんの蹄鉄は、力強く踏み込んでも脚が痛むことはなく、逆に安定してその力を推進力に変えられることでただ走るだけでも爽快な気持ちになれた。——それは市販の汎用的な蹄鉄では感じることができなかったものだった。
特にボクの走行フォームは脚で地面を貫くような、脚部の負担ををまるで考慮していない向こう見ずな走りをしているから、おじいちゃんの蹄鉄がなければ、ボクの脚もいずれ大変なことになっていたかもしれない。
それだけに、おじいちゃんたちの技術は並のものではないと悟った。ボクたちにとっては、これ以上の蹄鉄に出会えたことがないくらいには。
だからこそ、その技術は必ずモンスニーさんの力になる。
そして、おじいちゃんが亡くなってから——あの走れなかった時期に、その技を体得するため、ボクはお父さんに頼み込んで教えを乞い、修行していた。
まだカンペキとは言えないかもしれないけど……それでもお父さんやエースにお墨付きを貰ったくらいにはボクも蹄鉄を打つことができるようになった。
「——ですから、三女神様が分析したモンスニーさんの走行データと、おじいちゃんとお父さんから受け継いだ技術で、絶対にモンスニーさんに最適な蹄鉄を打ってみせます。最後の手段に出るのは、それを試してみてからでも遅くはないと思います……!」
「……セツナさんとエースさんを中央の地へ送り届けたという蹄鉄……。たしかにおふたりの戦績を見ても、その蹄鉄が生半可なものではないことは分かります」
「ああ、あたしたちが幼少期から強くなるために長時間トレーニングしてこれたのは、正直この蹄鉄のおかげなんだ。だから、今まであたしたちは全く脚の心配をせずにここまで来てる——それほどってことだぜ」
あまりにも突然やってきた新たな可能性に、モンスニーさんは固まっていた。やがて状況を飲み込んだのか、戸惑いながらも口を開いた。
「——わ、私はまた全力で走れるようになるのですか……? この話が幻想ではないと、信じてもいいのですか……?」
「任せてください! 絶対にモンスニーさんが無事に春の天皇賞を走り切れる——そんな蹄鉄を打ってみせますから!」
「セツナさん……」
「——モンスニーさんのこと、“神”は見捨てていませんよ。だってここにいる三女神様たちは、モンスニーさんの今までの努力と熱意をちゃんと知っていますから。その想いに必ず報います」
「……!」
そうだ、少なくとも三女神様は絶対モンスニーさんの味方だ。そうモンスニーさんに伝えると、一瞬雰囲気が明るくなった気がしたけど、何か思い当たることがあったのかまたすぐに顔を曇らせてしまった。
「……いえ、やはりダメです。希望を見せていただいて一瞬頭から抜けていましたが、そもそも特別教室にいる私たちにはトレーナーがいないという根本的な問題があります。私たちを担当してくださるトレーナーが他に現れるかどうか——」
「——話は聞かせていただきましたよ!」
そんな、ボクたちがモンスニーさんの吐露を聞いていたその時、更なる人物がボクたちの元へ駆けつけてきた。
「「と、トレーナーさん!?」」
そう、ボクたちに声をかけたのは、我らが担当トレーナーの南坂トレーナーだった。
いつにも増してやる気に満ち溢れている様子のトレーナーさんは、すごく真剣な表情をしていた。
「エースさんとセツナさんのトレーナーですか。——直接お話しするのは初めてですね」
「……ど、どうもです」
そんなトレーナーさんの急な登場に、モンスニーさんとピロウイナーは距離感を掴みかねているようだった。ふたりは一度別のトレーナーに裏切られているようなものだから、無理もないのかもしれない。
「盗み聞きのようなことをして申し訳ありません。シイナフレジュスさん……いえ、メジロモンスニーさん。ですが、内容が内容であったためひとりのトレーナーとして聞き逃すことができませんでした」
「モンスニーさん、ピロウイナーさん。同じトレーナーとして、あなたたちの元トレーナーの仕打ちを謝らせてください。自分の都合で身勝手に契約を解消するなんて、そんなことあっていいはずがないです。本当に申し訳ありませんでした」
トレーナーさんはそう言うと、ふたりに向かって深く頭を下げた。
トレーナーさん、ピロウイナーのことも知ってたんだ。——そういえば、ボクがピロウイナーと話していたとき、隣にトレーナーさんいたもんね……。そりゃ、あの距離じゃその気がなくても勝手に聞こえちゃうか。優しいトレーナーさんが聞き流せる内容でもなかったし。
「いえ、私に関してはこの持病を隠していたこともありますし、私自身にも非が……」
「それは違います! そもそも、持病を隠さないといけない空気感を作っているトレーナー陣に問題があるのです。それがあったとしてもモンスニーさん、そしてピロウイナーさんは充分に強いウマ娘なんですから」
「……なんというか、カノープスの皆さんは似ていますね。皆さん本当に真っ直ぐで……綺麗な目をしています」
「——そして、だからこそこの提案をさせてください!」
「て、提案……?」
「……メジロモンスニーさん、ニホンピロウイナーさん、おふたりさえよければ、チームカノープスへスカウトさせていただきたいです!」
「「えっ!?」」
「「!?」」
そんなトレーナーさんが放ったのは、予想だにしなかった内容だった。
「「ええーーーっ!!!」」
ボクとエースは揃って目を見開いて驚く。トレーナーさんが、ふたりをスカウトするって!? で、でも、たしかにトレーナーさんの育成方針なら……!?
「そ、それは……もはや選り好みをしてはいられない私たちにとっては、まさに渡りに船といいますか、断る理由はありませんが……」
「……だ、旦那のトレーナーだから、悪いようにはしないだろうけど……そ、それなら……絶対にあっしたちを見限らないようなそんな理由がないと安心できないかも……。ま、また途中で見捨てられるのはもう耐えられないし……」
モンスニーさんとピロウイナーは、正直自分に後がないことが分かっているから、トレーナーさんの提案に肯定的ではあった。けど、ピロウイナーの方はだからといって無条件にすんなり受け入れるとはいかないようだった。
「もちろんです! 理由もなくスカウトはしません! 理由の説明なんですが——おふたりはセツナさんの身体のことはご存知ですか?」
「旦那の身体……?」
「……私たちをスカウトする理由に、セツナさんが関係あるのですか?」
「ええ。——言ってしまえば、おふたりはセツナさんの境遇と似ています。モンスニーさんは特に」
それから、トレーナーさんはモンスニーさんとピロウイナーに、ボクの身体のことも交えながら自分の教育方針の話をした。
トレーナーさんは、ただ強いウマ娘を育てるのではなく、ケガや病気を起こすことなく長い間走り続けられるウマ娘を育てることが自分のポリシーであること。
ボクの身体には心肺機能に異常があり、徹底したトレーニング・ローテーション管理が必要で、そのケアを行なっているのがトレーナーさんだということ。
ボクやモンスニーさんのような、怪我や病気で無力のまま夢破れるようなウマ娘を増やさないためにトレーナーをしていることを語った。
「——ちょ、ちょっと待ってよ! そ、それ、ものすごく重要な話してるじゃん! 旦那、なんでさっき言ってくれなかったの!?」
「まさか……セツナさんにそのような事情が……。なぜ、あなたのような有力なウマ娘が皐月賞を走らなかったのか、ずっと疑問に思っていました。ですが、そういうことだったのですね……」
「か、隠してはいないんだけどね? わざわざ、言いふらして回るようなことでもないし……。でも、だからこそ、トレーナーさんの医学の知識は本当に信頼できるよ。トレーナーさんがふたりを担当してくれるなら、ボクもすごく安心できる」
「だな。田舎から来たあたしたちが、中央の舞台でやっていけてるのも、トレーナーさんのおかげだぜ。——トレーナーさんなら、絶対ふたりの夢を最大限に後押ししてくれるはずさ」
「せ、セツナさん、エースさん……!」
トレーナーさんなら、ふたりを安心して任せられる。トレーナーさんの負担は増えちゃうけど、さっき頼ってほしいって言われたばかりだしね。
——それに、トレーナーさんは意外と夢追人なところがある。そして、ウマ娘の不幸を一緒に悲しんで解決できるまで寄り添ってくれる優しさもあるんだ。
ボクたちは、中央トレーナーのことはほとんどトレーナーさんのことしか知らないけど、今のふたりにトレーナーさんほど適切な人はいないと思う。
「——で、でも、そういう意味なら、あっしに身体の不調はないスよ……? モンスニーは分かるけど、なんであっしもスカウトされるの……?」
「それは……理由はもちろんあります! しかし、今この場で言うのは憚られるといいますか……」
「な、なんで……? 理由が言えないってことは、やっぱりあっしを試すだけ試してみて、使えなかったら……!」
「そ、そんなことは絶対にしません!! ですが……」
ピロウイナーは自分がスカウトされる理由が分からないようだった。けど、ボクには分かってしまった。トレーナーがなぜピロウイナーもスカウトしたのか。
たしかに、ピロウイナーは“身体”に不調はない。トレーナーさんの育成方針とは噛み合ってないように見える。
でも、不調っていうのは身体にだけ現れるものじゃないって知ったんだ。
——ボクはさりげなくピロウイナーの隣へ行って手を握ると、トレーナーさんにこう告げた。
「トレーナーさん、ピロウイナーをスカウトする理由、話してみて。今のピロウイナーには、どんな内容であってもその理由を聞いておくことが大事だから。——いいかな、ピロウイナー?」
「旦那……うん。たとえどんな内容でも、あっしを担当してくれる理由があるなら、ちゃんと聞いておきたい。——教えてほしい、です」
「……たしかに、その方が、ピロウイナーさんのためになりそうですね。ピロウイナーさんにとっては、あまり快い内容ではないですが、それでも大丈夫ですか?」
「……覚悟はできてます」
「分かりました。……その理由ですが——ピロウイナーさんは今、心の不調を抱えています」
「ココロ、の不調……?」
「心的外傷——いわゆるトラウマです。あなたは、先日元々余裕のなかった皐月賞で味わったことのない大敗を喫した直後に、件のトレーナーに心無いことを言われて契約を強制解消されました。そんな短期間に、強いストレスが何度も加わったことによって、本来のあなたの素晴らしい走りに自信が持てなくなり、あなたの成長を著しく阻害しています」
「ッ……! そ、それは……」
あえてピロウイナーに全てを知ってもらうために、トレーナーさんが放った遠慮のない内容。それを聞いたピロウイナーは身体を強張らせた。
せめて少しでも不安を和らげてほしいと、ボクはピロウイナーを安心させるために手を握り続けた。
「——そんなピロウイナーさんに今必要なものは、信頼できる存在です。そして、それはお互いを分かち合い、高め合える“友”でもあります。そういった意味ではセツナさんにエースさん、そしてもしスカウトを受けてくださるならモンスニーさんも加わるこのチームこそ、あなたにとって最適なトレーニング環境になるはずです」
「……たしかに旦那たちと一緒なら、安心できてる。自信も、ちょっとずつ取り戻してきてる気がする。——なるほど……そ、そういうことなら、あっしも喜んでお世話になりたいです」
「——ですが、エースさんとセツナさんはよろしいのですか? チームの人数が増えるということは、その分トレーナーが一人当たりに割ける時間も少なくなりますよ……?」
どうやらモンスニーさんは、トレーナーさんが追加でふたりを担当することでボクたちに使える時間が減ることを危惧しているみたいだった。けど、それに応えたのはエースの即答だった。
「そんなの決まってるさ! あたしとしては、ピロウイナーとモンスニーさんがカノープスに来てくれたら、めちゃくちゃ嬉しいぜ! そしたら、一緒にトレーニングや併走できる時間も増えて絶対楽しくなるだろうし、何より強くなれる気がするしな!」
「そうだね。ボクたち全員で高め合えばきっとシービーにだって届くはずだよ。だからやろうよ、ふたりとも!」
「——見ての通り、セツナさんとエースさんは超がつくほどのお人好しですからね。むしろ、おふたりが受けてくださることで調子がよくなるウマ娘なんですよ」
「……分かりました。でしたら、もう悩む理由はありませんね。——此度のスカウト、喜んで受け入れさせていただきます、トレーナーさん」
「あ、あっしも……! よ、よろしくお願いします……!」
そうしてついに、モンスニーさんとピロウイナーはトレーナーさんが差し出していた手を取った。それにしても、まさか本当にトレーナーさんがふたりを担当してくれるなんて!
——ちょうど1年前のこの時期に、ボクたちとトレーナーさんは出会った。今のこの光景はその時のことが思い出されるようで、なんだか感慨深い。
「やったあ! 新生カノープスの始まりだね! ふたりを受け入れてくれてありがとう、トレーナーさん!」
「私としても聞こえてしまった以上、見過ごせませんでしたからね。——それではセツナさん、モンスニーさんの足趾のこと、よろしくお願いします」
「任せて! トレーナーさんの想いは、絶対に無駄にしないよ!」
今後の展望がはっきりしてきて、ボクは自信たっぷりにトレーナーさんに頷く。そんな中、エースが何かを探すように周囲を見回していた。
「——って、あれ? ラモーヌはどこいったんだ?」
「! そういえばいなくなってるね……!」
ボクたちが気がついたときには、ラモーヌさんはいなくなっていた。
「……ッ!」
「あっ、モンスニー!」
すると、エースのその発言を聞いたモンスニーさんが何かに駆られたようにレーストラックを飛び出していってしまった——。
―――
音もなくあの場を後にしていたラモーヌを、衝動的に追いかけます。どうしてこんなことをしているのか、自分でもよく分かっていません。私とラモーヌは、私から壁を作って接触することを避けていましたというのに。
「——ラモーヌ、待ってください!!」
ウマ娘の走力で、なんとか美浦寮へ向かおうとしていたラモーヌに追いつきました。ラモーヌは私の声に反応して、歩みを止めてこちらに振り返ります。私を射抜くその目は、メジロモンスニーというウマ娘を全て見透かしていそうなほど、透徹していました。
「……あなたのような孤高のウマ娘が、何故私のところへ赴いてまで鼓舞するような真似をしたのですか……? 正直、私はあなたをいつも妬んでいました。好く思われるようなことは何一つなかったはずです」
「——おねえさまのことを私がどう思うかなんて、私の勝手。相も変わらず、おねえさまは偏重ですわね」
私はラモーヌの行動の意図が分からず、ただただ怖かったです。己が過去にラモーヌをその嫉妬心から邪険に扱ってきたことは自分でもよく分かっています。
「わたしには……! っ……あなたに『おねえさま』と呼ばれる資格はない……。メジロの家に不義理を働いた愚か者なのですから……」
「……何度も言わせないで頂戴。独りよがりですのよ、おねえさまは。——私にも幼少期に脚部不安で走れない時期がありましたわ。その時は、おねえさまが大地を跳ねるのを、瞳が焼かれるほどにただ眺めるだけでしたわ。だからこそ、今のおねえさまの気持ちを察せられないわけではないの……」
「ラモーヌ……」
ラモーヌにしては、珍しく多くを語った気がします。たしかに、ラモーヌはまだ小学生にもなっていなかった頃、脚の不調で走れない時期がありました。そして、私のトレーニングしている姿を見て、悔しそうにしていたのもよく覚えています。
「私も元々は平凡な子どもでしたわ。——けれど、おねえさまが畏れるほどに強くなったのよ。誰よりも求めて、誰よりもレースを愛していますから」
……知っています。ラモーヌが血の滲むような努力の末に再び走れるようになり、その才能を開花させたこと。だからこそ、努力もできるラモーヌに劣等感を覚え、自分も対抗してがむしゃらにトレーニングしたことも。
「ただ——私に対するおねえさまの執念とも言える“愛”は結構ですけれど、その脚を捧げるのはいただけませんわ。——私は愉しみにしていますの。おねえさまの、速く逞しい走りが復活することを、ね」
——え? 今、ラモーヌは何と言いましたか? レースへの愛を四六時中捧げているウマ娘が、私のようなウマ娘の走りを愉しみにしている?
「は、はあああ……!? あ、あなたが、私の走りを愉しみにしているですって……!?」
「そろそろ覚醒なさって? ——私に愛嬌が無いのは自覚していますわ。けれど、今まで聞いてくださらなかったおねえさまの“妹”からのお願いごと……受け入れてくださる?」
まさか、あのラモーヌが私の走りをこれほど評価してくれているとは、知りませんでした。——いや、もしかするとただ私が勝手に勘違いをしていただけなのかもしれません。
ラモーヌは普段の立ち振る舞いとその実力から浮世離れした存在に見えますが、その実、かなり人間らしい部分が多いです。
昔、一緒に模擬レースをして私に負けたときには本当に悔しそうにしていましたし、シンボリ家の尊敬する“あのお方”を目を輝かせて応援していたことだってありました。
——ようやく私は気づきました。要するに、ラモーヌは私の走りを望んでいます。
私が勝手に“ラモーヌはメジロモンスニーのことなど眼中にないだろう”と思っていただけで、本当はずっと私のことを心配してくれていたのです。
「……ありがとう、ございます、ラモーヌ。……私は、あなたのことを誤解していました。あなたにここまでされたからには、必ず見せます。私の——あなたの姉たる走りを」
「——ふ。私はおねえさまの本心を詳らかにしただけ……もう言葉は必要ありませんわね。それでは、ご機嫌よう」
そう言ってラモーヌは再び歩き出しました。しかし、数歩ほど進むと何かを思い出したかのように止まったのです。
「もう言葉は必要ない、と言ったけれど、最後にこれだけは伝えておきますわ。——おねえさまの帰りをずっと待っておられる方がいる——その意味、お分かりですわね?」
「——!!」
そして、ラモーヌはこちらに振り返りもせず、最後の言葉を残すと、今度こそ去っていきました。
私の帰りを待っておられる方……いや、これだけの我儘を通しているんです、今はまだその時ではないことは分かっています。
——ですが、私がその名に相応しい結果を残せたときには、必ず……!