モンスニー視点です。
セツナさんが深く息を吐いたあと、工房内の雰囲気が一変しました。瞳の色が変わっています。きっと例のトランスを使っているのでしょう。
セツナさんは一本の鉄桿を火箸で挟んで炉で熱すると、その両端を水で冷やしたあと、槌を振るい始めました。
「金槌の叩く音が心地いいなあ……!」
隣にいたピロウイナーが、ふとそんな言葉を漏らしました。
「綺麗でしょう、セツナの鉄を打つ姿は」
それに反応したのはセツナさんの父君でした。
「……素人目にも分かります。あれはまごう事なき職人技ですね」
私は父君にありのままに思ったことを口にしました。
「私が私の父の元で十年以上かけて修行して体得したことを、あの子は“ものの数年”で身につけました」
「す、数年で……! セツナさんは、将来的には蹄鉄師になられるおつもりなのでしょうか?」
トレーナーさんが父君にそう問いかけます。
「そうだと思います。この蹄鉄師としての技術は、私の父——セツナにとっての祖父の形見とも言えるようなものですから。私の後継は、きっとセツナになるでしょうね」
「なるほど……セツナさんでしたら、きっと最高の蹄鉄師になれるでしょう」
そんなトレーナーさんの反応を受けた父君は、娘を褒められたにも関わらずあまり浮かない顔をしていました。
「——セツナの親父さん、分かってます。あたしたちカノープスの元にいたら大丈夫です。セツナが暴走しないようにいつも見張ってますから」
そこで何かを察したかのように、突然口を開いたのはエースさんでした。
「! エースちゃん、私はそんなつもりは……いや、違うな。——カノープスの皆さんには……私の口からもきちんとお話ししておくべきでしょう」
「? ——私たちに、ですか?」
セツナさんの父君の話を受けて、どうやらエースさんとトレーナーさんは何か思うところがある様子でしたが、まだカノープスに入って日の浅い私には、いまいちピンときていませんでした。
「……セツナは我が娘ながら、とても賢いウマ娘だと思います。病という不運に見舞われながらも、自己管理はきちんとしているし、今のように他者を慮る余裕もあります」
「たしかに、旦那ほど芯がしっかりしてるウマ娘は滅多にいないっスね……」
「ただ、それは表面上の話だと私は思っています。……もしかしたらもうすでに心当たりがあるかもしれませんが、セツナは無意識にその枷を外します」
「と、いいますと……?」
「それはレースが関わるときに顕著です。セツナは本当に走るのが大好きなウマ娘なんですが、きっと身体の影響で走れないストレスが知らないうちに溜まっているんだと思います。あの子は実際に身体そのものが悲鳴を上げるまで動き続けます。そして本人はそれに気づいていないんです……」
「あーーーー……それは——たしかに心当たりがありすぎるぜ……」
「——マルゼンスキーさんとの一件……サガスさんとの一件……それに、ホープフルステークスで私の把握していない走法を行ったのもそうですね……」
「……セツナも頭では無理ができないことは理解しているはずなんです。しかし、自分の譲れないことには限界以上に取り組んでしまいます。——この蹄鉄鍛冶もそうでした。あの子が再び走れなくなってしまったあのとき、父の技術でエースちゃんを支えたいというその一心だけで、ひたすらに蹄鉄師としての修行に打ち込み、数年で一人前と呼べるほどの実力をつけました」
「——ピロウイナーとモンスニーも薄々理解してきたかもしれないけどよ、要するにセツナは重度のレースバカなんだ。心の底からレースという生きがいを楽しんでるウマ娘だからな、そのためなら文字通りなんでもやっちまうんだ」
「ははは、レースバカ、か……たしかに、言い得て妙かもしれないね、エースちゃん」
「あ、いや……言い方が悪かったです。すみません」
「ううん、大丈夫。こう言っちゃなんだけど、その評価は正確だと思うよ。——とまあ、セツナはとても努力家ではあるのですが、そんなあの子のレースへの執着ともいえる取り組みはどこか危うく感じてしまうんです。親としては、セツナに不自由を強いてきた身ですから、できることはなんでもさせてあげたい——ただ、だからといってこのまま何も考えずにやらせていると、また無茶をしそうで……私はどうしたらいいのか……」
なるほど、父君が浮かない顔をしていた理由がなんとなく分かった気がします。私が思っている以上に、セツナさんはレースに一途すぎるみたいです。見ている側が心配になるほどに物事に打ち込んでしまう。
私とピロウイナーは、まだセツナさんとの接点が少ないのでフューチャーセツナというウマ娘を把握しきれていません。——しかしながら……思えば誰であっても、トレセン学園の生徒会長になって、はぐれ者の私たちの相手をしてくれている時点で“普通”ではありません。無論、それはエースさんにも言えることですが。
そもそもの話、セツナさんのその気性について、私がとやかく何かを言う資格は有るのでしょうか。今セツナさんに蹄鉄を打っていただいていることだって、元は私の不用意な発言が原因です。
——ふと鉄を打ち続けるセツナさんを見やります。蹄鉄の方は、早くももうすでにほとんど形になっていました。それもそのはず、やはりとてつもない集中力を発揮されていて、こちらの会話なんて全く聞こえていないくらいですから。
「親父さんのその感覚、あたしも昔から感じてました。セツナがあたしの命を救ってくれたあの時から、ずっと。——けど、そんなに難しく考えなくてもいいと思います。あたしがいる限り、もうセツナに二度と走れなくなるような“万が一”は起こさせません。それがおじいさんとの約束でもありますから。だから、今まで通り、親父さんはセツナのことを自由にさせてあげてください」
「エースだけじゃない。これからはあっしも旦那やカノープスを支えるよ。支えられてばかりじゃ健全な関係とはいえないスからね」
「ええ。カノープスの育成方針は“ケガや病気を起こすことなく長い間走り続けられるウマ娘にする”ことですからね。お任せください。セツナさんは卒業まで私が責任を持ってお預かりします」
そんな風に私がいろいろ悩んでいる間に、他のカノープスの面々はとっく父君への解答を見つけていたようでした。であれば、資格云々と悩んでいる暇はない——私も己の意思を伝えるとしましょう。
「——私は、セツナさんと同じような悩みを持ったウマ娘として、走れないもどかしさと走れる喜びは深く共感できます。……申し訳ありませんが、もしセツナさんがレースにおいて覚悟を決められたならそれを止めるようなことはできません。ですから、私にやれることは、セツナさんが後悔しない選択をできるようにサポートすることだけです」
私は、皆さんに続けてそう答えました。私の今の発言の意味——たとえセツナさんが、今後二度と走れなくなろうともひとつのレースを全力で走りたいというのなら私は止めたくはありません。自由にレースを走れない辛さは、誰よりも分かっているつもりですから。
セツナさんの父君にとっては、あまり好ましくない発言だとは思いますが、こればっかりは譲れません。
「モンスニーさん……いいえ、ありがとうございます。そんな風に慮っていただけるだけでも、セツナにとっては大きな支えになることでしょう……!」
ところが、父君はそんな私を咎めるどころか、晴れやかな顔で感謝の言葉を述べていました。
「娘が後悔しないように支えてくださる……でしたらこれ以上に私が口を挟むのはお門違いでしょう。——カノープスの皆さん……! 情けない話ですが、優柔不断な私に変わって、どうか娘のことをよろしくお願いします。——ああ、セツナはいい仲間に出会ったなあ……!」
父君の言葉に呆然としていると、どうしてかついに父君は涙を流し始めてしまいました。——なぜ父君は私に感謝を……?
そんな風に少し混乱していたら、いつの間にか隣にいたエースさんが私の肩を叩きました。
「ありがとな、モンスニー。——後悔しない選択ってのは本人にしか分からないんだ。側からみたら悲劇でも、本人にとってはそうじゃないことだってある。モンスニーはセツナのそれを尊重してくれるんだろ? それって充分セツナの力になると思うぜ!」
「エースさん……」
我ながら独特な価値観を持っているせいで(捻くれているとも言うかもしれません)、ズレた発言をしていると思っていましたが、エースさんの言葉を聞いてそんなことはないのだと安心できました。
「——よし、やっとできたぁ!」
そうこうしているうちに、セツナさんは1組の蹄鉄を完成させていました。これほど繊細なものづくりをこの短時間でやってみせるとは、本当に凄まじい手際です。
「完成したんだね、セツナ」
「うん! 上出来だよ、お父さん! 大きさも厚さも角度もバッチリ! ——ってあれ? お父さん、目が赤くなってるよ? 大丈夫?」
「いや、少し目に煤が入ってしまってね。なんともないよ」
「そっか。それならいいんだけど」
トランスを解除したセツナさんは額の汗を拭うと、冷やして磨いた蹄鉄をいの一番に私のところへ持ってきました。
「モンスニー、モンスニー! この蹄鉄なら絶対に足趾も大丈夫だから早速つけてみてよ!」
「この蹄鉄が……」
セツナさんから、私の眼前に布越しに差し出された蹄鉄を受け取ります。重さだけで言うと、私が今まで使っていた蹄鉄よりもほんの少し重い気がします。
しかし、この蹄鉄にはどこか静謐な雰囲気の中にしっかりとした存在感がありました。まるで目の前に大仏が鎮座しているかのように私は圧倒されていたのです。
「よし、それじゃあ、さっきのとこにいくか! ここらへんで実際につけて走れるのはあそこしかないだろうからな」
エースさんの言う“さっきのとこ”というのは、例の草原のことでしょう。エースさんとセツナさんが幼少期にトレーニングの場として使っていたという場所。
「そうだね! ボクも早くモンスニーが本気で走ってるところが見たいから、早速行こう!」
そんな激しく尻尾を揺らして興奮しているセツナさんに背中を押されるようにして、私たちは草原に向かいました。
―――
「——おねえたちの走りをみるの、ひさしぶり!」
「そうか? つい最近皐月賞もあったばかりだし、テレビで観てるんじゃないのか、ラビ?」
「もー、テレビでみるのと、なまでみるのはぜんぜんちがうの! いいから、早くじゅんびしてよおねえ!」
「わかった、わかった!」
——爽やかな草の香りと吹き抜ける風が心地よい天然のレーストラックにて。ここには、私たちとエースさんたちのご家族が全員集まっていました。
エースさんが自身の妹であるラビさんに急かされているのを横目に、私は新たな蹄鉄シューズの紐を結び終えます。
既にセツナさんに蹄鉄をシューズに打ち込んでいただいているので、これにて私は準備完了です。
「モンスニーの蹄鉄が大丈夫そうって分かったら、今度はピロウイナーに合わせた蹄鉄も作るからね」
「え、あっしにも作ってくれるんスか!?」
「もちろんだよ! ピロウイナーは特別教室の中でも一番走りを見てきたウマ娘だからね、しっかり分析もできてるし!」
「だ、旦那ぁ……! ありがとう!」
ピロウイナーもセツナさんと話しながら、準備を完了させたようでした。
——今回、セツナさんはこのテストに参加されません。日本ダービー以降のレースに備えるために、大事をとって休まれるそうです。
「よっしゃ、やろうぜ! トレーナーさん、モンスニーとはマジの全力で併走すりゃいいんだよな?」
「ええ、そうでなくては意味がありませんからね。よろしくお願いします」
今回のテストは全力で行われます。実際のレースで蹄鉄込みで足趾が耐えられるかを検証するのですから、当然です。
——全力で走るのが怖くないかと言われると嘘になります。指骨が折れて走れなくなってしまう最悪の想像は、どうしても払拭できるものではないでしょう。
しかし、私にはセツナさんから蹄鉄を受け取ったとき、確信のようなものがありました。この蹄鉄ならきっと大丈夫だと。
「トレーナーさん、セッティング終わったよー!」
「ありがとうございます。セツナさん、ラビさん」
セツナさんとラビさんが草原の各所にカラーコーンを設置してきてくださりました。今回はこの簡易のコースで検証します。距離は1000mくらいでしょうか。
「エース〜! けっぱれよ〜!」
「“エース"の走り、見せてちょうだいよ!」
「なんだよー、父ちゃんも母ちゃんも! へへっ、あたしは負けないぜ! たとえ、ピロウイナーとモンスニーが相手でもな!」
「その自信、打ち砕いてやるっスよ!」
「ようやく全力で走れる機会が訪れたのですからね、以前までの私だとは思わないでください」
「それじゃ、みんな位置についてー!」
セツナさんの呼びかけを受けて、私たちは横並びでスタート位置につきます。
「3,2,1……スタートッ!」
そして、私たちは合図とともに走り出しました。同時に走り出したと思っていましたが、やはりエースさんのスタートが早い。以前からスタート巧者とは聞いていましたが、ホープフルSや皐月賞のときといい、ここまで安定しているとは。私はふたりの後ろに位置取る形となりました。
……? ——ここで私はとあることに気づきました。自分の足音が普段より遥かに小さいのです。それになんと言いますか、地面を踏みしめるときに足趾が開いているのを感じます。
これがセツナさんの言う、最適な踏み込みができるということなのでしょうか。たしかに、以前より広く地面を蹴り出せている感覚があり、明らかに足趾への衝撃が吸収されているのを実感します。
「これは……」
ものは試し、と言わんばかりに私はグングンと加速していきます。何年振りかも覚えていないほどの、自分の出力の限界まで上げたスピード。しかし、私の足趾はそれだけの速度下でも全く悲鳴を上げていませんでした。
「うおっ、モンスニー!?」
「と、飛ばしすぎじゃない!?」
突然、まるでラストスパートと言わんばかりまで加速して抜いていった私を、エースさんとピロウイナーは驚いているようでした。
ペース配分を考えていないのは自分でも分かります。——ですが、あまりにも気持ちいい。長らく味わうことのなかった無鉄砲な全力疾走。力を出し切れるということが、これほど爽快だったとは!
「! あれは……。見てくださいセツナさん、どうやらあなたの蹄鉄作戦は成功だったみたいですよ!」
「モンスニー、笑ってる……! モンスニーがまた全力で走れるようになったってことなんだね……! ホントによかったぁ……!」
トレーナーさんとセツナさんが、こちらを見て笑っていました。——私の走りを分析してくださったトレーナーさんと、それを実際に形にしてくれたセツナさんには、本当に感謝しかありません。
「うわぁ〜、これがほんもののちゅうおうのウマむすめ……! みんなはやくてかっこいいなぁ……!」
私たちの走りを見たいと言ってくれたラビさんのためにも、手加減は一切しません。
「あははっ!」
——この草原に吹き抜ける風の如く、私は最後まで自分の全力を出し切ることができたのでした。
―――
「——もうかえっちゃうんだね……。2日ってあっというますぎるよ……」
カノープスの——というよりもエースさんとセツナさんの里帰りは早くも終わりを迎え、ふたりのご家族とのお別れの時間が迫っていました。
皆さん、今はセツナさんの家の車庫の前に集まっていて、各々別れを惜しんでいるという感じでした。
「まー、次はゆっくりできるときに帰ってくるからよ。それまで、あたしたちのことしっかり応援してくれると嬉しいぜ、ラビ! テレビにいっぱい映れるようにすっからさ!」
「……ぜったい、ね! おねえも、セツナおねえも、ピロウイナーおねえも、モンスニーおねえもがんばってね! アタシ、ずっとおうえんしてるから!」
「ありがとう、ラビちゃん! 今度はおっきな優勝レイとか持って帰ってくるからね!」
「あっしはローテ的にテレビに映れるか分かんないケド……ま、逆にメディアが目を離せなくなるくらい活躍しちゃおうかな、なんて……」
「ふふっ、いい心構えだと思います、ピロウイナー。——気が早いですが、私は春の天皇賞で優勝することが最大の目標なので、来年の春の天皇賞は楽しみにしていてくださいね、ラビさん」
「——うん、ぜったいみる! ……でも、きのうみたいに走っちゃダメだよ? モンスニーおねえ、さいごバテバテだったから」
「なっ……そ、それは、忘れてください……」
ラビさんのその発言に、周囲が笑い声に包まれる。
昨日のテストレースは結局、最初から全力で走った自分には最後にスパートする体力が残っていませんでした。そのため、あと少しでゴールといったところで、ピロウイナーとエースさんが私を抜き、結果的にピロウイナーが勝利して、私は最下位だったのです。
「——あと、耳が痛くなるくらい言っているかもしれないけど、セツナも身体には気をつけてね」
「……うん。ごめんね、あんまり走ってる姿見せられなくて……」
「いいや、私たちは娘が無事に走りきってくれるだけでもいいんだ。それなのに、中央の舞台で競い、あまつさえG1レースを勝利する瞬間を見せてくれた。それがどれほど嬉しかったことか」
「私たちはセツナちゃんの夢を応援しています。けれど、その夢を叶えるときはちゃんと元気でいることを約束してください。無理を通してでも夢を追うのは、お母さん許しませんからね」
「うん、絶対に約束。お母さんたちを悲しませるようなことはしたくないから」
「……そっか、それならよろしい! 存分に夢を追いかけてきてください!」
母君にぽんぽんと優しく頭を撫でられているセツナさんも、別れの挨拶を済ませたようでした。
「——では、チームカノープス、中央へ戻りますね。皆さん、寝床やご馳走などもいただき、本当にありがとうございました」
「いいってことよ! 南坂さん、三女神様、これからも私らの娘たちをお願いしますね!」
「任せてください! みなさんがその夢を掴むまで最後まで支え抜く所存です!」
「ここは俺の故郷に似てるから何度でも帰ってきたくなるよ。——次に会うときは、より強くなった子羊くんたちを楽しみにしててくれよな! ホント、子羊くんたちは面白いほど強くなっていくからね。教え甲斐のあるウマ娘だよ!」
「今度時間が取れたら、私にもここの蹄鉄鍛冶を体験させてほしい。モンスニーの症状を改善するほどの蹄鉄がどのように作られるのか非常に興味深い」
「エースちゃん家のワンちゃんとお別れするのも寂しいわね……。皆さんも、ワンちゃんたちも、どうかお元気で」
——こうして、別れの挨拶を終えた私たちは車に乗り込み、この地を後にすることとなりました。
「——おねえ〜〜!! みんな〜〜!! レース、がんばってね〜〜!!」
そんなラビさんの激励を背に、私たちは中央へ戻ります。私とエースさんの目下のレースはクラシック三冠の二本目である“日本ダービー”です。
皆さんのおかげでようやく全力を出し切れるようになったのです。今度こそ、私たちの世代の頂点、ミスターシービーの喉元に刃を突きつけてやりますよ……!