「はぁっ……はぁっ……戻ったよ、エース……! ど、どう? ボクにも結構スタミナも付いてきたんじゃない?」
「おう、お疲れさん! ——すごいな、また早くなってるじゃねえか! たしかに、こんなに連続で自己ベを更新するのは体力が増えてきた証拠かもな」
「えへへ、でしょ! そういうことだから、もう一本走ってくるね!」
「——ていっ」
「いたあっ!」
「さっきので10本走り終わっただろ。これ以上は身体の負担になる。セツナが走りすぎないように見とくのは、おじいさんとの約束だからな。またセツナが走れなくなるのはごめんだからな、身体は大事にしてくれ」
「——ごめん……病気で身体を動かせなかった時期が長かったから……もっとはやく走れるようになりたくて、気が急いてたみたい……気にかけてくれてありがとうエース、今日はもう休むよ!」
「分かってくれたならいいんだ! 心配しなくても、元々セツナはあたしよりはやいんだし、順調にタイムも良くなってるだろ? 焦ることはないさ」
「そうだね……せっかくおじいちゃんがボクの身体を走れるように戻してくれたんだ——大事にするよ」
——セツナのおじいさんが亡くなってから半年ほど経った。あれからあたしとセツナは、前を向いて改めて夢に向かってトレーニングする日々を続けていた。
トレーニングっていっても、基本的にはただ走り込んでいるだけ。それでもセツナには身体に大きな負担をかけないようにさせつつ、あたしはただでさえそんなハンデを背負っていても速いセツナに少しでも追いつけるよう、たくさん走った。
セツナは同じ夢を抱いた仲だけど、ある意味で目標といえる。そんな存在が身近にいることはあたしにとっては大きな利点でもあった。
今まで全然意識してこなかったことだけど、レース初心者のあたしから見てもセツナは本当に速いと思う。だからこそ、セツナに追いつき追い越す過程はそれだけ最強に近づいていると感じさせられる。
あたしもかなり成長しているはず。ただ、そのセツナの成長速度も凄まじいもので、少しでも気を緩めると置いていかれそうになってしまうからもっと頑張らないとな。
―――
——だけど、そんなある日、いつも通りセツナと裏山の草原で走っていた時のことだった。
あたしはそれなりの数を走り終えたから、大木の下でセツナの走っているタイムを計りながら休憩を取っていた。
「つ、つい……た……! ぜえっ……はあっ……はあっ……え、エース……タイムはどうだった……?」
「おっけー! タイムは——あ、あれ……? 1分12秒4……昨日よりも10秒近く増えちまってるぜ……!?」
「えっ……う、うそ……!?」
実はあたしたちは成長を実感するために毎回約1000mほどの距離に見立てたコースを走ってタイムを計っていた……んだけど——この日、セツナの初回の記録は前回の測定より大幅にタイムを落とすものだった。
その記録は最初期のあたしくらいには遅かった。今までセツナは、タイムが良くならなかったことは何度かあったけど、タイムが悪くなることは一切なかった。
初めての事態にあたしたちは少し困惑していた。それでもこの時は、まあこの日初めての走りだし、調子次第ではそういう日もあるだろうと楽観的に考えていた。
「ま、まあ1回目だし、身体があったまってなかったのかもしれないな。もう一回計ってみたらどうだ?」
「そ、そう……だね……。も、もう一回……走って、くるよ……!」
そう言って、セツナはまた走り出していった。改めてセツナの今日の走りをよく見てみると、あたしが憧れたいつもの走りの鋭さがないように思えた。
……今でもずっと後悔してる。あたしはこの時すぐに異変を察知して、セツナを休ませるべきだったんだ。
——そして、その時は訪れた。
あたしから見て大木から離れていったセツナが少しフラついたかと思うと、そのまま草原に倒れ込んでしまったんだ——!
「お、おいッ! 大丈夫かセツナ!?」
セツナから返事はない。ただならない状況であると察したあたしはすぐにセツナの元へ駆け寄った。
「セツナ! しっかりしろ、セツナ!」
倒れたセツナは胸を押さえて、浅い呼吸を繰り返していた。
胸——まさか病気が再発した!? そんな、セツナの体調は毎日本人から詳しく聞いてたし、トレーニングに無理はなかったはず——それなのにどうして!?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。あたしは急いでセツナを抱えて裏山を下りた。
そのままあたしの家に駆け込むと、家にいた母ちゃんに状況を説明して救急車を呼んでもらった。
その時には既にセツナの意識は無かった。相変わらず浅い呼吸を繰り返して、苦しそうな表情をしていた。
——その後、青ざめた顔をしたセツナのお母さんが合流して、遅れて到着した救急車にセツナの付き添い人として乗り、そのままセツナは搬送されていった。
当然トレーニングを再開する雰囲気ではなくなっていた。
もしかして、セツナはまた走れなくなってしまうのではないか——あたしの頭の中に、ふと、そんな最悪の結末が過ぎった。
……いや、今回の事態はほんのちょっとだけセツナの調子が悪くなっただけ。
セツナの病気は良くなったんだ。また数日もすれば、きっと元気な姿で戻ってきてくれるさ。
そんな逃避するような考えで不安を掻き消さないと、この日の夜は眠ることができなかった。
——そして次の日の早朝、あたしの元に届いたのは衝撃的な知らせだった。
―――
「セツナ!」
あたしは面会時間の一番早くからセツナの病室へ向かった。
病室の扉を開いて中に入るも、セツナはあたしの声にも反応せず、ベッドの上で何もかも諦めたような顔をしてぼーっと窓の外を見つめていた。
「…………」
そんなセツナの側に寄っても、あたしはどんな声を掛けたらいいか分からなかった。
「……あ、エース……」
しばらくして、やっとあたしのことに気がついたのか、セツナはゆっくりとあたしの方に顔を向けた。
「……えっと……たぶん、聞いちゃったよね。今回のこと……」
「あ、ああ……」
「また、走れなく……なっちゃった」
「ッ……! ま、まだそう決まったワケじゃないだろ! 今回のはきっとすぐ治——」
その時、セツナの瞳から一粒の涙が溢れた。あたしは、それ以上続けて言葉を発することができなかった。
「——今までのは、心臓。……今回のは、肺。あはは、せっかく治してもらったのに、また別の病気がでてきちゃったんだって。……まるでモグラ叩きみたいで、ボクの身体って面白いね」
そんな皮肉めいた冗談を言いながら儚げに震えるセツナを、あたしは抱きしめることしかできなかった。
「……また、治らないんだって……」
「!」
「……今度こそ、もう走れないのかなあ……」
「ッ……!」
「……どうして……どうしてボクなんだよぉ……! ボクはただ走りたいだけじゃんか……」
セツナは悔しさを堪えるようにあたしの服をぎゅっと掴み、そのままあたしの胸で啜り泣いた。
——どうやらセツナには、元々潜在的な病気が心臓だけでなく、肺の方にもあったみたいだった。
心臓の方は、あの時の手術でセツナが全力で走れるくらいには良い状態になった。しかし、そこで生まれて初めて何度も全力で走ってしまった影響で、肺の方で眠っていた病魔が目覚め、セツナの心肺機能を再び蝕んだということだった。
とはいえ、心臓の方の病気と違って、普通に日常生活を送る分には問題なく、全力で走るような激しい運動をしなければ大丈夫とのことではあった。
……けど、そんなことはセツナにとって不幸中の幸い、なんて思えるワケもなく、生きがいとも言える走ることを再び奪われてしまったのはどれほど残酷なことだろうか。
「——ごめん、エース。ふたりで最強になる夢、叶えられなくなっちゃったね」
ひとしきり泣いた後、セツナは顔を上げるとあたしにそんなことを言った。
そんなことはない、そう言ってやりたい。けど、それが叶わないことは当事者であるセツナが一番分かっているだろう。
「せっかくおじいちゃんが走れるようにしてくれたのに、レースにも出られずに終わっちゃうなんて……あーホントにツイてないなあ」
セツナはあたしから離れると、再び窓の外を眺め始めた。
「天国にいるおじいちゃんに最強になる姿を見せるって誓ったのに、もう何もできなくなっちゃった。——ボク、これからどうしようかな」
今のセツナは、なんというか——とても危ない雰囲気を漂わせていた。このままセツナを放っておくと何か取り返しのつかないことになるような気がしてならなかった。
けど、このままただ声を掛けるだけじゃいけないのは分かってる。いくら親友とはいえ、下手なことを言うと、弱っているセツナを追い詰めることに繋がりかねないからだ。
それでもあたしは、今ここで動かないのは絶対に後悔すると思った。
——あたしは意を決して、言葉を発することにした。
「なあ、セツナ……二つほどセツナに言っておきたいことがあるんだけど、いいか?」
「ん、なあに、エース?」
「一つめ! お医者さんに治らないって言われたかもしれないけど、あたしは諦めてないからな! ウマ娘の競走者としてのピークは中学生くらいから始まるんだろ——それまでまだ時間はある! あんなに重かった心臓の方だって良くなったんだ、きっと治す方法が見つかるさ!」
「ッ……!」
「んで二つめ! セツナの病気が治るまで、セツナの夢、一旦あたしに預からせてくれないか? 万が一……いや、億が一セツナの病気が治らなかったとしても、セツナの夢は決して消えちゃいねえ! その時はセツナの分まで、あたしが最強になるからよ! ——だからさ、夢を諦めるなんて言わないでくれ……!」
そうあたしは言い切った。あたしの身勝手な願望も含まれてるのは理解してる。けど頼む! どうかあたしの想い、絶望しかけているセツナに届いてくれ……!
「! エース……!」
セツナはそんなあたしの真剣な眼差しを受けて思うところがあるのか、しばらく逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「——ありがとう、エース……そうだ、そうだよね! 絶対に治らないなんて神様が決めたワケじゃないもんね! ボクにはまだ時間はあるんだ! やれることやっていかないと!」
よ、良かった……! セツナはまた、瞳に希望の光を灯してくれた。どうやらあたしの本気の想いは、しっかりと伝えることができたようだ。
「ッ! セツナ……! ああ、そうだ! 今はちょっとばかし不運が続いちまってるけど、セツナの頑張りはきっと三女神様がちゃんと見ててくれてるはずだぜ! いつか報われるときが絶対あるはずだ!」
「三女神様……! ……えへへ、三女神様もボクがいっぱい頑張ったら褒めてくれるかな」
「そりゃもう、きっとそのペンダントからずっと側で見守っててくれてるはずさ」
「そっか……! じゃあボク、いっぱい頑張ってまたエースの隣に並ぶから、その時までボクの夢預かってくれる?」
セツナはそう言いながら、したり顔であたしの前に拳を突き出してきた。
「ああ、任せとけ! あたしとセツナの想いが、決して軽いもんじゃないって証明してやるぜ!」
あたしは当然と言わんばかりにセツナと拳をぶつける。
——そうだ。あたしには、セツナが得ることは叶わなかった健康な身体を持っている。努力し続けられる身体があるんだ! だからこそ、その責務ってワケじゃないけど、あたしがセツナの分まで夢を率先して追いかけるんだ!
もう完全にあたしひとりの夢では無くなった。まだ見る全国のウマ娘がどんな強者かも分からねえ。けど、その中で最強になるためにも、あたしは止まれない。
さて、まずはとにかく地道に鍛えて鍛えまくって、セツナが安心してあたしの走りを見ていられるくらい強くなってみせないとな!