エース視点です。
ルドルフの選抜レースを見学した日から1ヶ月が経ち、シービーとの三本勝負、その二本目が迫ってきていた。
——結局、今の今までレースでのシービーへの効果的な対策は浮かばずじまい。
あの日——ルドルフの選抜レースの日にセツナが何か言ってたけど……流石に“アレ”はどうなんだろうか。少なくとも、あたしには習得できる気がしないし、そもそも現実的に可能なのかどうかも怪しい。
とはいえ、モンスニーとピロウイナーがカノープスに加わってから、あたしのトレーニングの質が上がっているのは間違いない。
——そういえば、あの後ルドルフは東条トレーナーにスカウトされて、リギルに加入していたな。たしかにリギルのあの雰囲気はルドルフには合ってるかもな。
けど、またリギルに怪物メンバーが加入して、あのチームは一体どれほど強くなるのやら。
——そんなこんなで、今日もあたしは夜間の特別教室に参加していた。三本勝負でシービーを撃破するための最終調整だ。
ただ、恒例のトレーニングではあるけど、以前までとは少し様子が違っていた。
「フッ……! よし! あっしの勝ちスよ、旦那!」
「はぁっ……はぁっ……いやー、流石だよ! やっぱりピロウイナーは速いなぁ!」
「ふふん、短距離の併走だからね! 旦那があっしに短距離戦が向いてるって言ってくれたんだから、負けるわけにはいかないよね!」
——そう。それはセツナが指導側として見ているだけではなく、実際にトラックを走っているということだ。ついにセツナが本格的にトレーニングに復帰できるようになった。
病み上がりのセツナはまだ本調子ではなさそうだけど、身体への負担が少ない短距離併走から始めて、レース感を取り戻している最中だった。
そのために、走れるようになってからはずっとピロウイナーと併走している。
……あたしとしては、ちょっと思うところが無いわけでもないけどさ、まあ今のセツナにいきなりあたしと長い距離を走ってほしいっていうのも難しいよな。
まだセツナは本番も走るわけにはいかないけど、やっぱりセツナと一緒に走れるってだけでどんなにキツいトレーニングでもあたしは頑張れるのに。
それで、セツナの短距離併走に混ざろうとしたらトレーナーさんと三女神様に——短距離走と中距離走は走る感覚が大きく違うから、今はダービーの方にに集中すべき——と言われて却下された。ちくしょう。
ホープフルステークスや皐月賞と比べて、たった400mしか変わらないように見える。でも、その400mはあたしたちクラシック級のウマ娘にとっては重たい数字だ。それに、中山と東京では最終直線の差が200mもあるからよりタフさが求められる。
その“タフ”を体現したかのようなシービーや長距離に適性があってスタミナのあるモンスニーと、これからどんどん長くなっていくレースであたしは戦っていかなきゃいけない。当たり前だけど、一筋縄ではいかないだろうな。
——さて、そんなあたしがそのダービーに向けてどんな調整をしてるかっていうと……いやー、それが結局、いつも通り地道にトレーニングを重ねているだけなんだよな。
いやいや、そんなんでシービーに勝てるのかよ——って思うよな? ……あたしもそう思ったさ。でも、カノープス会議で挙がった唯一の対策がこれだったんだぜ——
*
——件のルドルフの選抜レースの観戦後、セツナは少し困惑しているような様子でこんなことを言い始めた。
「——分かった、話すよ。けど、自分でも言葉が纏まってないし、かなり
「ああ、どーんとこい!!」
「さっきのルドルフの走りなんだけど——もしかしたらシービー攻略のヒントになるかもしれない」
そんなセツナの言葉に、あたしたちは目を丸くする。てっきり、ルドルフのレースの感想を話すのかと思ったら、いきなりシービーの攻略法とは。
「し、シービー攻略のヒントって……スタートミスを期待する以外に何かあったってことスか……?」
「——いや、ごめん……いきなり話を飛躍させすぎたよ。今から話すことは、話半分に聞いてほしい」
「……とりあえず、聞かせていただきましょうか」
モンスニーは表面上は取り繕っているけど、シービー攻略のヒントと聞いて、最大の相手の倒し方が気になるのか、静かに目を光らせながらセツナに話を促した。
「うん。まずシービーは、走法が追込——それが持ち味でもあって、弱点でもあるんだ」
「たしかに追込は一般的には安定しないから弱点とも言えるけどよ——共同通信杯以降のシービーはそんな一般論を捩じ伏せるくらいの規格外なヤツだぜ?」
「エースの言うとおり、シービーはとっても強い。軽いバ群なら容易に抜いてくるだろうね。でも、追込ウマ娘が
「それは——シービーが埋もれることを祈るというのですか? それでは結局スタートと同じで、相手のミス待ちをするというシービー依存の博打ではないですか。それは攻略とは言えない気がしますが……」
「そうだね、シービーはミス待ちしてるだけで勝たせてくれるウマ娘じゃない。……そこでなんだけどね、相手のミスを待つんじゃなくて自分で引き寄せるやり方があるかもしれないんだ」
「は、はぁ!? し、シービーのミスを引き寄せる!?」
先ほどセツナが
「……自分でもありえないを言ってるって思うよ。けど、可能が出てきてしまった。——それをさっき、ルドルフが選抜レースで示してくれたから」
と、ここでようやくルドルフの話が出た。やはり、セツナはルドルフの走りに何かを感じ取ったみたいだった。
「ボクはまだルドルフと戦ったことがないから、絶対的な確信を持って言えるわけじゃないけど……今のルドルフは
「「「「——ええーッ!!??」」」」
セツナの衝撃の発言に、あたしたち全員声を上げて驚いてしまう。
あ、操るって……。そんなセツナの言葉に少し背中がゾワリとした。何故か、さっきルドルフが現れたときの——そして過去にサガスからも受けた、身体を震わせるプレッシャーが思い出される。
「う、動きを操るって……そんな、本当スか……?」
「——いや……恐ろしいことに、セツナさんの話していることは本当かもしれないです。……今日のルドルフさんの対戦相手のウマ娘の特徴は事前に調べていましたが、全員が自らの持ち味を一切発揮できず凡走に終わっていました」
「ぜ、全員!? それはマジなのかよ、トレーナーさん」
「ええ。……皆さん全員のコンディションが優れない状況はあまりにも珍しいと思いましたが、セツナさんの話を聞いて納得しました」
「——た、たしかに、いくらルドルフが強いとはいえ、マルゼンスキーやシービーのような圧倒的な走りじゃなかったのに、やけにルドルフがあっさり勝ったように見えたよ……。言い方は悪いけど、あっしがルドルフでも簡単に勝てそうなレースだった」
「偶然ではなくルドルフによって演出されたものだったと……。しかし、どうやって……」
「これはただの予想だから、言語化がちょっと難しいんだけど……ルドルフは常にバ群全体を把握してて、レースの駆け引きの中で走行ラインを他のウマ娘に対応させてわざと自分を抜いてもらったり、自然にコーナーの外に膨らむように誘導してると思う。あと……息遣いや足音、ルドルフ自身の存在感すらも使って相手に圧をかけているように見えたよ」
「——! 思い出しました……! そういえば、トレセン学園に入る以前のこと、ルドルフを含めて模擬レースをする機会がありました。その際、私は何故か事前に思い描いていたものと違う走り方をしてしまったのです。おそらく他の皆さんも——」
モンスニーもセツナの話に心当たりがあったらしい。いよいよ本格的に“マジ”らしくなってきたな……!?
「で、でもでも! 意味分かんないよ! そんな……動きをコントロールなんてされたら、どんなレースでも勝てちゃうじゃないスか!」
「たしかにそうだね。ウマ娘レースの常識が変わってしまうような走りだと思う。——でも……うーん……これも予想だけど、多分、ルドルフ自身はあの動きをしてることに気づいてない。今はまだ無意識下で行ってるような気がする。しかも条件付き……かな」
「? どういうことだ?」
「ボクが思うに、ルドルフは力量差のある相手だからあんなことができてるはず。だから、本来同格相手ならあの動きは狙いを持って意図的に行えないとダメなんだ」
「ふふ……私はあの時から力量差があったのですか……」
「あっ、ご、ごめん……そう言いたかったわけじゃ……」
「……いえ、こちらこそすみません。少々面倒くさいことを申してしまいましたね。——ルドルフはあの動きを意図せず行っているというのですか」
「え、えっと……そうだね。なんとなくだけど、ルドルフの勝利へのストイックさが意図せずあんな常識外れな動きに化けてる気がする。どちらにせよ本人が突出した才能を持ってるからこそ無意識にできる芸当だと思う……」
「……なるほどな——まー要するに、一見無敵の存在に見えるルドルフとは同格以上になれば問題ないってことだよな?」
「そのはず。ただ“ルドルフと同格”の範囲はおそらく“シービーと同格”くらいだけどね……」
「ひゃー、あっしらには身に染みて重く感じる定義スねぇ……」
そんなセツナの言葉は、あたしたちに伝聞だけだったシンボリルドルフの強さを、より強く実感させたのだった。
「——で、要はもしそのルドルフの動きを自分のものにできたら、対シービーの切り札として使える……かもしれない」
「……もはやこれ以上はツッコまねえけどよ、一旦過程は置いといて、つまりは——シービーが追込策を取るのは確実だから、なんやかんやでレースをコントロールして後ろからくるシービーをバ群に沈めてるうちにゴールしちまおう——ってことで合ってるか……?」
「うん。——と言ってもそれを身につけようとするのは、正直あまり現実的じゃないと思う。実際にルドルフがやってたから、不可能じゃないとは思うけど……。——だから、ここまで話したけど、あんまり意味はなさそう。ごめん——」
*
とまあ、これがセツナ的には、シービーの対策の中で唯一運要素を絡めない攻略法らしい。
あの時始めにセツナが前置きしてたとおり、今の話は簡単にできるようなシービー対策じゃない。それどころか、どんな教本にも載っていない前代未聞の走法だろうから、取っ掛かりを得ることすら難しいんだろうな。
結局、あたしは搦手を使うよりも正面から相手とぶつかった方が性に合うし、まだそっちの方が勝てるような気がする。
——逆に言うと。デビュー戦やホープフルステークスで、ウマ娘のレースの特性を十全に活かして、常識破りな勝利を重ねてきたセツナなら、あるいは——。
「——さて、私たちも始めましょうか、エースさん」
「——ああ、モンスニー。ダービーはもうすぐだしな。……全力で行くぜ!」
そうして、セツナたちの併走を横目に、あたしもモンスニーと併走のために走り出す。
こんな風にモンスニーと改めて併走すると、やっぱモンスニーも世代トップの実力者なんだと感じる。
足趾の問題があってもなお、シービーに次ぐ2番手として評価されてきていたモンスニー。
まだ、万全の状態になったモンスニーのレースを誰も見たことがない。今回のダービーは予想以上に荒れるかもな。
——そのままモンスニーとほぼ同時にゴールすると、トレーナーさんがボトルを渡してくれる。
「しかし、エースさんは本当にすごいですね。モンスニーさんは大事を取っているとはいえ、その倍の量の本数を走っても瞬発力は落ちていないです」
「そうか? 初めて三女神様にトレーニングを見てもらったときから、あたしはずっとこんな感じだけどな」
「いやいや、放課後も普通にトレーニングして、夜もこれだけ走り込んでる。同期の中でもここまで鍛えてるウマ娘はいないよ」
いつの間にかピロウイナーと一緒にあたしの隣まで来ていたセツナが、そう付け加える。
——言われてみれば、“天才よりも努力”を日頃から心がけてきたあたしだけど、実際のところどれくらいこなせているのか、他のウマ娘と比べたことがなかった。
いや、少し語弊があるか。あたしの比較対象は常にセツナだった。というのも、セツナは言わずもがな身体が弱いので、トレーニングであまり量をこなすことができない。
セツナよりもたくさんトレーニングして当たり前だと思ってたからこそ、セツナの倍以上に取り組んできた。
「——そうか。あたしって、みんなより鍛えられてるのか」
「え? エース、自覚してなかったスか!? エースのやってるトレーニングメニュー、普通のウマ娘だったら1週間も保たないよ!」
「んー……そうだとしても、それでもシービーの背中が遠く見えちまうってのは、逆にちょっとヘコむかもな……」
やれてるって実感できるのは嬉しいけど、イマイチ勝利への手応えを感じられねえってのが……。ダメだ、クヨクヨしないって決めたのに、レースが間近に迫ってるからかまた余計なことを考えてしまう。
「それだけ頑張ってるからシービーに勝てる、なんて簡単には言えないけど——それならエースに、シービーとの戦いに向けて自信を付けられるとっておきの情報があるよ! ね、トレーナーさん!」
「? シービー戦の自信が付くって……マジなのか?」
不意にそんなことを言うセツナの前に、ずいっとトレーナーさんが出てくる。
「ええ。エースさんの皐月賞での走りと以降のトレーニングを踏まえてようやく結論が出ました。エースさんは——」
*
日本ダービー前日——某所車内にて、中央トレーナーバッジをジャケットのフラワーホールにつけた1人の男が何者かと電話をしていた。
『——皐月賞で明らかになった通り、ミスターシービーのクラシック三冠制覇は観衆に強く望まれている。新たな三冠バ誕生により市場が活性化されることは、今更語るべくもないだろう。……お前がミスターシービーを懐柔できなかった失態、忘れておるまいな?』
「……はい、承知しております」
『まあよい。過ぎてしまったことをこれ以上論じるのも不毛であるからな。——しかし、認めたくはないが、そのミスターシービーによる偉業を阻もうとする寒門出身の愚か者が存在する。……最近お前のチームは結果を出していない。後がないことは分かっているはずだ』
「——三冠バ誕生は
『それでよい。わざわざあの下賤なチームを取材陣から日の目を見られぬように根回ししたのだからな、突然消えても大衆は気にも留めぬだろう。——これ以上の失態を見せてくれるなよ』
それきり、男の耳には無機質な電子音が響いていた。男は拳を振り上げると、運転席の肘置きに強く落とした。——肘置きは可動域を超えて、使い物にならなくなってしまった。
「……クソッ! 言いたい放題言いやがって……! ——あのミスターシービーが田舎者共に負けるとは思わないが、この際どちらでもいい……! 特にフューチャーセツナ! ……あいつはこの俺に恥をかかせた! この手で葬ってやらねえと気が済まねえ……!」
男はとあるウマ娘の写真を見ながら
——次なる三冠競争の舞台は、東京レース場。脚の問題を克服して蘇ったメジロモンスニーを加えて、カツラギエースたちの闘志は日に日に漲っていく。——いよいよ、決戦の火蓋が切られようとしていた。
話の展開が遅く申し訳ありません……。