エース視点ですが、一部セツナ視点を挟みます。
あれから何日か経ち、あたしは点滴なしでも病院内を歩けるくらいには回復していた。
しかし、肝心のセツナは命の危機は脱したものの、未だに目を覚ますことがなかった。
今日も看護師さんの許可を得て、セツナの病室に向かう。扉をノックし、自分の名前を名乗ると、中から返事が返ってくる。
「エースちゃん、どうぞ」
それを聞いて中に入る。
いつも通り、セツナが眠っているベッドの横には、セツナのお母さんが座っていた。
「あ……セツナのお母さん、こんにちは……——セツナの具合はどうですか?」
「——安定してから、容態は一向に変わらず、です……」
「そう、ですか……あたしのせいで……」
「こーら、エースちゃん。それはもう言わないって約束ですよ。——この子もこれで意外とやんちゃなんですから。退屈になったら、きっとじきに目を覚ましますよ」
本来、あたしはとんでもない罪悪感で、セツナの両親たちの前になど出られるものではなかった。
謝って済む問題ではないことは当然理解しているが、あたしはまずは謝らなければいけなかった。
自分たちの娘の命を危険に晒した相手——それにもかかわらず、セツナの両親はあたしを咎めなかった。
あたし自身は許されるつもりはないが、セツナの両親はひとつあたしの償いとして、どうか自分を責めないでほしいといった。
それから、毎日セツナのお見舞いに来て、セツナのお母さんと容態を確認する日々を送っている。
セツナは息はしているようだけど、ずっと、ピクリとも動かず、眠り続けたままだ。
「セツナ……」
あたしはセツナの華奢な手を握る。
「私たちね、実はエースちゃんにはとても感謝してるんですよ。この子は生まれつき身体が弱くて……ウマ娘なのに自由に走れない。やっと走れるようになったと思っても治ったと思っていた病気が再発して……けれど、あの時希望を失っていたセツナに手を差し伸べ続けてくれて、救ってくれたのは——エースちゃん、あなたなんですから」
セツナのお母さんは、セツナの頭を撫でながらゆっくりとあたしに話し始めた。
「この子はいつも家に帰ってきてからも、ずっとエースちゃんエースちゃんって、すごく楽しそうに話してくれるんですよ。塞ぎ込んでしまってもおかしくなかったこの子の日々に彩りを与えてくれたのは、あなたなんです」
「セツナが……あたしの話を……」
「そんなエースちゃんに、私たちは感謝こそすれ、恨むことなんて全くありませんよ。——いつもこの子と一緒にいてくれて、本当にありがとうございます」
「そ、そんなあたしこそ、いつも助けられてばかりで……」
「だから、どうかそんな悲しい顔をしていないで。この子の目が覚めたら、笑顔で迎えてあげてくださいね」
「お母さん……」
そこで、あたしはふと床頭台に見覚えのある蹄鉄が置かれていることに気付いた。
「あ、この蹄鉄——セツナのお守り……!」
「あ、それは……。そうなんです。この子、あの日倒れていてもそれを握りしめたままだったんですよ。さすがにちょっと重たいですから、今は外してるんです」
「これ——セツナに渡してみてもいいですか!?」
あたしはこの蹄鉄を見て、直感のようなものがあった。御守りの三女神様ならあるいは、と。
「え? ええ……構わないですが……」
「ありがとうございます……!」
セツナのお母さんに許可を貰い、お守りを手に取ってセツナの右手に握らせた。
三女神様、どうか、どうか! セツナを——助けてください……!
―――
「——ん……ここは……?」
小鳥の囀りとそよ風の吹く音で目を覚ます。——どうやら見渡す限りの草原、そんな場所で眠っていたようだった。
「——あれ? ボク、どうしてこんなところに……?」
「やあ、子羊くん! 起きたかい!」
「わひゃ!」
突然、後ろから大きな声が聞こえて、尻尾がビクンと跳ね上がり、情けない声を出してしまった。
「はははっ、そんなに驚かなくてもいいじゃないか、子羊くん!」
「ダーレー……だから、私は後ろからは止めておけといったのに」
「あらあら、セツナちゃん、大丈夫?」
後ろを振り返ると、3人のウマ娘が立っていた。彼女たちが誰なのかボクは問おうとしたが、すぐにボクはある事実に気づいてしまった。ボクは心底驚いた。だって、だって——
「あああぁぁぁ……!」
「おや? どうしたんだい、子羊くん。そんなに震えて」
いつも絵本で見ていたあの姿が、なんで、なんで——
「さささ、三女神様っ!!?? な、なんで三女神様がおられるんですか!?」
「ふむ、そういえば……どういうワケか、お前たちの時代では我々は女神として崇められているらしいな」
「女神だなんて、照れちゃうな! ——俺はダーレーアラビアンだ! ダーレーって呼んでくれよな!」
——ダーレーさんは赤毛のウマ娘で、人懐っこそうな笑顔の裏に困難を恐れない勇敢さを秘めているように感じた。
「うふふ、そんな大層な存在じゃないわ。わたしはゴドルフィンバルブというの。ゴドルって呼んでね」
——ゴドルさんは海のように青い髪をしたウマ娘で、内に秘めた底知れない愛情を感じた。
「私の名はバイアリーターク。バイアリーで構わん」
——バイアリーさんは鹿毛の凛々しいウマ娘で、キリッとした佇まいから、規律に厳しい真面目さを感じた。
……い、いつも絵本の中でしか会えなかった存在に、本当に会えるなんて!!
「こ、これはユメなの……?」
「夢、か。——ところで子羊くん、キミが今どういう状況に置かれているか、憶えているかい?」
「ボクですか……? うーんと……ボクはさっきまで川でエースのトレーニングを見てて——って、そうだ! ボ、ボクはエースを助けに行って川に飛び込んで……! 途中で胸が苦しくなって、でも必死に泳いで、それで……」
エースを抱えて、川岸に上がることはできた……はず。でも、そこで限界がきて……。
「そうだ。おおよそ察しただろう。ここは夢の世界と現実の世界の間のような場所だ。そして、お前の本当の身体は今、死の危機に瀕している」
「あ、あの! エースは! エースは大丈夫なんですか!」
「それは安心してね。カツラギエースちゃんは、ちゃんと無事に目を覚ましたわ」
その言葉に、ボクはホッと胸を撫で下ろす。
「よ、よかった……!」
「——先にお前自身の身体の心配をしてほしいものだがな……」
「ははは、それも子羊くんの美点かな?」
「そ、それで、どうしてボクはこのようなところにいるんですか……?」
三女神様たちは様子を伺うように顔を見合わせると、神妙な面持ちでダーレーさんが話し始めた。
「まずは、なぜ子羊くんの夢に俺たちがいるのか——からだね。キミはずっと、俺が使っていた蹄鉄を身につけていただろ?」
「え……?」
「子羊くんがいつも身につけてくれてたお守りのことさ。実はあれ、昔俺が使ってたものなんだ」
「そ、そうだったんですか!?」
す、すごい……! やっぱりおじいちゃんがくれたあの蹄鉄は本物だったんだ……!
「その蹄鉄は、私とゴドルがダーレーの誕生日に贈った思い入れのあるものでな。我々もはっきりとした理由は分からないが、その蹄鉄に我々の想い——魂のようなものが残っていたみたいなんだ」
「セツナちゃん、川岸で倒れる前に私たちにずっと祈っていたでしょう? それが言霊となって、わたしたちの人格をひっぱり出したみたいなの」
「え、えっと……む、難しくてよく分からないですけど……それで三女神様に会えたなら、本当に良かったです……!」
「……いや、それがこの状況が良いとは言えないんだ、子羊くん。……単刀直入に言おう。——限界を超えて酷使されたキミの弱い身体は、このままだと“確実に”死に向かう」
「………………へっ?」
死……? え……?
「今、我々がお前と会話しているのも、一種の走馬灯のようなものなのだ」
たしかに、本来ボクの身体はあまり強くない。お医者さんから聞いた話だと、手術前は元々ボクの心臓の構造が普通のウマ娘と比べておかしくなっていたから、そんな身体になっていたらしい。それで、ボクはウマ娘本来の力が出せない。
「そ、そんな……! ボク、もうエースと会えなくなっちゃうんですか……?」
「そこでね——セツナちゃんを助けられる方法が、ひとつだけあるの」
「ほ、本当ですか!? お、教えてください!」
三女神様たちは、一瞬躊躇ったように口を閉ざしたが、またすぐに話し始めた。
「——また少し難しい話をするけど、今、子羊くんの魂は、かなり無理をしてエースくんの救助をしてしまったために、一部が欠けてしまっている状態なんだ。だから、このままだともう目覚めることができない。だけど、そこに俺たちの魂が入り込み補填して、強制的に1つの魂に戻すことができる。そうすることでキミを助けられる」
「そ、そんなことができるんですか!」
「けどね……それはつまり、キミの身体を俺たちで共有する、キミだけの身体じゃなくなる、という意味になる。それでもよければ——「それでお願いします! またエースに会えるのならボクは……!」
「フッ、即答か——だが、本当に良いのか? 自分で言うのもなんだが、会ったばかりの得体の知れないものが、身体に入りこんでくるのだぞ? それで、お前の身体を散々に利用するかもしれない」
「ふふっ、会ったばかりなんかじゃないです! だって、いつも絵本の中で会ってましたから、憧れの三女神様に! だから、ボクなんかの身体でよければ……!」
「憧れだなんて、嬉しいことを言ってくれるわね。でも、ボクなんか、なんて悲しいことを言ってはダメよ」
「は、はい……ごめんなさい……」
「うふふ、分かってくれればいいのよ。あなたは優しくてがんばり屋さんで強い子なんだから」
「さて、本人の許可も得たことだし、時間もない。それじゃあ早速始めようか! 子羊くん、手を出してもらえるかい?」
「こ、こうですか……?」
ボクは、おっかなびっくりに両手を差し出した。すると、三女神様たちがこちらに近づいてきて、出した手を、次々と重ねて握り始めた。
「ぴぇ」
憧れの存在たちが、急に鼻と鼻がくっつきそうな距離でボクの手を握ってくるものだから、鳥の鳴き声みたいな変な声が漏れてしまった。
「子羊くん、目を閉じてくれるかい?」
「は、はい……!」
三女神様たちの柔らかくて、それでいてとっても温かい手にドキドキする心をなんとか抑え、ダーレーさんに言われたとおりにする。
——両手を介して、何かが流れ込んでくるような気がした。これは——記憶?
『ふぅ〜〜……! どうかな、今の走りは自信があるんだけど! なにより、トレーナーと一緒に磨いてきた、とっておきの武器だからな!』
『わたしからすれば、まだまだ! もっと磨いていきましょう、子羊くん』
『ひっど! いつまでも子羊呼ばわりして! ……いつか、あっと言わせてやるから! そんじゃ、もう1本いこうかっ!!』
『よく聞け。体力が限界を迎えても、心まで限界を迎えるな』
『は……はいっ!』
『壁に当たっても負の心に飲まれる必要はない。強くなれ! また明日、走れるように!』
『……もっと強く! 私の……私たちの走りが……皆に深く刻まれるほどにっ!』
『ふぅ……ふぅ……。このくらいなら、こなせるようになりました〜』
『うん、やっぱりあなたをレースの世界へ連れてきて正解だったみたい』
『本当に……わたしを見つけてくれて——見守っててくれて、ありがとうございます』
『ふふっ……だって走りたそうな顔だったもの。走ることが好きなんだろうなって』
『これからも一緒に走っていきましょう。ずっと横で見守っているわ、シャムちゃん』
——おそらく三女神様たちの思い出だろう。トレーナーと呼ばれる人たちと、たくさんの汗をかきながらも気持ちよさそうに走っていて——
「はははっ、何か見えたかい? 少し怖いと思うかもしれないけど、それは魂の一体化が進んでる証拠だよ」
思い出の中の三女神様たちは、とにかく楽しそうだった。ボクも、あんな風に走れるときがくるのかな——
「耳を澄ませ。必ずお前の目覚めを待っている者たちがいるはずだ」
バイアリーさんに言われたとおり耳を澄ませる——しばらく集中していると、何度も、何度も聞いたことのある声が耳に入ってきた。
「これ……エースの声だ!」
間違いない、エースがボクの名前を呼んでいる!
「ふふっ、ようやく現実が近づいてきたわね。さあ、もう夢の時間は終わりよ、セツナちゃん。あなたには待っている人がいる。ゆっくりと目を——」
―――
——セツナに蹄鉄を握らせて、最後の希望と言わんばかりに三女神様に祈ってみたが、やはりセツナは目覚めない。
「セツナ、起きてくれよ……セツナのおかげで、あたしは生きてるんだ……! 起きて、ごめんなさいとありがとうって言わせてくれよ……!」
「エースちゃん……——ねえ、セツナちゃん、あなたを待っている人はたくさんいるのよ……? だから、どうか目覚めて……!」
今日こそは目覚めてくれると信じて、何度も何度もセツナに声をかけるあたしとセツナのお母さんの想いは、やはり届くことはなかった。
——何日にも思えるような時間が過ぎ、気づけば窓の外は日が暮れていた。そろそろ自分の病室に戻らないといけない時間になり、明日こそは目覚めてくれると信じて、セツナの元を去ろうとした——その時だった。
「……ぅ…………」
「!」
セツナの声……! 小さな、とても小さな声だったが、あたしはしっかりと聞き取った。一心不乱にセツナに駆け寄り、手を握る。
「お、おい、セツナ! セツナ! しっかりしろ!!」
起きて! 起きてくれ! セツナ!
「セツナちゃん!」
そんなあたしたちの呼びかけに応えるように、ついにセツナの目が開こうとしていた。
「ぅ……ぅん? ぇーす……?」
「セツナ! セツナぁ! 目を覚ましたか!? うわあああん、無事でよがっだよおおお!」
思わずセツナを抱きしめる。
「わ……ふふっ、なぁに……? えーす、きょうはあまえんぼさんだね。なかないで……? よしよし……」
セツナに頭を撫でられて、いよいよ我慢が出来ず、大声で泣き上げてしまった。
「ごめんよお! セツナ、ごめんよお!」
「セツナちゃん……! 本当によかった……!」
しばらくの間、あたしはセツナの胸で泣いていたが(その間セツナはずっと頭を撫でてくれていた)、ようやく落ち着きを取り戻し、セツナに現状を伝え始める。
「——そう、だったんだね……ごめん……迷惑かけちゃったね……」
「そんな、セツナのおかげであたしは助かったんだ!
あたしこそ、本当にごめん」
「でも、エースが無事でよかったよぉ。エースが動かなくなったときはホントに怖かったんだから」
「ごめん……もうあんな浅はかなことは絶対にしない! それと、助けてくれて、ありがとうな」
「そんな、助けるのはとーぜんだよ……親友、だから」
「セツナ……」
ああ、あたしはなんて幸せ者なんだ。こんなあたしにはもったいないくらいの親友がいてもいいのだろうか……。
「さて、積もる話もいろいろあると思いますが、とりあえずセツナちゃんは、身体の検査をしないといけないです。なので、今日はお別れしましょうか」
「……そうですね、わかりました。セツナ! また明日も会いにくるからな! じゃあな!」
「うん! 待ってるから……!」
まだ話したいことはたくさんあるけど、セツナの身体に負担をかけるわけにもいかないから、あたしは退室する。
そして、二度とセツナに不幸な思いをさせたいためにも、あたしはこれから、ずっと側でセツナを守ることを心に誓ったのだった。
レースジャンキーの気があるセツナにとっては、エースがいなければ病気が再発した時点で生きるのも苦しいほどの絶望を味わっていました。そういう意味では、エースという存在に間違いなくセツナは救われています。