第33話∶バイバイ。キャサリン
カラン カラン
そんな音を立てて冒険者ギルドの扉を開けて入ってきた4人の影、ここ数日ですっかり有名人となったハジメ、ユエ、ナナキ、シアである。ギルド内のカフェで、それぞれの時間を過ごす冒険者達の羨望やら尊敬やらの眼差しが彼等に一身に注がれている。
「おや、今日は全員お揃いかい?」
集まる視線をものともせず、カウンターへ近づくハジメ達。カウンターには毎日のようにキャサリンがおり、普段全員でギルドに来ることのないハジメ達へ意外そうに声をかける。
そのキャサリンにこの1週間と少しで非常に懐いたナナキが彼女の姿を見るやいなや一直線に跳んでいき、カウンターの端に顎をちょこんと乗せて「こんにちわ!」と挨拶をする。そんなナナキにキャサリンが「はい、こんにちは」と笑顔で答えながらその小さな頭を撫でつける。
これもナナキがギルドに来たときのすっかり見慣れた光景となっていて、周囲のゴツい冒険者達がとてもほっこりとした和んだ表情で見守っている。ハジメからしたら顔をしかめる光景だが、この光景も
「あぁ。今日町を出ようと思ってな。あんたには世話になったし一応挨拶をとな。」
「今日かい?そいつは随分と急だねぇ。」
ハジメの急な報告に目を丸くするキャサリン。それはそうだとハジメも分かっているようで、「昨日のうちに挨拶に来る予定だったのだが、」と続いて経緯を話す。
「昨日、何かあった筈なんだが記憶が全く無ぇんだよ。何か疲れたから泥のように眠ったところまでは覚えてんだが、目が覚めたらいつの間にか丸一1日経過してたからな。気味が悪いったらないぜ。」
そう言う理由で挨拶がギリギリになってしまったと言いながら、ハジメが頭痛を起こしたみたいに顔をしかめながら頭を手で押さえている。その様子を訝しんだキャサリンが後のユエとシアに視線を移すと、気まずそうに二人の少女はサッと視線を反らした。
これは誰もあずかり知らぬことだが……
ハジメは先日のショッキングな出来事(※女装)から自分の心を守るため、己の海馬からその忌まわしい記憶を全て亡きものとしたのだ!
しかし、それでは記憶の不自然な空白に違和感を覚えその矛盾が要因となって再びあのおぞましい出来事を思い出してしまう恐れがある。その対策にハジメの脳はショッキングな出来事があった日の最後。疲れとショックで泥のように眠ったその瞬間の記憶を、その更に先日の眠る瞬間の記憶をすり替えたのだ。
これにより記憶の中の不自然な不連続性は無くなり、あの悪夢のような出来事はハジメの中から永遠にその存在を抹消する事に成功したのだ。
だがしかし、実際に1日と言う時間が経過した事実は消えない。その部分にちょっとした疑念を抱いている辺り、ハジメの(脳の)必死の努力は、あまり意味がなかったのかもしれない……。
せめて、彼のトマウマが何かの拍子で再び顔を出さないことを祈う……。
さて、話は戻り。
そうやって目を逸らすユエとシアの様子に、この件に触れるのは藪蛇だろうと判断したキャサリンは、この話はそこまで広げずに良い所で切り上げた。人生経験のなせる大人の対応である。
「そうかい。行っちまうのかい。そりゃあ、寂しくなるねぇ。あんた達が戻ってから賑やかで良かったんだけどねぇ~」
「勘弁してくれよ。宿屋の変態といい、ユエとシアに踏まれたいとか言って町中で突然土下座してくる変態どもといい、ナナキを産みたいとか言う男女問わず猟奇的な変態通り越して危ない連中といい、〝お姉さま〟とか連呼しながら二人をストーキングする変態どもといい、決闘を申し込んでくる阿呆共といい……碌なヤツいねぇじゃねぇか。出会ったヤツの七割が変態で二割が阿呆とか……どうなってんだよこの町」
ちなみにだが、本来のここに連なるはずだった“服飾店の変態”は例の如くハジメの記憶から抹消されている。
どうかせめて……彼のトラウマが何かの拍子で《以下略》
また、ブルックの町にはとある
ここまで聞いておや?と思う者もいるだろう。三大派閥?四大派閥では無いのかと……。
そうかつて、ここにはもう一つ名を連ねていた派閥が存在していた。
その名は「ナナキきゅんを産み隊」。
ナナキきゅんの魅力に取りつかれ傾倒し、その人生を棒に振るった哀れな子羊たちの総称である。
当然のように覗きやストーカー、果てには下着泥棒。ひどいもので、爪や髪の毛そして……血液を奪おうとしてくる輩がいた……。
後者の猟奇的な物はなんとかガードできていたが、下着泥棒に関しては想定外にも完全に守り切ることはできなかった。
ハジメ、ユエ、シアによる保護者セコムをものともしない、正に完璧な犯行だった。(この最強集団相手に一体どうやっているのか?逆にその手口が知りたい。)
幸いしたのが、盗まれた本人が全く気にしていない所だろう。 気にしないと言うよりは気付いていないというところだろう。ハジメ達が盗まれたそばから買い足してたのもあるが本人の元来の大らかさかつ鈍感さの成せる結果である。
と、この様に軽犯罪程度躊躇うことなく平気で手を染める彼等「ナナキきゅんを産み隊」は、その危険な思想と無駄に激しい行動力により、謗法へ多大な迷惑を被るカルト教徒の様な集団へと変貌してしまう。流石は魔性の男の娘ナナキきゅん!
幸いと言っていいのか、今の所は死傷者などが出る程大事にはなっていないと言う。しかし彼等のあまりにも鬼気迫る様子から、こんな集団をこのまま放置する危険性……今後発生するだろう被害の深刻さを危惧され、ここ約1週間にかけてハジメ達を含め、一次休戦として協力体制を敷いた他派閥の手により無事に解体、淘汰されたのだった。
まぁ、だからといって他派閥の奴らも迷惑なことは変わりない。この街にいる間に起こった様々なドン引き出来事を思い出し顔をしかめるハジメ。それを見たキャサリンはナナキを撫でる手を止めぬまま苦笑いだ。
「まぁまぁ、なんだかんだ活気があったのは事実さね」
「やな、活気だな」
「で、何処に行くんだい?」
「フューレンだ」
軽い雑談を交わす中、ハジメから行き先を聞いたキャサリンは撫でていたナナキの頭をポンポンと優しく叩いた後に手を離し、何かしらの作業を始めたと思ったら徐に口を開く。
「フューレン行きの商隊の馬車がこの後出る予定だよ。客として乗り込むのは無理だが、護衛の依頼を受けた冒険者としてギリギリねじ込む事は出来るよ。丁度、残り一枠が埋まらなくて先方も困っていたところだったんだい。あんたらが良ければ一緒に乗っけてもらえばいいんじゃないかい?徒歩より馬車の方が良いだろう。」
そう言ってキャサリンは、ハジメ達に1枚の依頼書を手渡す。
これは、子連れの旅に徒歩では苦労するだろうというキャサリンのありがたい気遣いだった。
しかし、キャサリンは知らぬことだがハジメ達にはシュタイフや魔力駆動四輪ことブリーゼという馬車以上の移動手段を所持している。人の目の届かないところまでの移動は必要だが、フューレンまでの道をずっと徒歩と言う訳ではない。キャサリンの気遣いはありがたい話だったが、ハジメとしてはこれ以上の面倒事を避けるために最低限人との関わりを避けて行動したいところだった。
「いや、俺達は──
「ばしゃ!!」
直ぐ様ハジメがキャサリンの申し出を拒否しようとした瞬間。ナナキのはしゃいだ声がカウンターに響く。
どうやらキャサリンのナデナデを供述し、やや微睡みかけていながらも話は聞いていたナナキは、馬車に……馬に乗れるかもという期待に無表情ながらも分かりやすく目を輝かせていた。今は見えないが、ブンブンと尻尾が揺れている風圧も感じる。
「いやナナキ、しかしだなぁ──
「あにぃ!おうまさん!おうまさん。ナナキのりたい!」
ハジメはナナキに言い聞かせようとするが、輝くような期待の眼差しを愛する弟に向けられて口を噤んでしまう。
ハジメとしては前述した通りの理由もあるが、急な当日に滑り込むように依頼を受けるのは、先方は勿論キャサリンにも迷惑ではないかと考えたからだ。
この街にいる間、キャサリンには本当に世話になっていた。変心後の粗暴なハジメが、わざわざ旅立ち前に挨拶をしに来るくらいなのだ。それだけ彼女の厚意には頭が上がらない。
そうでなくても元来日本人の礼儀正しさが、これ以上の厚意に甘えるのは如何なものかと遠慮してしまう。
しかし、ナナキのおねだりをできるだけ聞いてあげたいという兄心も勿論ある。
そんなある意味板挟み状態となったハジメを後押しするようにユエが口を開く。
「……急ぐ旅じゃない。」
「ユエ……」
「そうですねぇ~、たまには他の冒険者方と一緒というのもいいかもしれません。ベテラン冒険者のノウハウというのもあるかもしれませんよ?」
そこに更にシアからの援護射撃が飛ぶ。
2人の意見に、弟からの期待の眼差し。それらはハジメの天秤を傾けるには十分だった。
「そうだな。急いでも仕方ないし、ナナキにとってはこれが初めての馬車の旅だもんな。」
「あにぃ。いいの?」
「あぁ。偶にはゆっくり行くのも悪くねぇだろ。」
納得したと言うように一つ頷くと、ハジメはキャサリンに依頼を受ける事を伝える。それを端で聞いていたナナキはこれまた嬉しそうにへにゃっとその表情を崩した。
「あいよ。先方には急いで伝えとくから、この後正午までには正面門に行っといとくれ」
「あぁ、了解した」
話が纏まるとキャサリンはハジメへ依頼書を手渡して、後にいるユエ達に視線を移す。
「あんた達も体に気をつけて元気でおやりよ? この子に泣かされたら何時でも家においで。あたしがぶん殴ってやるからね」
「……ん、お世話になった。ありがとう」
「はい、キャサリンさん。良くしてくれて有難うございました!」
キャサリンの人情味あふれる言葉にユエとシアの頬も緩む。特にシアは嬉しそうだ。そうしてユエ達に言葉をかけたキャサリンは次に、すぐ目の前にいるナナキの頭にもう一度手を乗せる。
「あんたもだよ坊や。身体には気をつけて元気でおやりな。」
「うん!ナナキね。てあらいうがい、ちゃんとやるよ!はやねはやおきもね、ちゃんとしてるんだよ!」
「そうかいそうかい。そりゃとっても偉いねぇ〜」
キャサリンの言葉に必死に答えるように、元気にまくし立てるナナキの様子を微笑ましそうにキャサリンは眺める。
「でもね……」
だが、彼女は同時に気づいていた。
そうやって強気にまくし立てるナナキの大きな瞳に、
その水面は大粒の雫となって今にも溢れて来てしまいそうだったが、そうなる前にキャサリンが自分のスカーフを取り出してそれをナナキの目元に宛てがいながら優しげに言葉を紡ぐ。
「大の男がそうメソメソするもんじゃないよぉ〜全く。」
繰り返すが、ナナキはキャサリンに非常に懐いていた。
故に、今日でお別れとハジメ達から聞かされていたときから心の準備はしていた。しかし彼のその心はその幼気な見た目以上に幼い。この間の大迷宮での活躍や戦闘時の勇ましくなった姿で忘れそうになるが、彼の本質はあまり変わっていない。ここまで頑張って我慢していたみたいだが、やっぱり大好きになった人とのお別れは……どうしてもさみしいのである。
「う、うぅ……ふぇええええんッ!!」
それがキャサリンに指摘されてしまってから決壊したのかナナキは弱々しく泣き声を上げる。その姿を後ろから見ていたハジメたちはすぐにでも慰めに飛び出したかったが、
((あまり甘やかしちゃいけないよ))と、キャサリンに視線で促された事で、一行は渋々その場は静観するに留まる。
ナナキも、なんとか泣き止もうと泣き声を抑えようとしたり、自分で流れ出る涙を拭ったりとしているが、結果はあまり芳しくなかった。
そんなナナキを見兼ねたキャサリンは、少し逡巡した後カウンターから出てきて、今度はナナキと目線を合わせるためにしゃがみ込み、本格的にその涙を拭き取った。──と思ったら
「あ〜あ〜。あんたの涙であたしのスカーフがびしょびしょになっちまったじゃないかい。」
ずびっぐすっ「うぅ?」
唐突にそう文句の様や事を口にしたキャサリンは、言うほど濡れていないオレンジ色のそのスカーフをナナキのオーバーオールの肩紐に括り付けると……
「これはもう、洗って
そう言ってナナキに綺麗なウィンクを飛ばした。
「……うぅ?」
キャサリンの言動の意味が理解できないナナキは、これまた可愛らしく首を傾げる。そんなナナキに、いつの間にか後ろ近づいていたユエがしゃがんでナナキの顔をのぞき込み優しく語りかける。
「きっと、またいつでも会いに来ておいでって言ってると思うよ……。」
「…………。ッ!」
言われてユエに顔を向けたままパチクリと瞬いた後、はっと気付いたようにナナキがキャサリンへ再び視線を戻す。対してキャサリンは、それを肯定するように深く頷いていた。
次の瞬間ナナキはキャサリンへ飛びつき胸に顔を埋め、むぎゅ〜ッと抱きついていた。あまりの嬉しさにナナキは少し加減がブレてしまい、想像以上の衝撃に思わず「うぐっ!?」と声を漏らしてしまうキャサリン。それを気付かないナナキは輝くような笑顔でキャサリンを見あげると……
「ちゃんと、ちゃんとッかえしにくるね!」
と、そう声を張り上げた。
それを見たキャサリンは、その身に受けたささやかなダメージなど忘れ、まるで、娘←✕ か孫に接するように再び優しい笑顔を見せて、
「あぁ、いつでも待っているさね」
と、言いながらナナキの小さな頭を再び撫でつけていた。
一連のやり取りを後ろから見ていたハジメは、やれやれと言うようにため息を吐きながら後頭部を掻く。
ユエ達の言うように、確かにこの旅は急ぐものではないけれど、無駄な時間を使うほど余裕があるわけではない。
未来のことはまだ分からないが、自分達の旅路の中で再びこの街に戻って来る必要性は正直無いように思う。
が、しかし。
「ったく、ズルい子だよ〜ぅお前さんは。嬢ちゃんたちに甘やかさないよう釘差したはずが、すっかりあたしの方から甘やかしてしまっているさね」
「仕方ない……ナナキの可愛さには、そういう人を誑し込む魔力があるッ」
「ですですぅ〜!」
「うぅ?」
いつの間にかシアまでナナキのそばに寄り、最後の団欒を楽しむ4人。その中央で、まるで祖母に甘えるようにキャサリンにしがみつく弟を見てハジメは……
“まぁ、少しくらいはいっか”
と、静かに納得し柔らかく微笑むのだった。
リハビリを兼ねて、今後約5000文字程度で更新していきます。