エンジェル・フォールン   作:暁天花

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第十話 平穏と充足感

 〈天使〉の襲撃がようやく収まったのは、その日の夕方だった。

 夜を告げる風が頬を撫でる、一面茜色(あかねいろ)の世界の中で。ミユキたちは六時間ぶりに戦闘態勢を解いて、はぁと一息をつく。

 

 〈D-TOS〉を巡航状態へと移行し、ブレンツラウ中継基地へと戻るさなか。通信機を介して、アレンはげんなりした様子で愚痴をこぼす。

 

『まさか、〈座天使(ソロネ)〉を倒した後もあんなに襲撃があるとはなぁ……』

 

 〈座天使(ソロネ)〉を撃破してから、約六時間。その間、ミユキたちはほとんど休みなしに延々と〈天使〉の一団と戦っていたのだ。

 

 まさか、ここまで攻勢が激しいとは誰も思っていなかったらしい。ちらりとアレンの小隊を見ると、彼に追従する部隊員たちは誰も彼もが疲れきっていた。

 唯一、隣で涼しい顔をしたユウキが、さらっと現状を告げる。

 

「以前閲覧した軍司令部の〈天使〉観測データベースを見る限り、ここ最近の〈天使〉観測数は顕著な増大傾向にある。現在予定されている攻勢作戦においても、相対する〈天使〉の数は今日の比にならないという想定だ。今から慣れておくといいだろう」

『それは俺も知ってるけどさ? ほんと、やなこった』

 

 投げやりに愚痴るアレンの声に、ミユキは苦笑をもらす。

 今から約一週間後の、六月二二日。その日、人類は対〈天使〉戦争で初となる攻勢作戦を北部戦線で発動することとなっている。

 

 そして。その主力魔導士部隊として選ばれたのが、ミユキたち特設(S)技術(T)試験部隊(T)と、アレンが率いる第一八九魔導士小隊だ。ミユキたちは先の〈智天使(ケルビム)〉討伐作戦を、アレンたちは西部戦線での顕著な活躍を評価して決定されたらしい。

 

 また、今夜にはその攻勢作戦についての作戦説明が、統合軍司令部の司令長官直々に開かれることにもなっているのだ。

 感嘆を含んだレツィーナの声が、通信機から聞こえてくる。

 

『にしても、今日のあんたたち凄かったわね。〈座天使(ソロネ)〉を二人だけで倒しちゃったりして、大活躍だったじゃない』

「そ、そうかな?」

『うんうん。さすが、私たちを相手に圧勝しただけはあるわね。同期としても誇らしいわ』

『ユウキも、噂通りの実力で何よりだ。……というか。あんだけ戦場走り回っといて無傷なの、どんな戦い方してんだ?』

「別に、特別なことはなにもしていない。その時々で最善手を判断し、行動しているだけだ」

 

 ユウキがさも当然のことのように言うのに、アレンは少し呆れたように笑う。

 

『それを毎回できりゃあ苦労はしねぇんだけどな。……んで。ミユキ、お前は今日、何回強制終了食らったんだ?』

 

 無言の圧力に、ミユキはしばらくの沈黙して。それから、消え入りそうな声音で答える。

 

「…………三回、かな」

 

 〈座天使(ソロネ)〉との戦闘の際に一回、その後の戦闘で前に出過ぎたのを無理やり抜け出した時に二回。しかも、原因はどちらも同じ、一時強化(ブースト)の使い過ぎだ。

 

 ……正直、ここまでラプラスの性能に頼っていたとは自分でも思わなかった。

 

「いくらラプラスの性能が良いとはいえ、〈D-TOS〉の過剰使用は脳に大きな負担がかかる。鎮痛剤を投与すれば反動は抑えられるが、それは決して脳への負担を軽減している訳でも回復している訳でもないんだ。命を削って戦っているということを忘れるな」

「……はい」

 

 反論の余地もなく、ミユキは肩を落とす。

 今回の件は、どう考えてもミユキが勝手に自爆して死にかけていただけなのだ。自分が悪いのは自分が一番分かっているのだから、反省するしかない。

 意気消沈するミユキの耳に、近寄ってきたユウキの言葉が聞こえてくる。

 

「……私は、お前には長く生きていて欲しいんだ。だから、自分の身体は、丁寧に扱え」

 

 優しい、けれども微かに悲しさのこもった声だった。

 その言葉に、ミユキはしばし押し黙って。

 

「……ごめん」

 

 そう言うことしか、できなかった。

 

 

 

 ブレンツラウ中継基地へと戻る頃には、空には星が瞬いていた。

 基地に戻るなり、ミユキたちは事前に通知されていた小隊用の兵舎へと向かう。中へと足を踏み入れると、そこには大人の兵士たちが厨房で忙しく手を動かしていた。

 恐らくは、今日の夕食の準備なのだろうが……。しかし、何故、ここに烹炊(ほうすい)部隊が?

 

「あれ、お前ら、聞いてなかったのか?」

 

 きょとんとするミユキに、アレンは怪訝な表情をつくる。

 

「そういった通知は、見た記憶がないが……」

 

 どうやら、ユウキもこのことについては何も聞かされていなかったらしい。二人して困惑していると、レツィーナが女子隊員の中からひょっこりと現れてきた。

 

「今日から攻勢作戦開始までの間は、食事はこの基地の烹炊(ほうすい)部隊がやってくれることになってるのよ」

「じゃあ、おれたちはなにもしなくていいのか?」

「ま、そういうことになるな。お前にはがっかりかもしんねぇけど」

 

 にやりと意味ありげに笑いかけてくるのに、ミユキは曖昧に笑い返す。

 料理ができなくなるのは少し残念だが……。まぁ、みんなと過ごす時間が増えるなら、それもいいか。

 

「そこのガキども! 飯はまだできてねぇからさっさと風呂でも入ってきやがれ!」

 

 料理長らしき男性士官が、厨房の奥からそんなことを言ってくる。

 

「じゃ、お言葉に甘えるとするか。……お前らも、入るだろ?」

 

 そう言って、アレンが小隊の中からちらりと視線を向けてくる。

 ミユキとユウキは、一瞬目を見合わせて。それから、口の端を緩めながら答えた。

 

「ああ」

「断る理由もない」

 

 

  †

 

 

「……で。ミユキに思いは伝えれたわけ?」

 

 相応に広い女子浴場の、湯船の一角で。ユウキは、隣で湯船に浸かるレツィーナにそんなことを訊ねられていた。

 

「……お前は、何を言ってるんだ」

 

 突然の問いに、ユウキは思わず怪訝な表情をつくる。

 身体と髪を洗い終わって、ようやくしっかりした休息がとれるといった状態なのに。なのに、なぜ、レツィーナはそんな訳の分からないことを急に訊ねてくるのだろう。

 目を瞑るユウキに、レツィーナはさも当然のことかのように言葉を続けてくる。

 

「なにって、あんた、ミユキのこと好きなんでしょ? それも、ずっと前から」

「それはそうだが…………」

 

 なぜ、レツィーナがそのことを知っているのか。平静を装いながらもユウキは胸中で戸惑う。

 しばらく考えてから、ユウキは続きの言葉を紡いだ。

 

「恐らく、おまえの考えているような関係を望んでいるのではないと思うぞ」

「じゃあ、あんたの望む関係って、どんな関係なのよ?」

 

 あえて視線を交わさず、わあきゃあと(かしま)しい嬌声(きょうせい)をあげる部下たちを優しい瞳で見つめながらレツィーナは()いてくる。

 

「……私は、あいつが幸せに生きてくれたらいいと思っているだけだ」

 

 ミユキが幸せなら、ミユキが笑っていてくれるだけで、私は幸福だ。そこに私という存在の有無は関係ないし、存在する必要もない。

 私は、私のなすべきことを全うするだけだから。

 

 「そう」と、素っ気なく一言呟いて。レツィーナは目を合わせて更に問うてくる。

 

「なら、あんた自身が幸せかどうかは、関係ないってわけ?」

「私は、今のままで十分幸せだと感じている。これ以上を求めるのは傲慢(ごうまん)だ」

 

 五年前のあの時、本当なら私はもうすでにこの世界からいなくなっていた。ミユキやレツィーナ、アレンたちとは、もう二度と会えないと思っていたのだ。

 だから。今、こうして自分がいて、みんながいてくれるだけで、私は嬉しい。これ以上の幸福は、望むのすらもおこがましい。 

 

「……そっか」

 

 それきり言葉は途切れて、二人の間には沈黙が訪れる。けれど、その沈黙にぎこちなさや気まずいというような感覚はなくて。どこか、不思議と心地のいい沈黙だった。

 

「……でも。幸せを追求するのは、別に傲慢でもいいんじゃないかしら?」

 

 再び口を開いたレツィーナに、ユウキは片目を開けて視線を送る。それに気づいたらしい、レツィーナはくすっと笑って続けた。

 

「もっと幸せが欲しいって考えるのは普通のことだと思うし、傲慢だとか権利がないとか、そんなのはないと思うわよ? 第一、あんた()幸せになってくれないと、私たち()幸せになれないっての」

「……そうなのか?」

「あら、私たちって随分冷たいやつらだと思われてたのね?」

 

 わざとらしく眉を上げて、レツィーナは口元ににっと笑みを浮かべる。

 ……こういう表情をする時のレツィーナは、言葉の本質を分かった上でからかってきているのだ。だから、反論や否定は、なんらの効力も発揮しない。

 

「……私の負けだ」

 

 大人しく投了の意を示すと、隣からはくすくすとレツィーナの笑い声が聞こえてくる。

 

 ――もっと、自分のために生きてもいいんじゃない?

 

 恐らく、それが彼女の言わんとすることなのだろう。もっと傲慢に、自己中心的に生きてもいいのではないかという、彼女なりの気遣いだ。

 その気遣いに、心が暖かくなるのを感じていた時だった。

 

「あ、あの、アレスシルト大尉!」

 

 突然、どこか聞き覚えのある声に呼ばれて、ユウキは視線を振り向ける。すると、そこには緊張で顔を強ばらせた一人の少女がこちらを見つめて立っていた。

 

「……君は、」

「も、()第九六魔導士大隊B班所属の、アグネス・エルスリー准尉です」

「……ああ。あの時の」

 

 微かに目を細めて、ユウキは答える。

 第九六魔導士大隊は、現在の特設(S)技術(T)試験部隊(T)に配属される前にユウキが指揮していた部隊の名称だ。〈D-TOS〉の予測を大幅に越える〈天使〉の襲撃によって定員の九九%が帰らぬ人となり、結果、この惨劇は魔導士たちによるユウキの評価を決定づけることとなった。

 

 

 ――どうせ、その右眼の傷もお前を恨んだやつがやったんだろ!?

 

 

 その日言われた言葉が、脳裏に(よみがえ)ってはユウキの心を突き刺してくる。

 部隊が壊滅して、なんとか撤退に成功したあと。夕焼けの中で言われた言葉だ。

 

 絶望と悲嘆と、やり場のない憎悪と憤懣(ふんまん)を吐き出しただけの、ほとんど実質的な意味を持たない言葉。そう頭では理解しているのに、ミユキはそんなことを思ってはいないと知っているはずなのに。どうしても突き刺さったままで抜けない、猛毒の刃。

 

 気まずさと申し訳なさから、無意識のうちに目を逸らそうとしたその時だった。

 

「その、すみませんでした!」

 

 思い切り頭を下げられて、ユウキは逸らしかけていた視線を戻す。

 なぜ、彼女に謝られているのか。まるで理解できなかった。

 ゆっくりと頭を上げた眼前の少女は、ばつの悪そうな顔で続きの言葉を紡ぐ。

 

「その、あの時は友達もみんないなくなっちゃって、色々頭が追いつかなくて。だから、隊長に八つ当たりしちゃって、あんなこと言っちゃって……。だから! その、」

 

 視線を再びユウキに合わせて、彼女はそれを口にした。

 

「感謝、してるんです」

「……感謝?」

 

 ユウキの反芻(はんすう)に、目の前の少女は頷く。

 

「部隊が解散したあとに聞いたんです。隊長が、みんなのぶんのドッグタグを全部集めて届けてたこと。……それに。北部戦線で一年以上生き残れるのは、全体でも十%もないって」

「……」

「今、私が……ううん。あの時、生きていた人たちがここにいられるのは、隊長のおかげなんです。……だから、もし、あの時のことを気になさってるなら、」

「……そうか」

 

 言いながら。ユウキの胸中には、不思議な感覚が渦巻いていた。

 

 あの後、彼女がどんな話を聞いたのかは知らない。けれど。今までやってきたことが、少しだけ認められた気がして。嬉しいような、救われたような、よく分からない感慨が込み上げてきていた。

 湧き上がる感情の波を抑えて、ユウキは右頬をかきながらいつものように口を開く。

 

「そのことで君たちに余計な不安を抱かせてしまっていたのなら申し訳ない。……心配せずとも、私はその程度の言葉で戦闘に支障をきたすようなことはない。気にするな」

 

 微かに口元を緩めるのに、エルスリー准尉ははにかむように笑う。そして。硬い決意を持って、彼女は告げた。

 

「今回の作戦、必ず成功させましょうね」

 

 ユウキは深く頷いて。真剣な声音で応える。

 

「彼らの犠牲は、無駄にはしない」

 

 

 

 

「ユウキと仲直り、できたんだな」

 

 一方、男湯の湯船にて。隣でお湯に浸かるアレンは、感慨深げにそんなことを呟いていた。

 

「……おれ、お前に言ったことあったっけ?」

 

 ミユキがユウキに向けていた感情は、今までずっと自分の心の中だけに閉じ込めていたはずだ。なのに。何故、彼はその事件について知っているのだろう。

 きょとんとするミユキに、アレンは苦笑したように笑う。

 

「言われなくても、お前の態度見てたらだいたい察しはつくよ。…………あいつの傷、お前だったんだな」

「……」

 

 無言で頷くミユキに、アレンは微笑を投げかけてくる。

 

「でもまぁ、お前らを見てる限り、ミユキが悪いって訳でもなさそうだな?」

「……そうだった、らしい」

「らしい?」

 

 こくりと頷いて、ミユキは続ける。

 

「ずっと、その前後の記憶が思い出せなかったんだ。だから、あいつと会って話をするまで、おれは大切な人も平気で傷つけるようなやつなんだって、そう思ってた」

 

 大切な人(ユウキ)を平気な顔で傷つけた自分が怖くて、また同じことをしてしまうのではないかと思って。だから、誰かと親しくなることが怖くて、不安でたまらなかった。

 そして。その不安と恐怖が、ミユキの心を孤独で蝕んでいたのだ。

 

「……だから、おれたちとも距離を置いてたのか?」

 

 アレンの問いに、ミユキはううんと首を振る。

 

「とろうとしてやってた訳じゃないんだ。ただ、お前たちとどう接すればいいのか分からなくなって、それで」

 

 以前と同じように接していたら、また同じことをしてしまうのだと思って。なにより、ユウキを傷つけたのに、その罪を償うこともないままの自分が許せなくて、怖くて。

 

 けれど。そのことを誰かに明かすような勇気もなくて。

 気がついた時には、どうやってみんなと接していけばいいのか分からなくなっていた。

 水面に視線を落とすミユキに、アレンはいつもの明るい声音で言う。

 

「でも。そんなことはなかったんだろ?」

「……うん」

「なら、よかった」

 

 それきり会話は途切れて、二人の間には不思議な沈黙の時間が訪れる。

 実際にはアレンの部下たちが思い思いに喋っているから、浴室の空間自体は騒がしいものではあるが。

 

「……というか。お前も大概だよな? 大切な人って」

 

 ニヤリと笑って、アレンが意味深な視線を向けてくる。

 

「……? なにか変なこと言ったか?」

「いーや? ただ、俺が勝手に盛り上がってるだけだ」

 

 と思ったら勝手に納得された。

 意味の分からない言動に、ミユキは苦笑をもらす。

 

「……なんだ、それ」

 

 

  †

 

 

 風呂上がりには、烹炊(ほうすい)部隊によって夕食の準備がなされていて。それを食べ終わっていくらか経ったころ。

 時計の針が夜の八時を告げる時間帯に、ミユキたち特設(S)技術(T)試験部隊(T)とアレンたち第一八九魔導小隊は、食堂で作戦説明の時間を待っていた。

 

 全員の前には、『〈ルキフェル〉作戦』という題目の資料が配られていて。恐らく、これが今回の作戦名なのだろうなとミユキは思う。先程ユウキに聞いたところによると、〈ルキフェル〉とは堕天使――つまりは天使に叛逆(はんぎゃく)するものを表すのだそうだ。

 

 視線を左へと移すと、そこには一人の将校――統合軍司令部司令長官のエーリヒ・フォン・クライスト陸軍元帥が厳然とした面持ちで立っている。一目見るだけでも背筋が伸びるような雰囲気に、ミユキも自然と背筋を伸ばしていた。

 

 時計の針が、午後八時を告げる。

 食堂内の証明が消され、予め展開されていたスクリーンの画面が暗闇の中に浮かび上がる。

 

「――では、これより対〈天使〉反攻作戦、〈叛逆の天使(ルキフェル)〉作戦についての作戦説明を始める」

 

 司令長官の低い声に、一同の緊張感が増す。全員が資料をめくったのを確認してから、彼は続けた。

 

「まずは作戦概要から説明する。君たちも知っての通り、今回の作戦は人類における初の大規模対〈天使〉反攻作戦となる。よって、今作戦は戦略的および政治的に極めて重大なものであり、絶対に成功させなければならないものだ」

 

 人類による初めての反攻作戦。それは、成功すれば全人類にとっての希望の灯火(ともしび)となるのだろうなと思う。

 しかし、もし失敗すれば、それは全人類に途方もなく大きな絶望を与えることになるのだ。故に、この作戦は文字通り『絶対』に失敗できない。

 

「目標地点は北部戦線北端から五〇〇キロメートル先、旧スェーヴェル連邦都市ラヴェトラーナ。現在は大陸北端の海岸線となっている場所だ」

 

 約三〇年前に北極点基地(エルドラド・ベース)が爆発した際、北半球に存在していた陸地はそのほとんどが爆発の余波で吹き飛び、津波によって海に没した。そのため、現在の北半球は約九割が海へと変貌している。

 

「資料に記載の通り、現在既に第一段階の核攻撃隊が出撃し、敵拠点となる〈ドーム〉周辺の〈天使〉を掃討中である。よって、君たちの行う第二段階は、放射能汚染が一定以下まで減少した一週間後だ」

 

 全員が資料をめくったのを確認して、司令長官は続ける。

 

「第二段階は、魔導士部隊による敵前進拠点――〈ドーム〉の破壊および直接占領だ。以下、“目標‪‪‪α‬‬(アルファ)”と呼称する〈ドーム〉は〈座天使(ソロネ)〉および〈智天使(ケルビム)〉の存在が確認され、そしてさらなる増大が予測されている。そこで、だ。君たち特別編成部隊には、これらの掃討に当たってもらう」

「俺たちが〈智天使(ケルビム)〉を……ですか?」

 

 隊員の一人が尋ねるのに、司令長官は答える。

 

「正確には、特設(S)技術(T)試験部隊(T)が〈智天使(ケルビム)〉を、〈座天使(ソロネ)〉以下の〈天使〉を第一八九魔導士小隊が担う形だ。君たちの協働(きょうどう)は、作戦指揮上の都合によるものだ」

 

 堅い面持ちを一切崩さずに言い切るのに、ミユキは視線を少し下へと落とす。

 

「……また、あんなやつと戦わなくちゃならないのか」

 

 思わず、そんな声が出ていた。

 前回の〈智天使(ケルビム)〉――〈オファニエル〉一体にすら、二人は死力を尽くして戦ったのだ。それともう一度戦わなければいけないのだと思うと、気が重くなる。

 

「だが。私たちがやらなければ、人類は敗北する」

「……そう、なんだろうけどさ」

 

 ユウキの声は、決然が色濃く表れていて。だから、ミユキは何も言えない。

 

 とはいえ。指令がある以上、軍人であるミユキたちは従うしかないのだ。それに。彼女や司令長官の言う通り、この作戦を成功させなければ人類全体の未来が潰えることとなる。

 ユウキやみんなと一緒に過ごせなくなるなんて未来は、見たくない。

 

「第三段階にあたる〈ドーム〉本体の破壊は、周辺の〈天使〉掃討を待って大型の核弾頭を搭載した攻撃機隊が担う予定だ。……以上、この三段階が今作戦についての概要となる。詳細については各自、または部隊内会議で確認しておいてくれ」

 

 司令長官が言い終えると。待機していた士官が食堂の照明がつけていた。天井から吊るされていたスクリーンを戻しながら、司令長官はミユキたちに視線を向ける。

 

「ここまでの説明について何か質問があれば受け付けるが」

 

 手を挙げたのはアレンだ。司令長官が「そこの少年」と応じるのに、アレンは席を立つ。

 

「第一八九魔導小隊小隊長のアレン・フリーダーです。作戦予定日は六月二二日――つまり一週間後となる訳ですが、その間、俺たちに出撃要請は下るのでしょうか」

「戦力の万全を期すため、明日から作戦実施予定日までは戦線とは別個の部隊として扱われる。よって、君たちに出撃要請が下ることはない」

 

 ……どうやら、今日から作戦日までは休暇になるらしい。

 アレンが席に座るのを確信して、司令長官は再び全体に視線を移す。

 

「他に何か質問は…………」

 

 そう言って見渡すが、アレン以外に手を挙げる人は見当たらなかった。

 これ以上の質問はないと判断したらしい、司令長官は厳然とした声音で告げる。

 

「では、これにて作戦説明を終了とする。今回の作戦は、人類史における初の対〈天使〉反攻作戦となる。各員、死力をもって任務に当たってくれ。……以上、解散」

 

 

  †

 

 

 その日の夜は、作戦説明のあとの緊張と不安で中々寝付けなくて。ミユキは気分転換でもしようと、屋上へと向かっていた。

 向かう途中に見えた時計の針は、午前一時を指していて。三時間も寝付けないでいたのかと、ミユキは自分自身にため息をもらす。こんなに寝れないでいるのは、五年ぶりだ。

 

 薄暗い廊下と階段を抜け、屋上に続く扉を開ける。踏み出したミユキを出迎えてくれたのは、雲一つない満天の星空だった。

 見渡す限りに視界を遮るものはほとんど何も無く、眼下の基地には最低限の照明だけが静かに基地を照らしている。空を見上げると、そこにあるのは見慣れた二つの交錯した銀河だ。数億光年という長い年月をかけて融合を果たすらしい、宇宙の神秘の一つ。

 ミユキたちの駐屯基地ほどではないにしろ、ここでも夜空は絶景と言って差し支えない光景だった。

 

「どうした、こんな時間に」

 

 聞き慣れた少女の声に、ミユキは視線を前へと戻す。そこには、マグカップを片手に欄干(らんかん)にもたれるユウキの姿があった。

 苦笑をもらしながら、ミユキは答える。

 

「ちょっと寝付けなくてな。ユウキは、なんでこんな時間に?」

「分析が一段落したから、休憩にだ」

「分析? 何の?」

「今行っているのは、対〈智天使(ケルビム)〉戦闘についての戦術だ。先の討伐作戦では、私たちは大きな苦戦を強いられただろう。あんな薄氷の勝利は、二度と御免だ」

 

 ユウキが肩を竦めて微笑をつくるのに、ミユキもつられて笑う。こんな穏やかな表情をするユウキを、ミユキは初めて見た気がした。

 彼女の隣に駆け寄って、ミユキも同じように欄干(らんかん)に両腕を載せる。視線を横へとずらすと、丁度コーヒーを飲むユウキの姿が目に入った。

 

「……こんな時間にコーヒーなんて飲んで大丈夫なのか?」

 

 知っての通り、コーヒーに含まれるカフェインには覚醒作用があり、眠気を取り除く効果がある。そんなものを午前一時(こんな時間)に飲むというのは、あまりよろしくないんじゃないだろうか。

 

 第一。昨日は半日中〈D-TOS〉を使いっぱなしだったのだ。さすがにそろそろ脳を休めてあげないと、明日に響く。

 そんな心配を知ってか知らずか、ユウキはさらりと告げる。

 

「問題ない。このあとも、もう少しだけやる予定だからな」

「もう少しだけって……。今、何時なのか分かってるのか?」

「午前一時だろう? それも承知しているさ」

「だったら、なんで」

「今分析中の資料が、もう少しで終わりそうなんだ。これを中途半端に残しておくのは、どうにも落ち着かなくてな」

「……なんだ、それ」

 

 思ったよりしょうもない理由に、ミユキはがっくりと欄干(らんかん)にもたれかかる。

 変なところで不器用なのは、昔から変わらないけれど。だからって、そんなところで不器用を発動させなくてもいいのに。

 はぁとため息をついて。ミユキはユウキに視線を送る。

 

「まぁ、俺たちのために頑張ってくれるのは嬉しいけどさ。あんまり、無理はするなよ?」

 

 ユウキはこくりと頷いて。

 

「ああ。それは承知している」

 

 と、嘘偽りのない双眸でそれだけ答えた。

 それきり会話は途切れて、二人の間には心地のいい沈黙の時間が訪れる。

 静謐の星空の中。ミユキは、こんな平穏な時間が永遠に続けばいいのにと心の底から思った。

 

 なんとなくユウキの横顔を眺めていると、ふと、右手でマグカップを傾ける彼女と目が合った。左右で色味の違う緑玉(エメラルド)の双眸が、こちらを向いてぱちくりとまばたく。

 

「……お前の分も()れてこようか?」

「え?」

 

 今度はミユキがまばたくのに、ユウキはちょこんと首を傾げる。

 

「欲しいのかと思ったんだが。違ったか?」

 ……そんなことは全く考えてもいなかったんだけど。

 

 しばし考えてから、ミユキは答える。

 

「……まぁ。わざわざ淹れてもらうほどではないかな」

 

 美味しそうだなとは思うが、今の時間に飲むとこのあと寝れなくなりそうだ。寝るために来たのに寝れなくなってしまうのは、本末転倒でしかない。

 

「……仕方ない」

 

 と呟くと、ユウキは自分の持っていたマグカップを差し出してきた。

 

「残りをやる。多少冷えてはいるが、まだ美味しいはずだ」

 差し出されたマグカップを、しばし見つめて。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 一言入れて、ミユキは彼女のマグカップを右手で譲り受ける。ぐい、と傾けると、口の中にほろ苦い液体が流れ込んできた。

 コーヒーに特有の(こう)ばしい匂いが鼻をくすぐり、苦味の中にきめらく甘味とわずかな酸味が独特な美味しさを醸し出している。

 

 この味だと……コーヒー以外には何も入っていないな?

 

「お前、ブラックで飲んでるんだな」

「それが一番早いし、美味しいからな。……なんだ、お前は無理だったか?」

 

 疑念を瞳に灯すユウキに、ミユキは優しく笑う。

 

「いつもはオーツミルクと人工甘味料(シロップ)入れてるから、こんな味なのかと思って。……けど、これはこれで美味しいな」

「そうか。ならよかった」

 

 にこりと口元を緩めて、ユウキは満天の星空へと視線を向ける。交錯する二つの銀河と散りばめられた星雲が美しい、見慣れた星空。

 再び訪れた沈黙に、ミユキはしばらくの間押し黙って。

 ふと、意を決したように訊ねた。

 

「ユウキは、なんで軍に入ったんだ?」

「……なんだ、急に」

「お前の父さんと母さんが軍人で、お前を軍人にしようと育ててたのは知ってる。けど。だからって、軍人になる必要なんかなかったんじゃないのか?」

 

 ミユキは知っている。彼女が、両親の期待と夢に押し潰されそうになっていたことを。己のやりたい事がなにもできなくて、静かに心をすり減らしていたことも。

 だから。なぜ、両親の呪縛がなくなってもなお、ユウキが軍人という道を選んだのか。ミユキには分からなかった。

 視線を星空へと投げかけたまま、ユウキは答える。

 

「私にできることは何かと考えたとき、それしかなかったからだ」

「え……?」

「目が覚めた時には故郷は滅び、両親は戦死し、お前たちとも二度と会えない状態なのだと聞かされていた。その当時の私は身寄りもなく、そして生きる希望も持ち合わせてはいなかった。そんな私が唯一できることは、軍人として戦場に立つことだけだと思ったんだ」

 

 軍人になれば、両親との繋がりだけは感じられる。〈天使〉と戦うことで、故郷と友を失った絶望は忘れることができると。当時のユウキは、本気でそう思っていたのだ。

 暗い表情をするミユキに、ユウキは視線を送って肩を竦める。

 

「……そんな顔をしないでくれ」

「だって、お前」

 

 それが原因だったのなら。おれがお前を戦わせたようなものじゃないか。

 俯くミユキに、ユウキは確固とした声音で告げる。

 

「たとえ敷かれていた人生であっても、それしか選択肢がなかったとしても。この仕事は、私が、私の意志で決定し選択した未来だ。だから。私は、この選択に一切の後悔はない」

 

 一点の曇りもない言葉だった。

 そこまで強い意志で断言されてしまっては、ミユキは何も言えなくなってしまう。彼女が納得し、そして自分の意志で選んだものならば、喜ぶべきものなのだ。

 だって。それまでは、何一つ自分の意志で決めさせて貰えなかったのだから。

 

 「そっか」とだけ呟いて。ミユキは精一杯の笑みをつくる。心の内にくすぶる感情を、賞賛すべき第一歩なのだと塗り潰して。

 

「ミユキこそ、お前はなぜこの道を選んだんだ?」

 

 軽く、けれども真剣さのこもった声音でユウキは問うてくる。

 今度はミユキが空へと視線を向けながら答えた。

 

「……力が、欲しかったから」

 

 脳裏に巡るのは、五年前の記憶。〈天使〉の襲撃を受けた時の記憶だ。

 

「五年前のあの時、おれは何もできなかったんだ。父さんと母さんを見捨てて、光になって消えていくキルシェを、おれはただ見て、逃げることしかできなかった」

 

 生きろとだけ言い遺して、両親はミユキたちを逃すために無謀にも〈天使〉に立ち向かって行った。

 それなのに、共に「生きろ」と言われたキルシェ()が光の粒となっていくのを、ミユキはただ見ていることしかできなかった。

 大切なものは、何一つ守ることができなかった。

 

「あんな想いはもう二度としたくないと思ったし、誰にもして欲しくないと思った。だから……かな?」

「……かな?」

 

 案の定、疑問形になってしまったところを突っ込まれてしまった。無意識に出てしまったとはいえ、この流れで疑問形は流石に不自然でしかないだろう、自分。

 今更嘘を言ったところで通じないと判断して、ミユキは実際のところを打ち明ける。

 

「今思うとそうだって言えるんだけど、試験の前後のことはあんまり記憶になくて」

 

 故郷の襲撃があってから士官学校の入学まで、その間はとにかく自分の気持ちに整理をつけるので精一杯で。アレンとレツィーナに追随するままに受けたような気もする。

 いやまぁ、実際その時はそうだったのかもしれないが。

 

「そうか」

 

 と、ユウキは呟くと。それきり、黙り込んでしまった。

 再び星空に視線を向けかけたところで、ユウキが口を開いた。

 

「お前は確実に誰かの命を守り、救っている。……だから。お前は、もう無力ではない」

 

 え、とミユキは微かに目を見開く。構わず、ユウキは続ける。

 

「それに。お前の帰るべき場所はここにある。そのことだけは、決して忘れないでくれ」

 

 確固ととした意志の宿った、けれどもどこか少し悲しさを感じさせるような声音だった。

 真剣な緑玉(エメラルド)色の双眸が、ミユキの瞳を真っ直ぐに見つめてくる。

 

 どんなことを思っているのかなんてものは、他人である以上分からないけれど。だけど。その眼差しに、ユウキが自分のことを本気で心配してくれているのだということは分かった。

 心が暖かくなるのを感じつつ、ミユキは目を細める。

 

「……ああ。ありがとな」

 

 うん、とユウキは無言で頷いて。それから、扉に向かって歩き出す。ドアノブに手をかけたところで、彼女は振り返ってきた。 

 

「ミユキも、あまり夜更かしはするんじゃないぞ」

「それ、お前が言うのか」

 

 思わず、そう返してしまった。

 今から夜更かしする気満々の奴が、何を言っているんだか。

 少しの硬直の間を置いて、ユウキは何事もなかったかのように続ける。 

 

「おやすみ、ミユキ」

「ああ。おやすみ、ユウキ」

 

 そう言い合うと。ユウキは扉の向こうへと消えていった。

 一人になった屋上で、ミユキは誰に言うでもなく呟く。

 

「ほんと、敵わないな」

 

 顔には、一点の曇りのない微笑が浮かんでいた。

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