エンジェル・フォールン   作:暁天花

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第五章 行く先が闇でも
第十三話 時が、戻ったら


 一面真っ白な世界の中。ミユキの目の前には、澄み切った青色の川が静かに音を立てて流れている。

 そして。その向こう岸には、見知った一組の男女がこちらを見つめて立っていた。

 二人を見て、ミユキは微かに目を見開く。

 

「……父さん。母さん」

 

 ミユキの両親は五年前、故郷が〈天使〉の襲撃を受けた時に死んだ。自分と(キルシェ)を逃がすために、時間稼ぎをすると言って。

 一度死んだ人間が帰ってくることは決してない。だから。もう二度と会えることはないと思っていたのに。

 なのに。そんな両親が、目と鼻の先にいる。

 

「……久しぶり。父さん、母さん」

 

 無垢な笑顔を浮かべながら、ミユキは近づきたいという衝動のままに一歩、前に踏み出す。

 足首まで浸かった水は心地のいい冷たさで、ミユキの思考に残っていた“何か”を安寧に掻き消していく。幸福感が身体中を満たすのと同時に、ちくりと胸が痛んだ気がした。

 

 もう一歩、足を前へと進ませる。

 今度は、(すね)の辺りにまで川の水が流れ込んでくる。川の流れは思いのほか速くて、本能が明瞭なのに朦朧(もうろう)とした意識に一瞬の恐怖を与える。

 そして。その一瞬の意識の覚醒の間に、ミユキは微かな違和感を覚えた。

 

 ――両親は、五年前に死んだ。

 

 そして。一度死んだ人間が生き返ることは、決してない。失われた命は、現実世界に戻ってくることはない。

 

 ――なら。なぜ、今、おれの目の前には両親がいるんだ?

 

 前に進みたい衝動を抑え、ミユキは霧のかかった思考を回し始める。

 なぜ、両親が目の前にいるのか。

 なぜ、自分はここにいるのか。

 そう考え始めた途端、足元を流れる水流が猛烈な流れに変化した。

 本能がもたらす恐怖が、一気に意識を覚醒させる。

 

 瞬きをする度に川幅が広くなり、川の流れはどんどんと激しくなっていく。意識がはっきりしてきているはずなのに、意識はどんどんと遠ざかっていく。

 まるで意味の分からない意識の中、大きな波がミユキを襲う。

 そして。その中で、ミユキの視界は暗転した。

 

 

 

 

 目が覚めて、一番最初に見えたのは知らない天井だった。

 寝起き特有の朦朧(もうろう)とした意識の中、ミユキは周囲を見回す。

 

 白い天井に、白いベッド。着ている服はいつもの軍服ではなくて、白いガウンが身体を覆っていて。少し首を傾けると、そこには白い医療機器がピッピッと定期的に音を鳴らしていた。視線をもう少し上へと上げてみると、自分の胸に続く点滴パックが吊り下げられているのが見える。

 

「……ここ、は」

 

 自分でもびっくりするほどの掠れた声で、ミユキは呟く。

 恐らく、ここは軍病院だろう。これだけの医療機器が並んでいるのだ、少なくとも前線にある野戦病院などではないはずだ。

 

 重い身体を起こそうとして、上手く動かなくて失敗する。意識が明瞭になってくるにつれて、耳鳴りと頭痛がミユキの脳内に入り込んできた。

 病室の前に、一人の影が通る。

 

「ヘルフェイン特務少尉! 目が覚めたんですね」

 

 声に目を向けた先、そこにいたのは看護師の女性だ。安堵の表情を浮かべて近寄って来るのに、ミユキは精一杯の声を喉から出して問う。

 

「おれ……、なんで、ここに……」

「覚えてないんですか?」

 

 と、看護師は点滴を付け替えながら不思議そうな顔をする。

 

「少尉、〈ルキフェル〉作戦中に意識障害を起こして気絶したんですよ。幸い、仲間が受け止めてくれたらしいので大事には至りませんでしたけど」

「……」

 

 その言葉に、ミユキは黙って俯いてしまう。

 

 ……なんで。おれだけが。生き残って。

 

 脳裏に(よみがえ)ってくるのは、大切な人(ユウキ)が光となって消えていく姿だ。生来のきれいな緑玉(エメラルド)色は極彩色に変わり、その瞳には虚ろな光だけが湛えられていて。

 その瞳の色が、焼き付いていて離れない。

 

 頭痛と耳鳴りの中、ミユキの心には空虚な風だけが吹き抜ける。視界の端に映る蒼穹は、ミユキの心と対極の澄み切った青色をしていた。

 

「詳細は、私が話そう」

 

 聞き慣れない男性の声に、ミユキは俯いていた顔をゆるりと上げる。意識こそ明瞭ではあるものの、目に入る視界の全てに現実感がない。

 病室に入って来たのは、白衣を着た柔和そうな初老の男性だ。ベッドの脇にあった椅子に座ると、その男はにこりと微笑んでくる。

 

「君()()の担当医をしているヴァルター・マウザー中佐だ。念の為確認しておくが、君はミユキ・ヘルフェイン特務少尉で間違いないかな?」

 

 ミユキがこくりと頷くと、マウザーは看護師へと目配せをする。察した看護師が部屋を退室したところで、ミユキは一番の疑問を口にした。

 

「……あの。〈ルキフェル〉作戦はどうなったんですか……?」

「……そうだな。では、まずは〈ルキフェル〉作戦の顛末(てんまつ)についてから話そうか」

 

 そう言って、マウザーは手元にあった資料を何枚かめくる。手を止めたページに目を落としながら、彼は事務的な口調で述べた。

 

「〈ルキフェル〉作戦についてだが、さしあたり作戦そのものは成功したというのが軍司令部の見解だ。ラヴェトラーナの〈ドーム〉は消失し、そこに突如として発生した〈熾天使(セラフィム)〉も周囲の()()()をあらかた同化してから行方をくらました。現在、ラヴェトラーナには次の作戦に備えた前進基地が建設されている」

「……次の作戦?」

 

 ミユキの問いに、マウザーは頷く。

 

「ああ、そうだよ。今回の作戦で、ライン連邦は航空戦力の五割と魔導士部隊の約七割を喪失した。このまま防御に徹していては押し負けると判断した司令部は、残存戦力を総動員して北極点基地(エルドラド・ベース)を強襲、敵の中枢機能を撃滅する計画を既に決定している」

 

 ……どうやら、ミユキが意識を失っている間に事態はより最悪の方向へと傾いてしまっていたらしい。

 

 〈天使〉は基本的に空中から侵攻してくるため、この戦争を継続するためには空軍および魔導士部隊が必須となる。だが。今のライン連邦には、大量の航空機を短時間で生産する能力はない。また、それらを操縦する操縦士(パイロット)および魔導士の育成に関しても、最低二年は必要とされているのだ。

 しかし。それらの戦力の大半を失ったライン連邦には、彼らが成熟するのを待つ時間すらも残されていない。

 

「……それで。こちらが本題になるのだけれど。これから話すのは、君の身体についての話だ」

 

 そう言うと、マウザーは資料を一番最初のページに戻して目を合わせてくる。

 

「まず、今日は何月何日なのか。分かるかな?」

「えっと…………。作戦日が六月二二だったので、だいたい二五日とかですか?」

 

 ミユキの答えに、マウザーは緩く首を横に振る。 

 

「今日は七月六日。……つまり、君は丸々二週間を昏睡状態にあったんだ」

「そ、そんなに……!?」

 

 全く思いもよらない日付だった。まさか、三日どころかその四倍近くも、おれはずっと眠っていたのか。

 驚愕を胸に抱えつつも、ミユキはひとまず状況を飲み込む。ここで止まってしまっては、自分が今どんな状況下にいるのかも分からない。一旦心の整理がついたのを見計らって、マウザーは続けた。

 

「昏睡の主な原因としては、〈D-TOS〉の過剰使用による脳への過負荷と、〈天使〉の同化による身体機能の低下の相乗作用だろうと判断している。もちろん、心身の負荷も原因の一つだ」

 

 瞬間、脳裏に甦るのはユウキの消えゆく姿だ。ひどく現実感のない金色の光を、ミユキは一瞬幻視する。

 

「肉体部分における同化は解消されたけど、まだ君の体細胞が完全に回復されたわけではない。……こんなふうにね」

 

 そう言って、マウザーは手鏡をミユキへと手渡す。それに自分の顔を映し出して――息が詰まった。

 

「……っ!?」

 

 そこに映っていたのは、色素の薄い()()()()()の双眸だった。

 ミユキの瞳は、生まれてこの方ずっと真っ赤色だ。少なくとも、こんな色だったことは一度もない。

 恐怖と驚愕を半々に、ミユキはマウザーへと視線を向ける。彼は安心させるような微笑を向けてくる。

 

「まぁ、これは〈天使〉因子の共鳴によるものだから、しっかり治療を受けてればあと一週間で完治する。安心したまえ」

「……因子?」

 

 聞き慣れない言葉だ。思わず、反芻(はんすう)してしまう。

 

「君()()の高い〈D-TOS〉同調率は、〈天使〉因子による量子もつれ状態の高い維持率および深層意識への高浸透率に起因しているものだ。……つまり。君たちは高い〈D-TOS〉同調率と精神侵入への対抗力を得る代わりに、精神防護が破られた際の同化速度が加速してしまうというデメリットがあるんだよ」

 

 立て続けの情報に、ミユキはもう驚くことすらもできない。まさか、おれの身体の中には〈天使〉の一部が入っているとでもいうのだろうか。

 

「……もしかして、自分の中に〈天使〉因子が入っているのを知らなかったのかい?」

 

 無言で固まるミユキの言動を肯定だと受け取ったらしい。マウザーは苦笑を滲ませる。

 

「そう怖がる必要はないよ。〈天使〉因子は〈天使〉の一部とはいえ、その性質は極めて安定している。精神侵入を感知した際の共鳴現象以外は、むしろ私たちに多大な恩恵を与えてくれる情報なのだからね」

 

 それに。と、彼は言葉を続ける。

 

「君たちの住んでいた町の子供は、全員が大なり小なり〈天使〉因子を遺伝子に埋め込まれている。君一人がそうだった訳じゃないから、安心したまえ」

 

 ……言葉が出なかった。

 

 じゃあ。自分たちの中に〈天使〉因子がなければ、ユウキは――キルシェでさえも助かっていたのかもしれないのか?

 

 そんな疑問が、ミユキの心に湧き上がってくる。

 

「……と、話が逸れたね。君の治療についてだけど、これから一週間は同化対抗薬の注射を一日一回受けてもらう。また、明日からはリハビリも実施する予定だ。辛いとは思うが、頑張ってくれ」

「……はい」

 

 励ますような笑みを向けて来るのに、ミユキは心に渦巻く疑問をぶつけられなかった。

 

 

 

 

 

『――勇猛な空軍と魔導士たちの活躍によって、ライン連邦は〈天使〉への反攻作戦を見事成功へと導きました。これは、今を生きる全ての人類にとって大きな希望となることでしょう』

『また、昨日行われた統合軍司令部の記者会見によると、ライン連邦軍は今回奪還したラヴェトラーナを拠点に、北極点基地(エルドラド・ベース)への攻撃を計画していると発表されました。このことについては、カイルさんに詳しく解説を――』

 

 ひどく静かな病室の中には、報道番組の音声だけが粛々と音を鳴らし続けている。

 画面のキャスターたちがそれぞれの言葉を交わすのを、ミユキはぼんやりと聞いていた。

 

 ……確かに、彼らの言う通り〈ルキフェル〉作戦自体は成功と言っていいだろう。当初の目標であるラヴェトラーナの〈ドーム〉は消滅し、〈天使〉の統率機能は大きく減退した。現在、ライン連邦に襲い来る〈天使〉の動きは緩慢かつ統率のないものとなっているらしい。

 

 けれど。反攻および防衛戦略としては、大敗としか言いようのない惨状だった。

 国民には不安を与えないように良い部分だけを大々的に報道しているようだが、まず、戦力の喪失がいくらなんでも大きすぎる。航空戦力は五割が、魔導士部隊に至っては七割が文字通り“消滅”したのだ。ただでさえギリギリであった防衛戦線にとって、この損害はとうてい看過できるものではないだろう。今でこそ〈ドーム〉の消失によって辛うじて対応できているものの、防衛線が突破されるのは時間の問題だ。更なる反攻作戦についても、戦力が前よりも減退する以上厳しいと言わざるを得ないだろう。

 

 ……それに。なにより。

 

 ミユキは、ユウキを喪ってしまった。

 この世界でいちばん大切な人を、守りたいと思っていた人を、ミユキは見殺しにしてしまった。光となって消えていく姿を、()()も見ていることしかできなかった。

 

「……なにやってんだろ、おれ」

 

 時間が経つにつれて、ミユキの胸中にはただひたすらの後悔と哀しみだけが積み重っていく。

 頭では、理解はしているのだ。あの状況下では、ミユキには為す術がなかったことは。

 

 精神侵入に対する能力は、個々の精神強度と〈D-TOS〉による精神防護、そして〈天使〉の危険度階級の三つから構成されている。相手が〈熾天使(セラフィム)〉だった以上大元を撃破することなど出来なかったし、それ以降については他人が介入できる余地は無い。

 だから。あれは自分のせいではないとは、理論では分かってはいるのだけれど。

 けれど。まだ何か、自分にできることがあったのではないかということばかりを考えてしまう。

 

「見た感じだと、そんなに大きな怪我はなさそうだな?」

 

 開けっ放しの病室の外から声が聞こえてきて、ミユキはそちらに視線を向ける。

 

「……アレン、レツィーナ」

 

 居たのは、身体のあちこちに怪我を負っていた二人だった。アレンは頭に包帯を巻いていて、レツィーナは左腕を三角巾で吊っている。その姿は、かの作戦の過酷さを物語っていた。

 「やほ」と、レツィーナは苦笑したように笑う。

 

「ほんと、びっくりしたわよ? 急に魔導が切れて落ちてくんだから」

「レツィーナが、おれを助けてくれたのか?」

「ええ。何とか間に合ってよかったわ。あともう少し遅かったら、私もあんたも地面に激突してお陀仏だったんだから」

 

 肩を竦める彼女の瞳を、ミユキは正面からしっかりと見つめる。

 

「ありがとな、レツィーナ」

「どういたしまして。……んで、その目、どうしたの?」

「精神侵入の後遺症だってさ。一週間もすれば治るって、先生が」

「そう。なら、よかった」

 

 そして、そこで会話は途切れた。未だ部屋の入口で立ち止まる二人に、ミユキは怪訝な表情をする。レツィーナの方はともかく、アレンは何かを迷っているようだ。

 

「……とりあえず。そこだと邪魔だろうし、こっちに来た方がいいんじゃないか?」

「あ、そ、そうだな……」

 

 歯切れの悪い笑顔でアレンは歩み寄ってくる。彼の半歩後ろでは、レツィーナが曖昧な表情をして笑っていた。

 二人が近づいて来たところで、ミユキは彼らの瞳も少し色素が薄くなっていることに気づく。……確か、同化の後遺症には視力の低下も含まれていたっけか。

 

 ――君たちの住んでいた町の子供は、全員が大なり小なり〈天使〉因子を遺伝子に埋め込まれている。

 

 マウザーの言葉が、意識を通り過ぎていった。

 しばらくの沈黙ののち、アレンは意を決したように視線を合わせてくる。

 

「……ミユキ。あの時、お前らに何があったんだ?」

「……」

「〈熾天使(セラフィム)〉が二回目の爆発を起こした時、俺たちは〈熾天使(セラフィム)〉の精神侵入を受けた。それで、精神侵入を振り切ったあとにはお前は気を失ってて。……そんで、ユウキも」

 

 アレンの言葉は尻すぼみになっていく。ミユキは視線を下へと向けて、小さく、消え入るような声で呟いた。

 

「……また、守れなかったんだ」

 

 ()()。その言葉の意味を、二人は知っている。

 

「二回目の爆発で精神侵入を受けたのはおれたちも一緒だ。……けど」

 

 ぎり、と無意識に奥歯を噛み締める。静かに息を整えて、ミユキは言い放った。

 

「ユウキは、ダメだった」

「……」「……」

 

 事態を悟った二人が押し黙る中、キャスターの控えめな音声だけがテレビから流れ続ける。

 顔を上げると、ミユキは自嘲気味に笑った。

 

「おれ()()の身体に入ってる〈天使〉因子ってやつが悪さをしたんだってさ。そいつがおれたちの〈D-TOS〉適合率を上げる代わりに、精神侵入を加速させるんだって」

「……ユウキの適合率って、」

 

 レツィーナの問いに、ミユキはベッドの端に置いていた資料を取り上げる。マウザー先生が部屋を出る前に渡してくれた、特別(S)試験(T)試験部隊(T)に関する資料だ。彼が話したことについては殆ど何も書かれていなかったが、自分たちの〈D-TOS〉適合率ぐらいならば載っている。

 

「これに書いてるのがほんとなら、おれよりも高い数値だ」

 

 つまり。それは、ユウキがミユキたちよりも多くの〈天使〉因子を埋め込まれていたことを意味している。

 ミユキの八六%という適合率ですら光の粒子になりかけたのだ。これ以上の適合率となると――もはや、必然としか言いようがなかった。

 

「何やってんだろうな、おれ」

 

 自嘲の笑みに、涙が一筋流れ落ちる。

 大切な人はことごとく守れず、今回もまた自分が生き残ってしまった。

 ずっと一緒に過ごしたいと思って、守りたいと思っていたはずなのに。ほんとうに、何をやっているんだろうとミユキは思う。

 

「……事情は分かった。話してくれてありがとう」

 

 アレンの言葉はそれだけで、それきり三人の間には重い沈黙の時間が訪れる。テレビに流れるCM(コマーシャル)の音だけが、辛うじて部屋そのものの沈黙を破っていた。

 

「……私たちは、あんただけでも生きて帰ってきてくれてよかったと思ってる。それは、覚えてて」

 

 沈黙を破ったのは、レツィーナの確固とした意思の通った声だった。その言葉は、ミユキの乾ききった心にわずかな潤いを与えてくる。目に映る景色が、少しだけ現実感を取り戻した気がした。

 

「……おれたち、これからどうなるんだ?」

 

 ミユキの問いに、アレンは極めて冷静な声音で答えてくる。

 

「大方はテレビでやってる通りのことになるだろうな。……というか、それ以外にやれることがねぇ」

 

 これまで通り防衛戦だけをしていては、ただ滅亡を座して待つことにしかならない。ライン連邦には、もはや〈天使〉の最高中枢拠点である北極点基地(エルドラド・ベース)を撃滅する以外に道はないのだ。

 

「まぁ、なんだ。とりあえず俺たちは治療が最優先だ」

 

 顔を上げたミユキに、アレンは取り繕った笑みを浮かべる。

 

「こんな身体じゃ、どうしようもねぇからな」

 

 

  †

 

 

 それから数週間、ミユキは絶望の中でリハビリと治療だけに専念した。病院にいては何をするにしても大きな制限がかかってしまうし、なにより、それらをする時だけは辛い気持ちを遠ざけることができたから。喪失感から逃げるようにして、ミユキは自分の回復に目を向け続けた。

 

 専念の甲斐あって、七月の終わりごろには入院前の水準にまで身体の筋肉は戻っていた。同化による影響も完治したミユキは、軍令部から元の駐屯地での待機と()()()()()()()()を命じられた。

 

 

 

 八月一日。晴れて軍病院を退院となったミユキは、元いた駐屯地――技研科の近くにある特設(S)技術(T)試験部隊(T)の兵舎だ――へと帰っていた。

 支給された食糧品のキャリーバッグを片手に、ミユキは誰もいない兵舎の中へと足を踏み入れる。ラプラスについては、最終作戦前の調整のため、当分この部隊に帰ってくることはないとの通達があった。

 

 一ヶ月近くを空けていた兵舎の中は、少し埃っぽくて。窓際に目を向けると、宙を舞う埃が陽の光を反射していた。

 明かりを付ける気にもならず、ミユキはそのまま食堂を突っ切ってキッチンへと進んでいく。無音の兵舎は、否応なしに孤独と喪失感を際立たせてくる。

 

 食糧品を冷蔵庫へと詰め替えると、ミユキは一本のペットボトルだけを持って二階へと上がる。二階の最奥(さいおう)にある執務室が、ユウキの使用していた部屋だ。

 

 ドアノブを捻って、中へと踏み入る。

 

 照明をつけて部屋を見渡す。部屋の中は、隅から隅まで整理整頓されていて。本当に女子が使っていた部屋なのかを疑うほどに、私物は少なくて、そして素っ気ないものだった。

 唯一置かれている鏡だけが、彼女がいたことを示している。

 執務机の横を通り抜け、カーテンと一緒に窓を開ける。目に飛び込んでくる蒼穹(そうきゅう)はとても綺麗な青色で、なのにミユキの心はちっとも動かされない。

 遅れて吹き込んできた突風は、夏に特有の暖かい風だった。

 

 パタン、と何かが倒れる音がして、ミユキは「ん?」と振り返る。

 音のした先、執務机には倒れた写真立てが置いてあって。ミユキは何気なくそれを手に取る。

 中に入っていた写真に、息が詰まった。

 

「――――!?」

 

 その写真は、一見ただの紙くずのようにしか見えない。だが。よく見てみると、そこには在りし日のみんなの姿が映っていた。

 ユウキはもちろん、ミユキにアレン、レツィーナや、更にはキルシェ(ミユキの妹)や故郷の同級生までもが一同に介している。

 

「……集合、写真」 

 

 写真に残っている桃色と幼い容姿から察するに、これは小学校の入学式で撮ったものだろう。それも、式が終わったあとに撮ったプライベートなものだ。

 両親から強い束縛を受けていたユウキが唯一、欲しいと言ってミユキの家にひっそりと訪ねてきた時のもの。あまりに珍しいことだったので、記憶に残っている。

 抑えていた感情の堤防が、ゆっくりと崩壊していくのをミユキは感じる。

 

 ……なんで。こんなにみんなを想っていたやつが。ユウキが、消えなくちゃならないんだ。

 

 ぶり返してきた後悔と悲嘆の嵐が、ミユキの心を掻き乱す。奥底にずっと閉まっておいた感情が、流れ出てきては止まらない。

 

 ユウキは、おれたちに生きていて欲しいと思っていた。彼女は、一緒に生きようとおれに言ってくれた。

 両親もキルシェも、アレンもレツィーナも。みんな、おれに生きろと、生きていて良かったと言ってくれた。

 

 目頭に熱いものが込み上げてくる。涙を流すのは、これでもう何回目だろう。

 写真立てを両手で大事に抱え込んで、膝から崩れ落ちる。

 ずっと渦巻いていた希死念慮が、別の感情とせめぎ合いを始める。

 

「これじゃあ、死ねないじゃんか…………!」

 

 震える声で呟いて。ミユキは、その場で泣き続けた。

 いなくなりたい気持ちと、生きなければという感情の合間を何度もさまよいながら。

 

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