第十六話 蒼き世界の境界線
聖暦二一四六年、
ミユキたちの乗る輸送機以下〈
〈D-TOS〉による欺瞞情報の流布が功を奏したのか、道中での戦闘はほとんど起こらなくて。戦力の喪失は戦闘機四機とごく少数に留まった。これは想定されていた数字よりも遥かに少ない損害だ。嬉しい誤算というやつだろう。
機体の外で鳴り響いていた爆発音が、いよいよ至近の距離で聞こえてくる。戦闘の熾烈さを察して、ミユキは閉じていた目を開けて窓の外へと視線を向ける。
――見えた光景に、驚愕の声がこぼれ落ちた。
「え……?」
ミユキにつられるようにして、他の二人も窓外へと意識を向ける。そして、全員が一様に驚愕の言葉を漏らした。
機体の外。眼下に見える深い
至るところで赤と白の爆炎が巻き起こり、その度に大音響が鳴り響く。〈天使〉の攻撃で大破した艦艇が大爆発を起こし、より一層大きな炎と音を響かせる。
――ついに戦闘領域へと入ったのだ。
機内通信から副
『たった今第二
つまり。この膨大な数の艦艇たちは、ミユキたちの仲間ということだ。
思わぬ戦力増加に、問い返すアレンの声も上ずっているように聞こえる。
「俺たちの行動に変更は?」
『現時点でそのような指示は確認していません』
「了解。てことは、俺たちは予定通り攻勢の最先鋒で変わりなしか」
『現時点では。何か通達があり次第報告いたします』
それきり回線は途切れて、機内には再び戦闘の爆発音だけが鳴り響く。窓外に見える景色の奥、北の水平線の空には目も眩むような純白が広がっていて。それが〈天使〉の領域に近づいていることを如実に示している。
「……もうそろそろか」
呟きながら。アレンは〈D-TOS〉用の複合通信機を取り出す。彼が耳につけるのを見つつ、ミユキとレツィーナも複合通信機を耳へと取り付けた。
目を
「「「〈D-TOS〉予備起動!」」」
コンマ数秒後、三人の脳内に無機質な機械音声が響く。
【〈D-TOS〉システム起動完了。
【飛行魔導を戦闘状態に設定。各種神経系の感応速度強化を設定。戦闘適応処置の予備起動を完了】
【〈
再び目を開ける。
『準備はできたな』
ラプラスの言葉にミユキはこくりと頷いて。直後、機内通信に
『作戦開始地点に到着しました。後部降下ドアを解放します』
ガコン、という音がしたのち、機体後部が下開きに開いていく。そこから見えるのは、深い
短く、深呼吸をして。ミユキは告げる。
「各員、出撃!」
自由落下のままに
『全システム起動完了。いつでもいけるぜ』
ラプラスの言葉に「了解」と返して、ミユキは周囲を見渡す。
あちこちで赤と白の爆発が起きるさなか。無事に到達した輸送機からは、他の魔導士たちが続々と降下を開始していた。至るところで光の翼が滞空を始め、総司令官の合図を待っている。
総勢、一万八七九四名。それがこの場にいる魔導士の総数だ。彼らを中核とした第二陣の攻撃部隊に、ライン連邦の――ひいては世界の命運がかかっている。
第二陣の全隊員へと発せられた司令が、ラプラスを通じて聞こえてくる。
『“現時刻をもって第二
三人は互いに目を見合わせて。無言で頷く。
「先頭はおれが切り拓く。二人は援護を」
『『了解』』
【
直後。ミユキたちは北へと進撃を開始した。
【〈
まずは実用限界の出力で〈
【〈
即座に〈
進路上の〈天使〉を掃討したのもつかの間、光条でできた穴は早くも別の〈天使〉によって埋められていく。だが、この隙を見逃さないわけにはいかない。
後ろからいくつもの光条が飛んでくる中、ミユキたちは自分たちの射撃によって作り出した戦力の穴を全速力で突き進んでいく。アレンが戦況の全体を把握しながら三人の
そして。数キロ程を進んだところで、ミユキたちは〈
【
『同じ分だけ出力を上げた。〈
ラプラスの言葉に三人は無言で頷く。〈
白く輝く空の下、薄暗い海上をミユキたちは進んでいく。海のあらゆるところには、全幅百メートルはあろうかという巨大な光の柱が立っていて。天の〈
『――! 前方三キロメートル地点にて巨大な異次元
ラプラスの警告に、三人の間に緊張が走る。思考は一瞬、ミユキはすぐさま通信機に叫んでいた。
「全速力で突破する! 二人は個体防壁を頼む!」
『了解!』『わかった!』
前を見据える。
球状に歪んだ景色はどんどん実体を増し、そして白く眩い光を放ち始める。その間にも、ミユキたちは
【〈
【戦闘適応処置を五〇〇%に
『最大火力で
耳に届くのは威勢のいいアレンの声だ。その声にミユキはこくりと頷く。
言われなくても、そのつもりだ。
異次元
後ろから放たれた二条の光線が、
――しかし、二人が放ったのは
脆くなった個体防壁に、ミユキは勢いのままに〈
剣を持ち替え、
「邪魔だっ!」
一切の攻撃の隙も与えずに、ミユキは〈
吹き荒れる光の
「ラプラス! ユウキの反応は!?」
『この先――
昂る感情を理性で押し殺し、ミユキは今一度強く目の前の水平線を見据える。
あともう少しでユウキと再会できる。そう思うと、胸の中になにか熱いものがこみあげてきていた。
まばらに立ち塞がる〈天使〉を撃破しつつ、ミユキたちは爆心地へと一直線に向かう。
純白の空はいつの間にか異様な星辰へと変わり、銀河と星雲が息を呑むような美しさを醸し出している。眼下に目を向けると、そこには海ではなく空と同じ夜空が広がってた。
唯一、視界の先に空いた円形の漆黒だけが夜空に浮いて見えている。その中に見える十字架状の物体は、異様な存在感を放って佇んでいた。
進む足を止め、ミユキはラプラスに問う。
「……ここ、どうなってるんだ?」
しばし、ラプラスは押し黙って。彼にしては珍しい曖昧な口調で答えた。
『時空がめちゃくちゃな状態に圧縮されてるな。俺たちの世界の物理法則が成り立ってるのが不思議なぐらいだ』
『あの真っ黒なやつは?』
レツィーナが指差した先にあるのは、星空の中でもハッキリと見える程の黒さを持つ円形だ。中に見える十字架も相まって、異様なこの空間の中でも特に異彩を放っている。
『あれについては時空どころの話じゃないな。支離滅裂かつ
「次元の境界?」
『俺たちの住む世界が縦、横、高さと時間を合わせた四次元空間なのはお前たちも知ってるな?』
三人がこくりと頷くのを確認してから、ラプラスは続ける。
『この世界には、俺たちの居る四次元よりも更に上の次元があるんだ。五次元なら過去や未来への時間の行き来ができるし、六次元なら別の世界軸に行くことができる……っていったようにな。そんで、あの黒い円――〈門〉って仮称するが、あれはそういった世界と繋がってるんだ』
「それのなにが変なんだ?」
ミユキの問いに、ラプラスは一層険しい声音をつくる。
『本来、次元にはそれぞれ強固な境界がある。五次元や六次元のものが下位次元――例えば俺たちの住む四次元に現れることはあるが、四次元が上の次元――五次元や六次元に行くのはまず不可能だ。ましてや、その境界が目に見える大きさで現れることなんざ、普通はありえない』
よく分かっていないミユキたちをみて、ラプラスは苦笑いの口調で述べた。
『……まぁ、要するに。この空間は色々めちゃくちゃでヤバいってことだ』
「……了解」
とりあえずここが普通の場所じゃないことだけはわかった。幸い〈D-TOS〉の使用に支障がないようなので、ミユキは今一番知りたいことを訊ねる。
「ユウキは、」
『一応反応はこの周辺で発せられている。ただ、細かいところまでは――』
と言いかけて。ラプラスの雰囲気が急激に変わった。
『――〈門〉の上に巨大な時空情報の歪みを検知した。これは…………』
漆黒の〈門〉の上、歪む星空を、ミユキたちは臨戦態勢で見つめる。その歪みが光と化し、実体化する――その時。
今までにない重苦しい声でラプラスは告げた。
『〈
直後、光の爆発がミユキたちを押し包む。それを
『……やっぱり来たか』
光の
――〈
『どうするの、ミユキ』
少し離れたところでレツィーナが視線を送ってくる。
ミユキは少し考えて。決然とした声音で応えた。
「こいつを倒す」
でないと、ユウキを探せないから。
一度ゆっくりと深呼吸をして、眼前の〈
『【個は一へと
脳内に響き渡るのは、〈
〈
「――全
叫んだのと同時。ミユキは全速力で〈
【〈
【視覚及び各種神経系の感応速度を五〇〇%に
脳内に、鈍器で頭を打ち付けられたかのような激しい痛みが起こる。けれど、魔導は絶対に解除しない。
相手は〈
ミユキの後方から、アレンの二丁とレツィーナの一丁、そして機動兵装四つを含めた計七条の光線が一斉に〈
光の爆発が〈
光が晴れて見えてきたのは、微かに傷のついた純白だった。
『あいつ、個体防壁がないのか……!?』
思ってもなかった現象にアレンが驚きの声を上げる。
〈
『……いや、そうじゃない。この空間自体が〈
『は?』
『ど、どういうことよ……!?』
アレンとレツィーナが困惑の声を上げる。言葉こそ口には出さないものの、その疑問はミユキも同じだ。
『より正確な言葉にすると、“ここは〈
三人がある程度内容を読み込んだのを見計らって、ラプラスは続ける。
『そして、この空間は本来存在しないはずの次元の扉が開き、時空がめちゃくちゃな状態になっている。――つまり。〈天使〉と俺たちにあるはずの時空のズレがここでは発生していない。そしてそれは、本来あるはずの個体防壁という物理法則の壁がなくなったことを意味している』
『……イマイチよく分かんねぇけど。とりあえず個体防壁はないってことでいいんだな?』
『ま、そういうことだ。使用弾種は
『了解。てことでレツィーナ、以降の射撃は
『りょーかい!』
二人の通信を聞き終えて。ミユキは訊ねる。
「奴の
『中央の目の奥だ』
「了解」
視線を、〈
焦点の合わない巨大な瞳は、相変わらず澄んだ色をしていて。視界外にいるはずのミユキを捉えているかのような錯覚を覚えさせる。遠巻きで行っていた回避運動を辞め、直角で進路を変更。瞬間、ミユキは〈
周囲に発生しては消えていく異次元
悠然と佇んでいた〈
向きをこちらに変え、中央の二枚の翼が瞳を守るような態勢に入る。次の瞬間、残る四枚の羽根から無数の光線が放たれた。
「っ……!?」
咄嗟にこれ以上の進撃は無理と判断し、
「ラプラス、光線は翼から出てるってことであってるか?」
『ああ。間違いない』
となると。まずはあの六枚の翼からどうにかしないと。
思案するミユキの耳に、遠目から攻撃を観測していたアレンの叫び声が入る。
『俺たちが左上の羽根をやる! お前は右下をやれ!』
同一のタイミングで真反対の箇所を攻撃すれば、〈
「了解」と返して、ミユキは言われた通り右下の羽根へと肉薄する。視界の端、左の上空に映るのは、〈
意識を目の前の戦闘へと集中させて、ミユキは左
【〈
左手に伝わってくる幻の熱を確認し、眼前に迫る〈
超威力の速射に
【
即座に再加速し、再び突撃。着弾を示す大爆発を煙幕代わりに残る距離を突き進む。爆炎が晴れるのと同時に、ミユキは右手の〈
三人の激闘をレツィーナの胸元で見守っていたラプラスは、〈D-TOS〉と同時並行で行っていたユウキ・アレスシルト大尉の捜索に進展があったことに気付く。
ラプラス自身の人格データを圧縮し、戦闘に必要な〈D-TOS〉の容量を確保しながらもう一つの作業ウィンドウを開く。
そして。自身の量子コンピュータが示す結果に、驚嘆の声を漏らした。
『……これは、まさか』
右下の翼を真っ二つに両断し、根元から切り離して。極光の爆発が吹き荒れるのを背中に、ミユキは〈
一度の被弾が致命傷になる以上、一撃離脱戦法は徹底して行わなければならない戦法だ。少しの油断や慢心が、このギリギリの戦場の中では文字通り命を落とす原因になる。
全員で帰ると決めたのだ。絶対に死ぬ訳にはいかない。
十分に距離をとってから振り返る。視界に飛び込んできたのは、二枚の翼が欠けた〈
脳に響き渡る“音"と不規則に動く四枚の翼は、心なしか痛みに喘いでいるようにも見える。
同じく一度距離をとったアレンたちから通信が届く。
『これで光線の数は減った……のよね』
『それは間違いないな。後退の時に計測された数は六万五〇〇〇。最初に計測された数の六分の四にまで下がってる』
ということは、あの翼が光線の発生源なのは間違いないようだ。二枚減ったところでまだ六万も射線があるのは驚きだが……、回避しなければならない火力の光線は半分程度しかないのだ。高貫通のものさえ回避できれば、あとはどうとでもなる。
「この調子で戦えば全員無事に倒せるはずだ。……二人とも、いけるか?」
『ええ。もちろん』『当たり前だ』
帰ってくるのは、二人の力強い応答の声。頼もしい声に思わず笑みがこぼれ出た――その時だった。
『お前たちに報告したいことがある』
話題を切るように、険しい口調でラプラスが口を開いた。
「どうした?」と、代表してミユキが訊ねる。周囲に異次元
『アレスシルト大尉の座標が特定できた』
三人の間に衝撃が走る。それから、安堵と歓喜の感情が心の奥底から沸き起こっていた。
……やっぱり。まだ、ユウキは消えてなんかいなかった。
沸き立つ心を抑え、あくまで平静を装ってミユキは淡々と訊ねる。
「場所は」
『今君たちの〈D-TOS〉に情報を送る。アレスシルト大尉の反応は――』
瞬間、ミユキの視界には一つの光点が映し出される。〈D-TOS〉を通じて視界に転写された、ユウキの位置情報のアイコンだ。
「……!」
その光の位置に、ミユキは赤の双眸をきつく細める。
ユウキがいる場所。そこは。
『――〈