第三話 ラプラスと〈天使〉
『久しぶり、ミユキ』
傾いた朱色の光を綺麗な銀髪に煌めかせ、色味の違う
ユウキ・フォン=アレスシルト。
五年前に別れたきり会うことのなかった、大切な幼馴染だ。
ユウキが向けてくる微笑に、ミユキは全身が恐怖で凍りついていた。
ユウキと再会できたことは嬉しい。だけど。それ以上に、ミユキの胸中には激しい不安と恐怖が嵐のように吹き荒れていた。
彼女の右眼に残る、生々しい縦の傷跡。それは五年前、彼女と別れる直前に
現代の医療ならば、その傷は完全に消し去ることができる。なのに。彼女は五年の歳月を経てもなお、その傷を消さないでいた。
それは、彼女にとって右眼の傷はなんらかの意味があることを示している。
後ろめたさに言葉が詰まり、右眼の傷とみどり色の瞳が直視できない。
目線をあちこちへと
「……こいつが、おれたちの使う〈D-TOS〉なのか?」
不自然極まりないミユキの言動に、ユウキは何の反応も見せない。昔から、彼女が感情を表に出すことは稀だ。
微笑を消して、ユウキが凛とした声音で答える。
「そうだ。あと一八〇秒ほどで起動する」
「マクスウェルとは、何が違うんだ?」
「全てだ」
「ぜん、ぶ?」
即答に戸惑うミユキをちらりと
「索敵範囲が三キロから五キロへと延伸され、
「……それって、大丈夫なのか?」
最後の説明に、ミユキは少し怪訝な顔をする。
横髪からちらりとこちらを見つめて、ユウキは断言する。
「問題ない。この〈D-TOS〉は適合率の高い者以外には使用できないように
「……そうか。なら、よかった」
見つめてくるみどりの瞳から目を逸らし、再び、眼前の〈D-TOS〉を見上げる。
「それと。あと一つ、この〈D-TOS〉には大きな特徴がある」
ユウキが言葉を切るのと同時に、〈D-TOS〉のディスプレイに光が灯った。右上の隅に配されていた電源ランプが青色に点灯し、ディスプレイに文字の羅列が高速で過ぎ去っていく。
画面が安定するのを見計らって、ユウキは告げた。
「それは、この〈D-TOS〉には高度な人工知能が搭載されていることだ」
認証を要求する画面で、ディスプレイに表示された文字が静止する。
一歩、歩み寄って。ユウキが音声認識を起動。
「認証コード登録を開始。……登録者No.2144001、ユウキ・フォン=アレスシルトと、登録者No.2146001、ミユキ・ヘルフェインだ」
数秒ののち、〈D-TOS〉から無機質な機械音声が流れてきた。
「登録者コード確認。――承認完了。〈D-TOS〉XMk.Ⅵ『ラプラス』、起動開始」
その音声が流れたきり、二人の間には沈黙が支配する。
……が。それから全くと言っていいほど動きがなく、故障したのかと思ったところで、その声は口を開いた。
「よう。待たせたな!」
やたらとテンションの高い、いかにも軍人とした口調の若い男性の声だった。
「………………え?」
あまりに唐突かつ意表を突くような口調と声に、ミユキは理解が追いつかない。説明を求めてユウキに視線を向けた先、彼女の顔にも少し驚きの色が見えた。
目の前の黒いモノリス――もとい新型〈D-TOS〉が、その姿に見合わぬ流暢な声音で言葉を重ねてくる。
「おいおい。せっかくオレが起動したってのに、二人ともだんまりか? 初めての人にはちゃんと挨拶しようって学校で習ったろ?」
直立不動のモノリスが言うのに、ミユキはしばしの間呆気にとられて。
「……お前、喋るのか」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれ落ちていた。
気を取り直したらしいユウキが、なにごともなかったかのように説明を始めてくる。
「先程言った通り、こいつに」
「ラプラス、だ」
一つ咳払いをして、続ける。
「……ラプラスには、試験的にではあるが高度な人工知能が搭載されている。何か困り事があったりした時には、気軽に訊ねてみるといい」
「というわけで、よろしくな! アレスシルト大尉! ヘルフェイン少尉!」
「あ、ああ。よろしく……」
ラプラスのノリについていけず、戸惑いつつもなんとかミユキは笑顔を取り繕う。相手は
これから共に戦う仲間でもあるのだし、彼のノリにはある程度慣れておかないとな、とミユキは思う。
隣で、ユウキが「よろしく頼む」と言った時だった。
突然、耳を劈く不穏な警報音が鳴り響いた。
ラプラスとユウキが警戒態勢へと雰囲気を変える中、ミユキだけが呆然とその警報音を聞いていた。……これは、敵襲……?
肩にかけたバッグから何かを取り出しながら、ユウキは先程までとは打って変わって冷徹そのものの声音で呟く。
「……こんな時間に来るとはな」
視線を
「北西五キロメートル地点に異次元
「了解した」
くるりと、振り返る。
警報の緊迫感の中、ユウキは駆け回る士官の一人を捕まえる。その士官がなにごとかと訊く前に、ユウキはさも当然のように告げた。
「私達が迎撃に出る。この基地の司令官に伝えてくれ」
え、とミユキが漏らすが、その声は誰にも聞こえずに大音響の中に溶けていく。察した士官は、「了解しました」とだけ言いおいて、基地司令部の方へと駆けて行ってしまった。
不安に駆られるミユキに、ユウキが振り向く。圧倒的な決意のみどり色で。
「来て早々悪いが、これから私達は実戦に出る。……力を貸してくれ、ミユキ」
その言葉に、ミユキは微かに俯く。
ずっと、いなくなりたいと思っていた。大切な人を平気で傷つけてしまうような自分は、この世界に存在するべきじゃないと思っていた。
だけど。本当は、いなくなるのも怖い。この戦闘でいなくなるのかもしれないと思ったら、心が寒くなる。
でも。
もし、これが、罪滅ぼしになるのなら。
受けるべき罰も裁きも受けなかった自分が、〈天使〉と戦うことによって、力を貸すことによってユウキの役に立てるなら。
おれは、全身全霊をもってやらなくちゃならない。たとえ、それでこの身が尽き果て、消えようとも。
恐怖と不安を決意で塗り替え、ユウキのみどり色の双眸を真正面から見据える。
「……おれは、どうすればいいんだ?」
どうすれば、おれはお前の役に立てる。
「そう身構える必要はない。士官学校でやったことと同じことをすればいいだけだ。……お前が自分自身を見失わない限り、この世界からいなくなることはない」
そう言うと、ユウキはバッグから黒い何かを手渡してきた。手元に目をやると、そこには見慣れた複合通信機がある。
「それがお前の通信機だ。使い方は分かるな?」
「ああ」
こくりと頷いて。二人は複合通信機を耳へとつける。
〈D-TOS〉システムを待機モードで起動し、飛行魔導を発動させる。背中に半透明の白き翼が出現し、二人の身体を宙へと浮かばせる。
準備が完了したところで、黒いモノリス型だったラプラスが正八面体に変化した。
この姿が、〈D-TOS〉の戦闘体形なのだ。
「では、行くぞ」
ユウキが一言、言い置いて。二人と一機は、〈天使〉の迫り来る方角へと飛び立った。
†
中継基地から、北西に約十五分。飛行魔導で巡航したその先に、〈天使〉と戦う仲間の戦場はあった。
陽の光は地平線のすぐ傍にまで傾き、世界を
そんな空を彩るのは、地上の防衛陣地から撃ち放たれる緑色の光条と各種の対空火器。そして、幾度となく打ち上げられている地対空ミサイルだ。
どうやら、この戦線に魔導士部隊は配置されていないらしい。空に咲くのは、爆炎と光条の織り成す刹那の花だけだった。
茜色の西日が、先行する銀髪の少女を赤く染め上げている。
『戦闘区域に入る。各員の〈D-TOS〉を戦闘起動』
淡々としたユウキの声に、『了解』とラプラスの応答が続く。
……先程から薄々感じてはいたが。どうも、この〈D-TOS〉は使用者とのコミュニケーションを取りつつシステムの稼働を行うらしい。
いったい、どんな効果を期待してこんな機能をつけたのだろうか。ミユキにはさっぱり分からない。
【〈D-TOS〉戦闘起動開始。飛行魔導を巡航状態から戦闘状態へと移行】
脳内に、無機質な機械音声が通る。
〈D-TOS〉の音声は、
背中の純白の翼が、微かに実体味を帯びて速度と揚力が上昇する。
続いて、視覚と各種神経系の感応速度が強化され、高機動戦闘に耐えうるように身体機能と呼吸器系が強化される。
……これで、戦闘適応処置は完了した。
【〈
手に持つ小銃が幻の熱を帯び、左右に提げた長剣が鞘の隙間から微かな青色をこぼれさせる。
右目の視界を拡大させて、眼前の敵を捉える。
「……あれが、〈天使〉」
思わず、呟いていた。
人間のような形状をしながらも、顔のパーツは何一つ見当たらない。全身を構成する光の物質が極光を放ち、赤い空に不自然な白色をくっきりと浮かばせていた。
そして。その背にあるのは、〈天使〉の名に相応しい純白の翼だ。
自身の全高と同じぐらいの純白の翼を悠然と広げて、〈天使〉どもは茜色の空から眼下の対空部隊を蹂躙している。
『対〈天使〉戦闘の方法は熟知しているな?』
ユウキの言葉に、ミユキはこくりと頷く。
「あいつらの中にある
それさえ破壊できれば、〈天使〉は消滅する。
『その通りだ。……ミユキ、お前は、お前の戦い方で敵を撃滅しろ。私はお前の援護にあたる』
その言葉に、ミユキは一瞬逡巡して。
「わかった!」
言うのと同時。ミユキは〈天使〉の大群めがけて〈
それと同時に左腰の剣を抜き放ち、〈
『今回の出力は二〇〇%で設定してあるから安心しろ。……訓練通りにやれば、お前も隊長も死ぬことはない』
荒々しく、けれども不思議と安心感のある声だった。
ラプラスの言葉に、ミユキはこくりと頷いて。
【飛行魔導を
直後。〈天使〉に向かって突撃を開始した。
【感応速度を三五〇%へと強化。身体機能を六〇〇%に
いつもよりも遅く見える世界を、ミユキは一振りの〈
目指すは敵集団の中央、もっとも大きな個体の〈
一概に〈天使〉と言っても、その姿や能力は様々である。
今、空に蔓延っているのは二種類。〈
〈
だが。コンマ数秒の判断が命取りになる戦場にとって、その隙は敵を撃滅するのに充分すぎる時間となる。
そして。ミユキはそれを可能にするだけの速度と〈D-TOS〉適合率を持ち合わせていた。
〈
あらゆる方角から〈天使〉の放つ青の光条が降り注ぎ、けれどもミユキはそれを片っ端から
眼前に、〈
回避は不可能と判断し、〈
肉を切り裂く感覚は一瞬、〈
硬い宝石のような感触を、剣の柄越しに感じる。構わず、振り抜く。
真っ二つに割れた
肌を焼くような熱量を背中に感じながらも、ミユキはそれを追い風にして更に奥へと突き進む。
周囲でいくつもの爆発が巻き起こり、ミユキの進路の安全を確保する。ちらりと右上ななめ後ろを見ると、そこには〈
〈D-TOS〉の送る位置情報によると、ラプラスは地上の防衛陣地に隠れている。〈D-TOS〉は、近ければ近いほど魔導の起動速度が早くなる。そのため、後方ではなくできるだけ前線に居てくれるのは、こちらとしてもありがたい。
『私が〈
「わかった!」
直後。ユウキの射線が〈
連射された緑の光条は、一発目に頭部、二発目と三発目がそれぞれ左右の翼へと直撃。以降の射撃は全て胸部、
〈
パーツのない頭部をユウキへと向け、周囲の虚空からいくつもの青い光条を彼女に向けて撃ち放つ。同時に近くの〈
「ユウキ!?」
対して、
『このぐらいならばどうとでもなる! お前は速く
怒鳴る少女の声に、ミユキは視線を眼前の〈
【〈
蒼い刃が更に煌めきを増し、光の刃が実体の二倍ほどにまで延伸される。
『それで全部たたっ斬れるはずだ!』
通信機に響く、ラプラスの声。
それに呼応するかのように、ミユキは〈
がぁん! という音とともに、刃は虚空に生じた紫の障壁と激突した。
個体防壁。それが、この半透明の障壁の名だ。〈天使〉ならば必ず持つそれは、衝撃の九〇%を吸収し、通常兵器の火力を著しく減少させる。
〈
【〈
しかし。人体保護プログラムは発動されない。
構わず、右手の〈
そのまま、突撃。
右手の〈
右手の〈
『【全ては、一に
直接脳内に入りこんできた“音”に、ミユキの動きが止まる。
不愉快と吐き気が支配する中に、不自然な喜びと安堵感が生まれてくる。
『【個は一に
意識がだんだんと薄くなり、この“音“に何もかもを委ねたくなる。自分の全てが消失していくような感覚がして――
――いやだ!
頭を振って、ミユキは“音”の残響を振り払った。
まだ、おれは消えたくない。
まだ、おれはユウキになにもできていない。
まだ、おれはここにいなきゃならない。
一度距離をとり、下唇を噛み切って意識を強引に取り戻す。修復しつつある肉体を視界の中央に捉え、〈
そのまま、
〈
咄嗟にその場を退避して――直後、〈
視界が白い光に
『精神保護プロテクトの上書きを完了した! ――すまん、一次精神保護を突破されていた! 二人とも大丈夫か!?』
『私は大丈夫だ。ミユキは、』
「おれも、大丈夫だ」
二人の応答に、ラプラスはほっとした音声を上げる。
それもそのはずか、とミユキは思う。なぜなら、あの“音”は、心地の良い感覚に身を委ねたら最後、二度とかえってくることはできないのだから。
「……あれが精神侵入、か」
平静を装いながら、ミユキは呟く。
先程の“音”は、精神侵入と呼称される〈天使〉に共通した攻撃方法の一つだ。
どんなに強い魔導士であろうが、あの音に意識を預けてしまうだけで、その人はこの世界から
〈天使〉と同じように、全身を光に変換されて、何も残さずに消え去ってしまう。
動きを止めた〈
『あとは残った〈