エンジェル・フォールン   作:暁天花

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第七話 想いの証明

 初夏の早朝は、思っていたよりも肌寒かった。

 飛行魔導を巡航状態にして、黎明の空を翔け抜けながら。ミユキはそう胸中で呟く。

 

 現在時刻は、午前五時二十分。到達予測時間とほとんど同じだ。

 ミユキの装備はいつも通り二本の長剣と、軍の制式小銃。そして、左(もも)には一丁の拳銃が備え付けてある。

 風を受けてばさばさと音を立てるコートはそのままに、ミユキはユウキの指示を聞く。

 

『奴の率いる〈主天使(ドミニオン)〉や〈大天使(アークエンジェル)〉は、他の魔導士部隊が相手をしてくれる。……ミユキ、お前はいつも通りやればいい。突破口は、私が切り拓く』

「……了解」

 

 心を完全な戦闘状態に入れ替え、己の精神状態を冷静そのものに固定する。基本的に劣勢な対〈智天使(ケルビム)〉戦闘において、冷静さほど勝利の近道はない。

 

『各員の〈D-TOS〉を()()戦闘起動』

『了解』

 

 ユウキの言葉に、ラプラスが応じる。直後、意識を集中させるミユキの脳内には様々な機械音声が流れ込んできた。

 

【〈D-TOS〉予備戦闘起動開始。飛行魔導を巡航状態から戦闘状態へと移行。――予備起動状態で停止】

【視覚及び各種神経系の感応速度を強化。――戦闘対応処置の予備起動を完了】

【〈魔導銃(レーヴァテイン)〉および〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を起動】

 

 そこで、ミユキは魔導の起動方法を少し変更する。

 というのも、〈魔導銃(レーヴァテイン)〉と〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉には予備戦闘起動の状態は存在しないのだ。

 別にそのまま放置していても起動自体はするものの、エラーメッセージが脳内に流れるのだから仕方がない。あれは、なんとも言えない不快感があるのだから。

 

 手に持つ〈魔導銃(レーヴァテイン)〉が幻の熱を帯び、左右の腰に提げた〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉が淡い青の燐光を放つ。

 魔導の出力を調整して、停止ギリギリのところで操作を止める。

 

 ――これで、予備戦闘起動は整った。

 

 あとは、突撃の指示を待つだけ――そう思った瞬間だった。

 

『前方より超高エネルギー体接近!』

「っ――!?」

 

 咄嗟に一時加速(ブースト)を起動し、前方から迫り来る極光の光線をなんとか逃れる。直後。地面に命中した光条は激しい爆発を引き起こした。

 

『発見されたか……!』

 

 爆風に煽られながら、ユウキが小さく舌打ちをして悪態をつく。

 進行方向を見やると、そこには巨大な四枚の翼を持つ純白の〈天使〉がこちらを見据えて佇んでいた。頭部と思わしき場所には、四方向に同じ形がつくられていて。身体の中央にある巨大な一つ目が、その異様さを際立たせている。

 体勢を立て直して、ユウキは決然とした口調で告げた。

 

『これより、STTは〈オファニエル〉と交戦状態に入る。各員、突撃!』 

 

 了解、と言い置いて。ミユキは呟く。

 

「〈D-TOS〉、戦闘起動!」

 

 それとほとんど同時に世界の速度が遅くなり、背中に広がる純白の翼が更に実体感を増す。

 

【飛行魔導を戦闘状態へと移行。〈魔導銃(レーヴァテイン)〉および〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の出力を一二〇%へと上昇。固定】

【――全〈D-TOS〉システム、正常に起動完了】

 

 左腰の〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を、引き抜く。

 瞬間。ミユキは一時加速(ブースト)で敵中へと突撃を開始した。

 上下左右のあらゆる方向から、敵と味方の青色の光条が煌めいては消えていく。薄明に染まっているはずの空は、〈オファニエル〉を中心に真っ白に染まっていて。なのに、地上はなおも真っ暗闇に沈んでいるままだ。

 

『知ってると思うが、空を白色に染めているのは〈守護天使(ガーディアン)〉だ! 絶対に入るんじゃねぇぞ!』

「ああ。分かってる!」

 

 空を白く染め上げているのは、〈守護天使(ガーディアン)〉と呼ばれる小型の〈天使〉たちだ。戦闘能力こそないものの、やつらは空から降り注ぐ太陽光を遮断し、妨害電波(ジャミング)を発して電子機器や〈D-TOS〉の動作を阻害、停止させる。

 

妨害電波(ジャミング)を感知。全〈D-TOS〉システムの出力が一五%低下】

 

『出力の低下分はこっちで上げておく! 気にせず戦え!』

 

 ラプラスの声が通信機に響く。それには応答せず、ミユキは〈オファニエル〉へと全速力で突撃していた。

 〈D-TOS〉の示す位置情報によると、ユウキはミユキの十メートルほど後方に追従している。ミユキの進撃を邪魔する〈天使〉どもは、彼女の狙撃で片っ端から撃破されていた。

 ……これなら。目の前にだけ集中していればよさそうだ。

 

【〈魔導銃(レーヴァテイン)〉を停止。〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の出力を五〇〇%へと()()

 

 手を離した〈魔導銃(レーヴァテイン)〉から幻の熱が消失し、それと同時に右手に持つ〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の刀身が二倍に延伸(えんしん)される。

 射線の関係上でユウキが撃ち漏らした〈大天使(アークエンジェル)〉を、煌めきの増した(あお)の刃で一閃。背後に咲く極光には目もやらず、ミユキは眼前の巨大な天使だけを見つめる。

 

 〈オファニエル〉が動く。

 

 四枚の翼をはためかせ、生じた風を魔導によって真空の刃へと変換する。それを感じ取った〈D-TOS〉が警告を発し、聞こえた時には既に二人ともが魔導盾(シールド)を展開していた。

 真空の刃を魔導の盾で受け止める。けれど、進撃の脚は全く緩めない。

 

『一時離脱する。ここでは援護が不可能だ』

 

 一方的に言い残して、ユウキが左下へと離脱していく。真空波の中では魔導盾(シールド)は解除できず、かといって魔導盾(シールド)の中では〈魔導銃(レーヴァテイン)〉の弾丸は跳弾してしまう。

 今、ここにユウキがいても、足でまといになるだけだ。

 〈オファニエル〉の巨大な一つ目が、キラリと煌めく。

 

「っ――!?」

 

【右方向へと指向方向を変更。飛行魔導を九〇〇%に一時加速(ブースト)

【戦闘適応処置機能を一律八五〇%に一時加速(ブースト)

 

 直後。ほとんど無意識で動いたミユキの左側を、極光の光線が通り抜けた。

 遅れて、地面に命中。そこを中心として、地表が大爆発を轟かせる。

 

 ……あれが、さっきおれたちを襲った光線か。

 

 爆風を背後の翼で受け止め、それを追い風にして更に〈オファニエル〉へと肉薄する。

 

【使用中の〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の出力を五〇〇%に一時強化(ブースト)。刀身長を現状維持。溶断(ようだん)率へとエネルギーを転化】

 

 直後。ミユキの脳に激しい痛みが走った。

 だが。〈D-TOS〉の接続は絶対に途切れさせない。

 

『行け! ミユキ!』

 

 凛とした少女の声と共に、左下から殆ど白色の光条が放たれる。極光は虚空を切り裂き、ミユキの眼前で“半透明の何か”を貫いた。

 間髪入れず、ミユキの蒼刃(そうじん)が一閃。

 眼前に出現していた薄い紫色の障壁――〈オファニエル〉の個体防壁が、音を立てて砕け散る。

 

防壁破壊(De.B.U.F.F)弾を最大出力で射出した! 十秒間、そいつは個体防壁を再展開できないはずだ!』

 

 「ああ」とだけ返して、ミユキは更に〈オファニエル〉へと肉薄する。虚空から放たれる青色の光条を(かわ)し、〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉で受け止めて。ミユキは目の前の巨大な一つ目へと剣を突き立てる。

 

 剣の切っ先が、〈オファニエル〉の一つ目に突き刺さる。

 それは豆腐を割くように、いとも簡単に刃は奥へと突き刺さっていく。

 そして。そのまま剣の切っ先が〈オファニエル〉の(コア)に到達するかと思われた――その時。

 ミユキの精神を、強烈な精神侵入が襲った。

 

 

 

 

「……ミユキ? ミユキ!? 応答しろ、ミユキ!」

 

 〈オファニエル〉へと剣を突き立てたまま動かなくなったミユキを見て、ユウキは通信機へと叫ぶ。

 だが。それとは裏腹に、ユウキは歴戦の勘から彼の身に何が起きているのかを悟っていた。

 

 ……あれは。精神侵入を受けてしまっているのだ。

 

【飛行魔導を八〇〇%に一時強化(ブースト)超加速(ブースト)発動】

【〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉起動。出力を九〇〇%に一時強化(ブースト)

 

 意識して考えるよりも先に、思考と身体が動いていた。

 右腰から〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を引き抜きながら、ユウキは〈オファニエル〉の一つ目へと全速力で急行する。

 

「プロテクトは!?」

『二次防衛まで突破されてる! 上書きはまだかかりそうだ!』

 

 ちっと舌打ちを鳴らして、〈魔導銃(レーヴァテイン)〉の銃口を〈オファニエル〉へと差し向ける。

 

【〈魔導銃(レーヴァテイン)〉の出力を八〇〇%に一時強化(ブースト)。弾頭拡大および爆発力強化を停止。エネルギーを貫徹力へと転化】

 

 ミユキを撃たないように、細心の注意を払って照準を合わせる。彼と(コア)があると思われる部分の間に、射線が合うように。

 あえて正面へと出て、〈オファニエル〉の注意を引く。視線がこちらに向いたのを確認して――殆どノータイムで引き金を引いていた。

 極光の光線は〈オファニエル〉の一つ目の端を貫き、そのまま内部へと侵入していく。

 

 防壁破壊(De.B.U.F.F)弾――Destruction(De.) of Barrier(B.) Utilization(U.) For(F.) Forcing(F)弾は、その名の通り〈天使〉の個体防壁を破壊するのに特化した弾丸だ。それを〈魔導銃(レーヴァテイン)〉の最大出力で撃ち込んだのだ、いくら〈智天使(ケルビム)〉といえども、それなりに大きなダメージとなる。

 

 脳内に響くのは、〈オファニエル〉の放つ精神侵入の“音”。全てを無に還そうとする、破滅の音声だ。

 

「痛いか〈天使〉! それがお前たちが与えている苦痛だ!」

 

 絶叫する脳内の“音”を一蹴し、ユウキはミユキのいる傷跡へと入り込む。閉じかけていた傷を〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉で切り裂き、侵入および撤退路を作り出す。

 動きを止めて脱力しているミユキを抱き留めて、更に奥へと〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を突き立てる。

 

「目を覚ませミユキ! 私は、お前にまだなにも伝えていないぞ!」

 

 まだ、ユウキは彼に感謝の言葉を伝えていない。お前は悪くないのだと、お前に罪はないのだと言えていない。

 そんな、絶望ばかりのままで、お前を消えさせるわけにはいかない。

 

 ――そのためには、絶対に二人で生きて帰らなければならない。

 

 剣で進路を作り出した先、ユウキは先程撃った防壁破壊(De.B.U.F.F)弾の痕跡へとたどり着く。治りかけている傷口の先、ユウキの目の前には彼女の身長程もある巨大な正八面体があった。

 

「これが、お前の心臓か……!」

 

 (コア)。あらゆる〈天使〉が生命活動を維持するために必要とする唯一の器官であり、自然に存在する全元素を繋ぎ合わせた、世界摂理に反する極彩色の物質だ。

 限界ギリギリでの超高出力で射撃を実行したために、〈魔導銃(レーヴァテイン)〉は現在過熱状態になっていて使えない。かといって、冷却を待っていては間に合わない。

 

 ……となると。ミユキを抱えたまま、〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を突き立てる他に道はない。

 

【〈魔導銃(レーヴァテイン)〉を停止。魔導盾(シールド)を予備起動】

 万が一のことを考慮しつつ、ユウキは狭い傷の中を前進していく。

【〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉の刀身延伸(えんしん)機能を解放。二〇〇%で固定】

 

 (あお)の刃が延伸(えんしん)され、〈オファニエル〉の傷口へと突き刺さる。そうしている間にも、二人の身体は精神侵入によって急速に汚染されていく。 

 ラプラスとの通信は、もう完全に汚染されてしまっていて。叫んでいるであろう彼の言葉はなにも聞こえなかった。

 だが。それも、こいつの(コア)を破壊すれば全て終わりだ。

 

【視覚および各種神経系を五五〇%に一時強化(ブースト)。身体機能を七五〇%に一時強化(ブースト)

 

 激しい頭痛を理性で堪え、重い身体を無理やり動かして〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉を振り上げる。そして。その刃を振り下ろさんとした――その時。

 〈オファニエル〉の(コア)が、目を()かんばかりの極光を放ち始めた。

 

 通常の世界ならば一瞬の出来事であろうそれを、ユウキは強化された神経系と視覚で知覚する。けれど。動きは絶対に遅めない。その場を微動だにせずに、ユウキは剣を直下に振り下ろす。

 その光が、頂点へと達する直前。ユウキの〈魔導剣(ダインスレイヴ)〉が、〈オファニエル〉の(コア)を真っ二つに両断した。

 

 

  †

 

 

 気がついた時には、世界は夜明けの青色と朱色に染まっていた。 

 〈オファニエル〉の巨大な体躯はどこにもなく、それどころか〈天使〉の一匹すらも見当たらない。あるのは、どこまでも続く草原と、静謐(せいひつ)の空間だった。

 

 ……おれは。なにを。

 

「やっと目が覚めたか?」

 

 ミユキの背後から、ユウキの声が聞こえてくる。

 その声へと視線を向けて――そこで、自分が彼女と背中合わせで座っていることに気がついた。

 背中に彼女の温もりを感じながら、ミユキは問う。

 

「……〈オファニエル〉は」

「既に討伐済みだ。奴の率いていた〈天使〉は殆ど消滅したし、残存の奴らも既に撤退した。今、ここに〈天使〉は存在しない」

 

 繋がっていた〈D-TOS〉から、左目の網膜に周辺の地図を展開する。が、彼女の言う通り、周囲五キロメートルに〈天使〉は一匹も存在していなかった。

 

「現在、ラプラスは私たちの受けた精神侵入の除去に奔走している。……だから。私たちの思考は、今の彼に伝わることはない」

「……」

 

 最後に残っている記憶は、〈オファニエル〉の目の中で精神侵入を受けた時のものだ。薄々察してはいたものの……やはり、かなりの強度を誇る精神侵入だったらしい。

 武力制圧を行う〈智天使(ケルビム)〉にしては珍しいな、とミユキは思った。

 しばらくの沈黙ののち、ユウキがぽつりと呟く。

 

「……ありがとう、ミユキ。あの時、私を救ってくれて」

「え?」

 

 なんのことか分からず、ミユキはぴくりを眉を上げる。ちらりと目線を向けるが、真反対に位置する彼女の表情は何も見えない。

 

「私に許されることはないと、その価値もないと、お前は言っていたな」

「……」

 

 言われて、ミユキは視線を空へと逸らす。

 そうだ。おれには、ユウキに許される価値なんかない。

 だから、命を散らしてでも、彼女のために動かなくてはならなかったのに。

 なのに。おれは、〈オファニエル〉の精神侵入ごときで動けなくなってしまって。ユウキを危険に晒してしまった。

 ――ほんとうに、おれはなにをしているんだろう。

 

「何故、お前が私の右眼を潰したのか。お前は、覚えているか?」

 

 唐突な問いに戸惑いながらも、ミユキは首を横に振る。

 

「……なにも、思い出せないんだ」

 

 あの日の記憶は断片的にしか覚えていなくて。なぜ、ユウキの右眼を突き刺したのか。なぜ、あんなことをしたのか。前後の記憶が、すっかり抜け落ちていて、思い出せないのだ。

 けれど。

 

「でも。おれがお前を傷つけたってことは変わらない」

 

 どんな理由があったとしても、ミユキが彼女の右眼から光を奪ったのは事実だ。大切な人を平気で傷つけてしまったという事実は、決して消えない。

 地面に視線を移すミユキとは対照的に、ユウキは視線を(あか)(あお)の空に移して。ぽつぽつと言葉を紡いでいく。

 

「……五年前のあの時、私は、〈天使〉の精神侵入のただ中にいた」

「……え?」

 

 驚愕に目を見開くミユキを傍目に、ユウキはなおも言葉を続ける。

 

「己の存在を失いかけていた私は、一緒にいたお前と一つになろうとした」

 

 それを聞いた瞬間。ミユキの脳裏には、五年前の記憶がゆっくりと表出してきていた。

 ミユキを支配していた恐怖と不安が、その力を急速に失っていく。

 無意識のうちに心の奥底に閉じ込めていた、ずっと思い出せなかった記憶が、ゆっくりと溶け出してミユキの脳裏を満たしていく。

 

「だが。お前は、それを拒んでくれた。私の右眼を突き刺して、同化から私を救い出してくれたんだ」

 

 痛いと泣き叫ぶ幼いユウキ。けれど。その表情には、痛みと同じぐらいの安堵が浮かんでいて。

 突然立ち上がったユウキが、ミユキの正面に回ってくる。

 立ったままミユキを見下ろして、彼女は優しさの詰まった声音で言う。

 

「……ミユキ。私は、お前に感謝しているんだ。あの時、お前が私を拒んでくれなかったら、私はあの日この世界からいなくなっていた。お前とこうして話すこともできなかった」

 

 その言葉に、ミユキはなにか熱いものが込み上げてきていた。

 心の中を安堵が満たし、視界が滲む。流れ落ちた涙を必死にとどめようとするけれど、もう、自分の意思では止められなかった。

 

「……お前は、おれを、恨んでなかったのか?」

「そんな感情は、一度たりとも思ったことはない」

 

 確固たる意思のこもった即答だった。

 その応えに、ミユキは抑えていた感情にとうとう歯止めが効かなくなる。

 口から嗚咽(おえつ)が漏れ、視界が更に滲んでいく。心を満たす感情はぐちゃぐちゃになって、瞳からはただただ熱い(しずく)だけが流れ落ちていく。

 そんなミユキを、ユウキはそっと抱き寄せる。

 

「ごめん、ミユキ。ずっと、お前に辛い思いをさせてしまって」

 

 とても優しくて。そして、申し訳なさそうな声音だった。

 

「おれ……、ずっとお前を傷つけたと思って……、だから……っ!」

 

 涙と安堵でぐちゃぐちゃになった声で、ミユキは必死に言葉を紡ぐ。

 ずっと、おれはただいっときの感情でお前を傷つけしまったのだと。

 だから、お前には恨まれていて、憎悪されているのだと。

 そんなことをするような自分は、存在する価値もないのだと。ずっと、そう思っていた。

 

 だけど。

 違った。

 

 全部、自分の勘違いだったのだ。

 己のしたことに恐怖して、自分自身に怯えて。記憶を心の奥底に閉じ込めて。あの日、あの時に、ちゃんとユウキと話さなかったから。

 ミユキを抱擁する腕に、微かに力がこもる。

 

「大丈夫だ。私はもう、どこにもいかない。()()()()()、ここにいる」

 

 恐怖と不安が溶けていく。安堵と幸福感で感情がめちゃくちゃになって、涙が次から次へと溢れ出てくる。

 (あか)(あお)の静かな朝焼けの中。ユウキの優しい腕の中で、ミユキは声を上げて泣いた。

 

 

  †

 

 

『ようやく復旧できた――……って、え?』

 

 精神接続(クロッシング)が復旧して早々、ラプラスの第一声はミユキからの反応がないのに困惑する声だった。

 その声に小さく苦笑を漏らしつつ、ユウキは答える。

 

「安心しろ、今は疲労で眠っているだけだ。精神侵入の影響も、幸いほとんどない」

 

 飛行魔導を起動するユウキの背には、相変わらずかわいらしい顔をしているミユキの寝顔が見える。女顔なのは、昔から変わらない彼の特徴だ。

 

「仮眠は摂らせたとはいえ、昨日の朝からはずっと臨戦態勢だったしな。〈オファニエル〉の撃破で、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう」

 

 いくら彼が〈D-TOS〉用に遺伝子改造を施されているとはいえ、それに伴う疲労が減る訳ではない。〈天使〉因子の効果は、あくまで許容量が増えるだけで疲労そのものは普通の人間と同じように蓄積していくのだ。

 それに。

 

「あれだけの魔導を並列で使用していたのだ、今は少しでも脳を休めて安静にしてもらっていた方が身体のためだろう」

 

  残っていた彼の〈D-TOS〉使用ログを閲覧(えつらん)してみると、そこには出力限界に近い一時強化(ブースト)の履歴がズラリと並んでいた。

 恐らく、対〈智天使(ケルビム)〉戦闘のセオリーである短期決戦で終わらせるつもりだったのだろうが……。いくらなんでもやりすぎだ。あとで注意をしておかなければならないな、とミユキは思う。

 

『身体については大尉もだけどな。……ま、事情は分かった。色々と、な』

 

 何か含みのある声音で返されて、ユウキははっとする。

 ……ああ。〈D-TOS〉の精神接続(クロッシング)は、内面までもが相手に伝わるのだった。

 んんっと咳払いをして、ユウキは真面目な話題に移る。

 

「しかし、精神侵入を主とした〈智天使(ケルビム)〉か……。ここにきて、なぜ原点回帰を?」

 

 最初期の〈天使〉は、光線すらも放たない精神侵入だけの攻撃だった。それから年月が経つに連れて光線を放つようになり、遂には〈智天使(ケルビム)〉という武力に特化した種類までもが現れるようになったのだ。

 

 なのに。なぜ、今になって精神侵入が主体の大型天使が現れたのか。ユウキはそれが引っかかっていた。

 しばしの沈黙ののち、ラプラスは彼にしては険しい声音で言う。

 

『奴らも学習してるんだろうな。ただ武力を振るうだけじゃ、いずれ人類と拮抗するってことを』

「……人類(私たち)には、もうそれほど時間が残されていないと?」

『実際のところは分かんねぇけどな。けど、そう考えると、今回の作戦も納得がいくだろ?』

 

 たとえどんなに優秀な兵器であったとしても、その習熟が満足に完了していないうちに過酷な戦場に送り出すのははっきり言って無能でしかない。どんなに優秀な兵器でも、使いこなせなければ普通の部隊と同じなのだから。

 

 けれど。もし、未来に猶予がないのなら。待っていられるような時間がないのだとすれば。こんなめちゃくちゃな作戦にも、一定の説得力と合理性が見いだせる。

 

 第一、北極点基地(エルドラド・ベース)での()()()()事故からは三十年も経過しているのだ。まだ未来に余裕があると思う方がおかしいだろう。

 

「……今度は、どんな無理難題を押し付けられるのだろうな?」

 

 珍しく皮肉たっぷりなユウキに、ラプラスは苦笑して。

 それから、いつもの調子で答えた。

 

『さぁな。けど、やらなきゃオレたちも人類も終わりだ』

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