この場にいるカミはオサキ狐であるおーちゃんだけなので、おーちゃんの声として扱ってください。
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本格的に日が昇ってきたところで、七夕計画が始まる。美鶴がご馳走を作る間に、珠紀はおーちゃんと七夕飾りを作り始めた。
なにせ昨日思いついた計画だけあって、圧倒的に時間が足りない。他の作業は守護者に分担したものの、飾りはこうしてせっせと作らないと間に合いそうになかった。
リズミカルに鋏を動かすと、歯切れのよい音とともに紙がすとんと落ちていく。机の上に広げられている紙は元は包装紙だったのだが、こうやって切り分けていくと七夕飾りにふさわしい色紙になった。
『ここをのりでつけるの?』
細長く切った色紙の端を持ち、おーちゃんが尋ねる。狐が化けて人型になっているので手を使う作業は難しいはずなのに、おーちゃんは器用で鋏もちゃんと使えている。
珠紀は手元を覗きこんだ。
「うん、そこにちょっとだけのりをつけてね。手で触ると指もくっついちゃうから気を付けて」
『ニ!』
元気よく鳴いてのりを塗るおーちゃん。
(この調子でいけば飾りは大丈夫そう。笹は真弘先輩たちが用意してて、拓磨は祐一先輩の出迎え――)
ふと、ここにいない遼のことが頭に浮かんだ。誘いはしたし生返事は返されたけれど、彼だけ何も仕事をしていない。
(家に電話したけど誰もいないみたいだし……一体どこで何してるんだか)
みんなが協力してくれているなか、一人だけサボっているなんて。することが単純作業のせいか、余計なことを考える暇があってだんだん腹が立ってきた。
心が荒れると手元も荒れる。鋏を動かす効果音が徐々に乱暴な音に変わっていき――
「ずいぶん豪快な鋏使いですね……」
珠紀の背後――開け放っていた縁側のほうから、若干引きつったような声が聞こえた。
「!?」
驚いて振り向くと、そこには風呂敷包みを抱える卓と遼が立っている。
「卓さん!? 遼!?」
急いで鋏を置き、正座したまま体の向きを変える。
「ど、どうしてそこから」
「すみません、玄関から来ようとしたのですが狗谷君がこちらのほうが早いと」
「お前、道具の使い方が荒すぎるんじゃねえか。それじゃすぐ壊れちまうぞ」
あきれたような顔で言うので遼のせいだと怒鳴ってしまいたかったが、卓の手前、言葉を飲み込む。代わりに卓に向かって笑みを浮かべた。
「おはようございます卓さん。……遼も来たんだ?」
最後の一言は少し嫌味を込めた。その棘が刺さったのか遼は眉を寄せる。
「俺は来る気はなかったんだがな。大蛇が無理矢理――」
「すぐそこにいらっしゃったので連れてきました。人出は多いに越したことはありませんからね」
なにかを言いたそうな遼の言葉を卓が遮る。嫣然とした笑みを浮かべているが、どこか有無を言わせない気配が漂っていて遼は黙り込んだ。
『卓! 何持ってるの?』
卓が持っている風呂敷の中身が気になっていたようで、おーちゃんは縁側に腰を下ろした卓のもとまでにじり寄った。
「短冊用の紙ですよ。失礼ですがここからあがらせていただきますね」
「邪魔する」
二人とも靴をきちんと揃えて室内に上がった。後で、美鶴に二人が来たことを伝えなければならない。
卓が机の上に風呂敷包みを置き、中から木箱を取り出す。さらに蓋を取ると、千代紙と和紙が姿を現した。
「わあ、きれい!」
思わず感嘆の声を漏らす。
「書で使ったものの切れ端などですが。捨てずに取っておいたのが役に立ちましたね」
珠紀の様子に卓は目を細める。
「こんなにきれいなもの、いいんですか?」
「使わないともったいないですから。家に置いていると溜まるだけですし、使っていただいたほうが助かります」
「ありがとうございます! 遠慮なくいただきます!」
先程の遼への苛立ちもどこへやら、珠紀は目移りしながら和紙を見比べた。
卓が用意しただけあってどれも上品なデザインだ。表面を撫でてみるとざらざらとした感触で、上等な紙なんだろうなと凡庸な感想を抱く。
「おや、誰か来たようですね」
引き戸の音が玄関の方から聞こえ、卓が顔を上げた。珠紀もふすまに目を向ける。
美鶴は台所にいるはずだし、この家には他に人は住んでいない。ノックもなく勝手に開けたということは守護者の誰かなのだろうか。そんな無遠慮な人も、数人心当たりがあるが――
「カラスのにおいがする」
遼がポツリと呟き、ドタドタと騒がしい訪問者の足音がしてふすまが開く。
「俺様だ! つうか狗谷、カラスって呼ぶな!」
(……地獄耳)
遼の予測通りやってきた真弘は、開口一番遼を怒鳴りつけた。ふすまが閉まった状態で、よく声が聞こえたものだと珠紀は感心する。
遼は真弘に関心を持たず、一瞥しただけで鼻を鳴らした。
「うおい、狗谷!お前その態度――」
「鴉取君」
卓の呼び掛けに真弘が即座に背筋を正した。そしてぎこちなく首を動かし、卓を視認した。
「お、おおおお大蛇さん!? いつの間にそこにいた、いらしゃったんですか!」
「いやですね、さっきから目の前にいたじゃないですか」
卓はいつもと同じ笑顔で言うのだが、なぜか真弘はどもっている。そしてぎこちなく視線を逸らした。
「そ、そんで、お前らなにやってんだ?」
……二人の間に何があったのかは聞かないほうがいいのだろう。
「私たちは短冊の準備を――ってああ! なんで先輩ここにいるんですか!?」
真弘は慎司と一緒に笹を調達しに行っていたはずだ。それなのに真弘は一人でここにきている。
「先輩は慎司君と一緒に笹を取りに行くはずでしたよね。何かあったんですか?」
「ああ、いや別に。実はな」
「まさか、慎司君一人に押し付けたんですか!?」
慎司は優しい人だし、先輩に頼まれたら嫌とは言えないだろう。真弘は言葉を濁すように頭を掻いた。
「いや、それがだな」
「犬戒君に仕事を任せて自分だけここに来たんですか?それは感心しませんね。」
さすがの卓も表情が険しい。嫌な気配を感じたのか真弘は勢いよく頭を振った。
「いや! 違う誤解だって!」
「鴉取、お前最悪だな」
追い打ちをかけるように遼。あんただってそうだったでしょと珠紀は内心思ったが、今はそれどころではない。
「先輩!」
「働かざるもの食うべからず。此の世の理ですよ?」
「だあからそうじゃなくて!俺の話をちゃんと聞けよ!」
「じゃあ言ってみてくださいよ! どうして一人でここに来たんですか!」
とうとう真弘は怒鳴ったが、珠紀も負けていない。
「だから! 慎司がどーしても一人で行きたいって言ったんだよ! それでわざわざ途中で戻ってきたんだろうが!」
「何で犬戒がそんなこというんだよ」
にわかには信じられないと遼が尋ねるが、知るかと真弘は鼻を鳴らす。
「とにかくあいつがああいったんだ! 後は慎司に直接聞け! 俺からはそれだけだ!」
ここまで開き直っているということは詭弁ではないらしい。
(慎司君がわざわざ一人で……もちろん一番張り切ってたのは慎司君だけど)
今回の七夕を企画したのは珠紀だが、そのきっかけは慎司の幼少の話からだ。人手が足りないという話は全員にしているし、もしかしたら慎司は気を遣って人員を減らしてくれたのかもしれない。
「……まあとにかく、鴉取君も座ったらどうですか?」
「ああ」
みんなに疑われて気を悪くしたようで、幾分低い声で応えてから真弘は腰を下ろした。
「さ、七夕飾りを作りましょう。狐邑君が来るまで時間がありませんからね」
卓が年長者らしく場を仕切ったので今度は五人で飾りを作る。しかし全員無言だ。
人数が多ければ多い方がいいとは言うけれど、この状態は少し難があるかもしれない。続く沈黙に珠紀は冷や汗を流した。
遼はもともと手伝う気がなかったのを連れてこられたうえ、もともと不愛想だからしかめ面なのは仕方ない。しかし不機嫌なのはもう一人いて、真弘はずっと不貞腐れたままだ。
よっぽど今の扱いが気に入らなかったのだろう。普段ならうるさいくらい一人で喋っているはずなのに、一向に口を開かない。
鋏の使い方は先程の珠紀と瓜二つだが、切り取られた色紙はちゃんと全部同じ大きさにしているあたり、几帳面さが滲み出ている。
「……先輩、怒ってます?」
沈黙に耐えられず、珠紀は手元から目を離さないまま真弘に話しかけた。真弘は答えない。
「でも、先輩も悪いんですよ。早く理由を言ってくれれば私たちだって……」
「んだよ、俺のせいかよ」
ますます真弘の機嫌が悪くなる。
「そうとは言ってませんけど」
「言ってるようなもんじゃねえか。そもそも心優しいこの俺様が、慎司一人に仕事押し付けたりなんかすると思うか?」
真弘はさも心外だと頭を振るが――
「いつもやってるじゃないっすか」
「いつものことだろう」
この場にいないはずの声が響き、珠紀は跳ねるように顔を上げた。いつからそこにいたのか、ふすまを開けて拓磨と祐一が入ってくる。
「拓磨――っ祐一先輩!!」
「久しぶりだな」
相変わらずの平坦な声だけど、口元にはほんの少し笑みが浮かんでいた。
「うおーい、ちょっと待てお前ら――」
「はい、お久しぶりです!!」
真弘の言葉を無視して珠紀は声を張る。しかも、真弘を横に突き飛ばすようにして立ち上がったので、真弘は横によろめいた。
「おい珠――」
「お久しぶりですねぇ、どうぞこちらに。ほら、鬼崎君も」
ぬっと卓が立ち上がり、二人に座布団を進める。
「拓磨ありがとね、迎えに行ってくれて」
「どうってことねえよ」
真弘はまだなにか言いたそうにしていたが、みんなが自分に一切注意を払っていない状況で視線を集めるのは不可能だと判断したのか、諦めたように口をつぐんだ。
『ニーー! ゆーいち!!』
おーちゃんが祐一に飛びつき、飛びついてきたおーちゃんを祐一は力強く抱きしめ返した。
「いい子にしていたか」
『うん! 僕いい子にしてたよー!』
おーちゃんの頭を軽く撫で、祐一は体を放す。祐一にしては大胆な行為だが、狐を先祖に持つ者同士通じるものがあるのだろう。二人の様子は微笑ましかった。
「しっかしお前は変わらねえな! 都会に行ったんだからちょっとは垢抜けるかと思ったけどよ!」
「いやあ、祐一先輩がいきなり垢抜けたら怖いっすよ」
「私は少し見てみたいですけどね。どうです、狐邑君」
卓の面白がる口調に祐一は肩をすくめる。
「遠慮しておこう。それより真弘、少し見ない間に縮んだか?」
「縮んでたまるか!」
本日の主役である祐一が登場したことで場がにわかに騒がしくなっている。さすがにここまでうるさくしていたら美鶴も新しい訪問者に気づいたようで、菜箸片手に居間を覗き込みにきた。
「お二人もいらしてたんですか? ごめんなさい、料理に夢中で気付かなかったみたいで――」
「いや悪い、勝手に入ってきた」
「今お茶を淹れてまいりますね」
また台所に引っ込んでしまいそうな美鶴を祐一が引き止める。
「気を遣ってくれなくていい。それよりも、変わりはないか」
「はい、おかげさまで。……狐邑さんもお変わりありませんでしたか?」
「ああ。少し忙しいがなんとかやってる。お前たちも元気そうだが――」
そこで祐一は一人足りないことに気づいたようだ。
「……慎司はまだ来ていないのか」
「今、笹をとりに行ってるんですよ」
聞かれて答えると真弘が割って入ってきた。
「あいつ、やけに張り切っててよ。この俺のありがたーい手助けを断りやがったんだよ」
「それがさっきの話か」
「ああ。おかげで俺が悪者になるところだった」
「普段の行いのせいだろう」
「んだとこのやろ」
この温度差のある掛け合いも久し振りだ。二人もそう思っているのか、嬉しそうな様子は隠しきれていない。
「まあ、鴉取に任せたら何が起きるかわからないしな」
――減らず口担当の遼もニヤリとしているが、これはただ単にからかって楽しんでいるだけだろう。しかし和気藹々とした雰囲気に珠紀も乗っかり、
「ああ、笹と竹を間違えたりとか?」
そんな軽口を叩いたところで、場の空気がぎこちなく固まった。
「……あれ?」
何の気なしの言葉なのにこの反応。これはもしや――珠紀は恐る恐る尋ねた。
「……もしかして、図星ですか」
その瞬間、四人がピクっと動き、真弘の耳がカアっと赤くなった。
「なんだ、そうなのか? いるんだな、本当にそういう間違いするやつ」
遼もいたぶるように言葉を重ねる。周りの沈黙は雄弁に事実を物語り、真弘は顔全体を赤くさせ――
「……なんで俺に来るんすか」
拓磨の顔めがけて拳をふるった。もちろん軽く受け止められ、真っ赤な顔のまま怒鳴る。
「うるせえ! このことはだれにも言うなっていっただろうが!!」
「俺はなにも言ってないじゃないっすか! やつあたりはやめてくださいよ。」
不満そうに言う拓磨の言葉はまさに正論だったが――
「黙れ! お前のせいなんだよ!!」
激昂した真弘に正論は通じない。
「まあ、小学生の時の話ですからね」
二人の攻防を視界の隅に留めつつ、卓がフォローを入れた。
「あ、何だそうなんですか」
珠紀は心底ほっとする。
(……先輩のことだから去年かと思った)
これは本人には言えないので、心にしまっておく。
「確か一年生の頃でしたね。あのころから鴉取君は腕白で」
「それは小学一年生ってことだよな?」
念には念を入れて遼が尋ねると真弘は拓磨への攻撃をやめた。
「ったりめえだろ! 中坊でそんなことやってたらただの馬鹿だろうが!」
「いや、先輩なら――ちょちょ!?蹴りはなしっすよ!」
口元をひくつかせた真弘が片足を上げるとすかさず拓磨が腕をクロスしてガードの姿勢を作る。ここが屋内でよかった、外だったら躊躇うことなく能力を使っていただろう。
「それで?」
「鴉取君が一人で笹を持ってくると張り切っていたのですが……」
「……持ってきたのは竹だった、ってわけか」
「ええ。でも、似てましたから間違えるのも無理は」
祐一は遠くに目線をやった。
「あの時の真弘はとても得意げだった。大きな竹を抱えて『こんな立派な笹を用意してやった俺に感謝しろよ』と言っていたな。竹だったのに」
「お前それ以上言うなよ? 喧嘩売ってんなら別だがよ」
真弘の言い草に、祐一は心外だと目を丸める。
「……フォローのつもりだったんだが」
「だったらなんで事細かに状況説明してんだよ!? しかもなんで台詞完璧に記憶してんだ!?」
「……記憶力には自信があってな」
「お前、この野郎!」
真弘の左拳が次の標的に狙いを定める前に、珠紀は激しく手を打ち鳴らした。
「はい、終わらないからもう終了!」
このままでは、本当に家の中がめちゃくちゃになってしまう。珠紀の声音にこれ以上続けたらどうなるか想像がついたのか、みんな口を閉ざした。静かになったところで遼が鼻を動かし、
「……犬戒がもうすぐ来るな」
「相変わらず便利だな。お前の鼻は」
「人をモノのように言うな」
玄関の方から人の足音と何かを引きずる音。どうやら笹は無事手に入ったようだ。戸の開く音が聞こえる。
「あの、いらっしゃいますよね! 笹を持ってきたので縁側から入ります!」
律儀にそう声掛けされ、珠紀は同じように声を張り上げた。
「みんないるよ! おつかれさまー!」
慎司を待つためにみんなで縁側に移動する。サワサワと葉の重なる音が聞こえてきて、全員が一方向に目を凝らした。
「遅くなって済みません! 言霊を使ったので運ぶのは楽だったんですけど」
そう言って姿を現した慎司に、一同は目を奪われた。――いや、正確には慎司が担いでいた巨大な植物に。
「し、慎司君? それ……」
「すみません、ちょうどいい大きさが見つからなくてこんなに大きいものになってしまいました」
申し訳なさそうに謝りながら、慎司は担いでいた植物を下ろしたが――全員の視線が驚きに満ちているのに気づいて、狼狽えた。
「……これでは大きすぎましたか?」
と、身長の二倍はある“竹”を示した。
誰一人として言葉を発せない中、罪のない竹はただどっしりとその場に存在しており、強い存在感を周囲に刻み付けていた。