「聖杯?戦争?英雄を召喚しての殺し合い?何を言ってるんだ遠坂?」
「……私としては、貴方が魔術師だってことの方が信じられないわよ」
朝、目が覚めた衛宮士郎が見たのは、自宅の土が掘り起こされたり、縁側が半壊していたりと色々と普通では無い状況だった。そして一夜を過ごした穂群原学園のヒロインとも称される同級生の少女の顔でもあった。更にその少女から色々と普通では無い事を言われた衛宮士郎の脳内は、寝起きという事を差し引いて控えめに言っても混乱の極みにあった。己の所業である強化魔術の時点でかなり一般的な常識では普通じゃ無いのではないか、と言う話なのだが、如何せん今の士郎に其処まで役体もない事を己に突っ込むと言う技術を求めるのは酷な事だろう。現在彼としては、凛に修復の手伝い位やれ、と言われた黒い巨漢がめんどくせえと一言でそれを切り捨てて背後の居間で柱に凭れかかって寝ていると言う現実、彼の認識能力は必死にそれを否定する事に全精力を傾けていた。同時に、どこから資材を持ってきたのかてきぱきと修繕を進める、白いフードの男の事も同時並行で認識対象外に追いやろうとしている。他人が彼の思考を覗いたならばこういうだろう──なんだ、現実逃避か、と。
凛も凛で一夜明けた今もまだ色々と混乱していたが、聞きたい事を大まかに一言で表現出来る程度にはまだ冷静だった。聞きたい事とは何か、詰まる所要は冒頭の会話の通りだった。今此処に至るまでに誤算は幾つもあった。例えば、予想していた召喚者が物理的な距離としては近く、心の距離としては遥か遠い場所にいる実の妹では無かった事。例えば、どんな方法を取ってでも参加者を特定する事がある意味肝である聖杯戦争において、己の目の前で誰も把握していないマスター候補がマスターになると言う状況。例えば、それ以前に何度も言うが、まず大体にして衛宮士郎が魔術師であったこと──全てが予想の範疇外であった。
「そりゃあ、こんな話誰にも言えるわけないんだから遠坂が知っているわけないだろう?」
「根本的な理解の時点で会話に擦れが生じてるのは、よく分かったわ」
互いの認識レベルに於いて言えば、当たり前と言えば当たり前である説明する必要もない認識、それが既に互いに隔たりを感じる程擦れている事に凛は溜息を隠せなかった。確かに一般的な人間に対しての考え方であれば士郎の言い様は正しい、魔術師とは存在すら秘匿せざるを得ないマイノリティーの極みである。まともに受け取って貰える訳はない、黄色い救急車などと言うものは都市伝説であり実在しないが、その救急車の搬送先と言われている所謂精神病院と言うものはこの世界に歴として存在しているのだ。
「でもね、同根の士に対してその認識は間違っていることくらい分かっているわよね?──隠していた割に、己が魔術師だと潔く認めたのは感心するけど、今まで私に挨拶も無しとは貴方の師父はどう言うつもりだったのかしら」
「挨拶って……たまにすれ違う時に位はしてるぞ、俺だって。其処まで礼儀無しな人間じゃない」
「たまにすれ違う時位には……?いや、ちょっと待って」
凛は何かを言い募ろうとした士郎を制止した。今この男はなんと言ったのか、と凛は言葉を脳内で反芻させた。
──たまにすれ違う時に位は挨拶をしている。
確かにたまにすれ違う時に会釈程度交わしたことはあった様な気がする。だがそれは唯の挨拶であって、彼女が示唆した挨拶ではない。凛が言いたい事はけじめとしての挨拶である、何故それが伝わらないのか。魔術師としては常識中の常識であろう、寧ろどの様な形であれ一度形成されたどんな社会に於いても必須な常識である筈である。面通し、と言い換えてもいい。
遠坂とは、歴史こそ其処まででは無いものの名門である。それは一門の始祖が大師父と呼ばれる魔導の伝説的人物である事にも由来するのだが、少なくともその辺りにいる血筋だけの有象無象よりは余程高位に立っているであろう一門である。そしてその功績をこそ認められ、遠坂一門は──引いては遠坂凛はこの冬木と言う地に根を張る事を許され、魔導に於いては日本有数の重要地であるこの場所の
「この際衛宮君が協会の所属なのか在野の魔術師かは置いておくわ。……この地が遠坂の管理にあるのは知ってる?」
「教会って……俺は敢えて言うなら仏教徒だぞ。管理って、遠坂の家って政治家かなんかだったか?」
この答えで凛は全てを察した、そしてこの上なく疲労を感じずにはいられなかった。この男は、未だ以て信じられないが、セカンドオーナーの事を何一つ知らずに生きている。それどころか魔術を志しながら、協会すら知らないのだ。こんな魔術師がいてたまるか、凛は内心で呻いた。魔術師として基本以前の知識を何故知らないのか、と。兎に角、こんな有様なのだから話も通じる訳が無い。
「……良い、衛宮君?貴方と私は同根の──詰まり闇に紛れ、世界に存在する
「そんな、大げさな……」
「誇張でも何でもない只の事実よ、何も知らない様だもの──」
──死する寸前までが学びの半ばである魔術師として、死ぬにしても何も知らないで死ぬのは嫌でしょう?
冷静に顔色も表情も変えず、極当たり前の事を口に出した様な素振りの凛の言葉に、士郎は思わず絶句した。その眼の光はあくまで硬質、その眼差しは無機物に向ける眼差しであった。学校で見ていた凛とした近寄り難い、言うなれば高貴な雰囲気とはまた違う──静かな威圧感が隅々まで張り詰めたその様子に、士郎が思った事は『住む次元が違う』と言う表現の難しい感想だった。目の前にいる筈なのに同じ立ち位置にいるとは思えない、それ程に士郎が知る遠坂凛とは別物の風格であった。
「貴方が参加したのは、魔術師同士骨肉相食む無情の戦争。生き残るには、己の駒を最大限に生かして他の全てを喰らうしかないわ」
「……本気で、言ってるのか?」
「この後に及んで言葉遊びをするつもりはないわ。それとも私達が冗談で殺し合っているとでも?」
「済まない、言い過ぎた」
それこそこの後に及んで信じない、などと士郎には言えるはずもなかった。話だけを聞けば荒唐無稽にしか思えぬ内容だが、それを違和感無しに納得できるだけの体験を既にしている、それも二度も。そこまで考えて、いつの間にか封印されていた夜の学校での記憶が蘇っている事を士郎は思い出した。心臓を確実に打ち貫かれた事も、救われた事も。救い主が目の前の少女であろうという推測をも。そこまで辿り着いた瞬間、士郎は慌てて頭を下げた。
「そうだ、遠坂……俺、御礼を言わなきゃならないな。どうやったか知らないけど、校庭で助けてくれたのは遠坂だろ?」
本当にありがとう、そう言って頭を下げた士郎に今度は凛が慌てる事になった。この空気で、実は渋ってる内に空気を読め過ぎて一周回って読めてない某愉快型妖精が、こっちの苦悩もなんのその勝手に治した、となど言える筈も無い。何しろあの時点で衛宮士郎は彼女にとって一般人であり、セカンドオーナーとしては魔術儀式の結果から保護すべき庇護民であった。それは実際は彼女に無届であった在野の魔術師であった為、結果的に庇護責任の発生する様な問題ではなかった、などと言う結果論で解決する問題では無い。ひとえに己の純粋な力量不足で無関係であった同級生を巻き添えにして殺した、と言う事実だけが厳然と彼女の目の前にある。遠坂凛は他人にも厳しいが、それ以上に己にも厳しい。凛が衛宮士郎に対して行った行為は、あるべき己の姿に照らし合わせて確実に恥ずべき行為だった。それ以前に、決まり悪い事この上無い。互いにとって微妙に思惑のズレた不可思議な沈黙が漂う中、口火を切ったのは、切ってしまったのは矢張り妖精だっだ。
「あ、それ治したのオレだぜー」
「えっ?」
「あっ」
軽々とは口を開けぬこの沈黙、それをいともあっさりと破砕したパックを凛はガント銃殺刑に処す事を0.5秒で決断した。話がまともに通じ、聞くところによる妖精種よりどころか戦闘以外ではガッツよりも余程役に立つせいか忘れていたが、パックとて立派な妖精であり、絶妙なタイミングでその真骨頂を体現したのである──本人にその自覚は無いのであろうが。凛としては、父の妖精に対する警告がパックにも適応される事が頭の中から抜けていた為に、ダメージも大きい。パックとしては己の処刑執行書にでかでかとサインをした挙句に、それを飾り文字にまで仕上げた状況であったのだが、どう見てもそれを全く理解していない様である。
「えっと、君が俺を?」
「そうだぜ!あ、オレパックって言うんだ、よろしくなー」
そんな凛の心中など知らぬと、当の二人は勝手に親交を深め合っていた。パックに至っては己の名前まで明かしている始末である。凛には既にそれを止める気力は無かったが、パックの命がまた風前の灯へと一歩近づいたのは確かであろう。それは兎も角としても、凛としては実質直接的な戦力ではないパックの名前が割れた所でさしたる問題でもないと言うのが本当のところであった。知られない事に越した事はないだろうが、ガッツの情報が漏れるよりは事の軽重としては圧倒的に軽いし、異世界の来訪者の名が知られた所でそこから対策を立てる事はほぼ不可能に近い。
聖杯戦争においてサーヴァントの真名を知られる事を恐れるのは、其処からその英霊に対して何らかの対策を立てられてしまう事である。英霊は強力極まりない存在だが、抽象的な存在でもある。彼等は一度現れれば現世に凄まじい影響を与えるが、彼等自身もまた風評により時に看過し得ぬ程の影響を受ける。生前に死した原因とされる物が伝承者の中で真実として根付けば、それは真実と取って代わられてしまう程に。毒を塗った短剣で刺された事により死んだ英霊がいたとしよう。その死因が毒ではなく短剣での失血死であったとしても、伝承により短剣の毒で死したと語り継がれて浸透してしまえば、その英霊を縛る死の因果は短剣ではなく毒となる。召喚された英霊は己の死した原因──詰まり因果に弱くなるが、この場合本来の因果である短剣には因果が絡まず、毒に因果が絡むのだ。そして召喚された英霊は、毒全般に対しての耐性が低くなるなどの不具合を顕在化させる事で伝承と現実の辻褄を聖杯は、ひいては世界は合わせるのである。そう言う意味では、彼等にまだ死の因果がない事は凛に取って大きなアドバンテージでもあるのだ。
「パック、その辺で止めておかないと後で話し合いをする事になるわよ?──彼を見れば話が早いわね、あれがサーヴァントよ。聖杯戦争の為の参加証であり、私たち参加者の刃でもあるわ。そしてその手の甲の痣こそ、聖痕。令呪と呼ばれる、強大なサーヴァントの手綱を取る為の切札よ」
その言葉にガタガタ震えるパックを無視した凛の視線の先には、未だに柱に寄り掛かり蹲ったままのガッツの姿。それを確認した士郎の表情が、微かに引き攣ったように見えた。自分が一度死に掛けた原因も、生き返らせてくれた恩人も、等しく殺し合いの為の暴力装置であると聞けば、幾ら温厚な人間であっても平静ではいられないだろう。少しの間をおいて士郎が呟いた。
「……夢で終わらせたい様な内容だ」
「終わらせられるわよ。それを望むなら、ね」
「だが、我がマスターはそれを望まないだろうな」
横合いから入った男の声に、凛は舌打ちを噛み潰した。士郎の自失の呟きに、凛はそれに寄り添うことで敵を一人穏便な方法で潰そうとしたのだが、それを阻まれたが故の舌打ちだった。初歩的な
「勝手にマスターを思考誘導させるのは止めてもらおうか……個人的な意見だが、そう言う手合いには反吐が出る」
「あら、反吐が出ようと私は構わないわよ。どうぞ、存分に出して下さいな?」
「実に寛大な申し出だね、ならば此方も、君が唐突に血反吐を吐いてしまっても失礼を見過ごそうじゃないか。ああ、ローブに血がついても私は気にしないから」
「あら、宣戦布告?」
「真逆、レディ。只の挨拶だよ」
白い男と赤い少女は、言葉遊びの応酬で互いに微笑み合う。
それは肉食獣同士の牙の剥き合いにも見えた。
ついでに告知です、別の二次小説も作り始めました。
fallout原作のなんちゃってハードボイルドモノです、興味がお有りでしたら覗いて見てください