Fate/chaos chronicle   作:あんのうん

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1、前夜

 そこは暗い室内だった。洋風にまとめられたシックな内装は、誰が見ても一級品である事を否定できないであろう品格を持ち合わせている。それだけであれば只の品のいい部屋だが、一つだけ瑕疵というには目立ちすぎる一点がその部屋の印象をある種真逆に変えていた。鮮やかな発色の赤で描かれた魔方陣、それがこの部屋の空気を別のものへと切り替えている。

 

 それは最も効率が良い形で、そして最も美しい理想的な魔方陣であった。材料は宝石──純度が高く魔力も込められた、一級品礼装レベルの石を熔かして作られた特製の触媒である。手持ちでこれ以上の純度の宝石は、代々受け継ぎその度に魔力を込めてきた特級の紅玉(ルビー)位の物であろう。陣の前に立つ彼女にとって切り札である一枚、最後の最後の奥の手である石以外にはこの家に存在しない。

 

 居間で時間を確認し直す……柱時計は予想通りの時間を刻んでいる。彼女が最も魔力を発揮しやすい時間はまさに今この時だ。

 

 さあ、星辰は整った。

 

 静々と手に抱えるは召喚触媒である。丹念に布に包まれ、呪術結束で括られたその中身は傍目にはどう見ても単なる鉄の板の様である。錆びた鉄屑で形容してもいいだろう、それがこの現代には有るまじき濃度の神気を宿してさえいなければ。。

 

 本来はもっと別の触媒を探しに向かった筈であった、歴代当主が遺物を溜め込んできた保管庫で掘り出してきた物体がこれである。どう見ても只の鉄屑にしか見えない分際でこの噎せ返る程の神秘、時代も何処の物とも判別できない何とも奇妙な鉄の板だが、ただ見ているだけでも当てられて酔いそうな程の神気を感じるその異常性に彼女は目を付けた。布と紐で結わえて放り込んであったような扱いをされていたが、気持ち悪くなる程濃い想念を放出するこの物体に今まで気付かなかったことこそが一番の異常である、という事実に聡明な彼女が気付く事は遅くはなかった。

 

 それこそ、社格を上から数えた方が早い神社の神宝もかくや、と言わんばかりの神気を放つこの物体。鑑定士に鑑定してもらった結果、恐らくは段平や大型両手剣のような巨大な剣の一部の様である、と鑑定されたが結局の所それが本当かどうかはよく判らない。ともすれば神剣か何かの破片だと言うのだろうか、名古屋の熱田神宮などにはどう考えても人には持てない様な巨大な刀が奉納物として神宝の一つに計上されているのは彼女も知ってはいた。結果、確実に解った事といえば布も結わえていた紐も特級の封印呪具だったと言う位だ。ともあれ、そんな曰く付き極まりない鉄板を所定の場所に収めて、準備も整った。

 

 大きく息を吸い込み、吐き出す。

 

 呼気が食道を通り肺に到達、そこに含まれた清浄の概念を取り込む過程を幻視しながら行う。

 

 精神の純化を含めた最も単純な魔術、詠唱も何も必要としないそれは、ある意味でスイッチかもしれない──即ち、人と、人以外のものとの。

 

『素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。』

 

 魔術行使の際に感じる悪寒のような恍惚という極めて矛盾した感触を感じながら、彼女は召喚に必要な最初の一小節を謳い上げる。最初の一小節で、まずは誓言を立てる。自らが寄って立つモノへの誓言。裡から魔力を組み上げ、体内に廻す。それはエンジンにも似ている。ぞくり、と尾?(びてい)を這い出し背筋を泡立たせるその感触は官能の疼きにすら似ているかも知れない。今の彼女は、未分化で方向性の無い無色の可能性を湧出させる一個の力の塊である。

 

『降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ』

 

 二つ目の小節。これで魔力を注ぐべき道筋を付ける。第一のセフィラーである王冠(ケテル)から、第十のセフィラーたる王国(マルクト)への順路を既定する。それにより指向性を得た魔力が、腕に刻まれた魔術刻印の稼働率を一気に最大まで上げていく。本来人に在らざる異物である魔術回路の稼動による魔力の循環はギリギリと腕を、身体を痛覚で蝕み、現世を浸食する力と為して行く。其処に、こんこんと泉のように湧き出す魔力の悪寒と恍惚という相反する感覚を重ねた彼女の体もまた、急流に流されるように臨界へと押し流されて行く。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返す都度に五度。ただ、満たされる刻を破却する』

 

 内圧で今にも破裂しそうなそれを制御下に置く第三の小節。門を閉じられ体内で暴れるように循環するそれは、循環するごとに純度の高いものへと昇華していく。体内を巡る熱と悪寒、それらは魔術師であるならば一度は感じた事があるに違いない魔力純化のプロセス。

 

 己の体内にまるで星雲銀河のように渦を巻くそれを確認して、次の小節へ進む。

 

『──Anfang(セット)

 

あくまで、あくまで表面上は物質界(アッシャー)の上では静けさを保っている、その偽りの静寂で張り詰めた力の風船を破る。そして、彼女の魔術を行使するための最も有り触れた一言。

 

『──告げる』

 

 まずは一度、自らの言霊がどれほど場に浸透するかの予備動作。発された言葉は消える事無く力と化して渦を巻く。それを幻視して、更に次の動作へ。

 

『──告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』

 

 一息に構成を編み上げる。ここからは一刻一寸たりとも無駄に出来ぬ勢いの勝負だ。純化し、濾過された体内で渦を巻いている魔力をそのまま召喚陣へと廻す。程無く、ごう、と渦巻くエーテルの奔流。それは未だ魔道の道半ばにして、既に一線級の魔術師である彼女をして間違いなく会心の手応えを予感させる純度で巻き起こる。だがこれ等は予定通りの事象にしか過ぎない。魔方陣の構成触媒に使用する宝石も吟味し、占星術による自らの魔力補整が最も高まる時間帯も綿密に計算した。一目には謎の鉄板にしか見えない召喚触媒ですら幾つかの候補から、最上級の神秘を持つ触媒を厳選した結果に過ぎない。何時だって重要な物程、隠されて何の変哲も無い物に見えるのだから。

 

『誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天』

 

 これ以上は無いと言う程に高まる力の中心にいる自分、世界のあらゆる場所、あらゆる部分全てに己が浸透しているような仮初の全能感そのままに彼女は確信する──間違いなく最強のカードを引き当てた、と。そうで無くともここまでのお膳立てをしての召喚、間違いなど起こるはずも無い。彼女はそう確信していた。

 

 エーテル乱流が激しくなるにつれ痛いほどに反応する手の甲に、彼女はちらりと視線を這わせた。そこには何時の間にかまるで刺青のような鮮やかな幾何学的模様が刻まれ、それが発光と明滅を凄まじい速度で繰り返す。

 

 さあ、来れ、と彼女は希求する。力が少しずつ圧縮され形へとなるのを感じる。

 

『抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!』

 

 その瞬間を見計らって最後の小節を紡ぐ──!

 

 だが。

 

 どんがらがっしゃー

 

 思うとおりのものは現れず、凄まじい音が彼女を現実に引き戻した。

 

 

 

 聖杯戦争──そう呼ばれる秘儀が存在する。

 

 それは極東日本の某地方都市にだけ存在する秘儀である。元々の聖杯とは基督の血を受けた器とされ、それを所持するものはあらゆる願望を叶えるなどという伝説も存在する一級、いや超特級品の礼装である。嘗て多くの者がそれを捜し求めた。オカルトの実在を信じ、政治にオカルトを密接に絡ませ実際に古代の遺物を集めた、かのアドルフ=ヒトラーまでもが捜し求めたという説もある。だが此処でいわれる聖杯とは、広義の意味での聖杯であるという事が注意点であろうか。この広義の意味での聖杯と言うものは、別段杯の形である必要は無い。物質である必要すらないのだ。

 

 究極の願望器──それこそが広義の意味での聖杯と言う物体の定義なのである。そしてこの聖杯戦争とは、極東日本にある冬木の地に聖杯を降ろす巨大な降霊儀式なのである。

 

 用意された器は七つ、器を満たし飲み干す使役者が七人──これのみが聖杯戦争に参加できる。彼ら七人の使役者は、一人一つずつ器の中身を満たす事が前提条件となる。その器を使い、他の六の器と六の使役者を下した者が聖杯の祝福を得る事が出来る。これが聖杯戦争の内容である。七つの器とは七つのクラス──即ち、剣の英霊『セイバー』、槍の英霊『ランサー』、弓の英霊『アーチャー』、騎乗兵の英霊『ライダー』、魔術師の英霊『キャスター』、暗殺者の英霊『アサシン』、狂戦士の英霊『バーサーカー』。

 

 これらの七つの器に適応する、英霊と呼ばれる伝説の持ち手を召喚するのが、参加に於ける最低条件の一つなのである。即ち、召喚が出来ないということは既に参加以前の問題だという事となる。

 

 更に、もう一つ条件がある。それは魔術師である事と言う前提条件だ。魔術師という世人から隠匿された秘奥を知り、今も伝える存在でなければこの儀式は参加不可能であり、それを選別するのが『令呪』なるシステムである。令呪とは聖杯戦争の準備期間内にその資格を持つものが、儀式場と化した街へ入る事で刻まれる参加証である。それは英霊を従者(サーヴァント)として召喚使役する為の鍵であり、それを以てして、初めて英霊を召喚できるのだ。

 

 彼女は自らの右手の甲に刻まれたそれを見る。微かに発光しているのは発動中と言うことだろうか。自分と何か別の存在に魔術的同調線(ライン)を感じるのは確かではある。ならば、自分の召喚は果たして成功していたのだろうか?疑問は彼女の脳内をぐるぐると廻る。

 

 兎にも角にも、そのラインに従い向かうは屋根裏部屋である。何でそんな場所に──と彼女は考えた。前回の戦争に参加した父親の記述では、当たり前のことではあるのだが召喚物は召喚陣の中に現れると言う。歴代の記述を見ても、勿論当たり前のように例外は無いようだ。大体にして、再三言うがその為の召喚陣なのだ。しかし、彼女の召喚の結果は陣内には存在しない。召喚陣とは、召喚主を召喚した者から守ると言う役目と、召喚の補助、そして召喚対象の自由を奪うという三点の為に作成される物であり、その召喚対象が陣の中にいない時点でこの召喚自体が相当のイレギュラーである事は間違いない。元から召喚士(サモナー)志向ではない彼女としても本格的な召喚は初めてなのだが、それくらいはさすがに常識の範疇として理解できる。

 

 そも、彼女──遠坂凛の家は最初期から現在に至るまで、歴代のこの戦争を経験したエキスパートである。いや、当事者であると言い換えたほうが良い。既にこの戦争も五回目だが、その五回の中にこのような召喚事故とも言うべき事例は存在しない、という事は相当の椿事であることは間違いないだろう。凛より遥かに劣る最低限度の魔術師ですら大した難度でもない前提条件さえクリアすれば召喚を可能とするこのシステムで、幾ら失敗したとて儀式の根本を間違えるなどと言う半人前以下の事をしない限りは召喚は可能なのだ。事実、召喚自体の成功の証として何者かとのラインの形成を感じ取っているのだから、手酷いミスは犯していない。凛はそう結論付けた。巷ではこじつけたとも言うかもしれないが。

 

 五度の戦争というこの言葉には二つの意味がある。一つは、5回と言う長きに渡り繰り返された闘争と言う意であり、もう一つは5回もやらざるを得ないと言う事から鑑みる事の出来る事実だ。既に五回、年月にして優に百年以上は続いているこの戦争だが、問題は五回も繰り返さざるを得なかった現状である。一度勝者が出てしまえば終わる戦いを過去四回、その意味は戦争ではどうやら勝者が存在しないというどうにもならない現実だけがのし掛かるであろう。少なくとも前回にしろその前にしろ、遠坂家が勝者になったと言う事は無いようだ。あれば、父親はここにいるであろうし、あの日凛を置いていって以来姿を見せないなどと言うことも無い筈なのだから。孤独には馴れた。そして、孤独が自らと同化する頃には凛の人格は完全無比に出来上がっており、ある意味で魔術師として純粋な個が出来上がっていたのだ。

 

「一体、なんなのかしら……」

 

居間を通り抜ける時、何とも無しに儀式の開始時間の確認にも使った柱時計に眼をやった。時計を何とも無しに眼に入れた瞬間、何かの記憶が頭を掠めた気がして凛は立ち止まる。時計に関する記憶……と、彼女は頭を捻る。確かに年代物ではあるが、そう思い入れがあるというわけでも──。

 

「ん……?」

 

 唐突に脳裏を掠める記憶に眉を顰める。そういえば、今日は大切極まりない召喚の儀だ。時間に遅れては先祖代々に立つ瀬も無い、とナニカしたような──。

 

 其処まで考えてからはたと気付く。まさか、と他の時計を確認し、そして……理解した。

 

「時間……間違えた―!!」

 

 その作り物めいた端正な顔に似合わない表情──逆に言えば年頃の少女にあるべき表情で思わず頭を抱える。そうだった、儀式の時間に遅れるなど、と家の時計の針を悉く一時間早めていたのだった。決定的なところで己自身の行動に足を掬われやすい、と遠坂歴代に申し送りされていた秘奥事項。それに対する警戒手段に更に足を掬われるとは、笑い話にもならなさすぎて逆に笑えてくる。

 

「うーわー……」

 

 事実を目の当たりにし、足取りも重く屋根裏部屋へ向かう。彼女の家系に遺伝レベルで刻まれているであろう特殊スキル『うっかり』がこんなところにまで発動していたのだった。

 

「どうしてこういうときに限って……」

 

 悔恨の念を只管呪詛の如く呟きながら、頭痛がするかのように頭を抱える彼女が階段を上がって行く。直に辿りつく屋根裏部屋。その扉に手を掛けて──集中する。この先に何がいるのかは判らないのだ。油断すれば、一息で命を狩られる可能性だってあるのだから。警戒を最大限まで上げながら、ノブを捻っていく。ゆっくりと開いていく扉、そしてそこには。

 

「え、何これ?」

 

 天井には大穴が開いている、まるで何かが落下してきたかのようだ。あの音はこの所為か、と半ばどうでも良いことを考える。

 

 そして室内。落下の衝撃なのだろうか、唯でさえ様々な物品で埋もれた部屋が滅茶苦茶になっている。

 

 そして、その凄まじいまでに荒れた物品の中心に男が埋まっていた。

 

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