Fate/chaos chronicle   作:あんのうん

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4、初日━1

夢を、見ていた。

薄く淡やかな意識、か細い吐息の様な呼吸。簡潔に言えば、ソレは死に掛けていた。ソレにとって外界は恐ろしく広く、ソレにとって認識可能な内界は限りなく狭かった。辛うじて生き永らえているのは、未だ辛うじて繋がったままの臍の緒のお陰だった。母胎は木に吊るされ息絶えた状態だがどう言う奇跡か、ソレを文字通り地に投げ落としながらも微かな栄養と酸素を分け与えていた。人の祖は楽園から地に投げ落とされたと聖典に有るが、まさに楽園である胎内から地に産み落とされたソレの在り方こそが原罪を体現しているかの様であったとも言える。只一つで最大の違いは、彼等は投げ落とされて尚主なる存在に見守られていたが━━ソレには何も無い。降りしきる細い雨の中、無数の屍体がぶら下がる木の根元で泥濘に抱かれながら、無為に己の拙い生命を消費し終えんとしていた。

 

そこに騎馬の一隊が通りかかったのは幸運か、それとも或いは不幸か。馬に乗る先頭の男が仲間と何かを話している。聞き取れた言葉は、異教徒や魔女狩りなどと言った単語。無論名前などある筈も、あったとしても理解出来よう筈も無いソレがその単語を理解出来たわけではない。そんな中、泥を跳ね上げながら駆けてくる足音に体を抱かれた。女の様だが、意思の疎通が出来ている様にも思えぬ。男が何かを言い聞かせても、一向に応じる気配がない。業を煮やした男が抱きかかえた女の腕を跳ね上げ、敢え無く再びソレは地に転がった。

 

「━━!」

 

意味を成さない叫びは、意味を成さないからこその原始的な本能に訴えかける迫力があった。叫びながら転がり落ちたソレ━━胎児を掻き抱いた女に、男はこれ見よがしな舌打ちをし、そして女と胎児は運ばれて行く。人肌の柔らかさよりも冷たい泥濘の柔らかさ知り、物言わぬ屍体から生まれ落ちて死に満ちた世界から引き揚げられた胎児は、何処で何をして生きて行くのか。

 

そこで、目が覚めた。

 

 

 

「はい?」

 

「だから、無理だ」

 

起き掛けの遠坂凛と言うものは、基本的に優雅と言う言葉から此の世で最も縁遠い生命体である。余人には欠片たりとも見せないが毎朝が低血圧との闘争の歴史であり、敗北の歴史でもある。詰まるところ、起き掛けの凛とは。

 

「その前にリンは、さっさと着替えて顔でも洗った方がいいんじゃないかなあ……なんかもー、使徒も真っ青な顔してるぜー」

 

と言う、遠慮と言う言葉を世界の何処かに置いてきたお気楽妖精種の一言に尽きる訳である。しと、と言う物体が何なのか凛には解らなかったが、自覚はある己の寝起きの悪さを比べられたのだから碌な物じゃ無かろうとはぼんやり理解した。そしてなんかもうどうでもいいや、とも。重ねて言うが、寝起きの遠坂凛とは優雅さを次元の彼方へ落としてきた様な存在であるのだった。全く頭が回らないこの状態は、確実に常の寝起きよりも酷い。気怠さ、吐き気、腹痛と言う諸症状はまるで月のモノの様にも思える。

 

「……取り敢えず、その話は、置いて、おくわ」

 

鉛の様に重たい口を無理やり開いて、文節ごとに区切る様に発音する。そうでもしないと舌が縺れそうなのだ。一歩一歩地面を確かめる様に洗面所へ向かって踏みしめていく凛。それを横目にして、ガッツにしては珍しく半眼でボソリと呟いた。

 

「……おいおい、あんなので大丈夫かよ」

 

その発言に微かにピクリと身体を震わせた凛は、心なしか足取りがしっかりした様に見えた。プライドに掛けて完全復活した完全体(パーフェクト)遠坂凛が降臨するまで、後数分の事である。

 

「最初の話に戻るわ。貴方、霊体化出来ないってどう言うことかしら?」

 

「漸く、まともに話せる様になったか」

 

「はぐらかさないで」

 

凛の眼光に押される様な振りをして、顔を軽く背けるガッツ。無論眼は半眼、耳を小指でほじくると言うおまけまでついている。話したくない訳ではない、そも根本的に面倒臭い━━声に出さずしてありありと分かり過ぎる態度である。こいつ、一度上下関係を脳味噌に刻んでやるべきか、と流石の凛がチラリとそう思ったくらいあからさまだった。

 

「うーん、オレは簡単にできるんだけどね。ガッツは……その、色々あるんだよ」

 

消えたり現れたりしながら口を開く気が見えないガッツに変わって、パックが口を開いた。相棒を気遣うような、何処か遠慮気味な言葉の濁し方は実に妖精にあるまじき言動だろう。何も考えず、己の齎す結果も考慮せず、罪悪感など本能のレベルで持ち合わせないと父から聞いた妖精種とは雲泥の差である。気まずそうに眼を逸らすパックの視線がガッツの首元に注がれているような気がするが、それどころではないほどに思考を働かせる凛の脳内では深く気に留める事は無かった。

 

エーテル体で構築されているサーヴァントは、非有体であるエーテルを魔力(マナ)を触媒として物質界に固定されている。つまり、魔力を燃料にしてエーテル密度を上げることで擬似肉体を作り出しているのだ。術者にはその反動が急激な魔力枯渇と言う形で現れる。思えば今も感じるこの体調の悪さは、急激に魔力を消費しているからであろう。女性につきものの月のモノに症状が似ていたのも理解できる。体内にあるいらぬモノを排除する一面も持つ月経は、異物である魔力回路と著しく相性が悪い。お陰で魔力が一時的に減衰するのだ。即ち今の現状と一致する。詰まるところ常時一定量の魔力を消費されている現在の状態は、正常であるのだ。で、有るならば霊体化に戻る事が出来ないはずがない。寧ろ星幽体化(エーテライズ)している状態が通常であるエーテルが、物質化(マテリアライズ)を解除出来ないと言う不可逆性が発生すること自体がおかしい。

 

「何か思い当たる節は無いかしら。貴方達がエーテライズ出来れば、私の負担も少しは減るわ……儀式後で本調子じゃないのもあるけど、正直な話こんなに魔力を吸われるのは計算外なのよ」

 

「知らねえな」

 

間髪入れずに返ってくる答えは、鉄壁の如き拒絶を纏っていた。鉄の如き拒絶と圧力を発するガッツを見て、それだけで聞くことの無意味さを悟る。密室の殺人現場があったとしよう。目撃者は居ず、コンクリートの床と部屋の壁のみが真実を知っている。では、その床に尋問をするか?壁に事情聴取をするか?それと同じことだ━━鉄は言葉を語らない。

 

「用がそれだけなら、もう少し寝かせてもらうぜ」

 

「ちょっと、話はまだ……」

 

「リン、寝かせてやって?アイツ、こんなにまともに寝られるのが、久しぶりなんだ」

 

止める間もなく蹲るガッツを好い加減叩き起こそうと、叩き起こすには充分だが後遺症を残さぬと言う細心の注意を払った呪い(ガンド)を放とうとした矢先にパックに止められた。エーテル体に睡眠が必要とは思えないが、成り立ちの奇妙な存在である彼らにはそうでもないのかもしれない。因みに、マテリアライズしているガッツを起こすためにわざわざガンドを使おうとしたのは、何も八つ当たりであるわけではない。変に手を出すと反射的に叩き切られかねないと言う、結構洒落にならぬ予測が脳内を過ぎったからである。重ねて言うが、八つ当たりなどではない。

 

「こんな状態で、本当にコイツこそ他のサーヴァントと戦えるのかしら……」

 

「オレはサーヴァントってのがどんなものかイマイチわかんないけど、多分大丈夫じゃないかなー?」

 

何を根拠に、と鼻を鳴らした凛を見てニシシと呑気に笑うパック。一体どんな修羅場を潜ってきたかは知らないが、随分と信頼のあることである。

 

「で、アンタも思い当たる節があるみたいね?」

 

「なんのはなしかなー」

 

「色々突っ込みどころはあるけれど、誤魔化す時は最低でも棒読みになっちゃいけないわよね?」

 

「肝に命じます……」

 

目を泳がせて口笛を吹きつつ棒読み返事、と言う疑わし過ぎて逆に罠を疑う次元である挙動不審さのパックを、ガッツの先例に倣ってひっ捉えてにっこり親愛を込めて笑いかける。ついでに今後に役立つ建設的な意見を教えたのは親切心の発露と言うべきだろう。左手にパックを握りしめ、右人差し指をパックのこめかみに当てているのはちょっとしたお茶目である。決してガンドを撃つ用意をしているわけではない、誤魔化そうとした瞬間に当ててやる気など以ての外だ。

 

「あ、あくまがい……イエ、ナンデモナイデス」

 

「ええ、私も何も聞かなかったわよ?」

 

「こえーよー、ガッツぅー。むぅ解ったよ、多分の予想だぜ?ガッツの左首見てみ、それだけ」

 

それ以上は頑として口を開かない。ガンドを発動寸前ギリギリまで魔力を指先に込めてみたが、それでも口を開かない時点で諦めた。これ以上は、流石に冗談では済まないだろう。左手を開くと、へろへろと落ちていくパックに目をくれず━━蹲り、黒いマントに身体を埋めているガッツの左首に視線を向けた。

 

確かに妙ね、少しだけガッツを凝視してそう結論付けた。パックの言った首筋は隠れて見えない、凛が見たのは魔力の流れである。他人の魔力の流れを視覚化することは、事前に何らかの準備をしなければ不可能ではないが困難ではある。それを数秒で把握出来たのは、凛とガッツの魔術的関係が現状はともあれ魔術的に主従契約を締結している点に尽きる。ガッツは凛の魔力と聖杯の魔力で現界している。聖杯からは高次元存在である英霊を、エーテル体として位相の低いこの世界に自我を固着させて存続させる為の魔力を。契約主である凛からはある程度の聖杯からの独立性自我(スタンドアローン)の確立と、物質界に働きかける為の諸処の燃料としての魔力を。つまり凛自身とも言える魔力は、ガッツの全身を巡っている。その魔力の流れを通じて、大まかな流れを掴んだのだ。その結果。

 

魔力が左首で凝ってる……いえ、吸い込まれている?凛の脳裏に浮かんだイメージは、奈落の穴である。左首に空いた穴から止めどなく魔力が流れ落ちていくような。

 

「道理で際限なく魔力を喰われる訳ね。何かは知らないけど左首にある何かが私の魔力を奪ってる。もしかして、これがエーテル体になれない理由?」

 

「多分ね、オレも詳しくは知らないけど。ガッツも話してくれないし、聞かなくていい話もあるし」

 

けほけほと喉を鳴らしながらパックが同意する。つまりは、詳しいことを聞きたければ本人に聞けと言うのだろう。何にせよ、これは明確な欠点でしかない。何とか良い方法が無いかと解析を進める。学校なぞ、とうの昔に登校する気はなくなっている。具体的に言えば、昨夜の召喚の儀辺りから。

 

「奈落の穴の様に見えるけど、違うわ。穴にしか見えないほど濃密な呪い……いえ、祝福?何にせよ構成が緻密で濃密、呪式と言うより何かのら塊にしか見えないわ」

 

「……コイツが、理解出来るのか」

 

「あら、起きてたの?いつまでも狸寝入りしている奴に教える義理は━━ひ……っ」

 

「死にたくなきゃ、さっさと言え。こいつは何だ、こいつは消せるのか、あの野郎は」

 

何処にいる━━そう言ったガッツは少なくとも人間と言う存在を数段程踏み外していた。お陰で寝ていた筈のガッツの唐突な言葉に意趣返しを込めての返答をしようとした筈が、遠坂凛にはあるまじき声が出てしまった。だが今はそんな些細な事など一考にも値しない。凛の胸倉を掴み上げたガッツから溢れ出るものは、濃密な殺気。凛に向けられた隻眼は目の前の凛も何も映していない。そして曲りなりにも僅かとは言え存在した親愛の情など、欠片も一単位たりとも存在しなかった。昨夜がまるで児戯であるかのような殺意。確かに昨夜は、薄氷を渡るかの様な神経を鑢で削る様な緊張感があった。その例えで言えば今は八胴と評された斬れ味を持つ白刃の上で、赤子の如き柔肌で爪先立っていると言えば良いか。言動一つではない、微かな動作が死に直結する。身体の反射行動、一筋の汗すら容認されないだろう。しかし視線だけは強く、強く目の前の男を見つめて口を開く。その眼光にガッツが少しだけ、たじろいだ様に見えた。

 

「っ、順を追って説明するわ。一つ、その首の何かは祝福された呪い……としか理解出来ないわ。二つ、消せるかどうかは私には無理ね。余りに理解が及ばな過ぎて、完全な解析だけでも時計塔の施設をフルに使っても百年単位は必要だわ。最後、それが誰の事か私には分からないわ」

 

「ガッツ、リンは全く関係ない奴だって判ってるだろ?!手を離してやろうよ……!」

 

「……チ」

 

微かな舌打ちと共に凛の胸倉を掴む手が離れる。凛の眼光から目を背ける様にして、脱力したように座り込んだ。その様はまるで別人、怒りや憎悪で溢れかえった地獄の釜の様なエネルギーに満ちていた数瞬前が、座り込んだ今は人生に疲れきった死を迎える寸前の老人の様だ。

 

「リン、大丈夫?痛いトコロとか無いか?ガッツ、リンに謝れよ!」

 

「……済まん。少し、興奮しちまったらしい」

 

凛のあちこちを飛び回りながら心配しているらしいパックに、礼を言う事も頭から吹き飛んだ。ガッツが、非を認めたと言う事実が余りに非現実過ぎたのだ。こいつ、謝れたんだと思う凛も大概だが、出会って一日だが謝罪一つでここまで仰天されるガッツも大概であろう。

 

「ま、まあ滅多に見られそうもないものを見たから、不問にしとくわよ!別に、許したわけではないからね?間違えないでよ!?」

 

「リン、何か赤いけど熱でもある?」

 

「総天然色愉快型妖精は黙ってて?」

 

「あれ、オレってリンの心配してたのにこの扱い?」

 

あー、もう!と頭を抱えながら凛は叫び声を上げた。人目がなければ更に掻き毟っていただろう。常に優雅たれ、と言う代々のモットーが辛うじて効力を発揮した成果だが、既に余り意味はないとも言える。

 

「ま、いいや……。で、結局オレ達をエーテル化だっけ。そうさせて何する積もりだったんだ?」

 

「そう、それよ!……参加報告に行くのよ、教会にね」

 

パックの声にそう答えた凛の表情は、御世辞にも晴れやかとは言えるものではなかった。

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