「あれ……ここは、家か?」
目が覚めた衛宮士郎が最初に漏らした言葉は、余人が聞けば寝惚け過ぎであると判断するであろう一言だった。少なくとも彼としては、昨夜自宅に帰った記憶が一切無い。それどころか、もっと酷いことがあったような──。
「──あれ、俺確か」
死んだような気がする、発作的にそう口走りかけた言葉は、無意識に口元に当てた手によって形にならずに、口中でのみ不明瞭な音として呟かれた。何を自分は言い出したのだろうか、と彼は自問自答した。死んだ、などという言葉は軽々に口に出して良い言葉ではない、特に衛宮士郎にとっては尚更である。死とは、ただそれだけで彼にとってはある意味で最大の禁忌だった。それ以前に何故自分は死んだ、などと言う荒唐無稽な結末を唐突に抱いたのか、と彼は未だ霞掛かった頭を振りながら記憶を取り戻そうと躍起になった。誰かに極めて細かく破られた紙の様に細分化され、脳内でぐるぐると回る昨夜の記憶はその遠心力によって彼にその全貌を掴ませない。
学校、校庭、黒い人影、紅い心臓、聞き覚えのある声、聞き覚えのない声。
そして、紅い人影。
乱れ飛ぶ記憶の断片を掴んで手繰り寄せる中で、幾つかの確固たる手応えを感じた士郎はその記憶を再生する。一つは穿たれた心臓であったが、確認するまでもなく無事である。そも無事でなくては、今思考している己は存在しないのだから当たり前と言う話でもある。念の為に確かめても、
もう一つの手応え、それは紅い人影で、小柄で、更には少女だった。そして更にもう一つの断片。はっきりと間近で見た事のない筈の距離で、その少女は彼を覗き込んでいる。
その、顔は。
「……遠坂?」
彼が、真相に至るのはもう少しばかり先の話である。
★
「何故、あんな事をしたのかしら?」
「何故って……そんな問い詰められる様な内容かなあ」
近所からは幽霊屋敷とも噂される、完全洋式の邸宅である遠坂邸では尋問が行われていた。尋問官は凛、被告はパックである。凛としては至極真剣なのだが、居間にはなんとも微妙な空気が漂っていた。それは生来からのお調子者且つ能天気な被告の妖精の醸し出す何かの所為なのかも知れないし、帰ってきて早々に壁に寄りかかって寝始めた黒い巨体の三年寝太郎の所為なのかもしれないし、それらの双方の所為かもしれない。一つ言える事は、尋問を始めた時点で既に尋問の空気ではなかったと言う凡そ認めたくもない事実だけであろう。
「で、答えなさい。何故マスターである私の意向を無視して彼……衛宮君を復活させたのかしら。それとその手段も併せて聞きたいわね?」
「そんな堅っ苦しい顔しなくてもいいじゃんか」
だって、無関係の人が巻き込まれちゃったんなら助けるに決まってるじゃないか──パックの発したその言葉に、凛はほんの微かに目を見開いた。それは確かに正論だった、少なくとも日の当たる場所に於いてはどこに出しても異論の出ない確実な正論で正義で人道の正道であった。それに対して違和感を覚える事以前に、言われて腑に落ちた己の感性に凛は愕然としたのである。魔術師としては特に問題の無い思考で、そして彼女は魔術師である。そうあるべきと定めていた筈だが、何処かで日常との線引きも行っていた。戦争と日常、その線引きで言うならば今はまだ宣戦をされていない日常であるべきである。不本意な事態があったとしてもそれは日の当たる場所での思考に準ずるべきであり、日の当たらぬ魔術師の思考で事に当たるべきではなかった。少なくとも、起こった事後処理に於いては。自分でも思った以上に状況に引き摺られていたのかしら、そう凛は内省した。思考の切り替えが必要な時期に切り替えが出来ない人間が、聖杯戦争と言う秘蹟を執行出来る筈もない。
「そうね、確かにそうだわ」
「そうだよー、もーなんであんなとこで固まっちゃうのさー」
せんじょうではおくしたやつからしぬのだ、しかしわたしくらいのいくさになれたエルフであれば──などと妄言を垂れ流しているパックに密かにだが、感謝しておこうと凛は思った。徹頭徹尾軸がぶれないであろうあの能天気さは、時として素晴らしい精神安定剤になる。結局の所、昨夜は結果だけをみれば上々の出来ではあったのだから。
「パックの妄言は置いておくとして──昨夜の情報を整理しましょう」
闘争の空気に茹だった頭は冴えた、であるならば次は分析の時間だ。遠坂凛は時間を無駄にはしない、未だに虚空に向かってエルフじげんりゅうがどうしたなどと鼻高々に喋っているパックを左手で捕まえて、右人差し指を突き付ける。極めてにこやかにその指に魔力を収縮させ始めると、速攻で左手から逃れたパックは凛の思惑通りにガッツを起こし始める。そこに至るまでの互いの手際はまるで長年の戦友の如き阿吽の呼吸であった。当の本人たちにその心算は無い事は確実であるが。
「揃ったわね、ではまず昨日のお浚いからよ。現れた敵は恐らく
「何故断言出来る」
「簡単よ、他のクラスの英霊ならあの場ではもっと別の手を打つだろうからよ」
起こされてさも不機嫌そうなガッツの問いに、凛は簡潔に答えた。遭遇時に感じた通り、あそこまで単独で魔術を多様した戦闘を行っておいてキャスターではない筈が無いだろう。例えば
「問題はキャスターであるならば、何故姿を見せたのかって言う事よ。自ら動くなんて、凡そキャスターらしくないわ」
「……そう言うものか?」
「当たり前よ、何の為にキャスターの固有スキルに陣地構成があると思ってるの?」
一般的な魔術師は、一人前になると己の
「それが魔術補助があって短時間だったとは言え、セイバーであるガッツと均衡したのよ?こんなキャスターがいてたまるかって言う話よ」
「ふーん、そう言うものなのかあ……オレたちが知ってる魔術師って基本的に突っ込んで行く気がするから、イマイチそういうイメージ湧かないけど」
「どんな脳筋な魔術師なのよ……」
パックの言葉に凛は絶句する他なかった。彼らの世界の魔術師がどんなものかは分からないが、一体何の為の魔術なのか。わざわざ戦場に突っ込んで行くならば、魔術など必要ないのではないのだろうか。考えた所で収拾が付かなくなりそうなので、凛は思考を破棄することにした。
「兎も角、考えたくはないけど直接戦闘で三騎士に匹敵する可能性のあるキャスターである、と言う予測が立てられるのよ」
ガッツ程で無くとも、近接戦闘に適性のあるキャスターなど考えたくはない。それは言葉を変えるならば、キャスターの弱点の悉くを補強したキャスターに似た何かである。どこをどう見ても死角が存在しない。そして、そんな英霊に心当たりなどある筈もない。それ以前に格好が近代以降にしか見えない時点で、事実上キャスターが何の英霊であるのかは濃霧の中である。しかしその情報が有るか無いかではまた雲泥の差である事も確かでは有る為、何の役にも立っていない訳ではない。
「仮定キャスターの戦闘スタイルは、高威力魔術を織り交ぜての中、近接戦闘が今の所確認出来ているわ。左腕の紋様付きの小手が何らかの魔術を発動し、右腕の機械で展開」
「あー、だからか。複数が使えないーとかリンが言ってたのって」
「よく覚えてたわね。随分メカメカしいキャスターだったけど、そこが弱点。発動を左の小手に依存しているの、だから波状攻撃に弱いわ。そこが狙い所ね」
考えれば考える程、複数で事に当たる事を前提にした様な仕様である。もしかしたら、本来は複数でのチーム戦闘を主としている英霊であるのかもしれない。但し、複数前提の癖に単騎であの性能と言うのは流石は英霊と言うべきか。キャスターに付いての情報はこれで大体出揃った事を確認して、凛はもう一つの議題に移る事にした。有る意味、こちらの方が重大かもしれない。
「では次ね。パック、昨日のあのアンタが出した粉──あれは何?どう見ても致命傷の衛宮君が一瞬で治癒したわよ」
昨夜の戦闘後、巻き込まれた顔見知りの同級生は確実に致命傷だった。ギリギリ生命反応は有るものの、高密度の魔弾で撃ち抜かれた胸は向こう側が見えていたのだから。己の一点物である高純度ルビー、これを使えば確率は五分だが蘇生の可能性はある。だが、切り札中の切り札であるこの百年物のルビーをここで使ってしまう事は、聖杯戦争に参加している魔術師として断じて容認出来ない事である。救うべきか、救わざるべきか──煩悶する凛を横目に行動を起こしたのはパックだった。
オレがやる、と一声叫んだパックが姿を現し、彼の上で羽ばたいたのだ。羽ばたく度に傷の上に落ちる、鱗粉は瞬く間に傷を光で覆う。状況が状況でなければ幻想的な光景であろう、少なくとも大の妖精好きで知られる大推理作家として著名な某コナン氏辺りに見せれば、己の探偵小説の版権を売り払ってでも写真を撮りたがるに違いない。暫くして羽ばたきを止めたパックが、これでおっけー、と呟いた時には既に傷は跡形も無くなっていた。その後、ガッツに担がせて彼の家まで運び、記憶を弄った後にそのまま寝かしつけたのである。家を知っていたのは、彼の家がそれなりに有名な武家屋敷であったからである。
「んー、そういえば説明してなかったかも?オレたち妖精の鱗粉は知る人ぞ知る秘薬でさ、すげー効くんだぜー」
「なんで、そういう重大なことをさっさと言わないのかしら。この能天気妖精は」
「あ、ひでー!そういうこと言っちゃう?!」
正直斥候程度の役にしか立たないかと思っていたが、真逆パックにこんな隠し球があるとは思っていなかった。昨夜から今日にかけて、パックの株が凛の中で急上昇している。あのレベルの傷を癒せるのであれば、支援要員としてはこれ以上を望むべくも無い。キャスターも大概だと思っていたが、どうやら己の方もまた大概であると凛は認識を改める事にした。
「……おい、喜んでる所悪いがな。さっさとその餓鬼の家とやらに戻るぞ」
「何よ急に……何か、あるの?」
「手前にしちゃ鈍いな。目撃者は基本的に消すのが常道なら、生きている目撃者はどうなる」
「消しに戻ってくる……真逆。これ以上危険を冒して、また行動を起こすと言うの?」
「奴はアレだ、騎士の連中の様に命令には黙々と従う口だ。ならそんな事は関係無いだろうよ」
今のあの餓鬼は生き餌だ。さっさと戻れば、餓鬼の始末に血道を上げるあの野郎を血祭りにあげられる。そう言って嗤うガッツの顔は、外道も道を譲るであろう凄惨さであった。元からこの腹積もりだったのだ、この男は。それに気付いて凛は怖気が走った。魔術師以上に魔術師らしい思考であり、効率的にも悪くない賭け──喪われるのは何にせよ関係の無い命なのだ。それは同時に戦場の思考である、漸く何故この二人が召喚されたか凛にも理解出来た。凛の持つ二面性、この二人はそれぞれが彼女の二面性に類似点を持っているのだ。
「……一度手間を掛けた相手が死ぬのは労力の無駄よ、迎撃するわ──ガッツ」
「また、荒っぽくなるぜ。お姫様よ」
「無駄口はこの後に及んで必要無いわ」
その言葉に肩を竦めたガッツは、凛を肩に担ぐと矢の様に駆け出した。向かうは、衛宮宅──