好きな女の子に自分の××な体験談を語らされるお話   作:萬屋久兵衛

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図書館での体験談

 

「……なあ、申川。もう一度聞くけど、あんな所でお前と出くわしたのはあくまでも偶然で、別にお前が俺のことを監視しているからってわけじゃないんだよな?」

 

 テーブルの正面に座った申川(部屋の主)に念を押して確認すると、申川はにこにこと笑みを浮かべながら頷いた。

 

「もちろんですとも!あの時図書館にいたのは講義の課題図書を探していたからですから」

 

「あんな書架の奥まったところを探さなきゃいけないような課題があるとは思えないんだが……」

 

「いやあ、うっかり館内図を見間違えてしまいまして……。庚田さんこそ、何故あんな人気のないところから出ていらっしゃったんですか?それも女性とふたりで」

 

「そ、そりゃあもちろん、図書館にいたんだから本を探していたに決まってるだろう?」

 

 目をきらきらと輝かせながら身を乗り出してくる申川に、俺は平静を装いながら答えた。

 

「そうですか?ちょっと声が震えていらっしゃるような……?」

 

「気のせいだよ気のせい!あの辺にいたのは藤野(ふじの)さん……一緒にいた女の子が見たがっていた文献を探してたんだよ」

 

「あら、やっぱり名前で呼ぶぐらいには(ねんご)ろな関係でいらっしゃるんですね」 

 

「藤野は名前じゃなくて苗字だよ!今日会ったばかりの女の子の名前を気安く呼べるほど女慣れしちゃいねえよ!」

 

 我ながら情けないことを叫んでいるとは思うが、申川相手になるとどうにも必死に言い訳をしてしまう。こればっかりは仕方がない。惚れた弱みというやつだ。

 そんな俺に対して申川は不思議そうな顔で首をかしげる。

 

「猪狩先輩を一晩で落としてみせた庚田さんが女慣れしていないということはないとは思いますが……」

 

「別に口八丁手八丁でどうにかしたわけじゃないしそもそも落としてねえ。とにかく、俺たちはただ調べ物をしていただけなんだって」

 

「またまた惚けないでくださいよ!去り際の藤野さんの顔を見れば艶っぽい何かがあったのは明らかでしたし、どう見ても事後だったじゃないですか。それに……」

 

 そこで申川は頬に手をあててうっとりとした顔をする。

 

「それに、あのコトが終わった後特有の甘く生々しい、濃密な香り……。あんな匂いを嗅がされたらこちらとしても察しないわけにはいきませんとも」

 

「はあ?匂い?そんなもん未経験の申川が何で知って……あ」

 

 そういや申川はこの前現場に同席したばっかりだったなちくしょう!

 

「それで、実は庚田さんにお願いがあるのですが」

 

「……なんだよ?」

 

 頭を抱えてテーブルに突っ伏す俺に申川の声が降ってくる。俺が嫌な予感を覚えつつ顔を上げて応じると、相変わらず笑みを浮かべた申川が口を開いた。

 

「藤野さんとのあれこれについて、是非とも小説に──」

 

「断る」

 

 俺は申川が皆まで言う前に却下した。

 

「そんなあ!お願いしますよ!前回投稿した猪狩部長との一件が読者からすごい評価を受けているんです!話題になっているうちに次の話を投稿したいんですよお!」

 

「ええい!ダメなものはダメだ!」

 

 いったい何が悲しくて己の生々しい話を同い年の女子、それも申川(意中の女)にせにゃいかんのか。

 いやまあ確かに?ちょっと流されて別の女の子とはよろしくヤってしまったけれどもそれは不可抗力というやつだ。だって仕方がないじゃない。男の子だもの。

 

「前にも言ったかもしれないけど、小説って体裁を取るなら自分の頭の中からストーリーをひねり出せよな。人の実体験を参考にしてばかりじゃ意味ねえだろ」

 

「確かにそうなんですけれども、このお話の魅力は当事者から話を聞く生々しさですから、この小説に関してはそういう方向で行きたいんですよ。残念ながら私にはそういう経験がありませんから、自分の実体験を出すことはできませんし」

 

「……そうなの?」

 

 思わず聞き返してしまった俺に、申川はなんでもないように頷く。

 ふ、ふ~んそうなんだと我ながら気持ち悪い相槌を打ちながらも、俺の頭は高速で回転していた。

 もし、もし仮にここで申川に対してじゃあ経験してみればいいじゃんと最低な発言をしたときに申川はどういう反応をするだろうか。

 申川のぶっ飛んだ性格からして引かれることはないような気もするが、内容が内容なので否定はできない。

 そしてもし俺の想像通り、じゃあ経験してみますか!とか言い始めればしめたものだが、そうなったときに俺以外の男と……なんて判断を下そうものなら俺の脳が破壊されてしまう。

 ここはやはり自嘲するのが最善か。いやしかしもしもということもあるからな……。

 

「なるほど、そんなに嫌なら仕方がありません」

 

 葛藤する俺を他所に申川がため息を吐いた。

 

「お、おう。わかってくれたか」

 

 どうやら羞恥プレイは逃れられそうだと俺は安堵し、ここからどう俺に都合の良い話に持っていくかということを考え始めたのだが。

 

「……ところで庚田さん。この動画についてどう思いますか?」

 

 そう言って申川が差し出したスマホで動画が再生される。

 場所は大学図書館の奥まった所にある書架。人気こそ無いが、奥の方からかすかにぱちんぱちんと何かを叩く音と共に女性の湿っぽくも甘い嬌声が……って!

 

「お、おい申川!お前これ……!」

 

 慌てて顔を上げて申川を見ると、申川はわざとらしくよよよと泣く振りをする。

 

「いやあ残念です。お話をお伺いできれば万事解決だったのですが、断られてしまったら私、ショックで手が滑ってしまうかもしれません。こんな動画がサークル内で流布しようものなら……さらに動画の最後で物陰から庚田さん藤野さんが寄り添って出て来ようものなら、いったいどうなってしまうのでしょう」

 

「どうなるかなんて決まってる!数日も経たぬうちに俺の死体が近所の川に浮かぶことだろうさ!またこのパターンかよ!?お前それは反則だろ!」

 

「以前撮った猪狩部長との動画は猪狩部長に悪いですからねえ。これなら誰にも迷惑がかかりません」

 

「かかるだろうが!俺と藤野に!」

 

「ああ、確かにそうですねえ。それでは藤野さんの顔にはモザイクをかけましょうか」

 

「かけろや!俺にも!……いや、そもそも動画をばらまこうとするな!」

 

「それは庚田さんの態度次第ですね」

 

 にこりと微笑む申川が魅力的だったので、俺はつい言葉に詰まってしまう。

 俺の反応をどう勘違いしたのかわからないが、申川が俺の両手を己の両手でぎゅっと握りしめたので俺の心臓は危うく止まりかけた。

 

「お願いします!庚田さんの体験談が私の小説の生命線なんです!猪狩先輩の件も藤野さんの件も黙っておきますから、どうかお話を聞かせてください」

 

 申川の懇願を、しかし俺はほとんど聞いていなかった。握りしめられた手から感じる申川の体温と柔らかくしっとりとした手の感触に全感覚を集中させていたからである。

 

「……庚田さん?」

 

「ああうん、話す話す。全部話します」

 

 申川に声をかけられて我に返った俺は、ガクガクと頭を上下に振って了承した。

 ……やっぱり正気じゃなかったかもしれない。

 

    *

 

 さて、今回はどこから話したもんかね。まあ大学図書館に向かうところからでいいか。

 一限の必修が終わった後、ちょっと時間ができたもんだから大学の図書館に行くことにしたんだよ。

 ──え?何でって、べ、別にちょっと時間つぶしにと思っただけだよ。特に理由はないけど、文芸部に入ったなら自分の大学の図書館ぐらい見ておいた方が良いだろ?

 ──いやまあ、確かに今さらではあるけど、別に図書館に行っちゃいけないなんて法律はってちょ、待っ!わかった!わかったからそのスマホから手を離せ!

 ったく、相変わらずえげつないことをしやがる。

 ……ちょっと部室に行くのが気まずかっただけだよ。

 新歓コンパからしばらく経つけど、猪狩部長が俺にちょっと良くしてくれるもんだから他の男子部員とか鹿島副部長の目がさ。蝶野先輩とかに睨まれるぐらいなら屁でもないけど、思った以上に猪狩先輩を狙ってたやつが多いみたいでさ。

 あの時間は猪狩部長も鹿島副部長も部室にいる時間だから、ちょっと行きたくないなって。

 ──確かにそんな気にすることないのかもしれないのかもしれないけど、どうも気が進まなくてなあ。

 ──へ?いやあ……確かに猪狩部長は俺を気に入ってくれてるみたいだし、もしかしたらいけるかもしれないけど……。向こうはちょっとお気に入りの後輩ぐらいの感じでしかないのかもしれないし、俺は別に……。

 まあ申川の言いたいこともわかるよ。あんな美人で良い先輩もそういないだろうしさ。俺も他の場所とかタイミングであの人と出会ってたらもしかしたら──って、何でかってお前そりゃあ──い、いや!確かにそうだけど!いやいやいやいや!別にその辺の人たちにも興味は!──ああもう!良いだろ別に!俺が誰を好きだって!

 ……ったく。まあそんなこんなで部室に居づらいから、ちょっと暇を潰したかったんだよ。

 

 で、俺は今日始めてうちの大学の図書館に入ったんだが、けっこうデカいもんなんだな。うちの地元の図書館なんて目じゃないぐらいの広さだったよ。やっぱり金があるところには本が集まるんだなって実感したね。

 俺は特に理由も無くふらふらと図書館の中を散策しはじめたわけだ。大学の図書館なんてのは申川みたいに資料を探しに来るやつとか勉強しに来るやつとかで混み合ってるものだと思ったけど、全然そんなことなかったな。

 図書館であるからして中が静かなのは当然なんだけど、日中の時間帯なのに人なんてほとんどいなくてさ。人入りだけだったらうちの地元の図書館の方が多いぐらいだった。

 俺も人のこと言えないけど、今時図書館に通うやつなんてそんなにいないのかね。

 

 そんなこんなであらかた館内も回ったところで大体一時間ぐらいかな。随分ゆっくり回ったし途中で気になったタイトルの本を手に取ったりしたからまあそんなもんだろう。

 俺はそろそろお昼だし、せっかくだから小説の一冊でも借りていこうかなんて考えて、そこから改めて文庫本のある辺りのエリアを物色し始めたんだ。

 まあ当然っちゃ当然だけど新刊なんてほとんど借りられてるか入荷してないかだから型落ち感は否めなかったけど、本自体はたくさん置いてあったからそれなりに興味を惹く小説もあって逆に目移りしちゃってなあ。

 あれも良いなこれなんか面白そうだなって考えながら本棚の間をふらふら歩いていたんだが、棚に注意を向けすぎてて人とぶつかっちゃったんだよな。

 向こうも俺と同じでまわりを見てなかったみたいで結局お互いの不注意って話なんだけど、問題は俺が男で相手が女の子だったことでさ。

 俺はちょっとふらつくだけで済んだんだけど、相手の方はよろけた拍子に転んじゃって、その女の子が呆然とした感じでこっちを見るもんだから慌てて謝りながら助け起こしたんだ。

 ──はあ……?いや、会話文ぐらいオリジナルでなんとかしろよ。確かにリアルな会話の方が臨場感は出るだろうけど、それじゃ本当にただの体験談──ああはいはいわかったよ。わかったからスマホに手を伸ばそうとするな。

 

 俺は「すみません、全然気がつかなくて!」って言いながらその子を助け起こしたんだけれど、焦りすぎて腕を掴んで強引に引き揚げる感じで立たせちゃって、そのせいでその子の顔が歪んだのに気がついてさらに焦ったよね。

 もうこうなったらお互い様もなにもないからひたすら謝ってさ。幸い相手の子もそんなに……というか全然怒ってなくて、なんなら助け起こしたことに感謝して「いえ、むしろありがとうございます」なんて言われちゃってさ。

 そんな感じでなんとか女の子に乱暴する最低野郎のレッテルは免れたってわけ。

 ──そうそう結局この後その子に乱暴することにって違いますう!同意があったから合法ですう!むしろ相手の方から積極的に……いや、この話はよそう……。

 とにかくまあ、そうやって藤野さんと出会ったんだよ。

 

 そこでごめんなさい、良いよで何事もなく終わっていたらその後のあれこれはなかったんだけどさ。

 藤野さんがちょっと足首を捻ったみたいだったから近くのデスクに座ってもらって、俺のハンカチを濡らして足首にあてて応急処置をしたんだ。

 その時にだんまりだとあまりにも気まずいから名を名乗って改めて謝ってみたりして……考えてみると質の悪いナンパみたいなコトしてるな、俺……。

 ──いやいやいやいや!ないないないない!た、確かに藤野さんはけっこう可愛いのにおとなしめというか押しに弱そうな感じが男受けしそうだなとかは考えたけど、そういうことは別に──けどこの後ってそれはさっきやったわ!

 ……ごほん。それで、この時にはじめて藤野さんの名前を聞いたわけなんだけど、俺も申川と同じ勘違いをしてフジノは下の名前だと思ったんだよ。さっきも言ったけど俺は女の子の名前を気軽に呼べるタイプじゃないから、苗字の方は?って聞いたら藤野さんが「苗字が藤野で名前は桐花(きりか)なんです」って。

 ……なんだよ、今の流れに笑われるところがあったか?

 ──違えよ!偶然話の流れでこうなっただけで別にフルネームを聞き出すために惚けたわけじゃねえ!ナンパなんかしたことないし女の子とだってたいして交流したことなかったわ!そんなスキルがあったらこんなザマになる前にもっと上手く……!いや、なんでもない。今さら言ってもしょうがないからな、こればっかりは。

 

 で、藤野さんが歩けるぐらいに回復したタイミングでちょうどお昼休みの時間になったんだ。

 それをきっかけに解散できればと思ったんだけど、藤野さんもまだちょっと歩き方がちょっとふらついてたから心配で「もうちょっと休んでいた方が良いんじゃない?」って聞いたんだよ。

 そしたら藤野さんが「座っているだけなら食堂でご飯を食べながらの方が良いですので」っていうからさ。じゃあせめてもの罪滅ぼしに食堂まで送ってお盆を運ぶぐらいはさせてくれって申し出たら、「そこまでしていただくのなら、一緒にお昼をいただきませんか?」って苦笑しながら言われちゃってなんだか気恥ずかしいやら申し訳ないやらだったなあ。

 それでひょこひょこ歩く藤野さんについて近くの食堂に入って、俺がふたり分の注文をテーブルに運んでお昼をご一緒したんだ。

 でさ。お昼に話した会話の内容は要点だけ話すことにするよ。なにしろ会話の内容が藤野さんの好きな海外の小説に片寄ったせいで人命も作品タイトルも正確に思い出せないからな!

 ──仕方ないだろ!俺は海外の小説は苦手なんだよ!

 とりあえずそこで話して藤野さんについてわかったことは、俺たちと同じ文学部ってことと同じ一年生ってこと、後は……実家が県内でそこから通ってるってことだな。

 ──いや、ホントそれぐらいしか聞いてないんだって!後はどんな本が好きかとかそういう話に終始してたからパーソナルな話はあんまりしなかったんだよ!というか、そんな話初対面の女の子に馴れ馴れしく聞けるか!

 ──ううん、俺の印象って言ってもろくな情報は入らないと思うけどなあ。

 外見は申川だって見てるだろう?華奢で線が細くて、教室の隅でひとりで本を読んでるのが似合うタイプ。服装はワンピーススカートっていうのかな、あれは。ちょっと暗い感じがするけどよくよく見ると可愛い感じで、話し方は控えめだけど会話は苦にならなかったな。

 ああ、申川と同じで同学年だってわかっても敬語は抜けなかったな。同じ敬語なのに受ける印象はまったく違ったけど。

 

 それでまあ、図書館で出会った者同士の宿命というかなんというか、本の話になってな。

 話題作りがてら好きな小説を薦め合うぐらいしようと思ったんだけど全然ダメでさ。なんでかって、俺がエンタメ小説とかミステリーとかそういう話を振ると全部読んだことあるって言うんだもん。俺がネタ切れになって何も言えなくなったら「何かすみません……」って謝られて、こっちが申し訳ないやらなんやらでさ。

 会話も途切れそうになったから、逆に藤野さんの好きな小説について聞いたんだ。そしたらさっき言ったみたいに作者名がカタカナのオンパレードでさ。どうも藤野さんはオタクというか、書痴の気があるみたいだな。話が全然わからなくて難儀したよ。

 たっぷり三十分は語り聞かされてから藤野さんがやっと正気に戻って頭を米搗きバッタみたいにぺこぺこし始めて、あまりにも気まずいから一番のお薦めを聞いたんだ。

 そうしたら藤野さん、困った顔しちゃってさ。「すみません。あるにはあるのですが、タイトルがわからなくて」ってまた頭を下げちゃうわけ。

 どういうことか話を聞いたら、小さい頃にお爺ちゃんの書斎で読んだ小説に感銘を受けてすごい印象に残ってるらしいんだけどタイトルを覚えてないって言うんだよ。

 子供の頃の話なら覚えていなくてもしょうがないと思うけど、藤野さんが「あれを読んだときは人生がひっくり返ったと思うほどの衝撃でした。書斎に無断で入り込んでいたので当時の私はお爺様に小説のタイトルを聞きに行けず、躊躇っているうちにお爺様は亡くなってしまい、ついぞその小説のタイトルを確認する機会を失ってしまったのです。お爺様の遺品整理で書斎の片付けを買って出て蔵書を調べてみましたが、その小説を読んだ時期が幼すぎたためかお爺様が既に処分されてしまったのか、どうしてもその小説を見つけることができずじまいで……」なんて、すごい口惜しそうに語るんだよ。

 外国の小説に詳しくなったのも、その小説を探して読みあさっているうちにって話。

 うちの大学の図書館でも入学してから空き時間に顔を出して見て回ってて、記憶と本を照らし合わせながら歩いているうちに俺とぶつかっちゃったってわけらしい。

 

 俺は藤野さんにそこまでさせる小説ってのはいったいどんなものだろうって気になっちゃって、その本について藤野さんが覚えていることをいろいろと聞いていったんだ。

 あれは文庫サイズで間違いないだとか、装丁的にあまり大きな出版社から出た本じゃなかったとか大雑把な外観の話だったり、小説の内容がどんなだったか大まかに話してもらったり。

 まあ、俺がどんな話か聞いたところで何の足しにもならないんだけどさ。

 大まかなストーリーとしては、主人公の友人が過去の恋愛で恋人に手酷く裏切られる話……らしい。幼い頃の記憶だからところどころ怪しいところはあってもその大筋は間違いないだろうってのが藤野さんの見立てだった。

 ……まあ、その小説のストーリーを知った今となってはだいたい合ってるとしか言いようがないんだけどな。

 ──へ?いや、流石に今の話だけで──ええ……?いや、すごいけど普通に怖いわ。何で今の話だけでわかるんだよ。俺と藤野さんでも正解に辿り着いたのはもうちょっと情報が出てからの話だってのに。

 いやまあ、確かに申川なら知っていてもおかしくないとは思うけどさ……。

 と、とりあえずその時点で昼休みが終わって三限目の時間になってたんだけど、お互い講義をさぼってその小説を探そうってことになったんだ。

 と言っても俺は申川みたいな知識も推理力もないから、藤野さんの話を聞いて別視点の意見を述べるとかそういうことしかできないんだが。

 藤野さんはそんな俺に「こんな話に付き合ってくれるだけでも嬉しいです。庚田さんは優しいですね」なんて言ってくれたりしてさ。まあ女の子に頼られるのは悪い気がしないし、こんな台詞を言ってもらえただけでも講義をさぼった甲斐があるなとそのときは思ったね。

 あ、別に藤野さんが好きになったとかそういう話じゃないぞ。──いや確かにヤることヤっておいてこんなことを言うのは最低かもしれないが、あくまであれは合意の上での話だからさ……。

 で、とりあえずとっかかりがほしくて藤野さんに小説で覚えていることを断片的にしゃべってもらったわけ。

 藤野さんは記憶を思い起こすように宙空に視線を向けながらぽつりぽつりと語り始めた。その時、俺は藤野さんの首元にベルトみたいなのを巻いてるのに気がついて、めずらしいアクセサリーだなって思ったのを覚えているよ。あれはチョーカーってやつかね。

 

「小さな頃の話ですので不正確な部分もあるとは思いますが……まず記憶に残っているのは、主人公と友人が友人宅で食事をするシーンですね。給仕の女性が言いつけを守らなかったことに腹を立てた友人が女性を鞭で叩こうとするのです。主人公はそれを止めるのですが、友人は自身の経験上必要なことだと語り主人公に……確か、小説かなにか文章を見せるのです」

 

「友人は、宿か何かで一緒になった未亡人と恋をするのです。しかしそれは純粋な愛ではなく、友人が未亡人に隷属するような関係性でした。友人が未亡人の足下に(かしず)き彼女に鞭で打ってくれるよう懇願する姿に子供ながら衝撃を受けた覚えがあります」

 

 藤野さんの話しぶりは好きな本談義のときから熱が入っていたけど、この小説のことを語るときの入れ込みようは並々ならぬというかなんというか、口調も声量もまったく変わってないのに語り口にこもった情念が言葉の端々からにじみ出ててなんというかすごかったな。

 ……まあ正直な話、ここいらでちょっとおや?何か雲行きが怪しいぞって感じたことは否定できないんだけども。

 小説のストーリーも鞭で打つとか隷属とか、のっけから倒錯的でもうどこから突っ込めばいいのか……。

 ──いい!いい!変な所で対抗心を燃やして語り始めるんじゃない!申川の愛は十分わかってるから!

 

「その後、未亡人に召使い同然に隷属し手酷い扱いを受けることに悦びを覚える友人とあの手この手で友人を虐げる未亡人の関係は、旅行先で出会った間男の登場で一変します。未亡人は友人にその男のことを調べさせ、友人を引き連れながら友人の目の前で彼と親しげに語り合うのです。友人がふたりを眺めながら嫉妬に狂う有り様は官能的ですらあり……」

 

「あるとき未亡人は友人を縄で縛り上げます。友人は未亡人がそのまま鞭で打ってくれるものと信じて喜びますが、未亡人は部屋に隠れていた間男を呼び出し友人を鞭で打たせます。友人を裏切った未亡人は彼が打ち据えられる様をゲラゲラと笑いながら見ていて、コトが終わった後ふたりは部屋を去って行くのです」

 

「当時の私は未亡人に傅き鞭打たれることに悦びを覚える友人を変な人だと思って読んでいました。自分がこんな奴隷のように扱われる様を想像して、とても耐えられないと思ったものです。しかし虐げられる彼の有り様を読んでいくうちに、自分が彼のように扱われたときのことを自然と考えるようになり、いつしか彼に羨望を覚えるようになったのです。最終的に未亡人に裏切られ、羞恥と惨めさで絶望する彼の姿にいつしか自分もこんな体験をしてみたいと──」

 

  まったく、何で俺のまわりにはこんなタイプのやつが集まるのかと我が身を呪ったね。

 ──いや……お前……。まあ、いいか。気にしないでくれ……。

 とにかくもうこの時点で藤野がめちゃくちゃヤバいやつだってのは理解できたんだけど、同時にここまであらすじがわかっているなら調べればこれがどの小説かぐらいわかるだろうとも思ったんだよ。

 俺は何か恍惚とした感じで語り続けてる藤野さんを遮って、ネットとかでそういうのは調べたのかって聞いたんだ。

 幸い藤野さんは正気に戻ってきて答えてくれたんだけど、「実は私、家庭の方針であまりそういうのに触ってこなかったもので……。携帯電話を持つのも大学に入ってから初めて許されたんです」てさ。いやもう今時小学生でもスマホを持ってるっていうのに、どれだけお堅い家なんだよって呆れたね。

 そんなんだからこういう娘に育っちゃったんじゃないかってご両親を説教したいぐらいだった。

 ……ところで、申川の家はどんな感じだった?ごく普通の一般家庭?本当に?

 いや、疑うわけじゃないんだけどさ……。

 まあそれは置いておこう。

 

 それで藤野さんがネット知識に疎いのはわかったから、その場でそれっぽいワードを検索サイトで打ち込んで調べ始めたんだ。

 鞭とか隷属とか裏切りとかあらすじに入りそうな単語を並べて検索してみたんだけど、どうにも難しい。小説って単語を入れてみたら女性向けのハードなネット小説ばかりヒットしちゃって、全然見つからないんだよな。むしろそういう小説のタイトルを見て藤野さんが食い付いちゃって、それを引き剥がす方が大変だったよ。

 けどどうしてもそれらしいものが出てこなくて、この方法じゃ難しいかもと思いつつ藤野さんに何か印象に残ったキーワードはないかってもう一度確認したんだ。

 藤野さんは目を瞑りながら必死に記憶を掘り出してくれて、「……確か、物語全体に何かの毛皮が出てきていたような」って言うから俺は毛皮を検索ワードに入れて検索した。

 そしたらそれが大正解でさ。検索結果がでたと同時に藤野さんが「これ!これです!」って叫んでスマホの画面を指さすわけ。

 そこでやっと俺たちは、藤野さんが探し求めていた小説のタイトルが『毛皮を着たヴィーナス』だってわかったのさ。

 作者の名前はマゾッホ。……まあ皆まで言わないけど、そんな人が書いた小説に影響されてしまったのなら藤野さんのぶっ飛び具合も理解できるってもんだよ。

 俺はすぐにうちの大学図書館のサイトで蔵書検索をしたんだけど、ちゃんと置いてあるみたいだったからすぐに探しに出かけたんだ。

 藤野さんは大興奮で本は逃げないって言ってるのに、俺の腕を掴んでぐいぐい引っ張っぱりながら急かしてきてさ。

 『毛皮を着たヴィーナス』はいくつかの出版社から発行されてるみたいで、何年か前にも出版されてたんだ。藤野さんに聞いたら、せっかくだから当時読んでいたであろう本を手に取りたいって言うから、移動書架に仕舞われた一番古い本を探しに行ったんだよ。

 場所はまあ、申川が俺たちを見つけたあの奥まった場所だ。

 時間ももう四限目が始まる時間になってたから、人気もほとんど、というかまったくなかったな。

 移動書架って書架同士がぴったりとくっ付いているから書架についてるボタンを押して書架を動かすんだけど、藤野さんが書架が動いている最中に中に滑り込もうとするもんだから止めるのが大変だったよ……。

 そうして書架の棚をふたりでしらみつぶしにして、ようやく目的の本に出会えたのさ。

 俺が本を見つけて藤野さんに差し出したら「これ!これです!」って大喜びで、大事な宝物を取り戻したみたいにぎゅっと胸に抱いて「庚田さん、ありがとうございます」って。

 こんなに喜んでくれたなら本探しに付き合って良かったなって思えたよ。

 これで話は一件落着。めでたしめでたしってね。

 

 ……なんだよその目は。

 ──ちっ、ちゃんと覚えていたか。

 ああそうだよ!この後何故か藤野さんに迫られて……いや、()()()()()()ヤっちまったんだよ!

 これまでの流れでなんでそうなったのか俺にはまったくわからなかったけど、藤野さんから「是非お礼をさせてください」って言われてご飯でもおごってくれるのかなって思って軽い気持ちで頷いたら、藤野さんがその場に跪いて俺のズボンのチャックに手を伸ばして……うんまあ、そういうことになったわけだ。

 ──いやいやいやいやいや!流石にプレイの内容までは……いやいやいやいやいやいや!お前マジで止めろってすぐにスマホを取り出そうとするの!

 うう……あんまり具体的には言いたくないけど、強いて言うなら藤野さんは予想通りマゾだったとだけ。叩く力が弱いからなんて理由で怒られたのなんて世界中探しても俺を含めてほとんどいないだろうな……。

 ──ん?ああ……たしかに藤野さんがそんなこと言ってたな。契約がどうとかこうとか。諸々の都合でそれどころじゃなかったから聞き流してたけど、小説の中身に関係してるのか?

 ──いや、そんなはぐらかされ方をするともっと気になるんだが……まあいいか。

 で、コトが終わってこっそり書架の間から出て行こうとしたら申川に出くわしたってわけ。

 まったく、ホント良いタイミングで出会うよな。

 じゃ、これで俺の体験談は終わりだ。後の細部は申川の方で適当に補完してくれ。

 ──、──お前ね、嬉しそうに言うんじゃないよそういうことは。別に俺だって好きで女引っかけてるわけじゃないっつうの!二回も三回もこんなことが……確かに二回目ではあるけど、何回もこんなことが起こってたまるか!

 こんなことは二度とごめんだ!次なんて絶対ないんだからな!

 

    *

 

 文芸部の定例会がそろそろ始まろうかというタイミングで、部室の扉を誰かが控えめに叩いた。

 

「はあい」

 

 ちょうど入口から一番近いテーブルに座って俺と最近映画になったエンタメ小説の話題で盛り上がっていた猪狩先輩が扉を開けるために席を立ったので、俺はそっとため息を吐いた。

 今のところ部内で親しく話せる相手が申川しかいない俺にとっては気を利かせて話しかけてくれる猪狩部長は大変ありがたい存在だ。だから本来猪狩部長には感謝するべきなのであるが、その猪狩部長の存在が俺の部内の交流を妨げてしまっているのが悩みどころである。

 手持ち無沙汰になった俺はちらりと部室内の様子に視線を向けてみる。

 部室内は定例会前とあってけっこうな数の部員が揃っていて仲間内で談笑したりしている。中には誰とも会話をせずにマンガや小説を読んでいる人もいるが、そういう人は俺と違ってしゃべろうと思えばしゃべれる相手がいるのだ。

 その中で申川は、同学年の女子で固まって何やら話し込んでいる。時折笑いも混じり実に楽しそうな様子であるが、あのぶっ飛んだ正確の申川が普通に雑談をしているのを見ると複雑な気分になる。

 俺もいつもの下世話な話じゃなくて、あの中に混じって申川と楽しくおしゃべりがしたい。そんな願望が心の内から沸き起こるが、申川の手前に座っている鹿島副部長と視線がばちこりと合ってしまいつい顔が引きつってしまった。

 俺の後ろには扉しかないので、鹿島副部長がこちらに目を向けているのは実に奇妙な話──とは言えない。

 なにせ俺の背後では鹿島副部長の思い人である猪狩部長がいるのだから。

 大方猪狩部長の後ろ姿を盗み見た拍子に俺とお見合いしてしまったということだろう。

 鹿島副部長は一瞬顔をしかめたが、何事もなかったかのように俺から視線をはずして周囲との会話に戻っていった。

 いやもうこの流れの辛いこと辛いこと。

 なまじ鹿島副部長が人当たりが良くて皆から慕われている人なだけに、鹿島副部長が俺に抱く隔意を皆がなんとなく感じて敬遠する、みたいな感じになっているようで中々皆と打ち解けられずにいるのである。

 当初見込んでいたそのうち仲良くなれるだろうという楽観論はもう通じない。いや、鹿島副部長が引退すれば多少は雰囲気が和らぐかもしれないが、それを待つ前に俺の精神が耐えられないだろう。

 何かきっかけがあれば打ち解けるのは容易い、と思う。

 まあ、こんな時期にイベントなんて早々──。

 

「皆注目~!新しい入部希望者が来たよ!」

 

 と、そこで背後から猪狩部長の弾んだ声が飛んできた。

 部室内からは歓声が上がり、大きく扉を開く音と共にその歓声はさらに大きくなった。

 扉を背にしていた俺はいったいどんな人物が入ったのかと振り返り、そして先ほどよりも盛大に顔を引きつらせた。

 

「さあて、自己紹介はこの後の例会でしっかりとしてもらうけど、お名前だけ聞いておこうかな」

 

 猪狩部長に促されたそいつは、こくりと頷き口を開いた。

 

「文学部一年生の藤野と申します。その、よろしくお願いします」

 

 ぺこりとお辞儀をしたそいつは、先日以来顔を見ていなかった藤野であった。

 

「さあて、ちょうど良い時間だし教室に向かいましょうか!皆行くよ!」

 

 まさかこんな再会をするとは思いもよらず俺が唖然とするのを他所に、部員達は猪狩部長のかけ声に答えて大盛り上がりしながら席を立ち始めている。

 そんな雰囲気の中、藤野はすすすっと俺に近づいてくると顔を寄せてきて周囲に聞こえないような小さな声でささやいた。

 

「──これからよろしくお願いしますね。ご主人様」

 

 は?と、俺が聞き返す声をかき消す大きさで俺と藤野さんのやり取りを見咎めたらしい部員の誰かが声を上げた。

 やんややんやと茶化す声や、何故か俺を非難するような男子部員の声が部室内に響く中。

 俺は固い笑みを浮かべてこちらを見ている猪狩部長を見返しながら、この騒ぎをどう収めるべきか頭を回転させ始めた。




『毛皮を着たヴィーナス』のwikiページを読むと話がわかりやすいかもです
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