今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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100話…随分遠くまできました。


夢の淵、照らす銀月

 

「ふむ、こんなところかな」

 

 オリュンポス第一層、その主である亜神ヒュープはゆったりと宙を揺蕩いながらその光景を見下ろしていた。

 眼下には倒れ伏した戦士と亜神達。さる亜神の策謀によりここに飛ばされてきた者達であった。

 

「これで彼との契約は果たして……おや?」

 

 役目を終え、興味を失った彼はその場を後にしようと視線を外そうとして、倒れ伏す彼女達の脇で動き回る小さな人影が目に入った。

 

「皆どうしたんですか!? 起きて! 起きてください!!」

 

 懸命に彼らを起こそうと躍起になっているのは、どうやら妖怪のようだった。自らの権能に抗った彼女に僅かに興味を持ったヒュープがゆったりとした動きで彼女の下まで降りていく。

 

「ふむ、まさか僕の夢から逃れるものがいたとは」

 

「誰ですか!?」

 

 突然降りかかってきた声に妖怪の少女——カゴメが咄嗟に顔を上げる。その姿に、些かの微睡みも感じられない。

 警戒を露わにする少女に、ヒュープは優しげに口を開く。

 

「僕は亜神ヒュープ。このオリュンポス第一層、夢と眠りの世界を寝所とする者さ」

 

「亜神……褪せ人達に何をしたんですか?」

 

 カゴメは亜神が目の前に居るという事に僅かに目を見開くも、直ぐに気を取り直して問い掛ける。カゴメとしても、目の前の亜神が油断ならない存在であることは肌で理解していた。

 その問い掛けに、ヒュープは当然の如く言い放つ。

 

「夢を見せているのさ、優しくて温かい、素敵な夢をね」

 

「——起こしてください、今すぐに」

 

 間髪入れず、怒気すら滲ませながらカゴメは低い声でヒュープへと口を開いた。額と両目、三つの目が妖しげに光を放つ。普段の快活な様子は鳴りを潜め、大妖怪としての威圧を伴いながらヒュープを睨みつけた。

 その姿を見て、ヒュープは納得したように頷いた。妖怪としての彼女の性質、それこそが亜神の力を跳ね除けたのだろうと。

 

「成程、君自身が僕の夢と相性が悪いのか」

 

「何を言ってるんですか? 早く皆を元に——」

 

「——それは出来ない」

 

 カゴメの言葉に、ヒュープはしかしピシャリと断言する。そして、睨むカゴメに穏やかに言葉を紡いだ。

 

「彼らは今、素敵な夢を見ているんだ。どうしてそれを邪魔する必要があるんだい?」

 

「彼らには現実でやる事があるんです! だから——」

 

「——現実になんて戻る必要はないよ」

 

 反論するカゴメに、しかしヒュープが聞く耳を持つ事はない。

 彼は亜神、数多いる神々と同様に彼もまた独自の価値観の中で人を愛しているが故に。

 神の意思の下に、人の意思が尊重される事などありはしない。

 

「褪せ人……だったかな? そこの彼は。記憶を少し覗き見させて貰ったが、とても辛い目に遭っているようだ。彼のような者にこそ、僕は夢の中で救われて欲しい」

 

 彼の記憶を覗き見た時、救ってやらなければならないと彼は考えた。辛く、長い旅の先に優しき終着点が無いなどあってはならない。

 現実でそれが得られなくとも、夢の中ならば与えられる。名声も、かつての戦友も、新たな旅路すらも、優しき微睡みの中ならば手に入れることが出来る。

 亜神ヒュープは謳う。夢こそ至上、人の心という無限の可能性によって作られた理想の世界であるのだと。

 

「他の者達とてそうだ。もう現実で()()()()()()()()んだよ」

 

「——は?」

 

 だからこそその言葉はカゴメの地雷を盛大に踏み抜いた。

 わなわなと肩を震わせ、そしてヒュープを指差して叫ぶ。

 

「もう怒りました! 絶対にアタシが皆を立ち上がらせます! 頑張って頑張って、無限に頑張らせてみせます!!」

 

「へぇ……」

 

 亜神を相手に、臆する事なく啖呵を切る姿にヒュープは僅かに目を細める。神を前にしてその蛮勇、悪くはない。

 ヒュープが直接手を下せば、目の前の妖怪の少女を殺す事は容易いだろう。しかし、それは神のやり方ではないし、何よりディアスの為にそこまでしてやる義理もない。

 

「ふむ、良いだろう。試してごらんよ、僕の夢を君の頑張りが暴けるかどうか」

 

 亜神ヒュープが宙へと浮かび上がる。

 契約分の仕事は果たした。これ以上彼らにどうこうするつもりもない。それに、目の前の妖怪がどれ程に足掻こうともこの夢が覚めることも無いだろう。

 

「それじゃあ、僕は一眠りさせてもらうよ」

 

 そう言ってヒュープはどこかへと飛び去っていった。

 その姿を追うこともなくカゴメは再び倒れた仲間達の下へと走り寄る。時間がない、見れば仲間達が少しずつ衰弱していっているのが分かったからだ。

 彼女達を起こすべく、ありとあらゆる手を尽くし始める。

 

 そしてしばらくの時が経った。

 

「むむむ……これだけビンタしても起きないとは……!」

 

 頬が赤く腫れ上がったアブグルントを見ながらカゴメが呻く。

 呼び掛けても駄目、叩いても駄目、くすぐってもまるで駄目と思いつく限りの事は既に試していた。それでも、目覚める様子はなく衰弱が著しい。さしものカゴメも焦りを感じ始めていた。

 

「考えろアタシ……! 後試してないのは酸っぱい木の実と……これが駄目なら鼻の穴に指を突っ込んで……!」

 

 いよいよ手段が尽きかけ、それでもまだ思考を巡らせる。諦めるつもりはない。今もっとも頑張らなければならないのは己なのだと言い聞かせる。

 

 そんな時だった。

 

「——何を愚かな事をやっているのです、妖怪」

 

 必死に頭を悩ませていたカゴメに、背後より突然声が降りかかる。

 

「うおっ、誰ですか!?」

 

 弾かれたように振り向けば、そこに居たのは一人の女であった。

 紫の髪に白銀と金で彩られた儀礼鎧を身に纏い、此方を静かに見つめている。冷たさを感じさせる瞳も相まって月光を思わせた。

 放たれる気配は尋常のものではなく、彼女が人ではないことを言葉なく物語っていた。

 

「ムッ、また亜神が何か用ですか!? 今忙しいので後にしてください!」

 

 しかし、カゴメはそれどころではなかった。思考の邪魔をされた事に眉を顰めながらそう言い放つと再び頭を悩ませる。

 

「不敬ですねこの妖怪……斬りますよ?」

 

 そんなカゴメの様子にこめかみをひくつかせながらも辛うじて亜神は怒りを抑え込んだ。

 そして、カゴメから視線を外すと倒れ伏した者へと歩み寄り、片膝をついて静かに観察し始めた。

 

 衰弱が進んでいる。夢の中で肉体と魂が分たれつつある事の証左であった。

 しかし——

 

「——これならまだ間に合いますか……」

 

 呟かれた言葉にカゴメが弾かれたように顔を上げる。

 

「何するつもりですか!?」

 

「彼らを起こしたいのでしょう? 手を貸してあげます」

 

 亜神はカゴメへと向き直ると、静かに口を開いた。

 

「ヒュープ程ではありませんが、私も夢に干渉する力を持っています。完全に取り込まれていたならば手遅れでしたが、まだ連れ戻せる可能性はあるでしょう」

 

「出来るんですか!?」

 

「ええ、とはいえ彼女達の気力次第ですが……」

 

 期せずして降って湧いた希望にカゴメが目を輝かせる中、亜神はチラと倒れ伏す者達を見遣る。

 まだ間に合う、がそれ程時間がある訳でもない。ヒュープの見せる夢とは人には抗い難いもの。今ならば夢の中で直接語り掛ければ目を覚ますだろうが時間が立てば戻れなくなる可能性は高かった。

 

 その点で言えば、この人間は彼女をして驚異的だと褪せ人を見て思う。

 亜神ですら夢に囚われ、緩やかに衰弱している中で、この男だけが最も強く抗っている。亜神達が良くも悪くも目を付ける理由が多少ではあるが理解出来なくもなかった。

 

「彼らの夢の中に潜り込み直接語り掛けます。場合によっては、貴方自身が取り込まれる可能性もあるでしょう。覚悟は良いですか?」

 

「勿論です! 無限に頑張ります!!」

 

「良い返事です」

 

 気炎を上げるカゴメの姿に微笑みを浮かべると、近くで倒れているタラニアの額に手を当て祈りの言葉を唱える。

 夢へ干渉するべく意識を闇へと落とすカゴメに対して、完全にその意識が落ちる直前に語り掛ける。

 

「——名乗りがまだでしたね。私はアラン、銀月の亜神として人を導く者です」

 

 

 

 

 

 

 

 次に目を覚ました時、カゴメが立っていたのはどこかの荒野であった。

 見覚えのない光景に、周囲を見渡すとアランもまた静かに佇んでいる。

 

「ここは……?」

 

「夢の中です。恐らくは、魔法剣士の少女のものでしょう」

 

「タラニアのですか……」

 

 アランの言葉に荒野を見渡しながらカゴメが呟く。

 そんな場合ではないのは重々承知だが、彼女がどんな夢を見ているのかは少し気になるところであった。

 しかしタラニアの姿を探すも、見当たらない。

 

「うーん、でも本人は一体どこに……」

 

「フッ、僕をお探しかな?」

 

 タラニアを探すカゴメに、頭上から声がかかる。

 見上げれば、崖の上に陽光を背にした魔法剣士の姿。日の光で姿ははっきりと見えないが、その特徴的な帽子のシルエットが彼女である事を物語る。

 

「タラニア、そんなところで何をして——」

 

「——君の声を聞いた」

 

 崖を見上げて問い掛けようとするカゴメを遮り、タラニアが朗々と謳いあげる。

 目を丸くするカゴメを他所に、タラニアは続ける。

 

「数多の悪を前にして、救いを求める君達の声を聞いた」

 

 カゴメは何度か耳にしたことがある。確かこれは、彼女が好んで使う口上の一つであった。

 

「さぁ、僕の名を呼べ!」

 

 タラニアは崖から飛び降りる。空中で宙返りをしながら、軽やかに着地をすると、剣を携え、ポーズを決めた。

 

「——僕こそが雷光の魔剣士一号、タラニアだ!!」

 

 高々と名乗りを上げるタラニア、背後に演出用の落雷を落とすのも忘れない。

 何度も練習したのだろう、こんな時でなければ見事と賞賛したくなるほどの名乗り口上であった。

 

 しかし、そんな場合ではない。一連の名乗りにタラニアも満足しただろうとカゴメは彼女の下に歩み寄る。

 

「タラニア、実はここは——」

 

 だが、ここは夢の中。当然これだけに終わらない。

 

「——お前の声を聞いた」

 

「え……!?」

 

 タラニアへと声を掛けようとしたところで、再び頭上から声がする。

 見上げれば、崖の上に居たのは鎧の偉丈夫。いつの間に夜になったのだろう、月を背にして彼は立っていた。

 

「えっ……まさか!?」

 

 先程以上の驚愕をカゴメが露わにした。この魔法剣士、一体どんな夢を見ているのか。

 

「数多の不条理に心を折る、お前達の嘆きを聞いた」

 

 聞き覚えのある声で、聞き慣れない言葉を謳い上げる。

 崖の上、赤い雷を迸らせた剣を抜き放つと、言葉を紡ぐ。

 

「私に名はありはしない……」

 

 静かに、重厚さを感じさせる声と共に褪せ人は飛び降りる。軽やかだったタラニアとは対照的に、重々しく、力強さを感じさせる着地。

 舞い上がる土埃の中、褪せ人は立ち上がる。

 

「——雷光の魔剣士二号、ただそう呼ばれている」

 

 褪せ人は静かにポーズを決める。背後に演出用の赤い雷光を落とすのも忘れない。

 何度も練習したのだろう、こんな時でなければ見事と賞賛したくなるほどの名乗り口上であった。

 

「こ、コイツ……アホみたいな夢見てます……!!」

 

 カゴメが思わず叫ぶ。

 人が必死に助けようとしているのに、目の前の魔法剣士はこんな夢を見ているのか。彼女が悪いわけでは無いのだが、それでもそう思わずには居られなかった。

 

「くうぅぅぅ! 良い、良いよ褪せ人くん! すごくかっこいいよ! 自分で言うのもアレだけど正統派の僕に対して少し影を感じさせる名乗り! じゃあこの後は合体攻撃の練習を——」

 

「——タラニア!」

 

 興奮したように褪せ人へと詰め寄るタラニアに対し、カゴメが背後から声を掛ける。

 そこで漸く気付いたのだろう、タラニアがカゴメの方へと振り向いた。

 

「あれ? カゴメくんじゃないか、どうしたんだい?」

 

「ここは夢です! 現実ではありません! 帰りますよ!」

 

 怒りを示しながら、タラニアへとカゴメが語り掛ける。

 しかし、カゴメの声に対してタラニアは小首を傾げるばかりであった。

 

「夢? ハハハ、嫌だなぁそんな訳ないじゃないか」

 

「むうぅ!」

 

 まるで聞く耳を持つ様子のないタラニアにカゴメは頬を膨らませる。

 

「じゃあ聞きますけど、褪せ人はこんなにノリの良い奴でしたか!? もっとこう……ムッツリしてたと思いますけど!?」

 

「それは……ほら、彼なんだかんだでノリが良い時あるし」

 

 蟹とか、エビとか。そんな風に反論するも、タラニアも若干苦しい事には気がついているようだった。

 そんなタラニアに、カゴメが畳み掛けるように問い掛ける。

 

「こんなに? タラニアの名乗りに付き合う程にですか?」

 

「……」

 

 そこまで言われてタラニアは黙り込む。

 違和感が無かった訳ではない。だが、あまりにも付き合ってくれる彼が嬉しくて意図的に無視していたのは否定できないところであった。

 わずかな沈黙の後、タラニアが口を開く。

 

「……夢、なのかい?」

 

「そうですよ! 他の皆を助けに行きますよ!」

 

 タラニアはカゴメの背後に佇むアランを見遣る。

 銀色の月を思わせるその姿を見ていると、靄がかった頭が冴えていくようだった。

 そうだ、自分は転移した褪せ人を探す為にアスバールについていって……。

 

「漸く、気が付いたようですね」

 

「……どうやら、迷惑をかけたようだね」

 

「ほんとですよ! さぁ次行きますよ、次!」

 

 事の重大さを思い出したタラニア。彼女を連れ立って、次の夢へと急ぐのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 次に目を覚ました先は、アスバールの屋敷の中であった。

 

「ここ、アスバールの魔界の屋敷ですね」

 

「では、ここは彼女の夢の中ということですか」

 

 アランは周囲を見渡す。

 嵐と慈雨の亜神にして魔界統一を目指す総帥。永きに渡り封印されていた彼女は、果たしてどのような夢を見ていると言うのか。

 

「——にゃんっ♪」

 

「ん? 今何か聞こえなかったかい?」

 

 タラニアが何者かの声に視線を向ける。何か聞き慣れない声が聞こえたからだ。

 振り向いた先、そこにあるのはアスバールの仕事部屋。彼女は常日頃からここで書類に追われていたはずだった。

 

「んー? どうかしましたか?」

 

「いやなんか……猫みたいな声が……」

 

「ふーん?」

 

 タラニアの言葉にカゴメは不思議そうに首を傾げる。しかし、他に行くあてもない。カゴメとタラニアは仕事部屋の扉の前まで歩み寄った。

 そして静かに、聞き耳を立てた。

 

「にゃぁ……にゃんっ♪」

 

 再び響く猫の声。カゴメがタラニアへと視線を向ける。

 

「ほんとですね……」

 

「何かあるのかもしれない。開けるよ?」

 

 アスバールは猫を飼っていた記憶はない。しかしだからこそこの夢の中でのヒントに繋がるのだろうとタラニアはアスバールの仕事部屋を開け放った。

 警戒しながらタラニアが部屋の中を見る。そして、その光景に絶句した。

 

「にゃあ……気持ちいいですにゃんっ」

 

「うわ」

 

 そこに居たのは猫ではなかった。

 手を丸めて、まるで猫のようなポーズで褪せ人に頭を撫でられ幸せそうにする亜神の姿がそこにはあった。

 

「魔界総帥にゃんこを……もっと撫でて欲しいですにゃんっ♪」

 

「どうしよう……とんでもないものを見てしまった気がする」

 

 いつもは凛々しく仕事をこなし、戦いにおいては圧倒的な力を誇る嵐の亜神のあられもない姿に、タラニアは迷いを露わにする。

 こんなの見られたら恥ずかしさのあまり死んでしまう。どう声をかけたものかと、思案するだけの配慮が彼女にはあった。

 内心で頭を抱えるタラニアを他所に、アランが横に並ぶ。

 

「はぁ……連れ戻しますよ」

 

「えっあっ、ちょっ」

 

 しかし、配慮していたのはタラニアだけである。アランはその姿に呆れたようにため息をつきながら、真っ直ぐにアスバールにゃんこの下へと歩み寄る。

 

「——アスバール」

 

「何ですかにゃん?」

 

「目を覚ましなさい」

 

「……にゃ……あ」

 

 満面の笑みであったアスバールの表情がアランを見て凍りつく。

 そして、ゆっくりとその背後にいるタラニアとカゴメへと視線を移した。みるみるうちに顔を赤くする亜神を前にタラニアが苦笑いを浮かべる。

 

「あはは……ええと……」

 

「きゃ、きゃあああああ!!」

 

 こうして、アスバールは目を覚ました。

 

「まったく、呆れましたよ。今すぐ嵐と慈雨の亜神から猫と甘えの亜神に改名してください」

 

「うぅ……殺して……殺してください……」

 

 アランの言葉に、顔を隠してうずくまるアスバール。己の痴態を見られたのだ、そうなるのも無理はないとタラニアは思う。

 正直、起こされるのが一番最初で良かった。後になるほど、あらゆるものが犠牲になる。

 亜神ヒュープ、恐ろしい亜神であった。

 

「まぁでもほら……悪いのは夢を見せたヒュープだから……」

 

 タラニアのフォローに、アスバールは縋るような顔で口を開く。

 

「そ、そうですよ! 私は卑劣な亜神の罠に掛かっただけで、決して彼とそういう事をしたいわけでは……!」

 

「『魔界総帥にゃんこを……もっと撫でて欲しいですにゃんっ』」

 

「うわーん!」

 

 カゴメの一言に再び彼女が塞ぎ込んだ。

 彼女が立ち直って次の夢にいくまでに、若干の時間を要したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「……で? 次はどこですか?」

 

「カゴメくん、怒ってないかい?」

 

「怒ってませんが!?」

 

 やっぱり怒ってる、とタラニアは思った。

 絶体絶命のピンチ、覚悟を決めて助けに行ってみればタラニアもアスバールも愉快な夢を見ているのだ。怒るのも無理もない。

 今回ばかりはカゴメに頭が上がらない。美味しいご飯で許してもらえないだろうかと考える。

 

「屋敷の中庭……のようですね?」

 

「恐らくは冥界、へリューズの夢でしょう。まったく、亜神が揃いも揃って……」

 

 陽の光は無く、どこからか冷たい風が頬を撫でる。物質界ではなく、当然天界でもない。

 アランは直接赴いた事は無いが、冥界だろうと当たりをつける。冥界の神たるへリューズの微睡みから生じた夢ということだろう。

 

「静かで……ちょっと気味が悪いね」

 

「生きている人間がそう思うのは当然でしょう。冥界とは死者達の行き着く場所、夢の中であろうとも死を感じさせる場所が心地良いはずがないのですから」

 

 アランはそう言いながら、中庭の一角へと視線を向ける。

 

「行きましょう、へリューズはあそこです」

 

 アランを先頭に一行が歩みを進めていく。

 広い中庭の隅、篝火の明かりと共に彼女は居た。目を閉じて、何事かに耳を傾けている。

 傍には褪せ人の姿、黙々と武器を研ぐ姿はタラニア達も過去に幾度も目にした事があった。

 

「……あら? 皆さん揃ってこんなところまで……」

 

 アラン達に気づいたへリューズは目を開き、微笑みと共に口を開いた。

 常に落ち着いた雰囲気の彼女ではあったが、今はさらに安らいでいるように感じられた。

 そんなへリューズへと、アランは真っ直ぐに見つめながら口を開く。

 

「へリューズ、目を覚ましなさい。これは現実ではありません」

 

「あぁ……やはり、そうなのですね」

 

 アランから告げられた言葉に、へリューズは目を伏せた。

 

「貴方達を見た時に、そうなのではないかと思いました。ですが、恐ろしいものです。夢と気付いても、それを否定してしまいたくなるほどに甘美で抗い難い」

 

 死の音色が聞こえないという事が、静寂がこれ程に心穏やかなものであるとは思わなかった。

 彼女が亜神として生を受けてからずっと、死とは彼女と共に在るものであったからだ。

 

「ですが、いけませんね。死の亜神である私が、死と共にある事を否定しては」

 

 寧ろ、ほんの僅かでも得られるはずのない幸福を得られた事に関しては感謝しても良かった。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「ええ、ご心配をおかけしました。えへ……少々かっこ悪いところをお見せしましたね」

 

 そう言うと、へリューズは立ち上がる。

 そして一瞬だけ振り向いて褪せ人の方を見ると、僅かに名残惜しそうにしながらも前を向き歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

「それで、貴方はどうして手を貸してくれるのですか?」

 

 冥界の中庭を歩きながら、へリューズがアランへと尋ねる。

 銀月の亜神、夜闇にあっては月の灯りで道を照らし、安寧へと導くとされる。

 軍神としての一面も併せ持つ彼女は、表立って人を手助けするような存在ではないはずである。

 月の光は夜闇を照らしこそすれ、それ以上の干渉はしない。

 

「理由はいくつかありますが、まず私は今回の亜神の争いに人類を巻き込む事を良しとしていません。亜神の問題は、亜神の手によって解決されるべきです」

 

 アランは語る。今回の神の楔を巡る争い。アランとしては知ったことではないが、しかしそれに無関係な物質界の者達を巻き込んだ事に関しては見過ごすつもりは無かった。

 亜神の不始末は、亜神によって解決されなければならない。遍く世を導く者達が、その後処理を人類に任せるなど言語道断であった。

 

「しかし、今回はそうも言っていられなくなりました。物質界では世界樹の魔物化、天使達の襲撃、そして深海での争いの激化……遺憾ですが、手が足りていないことは認めるところです」

 

 アランは亜神の中でも優れた力を持ってはいるが、それでも個人で解決出来る問題には限界があった。

 そこで、彼女は己の姉に力を借りようとしていたのだが。

 

「貴方の姉……つまり銀腕のトラムは他の亜神の尖兵と成り果ててしまった」

 

「姉さまが理由なくそのような事をするはずは無いのです。私は、姉さまを救わなければならない」

 

 人を愛したが故に神の座を捨て、千年戦争に参加したのがトラムであった。

 アランはそんな姉を愚かだと断じながらも、神でなくなった彼女を慕い続けていた。

 

「トラム姉さまを救うには、ゴルゴーンを殺さなければなりません。あれは不死の神、私ですらあれを殺すのは至難の業でしょう」

 

 神としての不死性に加え、あれは三身一体の神である。軍神であるアランですら、ゴルゴーンを完全に滅ぼすのは現状不可能だと言わざるを得なかった。

 

「神殺しが必要なのです。一つはグングニル、恐らくは英雄王の直系はこれを求める事になるでしょう。そしてもう一つは——」

 

「異界の英雄、つまりは褪せ人をあてにしているということですね」

 

 アスバールの言葉にアランは頷く。神として、人に過ぎない英雄の力を借りるのは本来であれば不本意な事である。しかし、今の天界の情勢とトラムという己の姉の事を考えれば、そんな事は言ってられなかった。

 

「彼にここで死んでもらっては困るのです。彼には、やってもらわなければならない事がある」

 

「それが助ける理由、ですか」

 

 アスバールがアランの言葉に考えを巡らせる。

 筋は通っている。少なくとも、嘘は言っていないだろう。亜神トラムの身を案じている様子は、決して演技だとは思えなかった。

 

「次へ行きましょう、あまり時間は残されていません」

 

 アランの言葉に促され、一行は次の夢へと潜るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 次に一行が辿り着いたのは、どこか小さな村のようであった。

 静かで、どこか穏やかな空気の中、まばらではあるが人が行き交っている。

 

「村のようですね……」

 

「服装からして、華の国のようです」

 

「という事は、フーロンかな?」

 

 華の国の出身者ということで一行が思い浮かべたのは元村娘にしてキョンシーのフーロンである。

 褪せ人の周りで華の国と縁のある人物となると彼女くらいのものであった。

 

「さて、彼女はこの村のどこへ——」

 

「——お父さーん、お母さーん? まったく、どこへ行ったんでしょうねあの二人は、仕方のない人達です」

 

 不意に、幼なげな声が村に響く。決して大きな声ではなかったが、その声に聞き覚えはあった。

 記憶よりも幼い声に一行が振り向くと、そこに居たのは一人の村娘。

 その姿を見て、アランは険しい表情を浮かべる。

 

 ——間に合わないかもしれない。そう思ったが故に。

 

「フー……ロン?」

 

「おや? どうして私の名前を? ふふん、私も有名になったものですね」

 

 幼いフーロンの姿に戸惑いながらタラニアが呼び掛ける。

 フーロンはその声に気付き、不思議そうに首を傾げるも、一行へと向き直った。

 

「旅の人でしょうか、もし知っていれば教えて欲しいのですが——」

 

 どうやらフーロンはタラニア達のことを覚えていない。

 それも当然であった。彼女の夢は未来ではなく、過去に囚われているのだから。

 

「——私のお父さんとお母さんを知りませんか?」

 

 在りし日の、両親に愛されていた一人の村娘、己が幸福であると信じて疑わない少女の姿がそこには在った。

 

 




アスバール

嵐と慈雨の亜神にして偉大なる魔界総帥。
にゃんにゃんプレイが好き。

アラン

銀月の亜神にして偉大なる軍神。
わんわんプレイが好き。
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