今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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夜、来たれり

 フーロンの先導の下、一行は村の中を歩く。

 夢の中、幼い頃の姿に戻ったフーロンの両親探しを手伝って欲しいという頼み事に一先ず従った形である。

 

「初対面の方々にこんな事を頼むのはおかしいと自分でも思うのですが、何故か貴方達は信用出来る気がするんですよね」

 

 そんな事を言うフーロンに、タラニアが目を伏せる。

 そんな自分達は今、彼女に残酷な真実を突きつけようとしている。彼女の無邪気な信頼が、それを躊躇わせていた。

 

「……何をやっているのです。あまり時間はかけられないと言ったではありませんか」

 

 そんな一行の様子にアランは僅かに眉根を寄せて口を開く。

 今までの夢とは違う。アランを一目見た程度で覚めるものではなく、彼女の夢を暴き、現実に立ち戻らせなければならない。

 それは彼女と面識のないアランでは効果が薄く、だからこそタラニアやカゴメ達の言葉が必要なのだ。

 

「分かってる、分かってるけど……」

 

 アランの言葉を理解しながらも、それでも躊躇ってしまう。

 親しい者に対して残酷な言葉を向ける事に躊躇しない人間など居ないだろう。それが必要な事であったとしても、恨まれるような言葉を即座に向けるのは憚られる。

 

 彼だったらどうしただろうかとタラニアは考える。

 恐らく、そんな迷いすら抱かないのだろう。例えどれ程に憎まれようとも彼ならば躊躇わないし、そしてそんな感情すら無言で受け止めるのだと、何となくそう思った。

 

「——私のお父さんとお母さん、凄く仲良いんですよ」

 

 不意に、フーロンが此方へと語り掛ける。

 考えに耽っていたタラニアがその声に意識を向ける。振り返って此方を見るフーロンは、彼女がよく浮かべる皮肉げなそれとはまるで違う、純粋な笑顔だった。

 

「本当に、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいにいつもいちゃいちゃと……本当に仕方のない人達なんです」

 

 彼女の境遇はある程度耳にしている。

 流行病で彼女と母親は死に、狂った父の外法によってキョンシーにされ、そして蘇った母親に殺されかけた。

 

「でも、二人を見て決めたんです。私も、お母さんみたいに運命の人を見つけて、子供を産んで——世界一幸せになるんだって」

 

 見たこともないくらいに幸せそうな笑顔でそう話すフーロンに、タラニアは人知れず拳を握り締めた。

 叶わぬ過去を暴き、それを見せつける。これ程に残酷な仕打ちがあるだろうか。

 亜神ヒュープ、タラニアは彼を許せそうになかった。

 

「まぁ私は華の国一番の美少女なので? そう簡単には運命の人認定しませんが。そうですね……凄く強くて、私の話を黙って聞いてくれて、優しい人でないと——」

 

 明るい声で幸福な未来を話す少女の声が、静かに一行の心に痛みを落としていった。

 

 しばらく歩いていると、フーロンが立ち止まる。何の変哲もない村の通り。その先に居るのは二人の男女。どことなく彼女の面影を感じさせる美男美女が、優しげな瞳で見つめている。

 

「はぁ、やっと見つけました。まったく、世話の焼ける両親です」

 

 口ではそんな事を言う彼女だが、隠し切れない安堵がそこにはあった。

 振り返ったフーロンが一行に向かって頭を下げる。

 

「それでは両親も見つかったので私はこれで。短い間でしたが、ありがとうございました」

 

 そう言って、フーロンが両親の下へと駆け出そうとして、そんな彼女の腕をアスバールが掴み取った。

 突然の行動にフーロンは不思議そうに首を傾げる。

 

「……? あの、まだ何か?」

 

「フーロンさん、行ってはいけません」

 

 アスバールが覚悟を決める。ここが分水嶺、彼女をこのまま行かせれば、戻ってくることは無いだろう。

 夢の中だというのに、喉が渇いたような感覚を覚えながら、アスバールはフーロンへと決定的な言葉を紡ぐ。

 

「ここは現実ではありません。貴方の両親は既に居らず、貴方自身もまた、一度死んでいます」

 

「何を……言って……」

 

「覚えていませんか? ここに来た時の事を」

 

 あまりに突飛な言葉に目を見開くフーロンに対して、アスバールは畳み掛ける。

 最早一刻の猶予もありはしない。たとえ恨まれようとも、彼女はここで倒れていいはずがない。

 漸く前を向き始めたのだ。キョンシーとして、それでも生を謳歌しようと褪せ人の言葉で決意を固めたのだ。

 そんな彼女の意思を、亜神の見せる夢が台無しにしようとしている。

 アスバールの言葉に、しかしフーロンは戸惑いながらも言葉を返す。

 

「変ですよアスバールさん。突然そんな、酷いことを言って……」

 

「ではどうして、先程から後ろを振り向こうとしないのですか?」

 

「……っ」

 

 アスバールの指摘に、フーロンの顔が歪む。

 彼女は無意識下で気付き始めている。背後を振り返らないのは、振り返った時、両親が居なくなっているのではないかと奥底で恐れているからだ。

 

 フーロンの瞳が揺れる。違和感が膨れ上がり、彼女の中の幸福に亀裂が走る。

 もう少しだと、アスバールは言葉を紡ごうと口を開く。

 

「貴方は——」

 

「——やめてください!!」

 

 しかし、そんなアスバールの言葉を聞きたくないとばかりにフーロンは金切り声を上げる。

 最早そこには笑顔などありはしない。頭を抱え、何かに怯えるようにうずくまる。

 

「夢だったらなんだって言うんですか? 良いじゃないですか、こんなに幸せなら!」

 

 フーロンが叫ぶ。夢でも良い、こんなに幸せなら。覚めてしまえば、両親は無く、また一人。

 キョンシーの身体では運命の人なんて現れるはずもなく、子供だって産めない。

 そもそも自分は既に死んでいるのだ。ならば、これが自分の終わりだという事だろう。

 

 何も聞きたくないとばかりに拒絶するフーロンに、カゴメが歩み寄る。

 

「褪せ人との約束、忘れちゃいましたか?」

 

「褪せ……人……?」

 

 知らない筈の名前、いや、名前ですら無いだろうその単語に、しかしフーロンは動揺を隠せなかった。

 

 ——お前の死を、私が背負ってやる。

 

 誰の言葉だろう。しかし、間違いなく自分に放たれた言葉であった。

 恐ろしい言葉の筈なのに、不思議とその言葉を思い出し、安堵していた。

 

「ここで諦めるのならば、全部終わりです。でも、貴方は頑張れる人ですよね?」

 

「…………」

 

 カゴメの言葉に、フーロンは俯いたまま沈黙する。

 揺れていた。偽りの幸福を享受するか、或いは現実に立ち戻り足掻くのか。

 

 押し黙るフーロン、しかし誰一人として急かすものは居なかった。

 彼女の選択、それを受け入れようという覚悟と信頼があったが故にである。

 

 長い沈黙の末、フーロンが顔を上げる。その瞳に迷いはなかった。

 

「覚悟は決まったようですね」

 

「はい、ご迷惑をおかけしました。もう、迷いません」

 

 アスバールの言葉にフーロンが力強く頷く。

 それを見て、アスバールは微笑む。やはり、彼女は強い。迷いを振り払い前を進む道を選ぶことの何と尊いか。

 英雄とは諦めの先を行く者である。ならば彼女もまた、英雄としての資質を備えている。

 

「では、次へ向かいましょう。あまり時間をかけてもいられません」

 

 アランが次の夢へと向かうべく、全員を促す。

 一行がアランへとついていく中、フーロンもその背を追う。

 

「——フーロン」

 

 不意に、背後から声が聞こえた。

 もう一度聞きたくて、しかし叶う筈も無かったその優しげな声に、思わず後ろを振り向く。

 通りの向こうで、かつての両親が見つめていた。

 

「ごめんなさい。私は『あの子』じゃないんです」

 

 フーロンが口を開く。

 夢の見せる幻なのは分かっている。それでも、言わなければならなかった。

 彼らの娘である『フーロン』は既に死に、今の己は外法により生まれ、『フーロン』の記憶を引き継いだキョンシーでしかない。

 本来ならば、こんな夢すら見ているのが烏滸がましいのだ。

 

 フーロンが両親へと背を向ける。今度こそ前を向かなければならない。昔の死にたがりとは違う。今はもう、やるべき事ができたのだから。

 

「——フーロン」

 

 最早呼び掛ける声に振り返るつもりもない。ここに決別は成った。

 決意を固めたフーロンに、優しげな声が告げる。

 

「フーロン——幸せにね」

 

「な——」

 

 次の夢へと足を踏み入れる間際、不意に掛けられた言葉に振り返る。

 己の夢の世界が崩れ去っていく中、両親は変わらず見つめていた。

 

「おかあ——」

 

 そう呼ぼうとして、しかし最後まで口にすることは出来なかった。景色が変わる。己の夢が終わったのだと、そう理解した。

 

「大丈夫かい?」

 

 背後のフーロンの様子に、タラニアが心配そうに声を掛ける。

 

「……大丈夫です。行きましょう、こんなふざけた夢を見せた亜神をぶん殴らないと」

 

 フーロンのそれが強がりだったのはタラニアにも分かった。

 しかし、タラニアは何も言わずに彼女の肩を一度叩くと共に歩くのであった。

 

「さぁ、時間が無いので巻きで行きますよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日はいつもと変わらない平和な一日だった。

 

 イリスはいつものように孤児院へ行き、子供達に勉強を教え、遊び、祈る。

 その後は神殿へと向かい、ちょっとした怪我や病気になった者達を癒しの奇跡で癒やす。

 

 いつもと変わらない、穏やかな日々。僅かな違和感を抱きつつも、それでもイリスはそんな毎日を享受していた。

 

「とあー!!」

 

「きゃあ!?」

 

 ——突然教会の扉を頑張り妖怪が蹴破って入ってくるまでは。

 

 一切の躊躇なく教会の扉を破壊したカゴメは突然の事に混乱しているイリスへと走り寄る。

 

「さぁイリス、行きますよ! 皆が待ってます!」

 

「えっ!? 何ですか急に、皆って一体——」

 

「そういうのは後で全部分かりますから! さぁ行きましょう!」

 

 戸惑うイリスの話を一切聞く様子もなくカゴメはイリスを抱える。

 自分とそう変わらぬ背丈の少女に抱え込まれているという事実に目を丸くする。対抗しようにも凄まじい力だった。

 

「よし、イリス確保! それじゃあ頑張りましょうね!!」

 

「ちょ、ちょっと待ってください誰か、誰か助けてください!?」

 

 しかし、イリスの声を聞き届ける者は居なかった。

 そのままカゴメに抱えられ、壊れた扉から瞬く間に走り去る。

 こうしてイリスは事態を把握するよりも早く、夢から脱出する事になるのであった。

 

 

 

 

 

「ふぅ、最初からこうしておけば良かったですね!」

 

「はぁ……はぁ……感謝は、感謝はしてるんですけども……!」

 

 一仕事したとばかりに笑顔で額の汗を拭うカゴメに、夢から覚めたイリスは恨めしそうに見遣る。

 実際窮地を救われたのは確かなのだ。しかし如何せん、救出が雑なのではと思わなくもなかった。

 

「あはは……まぁ、ちょっと色々あってね。後はイリスなら大丈夫じゃないかと」

 

 タラニアが苦笑いで答える。一応はこの強引な救出劇はイリスの心の強さを信頼しての行動だった。もし、深く夢に囚われていたのであればこのような手段は取れなかっただろう。

 

「残すは二人のようですね」

 

「褪せ人と……アブグルントですか」

 

 アランが一行を確認しながら口を開く。

 残すは後二人、褪せ人を最後に回すとして次はアブグルントという事になる。

 

「うわ、何か急に行きたくなくなりました」

 

 ここに来てカゴメがそんな事を言い始める。

 そんなカゴメをアスバールが窘める。

 

「カゴメ、そのような事を言うものではありませんよ」

 

「でも絶対碌な夢見てませんよ」

 

「それは……」

 

 彼女の日頃の言動を鑑みると、否定出来ないものではあった。

 そもそも、睡眠を必要としないデーモンの見る夢、不確定な要素が多いという部分もある。

 

「ですが、行かないわけにもいきませんよね?」

 

「そうだね、彼女だって夢に囚われているんだ。助けないと」

 

 イリス、タラニアの言葉に一行は覚悟を決める。いずれにせよ、彼女の次が控えているのだ。このまままごついていても仕方ないと、アブグルントの夢へと潜り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、やっと来てくれたのね。これからどうしようかと困っていたところなの」

 

「ん? ……あれ?」

 

 意識が沈み、新たな夢へと潜った矢先、待ち構えていたように佇むアブグルントに開口一番に声を掛けられる。

 

 その言葉の内容は、既に夢である事に気付いているかのようだった。

 話が早く終わりそうだとアスバールがアブグルントへと声を掛けようとして、周りの惨状に眉を顰める。

 

 それを認識した瞬間、立ち込めたのは血の匂いであった。

 血塗れの床、倒れ伏しているのは人間達。場所は王城だろうか、血が飛び散った壁や床のせいで、知っているはずの場所なのに酷く悍ましく見える。

 握る槍が血に濡れている事から、これを成したのは彼女なのだろう。たとえ夢だと分かっていても、眉を顰めたくなる光景だった。

 

「貴方は一体……ここで何をしていたのですか?」

 

 険しい表情で問い掛けるアスバールに、アブグルントは常と変わらぬ調子で答える。

 

「何って……夢を出る為に色々試していたのよ。所詮は夢の幻、悪い事では無いでしょう?」

 

 所詮は夢なのだから、何をしたって咎められる謂れはない。寧ろ彼女なりに夢から覚めようと試していた結果なのだという。

 しかし、それは死生観が極めて希薄なデーモンの価値観からくるものであり、ここに居る大半の者達にとっては共感し難いものではあった。

 

「……ん?」

 

 そんな死体の山の中、タラニアがふと一つの死体に目を向ける。

 赤い血に塗れ、ぞんざいに扱われている者の中、重厚な鎧を着た男のそれ。

 酷く見覚えのあるものが何なのかを理解した時、彼女はアブグルントへと詰め寄った。

 

「アブグルント、これは一体どういう事だ!!」

 

 胸ぐらを掴まんばかりに怒りを露わにするタラニアに、アブグルントは酷くつまらない様子でそれを見遣った。

 

「あぁ……それがどうかしたのかしら?」

 

「どうかしただって!? これは……褪せ人くんじゃないか!!」

 

 夥しい血の海の中、倒れ伏していたのは褪せ人であった。

 それに気付いたイリスは思わず口を押さえて悲鳴を押し殺し、フーロンは静かに小刀を抜いた。

 

「これは……一体どういうつもりですか?」

 

 へリューズもまた、その死体を見てアブグルントへと問い掛ける。取り乱しこそしていないが、返答次第ではただでは済まないと、それが分かる程度には圧を放つ。

 周りの敵意に対してもアブグルントに動じた様子は無い。しかし、その死体について問われた事は酷く不愉快だったらしい。

 

「それは彼じゃないわ。不出来な紛いもの、出来損ないよ」

 

「……どういう事ですか?」

 

 夢の幻だという事は全員が承知の上である。しかし、たとえ幻であっても仲間を手にかけたという事実について説明してもらわなければならない。

 カゴメの問い掛けに、アブグルントはうんざりだとばかりに言葉を紡ぐ。

 

「彼は折れない、諦めない、絶望しない。そんなものは彼ではない」

 

 夢の中でそれと出会った時、酷く不愉快だった事を覚えている。

 何もかもに絶望し、諦めた目でうずくまる鎧の男。その男の姿を見た時に、酷く身体の芯が冷えていくのを感じた。

 気付けば槍を握り、つまらない幻を斬り捨てていた。

 

「解釈違いなのよ。どこかの誰かに『これが見たかったのだろう?』とばかりに差し出されたものが気に食わなかった。それだけよ」

 

「でも、それを望んだのは君で——」

 

「これは、彼では、ないわ」

 

「あっはい」

 

 結局のところ、亜神ヒュープは彼女の、面倒なファンの心理を理解しきれなかったのだ。

 安直に望みを与えようとした結果、怒りを買ってしまった。周りの惨状は、それが少なからず影響しているのだ。

 その説明に、アスバールは疲れた様に溜息をつく。

 周囲の者達も納得はしつつも微妙な表情であった。

 

「はぁ……とにかく、貴方に敵対の意思がないのは分かりました」

 

「分かってくれて何よりだわ」

 

 涼しげなアブグルントを若干恨めしげに見ながら、アスバールは口を開く。

 

「……先ずはここを離れましょう。夢とはいえ、あまり気分の良いところではありませんし」

 

 全員が同意を示し、王城の廊下を歩き出した。

 

「さて、残すところ後一人ですか」

 

「褪せ人くんかぁ、どんな夢を見てるんだろう?」

 

 アランの言葉に、タラニアが呟く。

 彼の見る夢というのが、どういうものなのか想像もつかなかった。

 

「やっぱり異界に居た時の夢でしょうか?」

 

 彼の過去を知る者は殆ど居ない。精々が魔神マンモンによって創られた幻の世界くらいだろうか。

 それにしたって、あまりに断片的なものであり、寧ろ謎が深まったようなものであったが。

 

「気を引き締めて行きましょう、ここから先、何が起こるかは分かりませんから」

 

「さぁ後ひと頑張りですよ!!」

 

 カゴメの気合の入った言葉と共に、最後の夢、褪せ人の世界へと潜り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾度となく夢を渡り歩いた彼女達が最後に辿り着いたのは見知らぬ場所であった。

 

 どこかの中庭だろうか。辺りは霧に包まれたその場所は、円形の水場を囲うようにして椅子が並べられている。

 夜闇を照らす月が水面に映し出されており、この水場が月を眺める為のものであると伺わせる。その静寂には、ただの庭とは思えない神秘的な気配が漂っていた。

 

 彼女達は知らないが、その場所は古く、カーリアの王家に伝わる月見場であった。

 

「前の光景ともまた違いますね……」

 

「静かで、物悲しい場所ですね」

 

 思い思いにその場所の感想を述べながら褪せ人の姿を探す。

 恐らくは、この近くに居るはずなのだが。

 

 そんな風に考えていた矢先に、月見場の水面に波紋が生じた。

 水面から淡い光が放たれる。

 

「……! 皆さん、何かが来ます!」

 

 異変に気付いたアランが叫ぶと、一行は揺れる水面から距離を取った。

 ここは褪せ人の居た異界の記憶。何が起きてもおかしくはない。

 だが、現れたのは異界の住人ではなかった。

 

「ヒュープ……!」

 

 静寂を裂くように、どこか眠たげな声が水面から響いた。

 

「ふぅ……まさか君が介入してくるとはね、アラン」

 

 現れたのはこの夢の世界を齎した元凶、亜神ヒュープであった。

 どこか眠たげな様子で此方を見るヒュープの姿に、アランは険しい表情を浮かべる。

 

「そこの妖怪の彼女が一人で僕の夢を暴いたのなら賞賛したんだけどね、亜神の介入は見逃すつもりはないよ」

 

「ディアスの手先になって亜神ともあろう者が満足ですか?」

 

「手先? 違うさ、僕は彼の理念に少なからず賛同しているから、少し手を貸しているだけだよ」

 

 アランの言葉にヒュープは不快だとばかりに眉根を寄せて否定する。

 己はあくまで賛同者。ディアスの下についたつもりはなく、ただ気紛れに手を貸しているに過ぎない。

 

「安寧と停滞、良いじゃないか。争いなど不要、ただ夢の中で揺蕩えばいい」

 

「他人の過去を暴いておいて、随分な言い様ですね」

 

 フーロンがヒュープを睨みつける。

 叶わぬ過去を見せつけておいて何が安寧だというのか。彼のやっている事はどこまでも独り善がりで、押し付けがましい。そんなものを認めるつもりはなかった。

 

「なぜ人は理想を追い求めているのに夢を否定するのだろうね。……千年前、英雄王もそうだったな」

 

 そう言うと亜神ヒュープはゆっくりと浮かび上がる。

 

「彼を取り戻したいかい? ならば、僕が相手をしてあげよう」

 

 ヒュープの言葉に呼応して、次々と何かが落ちてきた。

 それらはぎこちない動きと共に立ち上がり、手に持つ武器を構える。

 

「人形……?」

 

「彼の世界の傀儡達さ。賑やかしには丁度良いだろう?」

 

 それは奇怪な人形の兵士達であった。

 板金の格子で覆われた鎧を身に纏い、四本の腕を忙しなく動かしながら、槍や弓を構えている。

 錆びつき、ぞんざいな作りのそれらはまさしく雑兵と称して良い存在であった。

 

「注意してください、亜神ヒュープは直接的な戦闘力は持ち得ませんが、眠りの権能を駆使して此方の弱体化を図ってきます」

 

「なら、雑兵を無視して彼を倒せば良いんだね!」

 

 アランの言葉にタラニアが魔法剣を引き抜く。どのみち彼を倒せば、この夢の世界も終わる。狙わない選択肢などありはしなかった。

 だが、次の瞬間にその狙いは瓦解する。

 

 何かが落ちてきた。

 王家の月見場、その中心に降り立ったそれは激しい水飛沫をあげながら着地する。

 

「——ここは夢の世界、僕の領地だ。そう易々と僕の微睡に届くと思わないで欲しいな」

 

 ゆっくりと立ち上がったその姿が露わになる。左手に握るのは輝石の王笏。かつて満月の女王が振るったとされる最上の杖。

 右手には大剣。淡く輝く暗月の剣が、魔力に呼応して微かに脈動する。

 

 それは幻影、夢の作る幻。しかし、決して無視できない存在感を放っていた。

 それは亜神ヒュープが褪せ人の過去を暴き、作り上げた一つの可能性。

 

 亜神ヒュープを背に男は立ち上がる。

 構えた剣から立ち昇る暗い月の光は、冷たい魔力を帯びていた。

 

 ——夜、来たれり。

 

 月明かりの下、男は静かに剣を構えた。

 




推定ラニルートの褪せ人をヒロインズがボコボコにする構図。
修羅場ってやつですね…。
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