目の前に降り立った存在に、空気が張り詰める。
この場にいる全ての者達が目の前の男が、決して油断して良い存在ではないと知っているからだ。
「褪せ人……?」
「いえ、本人ではありません。今までと同じ幻でしょう、ですが……」
カゴメの言葉に、アスバールがかぶりを振る。本物ではない。だが、今までの偽物とは毛色が違った。
数多くの武器を振るい、術を駆使する彼ではあるが、目の前のそれは彼女達の知る褪せ人の姿とはまるで異なっていた。
握る杖には見覚えがある。魔王ガリウスとの戦いで、女神の加護を受け魔術を振るった時のものだ。
その杖を握っている。それは目の前の幻が魔術の使い手であることを意味していた。
「あの剣も見たことはないね……普通じゃないよ、あれは」
タラニアが険しい顔で褪せ人を見遣る。握る大剣、彼女が魔法剣士だからこそ分かった。それが尋常な代物ではない事を。
青く脈動する大剣は神秘的であると同時に言い知れぬ冷たさを覚えさせた。
「杖に剣……何をしてくるか分からない、いえ、何をしてきてもおかしくはない、といったところですか」
フーロンが褪せ人から視線を外さずに口を開く。
ただでさえ膨大な手札を持つ彼が、知らない姿を晒している。それがどれほど危険かは言うまでもなかった。
「はい、ですので皆さん気を抜いては——!?」
アスバールが全員に注意を促そうとすると同時に、褪せ人が動き出した。
杖を掲げ、魔術を発動させる。放つは流星、十二の暗い星々が真っ直ぐにアスバールへと放たれる。
「やらせませんよ!!」
アスバールを庇うようにカゴメが立ち塞がる。すかさず壁を生成、滅びの流星を受け止めた。
壁の向こう、連続して爆ぜる流星の音が響き渡る。
褪せ人の魔術の行使を引き金に、人形兵達も一斉に動き始めた。
その身体を軋ませながら、武器を構えて突撃してくる。
「遠距離は危険です、先ずは彼に接近を!」
後手に回ってしまった事を悔やみながらも、アスバールが指揮を取る。
此方の面々は遠距離の攻撃手段こそ持ち合わせているが、射程が足りていない。
相手の射程が想定よりも長い。先ずは接近する必要があった。
タラニアが先陣を切る。
持ち前の身軽さを武器に、人形兵の攻撃を躱し、隙間を縫うようにして走り抜ける。
そんなタラニアを迎え撃つべく頭上から槍を構えた人形兵達が降り立ち、行く手を塞ぐ。
抜けるのは困難、タラニアが魔法剣を引き抜く。
「邪魔を……?」
魔法剣を発動しようとして、しかし出来なかった。
突然、鉛のように瞼が重くなり、視界がじわりと滲む。意識が水底へ引きずられるような感覚に、タラニアは必死に足を踏み締めた。
目の前で人形兵が槍を振り上げる。その攻撃動作を認識しながら、何とか回避を試みようとするも強烈な眠気がタラニアを鈍重にする。
「くっ……」
避けられない。タラニアは魔法剣士の例に漏れず軽装であり、たとえ雑兵の攻撃であっても致命傷になりかねない。
しかし、人形兵がタラニアへと武器を振り下ろすことは無かった。
タラニアの背後より斬撃が放たれ、人形兵達を一閃する。人形兵達が崩れ落ちる。
「人の子よ、気をしっかり保ちなさい」
「あな……たは……」
タラニアの横にアランが並び立つ。
尚も迫る人形兵達に対して、手に持つ剣を振るう。ただ一振りの斬撃により人形兵達は一瞬にしてガラクタの山と化した。
「貴方達が彼に注意を払うのは理解します。ですが、今最も警戒しなければならないのはヒュープです」
そう言いながら、アランは空に向けて斬撃を放つ。その先には宙を揺蕩うヒュープの姿。
斬撃を認識し、ヒュープがそれを躱す。
「彼への攻撃を絶やしてはなりません。放置すれば、その権能によって抗えぬ眠りに落とされるでしょう」
「厄介だね……」
ヒュープの権能、その詳細を聞いて眉を顰める。
乱戦においてこれ程に厄介な能力はありはしなかった。戦わずとも、ただそこに居るだけで致命。その能力の詳細を知るアラン達が居なければなす術もなく全滅していただろう。
「僕の権能をバラさないで欲しいな。折角すぐに決着がつきそうだったのに」
「貴方の思い通りにはさせませんよ」
「そうか、なら——試してみるといい」
ヒュープへと斬撃を放とうとしたアランに向けて、魔術が飛来する。
先程の流星とは違う、魔力の大彗星。それが連続して放たれる。
「……ッ!」
亜神をして目を見張る威力のそれを前に、しかし軍神たるアランは冷静だった。
追尾する魔術を直前まで引き付け、躱す。しかし、褪せ人は既に次の魔術の動作に移っていた。
青く輝く、魔力の大弓を形成、それを構えると四本の魔力の矢が放たれた。
横に広がるようにして飛び去った矢は、しかしアランに向けて一箇所に収束する。
「面倒な……!」
回避動作の隙を狙った一撃。しかし、アランはそれを強引に地を蹴り、大きく跳ぶことで躱す。
再び体勢を整えた時には、アラン達と褪せ人との間には人形兵達が立ち塞がっていた。
「徹底してるわね、別人みたい」
アブグルントが人形兵を斬り伏せながら呟く。
前に出て攻撃を受け止め、反撃の機会を伺う彼とはまるで違う戦い方。人形兵を使い、相手を寄せ付けることなく、畳み掛けるようにして魔術を行使する。極めて攻撃的な戦術であった。
「魔力が十分に溜まりました! 人形兵諸共に薙ぎ払います!」
背後でアスバールが叫ぶ。魔力の雨に発動な魔力を十分に練り上げられた。
邪魔な人形兵達を一掃するべく破壊の嵐を呼び起こす。
「……ッ!」
降り注ぐ魔力の雨に褪せ人が逃れようと距離を取る。破壊の雨がたちまちに人形兵を破壊していく。
「これで……!?」
邪魔者の一掃、しかしアスバールが異常に気付く。
——自分達の頭上、暗黒の星雲が広がっているということに。
「散らばってください! 魔術が来ます!!」
アスバールの叫びに全員が一斉に跳んだ。降り注ぐ星の雨が月見場の床で爆ぜる。
未だ動いていた人形兵諸共に放たれたそれは、アスバールの魔術の雨と比較しても遜色ない程の威力。
雨が止んだ後、残されたのは圧倒的な破壊の痕跡。しかし、これで終わりではなかった。
創星雨で散った者達を見据えながら、杖を地面に突き立てる。
「イリスはアタシの後ろへ! まだ何かが……!」
続け様に放たれる魔術に対し、カゴメがイリスを自身の背後へと隠し、壁を生成する。
直後、虚空より飛来したのは無数の小隕石。それは、永遠の都を破壊し尽くした暗黒の流星。
「ぐっ!?」
「カゴメさん!?」
カゴメの壁に、無数の隕石が衝突する。隕石が壁に当たるたびに轟音が響き渡り、重力の魔力を伴った爆発が生じる。
歯を食い縛り耐えるカゴメ。ぬりかべの強固な壁でさえ、壊れるのは時間の問題であると言えた。
「うっ……ぐぅっ!」
加えて、先程から絶えず襲いかかる睡魔である。
目の前に死が迫っているにも関わらず、どこかそれが他人事のように感じられる。
油断すれば意識を手放しそうになるそれに、カゴメは唇を噛みながら耐え忍んだ。
「…………」
杖を突き立て、尚も術を行使する褪せ人。どこまでも冷静に、確実に頭数を減らすべくカゴメを狙う。しかし、それは致命的な隙であると言えた。
「——これ以上はやらせませんよ!」
背後に回り込んだフーロンが小刀を手に褪せ人へと飛び掛かる。術に集中力を割いていた褪せ人が咄嗟に中断し、避けようとするもフーロンは逃すまいとさらに一歩踏み込んだ。
「届かせる……!」
至近距離、この距離なら魔術の行使は不可能。加えて懐に潜り込んでしまえば大剣よりも小刀を振るう方が速い。
彼女の狙いは杖。遠距離のアドバンテージを奪うのが狙いだった。
褪せ人はすぐさま術を行使することを諦め、肉薄するフーロンを迎え撃つ。
その手に握られているのは——刀。
「大剣じゃない!?」
驚愕するフーロン。一体いつの間に持ち替えたのか。そう考えるも、飛び込んだ身体は言う事を聞かない。
褪せ人が刀を鞘に納めたまま腰だめに構える。
それは東の国、サムライと呼ばれる戦士達が用いる剣技。
鞘の中、光を帯びた刀身が引き抜かれる。
青い剣閃が鞘を走り、魔力の伴った刀身が振るわれる。
——束の間の月影
「がっ……!?」
青い剣閃が奔り、血飛沫が彩る。フーロンが膝をつき、そのまま崩れ落ちた。
「フーロン!?」
タラニアが叫ぶ。致命傷だが、キョンシーの耐久力ならば死んではいないはず。
問題は、未だ息のある相手を彼が放っておくかということ。
褪せ人が倒れ伏したフーロンにトドメを刺すべく刀を振りかぶる。
そこにかけるべき情などありはしない。ただ、戦場における当然の判断だけがあった。
「——見事、という他ありませんね」
褪せ人が振り下ろすより先に、斬撃が飛来する。
褪せ人はすぐさま斬撃を潜るようにしてローリング。その先に居たアランへ向けて月隠を横薙ぎに振るう。
「軍神として、数多の英雄を見てきました。しかし、これ程の領域に至ったものはついぞ出会ったことはありません」
月隠の剣閃を軽々と躱し、斬撃を放つ。
放たれたそれらは一つ一つが致死の一撃。だが、それを理解して尚褪せ人は回避と共に前進する。
「ですが、終わりにしましょう——へリューズ」
褪せ人の足が止まる。否、止めざるを得なかった。
アランの頭上、宙に浮いたへリューズが魔術を展開する。
溢れ出る死氷の魔力が褪せ人の足元を凍てつかせ、その動きを鈍らせる。
「偽物とはいえ、良き戦士でした」
その一言と共に魔術の一撃が放たれる。
魔導の神としての側面も持つへリューズの放つ渾身のそれは、褪せ人へと真っ直ぐに向かうと、特大の爆発を引き起こした。
燃え盛る炎を一瞥し、アランは確信を抱くと共に宙に浮くヒュープを見据えた。
「勝負は決しました。貴方の負けです」
アランは告げる。幻影の褪せ人を倒した今、ヒュープ自身に勝ち目はない。
しかし、ヒュープはその態度は冷ややかであった。
「負け? 残念ながら、まだ終わっていないよ」
「最後まで戦うと? これ以上の足掻きは無駄にしかなりませんが」
ヒュープの態度に違和感を覚えながらもアランは再度告げる。
しかし、ヒュープの言葉は変わらない。
「もう一度言おう——まだ何も終わってなんかいない」
「何を……!?」
アランは言い切るよりも速く振り返る。
未だ炎の上がるそこから、恐ろしい程に研ぎ澄まされた魔力を感じる。
「そんな……まさか……!?」
卓越した魔術、極まった剣術——いかに優れた力を持とうとも、所詮は人の身。それが神の一撃を受けてなお立ち上がるなど。
炎の向こう、青い刀身が揺らめいた。
握るのは最初に持っていた青い月の大剣。
全身を焼かれながらも尚、揺らがぬ闘志と共に大剣を掲げる。
「——導きの月光よ」
掲げられた大剣、その剣身に冷たい魔力が宿る。
大気を凍てつかせんばかりのその大剣を褪せ人が薙いだ。
燃え盛る炎が掻き消され、青い光がゆっくりと揺れる。
驚愕するアランへと、ヒュープが静かに告げた。
「——幕はまだ降りてはいない。続きを始めようか」
ヒュープの言葉を合図にするかの如く、月光の斬撃が放たれた。
「くっ! へリューズ、アスバール!」
「はい!」
迫る斬撃を躱しながら、アランが二柱の亜神へと叫ぶ。
ヒュープの夢の幻だからか、或いは彼自身の力なのか、考えても仕方ない。事実として目の前の男は立っているのだから。
アランに名を呼ばれた二柱はその意図を読み取り、魔術を放つ。
ダメージが無いわけではない。ならば、先程同様に強力な魔術で一気に畳み掛けるまで。
避けるならば、その間隙にアランの斬撃が襲いかかる。しかし、褪せ人が選んだのは回避ではなかった。
褪せ人が杖を振るう。魔術によって生じたのは、空間すら歪ませる重力の魔力、永遠の暗黒であった。
放たれた亜神の魔術。その悉くが宙に浮かぶ暗黒に吸い寄せられる。
「術が……!?」
へリューズが目を見開く。まるで重力に飲み込まれるように己の術が屈曲したことに驚愕する。
褪せ人は次なる目標として、魔術を振るう亜神へとその狙いを定めた。
褪せ人が杖を振るう。
「攻撃が来ます! 注意を——がっ!?」
「アスバール!?」
背後からの攻撃、突然の衝撃にアスバールが膝をつく。
褪せ人からは視線を外していない。魔術が放たれた形跡は無かったはず。
「奇襲の魔術……!」
多芸にも程がある。一体単身でどれ程の手札を隠し持っているというのか。
再び杖を振おうとした褪せ人に対してタラニアが接近、雷の斬撃を飛ばしながら肉薄する。
「ランページソード!」
高速で放たれる斬撃の雨。雷の魔力の込められたそれは、避けるのは困難。
しかし、褪せ人はそれらを前にして冷静に杖を振るうと、その姿を掻き消した。
狙うべき標的を失い、斬撃が地面で爆ぜる。
「消えた!?」
タラニアが立ち止まると、周囲を見渡す。
あの男を見失うという事がどれほど致命的かは十分に分かっているつもりだった。
タラニアの背後、褪せ人が姿を現す。
アランが気付き、声を上げるよりも速く褪せ人は大剣を構え、光波を放つ。
「——させませんよ!」
タラニアと褪せ人の間にカゴメが割って入る。即座に壁を生成、光波を受け止めて見せた。
光波が壁に衝突し、冷たい魔力が伝播する。それは、カゴメ本体をも蝕み、着実にダメージを与えていた。
「ぐっ……」
「カゴメさん!」
膝をつくカゴメにすぐさま回復が放たれる。
不意打ちが失敗に終わった褪せ人は再度魔術によって己の姿を消し、距離を取る。
終始戦いの主導権を握る褪せ人であるが、これまでの攻防、攻めきれていなかった。
数の差、それも亜神クラスの実力者揃いである。
それでもこうして渡り合っていられるのは膨大な手札による初見殺しと、亜神ヒュープによる睡魔の妨害のおかげに他ならない。
一度主導権を握られてしまえばそのまま崩れ落ちるのは褪せ人の方である。
杖を構え、魔力を集約する。放つは彗星、狙いはイリス。
彼女を崩せば相手の回復の大半を封じ込められる。カゴメの壁に守られるだろうがアズールならば破壊できる。
杖の先、暗黒の源流が形を成す。それを放とうとして——背後から雷の槍に貫かれた。
「……!?」
極大の魔力が攻撃により霧散する。
二度三度と継ぎ目なく放たれる追撃を躱し、己に攻撃を放った相手を見据える。
そこに居たのは、己と同じ姿をした鎧の偉丈夫。
「馬鹿な……何故君がここに……」
ヒュープが呻く。ここは彼の夢の世界。アラン達亜神の手助けがあるならばまだしも、自力で自身の夢を暴くなど、過去には英雄王しか居ないはずだった。
警戒し、武器を構える幻を前に褪せ人が前に進む。手に持つのは見慣れた大盾と大槌。
「ほ、本物かい?」
「驚きました。まさか己の力だけで亜神の夢を暴くとは……」
口々に驚愕を示す一行にも目もくれず、褪せ人は倒れたフーロンを一瞥すると、幻へと目を向けた。
「……どうやら、遅れたらしい」
「いえ、此処に来れただけでも僥倖でしょう」
褪せ人の言葉にへリューズが応える。そもそも彼を取り戻す為に此処まで来たのだ。寧ろ、救うはずの相手が此処に来てくれて安心感を覚えていることに情けなさすら覚える。
「積もる話は後にしましょう! 今はこいつらぶっ飛ばしますよ!」
カゴメの言葉に全員が武器を構える。
最早、負けるだなどと誰一人考えてはいなかった。