今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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救いの手

「ギャアアアアアアア!!」

 

 光の刃を突き立てられたゴルゴーンが悲鳴を上げる。身体だけでなく、魂すらも裂かんとする痛みがゴルゴーンを蝕んでいく。

 堪らず後ろに後退するゴルゴーン。槍の突き立った部分の再生が明らかに遅い。その事が彼女の焦りを掻き立てる。

 

「何ダ!? これが……こレが神殺シの槍だトでも言ウのか!?」

 

「違う」

 

 ゴルゴーンの動揺を褪せ人は切って捨てる。この槍は神に対しては何の力も持たない。より狭く、より限定的な相手にしかその力を発揮する事はない。

 だからこそその真の力が発揮される時、この槍は必ず相手を屠る。

 

「おのレ……! 来たれ、妾タちよ……!」

 

 その言葉と共にゴルゴーンの魔力が膨れ上がる。目の前の敵を縊り殺さんと、己の神たる所以を今ここに顕現させる。

 もとの躯の後ろから、さらに二柱——三身揃いの女神が現れる。

 

「手酷クやられタようダな、妾よ」

 

「物質界の塵芥風情ガ、妾に傷を付ケるトは……!」

 

 亜神ゴルゴーン。それは三身にして一なる神。三姉妹にして一つの女神である。

 

「不意を撃っタ程度で良イ気にナラない事だ! 妾の呪毒で嬲リ殺しにシてくレる!!」

 

 怒れる蛇神達を前にして、褪せ人が揺らぐ事はない。再び大蛇狩りを構え、ただ冷静に討つべき相手を見据えるのみ。

 

「死ね……塵芥メ!!」

 

 ゴルゴーンが蛇の下半身をくねらせながら、褪せ人へと猛進する。その巨体と亜神としての身体能力の高さも相まって、見た目以上にその動きは速い。

 

「……!」

 

 接近するゴルゴーンの一体に対し、褪せ人は大蛇狩りを振るう。光の刃が形を成し、未だ距離のあるゴルゴーンの胸部を穿つ。

 

「ギャア!!」

 

 痛みに身を捩るゴルゴーンに、しかし褪せ人はその手を緩めない。大蛇狩りを引き戻すと、二度三度とゴルゴーンに向けて突き入れる。

 

「ギ……イィ!!」

 

 左胸、腹部、首元、次々と刺し貫かれた一体のゴルゴーンが声にならない悲鳴を上げる。そのいずれもが本来であれば致命傷にすらなり得ない。だが、刺し貫かれた傷は明らかに再生力が落ちていた。肉の縁が寄らない。蛇の血が光の縁で泡立ち、固まっては崩れた。

 

「貴様……ヨクも!!」

 

 苦痛に喘ぐゴルゴーンを見て別のゴルゴーンが激昂する。褪せ人が一体を相手している間に縮まった距離を、一気に詰めんと飛び掛かる。

 

「……」

 

 無論、褪せ人がそれを見逃す事はない。光の刃を纏った大蛇狩り、それを横薙ぎに一閃する。

 長大な刃の一薙ぎが、怒れる蛇神の胴を両断する。

 

「ガアアアァァ……!?」

 

 ズルリ、とゴルゴーンの上半身が崩れ落ちる。それでも尚、息絶える事なく再生を始める様は、ある意味で不死の亜神の名を冠するだけの事はあった。

 

「えげつねぇな……」

 

 天使達を相手取りながら、ゴルゴーンを全く寄せ付けない褪せ人の姿に、アトナテスが呟いた。

 

 亜神ゴルゴーン、それは決して弱い神ではない。ただ死なないだけの神が、銀腕のトラムを手駒になど出来るはずも無いのだ。

 

 不死の亜神たるゴルゴーンの武器は蛇の呪毒。それは、ただの毒とは一線を画す。ひとたび蝕まれればたちまちに動きを封じられ、やがて浴び続ければ石となる。

 そうなってしまえば最早どうしようもない。ゴルゴーンの気分次第で砕かれ、文字通り塵芥と化すだろう。

 

 神の毒、通常の手段では解毒すらままならないそれを武器に三体の不死の亜神が襲いかかるのだ。亜神ゴルゴーンがどれ程の脅威であるかは言うまでもなかった。

 

「そのゴルゴーンがまるで土俵に立たせてもらえてねぇ」

 

 事前に話は聞いていた。あの男が、グングニルに依らない対抗策を持ち合わせているという事。そしてそれは周りの者達を巻き込みかねないものであるという事。

 果たしてそれは事実であった。光の刃を纏った槍を前にして、ゴルゴーンが赤子同然にあしらわれている。

 

 それはひとえにあの槍の射程範囲が異常であるという事。巨体を持つゴルゴーンの間合いなどまるで問題になっていない。

 如何に神の毒が万物を侵すといえども、届かなければ話にもならない。

 

「おのレ……! オノレェェェ!!」

 

 幾重にも槍の一撃を受けたゴルゴーン達は満身創痍。対して褪せ人は一切の傷を負っていない。当然だ、これはもう戦いですらない。ゴルゴーンにとって不幸だったのは、大蛇狩りという不死の蛇を殺す為だけの武器を褪せ人が持ち合わせていたからに他ならない。

 

「認めルものカ……! 槍一本で、たかダか人間如キに妾が敗れルなどとォォ!!」

 

 怒れるゴルゴーン。その姿に亜神としての余裕など最早ありはしない。屈辱と怒りに塗れた目が、ただただ褪せ人を捉えて離さない。

 

「死ネ!! 貴様ダけはあの御方の為に生かシてはおけヌ!!」

 

 この男は間違いなく彼の神の計画の障害となる。ゴルゴーンは自身の矜持と忠義の双方でこの男を命に換えても殺さねばならないと決意を固める。

 

 三体のゴルゴーンが同時に褪せ人へと駆け出す。彼女が選んだのは捨て身の特攻。槍一本に対し、三身の内一体でも辿り着ければそれで良い。彼女に残された唯一の勝機であった。

 

「……」

 

 迫るゴルゴーンを見据え、褪せ人は大きく槍を引き戻すと構えを取る。大蛇狩りに再び光の刃が生じた。

 

「……!」

 

 そして、渾身の突きが放たれる。長き光の刃はゴルゴーンの一体に突き刺さり、その胴に巨大な風穴を開けてみせた。

 

「グアアアァァァ!!」

 

 今までとは比べ物にならない威力の突きに、ついにゴルゴーンが崩れ落ちる。光の粒子となって消えゆくそれは、ゴルゴーンがついに消滅した事を意味していた。

 しかし、これで終わりではない。褪せ人は突き刺した槍をそのまま腰だめに構え、渾身の突き上げを放つ。その先に居るのは、もう一体のゴルゴーン。

 

「認メナい!! 妾が、こんな……!」

 

 最期まで己の敗北を認めぬままに、2体目のゴルゴーンは大蛇狩りの一撃でその頭部を吹き飛ばされる。残された胴体が力無く崩れ、輝きとなって消滅する。

 

 残すは一体。最後のゴルゴーンは褪せ人の目前まで迫っていた。

 

「フシュシュ!! 妾の勝チだ!!」

 

 妹達を犠牲に、ついにゴルゴーンは褪せ人を自身の間合いにまで持ち込む事が出来た。

 最後のゴルゴーンも決して無傷ではない。身体のあちこちが崩壊しかけ、髪の蛇達も力無く横たわっている。だが、それでも目の前の相手に毒を吹きかけて仕舞えばそれだけでいとも容易く天秤は引き戻される。

 

「死ぬがイい! イレギュラー!!」

 

 眼前の褪せ人に対しゴルゴーンは勝利を確信する。しかし、褪せ人の目に焦りの色は見えなかった。

 ゴルゴーンに余裕があれば、その違和感に気付けただろう。だが、最早ゴルゴーンの目には勝利に対する愉悦しかありはしなかった。

 

「……ぁ?」

 

 褪せ人に対し、毒を吹きかけようとして、出来なかった。

 突然の脱力感。まるで自分の中の神の力がこそぎ落とされているような感覚。

 

 ただでさえ消耗していたゴルゴーンは、最早立つ事さえままならず天界の大地に手を突く。

 

 何が起きた。混乱するゴルゴーンの視界の隅で、鮮烈なまでの光が差し込む。

 思わず反射的にその光へとゴルゴーンは振り向いた。

 

「ア、あれハ……!!」

 

 その視線の先に居たのは、トラムを前に光り輝く槍を掲げた王子の姿であった。

 新たに打ち直されたグングニル。その神を殺す力は、かつてケラウノスから神の力を奪い去った頃のそれよりも遥かに弱体化している。しかし、それは出力を抑える事で、より汎用性に富んだ武器へと落とし込むことに成功した結果である。

 

「神殺しの槍だト……!?」

 

 グングニルから放たれる光、それは神の力を奪うまでには至らずとも、大きく弱体化させるもの。

 

 王子の目はただトラムだけを見ている。ゴルゴーンなど、まるで眼中にありはしない。

 つまり、ゴルゴーンはただ巻き込まれただけ。トラムとの戦いに、ついでの如く神殺しの光を浴びせられているのが現状であった。

 

「ソんな……馬鹿ナ……」

 

 何と滑稽、何と無様な終わりなのか。ゴルゴーンの矜持は、ここについに折られてしまった。

 項垂れたゴルゴーンに、褪せ人は無言で槍を振りかぶる。心折られたゴルゴーンに最早、抵抗など出来はしなかった。

 

 最期のゴルゴーンが光片となって空へと溶ける。

 不死の亜神。天界の住人達から恐れられた蛇神の女神達は呆気なくその命を散らす事になった。

 

 褪せ人は大蛇狩りを引き抜くと、静かに視線をもう一つの戦場へと向ける。

 己の役目は終わった。後はただ、もう一つの神と人の戦いを見守るだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 槍と拳がぶつかり合い、火花を散らす。褪せ人とゴルゴーンの一方的なまでのそれとは違い。王子とトラムの戦場は一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

「ハァッ!」

 

 トラムが槍の一撃を避け、自身の右腕、輝く銀腕を振るう。

 戦神にして軍神である彼女の一撃を、王子は後ろに跳ぶ事で回避する。

 

「流石はあの人の子孫、勘が良いのね!」

 

 自身の拳が避けられた事を賞賛しながら、畳み掛けるようにして銀腕による連撃が放たれる。

 

「……っ!」

 

 王子はその連撃を槍でいなしながら、苦しげに声を漏らした。

 銀腕を掲げし者、トラム。その力は神の座を降りてなお、戦神と呼ばれるに相応しいだけの力を有していた。

 

 その華奢な見た目には想像もつかない程に一撃は重く、舞うような動きは思わず見惚れてしまいそうになる程に鋭く、美しい。

 何よりも彼女の持つ銀腕の力、時を紡ぎ、力へと変えるそれが脅威であった。

 戦いが長引けば長引く程に、彼女の腕は輝きを増していく。長期戦はただただ彼女に味方するだけであった。

 

 それでも王子がこうして互角に渡り合えているのは、彼女自身に迷いがあるからだろう。

 

「フッ……!」

 

 剣が鈍ったその一瞬、王子はトラムの剣を弾き、槍をトラムに向けて突き入れる。

 

「甘いッ!」

 

 鋭い突きの一撃。しかし、トラムはそれを躱す事なく、自身の象徴たる銀腕で槍の一撃を受け止めてみせる。

 

「……ッ!」

 

 トラムの顔が僅かに歪む。それは、神殺しの槍を受け止めたが故。

 銀腕の拘束が緩んだ隙を、王子は見逃さなかった。素早く槍を引き戻すと、高速の連撃をトラムへと放つ。

 

「キャアッ!」

 

 堪らず後退するトラム。躱し切れず、数発を身体に受けてしまう。

 距離を取ったトラムに対し、王子は追撃を加える事はなかった。

 不思議そうに此方を見るトラムに、王子が口を開く。

 

「そろそろ意地を張るのはやめたらどうだ?」

 

「……」

 

 王子の言葉に、トラムは無言を貫いた。今更何を言っているのか。どの道自分には、他に取れる選択肢などありはしない。

 

「あれを見てもか?」

 

 王子がそう言って、ゴルゴーン達を指し示す。

 トラムは一瞬警戒し、罠の気配がない事を悟ると意識をもう一つの戦場へ向ける。

 

「嘘……」

 

 その視線の先、光の刃を振るう鎧の男を前に、ゴルゴーンがなす術もなく貫かれているのが映った。

 

「ゴルゴーンは不死の亜神よ、グングニルも無しにあそこまで……」

 

 目を疑うような光景である。しかし、現にそれは起きている。このまま続けばゴルゴーンは死に、都の民達の呪毒は解けるのだろう。今こうして、トラムが人類に刃を向ける理由はなくなる。

 

「だからもう——」

 

「——いいえ、もう後には退けないわ」

 

 王子の言葉をしかしトラムは拒絶する。銀腕を構え、トラムは王子に覚悟を決めた視線を向けて言い放つ。

 

「これはケジメなの。神でありながら、人類に刃を向けてしまった私へのケジメ」

 

 仲間に、守るべき者達に刃を向けておいて、今更どの口で仲間だなんだと言えるのだろうか。

 ゴルゴーンを殺してくれるのであれば、それで良い。民達は救われ、かつての仲間達も目的を達し、前へと進める。

 だが、その世界に自分の居場所は必要ない。

 

「——証明してみせる。私の孤独が正しかった(間違っていた)のだと!!」

 

「……本当に頭が固いな、貴方は!」

 

 迷いを捨てたトラムの宣言に、王子もまた正面から応える。

 分からないのならば、力尽くで分からせてやる。王子もまた、意地っ張りの戦神に対し、覚悟を決めた。

 

「応えなさい、リアファル!!」

 

「グングニルよ、俺に力を!!」

 

 互いに己の武器を解放する。

 トラムの銀腕がかつてない程の輝きを放ち、王子のグングニルもまた神殺しの光を放つ。

 この一撃こそが全てを決する。互いに言葉無く、自然とそれを悟っていた。

 

「ハアアァァァァッ!!」

 

 トラムが己の全てを銀腕に込める。己の象徴、いつだってこの拳で敵を打ち砕いてきた。文字通りの全身全霊で王子に向けて拳を放つ。

 

「オオォォォォッ!!」

 

 王子もまた、神殺しの槍の一撃をトラムに向けて放つ。避ける事など考えはしない。彼女の覚悟を正面から受け止め切ってみせると、そう決めていた。

 

 互いの全力。膨大な魔力が衝突し、光が辺りを包み込む。

 

「カハッ……!」

 

 膝をついたのはトラムの方であった。神殺しの槍は、戦神の一撃を見事打ち砕き、その身に確かに一撃を届かせた。

 

「何故……殺さないの?」

 

 だからこそ、己が生きている事に疑問を覚える。あの一撃は間違いなく己を滅ぼすのに十分な威力が籠っていた。それでも生きているのは、目の前の男が直前で力を抑えたからに他ならない。

 

 そんなトラムの疑問に、王子は呆れを滲ませながら笑った。

 

「——殺す理由がない。物質界を愛し、民の為に犠牲になろうとしている貴方を」

 

 ゴルゴーンを討つのも、神の楔を手に入れるのもついででしかない。王子がここに来た一番の目的は、そんな小さな事ではなかった。

 

「言ったはずだ。俺は、貴方を救いに来たのだと」

 

 膝をつき、ただ王子を見上げるトラムへと手を差し出す。

 

「——だから、俺の手を取れ。俺はもう、誰も見捨てるつもりはない」

 

 物質界も、天界も、その全てを救ってみせると、そう言っていた。

 

「……貴方は、あの人と同じことを言うのね」

 

 トラムの目には、かつての英雄王の面影が王子と重なって見えた。

 どこまでもお人好しで、だからこそ多くの仲間に支えられ、前に突き進む。

 英雄王の子孫もまた、その魂をしかと受け継いでいた。

 

「……お願い。助けて、王子。ずっと一人だった私と一緒に、戦って」

 

 涙を流し、そう絞り出すトラムに、王子は力強く頷いた。この戦いは、その一言を引き出す為だけのものだった。

 

 王子の手を、トラムの銀腕が掴む。

 瞬間、ピシリと何かが砕ける音がした。

 

「ゴルゴーンの契約の魔力が……」

 

 砕けたのはゴルゴーンによる服従の契約。本人が死に、契約そのものもまた、グングニルの力によって破壊された。

 これでもう、彼女を縛るものは何もありはしない。

 

「もう、悔いはない。迷いも、躊躇いも」

 

 トラムが顔を上げる。涙に濡れたその目には、しかしもう弱々しさは感じられない。

 

「これより、銀なる腕は人類と共にある。もう誰も見捨てない、私自身も諦めない!!」

 

 それは宣誓であった。千年戦争で英雄王と共にあった戦神は、今再び人類の味方となった。

 

 それを遠目に見るのはかつての仲間達。相手をしていた天使もラミア達も、二柱の神の敗北によって撤退を始めていた。

 収まるべきところに収まったトラムを見て、訳知り顔でアルコゥが鼻を鳴らす。

 

「フン、世話の焼ける」

 

「自分が黒焦げにした奴の隣で紅茶が飲める竜人様は言うことが違うな」

 

 アトナテスがそんなアルコゥに皮肉げに口を開く。トラムは少し頭が硬過ぎたが、それはそれとしてこの竜人の図々しさは凄まじかった。

 

「ほう、やる気か? アトナテス」

 

「事実だろうが」

 

 無関係なところで火花を散らす英傑達を他所に、アランもトラムの姿に安堵の息をつく。

 そして、この様子を隠れて見ているであろう者に鋭い視線を向けた。

 

「——いい加減、こそこそと陰謀を巡らせるのはやめたらどうです? それとも、ゴルゴーンを討つ者達の前には怖くて出てこれませんか?」

 

 虚空に向けてそう言い放つアランに、褪せ人は静かに武器を抜き放つ。

 

「——安い挑発だ。だが、そうまで言われては乗らぬ訳にもいかないか」

 

 直後、圧倒的なまでの存在感が場を支配する。天界の空が軋み、金属を引き裂くような音が響く。

 光が割れ、そこから降り立つのはくすんだ黄金の偉丈夫。

 

 ゴルゴーン達との勝利に緩んだ空気が、一瞬にして塗り潰される。

 ゴルゴーンなど、まるで比べものにならない程の神気。同じ亜神でこれ程の差があるのかと、そう思わせるもの。

 

 その姿に、アランもまた苦々しげに呟く。

 

「やはり貴方でしたか——亜神ディアス」

 

「久しいな、亜神アランよ。まさか貴様がそこまで直接的に人類の肩を持つとは意外であった」

 

 アランの言葉に、ディアスが口を開く。周囲の英傑達が武器を構えているにも関わらず。まるで視界に入っていない。文字通り眼中にないと言わんばかりの態度に、アトナテスが低い声で唸る。

 

「お前か、世界樹を魔物にしようとしている黒幕は」

 

 その言葉に、漸くアトナテスに気付いたとばかりにディアスが視線を向ける。

 その態度こそが、どこまでも此方を相手にしていない事を物語っていた。

 

「如何にも。世界樹の核、その魔物化は目前だ。じきに目覚め、地上の蹂躙を始めるだろう」

 

「……何がしたいのですか、貴方は」

 

 何でもないようにそう言い放つディアスに対し、トラムが鋭い目を向ける。

 答え次第ではこの場で戦う事も辞さない。そんなトラムの姿に、ディアスが口を開く。

 

「——物質界を創り替える」

 

「なッ……」

 

「世界樹によって滅んだ物質界を、幾千年の時をかけて創り直す。我が蒼空に相応しい調和の世界へと」

 

 それこそが亜神ディアスが世界樹を魔物化する目的。今の世界を、己の支配する世界に相応しいものへと創り直す。

 あまりのスケールと傲慢さに、トラムですら絶句していた。

 

「理解したか、矮小にして低俗なる創造神の被造物達よ。ならば立ち去れ、物質界にて、残り少ない平穏を享受するがいい」

 

 一方的に告げるディアスに対し、納得出来る者などこの場に一人も居るはずもなかった。

 

 斧槍を構え、アトナテスがディアスに向かって猛然と駆け出す。

 

「さっきから好き勝手言いやがって! ふざけるのもいい加減に——」

 

「——囀るな、塵芥が」

 

 ディアスへと斧槍の一撃が届く事なく、アトナテスの姿が消失する。

 一瞬にして、英傑の一人がなす術なく消された事に、王国の者達に動揺が走る。

 

「殺しはしない。塵芥といえど、余は人類を愛している。創造神の被造物たる貴様らを、直接手にかけるのは余の流儀に反する」

 

 その言葉と共に王国の者達の足元に転移の魔法陣が展開される。抗おうとする者も居たが、複雑で高度な術式は、打ち消す事すらかなわない。

 

「立ち去れ、物質界にて安穏と、偽りの平和を享受せよ」

 

 腕の一振り、ただそれだけで次々と仲間達が転移魔法に消えていく。

 その様を見ながら、王子は静かにディアスを睨み付ける。

 

「亜神ディアス。俺は、必ずお前を止めてみせる。天界も、物質界も、お前の好きにはさせない」

 

「——ほう、創造神の被造物にしては悪くない目をしている。だが、不愉快だ」

 

 王子を認識し、ディアスは僅かに笑みを浮かべる。しかし、すぐさま腕を振るい、王子を転移魔法にて消し去ってみせた。

 

「——さて、少し話をしようか。異界の英雄——狭間の地より来た王の一人よ」

 

 亜神ディアスが視線を向ける。

 唯一そこに残されたのは、褪せ人ただ一人であった。

 

「……」

 

 相手に戦う意志はない。武器の構えを解き、褪せ人は静かに相手の言葉を待つ。

 

「外なる神を討った事、大義であった。あれの来訪は、あそこで食い止めなければ物質界に新たな穢れが齎されただろう。それは、余の望むところではない」

 

 外なる神——狂い火の王はディアスにとってもこの世界から間違いなく排斥しなければならない異物であった。放っておけば、物質界に決して消えぬ傷痕を残したであろうそれは、しかしこの男の存在によって最小限で食い止められた。

 

「余は貴様を気に入っている。故に提案しよう——余の配下となれ、褪せ人よ」

 

 魔王との戦いに始まり、ヒュープ、そしてゴルゴーン。この男はそれら全てで結果を残した。

 何よりも、亜神ヒュープの夢に抗ったその強き意志は、ディアスにとって愛すべき一握りの人類であると、そう認めるに相応しいものだった。

 

 亜神ディアスの勧誘。しかし、褪せ人の答えは決まっていた。

 それを口に出そうとして、足元に魔法陣が展開されている事に気付く。

 

「答えを急ぐつもりはない。次に見えた時、聞かせてもらうとしよう。よくよく考える事だ」

 

 そう言い放つと、ディアスが腕を振るう。転移術に抗う術など、褪せ人にはありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 天界の景色から暗転し、次に褪せ人の眼前に広がったのは、一切の見覚えのない光景であった。

 何かの訓練施設だろうか、広い屋内に、無数の木人達が立ち並ぶ。それらは一様に傷だらけであり、かなり使い込まれている事が見て取れた。

 

 亜神ディアス、あれは一体己を何処に飛ばしたのか。意図的なのか、そうでないのか。その一切が不明であった。

 

 一先ず現状を確認しなければならない。一度外に出ようと褪せ人が出口へ向けて歩き出す。

 

「——カカカ、これはまた随分と風変わりな客人が来たのう」

 

 不意に背後から聞こえる声に、褪せ人は反射的に振り向いた。

 そこに居たのは、一人の若い娘。猫のような、珍妙な仮面を被っている。

 

「盗人……な訳はないのう。こんな山奥の道場に、取るものなどあるはずもなし」

 

 先程まで一切気配を感じさせず、この距離まで近付かれたという事実が、褪せ人に警戒を抱かせるのに十分であった。

 

「まぁ待て、見たところ迷い人だろう? 少し話をしようではないか」

 

 そう言って、娘は広場の一角を指し示す。

 休憩場なのだろう。椅子と机が置かれていた。

 

 敵意は無い。褪せ人は警戒を解くと、素直に娘の後についていく。

 そんな褪せ人に、娘は思い出したように振り向くと口を開く。

 

「あぁ、自己紹介がまだだったな。わらわは——そうだな、娘々仮面とでも呼んでくれ」

 

 まるで自己紹介になっていないそんな言葉と共に、娘々仮面は笑ってみせた。




若い娘(若くない)
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