「ほう、頼み事とな?」
「はい、どうか貴方たちのお力をお借りしたいのです」
そう言って女は頭を下げた。
水場で出会った風変わりな女を褪せ人が連れてくると、訝しげな顔を見せた彼女だが、どうやら話を聞く気になったらしい。
「私の名は……いえ、貴方たちに名を隠す意味はありませんね。私の名は太公望。命を受け、こうして下界に下った仙人です」
一瞬、名乗ることを逡巡し、しかし目の前の二人に名を隠す意味は無いと判断した太公望が己の身を明かす。
その名に覚えのあるロウユが目を細める。
「ほう、まさか神仙郷随一の策士とも名高い太公望殿とは」
「ふふ、武術界の頂点に立つ武王にまでこの名が届いているとは、光栄です」
褪せ人の知らぬことであるが、どうやら彼女は華の国でも有名な仙人の一人であるらしい。
その風変わりな装いも、連れ歩く奇妙な獣も仙人故のものだと合点がいった。
それでも釣り糸を垂らしていたのはよく分からなかったが。
「いえそれは……失敗してしまったので忘れていただけると」
『貴方という大物が釣れました』と言いたいがための下準備でしたなどととてもではないが言えたものではない。
白い肌を朱に染めた太公望が咳ばらいをすると、改めて口を開いた。
「貴方たちにお願いしたいのは、今現在邪仙達に占領されている我らが神仙郷──その奪還に力を貸していただきたいのです」
──神仙郷
華の国の仙人が住まう場所であり、正しき心を持つ仙人達が集い、日々道士達と共に修行を積む場な事である。
だが、今やそこは魔物の復活に乗じて侵攻をかけた邪仙郷の手に落ちてしまっていた。
「元始天尊様すら行方が分からなくなり、今や多くの仙人や道士達が邪仙側に寝返り、ないしは行方を晦ましてしまっています」
「……わらわが俗世を離れている間によもやそのようなことになっているとは」
太公望の語る華の国の現状にロウユが呻く。その表情には隠し切れない悔恨の念が滲んでいた。
「華王は国を放り出し、神仙郷も邪仙達の支配下に……ですが、何とか神仙郷を奪還する目処が立ち、こうして助力を請いに来た次第なのです」
華の国の現状を改めて聞き、悲惨なものだと褪せ人は思う。
王はなく、国を守護する者達もまた散り散りに。まるでどこかで聞いた話だった。
しかし、そんな荒れ果てた国にも何とか再起の希望を見出したのだと太公望は語る。
「今、十天君を筆頭とした邪仙達は華の国から東の国へとその侵略の目を向けているのです」
東の国。王国より海を挟んだ島国であり、カゴメ達の故郷である。華の国を荒らした邪仙郷の次なる野望の矛先が、かの国に向けられているのだという。
「東の国への侵略に戦力を割いている邪仙郷の守りは手薄です。華の国が落ち、最早敵はいないと油断しているその背中を突きます」
「なるほどのう……」
太公望の言葉にロウユは考え込む。
筋は通っている。今ここで邪仙達を攻めれば神仙郷の奪還、ひいては東の国から邪仙達を撤退させることにもつながるだろう。ロウユから見ても、攻めるなら好機であると、そう判断する事は理解出来た。
「私はこの機に乗じて攻めるための戦力を各地を巡り、かき集めてきました。『豪放遊侠』フーイェン、『土霊使い』シャオメイ、竜吉公主……」
彼女の口から語られる名は、いずれも華の国において名の知れた者達。彼女はこの千載一遇の好機をものにすべく、華の国の強者をまとめあげようとしていた。
「そして、最後に『武王』ロウユ殿……ですが、ここで嬉しい誤算がありました」
そう言って太公望は褪せ人へと向き直る。彼女の言う嬉しい誤算とは、まさに褪せ人の事であった。
「褪せ人殿、貴方の勇名は神仙郷にまで届いています。恐るべき魔王を討った王国の英雄達、その中の筆頭にして異界より来た戦士」
「ほう……」
太公望の言葉に、ロウユが褪せ人へと視線を向ける。初めて会った時から、只者ではないことは分かっていた。金光聖菩との戦いを見れば、それは一目瞭然。さぞや名のある戦士だろうと思ってみれば、今や時の人とも言うべき男とは。
「貴方がどういう事情で華の国を訪れたのかは存じません。ですが、これも奇縁。どうか、そのお力を貸していただきたいのです」
そう懇願する太公望に、褪せ人は逡巡する。現状、褪せ人の目的は王国に戻ることである。仮に、彼女たちに手を貸すとなれば相応に合流は遅れるだろう。
「わらわは構わん。もとよりそれが目的で山を下りたのでな」
考えを巡らせる褪せ人に先んじて、ロウユが己の意思を示す。
「腐敗した武術界に嫌気が差し、俗世を捨てた身ではあるが、少々気が変わった」
魔物の復活を聞いてなお俗世に戻るつもりもなかった彼女を変えたのは、一人の弟子であった。
魔物に虐げられた民を救うのだと幾度も弟子入りを志願するその姿に、若き日の己の姿が重なった。
それが、捨てたはずの俗世へ戻る決意のきっかけであった。
「国の危機にも動かず、さりとて至るべき境地にも達せなかった半端者。そんなわらわがまだ必要ならば、存分にこの武を使ってくれ、太公望殿」
「半端者などとんでもない。歓迎します、ロウユ殿」
華の国最強の武人を引き入れたことで太公望の目的は達した。後は、もう一人。
二人の視線が注がれる中、褪せ人は静かに口を開く。
「……良いだろう。どの道無視は出来ん」
褪せ人もまた、邪仙達との決戦に力を貸すことを決めた。
邪仙達の野望の矛先は王国にも向いている。万が一にでも東の国が邪仙達の手に落ちれば次なる標的となり得る可能性は大いにあった。ただでさえ王国は敵が多い。ここで後顧の憂いを断つことは無駄にはならない。
何より、この場で見捨てておめおめと王国に帰ったところで、あのお人好しは己を追い返すだろう。あるいは、そのままついてきて邪仙達との決戦に参加するなどと言い出しかねない。
「感謝します、褪せ人殿」
褪せ人の決断に太公望は深々と頭を下げた。もとより万全を期したこの戦いに、望外の戦力が加わったのだ。太公望から頬の力が抜け、柔らかな笑みが浮かぶ。
「では、夜明けとともに同志達の元へと発ちましょう。皆、貴方達を歓迎してくれるはずです」
そう言って、太公望は霊獣にもたれかかると眠ってしまった。
話し込んでいるうちにすっかり夜も更けこんでいたらしい。ロウユが横になるのを見て、褪せ人も篝火の前に腰かけると、火の弾ける音を聞きながら、静かに夜明けを待つのであった。
明朝、霊獣に跨る太公望の案内の元、褪せ人達は山を駆け、目的地を目指す。数日の旅路の果てに辿り着いたのは、寂れた廃城であった。
かつての姿は最早なく、無残に荒れ果てた姿をさらすそれは、華の国のあるがままを象徴するかのようであった。
「少々手狭ですが、身を隠すにはお誂え向きでしたので」
おおよそ仙人や名のある武侠の集まる場所ではないが、動きを悟られるわけにもいかない。そう考えれば、致し方ないことであった。
「おやおやぁ? 我らが軍師殿がまたぞろ何も言わずに出ていったかと思えば、また誰かを誑し込んできたみたいだ」
廃城へと歩む三人に対し、頭上から声が響く。どこか軽薄さを感じさせるその声は、しかし聞き覚えのあるもの。
「誑し込んだとは人聞きの悪い。ちゃんと正面からお願いしてきたのですよ」
「ほんとにー? 私は上等な酒と干し肉で釣った癖に」
「相手によって出方を変えるのは兵法の基本ですから」
軽口を叩きあう二人は、それなり以上に親しいらしい。最早崩れ、その意味を成していない城壁から声の主が飛び降りる。
以前、華の国にて十天君を相手に共闘した『暗天孤星』ジンレイが褪せ人の前に姿を現した。
ジンレイは褪せ人とロウユの二人を見て、意外とばかりに目を見開く。
「おっと、誰かと思えば意外な二人……いや本当にすごい組み合わせだ。接点なくない?」
「ちょいと縁があっての」
ジンレイとロウユもまた顔見知りらしい。随分と世間は狭いものである。或いは武術界における強者のつながりと考えれば、それ程に意外ということもないのかもしれないが。
「縁、ねぇ……」
ロウユの言葉に、ジンレイは何か言いたげににんまりと笑みを浮かべる。そんな彼女を見て、ロウユは片眉を上げた。
「何か言いたいことがあるのかの?」
「いやいやぁ? 俗世を捨てたーとか言ってのに中々隅に置けないなぁと思っただけだとも。そりゃね? 肉体は若いから? 実年齢の割にはそういった欲求を持て余すのは無理も──」
「──しぃっ!!」
「ゴッハァ!?」
調子よくロウユに語り掛けていたジンレイが吹き飛ばされる。褪せ人をしてその動きは全く見えなかった。恐らくは本気。自業自得である。
「が……っ! さ、鎖骨がっ……!」
「それを言うならそなたの門派は一子相伝、門外不出であろう。こうやって誰かと組むなどとどういう風の吹き回しだ?」
「え……!? 今この状態で続ける!?」
容赦ないロウユの一撃に悶えるジンレイ。このままでは悶え続けて話が続かないので祈祷で癒してやる。
立ち上がり、土埃を払いながらジンレイは気を取り直したように口を開く。
「ふぅ……もうその辺の縛りは継承が済んでなくなったよ。それに、華の国の一大事、そんな時に一緒に戦えませんだなんて言えないしねぇ」
そう言って口角を上げるジンレイの目には、義侠心以上に闘争への飢えがあった。
華の国を救いたいのは本当、だがそれ以上に十天君という強者への闘争心こそが彼女をここに導いた一番の原動力である。彼女以外にも、そう言った理由で集まった者は少なくない。
「さて、こんなところで立ち話ってのもなんだし中に入ろうか。皆も待ちかねてるだろうし」
そう言うとジンレイと太公望は廃城へと入っていく。褪せ人達も、その背に続いて歩いていくのであった。
廃城の広間。崩れ落ちた天井から月明かりが差し込んでいる。
太公望の言うように、そこには多くの者達が集まっていた。いずれも腕に覚えのある者達ばかり。太公望、ジンレイに続いて入ってきた褪せ人達に、値踏みするような視線が注がれる。
一部の者は、ロウユの姿を見て驚きに目を見開いていた。
「──ここに、新たな同志が加わりました」
太公望の言葉に、その場にいた全員の視線が集まる。手練れたちの、圧すら感じられる程の注目に、しかし二人はまるで動じた様子はない。
「一人はこの地でその名を知らぬ者は居ないでしょう。長く武術界から姿を消しながら、しかし未だ最強の名を欲しいままにする伝説の武人。『武王』ロウユ殿」
「大げさじゃのう」
恐らくは士気を上げるために意図したものなのだろうが、ロウユが素知らぬ様子で続ける太公望を胡乱な目で見遣る。
ロウユはぼやくも、やはり『武王』という称号は重い。その名を聞き、瞬く間に広間にざわめきが広がっていく。疑う者、納得する者、既に見知っていた者、反応は様々であった。
そして、そのざわめきは程なく収まる。皆が気付いた。もう一人、武王という華の国最強の後に名を呼ばれる者がまだいるということを。それは、太公望と並び立つ鎧の偉丈夫が武王に匹敵、或いは凌駕するのだと言葉なくそう言っているに等しい。
静まり返った広間に、太公望の声が響く。
「──そしてもう一人。彼女が華の国における伝説ならば、彼もまた新たな伝説でしょう。千年の時を経て甦った魔王。かつての英雄王ですら封印に留まったそれを殺し切った英雄達の一人、褪せ人殿」
「よっ! 魔王殺し~!」
無言を貫く褪せ人に、横合いからジンレイの茶々が入る。
魔王殺しなどと度々呼ばれるが、あれは決して己一人で滅ぼしたわけではない。三女神の後押し、神器の継承者達、そしてあの場にいた者達が総出でかかって漸く仕留めたに過ぎない。
持ち上げるのは好きにすればよいが、少しばかり落ち着かないというのが正直なところである。
「まぁ実際はどうとかはこういう時にあんまり関係ないからねぇ。私だって世間では完全無欠の正義の味方! みたいに言われててむず痒い時あるし」
そう言ってジンレイが褪せ人の肩を叩く。
『暗天孤星』という異名は決して本人が名乗ったわけではなく、その活躍が独り歩きした結果なのだという。見たい者を見る大衆達にとってみれば、実際の英雄がどうかなどと些細なものに過ぎない。
実際、太公望の『演出』はうまくいった。
「確かに傭兵だとは噂で聞き及んでいましたが……太公望先生も随分な大物を連れてこられましたね」
「いやーあれが魔王をぶっ殺した英雄の一人ですか。良いですねー、目的を果たすために戦ってたら強くなっちゃったタイプの人の匂いがします」
「どんな匂いよ」
口々に広間の者達が口を開く。魔王を殺した英雄達、彼らはいまや時の人である。特に華の国の武人達の間で、口に登らない日はなかった。
やれ王国の王子はそれほどに強いのか、白の皇帝とどちらが強いのか、そんな中で当然褪せ人の名も語られていた。
神器の継承者として知られる二人の王族に、ただ純粋な強さのみで並ぶように語られる。それこそが褪せ人の存在感を浮き彫りにしていた。
想像以上の強者達の登場に、広間のざわめきは一層広がっていく。やがて、太公望が掌を打ち鳴らした。再び静まり返る広間で太公望が口を開く。
「──時は来ました。今こそこの国を邪仙達の手から救い出す時です」
太公望の言葉に、広間に静かな熱が満ちた。雌伏の時は終わり、ここからが反撃の時。
「私達が向かうのは敵の本拠地、邪仙郷。そこで十天君や数多の邪仙を従える敵の首魁──通天教主を討ち取ります」
彼女が口にしたのは敵の本拠地を奇襲。あろうことか直接敵の総大将を討ち取ることだった。
「皆様の懸念は尤も、ですが東の国に戦力を割いている今、本陣の守りが手薄になっているのも事実。何より、私達には余裕がありません」
ここに猛者たちが集まっているとはいえ、今の邪仙達の率いる戦力全てを相手取るのは無謀。仮に一つ、二つの拠点を制圧したところですぐさま反撃されるのが目に見えている。
故に乾坤一擲。ただの一撃で相手を壊滅させることが必定だった。
「無論、口で言うほどに簡単ではないでしょう。十天君は間違いなく防衛に出てくるでしょうし、何より通天教主本人が十天君と比較してなお隔絶した力の持ち主です」
通天教主。欲望に忠実な十天君ですら付き従う最強の邪仙。その力は圧倒的であり、彼の振るう宝貝はまさに無双と言っても過言ではない。
「ですが、私はそのために猛者をかき集めたのです。各地で名を馳せた武人、賢者、そして神仙郷の仙人。私達ならば、通天教主を相手取っても遅れは取りません」
太公望が広間を見渡す。
最強の邪仙を相手にすると聞いてなお、怖気づくような者はここには居なかった。
「──ここが勝負所です。華の国の再興の為、どうか皆様のお力をお貸しいただきたい」
太公望の言葉に、返ってきたのは雄叫びであった。
広間が震えるほどのそれは、戦いに臨まんとする戦士達の闘志の表れ。
その夜、戦士達は盃を交わし、焚かれた火が夜空を照らていた。
ジンレイ鎖骨ノルマ達成