今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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魔界動乱

 褪せ人がゆっくりと剣を構える。肩口に剣を水平に向けるそれは、褪せ人の知る構えの中でも最も手に馴染む所作。

 握る剣は美しい青い刀身を持つ宝剣。華の国で通天教主を討った際に手に入れた四宝剣の遺された一振りである。

 

「……!」

 

 褪せ人が横薙ぎに剣を振るう。構えより振るわれるその一撃は、雷撃を纏っていた。天より落ちる落雷が扇状に広がり大地を穿つ。その様を見ながら、褪せ人は先程と同じように再び剣を構えた。

 

 今度は剣を振るわず、己の身の内にある気を剣へと流し込む。周囲の空気が歪み、褪せ人の身体を球状の防壁が包み込んだ。通天教主の有していた防壁、その再現である。

 

「構えを挟む事で天雷と防壁を使い分けるか……考えたな」

 

 褪せ人の背後で金光聖菩の感心したような声が聞こえる。今回、四宝剣を試すにあたり、相談を持ち掛けたのが彼女であった。

 四宝剣は特殊な武器であり、仙術に長じた者が握ってこそ本領を発揮する。この世界の仙術などまるで知らない褪せ人が四宝剣を使うには、最低限の『気』の使い方を学ぶ必要があった。

 

「とはいえ、下地は出来ておったからな。落葉派……だったか? 世界が違えど、少なからず重なる部分はあるらしい」

 

 金光聖菩の言うように、想定より早く形にはなった。落葉派の格闘術における『気』を褪せ人が習得していたのが大きい。

 とはいえ、褪せ人の振るう天雷は通天教主の持つそれと比べれば遠く及ばず、防壁に関してもごく短時間のみという制約付きではあるが。

 

「四宝剣の残骸で、それも腐っても邪仙の頂点の仙術を擬似的にとはいえ再現出来ているだけ上等だろう?」

 

 尤もな話である。永遠とも言える寿命を己を高める為に費やす仙人の術。それを短期間で習得出来たのは僥倖である。何より、褪せ人は仙人になるつもりはない。結局のところ、この宝剣も戦う為の手段の一つに過ぎないのだから。

 

「ふふふ、仙術も結局は戦いの道具……流石は私が愛した男、よく分かっている。ところで——」

 

 何が気に入ったのか、妖しげに笑う金光聖菩が褪せ人へと言葉を投げかける。

 

「仮にも私が教示したのだ。何か、対価が必要だと思わないか?」

 

「……対価か」

 

 確かに、彼女は邪仙ながらも優れた仙術の使い手である。その教えを受けておきながら、何の対価も無しとはいかないのはその通りだろう。

 後からそれを持ち掛けるのは不誠実な気はしたが、事前に確認しなかった此方にも落ち度が無いわけではない。

 

「何を支払えばいい」

 

「ふふ、そう大したものではない。そうだな……お前から少々気を貰えればそれで良いのだ」

 

 教える過程で使った気を補填したい。そこに少々の上乗せがあればそれで良い。そんな金光聖菩の言葉は随分と都合の良いものであった。

 

「……良いだろう。どうすればいい」

 

「ふふふ、話が早い男は好きだぞ」

 

 ——捕らえた。

 金光聖菩は気付かれぬように唇を舌で濡らす。この男は敵意や悪意には気付いても、それ以外にはどこまでも鈍感だ。だからこそ、こうして無防備を晒す。交渉事にも疎い。喰ってくれと言っているようなものだった。

 

「そうだな……ここでは少々気が引ける。私の部屋に来い」

 

 彼女の経験が告げる。この男はこう見えて情に流される性質だ。加えて、義理堅い。一度そうなった相手を無碍には出来ないし、求められれば断れなくなる。

 ほんの一時、抱かれてしまえばそれで良い。邪仙の技に耐えられる人間など居るはずも無し。その後は寧ろ向こうから『いや、抱かれたい』と言い出すようになる。

 

「……良いだろう」

 

「ふふ、そう警戒するな。後悔はさせないとも」

 

 自身が蜘蛛の巣に絡め取られた事などまるで気付かずに了承する褪せ人。そんな姿にすら金光聖菩は愛おしさを覚える。

 自身が極上の餌であるなどとは露とも思っていない。或いは、何かが起きても対処可能だという傲慢さすら感じさせる。だからこそ、その顔が歪む様を想像するのは胎の奥を疼かせるには十分だった。

 

「あぁ、待ちきれないな……色々と準備をと考えていたが、すぐにでも——」

 

 そう言って褪せ人の手を引こうとした金光聖菩の前に、何者かが割って入る。

 

「——生憎、この人を邪仙なんかの好きにさせるつもりはありませんから」

 

「……ほう?」

 

 金光聖菩がそれを見て笑みを浮かべる。その笑みが、見た目通りのそれではない事は明らかであった。

 褪せ人の腕を取り、金光聖菩に鋭い視線を向けているのはフーロンであった。

 あくまで冷静に、しかし有無を言わせぬ威圧感を放ちながら金光聖菩が告げる。

 

「そこをどけ、キョンシー。何の権利があって邪魔立てをする?」

 

「別に? 何も知らない相手を誑かす悪い邪仙から守ってあげてるだけですけど?」

 

 フーロンも負けてはいない。真なる竜や亜神に比べれば邪仙など可愛いものだとばかりに睨みつける。無意識に褪せ人の腕を抱き寄せる手が強くなっている事には本人も気付いていない。

 

 そんな光景に、褪せ人は以前にも似たような事があったなと何処か他人事のように思い出していた。どうやら、知らずに取り返しのつかない事をしようとしていたらしい。

 

「気を回復出来れば良いのだな」

 

「…………そうだ」

 

 褪せ人の問いに、長い沈黙の後金光聖菩が返す。色々な葛藤が彼女の中で行われていた事に気付くことなく、褪せ人は懐から昏紫の枝木を取り出した。たおやかに萎びたそれを、不思議そうにフーロンが見つめる。

 

「それは……?」

 

「副作用はあるが、気力の回復に役立つだろう」

 

 微睡の枝。昏紫の祈祷が施されたそれは、気力の回復効果が見込まれるものであった。ただし、副作用として強い眠気に襲われる為、使い所は限られてしまう。

 

「成程……して、その副作用の程は?」

 

 戦場の只中、褪せ人が気を強く持とうとも何の対策も無しに使用すれば意識を朦朧とさせる程と言えばその強力さが伺えるだろう。

 眠りの聖女に由来した逸品である。優しき眠りは昏く成熟し、抗いがたいものである。

 

 手渡された微睡の枝をしげしげと眺めた金光聖菩は、やがて何かを思いついたのか妖しげな笑みを浮かべてそれを懐にしまった。

 

「ふふ、ふふふふ……仕方ないからこれで手打ちにしてやろう」

 

「……取り敢えず、絶対にこの邪仙の前で気を抜かないでくださいね」

 

 どうやら、これはこれで余計な危険を抱え込んだらしい。もう一つ、同様の効果を見込めるものがあったのだが、あちらは輪をかけて貴重なのだ。手渡すには少々憚られた。

 

「まったく……あんまりホイホイと受け入れるのは良くないと思いますが」

 

「性分だ」

 

 フーロンの呆れたような視線に、端的に返す。こればかりはどうしようもない。基本的に、己は後手に回る生き方しか出来ないのだ。

 溜息をつくフーロンに、褪せ人が問い掛ける。

 

「魔界からの連絡は」

 

「ありませんね。ゲートも閉じられたままです」

 

 王国に帰還するなり、褪せ人は真っ先に魔界のゲートが繋げられた己の邸宅を目指した。しかし、本来アスバールの城館と繋がっている筈のそこは他ならぬアスバールの手で閉じられてしまっていたのだ。

 ユグドラシルという大敵を前に、守備の薄くなった王都の真ん中に魔界の門が開いている事が危険なのは明白であり、万一に備えて閉じたアスバールの判断は間違いではないだろう。

 だが、それ故に褪せ人が魔界へ渡る手段を失くしたのも事実。他のデーモン達も魔界へ出払っており、密林の魔界の門へと向かうにも入れ違いになる恐れがあった。

 王国も世界樹への遠征がそれなりに堪えており、すぐさま魔界へ出兵というわけにもいかない。

 結果として、待つ事しか出来ないのが褪せ人達の現状であった。

 

「心配ですか?」

 

「待つのは性に合わん」

 

 こうして武器を振るう事で気を紛らわせているが、待つしか出来ないというのは特に褪せ人にとっては苦痛であった。

 何より、言いようのない胸のざわつきを感じる。どうにも嫌な予感がしていた。

 

「——褪せ人くん!!」

 

 そんな事を考えていた褪せ人のもとに、タラニアが駆け寄ってくる。その表情から、何かがあった事は明白であった。

 

「何があった」

 

「ヤハールが戻ってきた。ただ、襲撃を受けたみたいで大怪我をしてる。イリスが応急処置をしてるけど……」

 

「了解した」

 

 四宝剣を懐にしまうと歩き出す。漸く事態が動き出した。だが、それが決して好ましいものではない事は明らかであった。

 

 

 

 

 

 

 病室へと足を運ぶと、ベッドに寝かされたヤハールが目に入った。どうやら、駆け付けた医官の治療を受けている最中のらしい。

 相当の深手らしい。ベッドは血が染み込み、赤く染まっている。イリスが横で癒しの奇跡をかけ続ける中、銀髪の女医官が縫合を進めていた。

 王国の一般兵士から『戦場の女神』、『慈愛の衛生兵』などと呼ばれ人気を集めている衛生兵だ。褪せ人も何度か世話になった事がある。

 傷口を見せれば随分と羨ましそうに眺めていたので、王国特有の変態だと思われる。戦場の女神などと上手く仮面を被ったものだ。

 

「一先ず縫合は完了しました。この出血量、デーモンでなければ死んでいましたね。よくここまで辿り着けたものです」

 

「ありがとうございます。王国軍の方でもお忙しいのに……」

 

「お互い様ですよ。それに、落ち着いた場所ならばこうして医官の治療の方が適切でしょうから」

 

 その後、幾つかの注意事項を説明すると、医官は立ち上がり、部屋の外へと歩き出す。

 去り際に、褪せ人へと近付くとそっと耳打ちをする。

 

「また傷が出来たら、見せてくださいね?」

 

「そ、その人の怪我は私が治しますから!」

 

「ふふ、残念です」

 

 イリスの焦ったような叫びにくすくすと笑うと、また様子を見に来るとだけ伝え、医官は今度こそ部屋を後にした。

 褪せ人がヤハールを見る。息はある。だが、随分と裂傷が酷いらしく、特に背中から斬られた傷が多い。逃げる時に受けたのだろう。恐らく、王国に何かを伝えに来たか。

 

「……王国へ連絡は」

 

「じきに使いが来るはずだよ」

 

 ならば、後は彼女が目覚めるのを待つのみ。

 部屋の壁に背を預けると、褪せ人は静かにその時を待つのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間程経っただろうか。ヤハールが目を覚ました。文字通り死に物狂いで逃げてきたのだろう。最初こそ混乱していたが、じきに落ち着き見せ始めた。

 

「何があった」

 

「最初は、天使の大軍が魔界に押し寄せてきたのが始まりよ……」

 

 世界樹の浄化作戦に物質界の戦力が集中する中、その混乱に乗じて天界の兵力が魔界へと進軍を開始した。

 その首謀者は天界の亜神ディアス。オリュンポス最上層に存在する創造神の遺構を乗っ取ったディアスは、今やあらゆる天使達をその支配下に置いていた。

 

「狙いは」

 

「分からない……けど、お嬢……アスバール様は魔王城じゃないかって言ってたわ。あそこは、魔界でも特に魔力が集まる所だから……」

 

 世界樹の災厄すら時間稼ぎに使い、何かを成そうとしている。アスバールはそこまで見抜き、世界樹浄化作戦から離れ、魔界の防衛を引き受けた。

 ダークエルフやオークの助力もあり、戦力としては申し分無かった。しかし、無尽蔵に投入される天使達の物量は圧倒的であった。

 デーモン達が持ち前の不死性をもって前線を維持するも、徐々に押し込められていく。だが、それでもまだ王国が援軍の準備を整えるまでは十分に保つと、そう踏んでいたのだ。

 

 ——あの戦乙女達がやってくるまでは。

 

「安寧者たち……どこの誰が名付けたのか分からないけど、そう呼ばれていたわ」

 

 ヤハールが不快げに顔を歪める。安寧などと、馬鹿馬鹿しい。あれが実際に行なっているのは、ただただ戦場に混沌を産み落とす事だった。

 

「天使もデーモンも、あれには関係なかった。魅了みたいなのを使って天使同士、デーモン同士を殺し合わせるのよ」

 

 戦乙女が舞い降りた戦場は辺り一面を血に染めて静寂が訪れる。彼女達がやってきた戦場は、天使達もその標的を変えざるを得なかった。或いは、その背後に座す亜神が最優先で排除しなければならないと判断したか。

 

「アスバール様が言ってたわ。あれは、前に戦った『狂い火の王』と同じ、外からの侵略者だって、絶対に倒さなければならない世界の敵だって……」

 

「そんな……」

 

 イリスが思わずこぼす。魔王城に現れた外なる神。あの狂気の具現の脅威は、ともすれば魔王にも迫るものだった。そんなものと同じであると亜神が判断し、不倶戴天の敵であると認めた存在が、再び現れたのだ。

 

「お願い……魔界を……お嬢を、助け……ぐっ!」

 

「落ち着いてください! まだ傷は塞がってませんから!」

 

 興奮し、身を起こそうとしたヤハールが痛みに顔を歪めるのをイリスが押し留める。

 褪せ人が思考を巡らせる。王国軍は再編成に時間がかかる。最終的に来てもらうことになるだろうが、それでも密林にある大門からになるだろう。これ以上待つわけにはいかなかった。

 褪せ人はヤハールへと視線を向ける。

 

「門を開けろ」

 

「ちょ、ちょっと! ヤハールはまだ——」

 

「——良いわよ」

 

 褪せ人の言葉を思わずタラニアが咎めるが、ヤハールが了承する。

 

「元々、貴方だけでも送るつもりだったし……多分、向こうもギリギリだから……」

 

 戦乙女に掻き回された戦場は混沌を極めていた。今はまだ、デーモンの将達のおかげで混乱は抑えられているが、限界は近い。

 何より、戦乙女の乱入で、天使達が退いたわけではないのだ。

 

「だけど、約束して」

 

 痛みを無視してゆっくりと立ち上がる。未だ震える足に、両側からイリスとタラニアに支えられながらも立ち上がる。

 もとよりこの女は、永きに渡って自らの主人を封印から解き放つ為に命を捧げようとしていたのだ。この程度、逆境ですらないだろう。

 褪せ人を、力の籠もった目で見つめる。

 

「お嬢を、絶対に助けて」

 

「約束しよう」

 

 ヤハールが魔界の門を作り出す。なけなしの魔力を絞り出して創られたそれは、酷く狭く、朧げなもの。

 

「アタシが最後に門を開いた場所に繋がってるわ。ひょっとしたら、アイツらがまだ居るかも知れない。東に抜ければ、私達の拠点があるはずよ」

 

「了解した」

 

 息の荒いヤハールを見て、これ以上門を維持させるのは酷であると判断した褪せ人は、すぐさま門を潜る。久方振りの魔界。その先にある戦場を求めて、再びその土を踏むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しく浴びていなかった魔界の瘴気は相変わらず重苦しいものであった。

 魔界の門を抜け、周囲を見渡す。どうやら、どこかの森らしい。

 

「うっ、やっぱり王子の神器が無いと魔界は辛いなぁ」

 

「慣れませんね……」

 

「……お前達も来たのか」

 

 声がした方を見れば、閉じかけのゲートの前にイリス、タラニア、フーロンの姿があった。

 

「流石にあんな話聞いて放っては置けないかな……何の準備もしてないけど」

 

「貴方一人で行かせると色々心配ですし……何の準備もしてませんが」

 

「ヤハールさんも気になったんですけど、自分の事は良いからと……何の準備も出来てませんけど」

 

 胡乱な目を向ける三人。半ばその場の勢いで門を開けさせた事に対する抗議であった。褪せ人からすれば、一人で行くつもりだったのだから仕方ない。

 だが、三者三様ではあるが、魔界の現状を良しとしていないのは共通していた。魔界の瘴気という負荷がある以上、彼女達の助力は素直にありがたいものであった。

 

「東へ向かう。土地勘はないから離れるな」

 

「そうですね。もしかしたら、ヤハールをあんな風にした奴らが居るかも知れませんし」

 

 フーロンとタラニアがそれぞれ武器を手に周囲を見渡す。イリスもまた、杖を強く握りしめた。

 

「——ふむ、ここが魔界か。成程な、確かに息苦しさを感じるな」

 

「だ、誰ですか!?」

 

 突如響いた声に、弾かれたようにイリスが振り向く。そこには、先程までまるで姿の無かった金光聖菩が興味深げに森を見回していた。

 

「いつの間に……」

 

「ふふふ、お前達が病室にいた頃からだ。隠形も中々のものだろう? まぁ、気付いていそうなのも居たが……」

 

 そう言って金光聖菩が褪せ人とタラニアへと視線を移す。純粋に傭兵としての歴が長い二人は、金光聖菩の気配には気付いていた。タラニアは流石にどこの誰なのかまでは分かっていなかったが、褪せ人が何も言わない以上、問題はないと判断していた。

 

「こんな面白い事、参加しない訳にはいくまい?」

 

「……余計な事はするな」

 

「ふふ、どうだろうな」

 

 揶揄うように笑う金光聖菩。とはいえ、戦闘に絡まなければあまり問題はないだろう。

 褪せ人は周囲から物音がしない事を改めて確認すると、静かに東へ向けて歩みを進めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 森の中は異様な静けさに満ちていた。野生動物の気配はなく、木々のざわめきすら聞こえない。魔界が侵攻されているなどと、俄かに信じ難い程であった。

 

「ちょっと不気味ですね……」

 

「そうですね。ヤハールを追ってきた者達はもう別のところへ行ったのでしょうか……」

 

 ただ土を踏み締める音だけが響く中、不安そうに呟くイリスとフーロン。対して、褪せ人とタラニア、金光聖菩の足取りに変わりはなかった。警戒していない訳ではないが、足を鈍らせてはかえって危険なのを知っているからだ。戦闘慣れしているかそうでないか、その差が可視化されていた。

 

「……」

 

「ほう……?」

 

 不意に、先頭を歩いていた褪せ人と金光聖菩が立ち止まる。遅れて気付いたタラニアがフーロンとイリスを手で制した。

 何かがあった。それを察したイリスは言葉なく視線でタラニアへと問い掛ける。その視線に、タラニアが言葉少なく返した。

 

「……血の匂いだ」

 

 微かに漂う血の匂い。静寂の森に現れた決定的な異変であった。褪せ人が駆け出し、それを追うようにして金光聖菩達が続く。

 匂いは次第に濃くなり、思わず咽せ返るような獣臭が漂い始める。戦場の匂い。酷く慣れ親しんだ不快感であった。

 

「誰かが戦ってる!」

 

 タラニアが叫ぶ。僅かに開けた森の中、月明かりが差し込むそこで叫び声と金属のぶつかり合う音が聞こえる。

 天使達だ。恐らくは魔界に侵攻を仕掛けている天使兵が何者かと戦っている。劣勢らしい。その表情に、余裕はない。

 

「くっ、何者なのです貴方達は!? 何故、我らが神の持ち物である天使を奪い取れるのですか!?」

 

 天使兵が半ば叫ぶように問うも、答えは返ってこない。相手にしているのは、同じ天使であった。天使が、その槍を別の天使へと突き立てる。

 

「つ、罪深き、神の愛を拒みし者よ……! ガッ……!?」

 

 本来、共に戦う仲間である筈の天使の槍に貫かれ、絶命する。その表情は理解出来ない化け物への恐怖で歪んでいた。

 天使兵を従え、悠然と歩みを進めるのは白い衣を身に纏い、黄金の槍を手にした戦乙女。

 

「ヒッ! く、来るな! このような事、我らが主がお赦しになるはずが——」

 

 怯え、気丈にもそう捲し立てる天使の喉元に、黄金の槍が突き立てられる。溢れる血が喉から抜ける空気で泡を立てながら漏れ出していく。思わず喉を押さえて塞ごうとするも、無駄な足掻きであった。

 どさりと、また一人天使が倒れる。地面に、鮮血が広がっていった。

 残された天使が武器を構えるも、明らかに腰が引けていた。本来、意思を弱められ、ただ主の言葉に従うだけの天使が、恐怖している。槍を握る手は震え、杖を取り落としそうになっていた。

 

「ば、化け物め! お前達のようなものが、この世に居ていいはずが……!」

 

 再び、黄金の槍が振るわれる。だが、今度はそれが天使達に突き立てられる事は無かった。

 天使達の前に褪せ人が割って入ると、その大盾で受け止める。甲高い衝突音が響き、槍が弾かれた。体勢を崩したその隙を、褪せ人は見逃さない。

 

 振るうは黒鉄の大槌。大地を抉りながら振り上げられたそれが戦乙女の胴を打ち据える。そして、追撃の黄金の光が戦乙女を吹き飛ばした。

 油断なく前を見据える褪せ人を、背後の天使兵達が戸惑ったように見つめる。

 

「あ、貴方達は……」

 

「色々あるけど、今は休戦といこう。あっちのやつを倒すのが優先でしょ?」

 

 狼狽える天使兵にタラニアがそう言うと魔法剣を引き抜く。敵の敵は味方。今は、より優先すべきものがいる。

 

 倒れ伏した戦乙女。しかし、すぐさま動き出すと、まるで糸に吊られたように起き上がる。見えない何かに引き上げられるようなそれは、不気味さを感じさせた。

 

 戦乙女が褪せ人へと視線を向ける。褪せ人を見た一瞬、敵意が強まったような気がした。戦乙女が静かに槍を構える。周囲の天使達も、褪せ人へと標的を移し変えた。

 

「ふふふ、やはり来て正解だった。退屈はしなさそうだな?」

 

 獰猛な笑みを浮かべる金光聖菩に言葉を返す事なく、大槌を構える。

 血の匂いが辺りに満ちる中、外なる裁定者達との最初の交戦が始まろうとしていた。




シトーちゃん可愛い
どっかで出したいですね……
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