今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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救いの旗手

 魔王城、玉座の間。

 かつて英雄達が魔王を討ち果たし、主を失くしたその部屋にディアスは居た。巨大な魔法陣を背に瞳を閉じ、黙して玉座に座す。

 

「……外が気になるようだな」

 

 不意に、ディアスが沈黙を破った。視線の先に居たのは、己の血を分けた子孫。落ち着きなく外を眺めてはうろうろと玉座の間を行き来するそれに、見兼ねたディアスが声を掛ける。

 

「そりゃ……気になるだろ。この感じはどう考えても普通じゃないぜ?」

 

 そう言うと女——アキレアは再び魔王城の外を見遣る。遠く魔界の空の向こう、その一角が赤く染まっていた。まるで血のようなその赤はどろりと空から滴り落ち、大地を汚す。雨の如く降り注ぎ、魔界の地を染め上げるそれは、徐々に広がりを見せていた。

 

「あれ、どう考えてもこの間の……外なる神だかと同じだろ」

 

 アキレアが思い出すのは黄色の炎。世界を焼き溶かす狂気の王の姿。思い出すだけでも身震いする。強者を尊ぶアキレアですら、あの時はただ排除する事しか考えられなかった。

 根本的に違うのだ。言うなれば、澄んだ池の中に汚泥を流し込むようなもの。一度許せば、二度と元の池には戻らなくなる。

 

「放っておいて良いのかよ?」

 

 アキレアがディアスに問う。このまま放置すればこの世界に消えない傷を残す。この男がそれを放置するとは思えなかった。

 そんなアキレアの問い掛けに、玉座に座したままディアスが答える。

 

「……一度、理解させる必要がある」

 

「あ?」

 

「この世界は、人の自由意志に任せるには敵が多過ぎるのだと」

 

 この世界の滅び。その要因はそこかしこに転がっている。外なる神達、創造神と争ったかつての破壊神、或いは——他ならぬ人類そのもの。

 自分達すら律する事の出来ぬ者達に、一体どうして世界を滅びから守れようか。

 

「人は過つ。故に諦めこそが人に許された感情なのだ」

 

「……アンタは間違えない、そう信じて良いんだな?」

 

 生半可な答えは許さない。そんな意思を込めた瞳を向けられ、しかしディアスがそれで狼狽える事はない。

 

「無論。神たる余は——過つ事はない」

 

 堂々とディアスは告げる。己は間違えない。一切の疑いを持たせる事なくそう言い切ってみせる。その姿は、悠久の時を経て、力を奪われてなお君臨し続けた神としての矜持があった。

 

「——行くがいい」

 

「あん?」

 

「行きたいのだろう? ならば、行くがいい」

 

 玉座に座ったまま、ディアスが告げる。それ程に外が気になるのならば、武器を取り、戦いに行けばいいと。

 

「それは……あんたの思惑からズレるんじゃないのか?」

 

「あれと相対した時点である程度は達成されている。どの道、あれは殺さねばならんのだ。早いか遅いかの違いでしかない」

 

 アキレアの疑問に、ディアスは然程気にした風でもなく言う。

 アキレアが己の槍を握り締める。そして、扉を乱暴に開くと、そのまま玉座の間を後にした。

 

「……何とも、愚かなものだ」

 

 ディアスは一人呟く。愚かだと言いながら、その目に嘲りの色はない。ただ、開かれた扉を見つめる。

 

「——お前は行かないのか?」

 

 不意にディアスが柱の影に視線を移す。そこに居たのは、ペルセナス。己の娘である、もう一人の英雄だった。

 

「うーん今回は良いかな。それよりも、聞きたい事があるし」

 

 ディアスに問われ、軽い調子でペルセナスが返す。アキレア程に猪突猛進な気質ではない彼女は、それ以上に自らの父に聞きたい事があったのだ。

 

「何か安寧者を放置する理由がしっくり来ないんだよねぇ」

 

 この神は人類に理解を求める事を必要としていない。一方的に、ただ神としての一方的な愛を人類に向けているだけである。なればこそ、アキレアに話した理由は、安寧者を野放しにする理由としてはどうにも乏しい。

 

「何か、アキレアちゃんに言ってない事があるんじゃないかな〜って」

 

「……」

 

 ペルセナスの言葉に、ディアスは長い沈黙の後、口を開いた。

 

「ふっ、どうやら余も少しばかり人類に感化されたらしい」

 

「へぇ?」

 

 ディアス自身も、ペルセナスに問われるまで自覚出来ていなかった。己の心の内、ほんの少し抱いたそれに。

 狂い火の王を下し、魔王を滅ぼし、世界樹の災厄すら退けた。人の意思は、ディアスの思惑とは裏腹に滅びの危機を覆し続けている。

 だからこそ——

 

「——期待している。外なる神すらも下し、或いは我が足元まで来るのではないか、と」

 

 もしそうなれば、認めざるを得ない。神として、己の矜持をかけて相手しなければならない敵であると。

 

「見せてみよ、創造神が世界を託した、人類の輝きというものを」

 

 玉座に座し、ディアスはただ空を見る。赤く染まったその空が、再び人の手で晴らされる事を。己の使命に相反したその期待を抱いている事に、ディアスは人知れず自嘲するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——空が赤く染まり、血の雨が降る。

 

 大地も、見渡す景色すら赤く塗り潰されていく。鉄錆の臭いが鼻を突く。血でぬかるんだ大地を踏み締める度に粘性を帯びた水音が鼓膜を撫でる。先程の魔界とはまるで別の世界。さながら世界そのものを書き換えているかの如き様相。

 

「何が……起きてるんですか……?」

 

 フーロンの問いに答えられる者は居ない。この世界の亜神も、褪せ人も、目の前の存在が何であるかなど知る由もない。

 分かっているのは、目の前の存在が決してこの世界で肯定されるようなものではないという事。

 

 安寧者の姿は変わり果てていた。白く、天使の如き姿は最早見る影もない。

 降り注ぐ血が彼女の身体を赤く染め、花弁のような鎧が全身を覆う。異常に伸びた首をだらりもたげさせ、砕けた額からとめどなく血が溢れ出す。

 

「ア……ガ……」

 

 気道に血が溜まっているのだろう。ごろごろとうがいのような唸り声を上げながら安寧者は立ち上がると、真っ直ぐに此方を見た。

 

「来るぞ」

 

 褪せ人が武器を構える。それに呼応するようにして、安寧者が黄金の武器をだらりと持ち上げた。

 

「キャアアアアァァァ!!」

 

 金切り声を上げながら、安寧者が走り出す。それまでの安寧者のような短距離転移ではない。血でぬかるんだ大地を踏み締め、長い首は固定されていないのか上下に揺らしながら此方へと迫る。

 

「ッ! ランページソードッ!!」

 

 その悍ましさに気圧されながらも、タラニアは魔法剣を振るう。雷の斬撃に、しかし安寧者の足は止まらない。

 

「ギギ……アアァァ」

 

 魔法剣をまともに受ける。斬撃が安寧者の腹を裂き、血が吹き出すも、猛然と駆けるその足が鈍る様子はない。

 

「化け物め……!」

 

 金光聖菩が錫杖を構え光弾を放つ。飛来するそれらを、やはり安寧者が避ける事はない。まともに受け、僅かに仰反るも、すぐさま唸り声と共に走り出す。

 

「砕け散れ!」

 

 渾身の光弾が安寧者の頭部へと命中。肉の潰れるような水音と共に、安寧者の頭部が破壊される。それでもジタバタと動きを止めなかったが、やがて膝を突き、崩れ落ちた。

 

「何だというのだ、これは……」

 

 金光聖菩が崩れ落ちた安寧者を見て呟く。その目に、これまで崩す事の無かった余裕は失われ、ただ戸惑いがあった。

 邪仙故に、あらゆる術には精通している。当然、キョンシーを始めとした、死者を動かす邪法とてこの世界には酷くありふれたもの。今更、死体が動く程度ならば狼狽える事はない。

 だが、これは違う。もっと冒涜的で、もっと悍ましいものである。得体の知れない深淵。それに覗き込まれたような怖気が、彼女の身体を駆け巡る。

 

「み、見てください! あれ!」

 

 イリスが震えた指で指し示す。血の海の中、先の安寧者と同様にゆっくりと身を起こす安寧者達。皆一様に頭部を割られ、脈動する種子が露出する。

 

 そして——

 

「——オゴ……アァァ……」

 

 先程頭を砕かれ、地に伏した安寧者が起きあがろうとしていた。砕かれた頭を、粘性の赤い血が寄り集まり、無理矢理に肉を繋ぎ合わせる。

 

「復活が早いわね……」

 

 アブグルントが呟く。常軌を逸した蘇生力。これまでの安寧者も異様なまでにしぶとかったが、今目の前にいるそれとは比べ物にならない。

 

「キャアアアアァァァ!!」

 

 耳障りな金切り声と共に、安寧者達が一斉に走り出す。血の雨に汚された大地を、悍ましき戦乙女が駆ける。それは、悪夢の光景であった。

 

「どうするんですか!? 一体、どうすれば……!?」

 

「迎え撃ちます! 皆さん、なるべく固まって互いをカバー出来るように! イリスさんは結界の準備を!」

 

「は、はい!」

 

 狼狽する一行に、アスバールが的確に指示を出す。あれが何なのか、どうすれば良いのかなど分かるはずもない。だが、それでもアスバールの声は混乱から立ち直らせる力があった。

 

 地獄が開かれる。

 恐れも痛みも知らず、猛然と駆ける安寧者達。狂ったような、悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げ、常軌を逸した動きで武器を振るう。

 

「この、いい加減に……倒れろ!」

 

 フーロンの天雷が安寧者の一人を穿つ。全身を走る雷に、安寧者はその身体を痙攣させる。だが、直ぐに立ち直るとフーロンへ向けて跳躍、黄金の槍が赤く染まり、血の刃と共に猛然と突きを放つ。

 

「下がれ」

 

「ッ! すみません!」

 

 褪せ人がフーロンを押し退け大盾を構える。無数の突きと血の刃の破片が大盾に衝突する。

 

「……!」

 

 褪せ人が顔を顰める。大盾を伝い、その身を侵すのは血の呪い。血の貴族や、その君主との戦いでその呪いには覚えがあった。発現すれば外傷に関わりなく出血し、その命を削るだろう。

 あまり攻撃を受けてはいられない。狂ったように突きを繰り返す安寧者に、その大盾を強引に叩きつける。

 

「ガァ……!」

 

 体勢を崩した安寧者に神狩りの剣を振るう。黒炎を纏った刃が安寧者の身体を袈裟斬りにし、その全身を焼き尽くす。崩れ落ちた安寧者。それが引き金となったのか、周囲の安寧者が突然苦しみだし、その場に這いつくばる。

 

「……ッ!? 今です! 安寧者達に攻撃を!」

 

 突然の好機、逃す手はない。アスバールの指示に、各々が目の前の安寧者に攻撃を加える。

 アブグルントが槍を突き立て、タラニアが魔法剣を振るう。しかし、その好機は長くは続かなかった。再び立ち上がる安寧者達。当然、殺したはずの個体も褪せ人の前で水音を立てながら起き上がる。

 

「……」

 

 褪せ人が目を細める。黒炎が効いていないわけではない。間違いなく目の前の安寧者は殺せているのだ。だが、それを何者かの意思が立ち上がらせている。

 

「……根比べか」

 

 此方が斃れるか、安寧者達の意思が潰えるか。この戦いはそういうものだと、褪せ人は悟る。

 ならば、殺し続けるのみであった。褪せ人はこと根比べで負けた事はないのだから。

 

「——ここだな! 祭りの場所は!」

 

 安寧者の一人に、どこからか飛来してきた槍が突き刺さる。胴を貫かれ、大地に縫いつけられた安寧者はそれでも身体を暴れさせてもがく。自身の身体が傷つく事など省みる事はない。

 

「ちっ、気持ち悪いなぁ! オラァ!」

 

 突き立てられた槍を乱暴に引き抜き、安寧者を斬り裂く。乱入者は、安寧者の返り血を浴びながら、ゆっくりと此方へと向き直る。

 乱入者は、かつて狂い火の王との戦いで共闘したアキレアであった。

 

「貴方は……」

 

「あの時ぶりだなぁ。あの時も魔王城に向かう途中だったっけ?」

 

 アスバールにそう言って笑いかけると、再び槍を構えて背を向ける。先程胴を斬り裂いた安寧者が、再び立ちあがろうとしていた。

 

「——俺も混ぜろよ! 俺の伝承に、コイツの名も加えてやる!」

 

 雄叫びと共に安寧者へと駆けるアキレア。円盾で防ぎ、槍を突き立てる。血を浴びて再び次の敵を求めて駆け出すその姿はまごう事なき神話に語られる英雄の姿。

 

 アスバールはそんなアキレアに何かを言おうとして、口を閉ざした。今は、少しでも戦力が多い方が良い。安寧者達がこの世界の敵なのは間違いないのだから。

 

 殺しては蘇り、また殺す。幾度となく繰り返すも、安寧者は立ち上がる。このまま、永遠に殺し合いを続ける事になるのではないかという不安が一行の中にもたげるも、それでも手を休める事はない。

 

「キャアアアアァァァ!!」

 

 そして、その時は訪れた。安寧者が金切り声を上げると、突然パシャリ、とまるで果実が弾けるようにしてその身を血に変え、消える。

 先程までの耳障りな叫び声が突如として止み、耳が痛い程の沈黙が訪れる。

 

「た、倒したのでしょうか……?」

 

「どうかしらね。その方がありがたいけれど……」

 

 フーロンの言葉に、疲れたようにアブグルントが答える。無事な者など居ない。全身を、最早自分のものなのか安寧者のものなのか分からないほどの血で染めている。魔力もこれ以上なく消費していた。

 

「……まだ終わっていないらしい」

 

 最初に気付いたのは褪せ人であった。大地が小刻みに揺れ、光の柱が立ち昇る。血の海が泡立ち、噴出し、血の柱が突き立つ。

 

「まだ何かあるというのか……!?」

 

 金光聖菩の慄きは、他の者達全ての代弁であった。

 光が強まり、やがて爆発する。眩い光が周囲を照らし、褪せ人達も思わず目を塞ぐ。

 

「何だ……これは……」

 

 褪せ人が呆然と呟く。光が収まった先、そこに立つのは巨大な異形であった。

 巨大な蛇、或いは蟲だろうか。無数の血と腐肉が寄り集まった赤黒い巨躯。頭部にあたる部分に安寧者達が寄り集まり、肉に埋もれている。蠢く肉の中、安寧者達の握っていた黄金の武器だけが神々しく輝いている。

 

「こんな……こんなものが神だって?」

 

 アキレアが呟く。あんなものが、この世界の外に居る神。だとすれば、世界の外というのはきっと、碌なものではないのだろう。少なくとも、目の前のそれを神だと崇める世界とは、決して分かり合えるとは思えなかった。

 

 安寧者達が動き出す。巨体を這わせ、血の海をまるで泳ぐようにして突き進む。その速度は、巨体からは想像も出来ない程に速い。

 

「くっ……! 全員散ってください!」

 

 アスバールの号令に、全員が散らばる。褪せ人はトレントに跨り、イリスを抱えると、安寧者から離れるように疾駆する。

 

「こんなのどうやって手を出すんです!?」

 

 フーロンが叫ぶ。ただ動くだけでも脅威な程の巨体。それが縦横無尽に這い回っているのだ。そう言いたくなるのも無理はない。

 

「忌々しい怪物め……!」

 

 這い回る安寧者を空中から見下ろしながら金光聖菩が呟く。金光陣によって己の分身を生み出しながら、光弾を安寧者へとぶつけていく。

 爆ぜる光弾が安寧者の肉を砕き、血飛沫を上げる。その光弾の雨が、安寧者身体にへばりついた肉の一つ、黄金の武器達が突き立てられたそれを砕いた。

 

「……アアァァ!!」

 

「ほう? あれか……」

 

 身悶えする安寧者。金光聖菩はそれを見逃さなかった。狙いを絞り、へばりついた肉腫目掛けて分身共々に攻撃を開始する。

 だが、安寧者もやられるばかりではない。金光聖菩へ向け、蛇行を繰り返して突進を繰り出す。

 

「馬鹿め、当たらぬわそんなもの!」

 

 空を飛び、安寧者の頭上で攻撃を繰り返す金光聖菩。一方的な攻撃、ただ地を這う巨大な肉塊は、自在に宙を舞う邪仙になす術もないかのように思えた。

 だが——

 

 ——安寧者が速度を上げる。迫る光弾などお構いなしに金光聖菩へと一目散に這い回る。

 そして、その巨体を深く血の海に沈めたかと思うと、水面から飛び出す魚のように跳躍した。

 

「なっ!?」

 

 予想だにしないそれに、金光聖菩が驚愕する。空を覆いつくさんばかりの巨体が、金光聖菩の真上に迫る。

 

「ちぃっ!」

 

 金光陣で生み出した分身が次々とその巨体にぶつかり、消えていくのを横目に、金光聖菩は全速力でその巨体から逃れるべく宙を駆ける。

 

「ガッハッ……!?」

 

 だが、間に合わない。潰される事だけは辛うじて避けるも、安寧者の身体は金光聖菩の背を強かに打ち付ける。

 圧倒的な質量の一撃に、金光聖菩はその意識を刈り取られ、墜落する。

 

「金光聖菩!?」

 

「……」

 

 タラニアが叫ぶ中、褪せ人はイリスをトレントから降ろすと、金光聖菩の下へと駆ける。

 

 再び地に立った安寧者。しかし、先程とは違い這いずる事なくただ褪せ人を睥睨するのみ。そして、巨体をゆっくりと赤い空に向けてもたげ始めた。

 

 赤い空を見上げ、安寧者は祈りを捧げる。見えざる神より、血の恩寵を。争い絶えぬ世界に、血に満ちた安寧を。

 

 ——安寧者の頭上、赤い蕾が花開く。

 

 それは祝福。この世界に、新たなる神の降臨を告げる安寧の福音。

 それは凶兆。この世界に、決して消えぬ傷を残す災厄の顕現。

 

「……!」

 

 褪せ人は金光聖菩を抱き抱え、すぐさま踵を返す。何が起きているのかは分からないが、今は出来る限り離れるしかない。

 

「褪せ人! 早くこっちに!」

 

 タラニアも駆け出しながら褪せ人へと振り返る。こうしている間にも、赤い蕾が少しずつその花弁を広げていくのが見えた。

 

 トレントを駆けさせ、褪せ人は背後から迫る血の呪いの気配を感じていた。

 尋常な気配ではない。まともに受ければただでは済まないだろう。当然、意識を失っている金光聖菩も。

 

「仕方あるまい」

 

 最早間に合わない。ならば、少しでも被害は減らすべき。褪せ人が抱えていた金光聖菩を渾身の力で投げ飛ばす。そして、褪せ人はトレントを霊体に戻すと、来るべき衝撃に備える。

 

 ——大輪の花が咲く。血の呪いが、辺り一面に拡散する。

 

「ゴフ……!」

 

 視界が赤く染まり、身体の至るところから傷が開かれ、血が流れ出ているのを感じる。絶え難き痛みと、急激な出血。さしもの褪せ人も、その場で膝をつく。

 

「褪せ人様!?」

 

 イリスが叫び、周囲の静止する声すら聞かず褪せ人の下へと駆け出す。

 遠く彼方の安寧者が、その巨体をくねらせたかと思うと血の海に溶けていくのが見えた。

 

「無事ですか! 私の声は聞こえて——」

 

「——問題……ない」

 

 イリスが褪せ人の頭を抱き抱えながら、癒しの奇跡を施す。鎧の隙間から流れ出る血の量は尋常なものではない。生きているのが不思議な程であった。

 

「不味いわね。またこっちに来てる」

 

 アブグルントが槍を手に彼方を見る。

 再び分裂した安寧者が、喉を裂くような叫びと共に此方へと駆けてくるのが見えた。

 

 褪せ人が立ち上がり、再び武器を構えようとする。しかし、出血が酷いのか、足元が覚束ない。

 

「む、無理ですよこんな状態では!」

 

「一度撤退……と言いたいところだけど、それも難しそうね」

 

 イリスの叫びに、アブグルントもまた同意しようとしたが、目の前の状況はそれを許さない。

 金光聖菩は倒れ、褪せ人も重傷。他の者達もこの長い戦いで決して無事ではない。

 

 祈祷で身体を癒し、未だ痛む身体に鞭打ちながら、褪せ人が剣を構える。そんな褪せ人に、アキレアが問う。

 

「……やれるんだな?」

 

「無論」

 

「ハッ! 上等だ。曾祖父さんが気に入ったのも分かるぜ」

 

 その答えに、アキレアも覚悟を決める。彼女とて、決して無事ではない。だが、ここまで来たなら最後まで付き合わねば戦士の名折れ。槍を構え、目前に迫る安寧者へと雄叫びと共に駆けていく。

 

「——ケラウノスの神器よ」

 

 安寧者達に、神の雷が放たれた。

 

「ギャ……!?」

 

 突然の雷撃は一撃だけではない。二度三度と連続して放たれ、安寧者達を襲う。

 

「星天よ、私に力を! アストロバースト!」

 

 動きを止めた安寧者に、流星が落ちる。圧倒的な質量を前に、安寧者は押し潰され、血煙となって消える。

 

「今のうちに褪せ人と金光聖菩に治療を」

 

「は、はい!」

 

 褪せ人を庇うように立つその背中からかけられた声に、イリスは弾かれたように癒しの奇跡を唱える。

 それは、もう一人の英雄。この世界に、あらゆる絶望を前に、諦めなかった人類の希望の姿。

 

「相変わらず傷だらけだな」

 

「遅かったじゃないか」

 

 苦笑いと共に振り向いた王子に、褪せ人もまた答える。

 目の前で、再び安寧者が血の海から這い出てくるのが見えた。

 

「あれが安寧者……安寧者……?」

 

 見るも悍ましい姿の安寧者に、王子が首を傾げる。あれを安寧者などと呼んだのは一体どこの誰なのだろうかと。

 

 立ち上がった安寧者が叫び声と共に駆け出してくる。血の呪いが付与された槍を、王子に向けて突き出す。だが、それは突然現れた白い壁によって阻まれる。

 

 赤い血の海に不似合いな白亜の壁に阻まれ、それでもなお前に進もうとする安寧者に、死氷の魔術が降り注ぐ。

 

「よくも! アタシを! 置いてきましたね褪せ人!」

 

「どうかご無理なさらず、私達も頼ってくださいね?」

 

 カゴメが安寧者を堰き止め、ヘリューズが魔術によって薙ぎ払う。二人の連携によって、再び安寧者がその数を減らす。

 それでもなお起き上がる安寧者。王子と褪せ人がそれぞれ武器を構える。

 

「さぁ——反撃開始といこうか!」

 

 血に塗れた神に、英雄達が相対する。安寧を望む意思を前にして、それでも彼らは剣を下ろす事はなかった。




ケラサンダー=マルチロック狙いすます雷撃
強い
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