今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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会話させたいキャラが多過ぎて困る。


誓い

 褪せ人が目を覚ますと、視界に天井が目に入った。

 果たして、横になって眠ったのはいつ振りだろうか。魔界での戦いは、流石の褪せ人も消耗を隠せるものではなかった。或いは、一度死んでしまったのも理由の一つかも知れない。

 

 普段あまり使う事はなかったが、寝具も上等なものを使っているだけに寝心地は悪くなかった。あまりこれに慣れるのは常在戦場が身に染み付いた褪せ人にとって好ましいものではないが、偶に使う分には構わないだろう。

 

「……?」

 

 身を起こそうとして、そこで漸く腕の重みに気が付いた。絡みつく体温と、柔らかな感触に、僅かに嫌な予感を抱きながら視線を動かす。

 

「——あら、もう目を覚ましてしまいましたか」

 

 囁くような声が褪せ人の耳をくすぐった。顔を動かせば、褪せ人の腕を抱き抱えて横になっているヘリューズの姿。薄着の寝巻き姿で此方に微笑みかける。

 

「珍しくぐっすりでしたね? えへぇ、可愛らしい寝顔でした」

 

 ベッドに潜り込まれて気付かないとは、余程油断していたらしい。ベッドを軋ませながら身を起こし、ヘリューズへと問う。

 

「何故ここにいる」

 

「貴方が珍しくベッドで寝ていたので……チャンスだと思ったから?」

 

 小首を傾げるヘリューズ。あまりに無防備な姿に褪せ人が僅かに呆れを滲ませる。薄着で仮にも男の寝所に潜り込んだならば、相手が相手ならば何をされても文句は言えまい。或いは、此方を試しているのか。

 

 そんな褪せ人の言葉に、ヘリューズはキョトンとした顔を浮かべる。

 

「それはつまり……貴方でも多少はそういう気が起きるという事ですか?」

 

「……目が覚めたのならば腕を離せ」

 

 己が失言を自覚し、誤魔化すように褪せ人が口を開く。今この場では、何を言っても墓穴を掘る事になると気が付いたのだ。

 

「……?」

 

 そして、今度こそベッドに出ようとして、気付く。掛け布団が盛り上がっていた。位置的にヘリューズではないだろう。己を挟むようにして、ヘリューズとは反対側に誰かが潜り込んでいる。

 掛け布団を捲り、中を覗く。

 

「あ……」

 

「……」

 

 布団の中で気まずそうに此方に目を合わせる嵐雨と慈雨の神の姿があった。

 

「あ、あの……」

 

「……」

 

「お、お邪魔してます……えへへ」

 

 開き直ったのか、照れ臭そうに笑うアスバール。

 何とも言えない生温い空気。後に褪せ人を起こしにきたフーロンが目撃するまで、それは続いたのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいご身分ですね。亜神二人を寝室で侍らせて私に朝食まで作ってもらえるなんて」

 

 朝食をもそもそと食べながら、褪せ人を半目で睨むフーロン。幾らでも反論の余地はあったが、こういう時に面倒が勝って沈黙に逃げるのが褪せ人である。

 実際人聞きが悪いが、彼女視点ならそう捉えるのも無理はなかった。

 朝食の席に漂う重い空気に耐えかねたのか、ヘリューズがおずおずと口を開く。

 

「……一応、何の理由も無かった訳では無いんですよ? 彼の身体について色々と調べる必要はありましたから」

 

 正直、起きてからでも調べられるものなので、言い訳にもならないのだが、嘘でも無かった。

 身体の殆どが消し飛んだ上での蘇生が可能な力。そんなものを人が宿せばどうなるかなどまるで未知であった。

 

「結果としては身体に異常は見つかりませんでした。少なくとも私の分かる範疇ではですけど」

 

 魔導の神としての側面もある彼女が調べた結果、褪せ人の身体は至って問題は無かった。アンデッドになった訳でも、ましてや神になった訳でもない。いっそ不気味なまでに異常は見当たらなかった。

 

「一先ずは問題無いとは思いますが……あまり軽々に使うものでは無いでしょう」

 

「……」

 

 ヘリューズからの忠告に、褪せ人は沈黙を貫いた。彼女の言わんとしている事は理解できる。だが、仮にこの力が必要な時が来るならば、己は躊躇う事は無いだろう。

 そんな意図を察したのか。フーロンもヘリューズも溜息をつく。

 

「はぁ……その場凌ぎの嘘をつかないのは立派ではありますが……」

 

 此方としては堪ったものではない。憎からず想っている相手の死など一度たりとも見たいものではないのだから。

 故に、彼女達に出来るのは褪せ人が無茶をする必要がないように手を尽くす事だけ。改めてそう内心で誓いながら、ヘリューズは口を開く。

 

「……という訳でですね、何も理由なくベッドに潜り込んだ訳では無いんですよ? そうですよね、アスバール?」

 

「うっ……」

 

 話を戻し、ヘリューズはアスバールへと視線を向ける。取り敢えず話を合わせろ。そういう意図がヘリューズにはあった。だが、それを受けたアスバールは目を泳がせる。長い沈黙の後、やがて観念したように口を開いた。

 

「私は……自分の欲望に従って……彼のベッドに潜り込みました……!」

 

「ええ……」

 

 血を吐くような声で白状するアスバールに、ヘリューズは思わず声を上げる。そこは話を合わせるべきではないか。そんなヘリューズの呆れた声も聞かず、顔を朱に染めてアスバールは弁明する。

 

「だ、だって仕方ないじゃないですか! 目の前で彼が死んだと思って、それでも世界の為に必死に抑えて覚悟を決めたら突然生き返って!」

 

 戦いが終わり、戦後処理も程々にヤハール達から休むように言われたアスバール。

 夜に一人、漸く気持ちを落ち着かせる事が出来たと同時に、唐突に不安が押し寄せたのだ。彼は、果たして本当に生き返ったのだろうかと。自分は、ただ都合の良い夢を見ていただけなのではないかと。そう考えてしまうと、身体は言う事を聞かなかった。

 

「それで、彼の寝顔を見て漸く安心出来て……それで……」

 

 漸く自分の疲れを自覚して思わず潜り込んでしまった。そう自白したアスバールへの二人の態度は実に生温いものだった。

 

「あざとい」

 

「これが1000年以上生きた亜神の磨き上げたあざとさですか……」

 

「酷い!」

 

 重い空気は払われたが、一気に姦しくなった三人に対し、居心地が悪いのが褪せ人である。朝食を口に運びながら、ふと窓から庭を見遣る。

 カゴメが何やらアルコゥと特訓しているのが目に移った。

 

「本当に良いんだな?」

 

「勿論! 遠慮なくぶち込んで来てください!」

 

 カゴメの言葉に、アルコゥは手に持った大斧を振るう。見たところほぼ手加減はない。聳え立つ白亜の壁に、力強い斧の一撃が放たれた。英傑、それも真なる竜の一撃である。その一撃は白亜の壁にヒビを入れ、邸宅を揺らす。カゴメは僅かに顔を歪めるも、しかし壁はアルコゥの一撃に耐えてみせた。

 

「ぐっ、まだまだ! 目標はディアスの鎌! あれを受け止められるようになるまで頑張りますよー!!」

 

「ほう、アダマスの鎌を受け止めるだと? あれは神の権能故に無謀だと思うが」

 

 ディアスの持つアダマスの鎌。万物を断つ絶対の権能を、あろうことかこの妖怪は受け止めるつもりなのだという。

 そんなアルコゥの言葉に、しかしカゴメは退くつもりはない。

 

「言い訳無用! それで褪せ人が死ななくなる訳じゃありませんから! 褪せ人が不可能を可能にしたんです! なら私だって頑張らないと!」

 

 頑張れば生き返る人間が居るのだ。ならば、頑張れば絶対破壊の鎌を受け止めるぬりかべが居たって良い。そういうことだった。

 

「ほう……」

 

 アルコゥが思わず感心したように声を上げる。褪せ人の周りをちょろちょろしている妖怪だと思っていたが、実に悪くない。

 聞けば、彼女は別にディアスの戦いで何もしていなかった訳ではない。安寧者達との戦いで疲弊した仲間達をディアスの魔力から庇い、爆発からも守っていた。

 その上で、更に褪せ人まで守ろうというのだ。

 

「ふっ、ならば我も応えてやらねばなるまい。真なる竜の息吹、果たして耐えられるか……!」

 

「ばっちこーい! 無限に! 頑張りますよ!!」

 

 何やら白熱し始めた二人。アルコゥが竜の姿になった辺りで、流石に気付いたのか、ヘリューズ達も庭を見る。

 

「……これ、庭が吹き飛びませんか?」

 

「……」

 

 フーロンの言葉に渋々に褪せ人が立ち上がる。あまり騒ぎを起こされても困る。あまり使わないとはいえ、ここはそれなりに気に入っているのだ。

 当然、それでカゴメが止まるはずもなく、振り切ったテンションのカゴメに昼過ぎまで付き合わされる褪せ人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来てくれた……何か妙に疲れてるな?」

 

 王城の執務室にやってきた褪せ人を見て、王子は思わずそう言葉を投げた。

 そう見えているのならば、恐らくそれは正しい。カゴメの特訓に付き合わされ、ヘソを曲げたフーロンの相手をし、王城に用があると体よく抜け出したのが今である。

 

 執務室には、どうやら先客が居たらしい。王子から離れ、壁を背にして窓から外を見ていたのは、金光聖菩であった。

 褪せ人が入ってきたのを知ると、窓から視線を外し、此方を見遣る。常に不適な笑みを浮かべていた彼女には珍しく、どこか余裕のない、憂いの帯びた表情だった。

 

「お前を待っていたらしい」

 

「何……」

 

 用があったのは王子にではなく、褪せ人にらしい。執務室に来るのを知って、待ち構えていたのだという。金光聖菩が褪せ人を見て、一瞬迷ったように視線を彷徨わせると、やがて褪せ人へと問いを投げた。

 

「……あの時、何故私を庇った?」

 

「何のことだ」

 

 褪せ人の言葉に、金光聖菩は苛立たしげに眉根を寄せる。

 

「惚けるな。安寧者との戦いで、私が気を失った時だ」

 

 そこまで言われ、褪せ人は漸く思い出した。安寧者の一撃を受け昏倒した金光聖菩。それを担ぎ上げ、血の呪いから逃したあの事を言っているのだろう。

 褪せ人が思い出したのを確認し、金光聖菩が再び口を開く。

 

「……何故、庇った? お前に、私を身を挺して庇う理由などありはしないだろう」

 

 彼女自身、褪せ人に対して一方的に絡んでいる関係性なのは理解していた。だからこそ、解せない。あの場で倒れた弱者など、捨て置けば良かったのだ。

 

 なにより——

 

「——あの時私を庇わなければ、お前は死ぬ事はなかったのではないか?」

 

 血の呪いを受け、瀕死の重傷を負った褪せ人。それさえ無ければ、ディアスの一撃にも耐えたのではないか。彼女が気にしていたのは結局のところそれだった。弱者である己が、強者である褪せ人の足を引っ張った。彼女はそう考えているのだ。

 だが、それを聞いた褪せ人は首を振る。

 

「……あの時の傷は癒えていたし、ディアスの一撃は万全であったとしても十分に死に至る一撃だった」

 

 後に聞けば、上半身を吹き飛ばす程の一撃だったらしい。ならば、万全かどうかなど些細な問題でしかない。彼女の結果論は、ただの杞憂でしかない。

 

「だとしても……!」

 

 尚も食い下がろうとする金光聖菩。感情こそ昂っているが、その姿に覇気はない。道に惑う童のようだと、褪せ人は感じた。

 

 実際彼女自身、感情に整理を付けられていない。己が強さに拘る理由を、思い出してしまったからだ。

 

 褪せ人に庇われた時、母を思い出した。弱く幼い己を守る為に、下卑た貴族に身を捧げるしかなかった母を。

 

「強く在らねば……私は……!」

 

 彼女の求道の原点とは、弱さへの逃避である。強くなければ、喰われる。強くなければ、大切なものがこぼれ落ちてしまう。

 褪せ人に庇われたと知った時、情けない己への怒りと、ほんの僅かに安堵を感じた。

 何と浅ましい。あの時と変わらないではないか。弱き母が、己の為にあの家に残っているという事実に、己は愛されているのだと感じてしまったあの時と。

 そこまで考え、褪せ人と王子の方を見た。

 

「……無様を晒した。この借りは必ず返す」

 

 己が一人考えを巡らせていることに気付いたのだろう。金光聖菩は罰が悪そうにそう言うと、足早に執務室を去って行った。

 

「強く在る事と、弱さを見せない事は違うと思うんだけどな」

 

 執務室に残された王子が、扉を見ながらそう呟く。褪せ人は王子へと鋭い視線を向ける。

 

「何故それを言ってやらん」

 

「今言ったところで拗れるだろうし、彼女が欲しいのは俺からじゃないだろう」

 

 彼女が力を貸してくれるのは、ひとえに褪せ人という強者を認めたからだ。ならば、王子は外様でしかなく、彼女に踏み込める権利があるのは、この男しかあるまい。

 

「頼んだぞ」

 

「……私をここに呼んだ件を話せ」

 

 何故この男は、碌に対人関係のない己にフォローをさせようとしているのか。王子の言葉に、誤魔化すように褪せ人は本題を促す。

 

「今後の方針を伝えておこうと思ってな」

 

「オリュンポスに向かうのか」

 

 亜神ディアスはオリュンポスの最上階で待つと言っていた。つまり、複数層あるオリュンポスを攻略しなければならないということになる。

 第一層は既に褪せ人の手で攻略されている。向かうとすれば、二層からだが、果たして何層あるのだろうか。

 そう考える褪せ人だが、王子の口から出た言葉はオリュンポス攻略ではなかった。

 

「いや、オリュンポスへ行く前に物質界の諸問題を解決しておきたい。故にオリュンポス攻略の優先度は必然的に下がるだろう」

 

「何……?」

 

 予想とは異なった王子の言葉に、褪せ人が訝しむ。そんな褪せ人へ、王子は再び口を開いた。

 

「ディアスが待つと言った以上、少なくとも此方がオリュンポスへ登るまで、物質界に干渉する事はないだろう」

 

 ディアスは傲慢な神であるが、それ故に自身が言った事を違えはしない。あの神が待つと言った以上、此方の答えを見るまでは物質界に手出しする事はない。

 無論、それはいつまでも放置していて良い理由にはならないが、それでも猶予はある。それが亜神ディアスを知るトラムとアランの出した結論だった。

 

「ならば、どうする」

 

 オリュンポスを後回しにする事は理解出来た。ならば、解決すべき問題というのは果たして何なのか。

 

「——そこからは、私の口から説明させてもらって良いかしら?」

 

 褪せ人の問いに、王子ではなく別の方向から声が掛かった。褪せ人が視線を扉の方へと向ける。

 一体いつの間にそこに居たのだろうか、紫紺の髪に漆黒のドレス。纏う気配は亜神——それもヘリューズと同じ冥界のそれだ。そんな彼女に、褪せ人は見覚えがあった。

 

「異界の人間だろうから名乗ってあげる。冥界の亜神、死せる魂の管理者、ヘカティエよ。狂い火の王以来ね」

 

 かつて、狂い火の王との戦いにて共闘した亜神であった。ヘカティエは褪せ人の兜の奥を覗き込むようにして近寄ると、口を開く。

 

「ヘリューズが世話になってるみたいだけど……妙な気は起こさないように。彼女は距離感がおかしいけれど、神と人である事は自覚なさい」

 

「……無論」

 

 ヘカティエの忠告に、褪せ人が端的に答える。若干間があったのは、恐らくヘカティエ視点で手遅れな状況が起きていたからだ。少なくとも、褪せ人はそんなつもりが無いので問題はない。

 褪せ人の言葉に一瞬訝しんだヘカティエは、しかし嘘は言ってないと察したのだろう。褪せ人から離れ、本題を話し始める。

 

「結論から言うわ。近いうちに、白の帝国が戦争状態になる。相手は冥界の王、亜神ハイドース様率いる冥界の軍勢」

 

「……」

 

 褪せ人は無言でヘカティエに続きを促す。寝耳に水ではあった。天界ではなく、冥界。死せる魂の行き着く場所の王が、物質界に侵攻を企てているという。

 

「目的は」

 

「……分からないわ。ハイドース様は私に秘して何も言われなかったから」

 

 褪せ人の言葉に、ヘカティエは悲しげに目を伏せた。慈悲深き冥界の王。永きに渡り、死者の魂を管理し続けた彼女にとって、敬愛する上司だったのは間違いない。常に死者達を慈しみ、平穏を愛した。ディアスやポセイオスなど比べるべくもない。

 

「だけど変わってしまった。過剰なまでに冥界兵を創り、物質界で帝国の支配を疎む者達に叛逆の手引きをした。それすらも、私が自力で調べて漸く分かった事よ」

 

 最初は小さな違和感だった。問い掛けてもハイドースは曖昧にはぐらかすだけ。別に彼が冥界の管理に手を抜いたかと言うとわけではない。故に、調べ始めたのはほんの好奇心だったのだ。

 

「私も信じられなかったわ。だけど、冥界にあんなものまで招くなんて……」

 

「あんなものとは」

 

「……詳細は分からないわ。だけど、途轍もなく醜悪で恐ろしい何かよ。冥界の魂達が、ただそれが冥界に居るというだけで怯えている」

 

 冥界の奥底、ハイドースが隠そうとして尚抑えきれない腐臭と悪意。ヘリューズが冥界に居たままならば、早々に狂っていただろう。ヘカティエですら、耐えられる気がしなかった。冥界の魂達も彼女達程ではないが、感じ取り、恐怖しているのだ。

 これが決定打であった。冥界の王は隠す素振りすらなくなった。あれ程死者達の魂を慈しんでいた王は、居なくなったのだ。

 

「私は止めなくてはならない。死せる魂の安寧と、今を生きる物質界の命の為にも。だから、貴方達の手を借りに来たの」

 

 ヘカティエが語り終え、褪せ人は王子を見る。王子の答えは既に決まっているらしい。

 オリュンポスを登るにせよ、後顧の憂いは断つべきだろう。相手は亜神ディアスと同様に力ある亜神。帝国が万が一にも敗北した時、その矛先が何処へ向くのかは分からない。

 褪せ人はヘカティエへと視線を向ける。

 

「帝国は知っているのか」

 

「勿論、だけど知っているのは極一部の人間のみ。聞いたところによると、既に帝国内部でも工作の跡があったみたいね」

 

 恐らく皇帝とその配下であるレオナ辺りは知っていると見て良いだろう。だが、帝国内部に既に策謀の手が入っている以上、大きく動けない。

 皇帝の動かせる手が足りていないが故に、こうしてヘカティエは王国に働きかけているのだろう。

 

「王国は帝国が侵攻を受けた時点で迅速に動けるように準備を進めておく。お前はどうする?」

 

 今問われているのは、王国の一員として援軍に加わるか、一傭兵として帝国に雇われるかという事だろう。褪せ人がこの戦いに参加しないなどとは考えてすらいない。当然であった。

 褪せ人はしばし考えを巡らせ、やがて口を開いた。

 

「帝国へ行く」

 

 軍を動かせない帝国は、冥界軍の侵攻に初動は浮き足立つだろう。間違いなく厳しい戦いになる。己が必要とされるのは、間違いなくここだった。ただの一傭兵であれば、帝国に紛れても何の問題もない。

 褪せ人の考えに、王子も納得したのだろう。特に何を言うでもなく、頷いた。

 

「分かった。皇帝には此方の手で秘密裏に連絡しておく」

 

 その様子を見たヘカティエは魔力の霧となって消えていく。転移魔法だろう。褪せ人は王子が執務室に入ってきたアンナへと指示を出す様子を横目に見ながら、旅支度を整えるべく王城を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王城から邸宅までの帰り道、未だ落ち切っていない陽の光を浴びながら、褪せ人は一人歩く。

 

「褪せ人様?」

 

 帝国へ向かう準備について頭の中で考えを巡らせているところに、声を掛けられる。

 

「イリスか」

 

「はい、お帰りですか?」

 

「そうだ」

 

 イリスの問いに答えながら、歩みを進める。まるで歩幅が違う故に、横に並ぼうと小走りになる彼女を見て、褪せ人は歩く速度を少し落とした。

 しばらく無言で歩く。何か言いたげに口を開いては閉じるイリスに、褪せ人は待つ。

 

「あの……」

 

 漸く、おずおずと口を開いたイリスに、褪せ人は僅かに視線を向けると、言葉の続きを促す。

 

「約束して欲しい事があるんです」

 

 依頼でも命令でもない、約束。長い沈黙の末に出たささやかな言葉だった。

 

「……死なないで欲しいんです」

 

 絞り出すように出たその約束をイリスは言葉にするべきか最後まで悩んだ。それは、彼を縛る事になる、彼女のエゴでしかないものだからだ。

 

「褪せ人様が簡単に死んでも蘇る力を手に入れたのは知っています。ですが……私は貴方の死にこれ以上耐えられません」

 

 戦場など理不尽な死に溢れている。その言葉を真に理解したのは、褪せ人の死を眼前で見せつけられたからだ。

 どれ程に強くとも、戦場では死は平等に訪れる。そして気付くのだ。真っ先に死ぬのは、自分達を守る為に前に出る彼なのだと。今でも鮮明に思い出せる。身体の大半を消し飛ばされ、ただ灰の山と化した彼の姿を。

 

「無茶な事を言っているのは承知しています。ですが、どうか……」

 

 気付けばイリスは震え、涙が溢れていた。恐らく、褪せ人の手に入れた力を使えば、より多くを救える。よりたくさんの人を守れる。だが、それを彼女は自分のエゴだけでやめろと言っているのだ。

 

「……」

 

 立ち止まり、嗚咽混じりに泣くイリスに褪せ人は視線を合わせるように跪く。涙を拭おうとして、無骨で薄汚れたガントレットが目に入り、やめた。

 褪せ人は静かに口を開く。

 

「……その約束をするわけにはいかない」

 

「……!」

 

 イリスの肩が跳ねる。

 手に入れたこの力は、今後の神々の戦いで間違いなく使う事になるだろう。褪せ人は敵を侮るつもりはない。ディアスは強大な神であり、一介の戦士でしかない己がその刃を突き立てるには、持ち得る全てを使わなければならない。

 

「だが、一つ約束をしよう」

 

「え……?」

 

「可能な限り、私は足掻く。軽々に命を投げ捨てる事はないと、お前に誓おう」

 

 故に、褪せ人が出来る最大限の譲歩とはこれであった。戦いに勝つ為に、神を討つ為に必要ならばこの命を使い潰す心算である。だが、それ以外の手段があるならば、可能な限り足掻く。そういう誓いであった。

 正直に言えば、この誓いなどあってないようなものだ。褪せ人は必要であれば死を選ぶし、彼女にはそれが正しい判断かどうかなど分かりはしないのだから。だが、それでも褪せ人はその誓いを破るつもりはなかった。

 

 無言で返答を待つ褪せ人に、イリスが顔を上げる。

 

「約束、ですよ?」

 

「無論」

 

 泣き止んだイリスを見て、褪せ人は人知れず息を吐いた。自覚はなかったが、人に泣かれるのは苦手らしい。泣き叫ぶ竜の戦士を見ても、うるさい以上の感情は無かったのだが。

 

 褪せ人は立ち上がると歩みを進める。

 思いがけず結ばれた約束。使命とはまた異なったそれに、言いようのない感情を覚えながら、褪せ人はイリスと共に帰路につくのであった。




次回から帝国大戦
流石に第十陣とかやるとえらい事になるので短くしたい(願望)
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