——山岳地帯、帝国領外れ
褪せ人は、白の帝国軍と共に行軍を続けていた。行軍の列はそれ程長くはない。ヘカティエやヘリューズから冥界がどういう場所なのかを予め聞いているからだ。
選ばれたのは帝国と王国から選び抜かれた精鋭達。当然、王子や皇帝も戦列に加わっている。
「本当にこの先に冥界の門が?」
「えぇ、間違いなく。冥界軍の進軍してきた方角とも合致します」
フーロンの問いに答えたのは、ハイドースと同様に冥界の亜神であるヘリューズ。
冥界とは、そも物質界のどこからでも繋がってはいる。死者の魂は、冥界より現れる騎士達によって物質界から冥界へと導かれるからだ。だが、これ程に大規模な軍勢を送り込むとなると候補地は大きく絞られる。
冥界軍の進軍先から推測し、多くの死者が眠る場所となるとこの山岳地帯を超えた先の古戦場。
「当然、向こうも分かっているのよね?」
「だろうね。向こうが何もせず冥界へ通してくれるとは思えないよ」
アブグルントの言葉に、タラニアが頷く。此方の進軍は把握されている筈だ。物質界に残った戦力で死守してくると見て良いだろう。向こうとしても、冥界に乗り込まれる訳にはいかないのだから。
「んー、今物質界で動ける相手って……」
カゴメがそう言った矢先、褪せ人が立ち止まる。否、褪せ人だけではない。今ここに居るのは一騎当千の英傑達。たとえどれ程に息を潜めようとも、彼ら彼女らの目から逃れる事など出来はしない。
張り詰めた空気の中、白の皇帝は切り立った崖の上を見上げて告げる。
「出てくるがいい。隠れたところで、その闘気は隠せはしまい」
「ちっ、やはり一筋縄ではいかぬか! 者共、俺に続けぇ!」
崖の上から姿を現したのはオークとその中でも選りすぐりの戦士であるハイオーク達だ。もとより奇襲に拘るつもりもないのだろう。オーク達は雄叫びを上げながら崖を滑り降りてくる。
「ここが俺達の死に場所だ! 我らが王の為、我らが父祖の為の道を切り開く!」
「ウオオォォォ!!」
「やっぱり向こうも必死だね……!」
タラニアが自身の剣とアステールの薄羽を引き抜く。迫るオークに対し、まず振るったのは自身の剣だ。放たれる雷の斬撃は、オークの先陣を切り裂いていく。
「怯むな! 我らは死兵、その屍を踏み越えて行けぃ!」
だが、覚悟を決めたオークが止まる事はない。前を行くオーク達が斃れようとも、その屍を盾にし、踏み越え、次のオーク達が武器を振り翳す。
だが、そんなオーク達の前に広がるのは星の光、暗黒の星雲。
「爆ぜろ……『星雲』!」
暗黒の星々が爆ぜる。魔力の爆発がオーク達を襲い、吹き飛ばす。背後に居たオーク達も、突然吹き飛んできた前方のオークに巻き込まれる形で押し戻される。
「よし、これなら……!」
一連の動きにタラニアは手応えを感じる。アステールの薄羽を織り交ぜた自身の戦い方を確立していた。今の彼女は、遠距離から近距離まで、距離を選ばず戦えるオールラウンダーである。
「フハハ! やるではないか、そう来なくてはなぁ!」
続々と斃れる同胞達に、しかしかえって燃え上がるのがオーク達である。あるものは旗を振り仲間達の士気を高め、ある者は盾と武器を叩き付け戦場の喧騒を奏で始めた。
彼らは死兵。だがそこに悲壮感などありはしない。ただただ強者との戦いに飢え、名誉の死を望む生粋の狂戦士達である。
「本当に厄介ですね……!」
フーロンが竜鱗刀をオークに振るいながら呟く。覚悟を決めたオーク程、厄介なものはなかった。
だが、それでも英傑達は上をいく。オーク達を蹴散らしながらも、その進軍は止まらなかった。
着実に前へと進む中、戦場に一際大きな雄叫びが響き渡る。
「ウオオォォォ!! ロード! ロード!」
オークロードが崖の上から戦場を見下ろす。同胞達の死闘を見届け、そして己が戦うべき者を探す。
目的の相手を見つけ、再び咆哮。身の丈程の大剣を担ぐと、崖の上から飛び降りた。
向かう先に居たのは、頂に立つ者、アルコゥ。
「いと高き竜人よ! この再戦、受けてもらうぞ!」
「ふっ、全く面倒な奴に好かれたものだ」
振り下ろされる大剣を難なく斧で受け止め、アルコゥが笑う。オークロードもまた、獰猛な笑みを浮かべてみせた。
「——望み通り相手をしてやる。挑み、その牙を届かせてみせよ」
「応ッ!」
大剣を容易く弾くアルコゥに、しかしオークロードも一歩も退く様子はない。一撃がぶつかり合う度に轟音が鳴り響き、それを聞く程にオーク達もまた奮い立つ。
彼らは死兵。後に退くことを知らず、ただ狂奔するのみ。
「……!」
褪せ人もまた迫り来るオーク達に対処する。その姿は戦の熱にあてられて尚冷静だ。斬り伏せ、薙ぎ払い、砕く。大盾と、数多の武具を駆使して誰よりも多くの屍を築く。
そんな褪せ人が、不意にその場を飛び退いた。先程まで褪せ人が立っていた場所に火球が迫り、爆ぜる。それが魔術である事を悟り、その火球の先を見る。
そこに居たのは、獣人の女王。以前取り逃がした、爪牙の君主の姿。
「やっぱり、貴方は避けるのね」
リンクスの一撃を皮切りに、獣人達もまた戦場に殺到する。さしもの英傑達も、この援軍に緊張が走る。
「今度こそ、その首は私が貰うわ」
爪牙の魔術部隊を展開し、褪せ人を阻む。しかしそんなリンクスの威勢の良さとは裏腹に、その目には諦観が入り混じる。
「死ににきたか」
「……ただで死ぬつもりはないわ」
褪せ人が悟る。この娘もまた、死兵。同胞達を死線に駆り立てた責任を、己が死を以て取ろうとしている。
これ以上仲間を犠牲にせず、その上で誇りも勝ち取る。それこそが最後の王たる役目だと、彼女はそう信じているのだ。
「我は金獣の君主リンクス! その生き様、とくと刻みつけなさい!」
覚悟を決めたリンクスが名乗り、叫ぶ。最後まで王たらんとする獣人の少女に、褪せ人もまた大盾を構えて応じる。
リンクスの放つ魔法を、褪せ人が躱し、防ぐ。その間隙を狙う他の獣人やオーク達を薙ぎ払い、褪せ人はリンクスへと迫る。
「くっ……!」
迫り来る死の気配。やはり目の前の男は文字通り格が違うのだろう。果たして己の覚悟はこの男にどれ程通じるのか。
それでもリンクスは食い縛り、討つべき相手を見据える。そんなものは今更、分かりきった事だった。その上で彼女はこの男に挑んだのだから。
「まだ倒れる訳にはいかない……! 私は……まだ……!」
だが、力の差は無情だった。どれ程彼女が食い下がろうとも、既に一度戦った相手。手の内を知られてしまった彼女では埋め難い差があった。
此方の詠唱と動きを見て、まるで未来を見ているかのようにこの男は躱す。彼女にとって最善の指揮で兵を向ければそれも容易く読んでみせる。
彼女はどこまでいっても王。隔絶した個人を相手に、なす術などありはしなかった。
故に——
「はぁ……はぁ……」
「……」
膝をつき、息も絶え絶えの彼女を褪せ人が見下ろす。褪せ人も決して無傷ではない。魔法を掠めた鎧が焼かれ、獣人の爪が肉を裂いた。だが、それだけだ。致命にはならず、癒しの奇跡で容易く治る程度のもの。
「……殺しなさい。もとより生きて帰れるとは思っていないわ」
俯き、しかし確かな覚悟でリンクスが告げる。魔導部隊の獣人が、倒れ伏した身を必死に起こして何事かを口にしようとしたが、彼女達もとうに限界を迎え、僅かに身じろぎするのが精一杯だった。言葉にならず、ただ血反吐と空気が抜けるのみ。
褪せ人が剣を振り上げる。彼女の首を落とせば、王を失った獣人達は足を止めざるを得ない。
「……」
喧騒の中、ガチャリ、と剣を構える音が不思議と大きく聞こえた。躊躇いはない。半端な慈悲は彼女を苦しめ、覚悟を侮辱する事になる。褪せ人の握る剣が振り下ろされる。
「……!」
リンクスが瞳を閉じる。風を切る音と、何か硬いものにぶつかったような音が響く。
だが、いつまで経ってもその時は訪れなかった。
「え……?」
リンクスが恐る恐る目を開ける。誰かがリンクスの上に覆い被さっていた。屈強な筋肉の鎧、雄々しき鬣、威風堂々とした強者の目。それは、彼女にとっての憧れの勇者であり、獣人を見捨て、人と手を取り合った裏切り者——ガオレオンの姿であった。
「チャンピオン……!?」
「うむッ! ……何とか間に合ったようだな」
ガオレオンがゆっくりと身を起こす。その背は、褪せ人の剣を受けた傷が刻まれている。背から流れる血に僅かに眉を顰めながら、ガオレオンが口を開く。
「この娘は、我が後悔の残滓である。ここから先は、我が受け持とう」
「……好きにしろ」
有無を言わさぬガオレオンの言葉に、褪せ人が剣を収める。獣人が降伏するという結果が変わらなければ別に彼女の生き死にはどうでもいい。それに、ガオレオンに手を回したお人好しが誰なのかも、大方予想もつく。
興味を失ったようにその場を後にする褪せ人から、ガオレオンが今にも泣きそうなリンクスへと向き直る。
「わ、私は……獣人達の……誇りを……」
「全く、そんな泣き顔で何が戦士か」
ガオレオンを拒絶するように後ずさるリンクスに、ガオレオンは尚も一歩踏み込む。リンクスの身体は、ガオレオンの身体に比して酷く小さく頼りない。だが、そんな小さな身体で、彼女は獣人達の命と誇りを背負い戦ってきた。
「私は……貴方に認めて欲しかった……! 貴方に、故郷を守る為に立ち上がった戦士であると……!」
「うむッ! 実に見事な戦いぶりであったッ! 白の帝国と、あの男を相手取ったお前は間違いなく戦士であるッ!」
ガオレオンが力強く肯定する。慰めではない。ガオレオンは白の帝国の強大さも、褪せ人という男の強さも知っている。そんな彼らを相手に一歩も退かない彼女達は、間違いなく戦士だった。
「だが、それは自分達の戦いでもある。我ら獣人は、己の為でなく、誰かの為に戦える強さを持っているはずだ」
ガオレオンはいつだって何処かのちびっこの為に戦っていた。故に、これは傲慢だ。ガオレオンは同じ獣人達に、己と同じような強さを身につけよと、そう言っているのだから。
「それでも立ち上がらんとするならば、リンクスよ、そしてその兵達よ、貴様らは我が最高の同胞であるッ!!」
ガオレオンが告げる。たとえ己の傲慢だろうとも、その為に立ち上がる同胞を見捨てはしないと。
リンクスが目を見開き、しかし諦めたように目を伏せる。
「でも、私達は帝国に牙を剥いて……」
「それで何か言ってくるのならばッ! 我が無冠のチャンピオンとして立ち塞がるまでよッ!」
尚も言い募るリンクスにガオレオンは吠える。本気であった。たとえ帝国だろうと王国だろうと、あの異界の英雄が相手でも、誰かの為に立ち上がる同胞達に剣を向けられるならば、ガオレオンは最後まで立ち塞がるだろう。
ガオレオンがリンクスへと手を差し伸べる。
「——友を迎えるのが遅くなってしまった。リンクスよ、戦士として咆哮を上げる日が来たぞ」
リンクスがガオレオンの手を取り、立ち上がる。涙に濡れたその目には、もう諦観はない。過ちを償い、誰かの為に戦う戦士になる覚悟を決めた。
「がお……がおーっ! がおぉぉぉぉ!」
「ガオオォォォォッ!!」
獣人達の咆哮が戦場に響き渡る。一つの戦場が終わりを迎え、新たな戦士達が産声を上げた瞬間であった。
戦場に咆哮が響き渡る中、オークロードとアルコゥの戦いも佳境を迎えていた。
「……あちらは終わったらしいな」
アルコゥがオークロードの攻撃を捌きながら呟く。
「それは何よりだ。リンクス殿には獣人達を導く王としての責務がある」
「お前はどうなんだ?」
「ハッ! オークの王など、やる事は決まっている!」
アルコゥの問いを一笑に付しながら、大剣を振るう。オークロードの全身は最早傷だらけだ。それに対してアルコゥは多少の傷こそ負っているものの、やはり致命には程遠い。
「死ぬ気か?」
「応ッ! ここが俺の死に場所よ! 無論、ただで死ぬつもりはないがなぁっ!」
オークロードが吠える。力の差は歴然。だが、それでいい。立ち塞がる壁が高ければ高い程、それを越える事に昂りを覚える。
オークとは、そんなどうしようもない宿痾を抱えた種族なのだ。
「……そうか。だが、もう終わりにしよう」
瀕死の傷を負い、なお奮い立つオークロードを前にアルコゥが斧を握る。ギチギチと音を立てるそれが、渾身の力が込められているのをオークロードは悟る。
「ハハハッ! 上等ォォ!!」
オークロードが笑い、アルコゥに向けて走り出した。ここに来て今更小細工など無用。正面から受け止めるのみ。オークロードもまた、渾身の一撃を込めて大剣を振り下ろす。
「ハァッ!」
「オオォォォォ!!」
斧と大剣。互いの全力が込められたそれがぶつかりあい、戦場を揺らす。オークの頂点、比類なき力を持つ王とあらゆる種族の頂点、真なる竜。互いに英雄と呼ばれた者達の勝敗は、その一撃で決した。
「——見事……」
オークロードが膝をつく。砕かれた大剣が、地面に突き立った。
斧を下ろし、アルコゥはオークロードの前に立つ。
「名を名乗れ、オークの王よ。強者として、我の胸にその名を刻もう」
「不要……だ。我が名は、我が誇りは……部族の若き戦士が受け継ぐ」
アルコゥの言葉に、オークロードが首を振る。己は死ぬが、その名と武勲は未来の戦士の中で生き続ける。死した戦士にとって、それこそが何よりの弔いだった。
意識を失いそうになるのを堪え、オークロードが顔を上げる。王として、最後にやらなければならない事があった。
「——戦士達よ! この戦、我らの負けである! 剣を収めよ!」
叫び、血が吹き出る。だが、これだけは伝えなければならなかった。オークの事は、他ならぬ己がよく知っている。王が死んだとて、戦いを止めるものなど居るはずもないのだから。
「そんな……王よ、我らも貴方と共に……!」
「ごほっ……これは、最後の王命である……未来を、生きよ……」
案の定と言うべきか、ここを死地と定めたハイオークが言い募る。だが、オークロードは認めなかった。自分だけ満足して、未来を預けるなど王失格も良いところだ。だが、それが許されるのもまた、オークの王でもある。
オークロードが、この戦いを見届けていた白の皇帝へと目を向ける。
「皇帝、よ……負けた俺が言うのもおかしな話だが……我らが戦士達の事を……頼む」
「……引き受けた。オークの王よ、お前の戦いが無為に終わらぬ事を、白の皇帝の名に誓おう」
皇帝の宣言に、オークロードが笑う。限界だったのだろう。オークロードの身体がゆっくりと倒れ伏した。全身は血塗れ、凄惨な戦いだったにも関わらず、その死に顔はどこまでも満ち足りたものだった。
「……兵達に休憩を取らせよ。準備が出来次第、冥界へ行く」
武器を落とし、降伏するオーク達を見ながら、皇帝は兵達に告げる。
長きに渡る帝国の因縁。その終わりが、静かに訪れたのであった。
見渡す限り灰色の大地。瓦礫と灰が埋め尽くし、ところどころに青い炎が燻っている。生命の気配などまるでなく、冷たく、ただ時が止まったようであった。
「久しいですね、この静けさ……」
冥界の灰を踏み締め、ヘリューズが目を細める。ここには、死の嘆きは届かない。ただ死を受け入れ、静かに安寧の時を過ごす者達の場所。
「ここが冥界ですか……思ったよりも、居心地が良いような……?」
「気を付けなさい。此処は死の領域、居心地が良いと感じるのならば、それは貴方が此処に呼ばれているからよ」
「……」
冥界を見渡し、呟いたフーロンにヘカティエが忠告する。此処は本来定命の者達が居て良い場所ではない。死の微睡とは甘く、抗い難いものでもある。普通の者達は、此処にいるだけで生命力を削り取られているだろう。
「定期的に癒しの奇跡をかけなさい。長期的にはともかく、短期的にはそれで何とかなるわ」
「は、はい!」
ヘカティエに言われ、イリスが杖を握り締める。イリスだけではない。帝国の治癒士達も、此処からが自分達の正念場であると表情を引き締めた。
「……」
「……? どうされましたか?」
無言で灰の景色を眺めていた褪せ人を不思議そうにアスバールが問う。
「いや、気にするな」
褪せ人がかぶりを振る。ほんの僅か、その景色に懐かしさを覚えただけの事。郷愁の念など、らしくもなかった。
「さて、そろそろ行くわよ。あまり此処に居ても、面倒なのに目をつけられるだけ——」
ヘカティエがそう言って冥界の大地を踏んだ、その時であった。
「——誰が面倒な奴だって?」
灰の大地に、何かが落ちてきた。大地を揺らし、その衝撃で灰の土が舞い上がる。
思わず腕で目を守る一行の前、現れたのは屈強な女騎士だった。身の丈程の大槌と、牛の顔を模った大盾。全身を重厚な黒鉄の鎧で包み、肌が見えるのは兜を被らぬ頭部のみ。銀の髪に褐色、覇気に満ちたその目は、相手がただの騎士ではないことの証左。
「迷宮の女王、ラビリス……」
「はっ、久しぶりだなぁヘカティエ。魂の管理を投げ出してどこをほっつき歩いてたんだ?」
ラビリスがヘカティエにそう言うと、大槌の柄を大地に突き立てる。ただそれだけで、冥界の大地が揺れた。
「ラビリス……?」
「かつて人の王でありながら、冥界の亜神となった者。この冥界において、法と秩序の番人です」
王子の疑問に、ヘリューズが答える。亜神ラビリス、数多の逸話を築き、厳格な秩序の国を作り上げた偉大な王。死後その力を買われ、ハイドースの下、法と秩序の番人として冥界第三層を治める亜神となった。
「法と秩序の番人が出向いたんだ、その理由は分かるよなぁ?」
「法を破ったのは、冥界の秩序を乱したのはハイドースの方よ」
ヘカティエはラビリスの言葉に引かなかった。冥界の魂の安寧を妨げているのは、他ならぬハイドースの方である。そんなヘカティエの主張を、しかしラビリスは一笑に付す。
「ハッ、オレが守るのは冥界の法よ。冥界の管理者はその領分を侵してはならない。冥界とは、秩序によって成り立たねばならない。——そこに、死者の安寧は含まれていないんだぜ?」
ラビリスの闘気が膨れ上がる。ただでさえ大きな身体が、何倍にも膨れ上がったかのように感じた。
「安寧ってのは、秩序の下で成り立たせるんだよ。魂の管理を放り出したヘカティエ、そして、生者でありながら冥界の領域を侵す白の帝国の戦士共! 全員等しく、このオレが裁いてやるよッ!!」
冥界の番人が唸りを上げる。冥界における最初の戦いが、今此処に始まろうとしていた。
「——我が悲願、その最後の仕上げを始めるとしよう」
——冥界に、夜が満ちる。
「……ッ!?」
最初に気付いたのは、ラビリスだった。秩序の番人である彼女だからこそ、真っ先にその『混沌』に気がつくことが出来た。
冥界の空、暗く冷たいそれが変わる。腐臭と怨嗟に満ちた、見る者に不安を覚えさせるそれに。
虚空から流れ落ちるのは、腐敗した血肉。魂のみの冥界において、最もあり得ないそれが灰の大地を穢し、己が領地を作り上げる。
「何だ……これは……! ヘカティエ、てめぇ一体何をした!?」
「私達のわけないでしょう!? これは、まさかそんな……!?」
腐肉の山が、形を成す。骨片混じりの肉が無理矢理に混じり合い、足を作る。
それは、一度討ち倒した筈だった。だと言うのに、纏う怨嗟はより強まり、冥界全てを覆い尽くす。
やがて、それはゆっくりと立ち上がる。瞳なき眼窩に怨嗟の炎を湛え、目に移るもの全てを睥睨する。
「ゴアアァァァァッ!!」
轟く咆哮。冥界の大地から腐敗の柱が突き立つ。灰の大地は最早なく、腐肉と血の広がった瓦礫と化した。
——そして、混沌はまだ終わらない。
「コイツ……何をしている!? コイツは一体、
ラビリスも、そして英傑達も戸惑う中で瓦礫の王は咆哮する。
次元を越え、此処ではない何処か、怨嗟の声はそれらを呼び寄せる。
——空間が割れ、裂け目から灼熱が漏れ出した。
瓦礫の王の周りに、燃え滾る炎が突き立つ。天を焦がさんばかりの火柱の中から這い出るように現れたのは、異形の悪魔達。
燃え滾る炎を纏い、百足のような手足を蠢かせる異形、溢れんばかりの炎を鉄の鎧に封じ込めた鋼鉄の人型。そして、まるで御伽話からそのまま現れたような燃える翼を持つ二体の悪魔。
瓦礫の王を中心に、四体の災厄が降り立つ。降り注ぐ肉塊に火がつき、燃えて、溶け落ちる。それはまさしく地獄の様相であった。
怨嗟の炎は、より多くの災厄を呼び込んだ。生者も死者も、秩序も法も関係ない。
——ただ等しく、燃やし尽くすのみ。
(まるで強キャラのような百足のデーモン大先輩)