【贖罪の花嫁】……?
——白の帝国、帝都工業区
金属のぶつかり合う音と職人達の勇ましい声が響き渡るそこに褪せ人は居た。
「うーん、ここまでポッキリ折れてると修復には時間がかかるわね」
カウンターに置かれた剣を見て唸ったのはドワーフの姫君であり鍛冶職人であるティニー。
王国が帝国の同盟軍として遠征している期間、彼女はこの工業区の工房を間借りして後方で武器の管理をしていたのだ。
そんな彼女に褪せ人が直すように言っているのはペルセフォネの一撃によって、破壊されてしまったタラニアの魔法剣であった。
「かなりの死闘だったって王子から聞いたけど、彼女は大丈夫なのよね?」
「問題ない。今は帝国の医務室で安静にしている」
心配そうな顔を浮かべるティニーに、褪せ人が答える。
一時は生死の狭間を彷徨った彼女であるが、イリスの対応が早かった為に何とか一命を取り留めた。
とはいえ、イリスの奇跡も万能というわけではない。冥界からの帰還後、彼女は帝国の医務室に運ばれると、医務官の診療の結果入院という形になった。
そうして身動きが取れない彼女に代わり、褪せ人はこの工房へと足を運んだ次第である。
「ふーん、まぁ直すのに時間がかかるし丁度良いわね」
褪せ人の言葉にティニーがほっと胸を撫で下ろす。
そして、タラニアの剣を別の職人へと手渡すと再び褪せ人の方へと向き直る。
「さて! 次はあんたの仕事よね?」
「ああ、任せたい素材がある」
ティニーの問いに褪せ人が肯定する。タラニアの件は言ってしまえばこれのついでだった。
「面白い素材と聞いているわ。期待させて貰うわよ」
期待に目を輝かせるティニーの前に、褪せ人はその素材を置く。それは、以前シトーから買い取った魔神ウェパルの欠片であった。
「これは……」
置かれたそれを見て、ティニーの表情が変わる。一見すればただのガラクタにしか見えないが、見る者には分かるらしい。
愛らしい少女の顔から熟練の職人の顔になったティニーが指先でそれをなぞる。
「成程……確かにこれは私向きの素材ね」
褪せ人が日頃贔屓にしているゴルドーならば、恐らく手に余るだろう。
ティニーから見ても彼は優れた鍛冶職人であるが、彼は一般兵士の取り扱うような数打ちの品質に秀でている。
故に、こういった特殊素材の一点ものに関してはドワーフの鍛冶術を得意とするティニーの領分だった。
「まぁ、思ったよりマトモな素材で安心したわ。アンタの事だから千切れた腕とかそのまんま持ってきそうだったし」
「…………」
「……持ってないわよね?」
不穏な気配を感じたティニーが怯えたように問うが、褪せ人は何も言わなかった。
中々に強力な武器なのだが、少なくとも彼女の前で振るうと面倒そうだ。
緊張感のある沈黙が流れ、やがて誤魔化すようにティニーが口を開く。
「と、とにかく! 魔神の素材なんて腕の振るいがいがあるわ! このティニー様に任せておきなさい!」
その後、身体の採寸がしたいという事になり、褪せ人はしばらく付き合う事になった。
思えば、自身に合わせた一品物など初めてかも知れない。そんな事を考えていると、不意に彼女が褪せ人に問い掛ける。
「それで、あんたはあの素材でどんな武器を作るつもり? あんたって結構色んな武器を振るうものね。剣が無難でしょうけど……槍や槌なんかも悪くなさそう」
彼女の中で様々な構想が浮かんでいるのだろう。採寸を進めながら楽しげにティニーが語り掛ける。
どんな武器にするか。それに関しては褪せ人の中で既に決まっていた。
「魔神ウェパル、その魔神が振るったとされる武器を可能な限り再現して欲しい」
「え? それってつまり……」
褪せ人の言葉に思わず机の上を見る。そこにあるのは先程褪せ人に渡された素材だ。
魔神ウェパル、海の魔物を統べる妖艶なる魔神。さながら貴婦人を思わせるその魔神が振るった武器は、物質界の人間の知識では日傘と呼ばれる代物であった。
「この私に日傘を作らせるつもり?」
「魔神ウェパルがそれを武器としたならば、そうなるな」
馬鹿にしているのかと眉を上げるティニーに、しかし褪せ人はどこまでも真面目であった。
素材を鋳潰して新たに剣や槍を作る、そういったものも悪くはない。しかし、褪せ人としてはやはり求めるのは戦った相手の武具や戦技をそのまま振るえる事であった。厳密には褪せ人は魔神ウェパルと直接対峙していないが、例外ではない。単に使い勝手の良い武具というのであれば、既に褪せ人は間に合っているのだから。
実際、魔神ウェパルはその日傘を槍のように振るったり、風の刃を巻き起こして周囲を傷付けたりと多彩な攻撃で王子達を苦しめたと聞く。
同じ素材を用いて近い事が出来れば武器としては十分に強力といっても良いだろう。
「ぐっ……それは、そうかも知れないけど……」
褪せ人の言に、ティニーは中々首を縦に振らない。確かにウェパルは日傘を武器に用いたが、それでも彼女の中では武器として認められなかったからだ。
鍛冶職人としての葛藤に唸るティニーを見て、褪せ人は少し無理難題だったかと口を開く。
「……出来ないというのであれば別に——」
「——は!? 出来ないとは言ってないでしょ! 良いわよ、作ってあげるわよ。あんたの為に、このティニー様が、日傘を!!」
妥協のつもりで口を開いた褪せ人に、ティニーは半ばヤケクソのように叫んだ。挑発のつもりは無かったが、結果的に焚き付ける事に成功したらしい。
採寸が終わり、肩をいからせて机の方に歩いていくティニーを見ながら、褪せ人はここでの用は済んだとばかりに工房の出口へと歩く。
丁度その時、褪せ人と入れ違いになるように工房の中に一人の女が入ってきた。
「すみません、少し相談がしたいのですがドワーフの姫君がここに居ると——おや、貴方は……」
凛とした声の持ち主が、褪せ人に気付き声を上げる。振り向けば、そこに居たのは先の冥界の遠征で共闘した生ける伝説、初代白の皇帝ヴィラヘルムがそこに立っていた。
——白の帝国、帝国城
タラニアは医務室のベッドの上でイリスの治療を受けていた。
「今日のところはこれくらいにしておきましょうか」
「うん、いつも助かるよ」
「お気になさらず、これが私の役目ですから」
そう言って笑うイリスから、タラニアは自身の腕へと視線を移す。
ペルセフォネによってへし折られた腕だが、痛みはもう無い。日常生活にも支障がない程度には動かせるだろう。
しかし、微妙な違和感があった。帝国の医務官曰く、大きな怪我を奇跡で治療した際によくある事なのだという。人の持つ治癒力を高めて治す関係上、そうした事は起きやすいらしい。
魔法剣士としては致命的なものだが、幸いにしてしばらく安静にして治療を受ければ治るとの事で、こうして医務室の世話になっている。
「そういえば、ハイドースはどうなったんだい?」
ふと、タラニアは気になっていた事をイリスに尋ねた。
復活した大神ペルセフォネと亜神ハイドースとの決戦。世界の命運を賭けたその戦を征した帝国と王国であるが、その元凶であるハイドースは取り逃がしてしまっていた。
「——まだ見つかってないわよ」
「うわっ! ってアブグルントか……何かまた小さくなってるし」
「私も大怪我したもの」
突然ベッドの脇から現れたちびアブグルントに思わずタラニアが声を上げる。
そんなタラニアを見てくすくすと笑いながら、アブグルントは続けた。
「冥界の戦いの後、亜神ヘカティエが自身の手勢に冥界中を捜索させているけれど、残念ながら亜神ハイドースはおろか、その痕跡すら見つけられていないわ」
冥界とは、物質界に生きるありとあらゆる生命の行き着く場所。故に冥界は広大であり、幾ら亜神であっても隠れられてしまえば探し当てるのは困難極まりない。
加えて、ハイドースがその気になれば自身の権限を利用して冥界に独立した空間を創り出す事すら可能なのだ。
「……このまま終わるとは思えないのに、何かが起きてからじゃないと動けないのか」
「歯痒いですね……」
タラニアの呟きに、イリスもまた医務室の窓から外を見て言う。城の中からでも、城下が何やら騒々しいのが見て取れる。帝国の戦乱が一先ず収まったという事を大々的に公表するべく、凱旋パレードを行うのだという。その準備に奔走する帝国の民達の表情は明るい。
こうして帝国も平和になったというのに、再びそれが乱されるかも知れないというのはどうにも憂鬱であった。
二人が沈黙する中、アブグルントがふと思い出したように口を開く。
「あぁ、そうだ貴方達を呼びにきたのよ。城の外で王子と褪せ人が待っているわ」
「王子君と褪せ人君が? 一体何を……」
「何か……一緒に肉を焼いてたわね」
「……何で?」
思いがけないアブグルントの言葉に、タラニアとイリスは呆然とするのだった。
帝国城の外郭、その一角で奇妙な光景が繰り広げられていた。
見回っていた帝国の騎士達も、その光景を見て困惑の表情を浮かべるより他ない。
「ヴィ、ヴィラヘルム様に王子殿下が一体こんなところで何を……」
「あぁ、気になさらずとも結構ですよ。ちょっと料理してるだけですので」
「そ、そういう問題では……」
何の気もなくヴィラヘルムに言い放たれるが、兵士達もそういう訳にはいかない。
普通の人間ならばこんなところで焚き火を囲んで料理をしようものならば叩き出しているところだ。だが、目の前に居るのは帝国における伝説の英雄とこの帝国の窮地を救ってくれた大恩人である。物理的に心理的にも不可能だった。
取り敢えず自分達の手には終えない。そう考えた兵士達はレオナへと意見を求めるべく引き返す事になる。
レオナは頭を抱えた。
「では、褪せ人殿例のものを」
ヴィラヘルムに促され、褪せ人が取り出したのは壺であった。普段褪せ人が用いるヒビ壺に比べて幾らか大きなその壺の蓋を開けると、出てきたのは大きな肉の塊だった。
「これが貴方の言っていた『勇者の肉塊』ですか……」
「思ったよりはまともなのが出てきたな」
取り出されたその肉を興味深そうに眺めるヴィラヘルムと王子を他所に、褪せ人はナイフで肉塊を大雑把に切り落としていく。
勇者の肉塊。ロアの実とアルテリアの葉をすり潰した薬液と香辛料と共に肉を漬け込んだ、狭間の地に伝わる蛮地の戦士達の御馳走である。
「ちなみに何の肉なんだ?」
「獣肉だ」
「獣肉ってお前……」
結局何の肉なんだ、と呆れ気味の王子だが、褪せ人からすれば獣から取れた肉に違いなどない。
流石のヴィラヘルムも困ったように笑う中で、カゴメが口を開く。
「牛の肉ですよ。アタシが褪せ人と一緒に市場で買ってきた一番良いやつです!」
「そうか牛か……良かったよ、本当に」
「良いお肉だと漬け込んでしまうのは少々勿体なかった気もしますね」
「知らん」
味が良い事に越した事はないが、それ以上にこの肉には求めているものがある。本来ならば骨付きの肉の方がいざという時に食べやすいのだが、今回はそんな目的でもない。
「何というか、お前は偶に突拍子のないことをするよな」
王子に苦笑い気味に言われるが、褪せ人にしてみればそこまで突拍子のないものではない。
医務室で寝ているタラニアやアブグルントに、何か差し入れてやってはどうかとアスバールやフーロンから言われた褪せ人が用意したのがこれである。
「怪我人に必要なのは血肉であろう」
特に褪せ人の周りにはどうにも痩せた者達が多い。最終的に物を言うのは筋肉の鎧だという事は蛮地の王と星砕きの英雄が証明している。
「誰だよ」
胡乱な目を向けてくる王子を無視して褪せ人は肉を切る。いずれにせよ、失った血肉を取り戻すという意味も込めてこういった趣向も悪くはないだろう。彼女達もまた冥界の戦いを乗り越えた戦士なのだから。
肉に染み込んだアルテリアの葉は、血を滾らせ戦士達を高揚させる。英気を取り戻すにはうってつけだ。
「……怪我人を興奮させちゃ駄目なんじゃないか?」
「……大丈夫だろう」
王子の問いに、褪せ人は僅かに目を逸らした。ここまで作っておいてそう言われてもどうしようもないからだ。
とはいえ、今回の製法はそれ程強いものではない。肉自体も半日程しか漬けていないので心配は無いだろう。
切り落とした肉塊を焚き火の上の鉄板に乗せる。
「良い香りですね……」
立ち昇る香辛料の香りに、ヴィラヘルムが目を細める。
そもそも、何故彼女はここに居るのだろうか。鍛冶屋で出くわして、少しばかり話をして、肉の話をしたらついてきた。まさか白の帝国の初代皇帝ともあろうものが肉をたかりに来たという訳でもあるまい。
「あっ、そろそろ良いのではないでしょうか」
考えごとをしているとヴィラヘルムに促される。
あまり焼き加減に拘りがない為、褪せ人は素直にその肉を鉄板から皿へと移す。
「頂いても?」
「……好きにしろ」
やはりこの女食べたくてついてきたのだろうか。いの一番に手をつけるヴィラヘルムにそう思うも、別に構わないかと思い直す。
野外ではあるが、王族らしく上品な仕草でヴィラヘルムは肉を口に運ぶ。
「これは……何とも野趣に富んだ味ですね」
「辛い! 美味しい! 辛い!」
「癖になる味だな。酒が欲しくなる」
肉を口に運びながら、思い思いの感想を述べる。
蛮地の御馳走はこの世界においても概ね好評らしい。或いは、本当に獣肉を使ったならもう少し違う感想だったのかも知れないが。
「うわ、本当に焼いてる」
「来たか」
そんな事をしていると、タラニア達もやってきたようだ。どこか呆れたような様子の彼女達に肉の入った皿を渡す。
「あっ美味しい。何かポカポカするね」
「これが褪せ人様の居た世界の料理なんですね……」
興味深げに食べるイリス達を見ながら、褪せ人も肉を口に運ぶ。改めて食べてみると存外に悪くはない。あの地に居た時は味などまるでしなかったような気がしたが。
どこか和やかな空気が漂い始めたところで、ふとヴィラヘルムが声を上げる。
「あぁそういえば、貴方に渡したいものがあるのですが」
「……食べにきただけではなかったか」
「あ、当たり前ではありませんか……」
僅かに頬を染めながらヴィラヘルムが懐から取り出したのは灼熱に燃えた奇怪な物体であった。
それは冥界にて瓦礫の王が召喚した悪魔達、その一体がこの世界に遺した爪痕である。
「ティニー殿に相談したのですが、預けるのであれば貴方が良いだろうと」
正確には、『アイツ変なのいっぱい集めてるし渡しちゃえば? どうせ曰く付きだらけの火薬庫みたいな奴だし』であるが流石にそれを正面から言うのは憚られた。
とはいえヴィラヘルム自身も何となくではあるがその方が良いだろうと、褪せ人を見て感じたと言うのもある。
褪せ人は差し出されたそれを、特に逡巡する事なく受け取った。
灼熱の爪痕。デーモンの遺したそれは武具としてだけでなく、触媒としても使えるらしい。しかし、本来の理から外れたそれが使えるのは炎にまつわるもの、つまりは巨人の火の祈祷に限定されるだろう。
向こうからすれば厄介な品を押し付けてしまったと考えているようだが、褪せ人にしてみれば思わぬ収穫である。
「あっもう始めてる」
「良い匂いですねぇ」
褪せ人がデーモンの爪痕を観察していると、フーロンとヘリューズが両手に紙袋を抱えて歩いてきた。紙袋の中には野菜や酒類が山程に入っている。
「お肉だけだと足りないと思いまして」
「……ヘリューズ様が買い出しに行く必要は無かったと思いますが」
「ふふ、お気になさらず。こうして活気のある街を見るのも悪くはありませんでしたから」
どうやら、今日は此処で宴会のような形になるらしい。そうなると、少しばかりこの鉄板では手狭になるが。
「ふむ、では私が厨房に行って鉄板を借りに行きましょう。それにヘイズルも呼んでこなくては。後で仲間外れにした事がバレると拗ねてしまいますからね」
「アルタ達も呼んでくるか。凱旋パレードの前夜祭といこう」
そう言って王子やヴィラヘルム達が立ち上がる。
小規模な集まりだったそれは、いつしか大勢を巻き込んだ宴会となっていった。
アルテリアの葉の高揚に当てられたアトナテス達が模擬戦を始めたり、褪せ人の膝の上を巡ってちびアブグルントとカゴメが熾烈な縄張り争いを繰り広げたり、酒に酔ったどさくさに紛れて褪せ人を部屋に連れ込もうとしたりした。
それを見たレオナがまたしても頭を抱えたのは言うまでもない。
その後、帝国城内でバーベキューをする場合事前に担当者から稟議を通す事、というお触れが出回ったという。
そこは完全なる虚無であった。
暗い闇の底。生者はおろか、死者すらもそこには居はしない。
そこは冥界の神々からすら存在を否定され、秘匿された地。暗黒の奈落、無限の回廊、滅びをもたらすもの。
「ペルセフォネ……」
ハイドースは、そこに居た。
「我が……再会を願ったからか……? もう一度、共に理想の世界を目指さなければ良かったのか……?」
誰も居ない闇の中、答えのない自問を繰り返す。
最愛の妻、二度の喪失は冥界の王の心を完全に壊していた。最早、この男の砕けた心には何も遺されてはいない。
「否……違う……」
——ただ一つ、燃え滾る復讐の炎以外は。
「世界の行く末など……最早知った事ではない。停滞の世界も、暴虐の世界も……慈愛の世界も。全て等しく、無価値に過ぎん」
復讐の炎が燃え上がる。全てを失い、ただ復讐だけに突き動かされる男が顔を上げる。
そこにあるのは、巨大な扉だった。
それは開けてはならぬ扉。世界を滅ぼす、旧き神々の遺構の一つ。
ハイドースはその扉に両手を押し当てた。
「アダマスよ……貴様をこの世界ごと焼き尽くしてくれる。この世界を、我が妻への葬送の篝火としてくれよう!」
扉がゆっくりと開かれる。その先に広がるのは、完全なる闇。泥濘に塗れた永遠の牢獄。
静かに、ただ闇の中で人知れず滅びの時が迫っていた。
勇者の肉塊って焼いてるんですかね……。