今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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一般通過ドラゴン


凍てついた世界

 それは、想像よりも遥かに早く訪れた。

 夜の闇、静寂を裂くように警報の鐘が帝都に響き渡る。

 

 帝都の外れ、城壁にもたれ掛かっていた褪せ人が身を起こすと視線を上げる。天変地異は、直ぐ目の前にまで迫っていた。

 

 視界の向こう、帝国を囲む山々が凍りつく。緑の木々が立ち並ぶ森すらも白く染め上げ、真っ直ぐに平原へと伸び侵食していく。徐々に広がりを見せるそれは、やがて帝国をも飲み込むだろう。

 

「……またこれか」

 

 褪せ人が小さく息を吐く。どうにも、超越者というのは芸がない。

 魔王ガリウス、安寧者たち、瓦礫の王。今回も同じだ。世界を塗り潰すように広がるそれは、たちまちに物質界を死で満たすだろう。

 神々にとって目指すものは違えども、そこに生きる者達にとっては等しく災禍でしかないのだ。

 

「ここに居ましたか」

 

 篝火を消し、武器を片手に立ち上がる褪せ人に、背後から声がかかる。

 己に声をかけてきたのはヘリューズだった。褪せ人の方へと歩み寄ると、彼女もまた険しい表情で凍りつく世界を見据える。

 

「物質界が冥界に呑まれていく……」

 

 目の前で起きる異常な光景。冥界の亜神である彼女には、あの凍てついた世界に覚えがあった。あれは冥界だ。物質界を冥界が侵食しようとしている。

 呆然と呟いたヘリューズに、褪せ人が視線を向ける。

 

「原因は」

 

「残念ながら、何も……」

 

 褪せ人の問いに、ヘリューズは首を振る。今起きている事態こそ理解は出来るが、その原因についてはまるで覚えがなかった。

 

「ハイドース……貴方は一体何に手を出したのです……」

 

 冥界を追われ、愛する妻は死に、かつての力もとうに奪われた。ただの亜神一柱に、世界を塗り潰す力などあるはずもない。

 彼は、何か恐ろしい禁忌に手を触れたのだ。それも、ヘカティエやヘリューズという冥界の亜神すら知り得ない真奥に秘されたものに。

 

「…………」

 

 褪せ人が指笛を吹くと、その音に呼応してトレントが現れた。

 ハイドースが何に手を出そうとも、己のやる事は変わらない。抗い、戦わなければ結局世界は滅ぶのだから。

 進む事を決めた褪せ人に、ヘリューズが口を開く。

 

「向かわれますか」

 

「無論」

 

 王子も皇帝も既に動き出しているだろう。この異常事態、彼等の行動は迅速だ。それでも、編成には今しばらく時間がかかるはず。ならば、己は先んじて向かうのみ。

 褪せ人がヘリューズへと問う。

 

「侵食の開始点は分かるか」

 

「……はい、恐らくは私達が冥界の門を開けた山岳地帯。あそこがこの侵食の起点でしょう」

 

「案内しろ」

 

 冥界の亜神であるならば、この天変地異の大元について推測も可能だ。今は少しでも、情報が欲しい。

 トレントの上から差し出された褪せ人の手をヘリューズは取ると、二人は帝都を離れ山岳地帯へと駆けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平原を霊馬に乗った二人が駆ける。あらゆるものが冥界に飲み込まれていく中、幾度も死戦を潜り抜けたトレントが臆することはない。

 

 冥界の門へと向かう途中、帝都を目指す一団とすれ違った。恐らくは、冥界化の影響から逃げてきた何処かの村の者達だろう。その顔は混乱と恐怖で染まっていた。

 あまりにも短い平和だった。或いは、帝国に裏切られたとすら思っているだろう。

 

 褪せ人に掴まるヘリューズの手の力が強まる。トレントを手繰る褪せ人には、彼女の表情を見る事は出来ない。だが惑う民を想い、悲しみと怒りを浮かべているだろう事は褪せ人にも分かった。

 山岳地帯に近付く程、その空気は凍てついていく。気付けば景色を流れていく平原の草木は霜によって白く染まっていた。

 

「あれは……」

 

 褪せ人の背中越しに、ヘリューズが声を上げる。

 しばらく無尽の野を駆けた視界の先、此方へと向かってくる何かが見えた。

 無数の黒く蠢く影、白く染まった景色の中で、それは異様な光景だった。

 

 それは冥界兵の軍勢。死者の如き蒼白の肌をした、冥界の亜神が創った命なき兵士達。

 

「そんな……ヘカティエが冥界を管理しているのに、一体どこに隠れて……」

 

 ヘリューズが呻く。ハイドースが冥界を追われてから、ヘカティエとラビリスによって冥界は管理されている。当然、冥界兵の支配権も彼女達の手中のはず。これ程の戦力を隠すだけの場所も力もあるはずがないのだ。

 だが、事実として軍勢はそこにいる。冥界と化した平原を、己が領地の如く踏み荒らしている。

 

 しかし、そんな冥界兵達はどこか様子がおかしかった。

 虚な目で、覚束ない足取りで平原を闊歩する。そこに戦列や戦術などまるで見当たらない。その姿は、狭間の地の亡者達を思わせる。

 

「……」

 

 正気すら失くした冥界兵を前に、褪せ人は神の遺剣を握りしめると、トレントから降りた。そして、冥界の軍勢に向けてその剣を振るう。輝く剣から、黄金の波が放たれる。

 その波は、冥界兵達を次々と飲み込んでいった。かつての神の威光、その力は決して冥界の雑兵が耐えられるものではない。圧倒的な破壊の後、倒れ伏した冥界兵が泥のように大地に溶けていく。

 

 されど、再び大地から泥が噴き出した。粘性を帯びた肉塊の如きそれは形を成し、冥界兵となって立ち上がる。

 

「……面倒な」

 

 冥界に呑まれたが故か、泥が次々と噴き上がると冥界兵達は際限なく平原に湧き出てくる。一体一体は大した事はないが、これを掻き分けて進むのは至難の業だった。

 

「……王子達を待ちますか?」

 

 平原を埋め尽くさんばかりの亡者の行進に、ヘリューズが問い掛ける。

 褪せ人は逡巡し、ヘリューズに向けて口を開こうとして——

 

「——その必要はない」

 

 力を感じさせる声と共に、巨大な斧が冥界兵達に突き立てられた。

 大地を砕く轟音、衝撃波によって吹き飛ばされ、泥と化した冥界兵。降り注ぐ泥の、その中心に居たのはこの世界において最強の竜人。

 

「アルコゥか」

 

「王子が怒っていたぞ。せめて一言あるべきだったな」

 

 褪せ人にからかい混じりにそう言うと、再び斧を構えると一閃。巻き起こる風と並外れた膂力で冥界兵を吹き飛ばす。

 圧倒的な破壊の光景、それを眺める褪せ人達の背後から、勇ましい雄叫びが響き渡った。

 

「ウオォォォ! 冥界兵を堰き止めろ! オークの意地を見せてやれ!」

 

「戦士達よ! オークに遅れを取るな! 獣人達の誇りを此処に示しなさい!」

 

 続々と冥界兵に突撃していくのはオークと獣人達。帝国に虐げられ、反旗を翻した亜人達の軍勢だ。

 新たなロードとなったオークと、リンクスの号令が戦場に響く。

 

「恨みも軋轢も無くなった訳じゃない! それでも、私達の生きる場所を奪われるわけにはいかないから!」

 

「よく言ったリンクスよ! それでこそ我が友よ!! ガオォォォォッ!!」

 

 王笏を振るい、リンクスが魔術で冥界兵達を吹き飛ばす。爆炎を突っ切り、ガオレオンが冥界兵の軍勢を受け止める。

 彼らとて、帝国に敗北した事を完全に飲み込めたわけではないだろう。それでも、今この時はその恨みを忘れる事にしたのだ。

 

 静かで死に満ちていた平原は、生を望む戦士達の熱で満たされていく。泥濘から生まれる冥界兵も、すぐさまオーク達によって砕かれていく。

 

「平和を望むのは、生を望むのは帝国の英雄達だけではありません。私達異種族とて同じこと」

 

「……ラウラか」

 

「はい、お力になりに来ました」

 

 褪せ人の隣に降り立ったのは、白き竜人であるラウラ。彼女もまた、両腕に魔力を込め、冥界兵へと立ち向かう意志を見せる。

 

「貴方達と帝国の道は私達が切り開くわ! 行きなさい!」

 

「必ず、生きて戻ってきてください」

 

 リンクスとラウラの言葉に、褪せ人はトレントに跨ると冥界兵の隙間を突っ切って駆けていく。

 冥界兵達が緩慢な動作で剣を振り上げるが、そこに立ちはだかるのは数多の生者達だ。

 

「ここを通れると思うなよ」

 

「この地に生きる者達の為、倒させていただきます」

 

 アルコゥとラウラ。二人の竜人の言葉に、冥界の死に抗う生者達の雄叫びが戦場を支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ!」

 

 ラウラの放つ火球が冥界兵を吹き飛ばす。爆風で体勢を崩した軍勢達へと、ラウラが滑空し突進する。

 その見た目からは想像もつかない力強さで次々と冥界兵が薙ぎ倒されていく。竜人支配種、その力をラウラは遺憾無く発揮していた。

 

「ふん、帝国の竜人も存外やるではないか」

 

 雑兵といえども、それを一方的に薙ぎ払うラウラの姿にアルコゥが笑みを浮かべる。

 負けてはいられない。アルコゥは自らも斧を振り上げると冥界兵へと駆け出していく。

 

 冥界兵達が砕かれ、泥に還っていく。

 戦況は一方的と言っていいだろう。もとより意思もない亡者の如き冥界兵、碌な抵抗もなくそれらは崩れ落ちる。だが、いかんせんその数は脅威であった。

 再び泥が噴き出すと、冥界兵達は次々と立ち上がる。

 

「キリがない……!」

 

 リンクスが苛立ち混じりに言う。冥界兵はまるで尽きる気配がない。次々と生み出されては骸となり溶け消えていくそれは、リソースを重視する魔術師にとっては鬱陶しい事この上ない。

 

 永遠に続くのではないか、そう思わせる戦いの中、ふと獣人達の中から声が上がる。それは、戦いの中で聞くには少し変わったものだった。

 

「クソッ! 何か寒くねぇか!?」

 

「凍えそうだ……これも冥界の影響なのか?」

 

 そんな獣人達の声に、リンクスも戦場に訪れた変化に気付く。

 酷く寒いのだ。先程までも冥界化によって著しく気温が下がっていたが、今はそれを優に下回り、痛みすら感じさせる。

 

 吐く息は白く、知らずリンクスも震えていた。周囲を見渡せば、先程まで見渡せていた景色が霞がかり、真っ白に染まっている。

 戦場が、濃霧に包まれていた。

 

「霧……? これも冥界の……」

 

 一度気付いてしまえば、その困惑は周囲に伝播する。ラウラもアルコゥも、その異常な光景に思わずその手を止めていた。

 冥界兵達も、その虚な目で周囲を見渡している。

 

「何だ……これは……」

 

 アルコゥが空を見上げる。白く染まった景色は、竜の目をもってしても何も見えはしない。

 

 ——そんな時だ。アルコゥの視界の隅で、霧の向こう、巨大な何かが蠢いたのは。

 

「……ッ! 何か居ます!」

 

「……そうらしい」

 

 ラウラもその気配に気付いた。オークや獣人達も、冥界兵の相手をしながら周囲をしきりに見回している。

 大気の冷たさは鋭さを増し、戦士達から熱を奪う。オークすらも言葉を失くし、異様な静寂が平原を満たしていた。

 

 誰もが見えない何かを探している。注意深く辺りを見回していたラウラが、それに気付いた。

 

 ——冷たい霞の向こう、巨影の双眸が此方を睥睨しているのを。

 

「なっ……!?」

 

 霞を掻き消すようにそれは羽ばたいた。大気中の氷が巻き上げられ、光を反射し広がっていく。

 霧の裂け目から現れたのは、凍てついた霜を纏った四翼の竜の姿だった。

 

「竜だと……!?」

 

「何なのよコイツ……!?」

 

 あちこちから驚愕の声が響いた。それも仕方ない。先程まで、これ程に巨大な竜の気配など感じなかったからだ。音も、魔力も、ましてや視界に移ることすらなかった。

 突如としてその姿を現した竜にその場に居た者達は動揺する。それはアルコゥもまた、例外ではない。

 

「竜神様に創られた竜ではない……貴様、何者だ?」

 

 アルコゥが思わず問い掛ける。

 真なる竜、その最後として生まれたアルコゥは目の前の存在に混乱していた。

 竜人でなく、龍でもない。されど知性なきドラゴンやワイバーンとも異なる存在。

 冥界に呑まれたこの地を凍てつかせ、上書きするそれはまごう事なき頂に立つ者。

 

 その問いに、竜はゆっくりとその首をアルコゥへと向けた。

 その眼には敵意を感じない。知性を感じさせるその瞳には、ただアルコゥに向けられている。

 その堂々たる振舞いに、アルコゥはふと、古い記憶を呼び起こした。

 

「カリゴ……まさか本当に……」

 

 それはアルコゥが無限書庫の番人をしていた頃の話。暇を持て余し、古い書物を引っ張り出しては竜の物語を読み漁っていた時だ。北の国の御伽噺、とある姿なき竜の短い物語。

 

 ——この世界の外より来たる竜の話だ。

 

 北へ行く者よ、霧の裂け目より見つめる眼あれば決して抗う事なかれ。

 それは決して、打ち勝てるものではないのだから。

 

 その名はカリゴ。歴史の潮目に現れ、変化を見届ける者。

 我らが竜の神が、同胞として迎え入れた外なる古竜。

 

 アルコゥはその記述を見て一笑に付した。あまりに荒唐無稽。竜とは竜神様が生み出したものに他ならず、ただ旅人が見た幻に過ぎぬと。

 しかし、褪せ人という異界の英雄の存在から、僅かに記憶の隅に存在し続けていた物語だった。

 

「アルコゥさん……」

 

「いや、我の記憶が正しいならば、彼女は……」

 

 凍てついた平原で、アルコゥとカリゴという絶対の強者が睨み合う。周りに居る者達からすれば、堪ったものではないだろう。

 寒さに震える身体を抑えながら、ただ事の成り行きを見守るばかり。

 

 だが、それも長くは続かない。

 カリゴの身体に、無数の矢が射かけられる。

 冥界兵だ。意思なく、目の前の相手を排除する事しか出来ない彼らは、ただその本能のまま竜を狙い撃った。

 

 降り注ぐ矢は、カリゴの纏う氷を砕く事すら出来ずに力なく落ちていく。どこまでも無意味。幾ら撃てども、竜の身体に傷を付ける事はかなわない。

 

 ——だが、煩わしくはあったのだろう。

 

 カリゴがゆっくりと冥界兵へと向き直ると、その長大な尾を持ち上げる。

 ただそれだけの動作が、アルコゥをして心胆から寒からしめた。

 

「……ッ! 今すぐ離れろ! 巻き込まれるぞ!」

 

 アルコゥのあまりに真に迫った叫びに、オークも獣人達も弾かれたように走り出した。

 抗弁する者は居ない。誰もが本能で悟ったのだ。目の前のあれは、決して人が立ち向かって良いものではないと。

 

 カリゴがその尾を振るう。鋭い一閃は斬撃を生み、無数の冥界兵を消し飛ばす。そればかりか、叩きつけられた尾から放たれた冷気が大地を凍てつかせ、周囲の冥界兵を氷像と化す。

 しかし、それでも冥界兵は湧き続けた。無尽蔵に、死を恐れる事なき兵士達が果敢にカリゴへと向かっていく。

 

 カリゴはそんな冥界兵を無感動に見つめると、徐に空を見上げ、その顎門を開いた。

 放たれるのは氷の息吹。それは直接冥界兵に向けられるのではなく、天へと昇っていく。

 

「空が……凍っていく……」

 

 走り続け、後ろを振り向いた誰かがそう溢した。

 天に昇った息吹は大気を凍らせ、天蓋の如く空を覆っていく。あまりにも常識はずれのその光景に、誰もが息を呑んだ。

 美しくすらあるその光景は、しかし只人には決して抗う事の出来ない絶対の死の訪れだった。

 

 ——そして、空が割れた。

 

 ガラスの砕けるような音と共に砕けた氷塊がカリゴを中心に降り注ぐ。それは、凍りついた大地を抉り、冥界兵達を下敷きにする。

 

「何なのよコイツ! 急に出てきてぇ!」

 

 リンクスが泣きそうな声で叫ぶ。急に出てきて無茶苦茶にするような奴は一人で十分だった。

 

 鳴り響く轟音が収まった後、平原は無数の氷塊に埋もれていた。それはさながら、氷で出来た墓標。

 煩わしい雑兵を駆逐したカリゴは、山岳地帯へと視線を向ける。

 

 彼女が望むのは干渉ではない。ただ時の流れを記憶し、移りゆく世界の功罪を見届ける事。

 二対四枚の翼を広げ、カリゴは大地を蹴る。その先にこそ、この世界の変化の起点があるが故に。

 

 圧倒的な破壊を齎した竜は去り、先程までの凍てついた空気が嘘のように緩んでいく。まるで夢か幻を見ているかのようであった。

 されど、目の前にある破壊の痕跡が、それが嘘ではない事を物語る。

 

 世界の危機は終わっていないというのに、その場に居た者達は暫くの間、ただ呆然と立ち尽くすだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冥界兵の軍勢を超え、褪せ人は山岳地帯を駆けていく。

 まだ以前の戦場の後始末が終わっていない。オーク達の武器がそこかしこに転がっている中、徐々に不穏な気配が近付いていく。

 

 冥界の門は依然としてそこにあった。ヘリューズ達の手で封印されていたそれは、抑えきれない魔力によって内側から破壊されている。

 その門の前に、一人の竜人の女が立っていた。緑髪の、槍を携えた小柄な竜人の少女。しかし、纏う気配は強者のそれ。

 

 少女は褪せ人達を見留めると、蛇のような双眸を此方へと向けた。

 褪せ人達も、その少女を前にしてトレントから降り立った。

 敵か、或いは別の何かか。いずれにせよ、邪魔立てするならば斬り捨てるまで。

 そんな褪せ人の思惑を他所に、彼女は口を開く。

 

「貴方達を待っていた。といっても、少しばかり人数が少ないのだけれど」

 

「貴方は……?」

 

 ヘリューズの問いに、竜人の少女が答える。

 

「我が名はカルペム。秘匿された門——タルタロスを守護する一族の末裔」

 

「タルタロス……」

 

 カルペムの名乗りに、ヘリューズが目を見開いた。視線を向け、無言で問い掛ける褪せ人に、ヘリューズは口を開く。

 

「御伽噺です。冥界の神ですら笑って実在を否定するような、そんな荒唐無稽な類の」

 

「ですが、事実として存在します。大いなる災禍を抱いて眠る扉。それを知るのは私達と、ハイドース様とペルセフォネ様のみでした」

 

 この世界の神にすら秘匿された地。ヘリューズですら知らない情報を、突然現れた竜人が握っている。

 此方を謀っているのかと褪せ人が考えるも、カルペムに嘘を言っている様子はない。あくまで真剣に、この世界の危機を案じている。

 

「ハイドース様は、その扉を開かれた。正気を失い、狂気に身を窶したあの方は、この世界をタルタロスの魔力で満たそうとしている」

 

 それが、この世界に起きた惨状なのだろう。タルタロスの魔力が溢れ出し、物質界は冥界に呑まれる。だが、そこで終わりではない。冥界と化した世界は、続けてタルタロスから溢れる魔力によって、更に世界は変質していく。

 

「止めなくてはいけないの。だから、貴方達の力を貸して欲しい」

 

「無論、もとよりそのつもりだ」

 

 力を貸すも何もない。最初からハイドースを止める為に来たのだから。

 カルペムがその言葉に安心したように息をつく。

 

「……タルタロスまでは距離があるわ。少し急がないと——」

 

 そこまで言いかけたカルペムの言葉を、爆音が掻き消した。

 音のした方を見上げれば、何かが凄まじい速度で此方に近付いてきていた。それは空飛ぶ船だ。それも、今までの褪せ人が知る飛空船とは違う。しかしその船に刻まれた紋章は、まごう事なく白の帝国のもの。

 

「何とか間に合ったか」

 

「ハハっ、言ったろ? 僕の船は最強最速だって」

 

 どこか疲れたような王子の言葉に、得意気に一人の女が答える。彼女こそが、帝国の誇る最新型高速戦艦の技術者にして操縦者、ヴァルデである。

 

「勝手に先走って……後でお説教ですね」

 

「ヘリューズ様だけ連れて行ってるのも納得いかないですね……」

 

 冥界の扉の前に立つ褪せ人を、アスバールとフーロンが据わった目で見下ろす。タルタロスに着くまでの間、褪せ人が訥々とお小言を貰うのは確定していた。

 

 空を高速移動する船を、カルペムは呆然と見上げる。

 

「まさか、冥界に戦艦で乗り込むつもりじゃ……」

 

「急ぐのだろう。ならば、これが最も速い」

 

 褪せ人としても、こんなものが直ぐに出せるのならば先走る必要は無かったのだが。この世界は、己の想像を優に超えてくる。

 

 冥界の門へ、空飛ぶ船が飛び去っていく。

 

「…………」

 

 タルタロスの魔力に溢れた暗い闇の中、英雄達を乗せた船が消えていくのを、夜の霞の中、その双眸は静かに見つめるのであった。




アイギス世界で寝てたので夜に飲まれず正気なカリゴさん。
後出せるとしたらリブラかなぁ。
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