「地上に降りたぞ! 探せ!」
「華の都は俺達の庭だ! 鼠一匹逃がしはしない!」
華の都に兵士達の怒号が飛び交う。
慌ただしい足音が大通りを過ぎ去るのを聞きながら太公望は小さく息を吐いた。
「仙人を捕まえて鼠扱いですか……」
「……これからどうするつもりだ?」
金光聖菩は太公望に問い掛ける。ここまで来て彼女も腹を括ったのだろう。周囲への警戒こそ怠ってはいないが、落ち着きはすっかりと取り戻していた。
「都の外にさえ出られれば王国の軍と合流出来ます。そこまで行けば此方のものでしょう」
「王国まで一枚噛んでいるのか……個人の問題では済まなくなるぞ」
「個人の問題で済ませるつもりはありませんから」
太公望は答える。今回は単に彼女と華の国の問題には留まらない。この国の背後で、良からぬ陰謀が渦巻いている。
自身が何も知らされていないという事に不満を露わにする金光聖菩に、太公望は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「今回、聞忠の動きは明らかに性急過ぎました。貴方だけではなく、他の十天君に関しても捜索と討伐を急いでいる」
「だが、華の国の現状を見ればそれも仕方なかろう」
この惨状の一因である己が言う事ではないが、華王はその求心力を著しく落としている。宮中は流石にそれ程でもないが、城下に降りれば彼女への不満の声は大きい。
故にこそ、十天君を討ち、その功績を誅子に集めるというのは分からなくもない話である。多少強引にでも急ぎたい理由はあるのだ。
「無論、そういう見方もあるでしょう。ですが、それは少々らしくありません。彼女は聞忠、華の国を長きに渡って支え続けた邪仙ですから」
聞忠は邪仙。人間の王である華王とは違い、より遠くを見渡す視座を持つ。
彼女が冷静であれば、誅子の代で完全に求心力を取り戻す必要はなく、そして如何に華の国が荒れていようと彼女の力があれば時間さえあれば立て直す事など如何様にもなるはずだ。
「お前はあの聞忠から冷静さを奪った者が居ると考えているのか?」
「推測でしかありませんが、高い確度で」
少し調べれば、彼女の手の者が十天君の討伐に力を入れているのは分かった。それも、復興よりも尚優先すべきとばかりに兵を割いている。華の国を愛し、護ろうとする邪仙としては違和感でしかない。
そして何より——
「——天の声」
「何……?」
「天の声が味方をしているのだと、彼らは言うのです」
彼女達が十天君を討つ事に力を注ぐ理由。それは天の声に導かれての事だと言う。
最初は聞忠の事を指しているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「今回の件で引き出すのは聞忠の思惑、そしてその背後に居る『天の声』です」
「……どうやら私が思っている以上に面倒な事が起きているらしい」
無論、太公望の語るそれに確たる証拠はない。しかし、今の華の国の動きに違和感があるのもまた事実であった。
聞忠と誅子の先走りであればまだ良い。しかし、『天の声』を名乗る何者かに悪意があるのであれば——
「いずれにせよ、此処を抜けてからの話ではあるか」
身を潜め、大通りを見れば依然として兵士達が走り回っている。都の民達も何事かと不安げに視線を彷徨わせていた。
いずれ此処が見つかるのも時間の問題。金光聖菩と太公望が顔を見合わせ、立ち上がる。
周囲を見回し、路地を抜けようとした時、金光聖菩達の前に一台の馬車が立ち塞がった。
「……!」
真っ白い毛皮に覆われた独特の馬車を前に、すわ見つかったかと警戒を強める。
そんな怪しげな馬車から降りてきたのはゼニスブルーの髪が特徴的な一人の少女であった。
「翼のマークの配達屋、天頂運輸でーす。さてさて、運んで欲しい仙人は貴方達かな?」
シトーは金光聖菩達を見遣り、得意気に笑うのであった。
金光聖菩達が逃避行を繰り広げている同じ頃、謁見の間では褪せ人と誅子、聞忠が睨み合う。
「さて、どうしたものか」
大刀を握り締め、誅子は目の前の偉丈夫を観察する。
鎧を着た巨躯の男という以上に、目の前の男から感じる存在感は大きい。己が側近たるフェイロンを容易く降し、悠然と立ち塞がる姿は未だ底が知れない。
虎の尾を踏んだ事を自覚しながら、しかし彼女とて退く訳にはいかなかった。
「無論、まともに相手にする必要などありませんよ」
表情に出したつもりは無かったが、隣の聞忠が涼しげに告げる。
対して、褪せ人もまた動きを見せない。彼にしてみれば、この睨み合いの状態は歓迎なのだろう。
聞忠の言葉に一切揺らぎを見せないのは傭兵としての割り切りか、或いは顔芸が上手いのか。
「まぁ、いつまでもこうしている訳にはいかんな」
大刀を握り、誅子は身体を低く沈める。地を這う獣の如きそれは、文字通り相手を一撃で仕留める為の構え。
既に相手の規格外の膂力は見た。生半可に懐に踏み込めば、容易く叩き伏せられるのは自明。
「出来れば、尋常な勝負で挑みたかったものだが」
恩人である。その感謝に偽りはない。出来る事ならば、敬意を表した上で模擬戦をと思っていた。だが、己にはまだやるべき事がある。
足に溜めた力を解き放つ。身体を伸ばし、褪せ人のもとへと一本の矢の如く誅子は跳ぶ。
「これも大華の為、悪く思うな……!」
自身の握る大刀——天鬼皇に気を纏わせる。フェイロンを見逃された手前、殺すつもりはない。されど、手の抜ける相手でもない。
迫る誅子に対し、褪せ人もまた迎え撃つようにして斧槍を構える。ただそれだけで強まる圧に、しかし誅子は臆する事はない。圧倒的な膂力の差、まともにぶつかり合えば誅子とて勝負になるかは怪しい。
「——まともに相手をするつもりはないと言ったでしょう?」
無論、それは誅子一人でならの話である。
意識が誅子に向いた一瞬、聞忠が手に持った鞭を振るう。褪せ人とて完全に聞忠を無視していた訳ではないだろう。それでも、聞忠の振るうそれは速く、鋭かった。
褪せ人の身体を素早い鞭の一撃が打ち据える。されど、相手は全身鎧の男である。速さ重視の一撃はその鋼鉄に阻まれて大した傷を負わせるには及ばない。だが、それで構わない。
「…………!?」
褪せ人の動きが止まる。否、止められたというのが正しいか。
聞忠の振るう鞭、『忌引鞭』は彼女の宝貝であり、その力は他者の気を乱し、その動きを止める事にある。
石像の如く硬直する褪せ人。それはごく僅か、ほんの瞬きする程度の間である。だが、優れた戦士達の戦いにおいて、その一瞬は致命である。
「はぁっ!」
誅子が天鬼皇を振るう。渾身の力で振り抜いたそれが、致命的な隙を晒し、反応が遅れた褪せ人の胴に直撃する。
轟音が謁見の間に鳴り響き、衝撃波が床の塵を巻き上げる。誰が見ても、その一撃に込められた力の強さは明らかであった。
だが——
「……本気で当たったつもりだったが」
——英雄、揺るがず。
大刀の一撃を受けながら、褪せ人はその場から動いていない。立ち上がるまでは予想出来た。だが、一撃を受け切って尚怯みすらしない強靭さを一体誰が予想出来ただろうか。
そして、今度は誅子が致命的な隙を晒す番だった。
「……!」
褪せ人がハルバードを構え、その戦技を解き放つ。
纏うは氷雷。この世界に存在せず、彼の世界においても異質なあり得ざる冷たい雷。空気を裂き、渇いた音を立てるそれは周囲の温度を凍てつかせる。
竜のハルバード、その本来の姿であった。
「くっ……!?」
その蒼白の光に目を見開き、誅子がハルバードの一撃から逃れようとする。
「誅子!!」
聞忠が叫び、神速で振るわれた忌引鞭が褪せ人を打ち据える。今まさに回転斬りを放とうとしていた褪せ人の動きが止まり、誅子は辛くもその一撃から離脱に成功する。
遅れて振るわれた一撃。周囲を薙ぎ払い、そのままの勢いでハルバードが謁見の間の床を叩き付ける。雷が落ちたような轟音が響き、謁見の間に巨大な穴を開けてみせた。
「誅子! 大丈夫ですか!?」
「ク……ククク……見よ、聞忠。あれがこの国を救った男の力だ」
心配そうに駆け寄ってくる聞忠に、誅子は笑うしかないとばかりに溢す。強烈な破壊痕。まともに受ければどうなっていたか。死にはせずとも一撃で瀕死に追いやられていたのは間違いない。
それを成した偉丈夫は此方を威圧するようにゆっくりと武器を持ち上げる。
追撃はなく、されど逃げる事もない。
その泰然とした有様は誅子には眩しく見えた。
「……誅子、退きますよ」
「余に、また逃げろと言うのか?」
「いいえ、これは逃げではありません。何故なら私達には『天の声』がついています。万全の状態で迎え撃つ事は臆した事にはなりません」
重々しい誅子の問いに、聞忠は首を振る。
この戦いはあの時とは違うのだ。退いたところで国が滅ぶ訳ではない。どの道、勝ったところで金光聖菩は諦めるより他ないだろう。
そんな二人の会話に、褪せ人が聞忠へと視線を向ける。
「『天の声』とは」
「……答える義理はないのですが、今回ばかりは貴方達に追ってきて貰わねばなりませんからね」
馬鹿正直に敵に問い掛ける褪せ人に呆れの視線を送りながら、聞忠は鞭を仕舞う。
戦いの意思を放棄した事に、褪せ人もまたハルバードを降ろす。
「王国と、貴方達についた愚かな仙人共に告げなさい。天の声——元始天尊様は我らに味方したと」
——元始天尊
生憎と褪せ人の記憶にその名は無い。しかし、王国と神仙境の仙人達を前にして尚悠々と告げるその様は、その者が一筋縄ではいかない存在である事を予感させた。
名を告げたにも関わらず、反応の薄い褪せ人に聞忠は不満そうに呟く。
「無知というのは罪ですね……ですが、まぁ良いでしょう」
そう言いながら、誅子と聞忠を魔方陣が囲む。それが転移の術式だろう事は褪せ人にも予想出来た。
「オリュンポス第二層——崑崙にて貴方達を待ちます。どの道、貴方達は来るつもりだったのでしょう?」
そう言い残して、聞忠達は姿を消した。
オリュンポス第二層。まさか此処でその名を聞くとは思わなかった。亜神ディアスの座す神々の実験場。なれば、今回の騒動もまた亜神が裏で糸を引いているのか。
「……」
いずれにせよ、仙人達から話を聞く必要があるだろう。
そう思い、褪せ人は視線を置いて行かれたフェイロンへと向ける。
「側近ではなかったのか」
「……聞忠様にとっては、誅子様の側近である僕は邪魔者だったって事さ。肝心な計画について、僕は何も知らないのだから」
褪せ人の問いに、自嘲するようにフェイロンが笑う。
未だ立ち上がれはしないが、落ち着いているようであった。大した回復力だと内心感心する。
「聞忠様は、悪いお方ではないんだ。ただ、今は誅子様の事以外何も見えてない」
側近であるフェイロンを誅子から引き離す機会としては丁度良かったのだろう。
それはつまり、フェイロンが邪魔になるような事をするつもりなのだ。誅子の事以外何も見えていない聞忠にとって、諫言を呈する忠臣など邪魔でしかないだろう。
柱にもたれ掛かり、それ以上何も語らないフェイロンを褪せ人は徐に担ぐ。
「痛っ! な、何を……」
「お前には知っている事を全て吐いてもらう」
一切の配慮のない抱え方に抗議するフェイロンに、褪せ人が告げる。
例え主人の意にそぐわぬとしても、止めたいと思うのであれば手を貸してもらう。
「くっ……まぁ確かに贅沢は言えないか……でももう少し優しく抱えておくれよ」
「お前の態度次第だ」
褪せ人達は謁見の間を後にする。オリュンポス第二層、亜神達の住まう聖域に、再び足を踏み入れる事となるのであった。
「……元始天尊、確かにそう言ったのですね?」
「ああ」
華の国での騒動から数日経った。
王城の一室にて、褪せ人は王子達と共に仙人達から話を聞いていた。
「知っているのか」
「知っているも何も、元始天尊様は私達の上司であり、師でもある方ですから」
褪せ人の問いに、清源妙道真君が答える。
元始天尊。神仙境の長にして、三清と呼ばれる偉大な仙人の一人。かつては数多の仙人の師として、教えを授けたとされる、ある種華の国に君臨する神のような存在。
「有事に備えると言って、神仙境から離れられてそれっきりでしたが、まさかこんな時に名を聞く事になるとは……」
「どうして神仙境の長が今の聞忠達に味方するんだ?」
「残念ながら何も……あの方の性格ならば聞忠の言う事など突っぱねるのが普通です。それどころか、修行が足りないと言ってボコボコにするでしょうね」
その様が思い浮かんだのか、太公望がぶるりと身体を震わせる。どうやら、仙人達にとっても恐ろしい存在らしい。
「正直に言って、元始天尊様が手を貸すとは考え辛いというのが本音です。聞忠が嘘を言っているか、或いは何か事情がお有りなのか……」
「何にせよ、聞忠の挑発に乗るしかありませんね」
行方知らずであった元始天尊の名が出た以上、清源妙道真君も太公望も他人事ではない。誅子達がオリュンポスに向かったというのも無視出来ない情報である。
「ディアスが絡んでいると思うか?」
「さて……ですが、あの神が待つと言った以上、此方への干渉をしてくるかは微妙なところです」
王子の問いに、アスバールは口を開いた。
オリュンポスの頂点でディアスが待ち受けているのは間違いないが、もとよりオリュンポスはあらゆる神の住まう聖域である。オリュンポスに絡むからと言って、その全てにディアスの影があるかは何とも言えない。
「オリュンポス第二層、崑崙とはどういう場所だ」
「確か、華の国の原型となった場所の筈です。私は元々アスガルドの亜神なので詳しくはありませんが……」
褪せ人の問いにヘリューズが答える。創造神が世界を作る為の原初の実験場。今、この世界において華の国と呼ばれるそこは、かつて第二層崑崙を原型として生み出されたのだという。
「華の国の原型、ですか。そのような所に元始天尊様が居られるのですね……」
太公望が神妙な面持ちで呟く。
元始天尊はあらゆる仙人の源流とも言える存在。そんな彼女が、華の国の原型たる崑崙に居るという事に、多少考えるところがあった。
「一先ずは決まりだな。王国の次の目標はオリュンポス第二層、崑崙。聞忠達が何を狙っているのかは分からないが、俺達は彼女達の目を覚まさなければならない」
王子の言葉に、全員が頷いた。
華の国の暴走。そこに、神々の思惑を感じながら、しかし褪せ人達は足を踏み入れる他なかったのであった。
——オリュンポス第二層、崑崙
透き通った水が流れ、苔むした岩が並ぶ。人の気配はなく、ただ自然の気に満ちた世界。
そんな場所を、聞忠は一人歩いていた。
「華の国での用事は済んだのかい?」
そんな聞忠に、上方から声が掛かる。視線だけを上げれば、そこには一人の仙人の姿。
銀の髪を、両側で団子に纏めているのが特徴的なその仙人は聞忠の顔を見てケラケラと笑った。
「随分と怖い顔だ。その様子だと、上手くいかなかったらしい」
「……少し、計画の変更が必要になりました。貴方にも働いてもらいますよ、普賢」
仙人——普賢の言葉に、聞忠が静かに応じる。
落ち着いた声音。しかし、それが必死に感情を抑え込んでいる結果なのは明らかであった。
聞忠の言葉に普賢はあからさまに面倒だという表情を隠さずに言う。
「計画の変更、ね。別に構わないけど、誅子は知ってんのか?」
誅子の名を出せば、聞忠は笑った。先程以上に、その笑みには己の感情を隠す意味があったのは言うまでもない。
「誅子が知る必要はありません。此処からは、私だけでやります」
「おーおー、愛されてるねぇ誅子様は。何も知らされず、
普賢の皮肉に聞忠は不快気に眉を動かすが、それ以上は何も言わない。普賢は軽々と木から飛び降り、呉鉤剣を手に聞忠へと背を向ける。
「さて、私は行くよ。残りの十天君を始末しないといけないしな」
そう言って普賢の足音が遠ざかるのを聞きながら、聞忠は再び歩き出す。
彼女の視線の先では、膨大な仙力が渦巻いていた。自然から放たれるそれではない。
仙人としての修行を積んだ者が見れば、圧倒されんばかりの仙力はかつて邪仙と呼ばれた者達から収奪したもの。
「華の国は、私があるべき姿に戻します。そして、必ずや誅子を完全無欠な王に——」
聞忠はそう呟きながら空を見上げる。
膨大な仙力で満たされる中で、まるで嵐が避けるかのようにしてある一箇所が凪いでいた。
まるでそこだけが別の世界かのように穏やかで静寂に満ちている。光を背負い、ただ祈るようにして瞳を閉じている。
聞忠が見上げているその者こそが彼女の希望。あらゆる仙術を極めし仙人達の頂点。
そして今の聞忠にとっては、滅びゆく華の国を救わんとする慈悲深き天の声。
——元始天尊
聞忠はその姿を見上げ、己の決意を固めると、再びその歩を進めるのであった。
褪せ人の婚期を二十年遅らせてカゴメをアイドルデビューさせるか…
一体何の話をしてるんでしょうね…?