魔物が蘇り、華の国を十天君達が襲撃したあの日、華の国の王たる誅子は死ぬ筈だった。
「去る者は責めぬ。余と共に命を捨てる覚悟のある者だけがこの都に残るがいい」
平時の誅子の事はよく知っている。美男美女を囲って酒を飲むのが好きで、しかし同じくらいには下町で民と肩を組んで酒を飲むのも好きな遊び人。しかし民達の事を何よりも想い、政務を取り計らい、また鍛錬にも手を抜かなかった。
気風の良い善王。そんな彼女が、覚悟を決めた面持ちで側近達にそう告げたのだ。
そんな彼女を前に、去る者は殆ど居なかった。無論、全員ではなかったが、誅子は彼らを責める事は許さなかった。平和を取り戻した時、彼らが再び国の為に尽くしてくれる事を信じていたからだ。
「無論、余とて死ぬつもりはさらさらないぞ? まだまだ遊び足りんし、後継ぎも居ないからな!」
そう言って笑う彼女は記憶に残っている。それが強がりだったのは側近達の目には明らかだったが、それでもこの王に最期までついて行こうと改めて決意を固めるには十分であった。
しかし、その決戦の日が訪れる事は終ぞなかった。
「誅子は都を去りました。貴方達も、無為に命を散らす必要はありません」
空っぽの玉座の脇で、聞忠がそう言った。
それが誅子の意思では無いのは明らかであった。側近達も、言いたい事はあっただろう。しかし、聞忠の浮かべる表情を見れば、それも憚られた。
誅子は、戦う機会を与えられる事なく敗けたのだ。
「——これが、僕が知る誅子様と聞忠様にあった物語だ」
崑崙へ行く道すがら、フェイロンが語ったその物語に誰もが口を噤む。
押し黙った皆を前にフェイロンは、そのまま続ける。
「……別に、聞忠様が間違ってるとも思ってないんだ。あの日、誅子様が死ぬよりも、生きていた方がずっと多くの人を救えただろうから」
王の器が問われるのは、決して国が乱れた時だけではないだろう。
平時において、国を差配し民を飢えさせず平和を維持し続ける。そういう意味では、民達から善王と慕われていた誅子は疑いなく王だったのだ。
「……俺も、他人の事は言えないかも知れないな」
「王子……」
小さく呟いた王子の言葉に、ミレイユが心配そうに見つめる。
都を追われ、一度は敗走した身だ。それでも己は最終的には立ち上がり、王都を奪い返す事は出来た。
だが、もし自身の側に聞忠のような者が居たならば?
己の身を心の底から案じた者の、甘言を振り払う事は出来ただろうか。
「無用な仮定だ。お前は立ち、事を成した。それ以上の事はない」
「……そうだな」
王子に対し、褪せ人は口を開いた。
褪せ人にしてみれば、そんな仮定は何の意味もない。何よりも、あの王にとって、同じ立場の男から憐れまれるのはこの上ない侮辱であろう。
それに、他ならぬフェイロンが言ったのだ。王の器とは、国が乱れた時だけに問われるものではないと。ならば、誅子が王を問われるのは今ではなく、彼女が死ぬその時だろう。
そんな褪せ人に、目を丸くしたのはフェイロンだ。
「……驚いた。君はてっきり誅子様を嫌っているのかと」
「嫌っているつもりはない。私とて何をもって王たるかを知るわけでもない」
今の有り様を気に入らないと評したのは事実だが、彼女達に嫌悪を持っているかと問われれば否であった。
この世界と狭間の地における王の定義は違う。
エルデの王と呼ばれる事もある褪せ人だが、己が王であるなどとは露とも思っていない。
骸の上で朽ちた玉座に座る己は想像出来ても、彼らのように多くの臣下を傅かせ、民達の未来を想う姿などまるで想像出来はしない。
あの世界において最後の王と呼ばれるに相応しいのは、やはり忌み王ただ一人なのだろう。
壊れ、朽ちていく黄金律において、忌み子に生まれながらも彼はローデイルをまとめ上げた。
褪せ人は王たるを知らないが、少なくともあれは王であった。
「それにしても……これが華の国の原型か……」
王子は話題を変えるべく周囲を見渡す。
オリュンポス第二層、崑崙。自然豊かな山々に囲まれたその世界は成程確かに華の国と酷似していた。
「ほぼそのままですね。違うのは、こちらの方が自然の気が濃い事でしょうか」
清源妙道真君が王子の呟きに続く。
今歩いている場所は自然にこそ溢れているものの、華の国では大して珍しくもない竹林だ。にも関わらず、この辺りは霊峰奥地にある神仙境と何ら遜色ないほどに気に満ちている。もし、目的もなくこの地を訪れたのなら、腰を落ち着けて修行に励むのもやぶさかではなかった。
そんな竹林の中を、清源妙道真君と太公望に導かれるままに進む。
彼女達とて崑崙の土地勘などある筈もないのだが、そこは仙人、この地を訪れるなり彼方から吹き荒れる異様な気の残滓を感じ取り、真っ直ぐにそこへと向かうべきだと主張して今に至る。
「…………」
そんな道中、褪せ人は己の後ろで金光聖菩が此方に視線を向けている事に気付いた。
気になってそちらを見れば慌てて視線を逸らされる。しかし、しばらくすれば再び背中に視線が突き刺さる。
「……言いたい事があるなら言え」
「……!」
普段ならば無視しているが、変わり映えのしない景色を歩く中でどうにも気になってしまう。褪せ人が問えば金光聖菩は肩を跳ねさせた。
太公望は意地悪そうに笑う。
「この人、貴方にお礼が言いたいのに言えなくて半日もじもじしてるんですよ」
「なっ違……!」
「これが十天君で最も恐ろしいと言われた邪仙の姿です」
「殺すぞ!!」
霊獣に跨った太公望に掴み掛かろうとして、しかし軽やかに躱される。上空の仙人を睨めつけるも、当の彼女は微笑ましいとばかりに見下ろすばかりだ。
「別に礼を言われるような事はない」
二人のやり取りに、褪せ人は短くそう答えた。
己はただ太公望の策に乗っただけであり、礼を言われるような事は何もないのだ。
「……私とて死ぬつもりは毛頭無かったが、それでも救われたのは事実だろう」
金光聖菩がその冷たいとも取れる態度に不満そうに反論する。此方は半日も悩んでたというのにあんまりではないかと言う心境だ。
そんな金光聖菩に、清源妙道真君からも補足が入る。
「太公望は他にも幾つかの策を貴方に提案した筈です。その中で、一番貴方に負担の掛かる提案を選んだのは、少なからず彼女が連れて行かれるのを面白くないと思ったからではないですか?」
「……否定はしない」
この男もまた、面倒ではある。言葉は足りず、己の感情は基本的に二の次である。長く付き合っている王国の者が善人揃いでなければ大概衝突が起こっていただろう。
「お前がどう思っていようと、私はお前に恩義を感じている。だから……」
「…………」
「だから……その……あ、ありがとう……」
蚊の鳴くような声で、意を決して言葉を紡いだ金光聖菩に褪せ人はそれ以上何も言わなかった。気が収まらないと言うのであれば好きにすれば良い。
周囲が微笑ましいとばかりに金光聖菩と褪せ人を見る中、危機感を募らせる者も居た。
「……これは、良くないですね」
「ですね。一体何をしたんでしょうねこの人は」
イリスやフーロンのじっとりとした視線を受けながら、しかし褪せ人はそれに気付いていない。
そんな様子に王子が苦笑いを浮かべる。
「いつか背中を刺されるんだろうなお前は」
「慣れている」
「いやそうじゃなくてな……」
背中を刺されるどころか細切れにされた事すらある。意に介さない褪せ人に呆れを浮かべた王子達をよそに、一行は崑崙を進んでいく。
竹林を抜け、開けた視界の先にあったのは街であった。一行は警戒と共に街へと進むが、人の姿はない。
「……見覚えのある場所だな」
「原型、というよりはそのものと言った方が良いな」
褪せ人の言葉に金光聖菩が続ける。整然とした街並みは似ているという程度ではない。まさしく華の国の都そのものであった。だが、人の気配はまるでない。まるで華の国の街だけを再現したそれは、これから戦いに赴かんとする一行には不気味に映った。
「一体なぜこんな——」
「——待て、何か聴こえる」
歩きながら訝しげに周囲を見渡していた一行を金光聖菩が制する。大通りの先、微かに金属同士がぶつかる音が聞こえる。剣戟、何者かが争っている音だ。
「はぁ……はぁ……クソッ!」
「ハッ! いい加減諦めたらどうだ? 今の貴様じゃ私は倒せねぇよ」
音のする方へと向かえば、一人の仙人を前にして膝をつく誅子の姿。それを見て、王子が駆け出した。
「誅子!!」
「王子か……? 予想より早かった……な」
誅子を庇うように立ち、王子は仙人に向けて剣を向ける。その姿を見て仙人は呆れたように笑った。
「おいおい、お前達はそこの誅子を止めに来たんじゃないのか? まぁ、それはそれで構わないがね」
遅れて駆け出してきた清源妙道真君と太公望がその仙人の姿を見て警戒を強める。
「普賢……やはり貴方も居ましたか」
「神仙境の仙人達か。色々と話をしたいところではあるが……」
仙人——普賢は彼女達から視線を外す。呉鉤剣を握り締め、目的の相手を見つけると、一足飛びに駆けた。
矢の如く飛び出した先に居たのは褪せ人。その首目掛けて一切の躊躇なく呉鉤剣を薙ぐ。
「……!」
不意を打ったその一撃を、褪せ人は辛うじて首と剣の間に腕を滑り込ませる事で受け止めた。並の膂力であればそのまま押しのけて首を刎ねたであろうそれは、しかし並外れた膂力の前に止まる。
「お前だろう? 聞忠に一泡吹かせた相手ってのは……!」
普賢の攻撃に、周囲の者達も武具を構える。それでも直接止めに入らないのは褪せ人の反撃に巻き込まれない為だ。
曲刀と腕、一歩間違えれば致命的な結果が想像出来る鍔迫り合いに、しかし褪せ人は動かない。兜越しに普賢へと視線を送るのみ。誰もその表情を窺い知る事は出来ない。
「成程ね……」
一瞬か、或いはそれ以上か。不意に普賢は曲刀の力を緩めると褪せ人から距離を置いた。
「こりゃ勝てんな! やめだやめだ!」
普賢は曲刀を下ろすとあっけらかんと言い放つ。褪せ人もまた何事もなかったかのように腕を下ろす。
すぐさまイリスが駆け寄り治療を始める傍らで、フーロンは腰に差した竜鱗刀に手を添える。
「一方的に襲っておいて、何事もなく解放されると思ってるんですか?」
「思ってる。互いに時間はかけたくないだろう? 私だって好きで封神台なんかに協力してるわけじゃないんだ」
睨みつけるフーロンに普賢は涼しげに返す。封神台、という単語に太公望が反応した。
「封神台……? 仙人の力を束ねて一つに集める術式ですか……」
そこまで口に出して太公望は目を見開く。
「つまり、聞忠が十天君の命を狙っていたのは——」
「おっと、喋り過ぎちまった。これ以上喋られると私はアンタらを本気で足止めしなくちゃいけなくなる」
太公望の推論を普賢は慌てて制する。太公望もまた、続ける事はなかった。普賢が何らかの術によって自身の意思とは関係なく行動を縛られている事を看破したからである。
「不甲斐ないが、ここまでは聞忠の計画通りだ」
そう言って、普賢は膝をついたまま動けないでいる誅子へと視線を移す。
「良かったなぁ誅子、王国の庇護下なら貴様はクソ亜神に手を出されずに済む。聞忠もあれこれとお前に仕込んだ甲斐があったろうよ」
「どういう……事だ……?」
「籠の鳥だよ。お前はまた守られたって事さ」
誅子に対してそれだけ言うと、今度こそ一行に背を向ける。
「待ちなさい。貴方の言う亜神とは一体誰のことです? 元始天尊様が手を貸しているというのは——」
「——これ以上は喋れないな。私は逃げるが、追うなら好きにすればいいさ」
普賢は石畳を蹴ると、見る間に褪せ人達から遠ざかっていく。元始天尊に仕えているのは伊達ではない。追いかけて捕らえるのは不可能であった。
「ふざけるなよ聞忠……元始天尊っ……! 何故、いつも余を置いて行く……! 何故……何故ぇ……!」
残された誅子はただ己の非力を呪い、嗚咽する。何があったのか、その仔細は王子達には分からない。だが、聞忠が誅子を守る為に遠ざけたのだという事だけは分かった。
「……誅子、貴方達は封神台を使って一体何をしようとしているのですか?」
慰めの言葉はない。太公望は、ただ問うべき事だけを誅子に問うた。
僅かな沈黙の後、項垂れた誅子が訥々と語る。
「……天の声は、元始天尊様は仰られたのだ。最早、世を人の王に任せてはおけぬと。御自らが華の国を書き換え、民達の絶望と嘆きを消し去らんとしてくださったのだ」
「なっ……!?」
その言葉に声を上げたのはフェイロンであった。華の国の悲劇を、これまでの全てを無かった事にする。そんな荒唐無稽な計画を、彼女達は実行しようとしていたのだ。
過ちを犯し、それでも前を向くと誓った誅子を信じていたフェイロンにとっては裏切られたような感覚であった。
褪せ人もまた、兜の奥で眉を顰める。世界の書き換え。果たしてそのような事が可能なのだろうか。この世界の理について知らぬ褪せ人でも、それが神の領分である事は容易に想像が出来た。
ヘリューズとアスバールに視線を向ければ、二人共首を振った。
「正直、出来るとは思えません。幾ら十天君から仙力を集めようとも、歴史の改変に必要な分を賄えはしないでしょう」
時間を遡り、死者を蘇らせ、十天君と魔物の襲撃を無かった事にする。到底華の国だけで収まるものではなく、たかだか十人程度の仙人を集めたところで成せるものではない。
「くく、まぁそうだろうな。だが、元始天尊様のお言葉には力があった。不思議と心に染み渡り、思わず信じたくなる程にな」
結局のところ、全ては己の心の弱さが故にだが。そう言って誅子自嘲する。
「天の声、姿を見せない亜神ですか……」
何かを考え込むように呟くヘリューズに、フェイロンが思わず問い掛ける。
「何か心当たりが?」
「……今はまだ何も。少しこういうやり方を好む者を知っているだけです」
ヘリューズはそう答えるが、彼女の中では半ば答えは決まっているように見えた。しかし、彼女がそれを口にしない以上誰も追求する事は無かった。
「進むぞ」
「そうですね。可能かどうか以上に、聞忠の暴挙を止めなくては」
褪せ人の言葉に太公望が同意し、一行も前を向いた。目的は分からなくとも、封神台の仙力が碌でもない事に使われるのは目に見えていた。
先を急ぐ一行に、誅子もフェイロンの手を借りてよろよろと立ち上がる。
「余も連れて行ってくれ……最早、何が出来るのかも分からないが……」
誅子の懇願に褪せ人は何も言わなかった。それを決めるのは己ではないからだ。
アスバール達が王子の方を見ると、王子は迷う事なく頷いた。
「王として、誅子には最後まで見届けてもらう。今度こそ君は道を誤ってはならない」
「ありがとう……」
未だ心は晴れずとも、王子の言葉に少なからず楽になったのだろう。誅子はフェイロンからそっと離れ、自らの足で歩き始めた。
聞忠はただ、静かにその時を待っていた。
封神は成った。幾人かの十天君は取り逃がしてしまったが、それは大きな問題ではない。この封神台には、かの通天教主の仙力すら取り込まれているからだ。
後は、術式を妨害する邪魔者を消し去るのみ。
「……来ましたね」
多くの気配が近付いてくるのを感じる。それが何者なのかを、彼女はよく理解していた。
鋭い視線を向ける彼らに、聞忠は敢えて勝ち誇るように告げる。
「封神は既に成りました。元始天尊様のお力により、華の国は再び編み上げられる」
その様を思い浮かべる。あの悲劇は起こらず、誰も死なない。ただ平和な時代を歩んできたという事実だけが、この過ちの歴史を上書きする。
玉座に座る花は折れず、己はただその日常を陰で見守るのだ。
「愚かなり、聞忠。人を愛している貴方が、人が抗ってきた歴史を否定するのですか」
太公望から鋭い声が放たれる。だが、その程度で揺らぐ聞忠でもない。
「人は過つもの。故にこそ、仙人である私が正しき道筋へと導くのです」
風が吹くならば戸を立てよう。土が乾くならば水を引こう。
彼女はそうやって華の国を守り続けた。華とは、変わらず美しくあり続ければ良い。
だが、変わってしまった。他ならぬ彼女の手によって、華の国は大きく衰えてしまった。
「確かに人は過ちを犯したのでしょう。ですが、道を踏み外したのは貴方の方です、聞忠」
そんな事は分かっている。
聞仲は清源妙道真君の言葉に、苛立ちを覚えた。だが、彼女は言葉を続ける事をやめはしない。
「国の危機に主君を匿い、更には国を置いて主君を連れ出して……挙句一方的に切り捨てて守ってやったなどと」
聞忠は既に限界であった。自責の念に押し潰されそうで、それを必死に欺いてきたのだ。だが、目の前の忌々しい仙人達が、それを暴こうとする。
「貴方のそれは忠義に非ず。華王をただ愛玩動物のように飼っているだけです」
その一言は、彼女の取り繕った仮面の最後の一枚を叩き割った。
「……うるさい」
小さな声だ。だが、有無を言わさぬ力があった。
先程までの勝ち誇った姿などない。怒りと憎悪に歪んだ、華の国の邪仙の姿がそこにはあった。
「ならばどうしろと言うのですか!! あの時誅子を攫わなければ良かったと!? あの子の墓に勇敢な王であったとただ刻まれるのを見送ればよかったと言いたいのですか!!」
あの時の事は幾度となく後悔した。だが、彼女の中に誅子を見殺しにするという選択肢は無かった。あのまま送り出せば間違いなく誅子は死んでいたのだ。何も成せず、ただ民達から勇敢な王だったと惜しまれるだけの犬死にだ。そんなものを、彼女は絶対に認めない。
だが、道を誤ったのもまた事実だった。
感情任せに喚き立てる彼女に、太公望は手を緩める事はなかった。
「貴方一人の過ちで滅ぶのならば、それは滅ぶべくして滅んだのです。悲劇の主人公気取りはやめてくれますか?」
また煽ったな。
清源妙道真君が呆れの視線を向けるが、太公望は気付かない振りをした。実際、効果覿面だった。
顔馴染みである太公望や清源妙道真君にすらも、殺意に塗れた視線を向け、今にも飛び掛からんばかりに聞忠は乱れていた。
「もういい……お前達など潰れてしまえ!! 壊れ、砕け、その仙力を封神台に捧げるがいい!!」
彼女がそう言うと同時に、荒れ狂う仙力が人型を編み上げていく。姿を現したのは、既に死した邪仙の残滓。十天君と、通天教主の亡骸だった。
「聞忠……もうやめにしよう。余と華の国に戻り、共に過ちの責を償おう」
「誅子……」
誅子の言葉に、聞忠はその憎悪を一瞬引っ込めた。だが、誅子の願いも今の彼女には届きはしない。
「貴方に罪は背負わせはしません。私が必ず、華の国を元通りに——」
「そんな言葉を聞きたいのではない!! 何故私がなのだ! どうして私達でと言ってくれない!!」
何故一人で背負おうとするのか。それ程までに自分は頼りないのか。友だと思っていたのは自分だけなのか。
「…………」
誅子の心の叫びに、聞忠は押し黙る。長い沈黙の中、誅子は聞忠を見上げ、目を逸らす事はなかった。
やがて、聞忠が口を開こうとして——
『——そこまでです』
圧倒的な存在感が場を支配した。天から降りる光が、聞忠と褪せ人達を等しく照らす。
「これは……!」
知らぬ者はその光から感じられる強大さに目を見開き、知る者もまた信じられないとばかりに天を見上げた。
天より降りるは仙人の祖、数多の道を極めし者。
「元始天尊様……!」
太公望達がその姿を見上げる。
後光を背負い、荒れ狂う封神台の仙力すらも抑えつけるそれは文字通りに格が違う。褪せ人もまた、警戒せざるを得なかった。聞忠などとは比べ物にならない。それこそ、その威容はアスバールやヘリューズにも迫るだろう。
静かに、しかしそこに在るだけで場の主導権を奪い去った元始天尊は告げる。
『人は過った。最早人が世を治めるのは罷りならず、衆生は天によって導かれる時が来たのです』
「何を馬鹿な……! 他ならぬ貴方が人の世を否定するなど!」
「そうですよ! 頑張ってきた全てを無かったことにするなんて、天が許してもアタシが許しません!!」
『それは貴方達が何も失っていないからでしょう』
清源妙道真君とカゴメの訴えを、元始天尊は意に介さない。
自らの手からこぼれ落ちたもの。最早戻る事が無いはずのものを取り戻せると知り、何故事情も知らぬ者達が間違いだと言えるのか。
『十天君だけでなく、通天教主の仙力すら手の内にあるのです。私の力を使えば正しき歴史に書き換えるなど実に容易い。貴方達は何の権限があって我らを止めるのです?』
「目を覚ましてください。貴方は今、道を踏み外そうとしている」
『笑止、誰に道を問うているのです』
元始天尊に仙人達の言葉は届かない。
太公望も、苦い顔をしながら鞭を構える。元始天尊の力は未知数。だが、この仙人達を止めるには、最早力で押し通るより他ない。
「——茶番ですね」
一触即発の空気の中、その冷たい声はよく通った。
声の主へと視線を向ければ、それは意外な事にヘリューズだった。いつになく険しい表情を浮かべ、元始天尊の前へと出る。
「相変わらず虚飾を並べたてて、人を弄するのが好きなようですね」
その言葉は元始天尊に向けているようで、しかし違う誰かに向けていた。側から聞いている誰もがヘリューズの意図を図りかねた。聞忠とて同じだ。
元始天尊は、そんなヘリューズに対して先程のように言葉を紡ぐ事はなかった。
ふと、太公望は気付いた。あの元始天尊らしからぬ言葉の数々は、本当に彼女のものだったのか。ヘリューズの介入によって冷えた頭は、己の心に入り込んだ悪意に気付き、思わずその身を震わせた。
「この場の誰をも騙せても、血を分けた妹は騙せはしないでしょう」
謀略と裏切りの亜神。虚偽と欺瞞で他者を欺き弄ぶ悪神。そして、それは他ならぬヘリューズの姉であった。
「トリックスターを気取るのもこれで終わりです——イコル」
「……大人しく冥界に引き篭もっていれば良かったのに。まったく面倒だよ、きみは」
元始天尊の横で、黒い風が巻き起こる。元始天尊が照らす光すらも、嘲笑うようにして呑み込み、やがて一人の人型を成した。
闇色のローブに身を包んだ青髪の少女。イコルが忌々しげにヘリューズを見つめていた。
厄介な奴が妹を連れ回すので原作より早く暗躍ムーブが剥がれた人。
この姉妹全然絡みないんですよね…。