混沌とする戦場の中、突如として現れた白い壁。それが、褪せ人を囲っていく様を王子は見た。
「褪せ人!?」
予想だにしない出来事に狼狽する。王子は近くに控えていたミレイユに声を掛け、救う手立てを探す。
「フレデリカに伝達。砲術兵であの壁を壊せないか試してくれ」
「味方が多すぎます。今あの場で外から大規模な砲撃をしようものなら、間違いなく巻き込むかと」
砲術兵、そしてその部隊長を務めるフレデリカならあるいは、そう思っての事だったがミレイユにより退けられる。
確かに戦場は入り乱れ、壁の周囲で戦う者も少なくない。現状、大火力による破壊を試みることは出来なかった。
「くっ、なら…」
「王子、褪せ人様を心配するお気持ちは分かりますが、指揮官たるもの全体を俯瞰しなければいけません。あの方がそう簡単にどうにかなる方では無いのは、他ならぬ貴方も承知のはずです。今は、将としての判断を」
ミレイユの諫言は、どこまでも正論であった。こと強さという一点において、絶大な信頼を寄せていただけに、些か冷静さを失してしまっていた。その事を恥じ、ミレイユへと謝罪する。
「そうだな…あいつならあの程度の壁、何とかしてみせるか。すまない、冷静では無かったようだ」
「大丈夫です。その為に、私達が居るのですから。それにしても、そういう優しいところは昔から変わりませんね」
相変わらず、こういう風に言われると弱い。王子は気恥ずかしさを感じながらも、再び戦場を注意深く観察する。
暗黒騎士団長。あれは間違いなく己の前に現れる。その確信があった。そして、戦場を昏い闇が覆う。
「これは…」
「来たようだな…」
褪せ人から事前に聞いていた暗黒の波動。それが発動したのだろう。全身を脱力感が襲う。しかし、褪せ人から聞いていた程の圧は感じていない。恐らくは戦場全域に範囲を広げたことで効果が薄まっているのだろうと推察する。しかし、王国軍の兵士達全てを影響下に置くこの力が脅威であるのには変わりなかった。優勢に推移していた状況が、少しずつ拮抗状態にまで戻される。長引けば、このまま天秤は傾いていくのだろう。
「王子よ…。我が宿命の好敵手よ…」
黒い鎧のリビングアーマーが姿を現す。全身から闇を溢れさせ、空虚な兜の奥に闘争に燃える赤い焔だけが揺れていた。
暗黒騎士が、王子との戦いに終止符を打つべく、立ち塞がる。
「王子、お下がりください。ここは私が…」
「――悪いけど、邪魔はさせないよ!」
王子の近衛兵として、ミレイユが前に出る。しかし、それは暗黒騎士副団長のエルヴァが許さなかった。
振りかぶられた禍々しい黒い大剣をミレイユが聖槍で受け止める。
「ミレイユ!」
「人の心配を…している場合かっ!」
ミレイユを心配する王子に、暗黒騎士が大剣を振り下ろす。それを間一髪で避けると、王子もまた、剣を構えた。
「王子よ!ここで今、雌雄を決する!」
「…いいだろう。決着の時だ、暗黒騎士よ」
それぞれの戦いの幕が今、切って落とされた。
褪せ人は己の置かれた状況を分析する。
壁の上の少女が攻撃をしてくる気配は無い。先の言動から察するにどうやら、この状況でどう足掻くのかを楽しみにしているようだった。壁に触れ、その質感を確かめる。凹凸のないつるつるとしたそれは駆けあがる事すら困難極まるものだった。そうなれば、褪せ人に取れる選択肢は限られる。
――まずは、一当て。
褪せ人は赤みの帯びた黄金の、デボニアの大槌を構える。暗黒騎士にとどめを刺し損ねたそれは、しかし当たれば必殺の威力を持つ。
「むむ、壁を破壊する気ですね?では!頑張ってください!」
少女の反応はどこまでも無邪気なもの、壁が壊されるとは露とも思っていないのだろう。
大槌が褪せ人の手を中心に回転し、坩堝の、原初の黄金の光が収束する。十分に溜まったそれを、褪せ人は解放するとともに壁へと叩きつけた。黄金の衝撃波が、回転と共に放たれる。都度三回に渡るそれは、凄まじい衝撃音を壁内に響き渡らせた。
しかし、壁は健在。若干のひび割れこそあれど、破壊には程遠い結果。しかし、壊せないわけではない。
「驚きました…アタシの壁が一撃でこんなになるなんて。――でも、その手段はおすすめしません」
少女の口から純粋な賞賛が漏れる。彼女はぬりかべ妖怪の中でも最上に位置する存在。如何に優れた戦士、武具であっても傷がつくなど今までありはしなかったのだから。だが、それはある意味で誤った選択。故に少女は褪せ人へ純粋な忠告を贈る。
「――ッ!」
褪せ人が膝をつく。大槌の一撃の後、壁を傷つけると同時に、褪せ人はまるで心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが走る。攻撃が飛んできたわけでは無い。壁の上の彼女たちが何かした様子は、少なくとも褪せ人の見る限りでは無かったはずだった。
「――報いの大壁。アタシの妖怪としての力です。壁を傷つければ、その分だけ相手に呪いとして返る。そういう力です」
それは、この状況において無類無敵な力であった。壁を壊さねば抜け出せぬ状況。しかし、壊そうとすれば呪いによってその身が蝕まれる。褪せ人が祈祷を以て壁を攻撃しても、結果は同じ。遠距離であろうと、呪いは褪せ人の身体を蝕む。八方塞がり。そう思われた。
褪せ人は、祈祷でその身を癒す。そして、再び武器を構え、立ち上がった。
「あくまで、破壊するつもりですか?死んでしまうかもしれませんよ?」
他ならぬ自身が経験しただろうに、それでもなお破壊を選択する褪せ人の行動に少女は困惑する。確かに、この戦士の力なら壊せるのだろう。だがそれは、壁を壊す分の呪いをその身に受け続けることを意味する。常人なら壊せぬと諦める状況、よしんば諦めずとも、他の手段を探しただろう。愚直に貫き通すのはあまりに分が悪い。根が善良な少女は、その行動をやめるように促す。
しかし、褪せ人は止まらない。他の手段を検討したうえで、破壊が最良であったために。たとえそれが苦痛の伴う選択肢であったとしても、止まるつもりは無かった。
「歩みを止めれば、腐るのだ。腐り、何も成せないというのなら、いっそ死んだ方がいい」
玉座の牢獄のように、閉じ込められるのはもはや耐えられなかった。何もできず、腐りゆくというのなら、死んだ方がマシだと、そう思ったのだ。
褪せ人の手に槌が握られる。先の大槌に比べれば遥かに小さく、頼りないもの。しかし、実際にそれを見た者はそのような事を口が裂けても言えはしないだろう。
それはかつて、神が握り、一つの世界の理を破壊したのだから。
「――凄い!凄い!もう何も言いません!無限にっ!頑張ってください!」
少女は、もはや何も言わなかった。ただ、目の前の男が足掻く様をずっと、見ていたかった。洗脳され、暗黒騎士団の手駒となった今でも彼女の本質は変わっていない。壁を乗り越える人が、困難に足掻く人が、大好きなのだ。
東の国から王国まで来たのも、風の噂で魔物の支配から故郷を取り戻したという話を聞き、その英雄たちに会いに来たからだった。来てよかったと、心の底から思った。壁を乗り越えるのではなく、壊されるのは、これが初めてだった。
褪せ人が槌を振るう。その一撃が壁を揺らし、黄金の亀裂を走らせる。その度に呪いが褪せ人を蝕んでいくが、関係ないとばかりに叩きつけられる。二度三度と振るうたびに壁の亀裂は大きく広がっていった。
そして、とどめの一撃が放たれる。
褪せ人がゆっくりと宙へ浮く。右手の槌に刺さるルーンが光を宿す。そして、壁に向かって英雄的殴打が放たれた。
その一撃は壁に叩きつけられると黄金の衝撃波を壁全体に走らせる。そして、遂に壁が破壊されたのだった。
「――凄い!カッコいい!こんな人が居るなんて!」
崩れ落ちる壁と共に少女が大地に降り立つと、こちらに近づいてくる。あまりに無邪気で無防備な態度。このまま斬り捨てる事すら出来るというのに、興奮した様子の少女はどこまでも無防備で、洗脳されているのかすら疑わしくなったほどだ。
褪せ人がふらつく。呪いのダメージが深刻ではあったが、ゆっくりと褪せ人は少女へと近づく。そして、懐からそれを取り出した。
「それ、何です…あれ…?」
かつて、神たらんとした神人の残滓。ミケラの大ルーンを、近くで見せつける。もはや壊れ、崩れたそのルーンはただ、魅了の類に抗う力だけが残されていた。
「アタシ…なんで…」
果たして効果は劇的であった。正気を取り戻した少女を横目に一つの山を超えた事を悟る。しかし、受けたダメージは相当なもの。回復の祈祷を使う余裕はあるが、連戦のリスクは高かった。故に、褪せ人は決着をこの世界の英雄に託す。戦いは、終わりへと近づいていた。
「ぜぇいっ!」
「ッ!」
暗黒騎士の大剣を王子が躱す。先程王子の居た所を地を砕かんばかりの一撃が土埃を巻き起こした。返す刀で暗黒騎士を斬りつける。鎧の隙間、肉体無き闇を直剣が僅かに傷つける。
薄氷を履むような戦いだった。王子の直剣では、その重装に大きなダメージを与えられず、対して相手のそれは一度でも喰らえば致命傷のそれ。幾度となく放たれる必殺の一撃を躱しながら、巧みな剣術によって少しずつダメージを与える。
暗黒騎士もまた、好ましい状況ではなかった。暗黒の波動は着実に己の身体に負担を強いていた。しかし、だからといってそう簡単に出したり引っ込めたり出来るような融通の効く代物ではない上、現状、戦況がこちらに傾きつつあるのは間違いなくこの力のお陰。解いてしまえば王国の英雄達はすぐさまその天秤を押し戻すのだろう。
再び大上段に大剣を構える。王子へと肉薄し、振り下ろす。当然、王子はそれをステップで紙一重に躱すと、間髪入れず直剣にて突きを放つ。暗黒騎士の描く絵図通りに。そこを、振り下ろした大剣を半ば強引な体勢のまま、並外れた膂力に物を言わせて横薙ぎに振るった。肉を切らせて骨を断つ。重装故に可能な戦術。大剣が王子の胴、一般兵とそう変わりない鎧を打ち、吹き飛ばした。威力は乗り切っていない。無茶な体勢に加え、大剣と王子の位置が近過ぎたのだ。しかし、両断には至らなかったものの、それでも相当なダメージはあるはずだった。
吹き飛ばした先に、よろめきながらも立ち上がる王子。その目は未だ折れていない。
悪くない。殺すなら、殺されるならやはりこの男こそが相応しい。
ここが、この戦場こそが、己の魂の場所なのだと、そう改めて悟った。
だが、先の王子の放った突きは相応に己の身体にもダメージを与えていた。少しずつ、肉体の崩壊が始まっている。残された時間はもはやありはしなかった。
王子が無言で直剣を構える。胸の上辺りで切先を相手に向ける。王国の王子、その必殺の戦技の構えであった。
暗黒騎士もまた、大剣を構える。防御など考えない。ただ、この一撃にすべてを賭けた。
一瞬の静寂の後、二人が交差する。暗黒騎士の振り上げ、無防備になった胴を王子がその構えで以て斬り裂いた。
振り上げた大剣、それを振り下ろす事なく暗黒騎士が膝をつく。
「ぐっ…。だが、まだだ…まだ我は戦える…!」
「勝敗はついた。もう、これ以上はお前の身体が持たない」
崩れ落ちた暗黒騎士と、それを見下ろす王子。もはや、誰の目にも勝敗は明らか。しかし、無様を晒しても、身体が動く限り負けを認めるわけにはいかなかった。
もはや自分に後は無く、残された忠義だけが己を動かしていた。震える足を、大剣を支えにして立ち上がる。そこに、突如として虚空より声が響いた。
「そこまでだ、団長」
「そ、その声は…!」
虚空より、その声の主が現れる。暗黒騎士、その大柄な男と比して倍以上の差はあるだろう巨体、でっぷりと太ったその身体は見るものに圧を与えるもの。巨大な翼に、ねじくれた角を生やすいかめしい顔。それは、まさしく悪魔と呼ぶにふさわしい様相であった。王子は、あれこそが暗黒騎士団の背後にいた黒幕であると悟る。
「申し訳ありません…またも、無様を…。しかし!まだ負けてはおりません!この身が砕けるまで、御身に必ずや勝利を…!」
「もう、良いのだ、団長。無理をする事はない。よくその身体で戦ったものだ。君のその姿は美しく尊いものだよ」
悪魔は、おおよそその見た目に似つかわしくない優し気な声で団長を諭す。それはどこまでも慈悲深く、寛大な主君、そう思わせた。
「――とでも、言うと思ったかい?君はもう、ここで終わりだ」
「なっ!?」
だが、その幻想はすぐさま消え去る。愉悦と嘲笑に塗れたその顔はどこまでも醜く、おぞましいもの。悪魔は嗤いながら、種明かしを始める。
「王子の命なんて、ワシの知ったことではない。ワシは人間に力を与えて、苦悩する様を見るのが楽しみでね。要するに、君はワシの暇つぶしのおもちゃというわけだ」
悪魔は続ける。その身を魔に堕とし、力に溺れさせ、より深みへと墜ちてゆく様はこれ以上ない娯楽であったと。暗黒騎士の驚愕をよそに、ただその真実を明らかにさせていく。
「高貴な騎士であった君が、ワシの手駒として王子に挑んでは無様を晒す。なんとも滑稽極まりない。極めつけは、褪せ人…だったかな。あの男に無謀にも挑み、心を折る様は最高だった!実に楽しかったよ」
暗黒騎士の忠義など、この悪魔にしてみれば愉快なおもちゃに過ぎなかった。愚直に王子に挑んでは敗れ、次こそは、次こそはと無様に力を求める様のなんと滑稽な事か。
「だが、それももう飽きてしまった。実に愉快なおもちゃだったが、やはりそう何度も同じことを繰り返されてはねぇ…。ワシは次を探すことにしたよ」
「貴様…我を、我らの忠義を…おもちゃと、愚弄するか…!」
如何に愉快なおもちゃであっても飽きが来るのだと悪魔は言う。その言葉に、暗黒騎士が怒りに震えていた。
「ああ、最期に言っておくべきだったかな」
そして、決定的な言葉を、言い放つ。
「お前が守れなかった街、恋人、主君は、ワシが手慰みに放った手駒が殺したのだよ。お前は、他ならぬ仇に忠義を捧げていた、というわけだね」
「貴様ぁぁぁぁ!!」
暗黒騎士がその言葉に、怒りに大剣を構えんとした。だが、王子との決戦で力を使い果たし、限界を超えた肉体は言うことを聞いてくれない。目の前に、ずっと探していた仇が居るというのに。己の身体が動く事はなかった。
「さて、次はどんな奴を堕落させてみようか。ふむ…」
そんな暗黒騎士の慟哭をまるでそこに居ないかのように振舞う。いや、実際にもう興味を失っているのだろう。その視線が、王子へと固定される。
「王子とやら、君はどうかね?何か欲しいものはないかね?」
次なる標的を、堕落させるに相応しい相手を王子と定めた。堕とすなら、より高潔である方が望ましい。ならば、この男は最良のおもちゃとなる。悪魔はそう確信する。
「例えば、そうだね。力が欲しいとは思わないかね?あの、褪せ人のように、他を隔絶する力を。仲間を守り、人々を救う。そんな力は欲しくないかね?君はあの男の背を見るたびに感じていたはずだ。あの男に背負われてばかりの、己の不甲斐なさを」
悪魔は、まるで見ていたかのように王子の心を解きほぐす。今、最も欲しいものを、己なら提供できると。今までそうして、多くの者を闇へと堕とした。その手筈はどこまでも人の心を理解したものだった。
「…お前からもらうものなど何もありはしない」
「何?それは、どういうことかね」
しかし、王子はその甘言に乗ることは無かった。奥底にしまっていた欲望を暴かれてなお、その意思は硬く、揺らぐ事はない。
「俺は、俺の意思でその願いを勝ち取る。お前のような、忠義を嗤い、部下の命を弄ぶような者からもらうものなど、ありはしない」
王子は剣を構え、言い放つ。
「お前だけは…絶対に許しはしない。ここで果てろ、悪魔よ」
誘惑を断ち切った王子を前に、悪魔は目を細め。しかし、笑った。
「どうやら、ワシの次の遊び相手は決まったようだ。ワシが直々に相手をしてやるとしよう」
そう言うと悪魔は右手をかざし、力を放つ。それは、物質界と魔界を繋ぎ、門を作り上げた。
「魔界の門だと…」
「この世界と魔界が急接近している今、ワシのような上級のデーモンならゲートを開くのは実に容易いものだよ」
その言葉を聞き、益々逃すわけにはいかなくなった。このデーモンを放置するということは、王都の悲劇を再び引き起こす原因になりうる。何としても打ち倒す、その必要があった。
「魔界へ来るといい、王子よ。君の顔が絶望で歪む様を、ワシに見せてくれ」
そう言うと、悪魔――グレーターデーモンの姿はゲートの奥へと消えていった。
王子もまた、ゲートへと足を運ぶ。
「――待て」
その言葉に、王子は振り向く。その簡潔な言葉の主のことは知っていた。こういう時に、最も頼りになる戦友。その男の声を聞き間違えるはずがない。
「褪せ人…」
「王国の主が、唯一人で向かって、どうするというのか」
褪せ人は常と変わらぬ態度であったが、何処か無理をしているような印象を受けた。あの壁の中で何かあったのかもしれない。本当なら、無理をさせたくはなかった。だが、それでも今はこの男の助力が必要だった。
「一緒に来てくれ。あの悪魔だけは絶対に生かしてはおけない」
「無論。討つべき者が、果たすべき使命がそこにあるのなら、否やはない」
英雄二人が、魔界の門へと消える。その果てに何が待っていようと、この二人に退くという選択肢はありはしなかった。
武器切り替えで誤魔化しの効く褪せ人はともかく神器無しの王子は戦闘描写が難しい…
攻撃の間をチクチクR1連打する古き良きソウルスタイルが今の王子です。