乱戦苦手って言ったのに増やしたのが悪いね…。
聖杯。それは使い手を選ばない万能の願望器。
あらゆる奇蹟を齎すそれは、しかし無条件で人々に与える訳ではない。
奇蹟を引き起こすに足る代価。聖杯は己が器を満たす為にそれらを要求する。
捧げるものを聖杯は問わない。それこそ、その辺りに生えていた雑草ですら、聖杯は供物として拒む事はしない。
だが満たされるかどうかは別の話。聖杯が測るのは『その者にとってどれだけの価値があるか』である。
同じ金貨一枚であっても、貴族が捧げるのと飢えた民が捧げるのでは価値が違う。
生贄であっても、その者が己の肉親か恋人か、或いはどこかから攫ってきただけの子供かでは価値が違う。
聖杯が奇蹟を起こすのに捧げられる供物の量は比例しない。
パン一切れで街一つ救った事もあれば、国一つ捧げてただ一人を殺した事もある。
そしてその法則は、褪せ人とて例外ではない。
「……」
視界が黄金の光に包まれる中、自身の中の何かが失われていく。褪せ人にとっては慣れ親しんだものであり、しかし久しく感じていなかったものでもある。
褪せ人が捧げた供物、それは永き戦いによって積み上げられたルーンであった。
ルーン、それは人々に与えられた生命の祝福。こと壊れた狭間の地では通貨の代わりであり、褪せ人達にとっては己を高める血肉でもある。
ただし、この世界においてルーンに価値があるかというと疑問が残るだろう。何せ使い道がない。この世界ではルーンの取引などありはせず、指巫女が居なければ成長の糧とする事は出来ない。
褪せ人にしても、最早持て余しているだけの無用の長物でしかない。
ならば、何故それが聖杯を満たすに足りたのか。その答えは非常にシンプルなものであった。
それは圧倒的なまでの量。
狭間の地にて褪せ人は幾千、或いは幾万もの屍を築き上げた。その中には雑兵だけでなく、類稀な強者達もまた含まれている。
途方もない旅路、積み上げた骸の山。褪せ人の身の内に蓄積したルーンの総量は想像を絶する。
価値が薄くとも、捧げる量が足りていれば良いのだ。故に、褪せ人がやった事と言えば国一つを捧げた愚か者とそう変わりはしない。
永き戦いの歴史とも言えるそのルーンのおよそ半分。褪せ人は要求されたそれを捧げたのだ。
「何が……!?」
光が収まった後、イコルが周囲を見回す。
その景色に変化はない。リブラは依然として健在、罪人もまたその武器を振るい王国の英雄達と鎬を削っている。
不発か。そんなはずないと思いながらもイコルはそう思わざるを得なかった。
落胆の色が濃くなるイコルを他所に、褪せ人はゆっくりと地面に手をつく。
「…………」
他の者には見えずとも、己には見えている。
この世界で刻まれるはずのない、金色のサインに触れ、彼らを呼び起こす。
黄金の光と共にこの世界に立ったのは、一人の霊体。
尖り帽子とローブを纏い、青い輝石の嵌め込まれた軽大剣と直剣を両手に握った男。
召喚され、男は振り返ると笑みを浮かべる。そして、恭しく一礼した。
「コイツは……!?」
「敵ではない」
その姿に強い警戒を示した王子に、褪せ人が一言告げる。
この男は敵ではない。無論、王子が警戒するのも仕方がない。何とも数奇な縁もあるものだ。
慇懃な礼を示した男は褪せ人から視線を外すとリブラと罪人達を見据える。
そして、手にした双剣と共に滑るように駆けていった。
「…………」
リブラが新たな乱入者に対して目を細める。
そして大方の予想通り、リブラは新たな罪人を召喚する。尖り帽子にローブを纏った、召喚された男と同じ姿の罪人だ。
リブラの目が嫌らしく弧を描く。今更一人増やそうとも、無駄な事だ。天秤の傾きは、常に公平を維持される。
「——誰が一人だけだと言った」
突如感じる殺気。リブラは咄嗟に飛来するそれを掴み取る。
それは矢であった。黄金の光を帯びた、聖なる矢尻。
リブラが放たれた先を見れば、黄金樹の弓を構える狩人を思わせる服装の女。
それだけではない。
「……!?」
褪せ人の周囲、次々と戦士達が召喚されていく。豪奢な鎧を着込んだ大柄な戦士。見窄らしいローブを纏った魔術師のような女。
統一感はなく、雑多な寄せ集めにしか見えない彼らは一様に金色の光を帯びている。
事実、寄せ集めだ。報酬の為、討つべき敵への渇望、単なる義侠心。召喚に応じた理由も、彼ら自身の強さも様々だ。
褪せ人を中心に、呼び出された戦士達がそれぞれの武器を構える。雑多な寄せ集め。しかし、そんな彼らに共通している事がある。
目の前に討つべき敵が居るという事だ。
「——維持してみせろ、お前の天秤を」
「……!!」
リブラが再び罪人を召喚する。悪魔が天秤を維持し続けるのであれば、褪せ人はそれを傾け続けるまで。
盛大ないたちごっこが今、始まろうとしていた。
「——!」
罪人達の群れの中、レラーナの双剣を両手に男は駆ける。殺気と怒号。魔術と矢が飛び交い、踏み締める大地は赤い血が点々と落ちている。
悪くない死地だ。血の指として狩りをする合間の息抜きのつもりだったが、まさかこれ程の僥倖に巡り会えるとは。
男の目の前に、罪人が立ち塞がる。
女の罪人。己の知らぬ武器を構え、虚ろな表情を浮かべている。
「——」
霊体でなければ、男の口からは笑いを噛み殺す声が聞こえていただろう。見知らぬ武器、見知らぬ術、知らぬ異形と罪人達。
何とも羨ましい。あの時縊り殺していればこの世界に居座れただろうか。
迫る女——アブグルントの姿をした罪人に、男は手に持つ双剣の戦技を発動させる。
月と火の構え。男の双剣に魔力の光と炎がそれぞれ灯される。
その姿を見て、罪人に警戒などありはしない。ただ目の前の敵に、己が槍を振り下ろすだけ。
「——」
男が右手に握った軽大剣を振るう。放たれるのは青い光を湛えた斬撃。光波となって飛来するそれは、いとも容易く罪人アブグルントの胴を両断した。
「……!」
泣き別れた身体を無感動に見つめる罪人に、男の手は緩まない。二撃、三撃と放たれるそれは罪人の身体をたちまちに細切れにした。
ぼとりと落ちた肉塊がやがて光に溶けていく。やがて砂地の上に光の塊となったそれを、男は徐に拾い上げた。
黄金の光が男の中に溶けていく。
それは男の身体を癒やし、そして僅かながらに力を与えた。
得も言われぬ感覚に目を細める男の周りに、更に罪人達が迫り来る。
それらを見渡し、男は杖を片手に浮き上がる。
「——」
形を成すのは双月。莫大な魔力によって形成された二つの月が、大地に向かって落とされる。
落ちた月は魔力の波を伴い周囲に伝播、罪人達を吹き飛ばす。
崩れ落ち、次々と光に溶けていく罪人達を見回しながら、男はリブラの方へと向き直った。
「…………」
リブラは何も言わない。だが、徐に手を突き出した。
展開される魔法陣、放たれるのは、無数の黄金の礫。高速で飛来するそれを受け、男の身体に風穴が開く。
——そう来なくては、面白くない。
肉を抉られ、その霊体が薄く消えていく中、男は最後まで壮絶な笑みを浮かべていた。
「褪せ人! あれは味方と思って良いんだな!?」
「構わん。だが、連携など考えるな」
王子の問いに、褪せ人が端的に答える。突如現れ、圧倒的な力を振るう金色の戦士達。異常なまでに戦い慣れ、どこか見覚えのある武具や術を使う彼らは間違いなく褪せ人の世界から来た者達だ。
乱戦の中、召喚した協力者の一人が罪人達によって倒される。
少しずつ身体が消えていくその姿を見ながら、褪せ人は再び地面に刻まれたサインに触れる。
再び現れる金色の戦士。武器を持ち、何の躊躇いもなく罪人達とリブラへと駆けていく。
召喚に対する制限も負担もない。倒れたそばから補充される。
随分と懐かしい。まるでいつぞやの戦祭りを思い出させた。これが聖杯の力。勝利を願い、それを叶える願望器。
「——コストについてはご心配なく。貴方はただ、勝利に向かって歩みを進めれば良い」
いつの間にそこに居たのだろうか。褪せ人の傍ら、見慣れぬ少女が聖杯を抱いて佇んでいる。
黄金の髪、丈の合わぬ白いローブを纏った小柄な少女。だが、そんな彼女から発せられる神威は並のそれではない。それこそ聖杯と同等。いや、むしろこれは——
「ボクについては後程。今は貴方の勝利を叶える為の道具だと思っていただければ」
少女がそう言うと、聖杯を頭上に掲げる。
聖杯と少女が光を放ち、輝ける神威は戦場を覆い尽くした。
「力が溢れてくる……!」
王国軍は奇跡の光の下、力が増していくのを感じ取る。十中八九、褪せ人の隣の少女の仕業なのは間違いない。
「……!」
対して、罪人達の動きは大きく鈍った。
まるで足枷を嵌められたかのようにその歩みは遅く。振るう武器もまた、まるで泥の中にあるかのように緩慢としている。
「今ならやれる……! 押し通れ!!」
王子の号令。
一度傾いた天秤を元に戻すよりも早く一気呵成に攻める。この機を逃すわけにはいかない。
そして当然、リブラがそれを黙って見ているはずもなかった。
——悪魔により、逃れられぬ眼が開く。
「何……ぐぁっ!?」
突如訪れたそれに王子が思わず跪く。
それが何かは分からない。脳裏に浮かび上がるのは悪魔の眼。獣のように横長の瞳孔が此方を見つめ、己が脳髄を掻き乱す。
言葉に出来ないその感覚は、常人にとって耐え難き苦痛である。そしてそれが降りかかるのは、決して王子だけではない。
「くっ、何が……!?」
「キツいわね……これは……」
アスバールとアブグルントもまた頭を抱える。周囲を見れば褪せ人と、呼び出した協力者達も同様だ。
動きの止まった王国軍をリブラは悠然と眺め、そして再び手を掲げる。
「不味い……!」
手に宿るは黄金の光。あれが砕かれれば再び罪人達が現れる。
何とかして止めなければならないが、狂気の眼がそれを許しはしない。再び天秤が傾いていく。リブラの瞳が狂気に苛む王国軍を映し出す。
「…………」
——そんな中だ。狂気の視線を受け、ただ一人他と違う動きをした者が居た。
それは一人の協力者。不気味な黒い覆面を被った見窄らしい裸の男だ。狂気の眼を受け、少しずつ削れていく正気に対して、遂に叫び声を上げた。
「アアァァ……ウアアァァァァァ!!」
聞くに堪えない絶叫。それは単なる喧しさとは別の何かを感じさせた。リブラですら、手を止めて男の方を見る。
金色の光を帯びた男の肉体。まるで巨大な何かに握られたかのように焼け痕が刻まれている。
覆面の下、僅かに見えるのは黄色く焼け爛れた異形の瞳。
「…………!!」
男は頭を抱え、苦痛と共に瞳から溢れ出すそれをリブラへと向ける。
リブラの狂気は、別の狂気を呼び起こした。男の眼から、黄色い炎が溢れ出る。
「……!?」
それを見てリブラが動き出そうとするより早く、男の眼から炎が放たれた。黄色い炎を収束させ、一本の矢の如きそれがリブラの胸を貫いた。
「グゥ……!!」
それは狂い火。リブラの黄金とは別の狂気。
雑多な協力者の中に、図らずとも紛れ込んでいたそれはリブラにとってはこれ以上ない天敵である。
リブラの目の前で男が両手を広げる。溢れ出す瞳の炎は収まるどころか尚勢いを増している。
それは王を讃える祈祷。瞳から漏れ出た炎が形を成す。
黄色い太陽。見上げてはならないそれは、この世界の者達にとっても忌むべき存在。
「見るなッ!!」
それが何なのかを知る王子が叫ぶ。あれもまた味方ではない。目前の悪魔と比して尚タチの悪い化け物である。
王の頭から狂い火が溢れ出す。それはリブラと、そしてその周囲に居た罪人達を等しく焼き尽くした。
「アアアアァァ!!」
リブラが己の両目を抑え悶え、叫ぶ。狂気を齎す者は、同じく狂気に呑み込まれるものである。
狂い火はリブラにとって特効であった。戦場を見つめる眼が消える。
「よし……これなら!」
頭を侵す狂気は消えた。依然として狂い火が渦巻いているが、少なくとも動けるようになったのは間違いない。
狂気に侵されたリブラ。最早その天秤は形だけの平等すら保つ事が出来なくなりつつある。
故に、追い詰められた悪魔は形振り構ってはいられない。
「公平……!」
瞳を焼き溶かしながら、リブラが罪人を召喚する。
その人数はこれまでの比べものにはならない。明らかに此方よりも多く現れたそれが、武器を構える。
——悪魔により、乱闘が始まる。
「あっ! あいつズルし始めましたよ! ズル!」
「元々反則じみてましたけどね……」
カゴメの言葉にフーロンが言う。
公平という言葉を借りただけで戦場を好き放題していた悪魔の化けの皮が剥がれただけの事。そして、向こうがそれ程までに追い詰められている証左である。
此方の倍程に召喚された罪人達。しかし、その挙動は先と異なる。
武器を振り上げ、目の前の相手にそれを振るう。そこまでは同じだ。だが——
「仲間割れ……でしょうか?」
振るわれた先は、あろう事か一番近くに居た別の罪人。
背後から斬りつけられ、罪人は此方から視線を外すと己を傷付けた罪人を無感動に見遣る。そして、躊躇う事なく反撃を始めた。
これまでとは違う。
明らかに異なる挙動に、戸惑う王国軍にアスバールが声を張り上げた。
「これは好機です! 敵は罪人の動きを制御出来ていません! 刺激せず、同士討ちをするように仕向けてください!」
罪人の動きが変わった。罪人と王国軍という構図から、王国軍と、無作為に暴れ回る罪人達へと。
数こそ増えたが、上手く対処すれば天秤の傾きは更に此方へと傾くだろう。
「此方を狙ってくる罪人だけを攻撃しろ! 勝手に争ってる奴らは相手にするな!」
神器を振るい、王子もまた叫ぶ。全員が同士討ちを始めたわけではない。対象を無差別に選ぶが故に、逆に一層戦場が混沌とし始めているのもまた事実であった。
そして、その混沌の状況は、謀略の亜神にとって好都合でもある。
「あまり調子に乗らない事だ……!!」
無差別に襲いかかる罪人達、亜神にとってそれらを躱す事は容易であった。
姿を変え、或いは視線を遮り、時には背後から攻撃して誤認させる。
流れるように行われるそれは、イコルにとって何一つとして難しいものではない。
「居た……!」
狙いは当然、今なおこの試練を破壊しようとする褪せ人である。サインに触れようとしたところを、魔法弾で牽制する。
「……!」
「ははは! そう簡単に終わらせる訳がないだろう?」
イコルが嗤う。召喚出来るのは、あくまでこの男だけだ。この男を縫いとめてさえ居ればリブラの天秤は再び維持される。
「やってくれたよ……まさか聖杯を横取りされるなんてね!」
放つ魔法弾。褪せ人はそれを躱し、すかさず雷の槍を投げる。だが、それもイコルは容易に躱す。
褪せ人のそば、ただ黙して佇む少女に対してイコルは目を向ける。
「僕の願いはまだ終わっていないぞ? だというのに、随分と尻軽じゃないか? えぇ?」
「貴方が望んだのは、盤面を整える事。リブラを呼び出した時点で、ボクに願った望みは果たされています」
亜神の酷薄な笑みを前にしても、少女の表情は変わらない。
超然としたその姿は、神を前にしてもなお崩れる事はない。
「……まぁ、構わないさ。結局お前は出来損ないの神器だったというだけの事。そこの男諸共に朽ちてしまえば良い!」
イコルがそう言うと、魔術を展開する。トリックスターとしての本領、他者を惑わし、陥れる悪逆の権能。
争い合っていた罪人の手が止まる。そして視線は、ただ一人。褪せ人のみを見つめている。
「罪人の敵意を全てお前一人に集めた。もう同士討ちはあり得ない。この場で、今度こそ死ぬがいい」
イコルがゆっくりと腕を降ろす。それを合図に、罪人達は一斉に褪せ人へと殺到した。
「そんな……!」
「罪人を止めないと!」
王国軍が、脇目も振らずに走る罪人へと攻撃を加える。だが、止まらない。腕を捥がれようが、胴を撃ち抜かれようが、まるで視線を固定されたように褪せ人のみを見つめている。
ヘリューズの姿をした罪人が褪せ人目掛けて術を放つ。
「……!」
元が亜神故か、その火力は強大極まるもの。咄嗟に避けなければ、褪せ人は間違いなく消し炭になっていたのだろう。
だが、当然それだけでは終わらない。新たに生まれた罪人——召喚された戦士の罪人が褪せ人目掛けて弓を放つ。
術を回避した直後の褪せ人はそれを避ける事は出来なかった。
「ゴハっ……」
「褪せ人様!?」
イリスが悲鳴混じりに叫ぶ。空気が漏れるような音。罪人の放った矢は、寸分違わずに褪せ人の鎧の継ぎ目を狙い、喉元に突き刺さった。
致命の一撃、褪せ人の思考が白く染まり、動きが止まる。
イコルはそれを見て壮絶な笑みを浮かべた。
「褪せ人ーっ!!」
カゴメが声を張り上げ、褪せ人のもとへと駆ける。だが、間に合わない。罪人達の方が褪せ人に近く、また速かった。
「——彼が願ったのは、勝利です」
故に、この盤面をどうにか出来るのはただ一人のみであった。彼女が再び聖杯を天に掲げる。再び、戦場を神威が覆った。
「聖杯……!!」
動きの止まった罪人達。イコルもまた、泥濘を泳ぐような不快な感覚に苛立ちながら、神威を放つ少女を睨みつける。
大勢の罪人達。まるで時の止まったかのような世界で、褪せ人は喉元に突き刺さった矢を強引に引き抜く。
「ヒュー……ヒュー……」
血が喉の穴から溢れる。呼吸をしようにも、その殆どが漏れているのだろう。すきま風のような音が、口とは異なる場所から聞こえてくる。
乱暴に引き抜いたが故に、飛び散った血飛沫が少女の顔を汚す。だが、彼女は何も表情を変える事はなかった。
「貴方が諦めない限り、ボクは勝利の為に力を貸しましょう」
そして、貴方は諦めない。故にこの勝利は必然である。
褪せ人の周囲、無数の金色のサインが浮かび上がる。地面を血で汚しながら、褪せ人は手を付き、戦士達を呼び起こす。
新たに現れた戦士の一人が、その手に持った剣を振るう。
それは神の遺剣。褪せ人が持つそれと全く同じ黄金の剣を、罪人達に振るう。
死なぬ筈の神、その遺体より造られた剣は往時の黄金を解き放つ。地を這う黄金の波は罪人達の燻んだ黄金を飲み込み、そして破壊し尽くした。
罪人達の包囲網が瞬く間に崩れ去る。そこを、別の協力者が追い討ちをかける。
「…………」
放つは暗黒の星々。虚空より現れるのは、無数の小隕石。かつて、永遠の都を破壊し尽くしたその力は、罪人達を押し潰し、破壊し、蹂躙した。
「馬鹿な……!?」
この局面で、並外れた力を持つ協力者達。まるで奇跡のようなそれはしかし、都合良く捻じ曲げられた結果である事をイコルは知っている。
聖杯の願いとは、因果を超える。故にあり得ない事ですら、目の前の光は起こし得る。
「リブラ!!」
イコルの指図を聞いた訳ではないだろう。しかし、リブラもまた動き出した。
戦士達の足元に魔法陣が展開される。狂い火の戦士を消し去った光の柱の予兆。だが、戦士達はまるで知っているかのように躱して見せた。
「……!」
リブラは自身の前に魔法陣を展開。放つのは黄金の礫だ。
だが、それも当たらない。回転して無作為に放った礫は、今なお動けない罪人達に風穴を開けただけにとどまる。
「強い……!」
今まで召喚された中でも別格の戦士達。躱し、通り掛かりに罪人達を斬り捨て、リブラの前まで駆け抜けていく。その中には当然、褪せ人の姿もあった。
「させるか……!!」
イコルが動く。聖杯の束縛を力づくで突破し、戦士達へと魔術弾を放つ。
そんなイコルを見て、褪せ人は進路を変えた。リブラから、イコルへと一足飛び肉薄する。
「……!」
まさかこの男が進路を変えると思わなかったのだろう。一瞬目を見開き、しかし彼女は覚悟を決めた。
両手に魔法陣を展開し、褪せ人を迎え撃つ。
「ハアァァァ!!」
カウンターはこの男に読まれる。故に、放つのは渾身の魔力弾。守勢に回るのは、知らない手札を持つこの男にはリスクしかない。
果たしてそれは半分正解であり、半分不正解であった。
褪せ人は幾度もイコルの魔力弾を見ている。その予備動作も、魔法陣が光を放ってからどれだけの間を置いて放たれるのかも、知っている。
「なっ……」
紙一重、致死の魔力弾を鎧が掠める程で躱し、褪せ人はイコルの身体を捕まえる。
背中に手を回し、抱き抱えるようにして、空いた手に持つのは一本の大剣。逆棘が巻かれた、黄金の剣である。
褪せ人はそれを、イコルの腹に躊躇なく突き刺した。
「カハッ……」
華奢な身体だ。魔術の神である彼女では褪せ人を引き剥がそうにも弱々しい抵抗しか出来ない。
褪せ人はそのまま逆棘を開こうとして——やめた。
「…………」
剣を引き抜くと、イコルはそのままよろよろと下がり、倒れた。
褪せ人はほんの一瞬、視線をヘリューズへと向けるとそのまま再びリブラのもとへと駆け出した。
「…………!」
迫る黄金の戦士達を前に、リブラの顔が歪む。罪人達は動けず、相手の力量は上。己一人に対して集団で襲い掛かる。
何たる不公平。何たる理不尽。
それは到底看過できるものではない。
「…………!!」
リブラが再び試練を課す。
褪せ人達を強烈な脱力感が襲う。体力を奪われ、魔力もまた著しく収奪される。
無益な試練。平等も何もない。己が苦しいのだから、お前達もまた苦しむべきであるというリブラの一方的な主張がこの試練を齎している。
「……くだらん」
だからどうした。褪せ人達は試練など知ったことではないとばかりに切って捨てる。
今更体力が削れた程度でいちいち狼狽える事もない。寧ろ、相手が馬脚を現した証左である。
褪せ人の手に握られるのは、劫罰の大剣。
「……!!」
リブラは褪せ人の持つそれを警戒し、近付かせまいと杖を振るおうとする。
だが——そんなリブラを、黄色い炎が襲う。
「ガッ……アアァァァァ!?」
褪せ人とは別の、神の遺剣を握った戦士がその目に狂い火を宿し、それを放つ。
狂気が弱点である事を、既に彼らは知っている。ならば当然、使わないはずがない。
瞳を焼き溶かし、脳髄にまで達する名状し難き痛みにリブラが頭を抱える。
「アアアアァァァァ!!」
それでも乱暴に、黄色く染まった視界の中でリブラが腕を振り回す。
だが、それを咎めるように、青い斬撃が斬り裂いた。
尖り帽子のローブの男。彼が振るった斬撃は、リブラの腕を斬り落とした。
「——」
リブラの前で、男は慇懃に一礼する。
その顔は、愉しくて仕方がないとばかりに笑みが浮かんでいた。それが、今のリブラには酷く癪に触る。
だが——遅かった。
「アッ……」
リブラの脳天を、何かが貫いた。焼き溶かされた瞳の痛みの中でも、それだけははっきりと感じたのだ。
薄い視界の中、目の前にいる鎧の男。リブラの肩に両脚をかけ、逆棘の剣を脳髄に突き立てる。
そして——
「オオアァァァ!!? グガアァァァ!!」
——リブラの体内で、逆棘が開いた。
無数の逆棘はリブラの体内を蹂躙し、肉を裂き、内臓を抉る。全身の目が忙しなく動き、痙攣し、血涙を流す。だが、褪せ人が手を緩める事はない。
腕はなく、最早もがく事すら出来はしない。
何たる理不尽。腕がないなどと、何たる不公平か。
リブラの頭の中で、痛みに苦しむ以上に浮かんできたのはそれだった。
褪せ人が劫罰の大剣を引き抜く。
支えを失ったリブラの身体はどさりと倒れた。
やがて、リブラの身体が光に溶けていく。それと同時に罪人も、そして金色の戦士達もまたその姿を少しずつ消していく。
それが意味するのは、褪せ人の願いが叶ったという事。
「……終わったのか」
あれだけ混沌とした戦場に、静寂が降りてくる。
その中心に立つのは、血塗れの鎧の男。
「無事、貴方の望みは叶えられました」
男のそばに、聖杯を抱えた少女が歩み寄る。顔を血で汚し、しかし超然とした微笑みを崩さぬ少女。そこには疲れも、達成感もありはしない。
褪せ人はそんな彼女へと静かに視線を返すのであった。