…参考にしていいのだろうか
最初はただ、魔界に紛れ込んだ人間。その程度の認識だった。
特に、魔界と物質界が近づいてからはそう珍しいものでもない。他のデーモンに連れ去られ、奴隷として弄ばれ、壊され、捨てられる程度のもの。
彼女自身、それに左程興味はなかった。彼らの悲鳴、恐怖、絶望の表情は多少彼女の気を引いたが、それもありふれたものであるが故に、すぐに興味を失った。
それでも、その人間が偶然に目に入ったのは、ただひたすらに強かったからだろう。魔界にあって、デーモンと渡り合うばかりかそれを容易く殺しうる存在。人間という中でも特異個体であると、彼女も少しばかり観察の価値を認めた。
しばらく観察して、その特異個体は実に興味深いものであった。この逆境にあって、絶望もせず、悲観もせず、ただ淡々と己の目的の為に歩みを進める。その揺るがなさは、彼女をして好感が持てるものであった。その心が強靭であればあるほど、それは彼女を悦ばせた。
そして、その揺るがぬ歩みの、しかしその踏みしめる道の不確かさこそを認めたが為に、彼女は哂った。この出会いこそが運命であると、そう思ったのだ。
「あまり、警戒をしないでくださいな。悲しくなってしまうわ」
白い悪魔が、笑みを張りつかせたままに口を開く。その言葉とは裏腹に、全く気にした素振りは無い。先程まで殺し合いを続けていたデーモン達、その同族を前にして、警戒するなというのが無理な話であった。
ただ、褪せ人だけが、目前の悪魔が魔王軍とは関係無いだろうと推測できた。魔界に来てから感じ続けていた視線。その正体こそがこの悪魔であると、そう感じたが故に。
「…何の用だ」
褪せ人が問う。この女悪魔が、自分に用があるのは明白だった。アナトリアも警戒こそすれ、何も言わない。
「ふふ、話が早くて助かるわ。貴方に依頼をしに来たの。そちらにとっても、悪い話では無いと思うわ」
女悪魔が、その言葉に笑みを深め、そう返す。
「報酬は、魔界の門で貴方達を物質界に帰すこと。それと――かつて魔王が封印されていた、その場所の情報」
「…何?」
それは、褪せ人をして予想外なもの。思わず声を上げる。前者に関しては良い、上位のデーモンであると判断できる以上、こちらからそれを要求するつもりであった。だが、後者に関しては全くの想定外。断るという選択肢は、無かった。
「内容を言え」
「嬉しいわ。断られるんじゃないかって、心配していたの」
その反応はどこまでも薄っぺらなもの。断られるなどと、露とも感じていない。しかし、そんな茶番じみたやり取りすら、楽しんでいるような印象を受けた。
「依頼は簡単。私の名前を騙って、人間を集めて好き勝手しているのが居るの。それを殺してほしい、それだけよ」
彼女はそれなりに力のある悪魔なのだろう。その名を騙り、悪事を働く。その不逞な輩を殺してほしい。そんな依頼だった。
「それは、こいつにやらせないとだめなのかい?あんたが動けば、それで済みそうな話だ」
「少し、厄介な所に居るの。一人だと心細いわ」
アナトリアの真っ当な疑問に、全く心にもない反論を返す。
実のところ、彼女は彼らの事などどうでもいいのだ。あるいはその興味の無さこそが、彼らにとって都合がよかったのだろうが。その名を騙り、人間を攫おうとも彼女は動かない。しかし、今回は違った。目の前の男を動かすのに都合の良い贄に使わせてもらう。今までお目溢しをしてやったのだ。こういう時に、その代償を払ってもらえればいい。
「まぁ…一番の理由はそうね。そこの人間のファンになってしまったの。その活躍を間近で見たい。そんな所かしら」
薄い笑みを浮かべて、褪せ人を見つめる。恐らくその言葉に嘘は無い。だが、それ以上に言い知れぬ何かを、アナトリアは感じ取る。
「そこの妖怪の子の言葉を借りるなら、私も彼の
「むむ…同好の士、と断言できない引っ掛かりを感じます…!」
その言葉に嘘は無いと、そう感じるのに絶対に相容れない予感しかしない。カゴメはそう思った。
「そうかしら?私達は意外と仲良くなれると、そう思うのだけれど。頑張り同盟、どうかしら?」
「そう…でしょうか。うーん…そんな気がしてきました。頑張り同盟、頑張りましょう!」
流されるな。褪せ人が内心でそう思うも、頑張りという単語に弱すぎる彼女はあっさり乗せられる。何となく、碌な事にはならない。そう思った。
「話はまとまったかい?いずれにせよ、今日は休んで明日に備えな」
「そうね。きっと、それが良いわ」
アナトリアの意見に、悪魔が賛同する。
「あぁ、自己紹介がまだだったわね。アブグルントよ。よろしくお願いするわね、英雄さん?」
その日の夜、オークの集落の一室にて。褪せ人達は誰も使っていなかったその部屋を借り、一夜を明かすこととなった。
「魔界フルーツ盛り、どうかしら?」
「むむ、この盛り付けは…アタシの負け…ですね。まだまだ頑張りが足りません…!」
「まぁ、当然の結果よね。魔界では、私の方が長いもの。精進しなさいな」
魔界フルーツ盛り、ただ魔界の果物を盛りつけただけのそれ、その比べ合いで勝者と敗者が決められていた。褪せ人には違いが分からないが、何らかの優劣が存在するらしい。知らない文化だった。
「あたしも参加しようかね。さぁ、こいつはどうだい?」
「ふぅん、これは中々、悪くないわね」
アナトリア、お前もなのか。ただ量が多いという程度しか違いの分からないそれは、アブグルント曰く中々やるらしい。今この場で、この空気についていけていないのは褪せ人ただ一人であった。思えば王国は、異邦人の己にも随分と優しかった。
「とはいえ、これでは勝敗が決まらないわね」
決める必要がない。そもそも盛りつけたそれをどうしたいというのか。
「おあつらえ向けに、審査員がいるじゃないか。褪せ人、どれを選ぶんだい?」
三種、全く同じにしか見えないフルーツ盛りが並べられる。これほどどうでもいい選択を迫られたのは初めてだった。
無言で、カゴメの盛りつけたものを手に取る。
「おぉ…!これ絶対お情けですよ…!一番角が立たない選択肢を選びましたよ…!」
まさしくその通りだが一体何の不満があるというのか。震えるカゴメを無視して果物を口に運ぶ。
アナトリアは肩を竦め、アブグルントは選ばれなかった事をむしろ悦んでいた。腑に落ちないが、不正解という事もないだろう。
「まぁ、いいさ。ところであんた、あの生意気な悪魔を下したんだろう?やるじゃないか。瘴気を克服して次の魔界武術大会に出なよ。あんたが出るなら、滾る勝負ができそうだ」
恐らくは、こちらがアナトリアの本題だろう。曰く、前大会では無傷で優勝を勝ち取ったらしい。故に、次の大会には出るつもりはなかったらしいのだが。褪せ人を見て気が変わったようだ。
「興味がない。他にやることがある」
「そうかい。まぁ、気が変わったら言いな。まだ次の大会までは時間がある」
やるべきことがある以上、そのようなものに出るつもりは無かった。魔界最強という称号にも興味は無い。
こちらの返答も、ある程度想像がついていたのだろう。アナトリアもそれだけ言うと、すぐに部屋から立ち去った。
「そろそろ、人間は寝た方が良いんじゃない?私達デーモンは、睡眠を左程必要とはしないのだけれど、貴方達はそうもいかないでしょう?」
デーモンは、その肉体が仮初であるが故に、そういった欲求が薄いらしい。
「正直、魔界って常に真っ暗でよく分からないんですよね…言われると眠い気はしてきましたけど」
そう言って、カゴメが寝転がる。褪せ人もまた、壁に背を預け、目を閉じた。どうにも胸騒ぎがした。ひとえにあの悪魔のせいだろう。
そして翌日、褪せ人とカゴメを乗せ、トレントが魔界を駆ける。アブグルントは褪せ人の背後、姿こそ見えないが、気配だけが感じられる。確かに、ついてきているようだった。
アブグルントの情報通りなら、この土地を真っ直ぐに行けば良い。問題は、そこをとある悪魔が支配しているという事だった。力ある悪魔故に衝突は避けたいというのが彼女の言。いまいち信用は出来ないのだが、そういう事だった。
「――そこの者、止まれ」
その言葉に、トレントの足を止める。魔界で、こうして呼び止められるのは初めてだった。その声の主を見遣る。
それは言ってしまえば奇妙な集団だった。人間の神官戦士、そしてそれに従う騎士と女型のデーモン。人間が居ることにも驚いたが、何よりこの魔界でデーモンを従えている。その事実がどこまでも奇妙だった。とはいえ、奇妙なのはこちらも同じ。何なら妖怪分一種族多いくらいだ。
「人間と…もしかして妖怪か?貴方達、ここが誰の領地なのか分かっているのか。一体何の目的で…」
訝しむ神官戦士、しかし尤もな反応だろうと褪せ人は思う。そんな神官戦士の疑問を遮るようにして、アブグルントが闇の中から現れ、口を開いた。
「へぇ、彼女、人間を飼う趣味なんてあったのね」
彼女、というのはこの領地を支配する悪魔の事だろうか。どうやら旧知であるらしい。
突如現れた白き悪魔に、俄かに浮足立つ。特に、デーモン達の反応は顕著だった。魔界における、デーモンの力関係は限りなく絶対に近い。それ故に、下位のデーモン達はその上位者についてある程度知識があった。その上、今この領地を騒がせる厄介事の中心人物でもあるのだ。その反応も致し方なかった。
「ア、アブグルント様…!?」
「アブグルント…だと?白き悪魔…よくも私達の前に姿を現せたな!あの御方の領地で好き勝手して…!許さない…!」
そして、神官戦士の号令と共に騎士とデーモンが褪せ人達を取り囲む。
「囲まれてしまったわ。誤解を解かないと、不味いわよね?」
「むぅ…。ひとまず、壁で囲って落ち着いてもらう…とかどうでしょう」
面倒な状況に、アブグルントは笑みを崩さない。カゴメも彼女なりに解決策を掲示するが、彼女の壁の呪いを考えればあまり使いたい選択肢ではない。一触即発の気配に褪せ人も武器を構える。その時だった。
「――やめろ、ルチア」
「ラ、ラピス様!?」
どこからか響く声に、ルチアと呼ばれた神官戦士が弾かれた様にその声の主へと向き直る。果たして、いつからそこに居たのだろうか。青緑色の髪にねじくれた角生やした女悪魔が立っていた。奇妙な、眼球の生えた本のような生物を抱えるその表情はどこまでも面倒そうにこちらを見ている。ラピス、そう呼ばれた悪魔がルチアの前に出ると、再び口を開いた。
「下がっていろ、ルチア。そこの性悪は、お前には少々荷が重い」
「ですが…」
「二度は言わない。私の後ろに下がれ」
「はっ!」
言われ、ルチアが引き下がる。依然として、アブグルントを睨みつけたままであったが、その視線にアブグルントもまた笑みを深くする。
「その不快な視線をルチアに向けるな。殺されたいのか?」
「ふふっ、そんなに怖い顔をしないで?せっかく、不幸な行き違いが起きずに済んだのだから、話をしましょう?」
「こちらを挑発しておいてよく言う。…妖怪とごてごてした人間を連れて、何の用だ」
ラピスが不機嫌そうにアブグルントに接する。旧知ではあるが仲は良好、とは言い難いようだった。
「分かっているでしょう?貴方の領地で、私の名を騙った愚か者を殺しに来たの」
「…確かに、お前の仕業にしては妙だとは思っていたのだ。お前は直接手を下すような真似はしないからな」
ラピスは、この白い悪魔が直接動くような真似をしないことは知っていた。あくまで相手に破滅の道を選ばせる。そういった趣向を好む悪魔だと知っている。故にラピスはこの悪魔を性悪と呼び、嫌う。ルチアの前に出てきたのも、この悪魔とルチアを直接会話させたくなかったからだ。
しかし、だからこそ疑問に思う。自分の名を騙られた程度で、この悪魔が動くだろうか。
「話は終わりか?」
今まで、沈黙を守っていた褪せ人が口を開いた。そこで、漸くラピスは褪せ人を認識した。人間の強弱など彼女にはまるで分からないが、この男は少なくとも強者に属してはいるのだろう。そう思った。
「今回は、こいつか?」
「残念、今回は本気よ。ファンになったもの」
最悪だった。アブグルントの返答に流石のラピスも褪せ人に同情した。そして同時に興味も沸いた。この男の何があの性悪の琴線に触れたのか知らないが、少なくとも普通の人間というわけでもないのだろう。
「…分かった。良いだろう。だが、私とルチアも連れていけ。良い暇つぶしになる」
「えっ?は、はいっ!お供いたします!」
突然のラピスの発言に、一瞬戸惑うもすぐにルチアは承諾する。今の主、ラピスこそが絶対であるために。
話がまとまったのを確認し、褪せ人がトレントを呼び出す。目的地は魔界の外れ、そこにある小さな森であった。
「ブブッ…ベルゼビュート様への贄、その準備は進んでいるのか…?」
不快な羽音を立てながら蠅に酷似した姿の悪魔が尋ねる。その声も、動きも、何もかもが不快感を抱くもの。
「勿論だ。何人かは壊れてしまったが、しかし、生きている者もいる」
しかし、彼らにとっては気にならない。その悪魔たちは自身の信仰する偉大なる神の、その眷属。同じ神の復活を望む同志であるがために。
「ブブッ…それは重畳。ベルゼビュート様は未だ物質界におられる。ここで隠れながら贄を捧げるには、効率的でなければならない」
物質界にて、復活をもくろむ神、ベルゼビュート。しかし、物質界で贄を捧げるには少々目立ち過ぎたのだ。今や王国と帝国がベルゼビュート討伐に目を光らせている。故にこうして、魔界に潜み贄を育て上げる。そう、育て上げるのだ。ただの贄では、こうして隠れ潜んで捧げるには効率が悪すぎる。だからこそ、数少ない人間たちを、強大な悪魔の名でその欲望を刺激し、おびき寄せ、魔界へと攫う。そして、魔術を用いて贄に相応しい姿へと『加工』する。回りくどかろうが、得てして儀式とはそういうものだ。そしてそれは、なるべく苦痛の伴うものが望ましい。
「しかし、やはりうまくはいかない、この前攫った――」
「――報告!何者かが森に侵入!教団員が次々とやられています!」
「なんだと!?」
しかし、その計画は突如として現れたデーモンと人間達によって崩れ去る。森の中を、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡った。
ラピスは別衣装2種にコラボ先で参考資料が多いのは助かります。それでもやっぱり不安だったり。