今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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王子登場。


交差する運命

王都を後にした一行は、追手が来ていないことを確認し、街道を少し外れた森に腰を下ろした。

怒涛の逃避行に憔悴しきった人々が身を寄せ合い、つかの間の安息を得る。

 

その光景を、褪せ人は少し離れた木に背を預けると静かに観察していた。

その姿に、いささかの疲れも見受けられない。

 

褪せ人が現状を整理する。

 

此処は、狭間の地とはまるで異なる土地であるらしい。

王国について、褪せ人の記憶には一片の手がかりもありはしなかった。

孤児院を出てからの王都の風景が脳裏に蘇る。

 

石畳の街路、石造の建造物。

それらは、褪せ人にとっても見知ったもの。しかしその中にも、違和感があった。

街角の看板に踊る見慣れぬ文字。騎士や兵士の鎧に刻まれた未知の紋章。

それらは全て、この王国特有のものなのだろう。

狭間の地では、決して目にしたことのないものばかりだった。

 

どういうわけか、言葉が通じているのは幸いだった。どうせなら文字も共有してくれればよかったのだが。

恐らくは今後支障が出るだろうと、そう思った。

 

そして、この地について決定的だったのは女神アイギスという存在だった。

この地で篤く信仰される神だという。

狭間の地で神と呼ばれる存在を問えば、まず真っ先に挙げられるのは女王マリカだろう。

輝く黄金の髪を持つ彼女は、狭間の地において重要な意味を持っていた。

褪せ人が王となった後も、依然として彼女への信仰は根強い。恐らくは、黄金律が敷かれる限り彼女の名が人々の口から途絶えることはないだろう。

――たとえ、その意思が奪われていたとしても。

 

そんな女王マリカの名をこの地で聞くことはなく、代わりに人々が祈りを捧げているのが女神アイギスだった。

当然、そのような神について、褪せ人は知らない。

女王マリカの血を引く者たち、デミゴッドと呼ばれる彼ら、その全てを把握しているわけではないが、恐らくその中に女神アイギスの名はないだろう。

 

残る可能性として、腐敗の女神や真実の母などについて考え、まずありえないだろうとその思考を打ち切った。少なくとも彼らは血に狂ってもいなければ、ましてやあの忌々しい蟲共にも見えなかった。

考えるだけ無駄だろう。

 

――この神について、知る必要がある。

 

そのためにも、アイギス神殿という恐らくは女神の祀られる場へ行くのは、自身にとっても必要な事だろうと考えた。

 

当面の方針について固まった褪せ人が、意識を人々の方へ移す。

 

視線の先で、桃色の髪が柔らかく揺れていた。

イリスがその華奢な体をせわしなく動かしながら、子供たちを励ましている。

 

健気なものだと、褪せ人は思う。

 

「イリス様にも、休んで欲しいんだがな」

 

不意にそんな声がかけられる。

声の方へと意識を向けると、そこには門前で出会った鎧の女、レアンの姿があった。

彼女がゆっくりと、こちらに近づいてくる。

 

「自己紹介がまだだったな。私はレアン。王国に仕える兵士の一人だ。

先ほどは助かった。感謝する。」

 

レアンが改めて名乗りを上げ、感謝とともに頭を下げる。

 

「邪魔な異形を屠っただけだ。お前の命を救ったのは、向こうにいる娘だ。私ではない」

 

褪せ人が簡潔に事実を述べる。

 

「勿論、イリス様にも感謝は告げたとも。

そして、貴方がいなければ私たちは今頃ここまで来れていないんだ。

ならばやはり、貴方にも感謝を告げるのが筋というものだ。」

 

そう言って譲らない彼女に、褪せ人は今度こそ何も言わなかった。

 

「褪せ人殿、だったか」

 

イリスが呼ぶ名前をレアンが改めて呼ぶ。その名の意味を問おうとして、やめた。

恩人に対して、深く詮索すべきではない。そんな気遣いが彼女にはあった。

 

「先ほどは見事な戦いだった。まるで、来るところが分かっているかのようなあの盾捌きには、思わず見入ってしまったよ。私としても、貴方の戦い方には大いに、学ぶところがあるようだ。…まぁ、私には奇跡なんて使えないんだが」

 

レアンの言葉には、純粋な称賛があった。

その言葉を聞き、褪せ人が改めてレアンの体格を観察する。

 

大柄な褪せ人と、そう変わらない背丈。女性としては相当に大柄な部類であった。

破損した鎧を脱ぎ捨てた彼女の肢体は、鍛え上げられた筋肉が浮き彫りになっている。あの鎧を着て戦うことを考えれば、恐らくは重装歩兵。

確かに褪せ人の基本的な戦い方は、彼女にとっても近しいものがあるのだろう。

 

「イリス様から聞いた。アイギス神殿を目指しているのだろう?

私も同行させてほしい。先は無様を晒してしまったが、今はイリス様のおかげで傷も回復している。

だから貴方の負担を、きっと減らせると思う」

 

そういう彼女の瞳は決意の炎に燃えていた。

褪せ人としても、他者を守りながらの戦いに不慣れであったため、その申し出は素直に歓迎が出来た。

 

 

「女神アイギスとは、なんだ」

「…イリス様から聞いてはいたが、本当に遠い地から来たらしい」

 

褪せ人の突然の質問に、レアンが目を丸くする。それほどまでに、褪せ人の言葉はこの地において、常識から外れていた。

 

「私の知っている話でよければ、教えよう。といっても、王国の者なら誰でも知っている。

それこそ昔からあるお伽噺のようなものだが」

 

褪せ人が無言で頷き、促すとレアンは静かに語り始めた。

 

それは、人と魔の長きにわたる戦いの記録。

後に英雄王と呼ばれる男と、志を同じくした英傑達、そして女神アイギスが、魔王と呼ばれる邪悪なる者を打倒せんと繰り広げられた壮絶な戦い。

多くの国と人々が犠牲となったそれは、千年戦争と呼ばれる。

その結末は、女神アイギスの壮大な犠牲によってもたらされた。

無尽蔵に魔物を生み出す魔王を、その身を賭して封じたのだ。

 

「以降、人の世に魔がはびこることはなくなったという」

 

レアンの声が一瞬途切れる。

 

「まぁ、それも今日までの話だったわけだが」

 

その言葉に、苦い現実が滲んでいた。

 

レアンの顔が後悔で歪む。

 

「私達は、甘えていたのだろうか…。アイギス様のご加護の元、きっと平和な世が続いていく、そんな風に信じて疑わなかった。それが、こんな事態を招いたのだろうか…」

 

レアンのその言葉に、褪せ人は返す言葉を持たなかった。

 

「…いや、貴方にそんなことを言っても仕方なかったな。

すまない、困らせてしまった。どうか、忘れてほしい」

 

気を取り直したように、レアンが言う。

 

しかし、褪せ人はそれに直接は応えず、次の言葉を紡いだ。

 

「もう少ししたら、出発する。他の者にもそう伝えておけ」

「何?もう出るのか?…その、子供たちもいるし、イリスもあの調子だ。もう少し休ませてやりたいのだが…」

 

褪せ人の急な発言に、困ったようにレアンは意見した。

逸る気持ちは理解できた、しかし、いささかに性急すぎないか、と。

 

「王都の異形…いや、魔物どもか。あれらは、ただ王都を占領し、略奪するだけでは終わるまい」

 

褪せ人が、簡潔に己の懸念していることについて伝える。

その言葉の重みが、空気を重くする。

 

「あれらの目的は、この地の人間を皆殺しにすることだろう。王都を殺し尽くせば、直に各地へと溢れかえるぞ」

 

その忠告とも取れる意見に、流石のレアンも異論はなかった。

 

「そう…か。確かに、貴方の懸念は尤もかもしれない。この期に及んで、私はどこか甘いことを考えていたのだろうな」

 

レアンは自らの考えの甘さに、悔恨の念で歪む。

 

「分かった。皆にここを発つよう話してくる」

 

そう言って、レアンは足早に去っていった。

褪せ人はそれを静かに見送り、アイギス神殿があるという北へ、意識を向けた。

 

アイギス神殿、恐らくはそこで、己の役割が定まるのだろう。

 

そんな予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褪せ人達一行が王都を後にするより僅かに時を遡る。

 

彼らは王城へと迫る魔物に応戦し、しかしその圧倒的なまでの数と魔の力によって敗走を余儀なくされた者たち。

王国の王子達もまた、王都を脱出し、王都を背に逃亡を図る最中であった。

 

「王子!お怪我はありませんか?」

 

王国軍にて、癒し手として王家に仕えるアリサが気遣わし気に声を掛ける。

 

「ああ、大丈夫だ。それより、他の者たちの治療を」

「は、はい!承知いたしました!急ぎ、処置をいたします」

「頼む」

 

そう言うと、アリサは慌ただしく去っていく。

遠く、燃え盛る王都が夜の闇を煌々と照らしていた。

 

じきに追手が来るだろう。あまり時間は残されていない。

 

「王子、ご報告が」

 

その背より、声がかかる。

 

振り向くと、そこには銀色の長い髪をした女。

王国の政務官、アンナが真剣な面持ちで立っていた。

 

「…続けてくれ」

「はい、王城は完全に占拠された模様。現在、王都の外で生き残った兵達をジェローム様の主導のもと、再編成を行っておりますが、動ける戦力としてはそう多くありません…」

 

アンナが続ける。

 

「また、北の大国より援軍が向かっているとの報も来ています。しかし、これについても恐らくは間に合わないでしょう」

 

アンナの報告が、絶望的な状況を浮き彫りにする。

英雄王の築いた城が墜ち、兵は足りず、援軍も望めない。

 

「…父上は」

「…国王陛下は、ここにはおりません。魔物の凶刃にて、そのお命を奪われました」

「そう…か」

 

その報を聞き、王子は天を仰ぎみる。

父は、優しき王であった。

自分もまた、父のようにいつかはこの王国を治めていくのだと、つい昨日まで、漠然とそう考えていたのだ。

その父が、もういない。

覚悟はしていたが、その事実は王子に重くのしかかった。

 

「国王陛下より、王子に最後の言葉を預かっております」

 

アンナの声が、王子を現実へと引き戻した。

 

「北の森を抜け、アイギス神殿へと向かえ、と」

「アイギス神殿へ?」

 

疑問の声にアンナは応える。

 

「魔物の出現、それに対抗するには、千年戦争を終わらせた女神様の力が必要です。

亡き国王陛下のご遺志を果たすためにも、どうか」

「…分かった。神殿へ向かおう。

すぐに出立する。皆にもそう伝えてくれ」

「かしこまりました。これより、王子のサポートは私が承ります。何なりとお申し付けください」

 

アンナの去っていく姿を見届けると、王子は王都へと視線を向けた。

 

己の命を救うため、王家への忠誠を果たすために多くの者が散っていった。

彼らに報いるためにも、今は、己に出来ることをしなければならない。

 

「セーラ…ミレイユ…」

 

自分を守るため、魔物に立ち向かった二人の名を静かに呼んだ。

彼女たちの強さを信じながらも、胸の奥に湧き上がる不安を抑えきれなかった。

 

「今は、やるべきことを」

 

そんな不安を振り払うように王子は自らを奮い立たせる。

 

そして、北のアイギス神殿へと思いを馳せた。

王国を、世界を救わねばならない。そのためにも、女神アイギスの力が必要だった

 

 

 

かくして、使命をなくした英雄と、亡国の王子の運命が交差する。

その先に待つものが何であるかは、誰にも分からなかった。

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