今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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女王アリ

ジェイクと名乗った冒険者が褪せ人達に事の次第を説明し始める。

 

「今、この王国領内に魔界アリ共の巣が出来ているんだ」

 

「魔界アリ?」

 

カゴメが聞き慣れない名に首を傾げる。褪せ人もその名は記憶には無かった。恐らくはその名の通りに魔界由来の生物ではあるのだろうが。

 

「あぁ、魔界アリは魔物が物質界に攻めてきたあの時より目撃されるようになった魔物の一種だ。数が多く、一部の個体は炎による遠距離攻撃なんかもしてくる」

 

魔界アリの説明そのものに、特に引っかかるものはなかった。数が多いのも、炎による遠距離攻撃も、この世界では然程特異なものではない。

 

「問題はこの魔界アリの女王だ」

 

魔界アリの女王、曰くそれの放つフェロモンは他種族の雄すらもその支配下に置く強い催眠効果があるのだという。事前に聞いていたジェロームの部隊は全員男によって構成された部隊。行方不明の原因はこれだと確信する。

 

「うーん、支配とか洗脳なら褪せ人のアレで何とかなりません?ほら、アタシに使ったやつ」

 

カゴメの言うアレとは、ミケラのルーンについて言っているのだろう。魔法的な力に対しては効果がある事は確認しているが、果たしてフェロモンに効果があるかは何とも言えなかった。

 

「試す価値はあるか」

 

未だ気絶するモーティマの頬を叩き、目を覚まさせる。そして、目の前にミケラのルーンを掲げてみせた。

 

「俺ぁ一体何を…いや、そんな事はどうでもいい!おい、さっさとその極上の身体を——」

 

ミケラのルーンをもってしても正気に戻らなかったモーティマをトリーナの剣で僅かに切りつけて眠らせる。己の戦闘スタイルとは合わないが故に使う事は無かったが、こういう時に便利なものだとこの地に来て密かに評価を上げていた武器であった。

 

「ご、極上の身体…」

 

「へぇ、王国の聖女様は、極上の身体という言葉から一体何を考えたのかしら?とても興味があるわ」

 

「ご、誤解です!私は何も…!」

 

「あーアタシも妖怪なんでさっぱり分かりませんね。是非教えてください!」

 

「そんな!?」

 

嗜虐的な笑みを浮かべ、聖女を問い詰める悪魔と妖怪をよそに、男二人は話を進める。

 

「今のは何だ?」

 

「ミケラのルーン。洗脳を解く効果がある。今回は効かなかったようだが」

 

「そいつは凄いな…。今の魔物まみれの時代、欲しがるやつは山のように居るだろうぜ」

 

力ある魔物の大半が洗脳の魔法を使用する世界だ。ともすれば国単位で欲しがるものが出てくるような代物だった。それも当然だろう。壊れてしまったとはいえ紛れもなく神人の力が宿ったものである。

 

「とはいえ、フェロモンだと効果は無いってのは残念だな」

 

ジェイクが僅かに気落ちしたように呟く。

魔法的な効果による洗脳ではない、という事だろう。ひとまずはモーティマを縛っておく。洗脳が解けない以上、このまま自由にしておくのは危険だった。

 

「王国の部隊が洗脳されている可能性がある」

 

「そいつは結構な大事だな…。俺も仲間の一人がやられてる。どうするつもりだ?」

 

「無論、元を断つ」

 

この手の洗脳は、その主を殺せば大抵どうにかなるものだ。問題は立ちはだかるであろうジェローム隊への対処。

殺す訳にも行かないだろう。少なくとも依頼主である王国はそれを望まない。何より魔界遠征を控えた今、軍を指揮する力に長けたジェロームを失うのは間違いなく痛手である。

 

「しかし、女王アリに近づくのはどうするおつもりですか?お二人とも男性ですので、危険だと思うのですが。一度、王国へ戻った方が…」

 

「伝聞だけで一々戻っていては埒が開かない」

 

イリスの慎重な提案を褪せ人は切って捨てる。

十中八九魔界アリの仕業とはいえ、ジェローム達の所在は未だ確定していない。王国はこの程度の情報でも動くのだろうが、それでも仕事を請けた手前、不確実な情報のみを持ち帰るつもりはなかった。

 

「それに、私に関しては何の手立ても無いという事はない」

 

洗脳効果が魔術的なものでないというのなら、それはそれで対策の手はある。効果の有無を確かめてからでも遅くは無いだろう。

それを聞いたイリスは未だ納得こそしていないものの、一先ずの了承を示した。カゴメとアブグルントも否やは無いようだ。もとよりこの二人はただついてきただけ。決定権が無い事は理解していた。

 

「話は纏まったようだな。ついてきてくれ、魔界アリの巣へ案内しよう」

 

ジェイクの歩みに従い、褪せ人達もそれについていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「この辺りからはもう魔界アリの生息地だ。注意してくれ」

 

しばらくして、ジェイクが褪せ人達にそう警告する。見渡す限り荒野のこの場所は既に魔界アリの縄張りであるらしい。

見れば確かに、荒野の所々を巨大なアリが我が物顔で闊歩していた。サイズは人間大、かつて狭間の地の地下で遭遇したアリ達よりは小さい。

 

「女王の巣はこの先のはず。なるべく戦闘を避けながら進もう」

 

ジェイクの提案に褪せ人も同意する。魔界アリもまた、非常に数の多い魔物。いちいち相手にしていてはキリがないというのが実情である。

岩陰を利用しながら、慎重に前へと進んでいく。

 

時折、此方に気づく魔界アリを素早く処理しながら前へ進む褪せ人。そこで、僅かに違和感を覚え、立ち止まる。

 

「どうかしましたか?」

 

突然立ち止まった褪せ人をイリスが訝しむ。少なくとも、この場に居る女三人は何も感じていないらしい。

 

「……ジェイク」

 

「ああ、あんたもか。思ったよりも近くに居るみたいだ」

 

頭の中に霧がかったような感覚を覚える。現状はまだまだ違和感程度でしか無いが、恐らくは既にこの地に女王のフェロモンが蔓延していると考えても良いだろう。

試すのなら今の内だろうと、褪せ人が祈祷を発動する。己の内に火を起こし、体内で不純な病毒を焼き尽くす。僅かに己の身体が焼けるのを感じながら、自身の状態を確認する。

 

「今のは?」

 

「治療の術のようなものだ。効果はあった」

 

ジェイクの問いに、褪せ人が答える。

先程の違和感が無くなったのを感じ、一先ずは己の手の内が通用する事を確認出来た。他者に使用する事が出来れば良かったのだが、そこまで融通の効くものでもない。

女王が近くに居るのは分かった。治療の方法が確立された以上、フェロモンの濃い場所を探せば辿り着くのだろう。

 

「ジェイク、お前はここまでだ。これ以上は対策のないお前を連れていくつもりはない」

 

「……悔しいが、あんたの言う通りだ。俺の仲間を助けてやってくれ、礼はちゃんとする」

 

そう言ってジェイクがその場を後にした。そして、褪せ人達が先へ進もうとした、その時である。

 

「——そぉらっ!」

 

果たしてどこに隠れていたのか、突如として迫る男の、その短刀の一撃を褪せ人が躱す。

短刀が躱されたのを見て、すぐさまその男は飛び退いた。軽い身のこなし、直前まで気配を消しての接近から隠密の類であると判断する。

 

「ちぃっ!外したか。さっさと眠ってくれれば楽に済んだってのによ」

 

浅黒い肌に、ターバンを巻いたその男は、砂漠の国出身の特徴。確かジェローム隊にもそのような男が居たはずだ。

面識があるのだろう。イリスが驚いたようなその男へと声を上げる。

 

「バラッドさん!?」

 

「あぁ、聖女様か。悪いけど、今はアンタに用は無い。イイ男が目の前に居るんでな」

 

そう言って二本の短刀を構え、此方を見るバラッド。一々引っかかる物言いなのは果たして洗脳されているからだろうか。

とはいえ、不意打ちを外した時点で目の前の男の不利なのは明らか。眠らせて安全な場所に縛りつけておこうと褪せ人がバラッドへと迫る。

 

しかし、そこに不意を打つようにして褪せ人へと無数の矢が射かけられる。

突然の矢に、対応が遅れる。しかし、褪せ人が盾を構えるより早く、カゴメの作り出す壁によってそれは阻まれた。

 

「流石に、一筋縄では行かないですねぇ」

 

そう言って、荒野の丘の上、弓兵を伴って現れたのはジェローム達。その目を見れば、正気でないのは明らかであった

 

「やはり、そうなるか」

 

「悪いんですが、女王の為にも大人しくついてきてくれませんかね」

 

その言葉と共に、果たしてどこに隠れていたのか、続々と現れる兵士が褪せ人達を囲む。この人数が隠れる場所などありはしなかった筈だが。

 

「アリの巣に隠れてたみたいね…。仲良くしてるみたい」

 

「不味いですねこれ。魔界アリにも気付かれました」

 

兵士に混じって魔界アリ達も近づいてくる。ジェローム達を襲わない様子から、支配下にある敵味方は判別がついているようだ。魔界アリ達が顎を鳴らして警戒音を立てる。

 

「味方に刃を向けられて、その上催眠に抗いながらの戦闘。絶体絶命といったところかしら?」

 

アブグルントが試すように此方へ微笑みかける。相変わらず性格が悪い。しかし、それでもまだ退くという選択肢は無かった。

 

「魔界アリの処理は任せる」

 

「構わないけれど…兵士達はどうするの?」

 

アブグルントの疑問に、褪せ人は態度で示す。武器を手放すと、ゆっくりと構えを取る。

 

「……何のつもりで?」

 

目の前で武装を解いた褪せ人をジェロームが怪訝な目で見つめ、問い掛ける。降伏の姿勢には見えない。そもそもこの男がそんな事をするとは思えなかった。

その疑問に褪せ人は答えない。

 

「回復の奇跡を多用してもらう、いけるな?」

 

「こ、この前の無茶は駄目ですからね!」

 

褪せ人が今回はかなり働いてもらう事になるだろうイリスに声を掛ける。

以前の魔王の影との戦いのトラウマが刺激されたのだろう。イリスが警戒したように返事をする。

 

「癒すのは私ではない——ここに居る男全員だ」

 

今回癒す相手は己ではない。彼女には己が加減を誤った際の保険として役立ってもらう。

無手で戦うのはいつぶりだったか。己が出来る最大の加減がこれだった。軽装だったのが功を成した。重装ではあまりスタイルと合わないだろう。とはいえ、運が悪ければ死ぬ時は死ぬ。その時は存分に恨んでもらうほかない。

 

「素手で、俺達を相手しようってんですかい?」

 

此方を舐めている、というわけでは無いだろう。この男がそのような態度で戦いに臨むことが無い事はこれまでの行動から容易に推測できる。その上で、この男は素手で此方を殺さないように加減をしながら相手取るつもりなのだ。

 

「まぁ、それを舐めているっていうんですがね……」

 

王国の女性陣達の華々しい活躍が目立つのは否定しない。彼女達の力が紛れもなく本物である事も事実。しかし、それは男達が弱いという証明にはならない。英雄たる王子の麾下である己達とて、それに相応しき猛者であるという自負が彼らにはあった。

とはいえ、都合が良いのも事実。目の前の男を捕えるという難題を前に、ハンデは幾ら貰っても足りないとジェロームは考える。この男と王子を敵に回すなどという愚行をしている時点で、己は——

 

そこまで思考して、ジェロームはふと疑問を覚える。己は何故、この男と敵対している?

ジェロームの動きが僅かに止まる。

 

——その隙を見逃す褪せ人ではない。

褪せ人が地を蹴り、疾駆する。その速さは、常の重厚で堅実な戦い方を好む褪せ人とはまるで想像もつかない程の速さ。真っ直ぐに己を囲む歩兵集団の一角へと突撃し、バラッドへ向けて飛び蹴りを放つ。

 

「嘘だろ、速——」

 

バラッドが言葉を言い終わるよりも早く、その意識を刈り取る。そして続け様に周囲の兵士へと連撃を浴びせ掛けた。膂力による一撃を好む褪せ人とは打って変わった、明らかに体系化された技によるそれは、着実に兵士達の意識を奪っていく。

 

「ッ!重装歩兵を前に!」

 

咄嗟にジェロームが指示を出す。僅かにでも思考を止めた己の不甲斐なさに舌打ちし、重装歩兵を前に出す。無手の相手が、正面から大盾を構えたヘビーアーマーを相手に有効打を与えられるはずもない。そんな常識的な判断を下す。否、下してしまった。

大盾を構え、此方を迎え打たんとする兵を前に、褪せ人は走る速度を緩めない。そして、まさに正面から激突せんとする直前で——褪せ人の姿が消失した。

 

「なっ、消えただと!?」

 

「馬鹿、後ろだ!」

 

突然の標的の消失に戸惑うヘビーアーマー。しかし、周囲の兵士達は見えていた。ステップと共に一瞬姿を消した褪せ人が、ヘビーアーマーの背後で構え、力を溜めている姿が。

褪せ人が力を込め、振り向いた重装歩兵に向けて掌底を放つ。十分に気を練り込まれたそれは、衝撃を伴って兵士の胴へと打ち込まれた。

吹き飛ばされる重装歩兵。それは、目の前の男の放つ拳撃が尋常ならざるものであることを示していた。

 

「うおっ、重装歩兵吹っ飛ばしましたよ。あれ、どちらかというと東の国の侍とかが使う『気』とかそういうやつですよね」

 

「ふぅん、意外とあっさり突破しそうね。ちょっとつまらないわ。ああいう動きをする彼は新鮮ではあるのだけれど」

 

「か、回復!回復を……!」

 

魔界アリを処理しながら、呑気に褪せ人を眺める妖怪と悪魔をよそに、イリスは己の役割を悟った。先程吹き飛ばされた重装歩兵へと向けて、奇跡を放つ。そして、続々と積まれてゆく兵士達を癒すべく駆け出して行った。

 

「これは、ちょっと想定外ですね……」

 

一瞬の隙、されど被害は甚大。目の前の男が無手による格闘まで使えるなどと想定外であった。常のあの男ならば、大盾と大槌による堅実なカウンタースタイルから、祈祷による幅広い手数を得意としていたはず。或いは、此方が戦闘スタイルを把握している前提で今の戦い方に切り替えたか。

矢による援護をしようにも、こうも接近戦を徹底されては味方を巻き込むが故に実行できない。瞬間移動じみたステップを繰り返し、射線に味方の兵士を巻き込む様子から、それすらも向こうの狙いであると悟る。

 

「それにしても、そろそろ効果が出てもおかしくないんですがね……?」

 

実際のところ、既に策は成されていた。最初に放たれた矢。あれには女王のフェロモンが塗られていたのだ。今、カゴメによって弾かれ散乱したそれによって、辺りには魅了のフェロモンが充満しているはず。直接当てられれば良かったのだが、そうでなくても強力なもの。既に女王の支配下に堕ちていてもおかしくないはず。

しかし、目の前の男に異常は見られない。褪せ人の動きを注視する。兵士達を処理する中、時折褪せ人が自身の胸を強く叩く仕草を見せる。何らかの祈祷の発動。恐らくはあれが魅了の効果を遅らせていると推測する。

 

「無闇に攻めず、祈祷の隙を狙え」

 

「そ、そうは言っても……ぐわぁっ!」

 

また一人、吹き飛ばされる。この数で押せば、或いはあの男を無力化する事は出来たかもしれない。しかし、相手もまた、一人では無かった。

 

「さぁ、次は誰ですか?まだまだ頑張れますよ!」

 

褪せ人の隙に男共が殺到しようとすると、すかさずこの妖怪は己を、或いは分身を駆使して割り込んでくる。立ちはだかる壁。この壁が強力無比なものであることを、他ならぬ王国軍は知っていた。

カゴメの他にも、的確に褪せ人に迫るアリを処理していくアブグルントと、倒れる兵士を癒しながら、味方への加護の付与すら行う余裕のあるイリス。

総じて見事な連携……という訳では無いのだろう。決してあの男が命じた訳ではない。ある意味で、彼女達は慣れているのだ。他者との連携という戦い方を知らないこの男に、合わせるという形で己の力を振るう事に。王国とは違う、個の力を十全に振るうべく成されるそれも、チームワークという一つの形ではあった。

 

「潮時……ですかね」

 

ただの兵士だけでは歯が立たず、搦め手も通じていない。あの男を相手にするには準備が足りていなかった。女王の望む極上の男ではあるが、今回は諦めるしかない。

そう判断し、撤退の指示を下そうとした時、ジェロームの背後より人ならざる声が響く。

 

「ああ、妾の愛しい子らよ。一体何を手こずっておる」

 

無理矢理に人の声を出そうとしているかのような歪な声が、辺りに響くと、男達が一斉にその動きを止める。そして、爆発的な歓声が湧き上がった。

 

「おお!女王様、女王様がお見えになられたぞ!」

 

「女王様ーっ!儂の筋肉を見てくだされ!褪せ人殿にも見劣りしませんぞーっ!」

 

「よせ、儂の老いた故のダンディな魅力こそが相応しい。叡智溢れる肉体をご覧くだされ」

 

「枯れたジジイ共は黙ってろ!」

 

もはや狂乱という他ない。我こそはと名乗りを上げる男達に気をよくしたように女王アリが笑う。

 

「良い良い、愛しい子らよ。しかし、お前達は後だ。まずは、此方を喰らわねばな」

 

そう言って、女王アリが褪せ人を見遣る。そして、優しげな声で褪せ人に声を掛けた。

 

「お前が異界の英雄か。見事な肉体よな。妾の前まで来るが良い」

 

その声に従うように、無言で褪せ人は女王の前まで歩いていく。男達が羨ましそうにそれを見るが、手出しをする様子は無い。

 

「褪せ人様!?」

 

焦ったように叫ぶイリスの声に、褪せ人は何の反応も示さない。ただ女王の前へとゆっくりと歩を進めるばかり。その様子をアブグルントは楽しげに見つめていた。

そして、目の前まで来た褪せ人に女王は口を開く。

 

「良い子だ。お前はじっくり味わって喰ろうてやろう。妾の強き子の為、その身体を役立ててやる。光栄に思うが良い」

 

そう言って、褪せ人の頭を喰らわんと大顎を開いたその時——

 

「女王様ッ!」

 

——褪せ人が掌底を放つ。加減など微塵も見られない渾身の一撃。

しかし、それは直前で異変に気づいたジェロームの盾によって阻まれる。

 

「がっ……!」

 

指揮官として前線で勝ち星を上げ続けるジェロームは、一戦士としても優れた技量を持つ。そのジェロームをして、褪せ人の渾身の掌底はあまりにも強烈であった。

盾で受け止めるも、踏みとどまる事など叶わず、容易く吹き飛ばされ意識を失う。或いは、吹き飛ばされた事によってその程度で済んだとも言えた。

 

「馬鹿な……!妾を前にして膝を屈さぬ雄など……!」

 

「蟲に惚れる程酔狂ではない」

 

魅了の影響など微塵も感じさせない動きを見せる褪せ人。

雄に殺されかけるという今までにない経験に女王は動揺する。自身のフェロモンは雄に対して無類無敵。一度接近してしまえば、すぐさま魅了されてしまうはず。

掌底を外した褪せ人は、体勢を戻すと再び祈祷で己の中のフェロモンを焼き尽くす。

 

「よ、よかった……てっきり魅了されてしまったのかと」

 

「普通なら、祈祷なんて使う事すら出来ずに魅了されてるんでしょうね」

 

「じゃあ、どうして……?」

 

安堵したイリスの隣で、アブグルントが笑みを深めて呟く。先程までのただ、フェロモンを嗅いだだけではない。目の前にそのフェロモンの対象が居ながら、それでも褪せ人は祈祷の行使をするまで耐え、あまつさえ躊躇いなく攻撃を加えているのだ。

アブグルントにしてみれば、当然の事ではあったが。

 

「ただただ純粋にその精神力で魅了に抗っているのよ。何の捻りも無いわ」

 

最早、単なる魅了程度で屈する褪せ人ではない。その強靭な精神力こそが、あの男を王へと導いたと言っても過言では無かった。

そうでなければ面白くない。この程度の魅了で堕ちるのならば、はなから興味など示していない。まだまだ魅せてもらわねば困ると、悪魔は笑う。

 

「ふふん、それでこそ褪せ人、ですね!」

 

何故か得意気に胸を張るカゴメ。当然、彼女にしても耐えながら戦いを続ける今の状況は満点であった。

 

「おのれ、妾に跪かぬ雄など不要!生きながらに喰らうつもりだったが、こうなれば最早その血肉だけ置いていくがいい!」

 

女王の激昂に呼応して、周囲の男達が再び臨戦態勢になる。

漸く話が分かりやすくなったと、褪せ人は武器を構える。手加減などガラではないのだ。他の連中を無視して女王を殺す。それで良い。

だが、そう易々と事は運ばない。

 

「——あらぁ、女王を名乗る不届者がいると来てみれば、面白い事になってるじゃない」

 

突如響き渡る声と共に、上空より何者かが飛来する。鈍いエンジン音を響かせながら、縦横無尽に飛び回ると、褪せ人と女王の頭上で静止した。

それは、かつて褪せ人が取り逃がした妖魔の女王、ゴブリンクイーンであった。

 

「何だ……あれは」

 

思わず褪せ人が呟く。それは、ゴブリンクイーンにではない。それが跨っている奇妙な機械に対して向けられていた。

昆虫を模した躯体。絶えず羽ばたき続ける羽。そして響くエンジン音。それは、褪せ人をして未知の存在であった。

 

「丁度良いわぁ。この子の試運転、貴方達で試してあげる」

 

褪せ人一行と女王アリ率いる男達を見下ろすようにして空を飛ぶ機械に跨ったゴブリンクイーンは、エンジン音を響き渡らせた




遅くなりました。
更新頻度元に戻したいんですけどね……。
12月中頃を過ぎれば大丈夫なはず。
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