「全員、問題なく揃っております」
ハルモニアの報告に、褪せ人は頷いた。明朝、先遣隊はレヴィアタンの体内を目指すべく魔界都市の門前にて集まっていた。
「後は、案内役のダークエルフ達なのですが……」
後は、レヴィアタンへの案内役を待つのみ。そんな先遣隊へと、声が掛かった。
「待たせたようだな」
そこに居たのは、先の一騎打ちの相手であるアンブレであった。どうやら、案内役を買って出たらしい。
「えっ、女王陛下直属の護衛が先遣隊入りして良いの?」
「陛下からは許しを貰ったからな。当然、戦力として期待してもらっても構わない」
驚いたようなシェイドに対し、しかしアンブレは事もなげに言う。実際、案内としても、戦力としても心強い味方ではあった。
「俺達も部隊の編成が終わり次第出撃する。くれぐれも無理はするなよ」
「無論だ」
王子の言葉に、褪せ人は首肯する。新たにダークエルフ達が加わり、多少部隊の再編成に時間がかかるという事だろう。とはいえ、あまり心配はしていなかった。王国の編成と進軍が異常なまでに速いのはこれまでの経験で知っている。
「では褪せ人、もうよいか?」
「問題ない」
先行するアンブレに、先遣隊が追従する。目指すはレヴィアタンの心臓。最早、彼等の歩みに迷いはなかった。
「ここからが、レヴィアタンの口内だ」
「えぇ、全然分からないんですけど……」
アンブレに言われ、カラザが困惑したように声を上げる。魔界の大地をただ歩み続け、しかし、口らしき物は見当たらなかった筈である。果たしていつから口内に入ったというのか。
「あそこに、白い柱が見えるだろう?あれがレヴィアタンの歯だ」
「あれが、歯だというのか。大きいなんてものじゃないな……」
アンブレが指し示す先を見て、リキュノスが呆然と声を上げる。
指し示された先にあったのは、見上げんばかりの巨大な柱。それが、レヴィアタンの歯だという。成程確かに、これ程巨大であれば、口かどうかなど認識できようはずもない。
「通りで足元が柔らかくて生暖かいと思いました」
「うえぇ、気持ち悪いよぉ…」
ハルモニアが足元の感触に冷静な分析をする中で、エスネアが嫌そうな顔をしながら空を飛ぶ事で足を離す。言われて気づいた他の面々も似たような反応であった。
「ハハハ、こんな所でそんなんじゃ駄目だぞ?これから私達は食道を伝って胃の中まで入るんだからな」
「うへぇ……」
アンブレの言葉に、エスネアがげっそりとした顔をする。とはいえ、確かに口元に入った程度でこれでは、先が思いやられるというもの。慣れてもらう他無かった。
「それに、そう悪いことばかりじゃない。レヴィアタンの体内は、魔界の瘴気の影響が無いんだ」
アンブレに言われて、褪せ人は己の身体に掛かっていた負担が軽くなっていることに気づく。つまり、魔界の瘴気とはレヴィアタンが発しているというわけではないらしい。今後役に立つかどうかは分からないが、覚えておいて損は無いだろう。
「行くぞ」
ひとしきり自分達の居る場所について確認を終えたところで、褪せ人が先を促す。あまり長居しても仕方がない。
「それもそうだな。魔物に勘付かれる前に先を急ごう」
先遣隊が口内へと進んでいく。奥は暗く、まるで吸い込まれるようなそこへ、しかし引き下がるなどという選択肢は無かった。
レヴィアタン体内を進んでいく。その巨体に比して、その体内も当然の如く広大であった。途中、散発的に発生する魔物達を撃退しながら、先遣隊は順調に進んでいた。人間の体内と同じに考えて良いのかは不明だが、もう少しで胃の手前だろうか。
「妙ですね……」
そんなレヴィアタンの体内を歩き続ける中、ふとハルモニアが自身の感じた漠然とした違和感を声に出す。
「妙……?」
その声にソシエが反応を示す。とはいえ、全員が薄々その違和感には気付いてはいた。感覚の擦り合わせを行うべく、ハルモニアはあえて己の考えを口にする。
「あまりにも順調過ぎます。レヴィアタン内部は既に魔王軍の手に落ち、なおかつ我々がここに来ているのも十中八九気付いていると見て良いでしょう。にも関わらず、何故防衛線が敷かれていないのでしょうか……」
王国軍に襲撃があった以上、此方の動きは把握されているはず。であれば、レヴィアタンの防衛は絶対のはず。しかし、そんな気配が一切無いのだ。現れるのはレヴィアタンに寄生したスライムや魔界アリであり、少なくとも明確な妨害は今の所加えられていない。
「何か、嫌な予感がします。全員、油断しないように」
副長の言葉に、全員が了承の意を示す。
何もないなどと言う筈は無いのだ。先遣隊が警戒を新たに前へと進む。不気味な程の静けさの中、ただレヴィアタンの身体を構成する肉壁が静かに脈動していた。
果たしてどれ程前へ進んだか。最早、あれ程不気味に感じた肉壁にも慣れたものだった。胃底を越え、なお前へと進む。この後に及んでも魔王軍の手は、影も形も無い。
「着いたぞ、ここがレヴィアタンの心臓だ」
アンブレの言葉に、褪せ人達が奥へと進む。レヴィアタンの体内、その中でも一際開けた場所に出た。広大な部屋に、規則正しい鼓動の音が響いている。
「あれが、レヴィアタンの心臓……」
カラザが部屋の中央に、まるで吊り下げられるようにして存在する肉塊を見上げる。部屋に響く鼓動の主、レヴィアタンの心臓である。
「……ん?何か埋まってない?」
その心臓を見上げ、エスネアが妙なものに気付いた。指差した先を見る。そこにあったのは、心臓に埋め込まれるようにして上半身だけを出した美しい女の身体。意識はないのだろう。生きているかどうかも分からない。ただ静かに心臓の拍動に揺れていた。
その異様な光景に、リキュノスが声を漏らす。
「何だ、アレは……」
「——あれは偉大なる三女神、その末妹にして愚かな人類に味方した女神、アダマスの肉体ですよ」
突然の声にその場に居る全員が動いた。武器を構え、その声の主に意識を向ける。
光の転移陣が敷かれ、そこから声の主が現れる。それは、天使であった。しかし、今までに見た天使がどこか女性的な印象を受けたのに対し、目の前に現れたのは男性的な特徴を備えていた。他の天使達よりも明らかな巨躯を誇り、巨大な翼と王笏を持ったそれは、明らかに天使達の上位者。
「大天使長……!」
恐らくは、過去に王国軍とは戦った経験があるのだろう。リキュノスは相手の事を知っているようだった。武器を構え、険しい顔で睨み付ける。
「アレはどういう事なのかしら?女神様を埋め込んで何をしているの?」
「ふむ、穢らわしいデーモンに答える義理は無いのですが……まぁ良いでしょう」
アブグルントの問いに、大天使長は感情を感じさせない声で答える。
「アレは抜け殻、我らが主によって、女神アダマスは肉体と精神を切り離されました。しかし、抜け殻といえどもアレは女神の肉体。その身に宿る膨大な力は、動力源として非常に有用でした」
「その使い途が、アレという事かな」
女神の力を利用し、心臓より力を与える。そして、レヴィアタンを目覚めさせようとしているのだ。同じ三女神、その妹すらも道具として扱うケラウノスの冷徹さに、先遣隊の一部が眉を顰める。
「ならば、話は早い。アダマス様の肉体を引き剥がし、レヴィアタンの心臓を破壊する」
アンブレが剣を構える。態々相手が丁寧に説明してくれたのだ。目標は既に目の前。やるべき事はシンプルであった。
「当然、そのような事はさせません」
大天使長の言葉と共に光の転移陣が次々と湧き起こる。現れるのは天使の軍勢。能面のような無表情で、大天使長の号令を待つ。
そして——
「——来たれ、不浄の魔神よ」
暗い瘴気が湧き起こる。そこから現れるのは、かつて褪せ人が打ち倒した蝿の如き魔神、ベルゼビュートであった。
「魔神だと?何故、魔神が天使に従っている」
「ベルゼビュートは元より、ある亜神を動力に造られた神の兵器。魔に堕ち、暴走をしていましたが、アダマスの力と我が主が直々に手を加えたことにより、こうして、本来の役割を果たせるようになりました」
ラピスの疑問に、またも大天使長が答える。丁寧な説明には、此方を絶望させ、諦めさせようとしている意図が透けて見えた。
ベルゼビュートが羽を広げる。昆虫の甲殻を張り合わせたような人型の魔神を中心にして、瘴気が拡散する。それは、かつて褪せ人達と戦った時よりも遥かに強力な代物。尋常な者達ならば、立つ事すらままならないであろう。今や、ベルゼビュートは本来の力を完全に取り戻したのだ。
「ヤバいですよ、これ……!本隊と合流した方が……」
「本隊なら、ここに辿り着く事はないでしょう」
天使の軍勢に、完全体となった魔神。
あまりにも分が悪い、そう判断したカラザの進言は、しかし大天使長によって遮られる。
「——ッ!!隊長、本隊より連絡。魔王軍の襲撃を受けていると」
魔術による通信に、ハルモニアが険しい顔で本隊の状況を伝える。それは、王国軍が魔王軍による奇襲を受けているというもの。本隊の援軍は望み薄となった。最初から、これが狙いだったのだろう。
「その中に、赤黒い霊体のような戦士達を確認。……その数、三名」
「何……?」
そして、続けて告げられたその内容に、褪せ人をして動揺は隠せなかった。
それが何なのかを、知っているのはこの中で己だけであった。三名の侵入者。血に狂った戦士達が、王国軍を襲っている。
何故、彼等が此方に来たのかは分からない。しかし、本隊からの援軍が絶望的になったのだけは事実だろう。
「困りました困りました。本隊の援軍は望めず、魔神と天使を相手にしなければならないなんて」
常の如く、どこか掴みどころない態度のリムリィ。しかし、その表情は険しい。
大天使長が、愚かな抵抗を続けようとする者達を潰すべく号令を下す。
「さぁ、滅びを受け入れなさい。それこそが、我が主、ディアス様の——ッ!?」
大天使長の思考が冷える。
——今、己は誰の名を口にした?
己は今、仕えるべき主の名を、間違えたのか?
己が仕える神はケラウノスただ1人。にも関わらず、何故己はあの亜神の名を口にした?
「待て、おかしい。そもそも何故、私はアダマスの力を使ってまでベルゼビュートを呼び戻した……?そんな事をせずとも、心臓に力を送り続けていれば、レヴィアタンの復活を早められた筈……」
「お前、何をブツブツ言っている」
突然動きを止めた大天使長を不審に思ったラピスの言葉も、今の彼には届かなかった。
態々、貴重なリソースを消費してまでベルゼビュートを使う必要は無かった。
問答無用に心臓に魔力を注ぎ、天使達を捨て駒に時間稼ぎをすれば良いだけ。
何故、己は懇切丁寧に目の前の者達に状況を説明した?
何故、態々分かりやすい強敵を作り、解決の道筋を示してやる必要があった?
これではまるで——神の試練のようではないか。
「……私は少し、やる事が出来ました」
確認しなければならない。己が主に報告し、あの亜神の真意を問わなければならない。人の滅びは、間違いなくあの神とて望む事であったはず。
「後は任せました」
「かしこまりました」
配下の天使に後を任せ、大天使長は転移陣にて天界へと帰還する。いずれにせよ、目の前の者達を滅ぼせば良いのだ。そうすれば、最終的な目標は達成される。
「何か良くわかんないけど、やる事は変わんないよね」
シェイドが剣を構え、口を開く。
大天使長の様子は気になったが、今は目の前の脅威に集中するべきであった。
大盾を構え、褪せ人が口を開く。
「既に一度倒した相手だ。力が増したと言えど、対処は変わらない」
「魔神を相手に、頼もしい限りだ。私も全力でやらせてもらおうかな」
褪せ人の言葉に、トリシャが笑う。そして、膨大な魔力を練り上げ、戦闘に備えた。
強大な魔神を目前にしてなお、褪せ人の頭を支配していたのは、本隊の事。三人の襲撃者。それだけが気掛かりであった。
時を同じくして王国軍本隊、褪せ人達から遅れて体内に侵入した彼らもまた、魔王軍との激戦を繰り広げていた。
「魔法部隊は戦線を下げて!砲術隊は、フライデーモンの集団を狙って!」
後衛軍師として配置されたアイシャが、デーモンの襲撃に対応し、次々と部隊を指揮していく。突然の襲撃。しかし、予測していなかった訳ではない。褪せ人達同様、異様なまでの静けさに警戒はしていたのだ。
故に、この程度は想定内。想定外だったのは——
「——キヒヒヒ!そうか、やはりあの男が『鍵』か!」
耳障りな笑い声を上げるデーモンの魔術士、アレが召喚した者達だけが想定の埒外であった。
デーモンの魔術士——異界召喚士が門を開く。
そこから現れたのは、三名の赤黒い霊体であった。
一人は、身の丈程の斧槍を携えた重装の男。斧槍に巻かれているのは、軍旗だろうか。堂々と仁王立ちする様は、力強さを感じさせる。
一人は、軽装の男。しかし、握る武器は異様であった。人骨をアーチ状に敷き詰めた大鉈。禍々しい武器を肩に乗せ、静かに立ちはだかっていた。
最後の一人は、より一層異様であった。それは、一糸纏わぬ全裸の女。しかし、それをただの狂人と断言できない何かがあった。あの二人の中にあって、何をしでかすか分からない未知の恐怖がその女を包んでいた。
異様な雰囲気を纏うそれは、未だ大きな動きを見せていない。しかし、相対する者達には決して無視できないほどの圧を放っていた。
「良い、良いぞ!今まで繋がる事が無かったが、あの男が必要だったのか!キヒヒヒ!」
その三人を見て、酷く上機嫌に笑う異界召喚士。今まで、その異界については知覚できていた。しかし、繋げようとしても上手くいかない。そんな中、ある男の話が耳に入った。
女神に呼び出されし、異界の英雄。
異界召喚士は確信したのだ。あの男こそが、『鍵』であると。
果たしてそれは正解であった。あの男の繋がりを触媒に、異界からの召喚は成功した。
「さぁ、行くのだ異界の戦士共よ!王国の者達を根絶やしに——」
その言葉は最後まで続かなかった。
異界召喚士の足元に、大鉈が叩きつけられる。地響きを轟かせる程の威力が突如として目前に振るわれ、異界召喚士は体勢を崩し、尻餅をついた。
「キヒィッ!?き、貴様ら、どういうつもりだ!?」
戦士達の反逆に、異界召喚士は喚き散らす。召喚者達が言葉を発する事はない。しかし、その意思は明白であった。
——余計な指図をするな。
そんな召喚者達の殺気を受け、異界召喚士は慌てて門を開く。
「ワ、ワシは帰還する!デーモンメイジよ、後は任せたぞ!」
「異界召喚士様!?そんな、この者達はどうすれば……」
「好きに使えい!強さは保証する!後は知らん!」
「そ、そんな……」
あまりに無責任な異界召喚士の言い草に、デーモンメイジは困惑の声を上げる。
既に異界召喚士の中で、目的は達成しているのだ。後はこの結果を元に、術式を改良し、異界の門を繋げれば良い。もはやこの地に用は無かった。
「ええい!アレらは無視だ!王国軍を叩くぞ!」
困り果てたデーモンメイジの選択は、放置であった。指示を聞くかも分からない、力も未知数な者達を相手に連携など出来ようはずもない。これが最善なのだと、己に言い聞かせ配下のデーモンに下知を下す。
「オイオイ、アレはちょっとヤバいんじゃねェか……?」
目の前に現れた三人の霊体を前に、デステリカが険しい顔で呟く。
彼女には、アレが何なのかは分からない。だが、少なくとも尋常な者達ではない事は、彼女の戦場を渡り歩いた経験が訴えかけていた。
「馬鹿な、何でコイツらが……!」
この場でその存在を知っているのは、王子ただ一人であった。
思い起こすのは、王都奪還における褪せ人が繰り広げた死闘の光景。
あの褪せ人が全力を賭し、それでもなお互角の戦いを繰り広げた存在。それが三名。
実際の強さは分からないが、それでも、低く見積もる事は出来なかった。
「あれ、何なのか知っていますの?」
「あぁ、王都奪還の時に一度だけ見た。詳細は省くが、褪せ人が三人居ると思って良い」
「あ、あの方が三名……!?む、無理ではなくて……?」
此方に近付いてきたイーファに端的に説明すると、弱気な言葉が返ってくる。とはいえ、それを責める事は出来なかった。そう言いたくなるのも無理はないと、王子をしてそう思ったのだから。
「だが、やるしかない」
勝機が無いわけではない。魔王軍の襲撃に戦力は割かれているが、それ自体は上手く抑え込めている。後は、目の前の三名を王国の精鋭達で叩く。
数は此方が上。褪せ人とて、絶対無敵の存在ではないのだ。
「手伝うぜ王子様ァ。久しぶりにビリビリ来る相手と戦えそうだァ……!」
「勿論、私も。ここまで来て、退くつもりはありませんわ……!」
戦意を滾らせる仲間達に思わず笑みが溢れる。この状況にあって折れぬ仲間達が、酷く頼もしかった。異常に気付いた他の仲間達も、此方に集まってくる。
「やるぞ、総力戦だ。コイツらを倒して、褪せ人達に合流する!」
此方の戦意に気づいたのだろう。三人の霊体が王子達へと向き直る。
赤黒い霊体達の、その表情は伺えない。しかし、彼らが凄惨な笑みを浮かべているだろう事が、何故か分かった。
次回、王国VS変態三人衆