王国軍が魔界遠征より帰還し、数日。
王国軍の凱旋により、王都はこれ以上ないお祭り騒ぎとなった。
滅びを齎す魔神、その元凶を断つべく王国の王子自らが陣頭指揮を取って向かった遠征、それを見事成功に収めたのだ。騒ぐのも無理はなかった。
まるで神話の英雄だと、王国の民は王子と、それに付き従う英傑達を口々に褒め称えた。
誰もが歴史に残る偉業であると、信じて疑わなかった。
最早王国は小国なれど、決して無視できない世界の中心となった。
その一挙手一投足を各国は注視し、その情勢を左右するのだろう。
「褪せ人殿、お疲れ様であります!」
王城前、いつもの如く王国より呼び出しを受けた褪せ人を、衛兵達が敬礼で出迎える。
どうにも慣れない。己は唯の雇われであり、そのような態度を取られる立場に無いはずなのだが。
とはいえ、態々それを訂正する気にもなれない。若干の座りの悪さを感じながら、城門を通過し、執務室へと向かった。
「そりゃあ、お前はもうこの国の大恩人だからな。いくらなんでもぞんざいな態度は取れないとも」
執務室に招かれ、衛兵の態度について相談すると王子からそのような言葉が返ってくる。
ただ、命令をこなしただけだ。別段己一人がどうこうということも無いだろうに。
そんな事を言えば、王子は呆れたように首を振った。これ以上話すつもりも無いらしい。
「それより、昨日の祝賀会は楽しめたか?挨拶回りに忙しくてな、会いに行けなかったんだが」
「あぁ……騒がしかったな」
祝賀会などというものに、褪せ人は慣れていなかった。
最初は辞退しようとしたのだが、仮にも部隊長として実績を上げておいて欠席は無いだろうと先遣隊の面々に言われ、渋々に出席した。
実際のところ、悪くは無かった。振舞われた料理も酒も美味であったし、披露されたシャルキー達の踊りも、芸術になど詳しくない褪せ人でも何かしら感じ入るものがあった。
強いて言うならば、アブグルントが周囲に聞こえるような声で「女神の抱き心地はどうだったのかしら?」などと言い放ってからの騒ぎはあまり思い出したくはないが。
「楽しんでくれたようで何よりだよ」
褪せ人の一言に王子は笑う。
戸惑いの混ざった返答。しかしそれ程悪いものとは思っていなさそうなその声音に、これからそういった事を少しずつ経験すれば良いと、王子は思った。この男はもう、孤独ではない。周りがそれを許さないだろう。
「ただ、一つ気になった事がある」
「何だ?」
しかし、褪せ人にはどうしても聞かなければならない事があった。
祝賀会、それそのものは良い。だが、どうしても理解できないものが一つあった。周りがさも当然の如く受け入れていたために聞くことが出来なかったのだが。
「お前の政務官が昨日——」
「アイドルアンナちゃんの事か?」
「……そうだ、その政務官——」
「アイドルアンナちゃんの事だな?」
「……アイドルアンナちゃんの事だが」
何故か呼び名を頑なに譲らない王子に、褪せ人が折れる。何かしらの拘りがあるらしい。
王子の右腕として日々政務を一手に引き受ける彼女の、予想だにしない一面に戸惑いはあった。しかし、それ以上に不思議だったのはその歌である。
「何故、あの女が歌うと魔物が現れたのだ?」
「あぁ、アイドルアンナちゃんが歌うと、その高揚の魔力で周囲の魔物を引き寄せてしまうんだ」
自分は政務官兼歌手だなどととち狂った事を言い始めたその政務官。しかし、王国民の熱狂は凄まじかった。
アンナが歌い、熱狂する王国民。正直この時点でも頭がどうにかなりそうだったが、突如興奮した魔物がステージを襲撃、それを恒例行事と言わんばかりに討伐する兵士達を見て、褪せ人は発狂の苔薬を口に含んだ。治らなかった。
「何故歌わせた?」
「アイドルアンナちゃんの一夜限りの祝賀会記念ライブだぞ?」
どうにもこの男、この件に関しては話が通じないらしい。
ステージの最前列、王国民に混じって光る棒を両手に持ち、歌に合わせて奇怪な踊りをする姿は、女神に愛された英雄の姿とは思えなかった。
「さて、そろそろ真面目な話をしようか」
雑談はそこまでだと、改めて椅子に座り直した王子が本題に入る。
褪せ人としても否やは無い。恐らくは、魔界遠征に関しての事だろう。
「魔界遠征、これに関してはこれ以上ない成功を収めたと言って良い。当初の目的ばかりか、魔神、そして女神アダマス様の身体なんて予想以上のものを確保できた」
それに関しては、己も同意見であった。本来の目的だけでなく、期せずして得られた成果もまた、大きい。
「アダマス様の肉体について、帝国に話をした」
女神アダマス。女神アイギスの妹神にして白の帝国が主神として崇める女神。
その肉体を預かっていると、白の帝国に伝えたのだ。
その結果、白の帝国の上層部は大混乱に陥った。
それも当然だった。千年戦争の後、その消息を絶った女神。白の帝国は数百年に渡って探し続けていたのだ。
それが突然、肉体だけとはいえ見つかったと同盟国である王国から伝えられたのだ。騒がない方がおかしい。
純粋に神の身体が見つかった事に喜ぶ者。何かの罠ではないかと王国を疑う者。これからの白の帝国の振る舞いについて、打算的に考えを巡らせるもの。力づくで王国から奪い返せなどという強硬派。
様々な意見が噴出した。
「態々教えてやる必要はあったのか」
「同盟国がそれを隠している方が問題だろう。それに、あの男なら上手くやるさ」
王子の言うあの男、というのは恐らくは白の帝国の皇帝を指すのだろう。
同盟にあたり、王子と皇帝は知己の間柄だった。
「思えば、あの男は少しお前に似ているかも知れないな。ぱっと見は無愛想でむっつりなところとか。あれで中々面白い男なんだが……」
酒の趣味も合うしな。そう言って笑う王子の声音には、確かな信頼があった。共に国を率いる者として、感じ入るものがあったのだろう。
とはいえ、それは己には関係の無いことだが。
「最終的にどうするつもりだ」
「帝国に引き渡そうと思っている。帝国の悲願を、王国が持ち続けているのは余計な火種になりかねない。恩を売れるなら売っておきたいしな」
王国の上層部でも既に決定事項なのだろう。特に、渋る理由もない。
褪せ人としても、それについては否やはなかった。
「ただ、ちょっと面倒な注文があってな……」
「何だ」
「引き渡しにあたって、帝国はお前も招きたいと」
女神アダマスの引き渡しにあたって、己の同行を求めているらしい。果たして何が目的か。
「表向きは女神アダマスを救い出した英雄に直接感謝したいとの事だが……」
「他に何かあると?」
「考え過ぎかも知れないがな」
王子は帝国に何か別の意図があるのではないかと睨んでいるらしい。しかし、煮え切らないのはあくまで勘の域を出ないからだろう。
「とはいえ、アダマス様を救い出した英雄を無碍にはしないだろう。最終的に決めるのはお前だが……どうする?」
王国には、己への命令権は無い。あくまで招聘に応じるかどうかは此方に委ねられていた。
魔界遠征を終え、一つの目的を達成した今、再び手詰まりの状態である。
大きな動きがあるまでは手が空いている。断る理由は無かった。
「良いだろう。私も帝国へ同行する」
「了解した。帝国にはそのように連絡しておく。詳しい日程は追って知らせよう」
そう言って、王子は満足そうに頷いた。今、王国と帝国は目指すところは一致している。何かしらの思惑があれ、悪い事にはならないだろう。
「それと最後に、魔王軍に現れた霊体達だが……」
王子が最後、険しい表情でそれを口に出す。快進撃と言って良い結果を残した魔界遠征における、唯一の懸念。それは王国軍に襲撃をかけた血の指の事だろう。
「ハルモニアから聞いた。異界召喚士だったか」
「あぁ、確かにそう呼ばれていた」
——異界召喚士
遠征の後、ハルモニアから、その名前を聞いた。
曰く、魔王軍の幹部であり、特殊な召喚術の使い手。この世界の外、異界へ繋ぐ魔術によってそこに住まう者達を呼び出すのだという。
ハルモニアが魔王軍に在籍していた頃。異界召喚士はとある『異界』を見つけ、それから研究の為に引き篭もって表に出てこなくなっていたらしいが。
「その『異界』が、お前の居た世界という事か」
「恐らくはな」
正確には少し異なるだろう。狭間の地に繋がっているのは事実だが、そもそも血の指達が別世界からの侵入者である。
故に、そこが己の知る狭間の地かというと、違うと褪せ人は考えていた。
「今後、異界召喚士が居る以上、お前の世界の者達とも戦う事になる。これまで以上に、お前の住む世界について知る必要が出てくるだろう」
全く異なる世界からの脅威。だが、目の前にその世界の出身者が居るのだ。これ以上のアドバンテージは無いだろう。
とはいえ、褪せ人としても何を話せば良いのかは分からなかった。元々己は説明下手なのだ。聞かれた事に答える以上の事は出来る気がしなかった。
「その辺りは考えがある。別にお前の手の内を晒せと言うつもりもない」
一人の戦士として、己の手の内を晒せというのは王子としても憚られた。故に、知りたいのはその世界に生きる者達の情報。
とはいえ、お前の居た世界の常識を教えろと言っても難しいだろう。
故に、王子も考えはあった。
「だが、それを実行するのにも準備が要る。まずは帝国での用を済ませてこい」
今度こそ終わりだと、王子は話を打ち切った。一先ずの情報整理はこんなところだろう。
白の帝国。
聞けば、王国よりも栄えた大国らしい。この世界において、王国以外の国を知るには丁度良い機会だった。
「あ、ちゃんと真っ直ぐに帰ってこいよ。帝国に拠点移すなんて言わないでくれよ」
「確約は出来んな」
「えっ、お前、ちょっと」
慌てる王子をよそに褪せ人は執務室を後にする。
半分は冗談だった。アイギスに見出され、今や物質界の中心である王国を離れる理由は無い。しかし、仮に帝国が王国よりも目的を果たすのに都合が良ければ、場を移すのにも否やはなかった。
帝国からの迎えは思いの外早く来た。向こうとしても、一刻も早くアダマスの肉体を確保したいらしい。帝国の悲願である以上、それも当然か。
「空を飛ぶ船か……」
帝国がよこした迎えに、褪せ人をして驚かざるを得なかった。
目の前にあるのは巨大な船。あろうことか、空を飛んでここに来たのだという。
大国の進んだ技術力をまざまざと見せつけられた。
「何を呆けている。さっさと行くぞ」
「お前は何故ここにいる」
飛空船を観察していた褪せ人を急かすように声を掛けながら、飛行船に乗り込もうとしているラピスに褪せ人が疑問を呈す。
このデーモンが呼ばれているなどと聞いた覚えが無いのだが。
「帝国に用事があるのだろう?この私が手を貸してやる。ありがたく思うのだな」
答えになっていない。若干、ラピスの目が泳いでいるのは自分でも苦しい言い分だと分かっているからだろう。それ程までに帝国に行きたい理由があると言うことか。
「あの神官戦士のところよね?帝国との合同演習まで待ちきれなくなったのかしら」
「うるさいぞ、性悪」
アブグルントが揶揄うように笑う。図星なのだろう、ラピスは半目で睨みつけながらアブグルントを罵った。
「あぁ、私はメフィストに呼ばれてるから同行するわよ?まぁ、あの知りたがりの相手をするのは少し気が引けるのだけれど」
アブグルントはメフィストに呼ばれたのだという。確か、友人だったか。
果たしてどこまで信じれば良いのか分からないが、ついてくるつもりのようだった。
「お前は…まぁいつも通りか」
「はい、いつも通りです!」
カゴメについてはいつも通りだった。特に問題を起こすわけではないが、呼ばれていない者を同行させて良いのだろうか。
「ハハハ、良いんじゃねぇか?一人二人増えたところでこのボリス様が整備した飛空船は沈みゃしねぇぜ」
飛空船を操縦していた技師、ボリスが笑いながら言う。帝国側が問題ないのであれば、構わないだろう。
飛空船に乗り込む。褪せ人としても空を飛んでの移動など初めてだった。
「全員乗ったな?しっかり掴まってろよ!」
棺が無事積み込まれたのを確認し、ボリスが飛空船を操縦する。
飛空船が地上を離れ、少しずつ速度を上げながら帝国へ向かって飛翔する。風を感じながらの空の旅は実に新鮮な時間であった。
「着いたぜ!白の帝国へようこそ、だな!」
飛空船に揺られてしばらく。白の帝国に到着したらしい。帝国と王国の距離を考えれば驚異的な速さだろう。
「ようこそおいでくださいました、褪せ人殿。帝国城までの案内を任されたドワイトと申します」
鎧を来た大柄な男が飛空船から降りた褪せ人達を出迎える。
帝国の兵士達が飛空船よりアダマスの肉体の入った棺を、まるで壊れ物を扱うように慎重に降ろしているのが見えた。
「アダマス様の御身体は責任持って我々が神殿まで運び込みます。褪せ人殿御一行は、此方へ」
ドワイトに促され、褪せ人一行が馬車に乗ると、帝国城へと走り出した。
流石に大国といったところか。馬車から見える帝国の街並は王国よりも整然とし、人々の行き来も盛んなようだった。
帝国城に着くと、他の面々を待たせ、別の部屋に通される。
どうやら王子の推測は当たっていたらしい。態々別室に招いて話をしたいなど、別の意図があるのは明白だった。
しばらくして、一人の女が入ってくると、己の向かいの椅子に腰掛ける。
「初めまして、帝国人事部のイルマと申します。女神アダマス様の御神体、その解放に、帝国に代わり感謝致します」
「用件はなんだ」
入ってきた女が褪せ人に感謝の意を示す。それそのものに嘘はないのだろう。その態度は真摯であった。
褪せ人は単刀直入に用件を問うた。ここまで露骨なのだ。帝国としても隠すつもりはないだろう。
「話が早いのは嫌いではありませんよ。他ならぬ英雄、貴方に依頼があります」
あんまりといえばあんまりな態度、しかしこの程度なら帝国の癖の強い連中に比べれば余程マシだと、イルマが笑い本題に入る。
「——皇帝陛下の暗殺計画が持ち上がっています。貴方にはこれを阻止する手伝いをお願いしたいのです」
頼み事がある、と明言できなかったのはそれか、と褪せ人は納得する。
秘密裏に持ち上がった暗殺計画。それを阻止する為に動いていると悟られるわけにはいかないということだろう。
しかし、それでも疑問は残る。
「……そんなものを外部の、それも雇われに依頼する必要はあるのか。内々で動くべき案件だろう」
信頼出来ない傭兵に任せるべき仕事ではない。態々迂遠な真似をして此方を呼びつけずとも、帝国内部で動いた方が余程楽だろう。
「えぇ、まぁ……実際その通りなんですが……」
その指摘に歯切れの悪い言葉を返すイルマ。出来ない理由はある。されど言っていいものか、イルマは悩む。
「——そこからは私が話を引き継ごう」
そのような言葉と共に、応接室に入ってきたのは帝国軍師にして皇帝の右腕とも名高いレオナであった。
「王国には借りが出来てしまったな」
「あの男はそんなものを気にしないだろう。それより、どういうことだ」
帝国が内部の人間を動かせない理由。教えられないのであれば正直それでも構わなかったが、話してくれるというのであれば、それに越した事は無かった。
「現在、帝国はある遠征に向けて部隊を編成中だ。故に、割ける人員が限られている」
「遠征だと?」
「——悪霊の迷宮」
遠征という言葉に疑問を持った褪せ人に、レオナは神妙な面持ちでその迷宮の名を口にした。
「数々の冒険者がその迷宮に向かい、しかし誰一人として帰ってこなかった。その最奥に何があるのか、誰も知らない」
「そこへ今向かう必要はあったのか」
「王国からアダマス様の御神体について伝えられた時、帝国上層部は考えたのだ。——肉体が見つかったのであれば精神も何処かで幽閉されているのではないか、と」
大天使長は肉体と精神を切り離して封印したと語っていた。ならば、それを聞いた帝国が、精神もまた何処かにあると考えるのはごく自然であった。
「すぐさま調査に乗り出した。あらゆる資料を洗い出し、そして最も可能性が高いのがこの迷宮であると、帝国はそう判断した」
アダマスの肉体を取り戻した、悲願成就に手のかかった帝国を止める事は出来ない。皇帝派閥が待ったをかければ、すぐさまその求心力を失うだろう。
実力主義の帝国にあって、女神アダマスへの信仰は篤かった。
「全く人員を割けない訳ではない。皇帝陛下が暗殺如きに倒れるお方ではない。だが、それでも万全は期したい」
「そこで、傭兵ではあれど、女神アイギスからの召喚者にして帝国の大恩人である貴方に白羽の矢が立った、というわけです」
「陛下の身辺警護そのものは此方の手の者で行う。貴様には、不測の事態への対応を依頼したい。報酬は満足する額を用意することを約束しよう。受けてくれるな?」
レオナとイルマの言葉を聞き、褪せ人は暫し考え込む。
今までの話、おかしな部分はない。強いて言うなら悪霊の迷宮の方が褪せ人としては気にはなるが、帝国が動いている以上、今は余計な事はしない方が良いのだろう。
「良いだろう。その依頼、引き受けた」
「感謝する。城内に部屋を用意させている。何か入用であればメイドに遠慮なく言って欲しい」
そう言われ、褪せ人はメイドの案内に従って部屋を後にする。
部屋に残ったのは、レオナとイルマの二人。
「どう思う、あの男は」
「そうですねー。王国のワンニャンランドから来たにしては凄く話が分かると言いますか、噂だともっと凶暴な方を想像していたのでちょっと拍子抜けと言いますか」
レオナの問いに、イルマが褪せ人の印象を語った。伝え聞くあの男のそれとは随分と印象が異なった。城内で兜を被りっぱなしなのは変人の領域だが、その程度なら帝国の変人達とて負けていない。なんの自慢にもならないのが悲しいところだが。
「油断するなよ。経験上、ああいう表面上真人間の振りをした者の方が弾ける時はとことん弾けるのだ」
実力のある者はどこか破綻しているのだ。徹底した実力主義の帝国、その上に立つ彼女は、それを嫌というほど理解していた。
正月バフが…消えてしまった…