「さて、お互い積もる話もあるだろう。情報共有と行こうじゃないか」
神殿の一室、臨時作戦室と化した部屋で王子は褪せ人達にそう言った。
魔物の群れが、王国軍によって鎮圧されるのにそう時間はかからなかった。
小物の群れであり、何よりミノタウロスのような大物が出てくることがなかったのも大きい。
その後、王国軍が神殿に駐留。しばらくの後、褪せ人はイリスに連れられ、この部屋へと通された。
「まずは、自己紹介だな。改めて、俺はこの国の王子だ。そして、こちらが政務官のアンナ。そして、こっちがジェローム。」
「政務官のアンナと申します。今は王子の補助を担わせていただいております。皆様、よろしくお願いいたします」
「ジェロームです。今はまぁ、臨時で王国軍を預からせてもらってます。一応は司令官って立場でしょうかねぇ」
銀髪の、落ち着いた雰囲気の女性が丁重に挨拶をする。
それに、どこか飄々とした態度の男が続いた。
「わしはニコラウス。流れの神官戦士よ!」
ニコラウスが力強く名乗り返す。
「ふっ、では改めて名乗ろう。僕こそが雷光の煌めき…タラニアだ!よろしく頼む」
タラニアもまた、短めの口上にポーズを取り、名乗りをあげた。その相変わらずの名乗りに、周囲の空気が僅かに弛緩する。
「…褪せ人だ」
最後に、褪せ人がそう短く返した。
「褪せ人、ねぇ」
ジェロームが興味深そうに目を細める。
「ふむ、何か事情があるのかな。だがそれにしても単に『褪せ人』というのはいただけないな。例えばそう、先の戦いで君の放った雷の槍にちなんで『雷光の――」
「要件はなんだ」
「無視は酷くないかい!?」
長々と続きそうなタラニアの言葉を褪せ人は切って捨てる。
隣で騒いでいるのは意図的に無視した。
――単に自己紹介のために呼びつけたわけではないだろう。
褪せ人が視線を以て、椅子に座る王子へと問う。
「ははは、まぁそうだな。まずは、先の戦い。アイギス神殿を、民達を守ってくれたことへの感謝を述べたい。君たちが居なければ、今頃は惨憺たる結末を迎えていただろう。本当にありがとう。そして、王国軍として、戦いに参じることが遅れてしまったことをここに詫びさせてほしい」
そう言って王子は立ち上がり、頭を下げた。
その姿は真摯に、感謝の念を湛えると同時に己の不甲斐なさを悔いていた。
「王子殿、一国の主がそう易々と頭を下げるものではありませんぞ。わしはただ、神に仕えるものとして民達を見捨てるなどできなかったまでのこと」
「そうとも。雷光たるこの僕が、救いを求める声を見捨てることなんて無いからな」
王子は頭を上げる。
「そう言ってもらえると、ありがたい」
そして、王子の視線はタラニアへと向けられる。
「ところで、タラニア。君は一体何故アイギス神殿に?」
「うん?いや何、僕は傭兵でね。キャラバンの護衛をしていたところを魔物に襲われたのさ。そして彼らからここが近いと聞いて、一時的に避難しようと向かっていたところだったんだ。そうしていたら彼、褪せ人君の大立ち回りが見えてね。加勢させてもらった」
王子の疑問に、タラニアが答える。
「なるほど…」
「ああ、ちなみにキャラバンは無事だよ。今頃神殿の外で野宿しているんじゃないかな」
そしてついに、王子が褪せ人へと顔を向ける。
「さて、褪せ人。君のことはレアンとイリスから既に聞き及んでいる。王都から彼女たちを救い出してくれたこと、重ねて感謝する」
「依頼されて引き受けただけのこと。礼を言われるようなことでもない」
にべもなく返される褪せ人の言葉に、王子が苦笑いを浮かべる。
「なるほど、話に聞いた通りだったな。…さて、本題に入ろう。俺達がここアイギス神殿までやってきた理由だ」
王子がここまでのいきさつを説明する。
王城の陥落、国王の死、そして、その遺言について。
その言葉の一つ一つが、部屋の空気を重くしていく。
「そんな…国王陛下が…」
イリスが国王の死に衝撃を受ける。特に彼女は、この場でその死を知らされていなかった者たちの中で唯一面識があっただけにその狼狽は顕著であった。震える声で、彼女は思わずといったようにそう漏らす。
レアンもまた、声を上げずに静かに拳を握りしめた。
他の者も、その事の重大さが重くのしかかっているようだった。
部屋全体が重苦しい静寂に包まれる。
「だからこそ、俺はここで終わるわけにはいかない。亡き父の遺志を果たし…全てを、救わなければならない」
静寂を破り、王子が口を開いた。
王子の目には決意の炎が宿っていた。悲しみはある。されど、この身がそれに浸ることは許されない。そういう覚悟がそこにはあった。
「話を戻すが、俺達はこの神殿で、女神アイギス様のお力を借りに来たわけだ。だが…」
「今のところ、アイギス様がこちらに応じる気配が無いのです。…やはり、何かあったのかもしれません」
王子の言葉に、アンナが続く。
「そこで、イリス様。貴方のお力をお借りしたいのです」
アンナが、イリスに向き直る。
「わ、私ですか…?」
「聖女としての力。それは、アイギス様への祈りの力と存じております。故に、そのお力があれば、あるいは…」
「わ、わかりました…。やってみます」
アンナの言葉に、僅かに躊躇いながらイリスは応じる。そして、その場に膝をつき、静かに祈りを捧げはじめた。
部屋の空気が一変する。
ただそこに佇むだけなのに、神聖な気配が立ち込めていく。褪せ人でさえ、その変化を感じ取っていた。
そして――
「...の子よ」
かすかな、しかし確かな声が全員の心に響く。
「...聞こえますか、人の子よ」
その声は次第に明瞭になっていく。
「貴方がたが来るのを待っていました。
――そして、よくぞここまで来てくれました。異界の英雄よ」
部屋にいた全員が息を呑む。遥か過去、千年戦争を終結へと導いた神。女神アイギスの声が再び世界に響いたのだ。
女神アイギスの声が部屋中に響き渡る。その姿は見えずとも、神聖な気配が空気を満たし、確かな存在感を放っていた。
「魔物たちが溢れ出している原因…。それは、長き刻を経て私の封印が弱まっていることにあります」
女神の声に、部屋の空気が凍りつく。女神の力が弱まっている。それは、今まさにその力に縋ろうとしていた者にとって、絶望に等しい宣告であった。
「今の私に戦う力は残されてはいません。貴方がた人の力で、魔物の脅威を除かねばならないのです」
その言葉に、アンナの顔が蒼白になる。
「そんな…国王陛下をお守りすることもできなかった私たちに、あの魔物たちを相手にする力など…」
もはや、限界であった。国王を、自分達の住む国の統治者すら守れなかった自分達に一体何ができるというのか。
絶望に染まる彼女達を前に女神の声が再び響く。
「私に戦う力はありませんが、王子よ、英雄王の血を引く者よ。貴方に加護の力を授けましょう。かつての英雄王は、多くの英傑とともに、魔の脅威を排し、人々に希望を齎しました。貴方にも、その力は受け継がれているのです」
王子の瞳に、かすかな光が宿る。女神の力は使えず、されどその加護は今、王子へと授けられるという。ならば、希望は未だ潰えず、我らにある。
「これより先、貴方は多くの者達と出会うことになるでしょう。その縁を、結びつきを強くするのです。志を同じくした彼らは貴方の剣となり、この世界を救う大きな力となるでしょう」
目に見えた力ではない。しかし、それでも王子の中には不思議と確信があった。
その瞳に絶望はなく、ただ窮地へと臨む覚悟が湛えられていた。
――そして、女神の声が褪せ人へと向けられる。
「あぁ、異界の英雄よ。彼の地にて王となりし者よ」
その言葉が褪せ人を指していることは、不思議と部屋の者達には分かった。
異界の英雄とは、果たして何なのか。
戸惑いはあれど、全員が女神の言葉の続きを待つ。
「私は貴方に、謝罪をしなければなりません。何故ならば、この地に貴方を呼び出したのは他ならぬ私であるからです」
背後で、イリスが息を呑む音が聞こえる。褪せ人は無言のまま、身じろぎもしない。
「力が弱まるのを感じながら、私は抗う術を探し続けていました。私の意識が彼の地に繋がったのは全くの偶然でしたが」
女神の言葉が、褪せ人の過去を紐解いていく。
「彼の地について、私は断片的にですが知り得ることができました。女王マリカ、数多のデミゴッドと呼ばれる大きな力を持つ者たちと破砕戦争、そして貴方」
その単語の意味を知るものは、ただ一人を除いてここには居ない。
ただ、目の前の不愛想な男が、何か重要な意味を持つ。それだけは全員が理解していた。
「貴方は戦いの果て、遂には王となった。壊れかけ、人々が狂い果てたあの世界に、どのような形であれ、一つの救いを齎した」
一つの救い。言いえて妙だと褪せ人は感じた。
狭間の地の戦いの果て、遂には王となり、世界に対する選択を迫られた。
数多の選択肢の中から選び取ったそれは、確かに救いを齎した。だがそれは、褪せ人の手によって救われる者たちが選ばれたに過ぎない。選ばれなかった、救いが齎されなかった者達が居たのもまた、事実。
――全てを、救わなければならない。
先ほどの王子の決意が、脳裏によぎる。
「残る力を振り絞り、私は貴方をこの地に召喚したのです。あまりに身勝手な行いと思うでしょう。
しかし、今の私には、それしか手段が残されていなかった」
女神は、静かに告げる。
「女神として今一度、貴方に使命の火を灯しましょう。この世界を救ってほしいのです。
――どうか、今ひとたび、英雄たらんことを」
そう言って、女神の声は遠ざかる。神聖な気配は薄れ、やがて、静寂に包まれる。
静寂の中、全員の視線が褪せ人へと向けられた。