「物質界に来るのも久しいですが、料理の進歩には目を見張るものがありますね」
帝国の菓子を摘みながら、目の前の女が嬉しそうにそう言った。褪せ人達の前にも同様に菓子と茶が置かれているが、手は付けてはいない。その横で夢中になって食べている妖怪が居るが、それは意識の外に置いた。
「良いのか?こうものこのこと付いて行って。恐らくここは魔界だぞ」
「罠であるとは感じられん。それに、多少気になることもあった」
警戒しているラピスの言葉に、褪せ人が静かに返す。
帝国で突如目の前に現れた謎の女。その女に言われるがままに転移門を潜った先にあったのは、城館の応接間。恐らく主はこの女だろう。
そこに招かれ、今の状況にある。彼女の隣にはデーモンと竜人が座り、同じように菓子と茶を楽しんでいた。
「んん〜! これ美味しいわよ、ロタン! 物質界も中々侮れないわね!」
「そうね、ヤハールが作るお菓子も美味しいけど、偶には買ってきても良いかも」
そんな事を言いながら和気藹々と茶会を進める三人に、およそ邪気のようなものは感じられない。とはいえ、褪せ人としてはさっさと本題に入って欲しいものだと、そう考えていた。
「お気に召しませんでしたか? 最近の物質界の所作については些か疎くて、何かあれば遠慮なく言ってくださいね?」
此方の警戒を別の意味に受け取ったらしい目の前の女が眉根を下げて心配そうにそう言ってくる。
その顔に、少なくとも褪せ人は裏は感じられなかった。故に、褪せ人は単刀直入に聞きたいことを尋ねた。
「お前は何者だ」
「……それは単に名前を知りたいとかそういう訳ではありませんよね」
歯に衣を着せぬ褪せ人の言葉に、彼女は微笑み、そして口を開いた。
「私はアスバール。嵐雨の亜神として嵐と慈雨を司る者」
「……へぇ」
その言葉は流石に予想外だったのか、アブグルントが目を細める。
——亜神。神に準ずる力を持つ者。
それに近い名を褪せ人も知っているが、似て非なるものだろう。この世界には、同じ言葉で、しかし意味の違うものが多い。
だが、そんな神が態々会いに来る理由というのが分からなかった。
「まずは感謝を。貴方には魔神ベルゼビュートより私を……いえ、私とその従者を解き放って頂きありがとうございます」
そう言ってアスバールとその従者達が揃って頭を下げる。そこにはどこまでも真摯な感謝の念が籠っていた。
「どういうことだ」
しかし、褪せ人には覚えがない。ベルゼビュートを倒した事が何故解放に繋がるのか、皆目見当がついていなかった。
「おや、そういえばそうでしたね。実は——」
頭を上げたアスバールが、褪せ人の反応に、ベルゼビュート討伐が、果たしてどのような結果を齎したのかを語る。
そこで漸く合点がいった。確か、大天使長がベルゼビュートは亜神を動力にしていると言っていたか。
「……偶々あの魔神が立ちはだかっただけのこと。恩義に感じる必要はない」
だが、それにしても態々感謝される程のものには感じなかった。
ベルゼビュートなど、ついででしか無かったのだ。目標は魔神レヴィアタンの心臓。その障害が単にベルゼビュートであっただけで、救うつもりなどありはしなかったのだから。何より、それは己一人に向けられるものでもない。
「謙遜は美徳。ですが、ここは恩を売っておいて損はありませんよ? 何せ神を救う機会なんてそうありませんから」
どこか茶目っ気のある表情でアスバールはそう言うと、本題に入るべく口を開く。
「本来ならば貴方に相応の礼を、と思っていたのですが、少し欲が出てしまいました」
そう言うと、アスバールはどこか期待を込めてその赤と青の瞳で褪せ人の方を見つめる。
褪せ人はその視線を受け、特に応えるでもなく言葉の続きを待った。
「私に仕える気はありませんか? 私は亜神アスバール。かつては敗れ、虜囚の身に堕ちましたが、今ひとたび、この魔界を治めんとする者。…どうです、興味が出てきましたか?」
——お前、私に仕えぬか。
その言葉に、ほんの僅かに懐かしさを覚えた。アスバールは意図していないだろうが、その言葉は、褪せ人の心を僅かに刺激したのだ。
だが、それでも己はどこかに所属したいとは思っていなかった。褪せ人はアスバールへと口を開く。
「……私はもう誰にも仕えるつもりはない」
「そうですか、では今のところは雇用関係ということで。気が変わったならいつでも」
褪せ人の言葉にアスバールは大人しく引き下がった。言外に諦めていないというのが滲み出てはいたが。
「では、今度こそ依頼の話をさせてください。——魔界武術大会というものをご存知ですか?」
「そういえば、アナトリアがそんなのに褪せ人を誘ってましたね」
カゴメが魔界武術大会という言葉に反応する。
その名は確かにオークのアナトリアから聞いていたような気がする。あの荒廃した地でそのような催しが開かれているという事自体がある意味で驚きではあった。
アスバールが、カゴメの口からアナトリアの名が出たことに目を丸くする。
「現チャンプとも繋がりがあるとは。ですが、それなら話が早い。貴方には、私達と共にそれに出場していただきたいのです」
「……何故だ」
わざわざそのような催しに出る理由が分からない。まさか神にもなって名声が欲しいとでも言うのか。
「いいえ、そのまさかです。まさに、今私は名声を欲しています」
我が意を得たり、とでも言いたげな表情でアスバールは頷いた。
「お恥ずかしながら、私は長きに渡り封印され、多くの者達の記憶から忘れ去られています。神を名乗ったところで、果たしてどれ程の者が信じてくれるか」
ベルゼビュート自体が物質界の古い資料に残されている程には長きに渡って活動していた魔神である。その動力源として封印されていた彼女もまた、遥か過去より目覚めた神。であるならば、その記憶から忘れ去られるのも無理はないのだろう。
「私は魔王軍によって荒らされたこの魔界を一つにまとめたい。ですが、それを為すにしても、とにかく今の私には名声が不足しています」
「それで、武術大会に出ると?」
「はい。まぁ、その、魔界の方々はある種素直と言いますか、力を示す事でついてくる者達は多いので」
単純、という言葉を精一杯濁しながらアスバールはそう言った。つまりは魔界武術大会で力を示し、亜神アスバールはここにあり、とアピールしたいのだという。力を示せば、魔王軍に敵対的な集団を取り込むのに繋がるだろうと見積もりもある。
「今回の魔界武術大会は1チームに5人までエントリー出来ます。その一人として、貴方には共に戦って欲しいのです」
「……見返りは何だ」
話は分かった。武術大会に出るのも吝かではない。故に、後は報酬次第。果たしてこの神は、何を与えるというのか。
「そうですね……金品は貴方には不要でしょう。——神の楔についてご存知ですか?」
「何……?」
「お嬢!?」
それは、聞き覚えのない単語であった。しかし、背後のデーモン、ヤハールの反応から、目の前の亜神が通常考えられないものを報酬にしようとしているのは明らかであった。
「簡単に言いますと、私達神が奇跡を行使するために必要なもの。これを作る事が出来るのは、真なる神、今はケラウノスを残すのみです」
そう言って、アスバールが手を開く。その上にあるのは、光り輝く何かの破片。それに周囲の者達が目を奪われる中、アスバールが口を開く。
「これは、私を封じていた術式から零れ落ちた破片。しかしこれだけでも十分な力を発揮するでしょう」
それはまるで、大ルーンのようだと褪せ人は思った。
仮に、己の考えているものと近しいのであれば想像以上に貴重な物。いくらなんでも報酬としては過大にすぎる。
「言った筈です、欲が出たのだと。仕えろとは言いません。しかし、今後もこうして依頼に応えて頂けるのであれば、これを差し上げても構いません」
つまりは先行投資。今後もアスバールの依頼に応える事を条件に、神の楔の破片を手渡すのだという。
己の目的は魔王を滅ぼす事。果たして、それに矛盾が生じないかと褪せ人は逡巡する。
「私の目的は魔界の統一。今は、それを為す力が足りていません。貴方には、その一助となって欲しいのです」
目の前の亜神の目的は、魔王の荒らした魔界を統一し、治めること。彼女達と関わる事は、遠からず魔王との衝突は避けられない。
「……いいだろう」
であれば、問題はない。拠点は変わらず王国に、アスバールからの要請があれば、それに応える形で出向く事にする。
褪せ人が了承すると、アスバールはほっとしたように息をついた。
「ふふっ、断られるかと思ってドキドキしちゃいましたよ」
「彼が依頼を断ったところは見た事がないわね」
「そうなんですか? では、もう少し無茶なお願いをするべきでしたかね」
緊張が解けたアスバールがアブグルントの言葉に微笑む。どうにもその姿は神というには気安いものを感じた。或いは、此方が彼女の素なのかも知れない。
アスバールは改めて向き直ると、手に握られた神の楔の破片を褪せ人に手渡した。
「今渡すのお嬢!?」
「元々はお礼で渡すつもりでしたから。それに、言ったでしょう? 欲が出たのだと。何より、偉業には相応の報酬があって然るべきですから」
焦ったように声を上げるヤハールに、しかしアスバールは微笑んで返す。
前払いというにはあまりに気前の良すぎるそれ。その無条件に他人へ信頼を示す様は、どこか王子を彷彿とさせた。
手渡された神の楔を褪せ人が眺める。そして温かな光を放つそれは、やはり大ルーンを思い起こさせた。
使い方は漠然と理解できる。褪せ人はゆっくりと神の楔を握り締め、その手を胸に押し当てた。
神の楔は、抵抗なく褪せ人の身体に入り込むと、一際強烈な光が放つ。
効果は、すぐさま現れた。莫大な力が、己の身の内を駆け巡るのを感じる。
「これは……」
「おぉ〜!」
僅かに目を見開いたアスバールと突然の光にカゴメが感嘆の声を上げる。
やがて光が収まる。見掛けに大きな変化はない。
しかし、己の中に確かに力が宿ったのを感じた。細かく検証が必要だが、恐らくは今まで振るう事の出来なかった武器を振るえるだろう。
「どうですか?」
「悪くない。想像以上だ」
果たして得られた結果は想像以上であった。与えられたものには報いねばならないだろう。久しく無かった己の変化に、らしくもない高揚を抱いている。
「つまり……もっと頑張れるという事ですね!?」
「そんなところだ」
カゴメの言う事も間違いではないだろう。手数が増えることは、そのまま己の強みが増す事を意味する。流石に魔術や神業じみた技量を要求するものは扱えないだろうが、それでも今後の戦いで、この力は大いに役立つだろう。
「さて、今回の武術大会にあたって、一つ条件があります」
アスバールが再び口を開く。それは、改めて依頼の内容について説明する言葉。褪せ人は静かに続きを待った。
「貴方自身の正体を伏せて欲しいのです」
「何故だ」
その条件は些か褪せ人には不可解なものであった。正体を伏せること自体は別に良い。だが、その理由くらいは聞いておきたかった。
「貴方は良くも悪くも魔界では有名人ですので……そのおかげで探す手間が省けたのはあるのですが」
「『救国の英雄』『デーモン狩り』『苦痛の剣』『本当は怖いワンニャンランド』……貴方について、魔界と物質界で聞き込みをしたら、そんな評判が返ってきたの」
アスバールの言葉に続いて、竜人、ロタンが物質界と魔界で己を知る者が己をどう評しているのかを並べ立てる。
身に覚えがあるといえばあるものとないものが混ざってはいるが、それが周囲の己の評価なのだろう。あまり他人から評価を受ける機会は無かった為に、それがどの程度のものかは判別がつかないが。
「とにかく、大会で活躍する前に貴方が居ると分かってしまうとそちらに話題を持っていかれかねないわけです」
今現在、知名度に乏しい神よりも、魔界で大立ち回りを演じた目の前の男の方が当然記憶に新しいだろう。ある意味で話題性は抜群だが、主役は間違いなくそちらに持っていかれる。
それならそれで、アスバールとしては新たに褪せ人を守護者に加えたのだと宣言してしまっても良いのだが。
「そんなものか」
「そんなものです。それに——」
亜神アスバールは、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「——ぽっと出の無名チームが魔界武術大会を総なめにする。楽しそうじゃありませんか?」
時を同じくして王国。執務室では王子が神妙な面持ちでアンナからの報告を聞いていた。その王子の前に立つのは、オークの女戦士。今回、彼女の持ってきた問題こそが、今王子達を悩ませていた。
「……つまり、褪せ人の所在は不明、と」
「はい、元は帝国の飛空船で戻ってくる予定でしたが、『別件が出来た』とのことで……」
「真っ直ぐに帰ってこいって言ったんだけどなぁ……」
王子が困ったように言う。とはいえ、あの男が真っ直ぐに戻ってくるとは思ってはいなかった。何処へ行ったのかは分からないが、無駄な道草を食っているということは無いだろう。
「それで、どうするんだ? 参加しないなら魔界にいる捕虜は殺されるぞ?」
王子のやり取りに僅かに苛立ち混じりで問うたのはオークの女戦士、ドゥーラ。
突如として現れ、王子達へと彼女が突きつけた招待状、その対応について王国は考えを巡らせていた。
受けなければ魔界にいる人間の捕虜が殺されるのだという。ならば、どの道選択肢などありはしなかった。
「分かった。——魔界武術大会、受けて立とう」
「それで良い、オレもアンタ達と何のしがらみもなく戦いたい。参加表明は受け取った、魔界で待っているぞ」
そう言ってドゥーラが立ち去るのを見送った後、王子はアンナへと向き直り、口を開いた。
「大会に出る五人を選抜する。皆を集めてくれ」
「分かりました」
指示を受けたアンナが執務室を後にする。
褪せ人が居ないのはこの際仕方ない。王国とて英傑達は数多く居るのだ。武術大会がどの程度の猛者が集まるものなのかは分からないが、負けるつもりはない。
「アイツ、また魔界で迷子になってたりしないだろうな……」
聞けば、帝国でも一悶着あったらしい。それを解決しては、すぐさま何処かへと消えたという。他の面々も共に居なくなったと聞いている為に、それほど心配はしていないが。
「まずは選手選びか。これでまず一騒ぎ起きるな」
まずは己のやることに注意すべきだろう。
王国は血気盛んな者達が多い。我こそはと武術大会に名乗り出る者など、両の指でも足りないはず。その様子を想像し、これなら起きる一悶着を想像して苦笑いすると共に王子は執務室を後にするのだった。
——魔界武術大会、会場
魔界でも特に大きな催しということもあり、会場外も多くの人々で賑わっていた。耳をすませば、やれ今回はアイツが出るだの、優勝はコイツだのと口々に話をしているのが聞こえてくる。
「私達は飛び入りなので、予選からですね」
アスバール達と共に大会の受付へと向かう。魔界武術大会では、招待枠などを除いて、本選へと出場する為の予選が行われるのだという。
「ところで、貴方はどうしてそんな格好なの?」
会場を歩いていると、ふとヤハールが褪せ人に問いかけた。その顔は僅かに強張っている。
褪せ人が今身に纏っている鎧は常と異なる。
それは、言ってしまえば壊れかけた鎧に錆びた鉄の茨を巻き付けた異形のもの。兜はひしゃげ、あらぬ方向を向いた仮面がどこか恐怖感を煽っていた。
「正体を隠せと言われている」
「隠せとは言ってたけども……他には無かったの……?」
見目麗しい少女に囲まれた異形の鎧騎士はひたすらに目立っていた。
周囲の者達がその様子を見て何事かを囁いている。視線を向ければ、目を合わせないようにそそくさとその場を去っていった。
「結果的に注目を浴びれてますから、良いんじゃないですか?」
「お嬢がそれで良いなら、まぁ……」
意外と鷹揚なアスバールの言葉に、不承不承に頷いたヤハールはそれきり鎧について何も言ってこなかった。
「とにかく、受付を済ませてしまいましょうか」
そう言って、再び歩き出したアスバール達に褪せ人はふと思い出したように待ったをかけた。
「待て」
「……? 何かありましたか?」
「五人目はどうする」
出場者は5人。アスバール、ロタン、ヤハールと褪せ人で4人。カゴメ達は今回観戦するつもりだと聞いている。一人足りないのだ。
「ふふん、その辺は安心して! あたしの親友を呼んでおいたから!」
その褪せ人の疑問を受けて、胸を張って得意気に答えるヤハール。彼女の親友とやらが五人目らしい。そんな事を考えている矢先にヤハールに近づいて来る者がいた。
「——何に呼ばれたのかと思えば、まさか武術大会とは……久しぶりですね、ヤハール」
「来たわね、頭でっかちのハルモニア!」
「誰が頭でっかちですか」
果たして現れた親友とは、ハルモニアであった。その背後にはエスネアも居る。五人目とは、随分と意外な人物であった。
「お久しぶりです、アスバール様。まさか復活されていたとは……」
「えぇ、ベルゼビュートを倒してくれたおかげです」
そして、ハルモニアに対して褪せ人と同様の説明が為される。
経緯を理解し、武術大会に出る事を了承しつつも、ハルモニアには懸念があった。
「王国の厚意でこうして会うことを許されましたが、あまりこういった場で目立つのは……」
久しく会っていなかった友から頼み事があると手紙が届いたと王子に相談したところ、驚く程スムーズに外出の許可が下りた。付いてきたいと駄々をこねたエスネアまで一緒にだ。
こればかりはハルモニアもそのお人好しっぷりに呆れてしまった。魔界遠征で功績を積んだとはいえ、元魔王軍の二人が魔界に行くことを許可したのだから。ありがたい反面、少し王国の事が心配になってしまった。
いずれにせよ、このような目立つ場で己の事を晒すのは気が引けた。恐らくは自分が魔王軍から降りたことを知るデーモン達も居るだろう。
「そういえば、今は魔王軍を裏切った形になるんだっけ……じゃあ仮面か何か貸してあげるわ! そこの彼みたいに」
ヤハールがそんなハルモニアの懸念を聞き、いっそ仮面で顔を隠して出場してしまえと褪せ人を指差した。
指し示した先に居る鎧の男に一瞬目を丸くして、すぐに元の表情に戻る。
「……彼は?」
「助っ人よ! 安心して、凄く強いのは保証するわ!」
どうやら、己が誰だか気付いていないようだ。純粋に、この鎧を見て驚いたらしい。
「私はハルモニア。友の頼み故にこの武術大会で共に戦わせていただきます」
そう言って此方に礼を示すハルモニアに、ふと褪せ人は考えた。
果たして、正体を伏せるというのはどこまで適用されるべきか。
僅かに逡巡し、無言で礼を返す事で意思を示した。
「ふぅん? この男の人が助っ人なんだ」
エスネアが興味深げに此方を覗き込む。この悪魔も、己とは気付いていないようだった。
「そうよ! 凄く強いんだから!」
「へぇ? でも、あたしも強いよ? お姉ちゃんも出るみたいだし、代わってあげても良いよ?」
言外に枠を空けろと言ってのけるエスネア。だが、生憎と此方は契約の身、代わるつもりは毛頭ない。それを見かねたハルモニアがエスネアを窘める。
「失礼ですよ、エスネア」
「ぶうぅぅぅ、アタシだってお姉ちゃんと一緒に——」
「——褪せ人ー! 完成しましたよ、応援のうちわが! これで、思う存分、応援しますので! 無限に頑張ってください!」
「おい妖怪、何故私まで……」
「正体は隠すんじゃなかったかしら? これ、振ってるとバレちゃうわよね?」
エスネアが言い募ろうとしたところに、カゴメが勢いよく駆け寄ってくる。昨日から張り切って何かを作っていたのはそれだったか。完全に武術大会を楽しむつもりでいるようだった。
そこに、うちわを持たされ酷く不機嫌なラピスと冷静に突っ込みを入れるアブグルントが続く。
「むむむ、なら名前のところだけ外して……あれ、エスネアとハルモニア? どうしたんですか?」
「カゴメちゃんと……アブグルント? じゃあ、この鎧の男の人って……」
戸惑いを隠せないエスネア。そして、その現れた面々から、この異形の鎧の男の正体が自ずと導き出される。
まるで錆びついた機械の如くエスネアが此方へ振り返る。己が強気に出た相手の正体を知り、その顔は青ざめていた。
「……久しいな」
「ぴっ——」
その声を聞き、エスネアは悲鳴ともつかない声を上げて白目を向いた。
気絶するエスネアをカゴメが介抱する。そろそろ慣れても良いのではないかと、褪せ人は思った。
「何故貴方が此処に? 帝国に居たと聞いたのですが」
「私が依頼したのですよ、彼は命の恩人ですから」
思わぬところで再会したハルモニアの驚きの声に、アスバールがまた経緯を説明する。
それを聞き、改めて事情を把握したハルモニアは褪せ人へ向き直ると、微笑みと共に口を開いた。
「再び、隊長と共に戦えるとなれば心強いですね」
「今はもう隊長ではない」
「ふふっ、そうでしたね。では褪せ人と呼ばせていただきます。改めて、よろしくお願いします」
少々意外な出会いもあったが、これで頭数は揃った。今度こそ問題ないだろう。
一行は受付へと歩みを進めるのであった。
「揃ったようだね。では予選のAグループを始めようか」
受付を済ませ、暫くの後に闘技場へと通される。
司会進行を務めているのは、グレーターデーモン。しかし、かつて己が殺したものとは別の個体のようだった。でっぷりとした肥満体を揺らしながら、声を上げる。
Aグループに割り当てられたチームが一堂に会す中、褪せ人は周囲のチームを見渡していく。
オークにダークエルフ、竜人、果ては人間までもがこの大会に参加しているようだった。皆一様にこの戦いでの栄誉を勝ち取るべく、気炎を上げている。
どういう原理を用いたか、魔界武術大会の会場には瘴気が届くことはない。人間であっても、万全を期して戦いに臨めるよう配慮されているということらしい。褪せ人としてもありがたいことではあった。
「ルールはシンプルにバトルロイヤル。最後まで立っていたチームが本選に出られるので、頑張ってくれたまえ」
実に分かりやすくて良い。会場内にはヒーラーが控えているらしいので、多少の無茶も許されると聞いた。やり過ぎは厳禁だとアスバールには釘を刺されてはいるが。
神の楔、その力を確かめるのに丁度良いだろう。褪せ人が剣を握る。それは、切っ先の無い剣。本来は処刑場で首を落とす為に使われ、とある男によって奪われた宝剣であった。
かつての己では使えなかった。だが、神の楔による恩恵を受けた己ならば、問題はない。
周囲もその異様な気配に気付いたのだろう。周囲の視線が、此方に集中したのを感じる。
「ふむ、準備は良いかね? では——始め」
その号令と共に、Aグループの闘士達が駆け出す。
その様子を見ながら、アスバール率いる種族混成チームが悠然と前に出るのであった。
『神の楔』
ざっくり説明すると何か色々出来る便利アイテム。
世界樹を魔物化したり天界のバリアを通れるようになったり大体何でも出来るありがたいもの。
今回は神の楔の破片で褪せ人がちょっと強化されました。基本は筋バサやりつつちょっとくらい他の武器に浮気しても良いよね?くらいに思って貰えれば。