今ひとたび、英雄たらんことを   作:blue man

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篝火を挟んで

褪せ人が女神の言葉を反芻する。

 

呼び出されたことについては、もはやどうでもよかった。元よりあの地に己の居場所などありはしなかったのだから。

かつて、狭間の地でエルデの王を求められた時と同じように、女神は、己に英雄となることを求めた。

使命を無くし、ただ腐りゆくだけであった事を考えれば、むしろそれは都合がよかった。もはや、歩みを止めるわけにはいかず、しかし、使命なき己ではその向かう先が定まらなかったのだ。戦わなければ、己は己でなくなってしまう。答えなどとうの昔に決まっていた。

静かに王子へ向き直り、視線でもって意思を示す。

 

「答えは、決まったようだな」

 

周囲が静かに安堵の息を吐く。

断るとでも思っていたのだろうか。

 

「では、改めて現状を確認しよう」

 

王子はそう言うと、アンナへと呼びかける。

背後に控えていたアンナが素早く動き、机の上に地図を広げる。彼女の指が地図上を滑るように動き、状況を整理していく。

 

「現在、我々はここ、王都の北にあるアイギス神殿におります。先の戦闘により周囲の魔物は掃討されました。当面の安全は確保されていると言っていいでしょう」

 

続いて、ジェロームが一歩前へ出て、報告書を読み上げ始めた。

 

「斥候部隊からの連絡があります。…王都から魔物が散開、各所への攻撃が始まっています」

 

その言葉に、部屋の空気が一瞬凍り付く。魔物の目的が人間の殲滅である以上、こうなることは予想の範囲内。しかし、あまりにも展開が早すぎた。

 

「現在のわが軍ですが…。正直に言って、足りないものだらけです。兵も、物資も、情報も。王都を奪い返すにはあまりに心もとないなんてもんじゃありません」

 

「散らばった兵たちを集める必要がある…そうだな?」

 

端的に現状を分析するジェロームに、王子はそう確認する。

 

「そういうことです。現在、各所で魔物を相手に戦闘を行っている部隊が確認されています。

我々はこれを救援、拠点を確保しつつ、戦力を結集。しかる後、王都奪還へと移ります」

 

そう説明しながら、ジェロームは地図に印を書き込んでいく。

 

「まずは、ここより西にある捨てられた砦。ここに王国の魔法部隊が籠城しています。

…原因は不明ですが、アンデッドの大量発生により足止めを食らっている模様。バルバストラフ殿曰く、街道の墓地が怪しい、ということです」

 

そして、次なる目標が指し示された。ここより西の砦より、王国の魔法部隊をアンデッドの大群から解放する。それが反撃への第一歩であった。

 

「砦のアンデッドの大群を王国軍にて急襲します。その間に、別動隊が街道の墓地へ向かい原因の調査、可能であればそのままアンデッドの供給を断ってもらいます」

 

ジェロームを中心に、作戦が立案される。具体的な部分が詰められ、肉付けされていく。

この男が今ここにいるのは、王国軍にとって間違いなく幸運であっただろう。そう褪せ人は思った。

話がまとまるころには、窓の外の日はすっかりと落ちていた。

 

「さて、こんなところか…。今日のところは解散しよう。皆、ご苦労だった」

 

そう言って、その日は解散となった。女神の啓示、そして具体的な方針が示されたことによって、部屋を出る面々は、むしろ活力が戻っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の帳が降りた神殿周辺。魔物の群勢討伐の余韻が残る中、人々は束の間の安息を得ていた。

遠くから、酔ったニコラウスの筋肉自慢が聞こえてくる。兵士たちもそれを聞きながら上機嫌そうであった。

タラニアは子供たちと珍妙なごっこ遊びに励んでいるようだ。遊びに付き合っているという風ではない。恐らくは彼女自身も本気で興じている。まだまだ子供であった。

 

王国軍の存在は、人々に安心感を与えているようだった。

王子が、会議の後に人々の前に出たのも大きいだろう。

 

王子は、女神の啓示と王都奪還という目的について、民達に広く知らしめた。

それは、希望となって、民達の間を駆け抜けた。その希望が、間違いなく追い詰められた者達への支えとなっているようだった。

 

褪せ人についての情報は伏せられていた。褪せ人自身がそれを嫌ったのが大きいが、それ以外にも、王子が王国の人間でもない褪せ人に、無用な期待を背負わせるのをよしとしなかったのというのもあった。

今は流れの傭兵ということになっている。それでも、先の戦いでの行いは多くの者が目撃していたようだった。探るような視線が時折、こちらに向けられる。

 

遠くから聞こえる人々の歓声を背に、褪せ人は一人、篝火を囲い、武器の手入れに没頭していた。

血に塗れた大槌を丁寧に拭っていく。褪せ人はこの時間が嫌いではなかった。

 

「こんな所にいたんですね。探しちゃいましたよ」

 

不意に、そんな声が聞こえた。振り向くと、そこにはここに来るまでの道中、褪せ人を案内し続けていた桃色の髪の少女、イリスが立っていた。

 

「用意されたお部屋にもいませんでしたから、ずっと、探してたんですよ?」

 

そんな風に言いながら、篝火を挟んで正面へ座る彼女は、随分と印象が変わったように感じた。

悪夢のような状況から解放され、緊張が解けたのだろう。本来の素の部分が、恐らくはこちらなのだと、そう感じた。

 

「ええと、探していたのは、報酬の件です。ずっと、お渡しできていませんでしたから」

 

足りるでしょうか?そう言いながら彼女は袋を取り出すと、それを褪せ人へと手渡した。

袋からは確かな重みが伝わってきた。

 

「お支払いできるのは、それで全てです。ごめんなさい、それ以上となると今は持ち合わせが無くて…」

 

申し訳なさそうにそう言う。しかし、気になったのはそこではない。

 

「今、全部と、そう言ったか?」

「はい!全部です!で、でも、必ずご満足できる金額をご用意しますから!」

 

並々ならぬ覚悟を見せる彼女に、褪せ人は僅かに頭痛を覚える。

世間知らずの聖女からの報酬は、明らかに貰いすぎだった。

 

褪せ人が袋からいくらかの金貨を取り出し、見せる。

 

「これで、どの程度の金額だ」

「へ?そうですね…王都で、一週間くらいは宿に泊まれる。それくらいだと思います」

「なら、それで良い」

 

そう言って、手に持った金貨のみを回収し、残りをイリスに押し付ける。

イリスが何かを言おうとする前に、褪せ人が口を開いた。

 

「買いたたかれるつもりは無いが、過剰な報酬もごめん被る」

 

これ以上の問答は不要であると、態度で示すように武器の手入れを再開した。

 

「…褪せ人様は、良い方なのですね」

 

一瞬の静寂の後、イリスがそう切り出した。過剰な報酬を断っただけで随分な評価だった。

 

「いえ、それだけじゃありません。褪せ人様はこの地とは何の関係もない人なのに、こうして、私たちの為に戦ってくれている。普通は、怒ったり、悲しんだりするのではありませんか?」

 

遠い地から飛ばされ、いきなり世界の為に戦えという。なるほど確かに、一方的なそれに反感を覚えるのは無理もないのだろう。

 

「…立ち止まってしまえば、腐ってしまう。女神の使命は、単に戦うための理由として都合がよかっただけだ。元の地に私の居場所などありはしない」

 

イリスがその言葉に、何かを言おうとして、やめた。褪せ人の態度が、これ以上踏み込まれることを拒絶している。そう感じたからだ。

 

「わかりました。じゃあ、そういうことにしておきますね?」

 

そう言って微笑む彼女も中々に、頑固な性格をしているようだった。彼女が立ち上がり、褪せ人の元を去る。その去り際に褪せ人へ向けていった。

 

「それと、私も王国軍の一員として、後方支援に加わることになりました。今度は、ちゃんとお役に立てるよう、頑張りますね?」

 

そう言うと、今度こそ褪せ人の元を去ったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

イリスの足音が遠ざかるや否や、新たな声が夜の静寂を破る。

 

「異界の英雄殿も、中々隅に置けないな」

 

からかい混じりの声と共に、王子が褪せ人の前に腰を下ろす。

王国の連中は、随分と物好きが多いらしい。褪せ人はそう思った。

 

「…盗み聞きか。王国の王子は、随分と趣味が悪いらしい」

 

褪せ人の声は静かだが、その調子には僅かな皮肉が混じる。

 

「いやいや、そんなつもりは無かったんだ。俺も、君を探していてな」

 

褪せ人の皮肉に、王子は苦笑いしながらそう返す。

 

「…何の用だ」

「女神アイギス様に見出された異界の英雄。それの話が聞きたいと思うのは、別に変な話ではないだろう?」

 

そう言って、王子は褪せ人に酒瓶を手渡した。

褪せ人はそれを受け取ると、懐にしまう。

 

「え?飲まないのか?」

「そんな気分でもない」

「何だ、せっかく顔が拝めると思ったのに」

 

そう言いながら、王子は酒を呷る。

一国の王子としては、あまりに気安い態度であった。あるいはこういう所が、民や兵士達に好かれているのかもしれないが。

 

「…英雄などと、そう立派なものでもない。ただ、戦い続けて、いつしかそう呼ばれるようになった。それだけだ」

「英雄なんて、なろうと思ってなるようなものでも無いとおもうがね」

 

そう言いながら、王子は遠くの民達を見遣る。そこには、昼間の時の暗い表情は薄れ、僅かに明るさを取り戻しているようだった。

 

「民達に、ほんの少しだが笑顔が戻ったんだ。俺はそれが、たまらなく嬉しい」

 

恐らくは、酔っているのだろう。赤らんだ顔で、王子は言う。

 

「…さっきはああ言ったが、俺は英雄にならなくてはならない。亡き父のためにも、世界を救うためにも。だからこそ、異界の英雄に話を聞きたくなったんだ」

 

どこか自分に言い聞かせるようにそんなことを言う王子の目には、その責務への重圧と、強い覚悟の念が揺れているようだった。

 

「…酒を飲んでする話でもないか!まぁ、とにかくお前のことが知りたいのさ。さぁ褪せ人よ、話を聞かせてくれ」

 

気を取り直したように王子が褪せ人へと話しかける。王子の質問に、褪せ人が短く応じる。そんな奇妙なやり取りは、心配したアンナが王子を探して連れ帰るまでの間、夜の静寂の中響いていた。

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